------------------------------------------- 注 意 -------------------------------------------
本作品は、前作『気弱な河童とネガティブな吸血鬼と意地っ張りな魔法使いの話』の正式な続編です。URLは下記です。
http://coolier.sytes.net:8080/sosowa/ssw_l/?mode=read&key=1297540048&log=138
前作を読んでいなくても話の筋が分かるよう、最低限の解説は入れておりますが、前作を読んでからの方がより分かりやすいと思われます。
------------------------------------------- 注 意 -------------------------------------------
紅魔館。霧が漂う湖の畔に佇む、吸血鬼姉妹の住まう洋館。
その外観よりも広大な館の廊下を歩く、一人の少女がいた。
全身を白と黒の衣装に包み、右手に握るのは愛用の箒。ブロンドの髪に黒の三角帽子を乗せて、片方だけのお下げが歩みに合わせて小さく揺れている。
彼女の名前は霧雨魔理沙。魔法の森に住む人間の魔法使い。
背格好はやや小柄な部類に入るが、顔の血色は良く、迷いのない歩み方からも健康で快活な印象を与える。
魔理沙は館の地下へと進む階段の前を素通りし、そのまま廊下を進んでいく。
彼女が紅魔館を訪ねる時は、館の地下にある大図書館が目的であることがほとんどだったが、最近は少し違っていた。
ある部屋の前に差し掛かったところで魔理沙が足を止める。
簡素な造りの扉には、ネームプレートやその他の装飾品の類はついていない。
だが扉を見上げる彼女の目は、目的の場所がここであることを無言で示していた。
「……」
魔理沙は箒を手近な壁に立てかけると、懐からコンパクトタイプの手鏡を取り出す。
可愛らしいピンク色のそれは、彼女を知る者からすると「似合わない」と一笑に付されるに違いないものであるが、魔理沙はこれをいたく気に入り、肌身離さず持ち歩いていた。
魔理沙は帽子を脱いでドアノブに引っ掛けると、鏡を覗き込みながら頭頂部や自慢のお下げを指で乱暴に乱した。
「……よし!」
そして適度に乱れた頭髪を確認し、満足げに頷くと箒と帽子を回収し、深呼吸して目の前の扉をノックした。
◆ ◆ ◆
紅魔館に仕えるメイド長の十六夜咲夜は、控えめに叩かれたノックの音を聞き、来訪者が誰であるか察知した。
この部屋を訪ねる可能性が高いのは二人だけ。
紅魔館の門番である紅美鈴と、先日からちょくちょく遊びにくるようになった霧雨魔理沙。
美鈴ならもう少し強く叩く。となれば、扉の向こうにいる相手は決まっている。
「どうぞ、鍵は開いているわ」
その声が耳に届いたのだろう、扉がゆっくりと開く。
そこには予想通りの人物が笑顔で立っていた。
箒を持っていない方の手のひらをこちらに向け、部屋に入りながら軽口を叩いてきた。
「よ。遊びにきてやったぜ」
「あら、ケーキを食べにきてやったぜ、じゃなくて?」
軽口には軽口で対応する。
と、目の前の小柄な少女は、尚も調子を崩さずに続ける。
「ケーキを食べることも含めて遊びだぜ」
「はいはい、用意するから座って待ってなさい。帽子と箒はそこよ」
扉の脇に据え付けられた真新しい帽子掛けを指差しながら、咲夜。
それを見た魔理沙が軽い口調で茶化す。
「お、こんなの作ったのか。いやー、悪いな、私のために」
「ええ、魔理沙のために作ってもらったの。どう、嬉しい?」
「えっ……」
軽い冗談のつもりだったのだろう魔理沙は、ストレートな返答に面食らった様子で、嬉しさと驚きが入り混じった表情で咲夜を見つめている。
何も言い返せなくなってしまった少女を見て、耐え切れずに吹き出す咲夜。
「冗談よ、冗談。このお屋敷は帽子を被っている人が多いでしょ? 前から必要だと思ってたのよ」
「……」
「フフ、可愛い反応ごちそうさま。口で私に勝とうなんて十年早いわね」
「……別に勝負してない。……今に覚えてろ」
負け惜しみを言いつつも、負けを認めたような捨て台詞を吐いてしまう魔理沙。
それを指摘してさらに弄っても良かったが、あまりいじめてヘソを曲げられると厄介だ。
頬を膨らませて帽子と箒を掛けている魔理沙を視界の隅で見ながら、お茶の準備を始める。
ああは言ったが、実のところあの帽子掛けは魔理沙のために用意したと言っても過言ではない。
来訪の頻度が増えた友人の帽子を、いつまでも余分な椅子の上に置かせておくのは失礼と、箒も立て掛けられる帽子掛けを美鈴に作ってもらったのだ。
数人分の帽子は掛けられる造りだが、自室よりも主人の傍にいる時間の方が長い咲夜にとって、魔理沙以外の来客は稀だ。
魔理沙以外に使う者がいないと分かっていた以上、それは魔理沙専用と言い換えることができる。
だが、それを認めて主導権を与えてしまうのは咲夜にとって面白くないため、適当にごまかしておこうと決めていた。
食器棚でカップを用意していると、椅子に座っている魔理沙の後姿が目に入る。
その後姿をなんとはなしに見ていると、髪型の乱れが目についた。
咲夜はカップへと伸ばした指を引っ込めると、化粧棚からヘアーブラシを持ち出して魔理沙に近づく。
「魔理沙」
「……なんだよ」
後ろからの呼びかけに、肩越しに振り返る魔理沙。まだ少し膨れっ面だ。
その目に、ヘアブラシ片手に立っている咲夜の姿が映る。
「髪、みっともないわ。お茶の前に身だしなみを整えなさい」
「……やだ」
「じゃあ私がやるわよ。嫌なら言いなさい」
そう言うと返事も待たず、プイッと横を向いている魔理沙のお下げを解いてブラッシングを始める咲夜。
一旦始まってしまうと魔理沙も文句は言わず、黙ってされるがままになっている。
「まったく、甘えん坊なんだから……」
口の中でだけ呟くと、魔理沙が少しだけ首を動かして問うてきた。
「何か言ったか?」
「なんでもないわ。貴女も女の子なんだから、髪はちゃんとお手入れしなさい」
「ちゃんとしてるつもりなんだけどな」
またも適当にごまかす咲夜。
咲夜は、魔理沙がわざと髪を乱していることに気づいている。
図書館や館の外で偶然会ったときは丁寧に手入れされている魔理沙の髪は、何故か咲夜の私室に遊びに来たときだけ整っていない。
それも一度や二度ではないとくれば、察しのいいメイドでなくとも気づく。
これはつまり、私に髪を触ってもらいたいのだろうと理解した咲夜は、黙って甘やかしている。
以前は誰にもなびかなかったこの少女が、自分にだけ不器用に甘えてくれることに対する感情の揺らぎは、髪に櫛を入れてやる手間を補って余りあるものだった。
「この前あげたコンパクトの手鏡はちゃんと使ってる? 失くしたりしてないでしょうね」
魔理沙の思惑に勘付く前、自分でお手入れしなさいと私物の手鏡をプレゼントした。
手入れをさせるために渡したものが、今ではわざと乱すために使われてるなんて、ちょっと甘えさせすぎかしらね。
内心で苦笑する咲夜。
「持ってるよ。……まあ、時々使ってる」
懐の中に忍ばせた手鏡の存在を感じながら、魔理沙。
「私が昔使ってたお下がりで悪いけど、幻想郷に来る前の思い出の品だから大事にしてくれると嬉しいわね」
「うん」
咲夜からもらったのが嬉しくて、毎日使ってるなんてとても言えない。
それでなくとも妹のように扱われるようになって、咲夜にはやり込められっぱなしなのだ。
「はい、こっち向いて」
「ん……」
椅子ごとこちらに座りなおさせると、魔理沙の前に膝をついて髪を三つ編みにしていく。
ちらりと魔理沙を見やると、彼女もこちらを見ていたのだろう、目が合った。
魔理沙が慌てて目をそらした後、頬が少しずつ紅潮していくのが面白い。
人前であれだけ泣いて甘えておいて、いまさら何を照れているんだか。
仕上げにリボンを結んでやると、いつも背伸びしがちな目の前の少女は、年相応の嬉しそうな笑みを浮かべた。
「はい、おしまい」
「ありがと、咲夜」
「どういたしまして」
どうやら機嫌はすっかり直ったようね。
立ち上がってエプロンを指で伸ばしていると、魔理沙が再びこちらをジッと見ていることに気づく。
「何? まだ何かしてほしい?」
「べ、別になんでもない!」
「? おかしな子ね」
咲夜はそれ以上詮索せず、再びお茶の準備を始めた。
◆ ◆ ◆
「リサイクルショップ?」
苺がたっぷり乗ったショートケーキをフォークで切り分けながら、魔理沙が聞き返す。
「フランとにとりが?」
「ええ、二人で頑張ってるわ」
「へえ、あいつらがなぁ……」
ひと月ほど前、魔理沙は紅魔館の主である吸血鬼のレミリアから「妹のフランに友達を紹介して欲しい」と頼まれ、優れた技術者である河童の河城にとりを紹介した。
紆余曲折の末にフランとにとりは仲良くなり、双方の能力と技術を合わせ、外の世界から流れ着いた機械を修理することに成功した。
これは従来の幻想郷でもあまり例を見なかったことで、噂を聞きつけたカラス天狗が新聞の記事にもしたほどだ。
そして、最近になって自分たちでお金を稼ぎたいと言い出し、二人で修理屋(リサイクルショップ)を開店したらしい。
修理の受付けはレミリアの発案で紅魔館が一括で行っている。
受付けが紅魔館で客があるのかと心配した魔理沙だが、意外にも客足は上々とのこと。
にとりは天狗の縄張りである妖怪の山に住んでおり、並の人間や妖怪では立ち入ることができない。
紅魔館も危険な場所には変わりないが、門番の紅美鈴は温和で話の分かる妖怪として人間や妖怪にも人気があり、彼女を通しての修理依頼なら危険はない。
この思惑は的中。新聞に広告を掲載させたこともあり、徐々に客は増えているとのこと。
今のところ、外界の機械を所有する妖怪や半妖が中心で人間からの依頼はないとのことだが。
「でも、あいつら金貯めて何を欲しがってるんだ?」
「さあ? 私も聞かされていないわ」
三たび、咲夜はごまかした。
前述した通り、フランとにとりが友達になるきっかけを作ったのも、問題が起こった時に解決に奔走したのも魔理沙だった。
二人は魔理沙にお礼のサプライズパーティーを開催したいと考え、パーティーやプレゼントの資金も自分たちで用意することを希望した。
そこで、これまたレミリアの提案により修理屋を開店する運びとなった。
その計画を魔理沙に知られないようにするため、計画を知る紅魔館の全住人には緘口令が敷かれていた。
「そっか、じゃあ後でフランのとこにも寄って激励してやるかな」
「そうしてくれるとフラン様も喜ぶわ。ところで、ケーキのお代わりは?」
「食べる」
◆ ◆ ◆
「なあ咲夜、今度はいつ行くんだ?」
ひとしきり雑談を終えたところで、魔理沙がどこかソワソワと落ち着きなく口にした言葉を聞いて、咲夜は小さく苦笑した。
「ごめん、今週は間に合ってるわ」
「そ、そっか。それじゃ仕方ないな、また今度な」
「ええ、来週の頭くらいに買出しの予定だから、その時にまたいらっしゃい」
「うん……」
何かの誘いを断られたというのに、何やら安心した様子の魔理沙。
魔理沙はこのところ、咲夜の買出しに付き合って人間の里に出向いている。
否、魔理沙が人間の里に出向くのを、咲夜が買出しのついでという名目で付き合っている。
実家から勘当された過去を持つ魔理沙は、次第に人間の里そのものを避けるようになっていた。
自給自足の生活を続けていた折、魔理沙は実家に置いてきてしまった本が必要になり、咲夜の元を訪ねた。
咲夜の時間停止能力を頼りに、本を回収できないか打診したのだ。
咲夜はそれを快諾したが、いざ実家に向かう時になって新たな問題が発覚した。
人間の里には何とか行けても、実家に近づくにつれて魔理沙は情緒不安定になり、ついには繋いでいた咲夜の手を振り払って逃げ出してしまった。
これでは本の回収どころではない。
その後、咲夜の提案でトラウマ克服がてら、人間の里への買出しに付き合うことになった。
最初はぐずっていた魔理沙であったが、そこは弱味を握っている咲夜のこと。
巧みな押し引きと駆け引きの前に、魔理沙はあっけなく陥落した。
未だ本は手元に戻っていないが、元々そこで生活していたこともあって徐々に人間の里には慣れてきている。
それでも、実家周辺には近づきたがらない魔理沙のため、咲夜は細心の注意を払ってリハビリに付き合っている。
それも最近はやや停滞気味で、どうしたものかと頭を悩ませているのであるが。
「ごちそうさま。それじゃ、そろそろ行くよ。フランのやつにも顔見せしないとな」
「ええ、頑張っていらっしゃるから褒めてあげてね。それと来週、忘れないこと」
言いながら、帽子をフワリとかぶせてやる。
そのままポンポンと軽く頭に触れて激励してやると、少女は嬉しそうに満面の笑みで応えた。
「おう」
◆ ◆ ◆
「フラン、元気にしてるか?」
吸血鬼姉妹の妹、フランドールの私室の扉を開けると、部屋の中央のテーブルで書類と睨めっこをしていたフランが、顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「魔理沙! 魔理沙だー! いらっしゃい、魔理沙!」
「わっぷ。今日も元気そうだな、フラン」
そのまま胸に飛び込んできたフランを何とか受け止め、そのまま抱き上げる。
「うん、元気だよっ! 魔理沙が来てくれたからもっと元気になったよ!」
「そっか。よしよし、可愛いやつ」
フランを降ろし、帽子を落とさないように額から前髪にかけてゆるゆると撫でてやると、もうたまらないといった様子で身悶えしている。
もっと撫でてと目で訴えかけてくるフランを見て、帽子を取って思う存分可愛がる。
撫でるたび、フランの羽が小刻みに揺れている。
魔理沙に撫でてもらうのが、嬉しくてしょうがないのだろう。
「咲夜から聞いたぜ。にとりと修理屋はじめて頑張ってるんだって?」
「うん! あのね、見てみて!」
帽子を被りなおすのも忘れて魔理沙の手を取り、先ほどまで作業をしていたテーブルの方にパタパタと駆けていく。
テーブルの上には様々な道具や機械が、所狭しと並べられていた。
「紅魔館で修理のお願いを聞いて、私が壊れてるところを調べて、にとりに直してもらってるの!」
「それでねそれでね、“こきゃくじょうほう”とか“のーき”も私が管理してるんだよ!」
得意げな表情のフランが差し出してきた紙の束を受け取り、ペラペラとめくる。
そこには修理を依頼された物品の名前や特徴、修理完了までの納期などが依頼主別にまとめられていた。
中には、スキマ妖怪の式や妖怪の山に住まう天狗、魔法の森近くに店を構える雑貨屋店主など、見慣れた名前もちらほらあった。
やはり修理を依頼されるのは幻想郷で流通しているものよりも、外の世界から流れ着いた品物が多いようだ。
今まで困難とされてきた、外の世界の機械を修理したという実績が買われているのだろう。
「へえ、フランがまとめてるのか。すごいじゃないか」
あまり綺麗な字とは言えないが、丁寧かつ分かりやすい資料に感心する魔理沙。
賞賛の言葉を贈られたフランは破顔一笑。
「うん! パチュリーに作り方を教わったの! 字は咲夜と小悪魔が教えてくれたよ!」
「そうか、頑張ってるんだな。偉いぞ、フラン」
「えへへ、ありがと。これもみんな魔理沙のおかげだよ!」
どうやら紅魔館の総力を挙げて、フランとにとりの修理屋運営をバックアップしているらしい。
何にせよ、打ち込めることがあるのは良いことだ、と魔理沙は思う。
相変わらずベッタリ甘えてくるフランであるが、以前のように過度に依存したり情緒不安定になることも無くなったようだ。
そのことに一抹の寂しさがないわけではないが、彼女のためを思えば贅沢な悩みだ。
「にとりとも仲良くやってるみたいだな」
「うん。週に一回、“けーえーじんかいぎ”をここでやってるよ!」
「本格的だな。ところで、自分たちで金稼ぎして何が欲しいんだ?」
魔理沙の問いかけに、前もってにとりと打ち合わせておいた理由を口にするフラン。
視線が斜め上に泳いでいるが、普段からあまり落ち着きのないフランのことなので、魔理沙も気には留めないようだ。
「え、ええとね、にとりが最新式の工具を欲しがってるの」
「それで手伝ってやってるのか」
「うん。あとね、私も新しいぬいぐるみがほしいの!」
「そっか、自分の金なら好きなの買えるもんな」
その返答に納得した様子を見せる魔理沙。
フランは内心で胸をなでおろしながら話題を変える。
「魔理沙も、八卦炉が壊れたら直してあげるよ!」
「うーん、アレは専門の修理屋がもういるからなあ、他に何かあればお願いするよ」
「うんっ、約束だよ!」
「ああ。それと、何か困ったことがあったら私に言えよ。修理代を踏み倒すような妖怪がいたら、私が吹っ飛ばしてやるぜ」
それはパチュリーの本を無断で借りていく魔理沙が言えた義理ではないのだが、そのことを知らないフランは笑顔で頷いた。
「ありがと! でも、大丈夫だよ。お姉様や咲夜たちも協力してくれてるから」
魔理沙へのお礼のために始めたことで、魔理沙の手を煩わせたくはない。
そんな思いで丁重にお断りしていると、ある心配事がフランの頭に浮かんだ。
「あ……」
「どうした、何かあるのか?」
目を伏せ、両手の指先を不安げに絡ませる仕草から、言うか言うまいか逡巡している様子が見て取れる。
つまらないことなら言わなかっただろうが、フランにとって大事なことだったのだろう、魔理沙が後押しするよりも先に、迷いつつも口を開いた。
「あのね……先週、にとりがあんまり元気なかったの。どうしたの、って聞いても大丈夫としか言わないし、打ち合わせだけしてすぐ帰っちゃったの。いつもは、お泊りして遊ぶんだよ?」
「それっきり会ってないのか」
「うん……私、にとりのお家がどこにあるか知らないから、見に行くこともできなくて……」
話しながら、次第にうつむいていくフラン。
「何かあったのかな。もしかして、私のこと……」
嫌いになったのかな、という言葉はかろうじて飲み込む。
極度の依存は無くなったとはいえ、自分のネガティブな面を、大好きな魔理沙には見せたくない。
だが、一度沈んでしまった心は、目じりに涙がたまっていくのを止めてはくれない。
泣いているところを魔理沙に見られる。それはフランにとって、泣くことそのものよりも悲しいことであった。
フランがにとりの家に行かないのは、場所を知らないという理由だけではないのだろう。
邪魔になるかもしれない。また何も話してくれないかもしれない。嫌われるかもしれない。
人付き合いが上手ではないが、仲良くなると人懐っこいこの少女は、懐いた相手に嫌われることが何より怖いのだ。
そのことを察した魔理沙は愛用の帽子を脱ぐと、フランの頭にやや目深になるように被せた。
「……?」
突然の感触に驚き、反射的に顔を上げるフラン。
視界の先には見覚えのある帽子のつばが見える。お願いして何度か被らせてもらったことがあるから分かる。魔理沙の帽子だ。
まばたきした拍子に頬を涙がつたったが、目深に被せられた帽子のおかげで魔理沙には見えていないだろう。
「私に任せろ。にとりの家を知ってるのは私だけだからな、様子を見てくる」
「うん……ごめんね、魔理沙ぁ……ぐすっ」
「気にするな。異変解決は私の役目だぜ。……あー、その帽子、ちょっと預かっててくれるか? 今日は蒸し暑いからな」
その言葉に黙って頷くフラン。これ以上なにか喋ったら、声をあげて泣くのを我慢できそうにない。
真夏でも帽子を手放さない魔理沙が、そんな理由で帽子を置いていくことはありえない。
自分のためにしてくれているのだと分かり、フランの冷え込んでいた心が少しだけ暖かさを取り戻す。
「もう夕方だから今日は戻れないかもしれない。何があっても明日は顔を見せるから、ちゃんと休んどくんだぞ」
魔理沙が部屋を出て行ったあと、魔理沙の帽子を抱きしめて顔を埋めるフランの姿があった。
◆ ◆ ◆
妖怪の山の中腹。川原から少し奥まった場所に河城にとりの家がある。
一月ほど前にも訪れたが、その時は呼びかけても聞こえなかったらしく、開けてもらえなかった。
その時のことを思い出しながら家主の名前を呼ぶ。が、返事はない。
既視感を覚えながらもう一度呼びかけようとした時、かすかに返事ともうめき声ともとれる声と足音がして、目の前のドアが開いた。
そこには、頬がこけて目の下に濃いクマができ、汗をかいてフラフラのにとりがドアに寄りかかるようにして立っていた。
「……悪いけど、今忙し――あ、魔理沙じゃないか……」
「おう、にとり久しぶり。元気そ……うじゃないな。一体どうし……お、おいっ! にとり!」
ドアノブにすがるように立っていたにとりは、そのまま魔理沙の方に倒れこんできた。
何度か名前を呼びかけるが、反応はない。
にとりの体温は服越しでも火照っているのが分かる。水棲生物の河童としては異常だ。
ただごとではないと感じた魔理沙は、動かないにとりをなんとか背中におぶさり家に入っていった。
部屋の中は酷い有様だった。
魔理沙の家も種々の蒐集物で溢れかえっているが、ここはそれ以上だった。
修理中の機械と工具が散乱しており、足の踏み場もない。
布団は部屋の隅に乱暴に追いやられており、掛け布団の上にも機械が鎮座し、しばらく使った形跡も無い。
テーブルの上には、半分ほどかじったキュウリがしなびて放置されているのも見える。
「……」
しばらく呆然としていた魔理沙だが、背負ったにとりが苦しそうにうめくのを聞き、彼女にとって何よりも不得手な片づけを始めた。
十数分後、なんとか布団を敷くだけのスペースを確保し、にとりを寝かせる。
修理中と思われる部品を適当に片付けるわけにもいかず、まだ分解されていない機械の山を他の場所に移動させていたため時間がかかった。
服を脱がせて顔と身体の汗を拭く。
にとりの裸体を見るのは初めてだったが、苦しそうな友人を前に、余計なことを考える暇もない。
着替えさせ、額に絞った濡れタオルを乗せたところで一息ついた。
先ほどまでうなされていたにとりも落ち着き、今は静かな寝息を立てている。
「さてと……」
しばらく寝顔を眺めていた魔理沙だが、やがて立ち上がってにとりの家を後にした。
◆ ◆ ◆
「ん……あれ? 私……」
「目が覚めたか、にとり」
「あれ、魔理沙……どうしてここに……?」
「私がここにきたら、にとりが倒れたんだよ。私が看てるから、まだ寝てろ」
「うん……」
そのまま、すうっとまぶたが下りていく。が、
「ま、魔理沙! 私、どれくらい寝てた!?」
かけ布団をはねのけながら上半身だけ起き上がり、まだ疲れの色濃い顔を歪ませるにとり。
魔理沙は壁にかけられた時計を見ながら、
「ん? そうだな、私がここにきて二時間ってところか」
「まずい! 納期に間に合わないよ!」
そのまま勢いよく立ち上がるにとり。
だが足元はフラつき、すぐに座り込んでしまう。
魔理沙が慌てて身体を支え、力の入らない様子のにとりを横に寝かせる。
「馬鹿、無理するな! 素人の私にも絶対安静って分かるぞ!」
尚も腕に力を込めて起きようとするにとりを、魔理沙が強い口調で叱りつける。
その剣幕にさすがのにとりも驚き、そして力を抜いた。
少し沈黙が続き、魔理沙がすまなそうに眉尻を下げて謝る。
「怒鳴ってごめん」
「ううん……私こそごめんよ」
「なあ、何をそんなに焦ってるのか聞かせてくれないか?」
にとりはしばらく無言で魔理沙を見つめていたが、観念したように口を開いた。
「……私ね、フランと一緒に修理屋をはじめたんだ」
「ああ、知ってる」
「そっか。じゃあ薄々は勘付いてると思うけど……」
部屋中に散らばった工具や機械に視線を送るにとり。
魔理沙も予想が確信に変わったようで、言葉を受け継ぐ。
「納期、って言ってたしな。修理が間に合いそうにないのか?」
「うん……」
「やっぱり外の世界の機械ってのは、にとり程の腕があっても難しいものなのか」
「それもあるけど、数が多くて……」
ちょうど枕元にあった紙の束に手を伸ばし、魔理沙に渡す。
それはフランの部屋で見せてもらった、顧客情報と納期の一覧表と同じものだった。
にとりによって色々な走り書きがされている点だけが違ったが。
「その表の、一番右端。そこにレ点が入ってるのが終わったやつだよ」
言われたところを魔理沙が目で追うと、修理完了の項目があるが、レ点の数は全体の半分にも満たないのが分かる。
「で、その表に載ってるやつは、今週が納期なんだよ……。だから寝てる暇なんかないんだ」
「いや、無茶だろいくらなんでも。時間でも止められるなら別だけどな」
にとりにこれ以上の無理をさせないために、事実をきっぱりと告げる魔理沙。
にとりも苦笑して頷き、分かってたんだ、と呟く。
「睡眠時間と食事時間を削ればギリギリ大丈夫かなと思ったけど、ちょっと無理だったみたい」
「当たり前だろ。なんでこんな無理するんだ。何だ、この無茶な納期。フランと打ち合わせて決めてるんじゃなかったのか?」
「……っ」
フランの名前を出した途端、にとりが泣きそうに顔を歪める。
魔理沙はそれ以上の追求はせず、にとりが話し始めるのを待つ。
やがて落ち着いたにとりが、自嘲めいた笑みを浮かべながら、
「私が悪いんだ。無理かもって思ったけど、安請け合いしちゃったんだ。フランにいいとこ見せようと思って……悪い癖だよ」
にとりには、元々こういうところがあった。
基本的には控えめな裏方タイプだが、頼られると必要以上に粋に感じてしまい、後先考えずに行動することがある。
それが気に入っている相手だと尚更で、役に立ちたい、喜ぶ顔が見たいという想いが先走ってしまう。
決して頼みごとを断れないタイプではない。
不特定多数から好かれたいとは全く考えていないので、利用しようとする相手からの依頼や、本当に嫌なことはキッパリ断るだけの決断力は持っている。
だが、にとりのような性格は、誰かの役に立つことで自己を肯定しようとすることが往々にしてよくある。
表舞台に立つには向かない己の力量と性格を把握した上で、人並みにこなせる分野で力を発揮しようとする。
今回のケースは、にとりがフランをいたく気に入っていることと、生来のこういう性格が合わさっての失敗であった。
「あーあ、私って成長しないなあ。嫌になるよ」
魔理沙はその自虐を聞き流しながら、懐から薬包紙に包まれた紅い薬を数粒取り出してにとりに手渡す。
どこから持ってきたのか、水の入った水差しも用意されている。
「それ飲んでもう一回寝るといい。にとりは考え込みすぎるから、一回頭をリフレッシュさせるんだ」
「うん……ごめんよ、魔理沙」
魔理沙を信頼しているのだろう。どんな類の薬なのか確かめることもなく、水と一緒に薬を咽下する。
そのまま横になり、目を閉じる。そして数分もしないうちに静かな寝息を立て始めた。
魔理沙がにとりに飲ませたのは、服用することで楽しい夢を見られる“胡蝶夢丸”。
にとりがうなされているのを見かねた魔理沙が、友人の魔法使いに頼んで分けてもらってきたものだ。
寝る間際に泣いてしまったのだろう、涙が耳のそばを通って枕に染み込もうとしているのをタオルで拭ってやりながら呟く。
「おやすみ、にとり。いい夢見るんだぜ」
◆ ◆ ◆
翌朝、にとりは穀物が煮えるいい匂いの中で目を覚ました。
寝る前はどん底まで沈んでいた気持ちも、楽しい夢を見たおかげで少し持ち直していた。
「おはよう、にとり。よく眠れたか?」
「あれ、魔理沙…………? あ……そっか、一晩看病してくれてたんだね。ごめんね……ありがとう」
「別にどうってことないぜ。それよりおかゆ作ったぞ。どうだ、食べられそうか?」
魔理沙がお盆に土鍋と茶碗、そして小皿を載せて歩いてくる。
おかゆと言えば梅干が定番だが、そこには緑色の色彩。
河童の嗅覚が好物の匂いを嗅ぎ取り、食欲を刺激する。
「きゅうりの一夜漬けだね!? 食べる!」
十数分後、にとりは土鍋の中のおかゆときゅうりを全て胃袋に納めていた。
「ごちそうさま。久しぶりにこんなおいしいものを食べたよ」
「食欲もあるなら、もう大丈夫そうだな。クマもすっかり取れたし」
「うん、おかげさまですっかり元気だよ。でも……」
にとりが周囲に放置された機械を見回す。
「もう間に合いそうにない……。どうしよう、フランにあわせる顔がないよ……」
しょげているにとりに、魔理沙が励ますように笑いかける。
「フランはそんなことで怒ったりしないぜ。にとりもよく知ってるだろ?」
「うん、でも……」
俯いて、おかゆ用のスプーンを指先で弄ぶにとり。
付き合いの長い魔理沙は、にとりが考えていることが大体分かる。
「怖いのか? 嫌われるかもしれないのが」
「……っ!」
スプーンに触れていた指がこわばる。
どうやら図星らしい。
せっかくできた新しい友達。
それは人見知りで口下手なにとりにとって、得がたい存在。
魔理沙が言うように、フランは納期を守れないことよりも、にとりが体調を崩していたことの方に驚き、悲しむだろう。
そのことを頭では理解していても、心の奥底にわだかまる不安を払拭できないでいるにとり。
長年に渡る負の感情が生み出したトラウマは、まだ完全には取り除けていないのだろう。
魔理沙が、実家に近寄れないでいるのと同じように。
不安を解消するには、ありのままの事実を告げるしかない。だから魔理沙は、にとりに昨日の出来事を伝えた。
「私がここに来たのは、フランに頼まれたからなんだぜ。先週会った時、元気なかったから心配だ、って」
「フランが? ほんとに?」
「ああ。それなのに、にとりが何も言わずに帰ったから、嫌われたのかもしれないって落ち込んでたぞ」
「そんな……」
ショックを受け、二の句を継げなくなっているにとり。
にとりはフランに喜んでもらいたい一心で体調不良を隠し、遊ぶのも我慢して修理を続けた。
だが、皮肉にもその行動は、結果的にフランを傷つけてしまった。
にとりにとっては厳しい事実だろう。だが、魔理沙は敢えて聞かせた。
この不器用な優しさを持つ河童と吸血鬼は、一度本音で話し合う必要があると考えたから。
相手を思いやってのはずの行動が、相手を傷つけていたというのはあまりにも悲しい。
「にとり、紅魔館に行くぞ。行けるよな?」
言葉はかけるが、以前のように手は差し伸べない。
これはもう、二人の問題だ。できる限りのフォローはするが、解決できるかどうかは二人だけの世界だ。
魔理沙の思惑が伝わったのだろう、泣きそうな顔をしていたにとりはハッと何かに気づいた様子で、力強く頷いた。
「……うん!」
◆ ◆ ◆
紅魔館。フランの私室。
結局、昨日は魔理沙は戻ってこなかった。
寝ずに待っていたフランであったが、夜明けを迎えた頃にウトウトしはじめ、現在もまどろみの中にいた。
夢を見ていた。
魔理沙とにとりが楽しそうに話しているのを見つけ、一緒に遊ぼうと声をかけた。
だが、にとりはフランを一瞥すると、魔理沙の手を取ってどこかに行ってしまった。
一人残されたフランは、友達を二人失った悲しみに押し潰され、声もあげずに泣いていた。
そんな悪夢からフランを救ったのは、扉をノックする音と、友人の声だった。
「フラン、フラン、いるかい?」
「!」
あまり寝起きのよくないフランが一瞬で夢から覚醒し、扉に目をやる。
心臓が激しく脈動する。だがそれとは正反対に、頭の中は澄み切っている。
今きこえた声は夢か幻か、聞き間違えでないことを祈りつつも、もし声をかけて返事が無かったら、という恐怖に駆られて身動きが取れない。
だが、そんな杞憂もすぐに打ち砕かれた。
「フラン、私だよ。にとりだよ。フランに話したいことがあるんだ。ここを開けてほしいな……」
徐々にか細くなっていく声。
だが、そんなことには構わずにフランは扉に飛びつき、勢いよく開けた。
「にとり!」
「ああ、フラン。ええと、こんにちは。……起こしちゃった? ごめわぁっ!?」
にとりが最後まで喋る暇も与えず、フランは抱きついていた。
そして、今まで言えずにいた正直な想いを泣きながら言葉にする。
「来てくれてよかった……! 私、にとりに嫌われたのかとっ……」
それを聞いたにとりも一瞬で涙腺が決壊し、涙を流しながら謝罪の言葉を口にする。
「心配かけてごめん、ごめんよ……。私がいけないんだ、いいとこ見せようとして修理引き受けたけど、結局時間が足りなくて倒れちゃって、納期も守れなくて……」
「そうだったの……。ううん、そんなの気にしないで! 私こそ、にとりが辛いときに助けてあげられなくてごめんね。倒れたって、もう大丈夫なの?」
「そんなことない。フランが魔理沙に頼んでくれたから私は助かったんだよ。あのままだったら、私は死んじゃってたかもしれない。フランは命の恩人だよ……!」
今まで棒立ちだったにとりが、フランの背中に手を回し抱きしめ返す。
あまりベタベタして嫌われたくないという想いから、魔理沙やフラン相手でもスキンシップを極力避けていたにとり。
そのにとりがついに我慢しきれず、初めて能動的にフランを抱きしめた。
それが何より嬉しくて、フランの涙が嬉し泣きに変わる。
フランはずっと、にとりにこうして欲しかった。
スキンシップによって好意を示すフランは、にとりがいつも距離を置いて接してくる事を密かに気にしていた。
このハグは、二人の間にあった見えない距離感を無くし、同時に二人の心の奥底に眠っていたトラウマが解消されたことを意味していた。
そこからやや離れた場所に、魔理沙と咲夜、そしてレミリアの姿があった。
心配で見守っていたのだが、どうやら今回も無事に解決したことに胸をなでおろす。
「ご苦労様、魔理沙。いつも悪いわね」
「なに、あいつらは私の妹みたいなもんだからな。気にするなって」
「でも、安心しましたわ。フラン様は良いご友人を持ちました」
「そうね、初めて連れてきた時はちょっと文句も言ったけど、改めて撤回させてもらうわ。これ以上ない人選だったわ、魔理沙」
「だろ? 色々と難しいやつらだけど、これで本当の意味で仲良くなれたらいいな」
「ええ、本当に」
三人が見守る先では、笑顔のフランとにとりが手を繋いで部屋に入っていくところだった。
◆ ◆ ◆
翌日。
にとりとフランは顧客先を回り、納期を守れなかったことへの謝罪を行った。
そこは基本的に長寿かつマイペースな連中揃いの幻想郷。
誰も文句など言わず、気長に待つからのんびりやってくれということで決着がついた。
にとりも徹夜するのはやめ、自分のペースで修理を続けている。
そして、修理が完了していた機械の代金も幾ばくか払われた。
それは二人が考えていたより遥かに多額で――手を繋いでぺこぺこ頭を下げる小さな二人を見たカラス天狗が、何故か激しく興奮して奮発してくれた――魔理沙へのパーティー費用が集まった。
二人は話し合い、人間の里で魔理沙へのプレゼントを買うことにした。
だが、ここでまた一つ問題が浮上した。
互いにすっかり慣れたとは言え、基本的にはまだまだ人見知りな二人だけで人間の里に行かせることは憚られる。
特にフランは、普段は引きこもりのため他者との関わりが極めて少なく、初めて会う人間とは事務的な会話もおぼつかないことが多い。
反面、慣れると人懐っこい面もあるのだが、事務的な会話だけならにとりの方がまだしも無難にこなせる。
にとりだけで買いに行く案もあったが、フランがどうしてもついて行きたいと言ったため、誰かが隠れて監視するという条件でレミリアは許可を出した。
もし何かあった時、その場を治められる人が近くにいる必要があると考えたのだ。
「で、その役目を魔理沙にお願いしようと思ってるの」
咲夜は部屋を訪ねてきた魔理沙にそう告げた。
それを聞いた魔理沙は、口に入れていたケーキと咲夜の言葉を、文字通り咀嚼して考え込む。
人間の里。
地底や魔界など、およそ幻想郷で行かぬ場所のない彼女が、ただ一つ避けてきた場所。
最近は少しずつ慣れてきたとは言え、一人で行った記憶は遥か昔、もはや霞がかっておりはっきりと思い出せない。
いつもは咲夜に手を繋いでもらっているため、何とか耐えられているに過ぎないと魔理沙は考えていた。
「……なんで、私なんだ? 咲夜が行けばいいじゃないか」
魔理沙にしては歯切れの悪い返答をする。
この問いかけは想像通りだったのだろう、咲夜がすぐに理由を話す。
「お嬢様に急な仕事を仰せつかって、私や美鈴、パチュリー様に小悪魔も駆り出されてるのよ」
先手を打って紅魔館全員の名前を出す咲夜。
急な仕事とはサプライズパーティーの準備であるのだが、それはもちろん魔理沙には伏せておく。
実のところ、レミリアは咲夜の準備役を免除し、二人に付き添わせるつもりでいた。
だが、思うところがあった咲夜は主に逆らい、魔理沙を監視役に提案したのだ。
「万が一なにかあっても、魔理沙がいれば上手く解決できるでしょう?」
「……」
咲夜は、魔理沙がこの提案を断らないだろうという確信があった。
単純に一人で行けと言えば嫌がるだろうが、フランとにとりの事になると魔理沙は弱い。
これは咲夜の賭けであった。
最近の魔理沙は咲夜にかなり甘えるようになっており、特に人間の里でのそれは顕著になっている。
この少女の手を握って一緒に歩く時間は楽しく、また大切にも思っていたが、甘やかしすぎる自分が原因で、却って解決の阻害をしているのかもしれない。
先日のフランとにとりの一件で、最後は敢えて一歩引いて二人だけで解決させた魔理沙の姿勢を見た咲夜は、それを見習うことに決めた。
もしかしたら、このことで恨まれるかもしれない。
もう甘えてくれなくなるかもしれない。
それでも咲夜は、魔理沙のためになると信じて話を持ちかけた。
「もし、私が断ったら……どうするんだよ?」
この質問が出たのは、魔理沙の心が揺れている証拠。
条件次第では受けるとも取れるこの言い回しは、裏を返せば断れないように後押ししてほしいだけなのだ。
「きっとお嬢様が、フラン様の外出を禁止するわね」
申し訳ありません、お嬢様。
了解は得ているとはいえ、主を二度もダシに使う行為に胸が痛む。
だが、痛みを我慢しただけの効果はあったようで、魔理沙が両手を挙げて降参のポーズをしながら呟く。
「わかった、わかったよ。ここで断ったら私が悪者みたいじゃないか」
「あら、泥棒は悪者じゃないの?」
「む……」
内心ホッとしつつ吐かれた咲夜の軽口に、魔理沙は言い返せなかった。
◆ ◆ ◆
「おい、なんで無駄にフリフリした服ばっかりなんだ」
咲夜の私室にて、手渡された服を見た魔理沙がうんざりした表情で呻いた。
白黒の魔理沙のいでたちは、夜はともかく昼間は目立つ。
にとりやフランが振り返った時にバレてしまっては元も子もないため、咲夜が変装のための服を見繕うことになった。
クローゼットの奥から咲夜が出してきたのは、フリフリのレースがついたピンクと白が基調のワンピース。
頭につけるものだろう、白い花をあしらったブローチも用意されている。
咲夜が小さな頃に着ていたものらしいが、虫食いなどもなく保存状態がいいのはさすがと言うべきか。
「魔理沙が絶対に着ないようなのを選ばないと意味ないでしょう、変装なんだから」
「それは……そうだけどさ……」
「うん、よく似合うわ。貴女って案外、こういう可愛らしいのがよく似合うわよね。普段からもっと着飾ればいいのに」
「私は、機能性重視だぜ」
「よし、これに決めたわ」
服を魔理沙の身体に合わせていた咲夜が、満足げに頷く。
魔理沙の返事など聞いてもいない。
もうかれこれ一時間以上、魔理沙は咲夜の着せ替え人形にされていた。
「はあ、やっと決まったか。もう疲れちゃったぜ……」
「あら、それなら私が着替えさせてあげるわよ?」
「へっ……!? い、いや、いいです! 自分でできます!」
何を焦っているのか、無意識に丁寧語になるなってしまった魔理沙と、それを見てニッコリ微笑む咲夜。
そのまま、笑顔で魔理沙を部屋の隅に追い詰めていく。
どう見ても魔理沙をからかって遊んでいるだけなのだが、今の魔理沙にそれを見抜く余裕は無かった。
「や、やめろ! そ、それ以上近づくなぁ!」
顔を真っ赤にして涙目で叫ぶ魔理沙。
懐から愛用のミニ八卦炉を出して咲夜に向かって構える。
が――それが、咲夜からもらったコンパクトタイプの手鏡であることに気づくのに、それほど時間はかからなかった。
どうやら慌てふためいたために、形状の似ているミニ八卦炉と間違えたらしい。
「ぷっ……くふっ……魔理、沙、それっ、ふふふ……そう、いつも持ち歩いてくれてるのね。嬉しいわ」
薄々勘付いていたことではあるが、事実が白日の下に晒された以上、これをネタにいじめない手はない。
この切り替えの早さこそが、咲夜の瀟洒たる所以であった。
「わー! ち、違うんだ。きょ、今日はたまたま……!」
「あら、そうなの? せっかくあげたのに、持ち歩いてくれてないのね。残念だわ」
わざとらしく沈んだ表情を見せる。
だが、完全に冷静さを失った魔理沙はこんな単純な手に引っかかって踊ってくれた。
「う……じ、実はいつも持ち歩いて……あー!? お、お前!」
我慢しきれずにニヤニヤしていた咲夜を見た魔理沙が、かつがれたことに気づく。
「い、今のは嘘だからな! お前があんな顔するから、慰めようと――!」
「はいはい。優しい魔理沙は、私が落ち込んでるから気を遣ってくれたのよね?」
「そ、そうだ!」
「今日はたまたま持ってたのよね?」
「そうだ!」
「でも実は毎日持ち歩いてるのよね?」
「そうだ! ――あ」
訳もわからず同意していた魔理沙が、誘導尋問に引っ掛けるのは容易なことだった。
「い、今に覚えてろ……」
ぷるぷると震える指先をこちらに突きつけ、子供のように――普段は大人びているだけで、実際は子供と言ってもよい年齢だが――負け惜しみをいう魔理沙に、さらりと言い返す。
「あら、魔理沙のこんな可愛らしい姿、今だけじゃなくて一生覚えておいてあげるわよ」
「うぅぅ……」
それ以上は何も言い返せずがっくりうなだれて、負けを認める魔理沙。
対照的に、面白いオモチャで遊んだ後のように満足げな咲夜。
幻想郷の誰もが、この二人のこんな表情は見たことがないだろう。
この後、すっかり機嫌を損ねた魔理沙のために和菓子を買いに行かされることになるのであるが。
◆ ◆ ◆
「買い物ならこの店がいいでしょう。お二人にとって初めて行く場所でしょうから、まずは店主にこの手紙を渡してください。それでスムーズに買い物ができるはずですわ」
翌日。曇天の空は、日光が苦手なフランにとって絶好の買い物日和。
にとりに人間の里の地図を、フランに蝋で封をした手紙と、念のための日傘を渡す咲夜。
手を繋いで紅魔館の門を出て行く二人を見送ったあと、上空に待機していた魔理沙に手で合図を送る。
魔理沙が頷き、高度と距離をとりながら二人の後を追っていく。
白を基調とした服は、上空にいる限りは雲の保護色となって見つかりにくいだろう。
目下で楽しそうに談笑している少女たちと違い、魔理沙の胸は早くも緊張で高鳴っていた。
誰も付き添ってくれない、一人きりでの人間の里。
里につけば飛ぶのを控え、歩くしかないだろう。
普段は咲夜の体温を感じる右手が、今日は寒々しい。
魔理沙は邪念を振り払うかのように、箒の柄を強く握った。
人間の里に入っていくフランとにとり。
最近は妖怪や妖獣も買い物に訪れるため、人目を引く羽をもつフランが足を踏み入れても特に混乱はない。
せいぜい、珍しいものが好きな子供がちらちら見ているだけだ。
少し前から飛ぶのをやめていた魔理沙も、そのまま続く。
平静を装って前を向いてはいるが、心臓は今にもはちきれんばかりに鼓動しており、箒を握る手に汗がにじむ。
逃げたい。
フランとにとりのことを忘れ、今すぐ飛んで帰りたい。
だが、魔理沙はその欲求に抗う。妹のように――本当の家族のように――思っている二人を、放ってはおけない。
もし何かあれば、純真なフランは深く傷つくだろう。
怖がりなくせに孤独が嫌いで落ち込みやすいにとりは、またふさぎこんでしまうだろう。
そうならないために私はここにいる。だから逃げない。
そうだ、ここに異変解決に来ていると思え。かつての永い夜のように。
決意を固めて深呼吸すると、少しだけ心が落ち着いた。
二人を見失わないように、後ろを歩いていく。
里に入ってからは二人も口数が少なくなり、にとりが地図を取り出してキョロキョロしている。
設計図を読むことは抜群に上手い河童の技術者も、勝手を知らない人間の里の地図には苦労しているようだ。
周囲にはまばらながらも人通りがあり、誰かに道を尋ねることもできる。
が、そこは人見知りの二人。
にとりは誰かに道を尋ねるという選択肢は最初からないらしく、地図との睨めっこを続けている。
フランはちらちらと周りの人に視線を送ってはいるが、目が合うたびに視線をそらしてしまっている。
魔理沙がどうしたものかと見ていると、道の向こうから見覚えのある人物がやってきて、二人に声をかけた。
紺色に近い青をベースとした服に身を包み、一風変わった形の帽子――幻想郷では変わった形の帽子など珍しくもなんともないが――を頭に乗せている人物は、寺子屋の教師であり里の守り人でもある半人半獣の上白沢慧音。
距離があるため会話の内容は分からないが、地図を見ながらどこかを指差していることから察するに、二人に道を教えてくれているのだろう。
説明が終わったらしく、フランが笑顔で頭を下げ、にとりも慌てて頭を下げて礼を言っている。
こういうときは、好意に対して好意を素直に返せるフランの方が自然に振舞えるのが面白い。
事務的なやりとりはにとりも無難にこなせるが、素直に感情を表現するという点においてまだまだ不得手だ。
再び手を繋いで歩いていく二人を見送る慧音。
魔理沙が後を追うために隠れていた物陰からでてくると、何故かこちらを見ていた慧音と目が合う。
しまった。
内心で舌打ちする魔理沙。
変装しているとは言え、お互いに見知った顔である。
ここで声をかけられると二人に気づかれる可能性がある。だが逃げ出せば余計に怪しまれるだろう。
どうしたものかと焦る魔理沙をよそに、慧音は何も言わずに回れ右し、元来た道を歩いていく。
「……咲夜か」
道を教えにくるタイミングといい、こちらが隠れているのを知っていたかのような視線といい、話が出来すぎている。
おそらくは、あの気が利くメイド長が、里の守護者である上白沢慧音に話をつけておいたのだろう。
そして、変装した魔理沙が監視についていることも。
「どうせなら、慧音のやつがずっと付き添ってくれたら良かったのに」
そう一人ごちるが、慧音の姿はすでに見えない。道案内だけの役割だったようだ。
魔理沙は気を取り直すと小走りでフランとにとりの後を追う。
この時は何も意識せず、二人に追いつくことだけを考えていたために気づかなかった。
そして、気づいた時には遅かった。
いくつかの路地を抜け、十字路を左に曲がったところで唐突に魔理沙の足が止まる。
フランとにとりが、どこに向かっているか見当がついたのだ。
道具屋“霧雨店”。
里でも屈指の大手道具屋であり、霧雨魔理沙の実家でもある。
咲夜が同伴してくれても、どうしても近づけなかったその店が、既に視界の先におぼろげに見えている。
視線を下ろせば、フランとにとりがその店に一直線に向かっている。
地図を見たにとりがその店を指差したことから、もはやそこが目的地であることは間違いないだろう。
「……ハメやがったな、咲夜のやつ……」
汗が魔理沙の頬を伝う。
尾行することに集中していたため、ここまで近づいていたことに気づかなかった。
そして気づいてしまった途端、心臓の鼓動が跳ね上がる。
足が鉛のように重くなり、頭がグラグラと揺れる錯覚に襲われる。
手近な家屋の壁に手をついて地面を見ていると、乾いた土にぽたぽたと水滴が滴っている。
頭のどこか冷静な部分が汗だと判断したが、それは涙だった。いつの間にか泣いてしまったらしい。
とにかく、こんな顔では逃げることも進むこともままならない。
人目につくことだけは避けなければならないので、表情だけでも整えようと咲夜のコンパクト手鏡を開く。
と、開いた拍子に何かが地面に落ちる。よく見ると小さな紙片であった。
どうやら、コンパクトの中に挟み込まれていたらしい。
指でつまみ、開く。そこには小さく丁寧な字でこう書かれていた。
『どうしても無理なら、後ろに上白沢慧音がいるから代わってもらいなさい』
こんなことを書いて仕込んでおけるのは、一人しか居ない。
後ろを振り返ると、確かに20メートルほど後方に、先ほどいなくなったはずの慧音が立っている。
道案内でお役御免かと思っていたが、こんなことにまで協力してくれていたのだ。
「へっ……あのやろ……」
確かに、今ここに十六夜咲夜の姿はない。
だが、彼女の優しさは感じ取ることができた。
咲夜以外に、泣き顔を見られてなるものかという意地もある。
意地っ張りなら、誰にも負けない。
ふと横を見ると、いつものように咲夜が立って見守ってくれている気がした。
自然と、涙は止まっていた。
「やれやれ、どうやら大丈夫のようだな」
こちらに親指を立て、フランとにとりの後を追っていく魔理沙の姿を見て慧音が呟く。
「ほんと、慧音は面倒見がいいね」
声とともに、長身・白髪の少女が現れて慧音の横に並ぶ。
その少女に向かい、慧音が微笑みかける。
「なに、霧雨も私の生徒になるはずだった子ですから。生徒の面倒を見るのは教師の役目ですよ」
「ふうん、じゃあ、私の面倒はどうして見てくれてるの?」
「ま、まあそれはいいじゃないですか。それとこれとは話が違――」
「照れちゃって可愛い。今日はそんな慧音に色々ご教授願いたいわね。ね、慧音センセ?」
「――~~っ!」」
往来に、頭突きをしたかのような鈍い音が響いたが、この辺りではいつものことなので誰も気にとめなかった。
◆ ◆ ◆
霧雨店にて。
昼を過ぎ、また夕暮れにもまだ時間があるということで店内に他の客はなく、にとりはほっと胸をなでおろしていた。
店内には齢40過ぎと思われる男性店員が一名だけおり、二人に向かってややぶっきらぼうな挨拶をよこした。
「……いらっしゃいませ」
人間の里を出歩く妖怪が増えたとはいえ、人間にとってみれば畏怖の存在であることに変わりは無い。
本能的に怖がったり、内心で敵意を抱く人もいるだろう。
そう理解していても、あまり歓迎されていない空気を纏った店員に対し、一歩引いてしまうにとり。
だがフランはそれには気づかず、咲夜から預かった手紙を懐から取り出して、両手で店員に差し出している。
にとりには、できないことだ。
「……?」
フランから受け取った手紙をしばらく眺めていた男性は、やがて低い声でぼそりと、
「……少し店をあける。その間に、買いたいものを決めておいてくれ」
「は、はい」
そう言い残し、入り口の扉を閉め切って他の客が入れないようにすると、男性は店の奥に引っ込んでしまった。
店内に静寂が訪れる。
人目が気になる性質のにとりやフランには、誰も居ない店というのはありがたい。
それを見越した咲夜が、人払いしてくれるように手紙で言付けしてくれたのだろうと、にとりは判断した。
「フラン、今のうちにプレゼントを選ぼう」
「うんっ!」
十分ほど後、思いおもいの品を手に持って待っていると、先ほどの男性がのそりと出てきた。
そのまま無言で会計を済ませ、商品を包んでもらう。
にとりとフランが小包を受け取り、お礼を言って――今度はにとりが先に謝辞を述べた――立ち去ろうとすると、男性が無言で一冊の本を差し出してきた。
表紙はこちらから見えないが、紐で綴じただけの粗末な造りの本とは違う。
やや色あせているがカラフルな印刷から察するに、外の世界のものだろうとにとりは判断した。
真意がつかめずに本と男性を交互に見ていると、フランが疑問を口にする。
「それ、くれるの?」
男性は頷き、フランにそれを手渡した。
「アンタらがプレゼントしようとしている人に、渡してくれればいい」
「魔理沙に? 貴方も魔理沙のことを知っているの?」
無邪気に、そしてどことなく嬉しそうに質問するフラン。
にとりは男性の表情が、少しだけ悲しげなものに変わったのを見逃さなかった。
問われた男性は、質問には答えず別の言葉を投げかけてきた。
「魔理……その子は、元気にしているのか?」
「魔理沙? うん、元気だよ! 私たちの大事なお友達なの!」
「……そうか。…………すまないが、今日はもう店じまいするから帰ってくれないか」
閉めていた入り口の扉を開放し、再び店の奥に行こうとする男性。
だが、暖簾をくぐったところで立ち止まり、ポツリと呟いた。
「もし……今夜の料理に鮭の蒸し焼きがあるなら、キノコも入れてやるといい。あれは、それが好物だ」
◆ ◆ ◆
霧雨店のすぐ傍で中の様子を伺っていた魔理沙は、店から二人がでてくるのを見て慌てて隠れた。
店内に向かってにとりは頭を何度も下げ、フランは親しげに手を振っている。
その相手はこちらからは見えないが、仮に見えたとしても目をそらしていただろう。
だが、ともあれ何事もなく買い物は終わった。
二人が紅魔館に戻ったのを確認し、家でいつもの服に着替えてから紅魔館に報告に行く手はずになっている。
魔理沙は知らない。
報告のために行った紅魔館で、自分のためのパーティーが準備されていることを。
その席で、咲夜も知らないはずの自分の大好物が用意されていることを。
パーティーの終盤、にとりとフランからのプレゼントに不覚にも感動して涙ぐんでしまうことを。
その際、一緒に渡された本を見て、皆の前で大声で泣いてしまうことを。
この時の魔理沙は、知らない。
◆ ◆ ◆
その夜。咲夜の私室にて。
すっかり遅くなってしまったため、魔理沙は紅魔館に泊まっていくことになった。
どの部屋に泊まるかで、フランとパチュリーの二人が揉めにもめたのだが、結局はレミリアの鶴の一声で第三者の咲夜の部屋に決定した。
魔理沙は咲夜のおさがりのパジャマに着替え、ベッドの上でうつぶせに寝転んでいる。
そして、鏡台の前で髪を梳いている咲夜をなんとはなしに眺めていた。
「今日はお疲れ様」
鏡越しに視線に気づいたらしい咲夜が、振り返らずに話しかけてくる。
「本当にお疲れだぜ。まさか、あんなに仕組まれてたとはな」
「ふふ、貴女の真似をしてみたのよ。私と一緒に行くより、よっぽどいいリハビリになったでしょう?」
「私の真似だって?」
「ええ、フラン様とにとりの問題を、敢えて少し突き放して解決させたでしょう」
「ああ、それで……」
その言葉に魔理沙も合点がいく。
フランとにとり、いつまでも二人の間を取り持つのが友人として正しいかどうかは、疑問符がつく。
こじれた関係の修復の手は貸すが、最終的には当事者同士が解決しないと意味が無い。
それは、魔理沙も同じであった。
咲夜についてきてもらっていては、いつまでたっても実家のトラウマを克服できなかったかもしれない。
まだ実父との関係が修復されたわけではない。
だが、実家のすぐ傍まで行くことはできた。これは確かな前進だろう。
何年間も進展しなかった問題に、今日確かに楔が打たれたのだ。
「我ながらどうなるかと思っていたけれど、よく頑張ったわね。褒めてあげる」
下ろした髪を整え終えた咲夜が、うつぶせになっている魔理沙の傍に座る。
お互いの身体が触れるか触れないかの距離。
手を伸ばせば、すぐに届く距離。
「おう。頑張ったんだから、何かご褒美くれよ、ご褒美」
下唇を尖らせてご褒美を要求する魔理沙を、微笑んで見つめる咲夜。
こうしていると、本当に年相応の子供ね。
「ええ、いいわよ。何がいい? きんつば? もなか? わらび餅?」
甘味でも食べさせればすぐにご機嫌になる。
そう思っていたが、魔理沙はその提案には賛同せず、しばらく黙った末に――
「……でて」
「うん?」
「……頭、撫でて」
顔を真っ赤に染め、消え入りそうな声で呟く魔理沙。
ああ、なるほど。
いつも髪を整えてあげた後、よくこちらを見てくることがあったが、やっと理由がわかった。
親に甘えた経験がほとんど無いこの子は、こういうことを渇望していたに違いない。
だから、以前に図書館で頭を撫でてやったときも嫌がらなかったのだろう。
「あまえんぼ」
「……うっさい」
柔らかな金髪に指先を絡めて撫で上げながら、少しだけからかう。
その反論に手を止めてみると、
「……もっと」
「はいはい」
今日はずっと、二人のお姉ちゃんとして頑張ったものね。
今夜くらいは、甘やかせてあげるわ。
魔理沙。手のかかる、私のかわいい妹。
本作品は、前作『気弱な河童とネガティブな吸血鬼と意地っ張りな魔法使いの話』の正式な続編です。URLは下記です。
http://coolier.sytes.net:8080/sosowa/ssw_l/?mode=read&key=1297540048&log=138
前作を読んでいなくても話の筋が分かるよう、最低限の解説は入れておりますが、前作を読んでからの方がより分かりやすいと思われます。
------------------------------------------- 注 意 -------------------------------------------
紅魔館。霧が漂う湖の畔に佇む、吸血鬼姉妹の住まう洋館。
その外観よりも広大な館の廊下を歩く、一人の少女がいた。
全身を白と黒の衣装に包み、右手に握るのは愛用の箒。ブロンドの髪に黒の三角帽子を乗せて、片方だけのお下げが歩みに合わせて小さく揺れている。
彼女の名前は霧雨魔理沙。魔法の森に住む人間の魔法使い。
背格好はやや小柄な部類に入るが、顔の血色は良く、迷いのない歩み方からも健康で快活な印象を与える。
魔理沙は館の地下へと進む階段の前を素通りし、そのまま廊下を進んでいく。
彼女が紅魔館を訪ねる時は、館の地下にある大図書館が目的であることがほとんどだったが、最近は少し違っていた。
ある部屋の前に差し掛かったところで魔理沙が足を止める。
簡素な造りの扉には、ネームプレートやその他の装飾品の類はついていない。
だが扉を見上げる彼女の目は、目的の場所がここであることを無言で示していた。
「……」
魔理沙は箒を手近な壁に立てかけると、懐からコンパクトタイプの手鏡を取り出す。
可愛らしいピンク色のそれは、彼女を知る者からすると「似合わない」と一笑に付されるに違いないものであるが、魔理沙はこれをいたく気に入り、肌身離さず持ち歩いていた。
魔理沙は帽子を脱いでドアノブに引っ掛けると、鏡を覗き込みながら頭頂部や自慢のお下げを指で乱暴に乱した。
「……よし!」
そして適度に乱れた頭髪を確認し、満足げに頷くと箒と帽子を回収し、深呼吸して目の前の扉をノックした。
◆ ◆ ◆
紅魔館に仕えるメイド長の十六夜咲夜は、控えめに叩かれたノックの音を聞き、来訪者が誰であるか察知した。
この部屋を訪ねる可能性が高いのは二人だけ。
紅魔館の門番である紅美鈴と、先日からちょくちょく遊びにくるようになった霧雨魔理沙。
美鈴ならもう少し強く叩く。となれば、扉の向こうにいる相手は決まっている。
「どうぞ、鍵は開いているわ」
その声が耳に届いたのだろう、扉がゆっくりと開く。
そこには予想通りの人物が笑顔で立っていた。
箒を持っていない方の手のひらをこちらに向け、部屋に入りながら軽口を叩いてきた。
「よ。遊びにきてやったぜ」
「あら、ケーキを食べにきてやったぜ、じゃなくて?」
軽口には軽口で対応する。
と、目の前の小柄な少女は、尚も調子を崩さずに続ける。
「ケーキを食べることも含めて遊びだぜ」
「はいはい、用意するから座って待ってなさい。帽子と箒はそこよ」
扉の脇に据え付けられた真新しい帽子掛けを指差しながら、咲夜。
それを見た魔理沙が軽い口調で茶化す。
「お、こんなの作ったのか。いやー、悪いな、私のために」
「ええ、魔理沙のために作ってもらったの。どう、嬉しい?」
「えっ……」
軽い冗談のつもりだったのだろう魔理沙は、ストレートな返答に面食らった様子で、嬉しさと驚きが入り混じった表情で咲夜を見つめている。
何も言い返せなくなってしまった少女を見て、耐え切れずに吹き出す咲夜。
「冗談よ、冗談。このお屋敷は帽子を被っている人が多いでしょ? 前から必要だと思ってたのよ」
「……」
「フフ、可愛い反応ごちそうさま。口で私に勝とうなんて十年早いわね」
「……別に勝負してない。……今に覚えてろ」
負け惜しみを言いつつも、負けを認めたような捨て台詞を吐いてしまう魔理沙。
それを指摘してさらに弄っても良かったが、あまりいじめてヘソを曲げられると厄介だ。
頬を膨らませて帽子と箒を掛けている魔理沙を視界の隅で見ながら、お茶の準備を始める。
ああは言ったが、実のところあの帽子掛けは魔理沙のために用意したと言っても過言ではない。
来訪の頻度が増えた友人の帽子を、いつまでも余分な椅子の上に置かせておくのは失礼と、箒も立て掛けられる帽子掛けを美鈴に作ってもらったのだ。
数人分の帽子は掛けられる造りだが、自室よりも主人の傍にいる時間の方が長い咲夜にとって、魔理沙以外の来客は稀だ。
魔理沙以外に使う者がいないと分かっていた以上、それは魔理沙専用と言い換えることができる。
だが、それを認めて主導権を与えてしまうのは咲夜にとって面白くないため、適当にごまかしておこうと決めていた。
食器棚でカップを用意していると、椅子に座っている魔理沙の後姿が目に入る。
その後姿をなんとはなしに見ていると、髪型の乱れが目についた。
咲夜はカップへと伸ばした指を引っ込めると、化粧棚からヘアーブラシを持ち出して魔理沙に近づく。
「魔理沙」
「……なんだよ」
後ろからの呼びかけに、肩越しに振り返る魔理沙。まだ少し膨れっ面だ。
その目に、ヘアブラシ片手に立っている咲夜の姿が映る。
「髪、みっともないわ。お茶の前に身だしなみを整えなさい」
「……やだ」
「じゃあ私がやるわよ。嫌なら言いなさい」
そう言うと返事も待たず、プイッと横を向いている魔理沙のお下げを解いてブラッシングを始める咲夜。
一旦始まってしまうと魔理沙も文句は言わず、黙ってされるがままになっている。
「まったく、甘えん坊なんだから……」
口の中でだけ呟くと、魔理沙が少しだけ首を動かして問うてきた。
「何か言ったか?」
「なんでもないわ。貴女も女の子なんだから、髪はちゃんとお手入れしなさい」
「ちゃんとしてるつもりなんだけどな」
またも適当にごまかす咲夜。
咲夜は、魔理沙がわざと髪を乱していることに気づいている。
図書館や館の外で偶然会ったときは丁寧に手入れされている魔理沙の髪は、何故か咲夜の私室に遊びに来たときだけ整っていない。
それも一度や二度ではないとくれば、察しのいいメイドでなくとも気づく。
これはつまり、私に髪を触ってもらいたいのだろうと理解した咲夜は、黙って甘やかしている。
以前は誰にもなびかなかったこの少女が、自分にだけ不器用に甘えてくれることに対する感情の揺らぎは、髪に櫛を入れてやる手間を補って余りあるものだった。
「この前あげたコンパクトの手鏡はちゃんと使ってる? 失くしたりしてないでしょうね」
魔理沙の思惑に勘付く前、自分でお手入れしなさいと私物の手鏡をプレゼントした。
手入れをさせるために渡したものが、今ではわざと乱すために使われてるなんて、ちょっと甘えさせすぎかしらね。
内心で苦笑する咲夜。
「持ってるよ。……まあ、時々使ってる」
懐の中に忍ばせた手鏡の存在を感じながら、魔理沙。
「私が昔使ってたお下がりで悪いけど、幻想郷に来る前の思い出の品だから大事にしてくれると嬉しいわね」
「うん」
咲夜からもらったのが嬉しくて、毎日使ってるなんてとても言えない。
それでなくとも妹のように扱われるようになって、咲夜にはやり込められっぱなしなのだ。
「はい、こっち向いて」
「ん……」
椅子ごとこちらに座りなおさせると、魔理沙の前に膝をついて髪を三つ編みにしていく。
ちらりと魔理沙を見やると、彼女もこちらを見ていたのだろう、目が合った。
魔理沙が慌てて目をそらした後、頬が少しずつ紅潮していくのが面白い。
人前であれだけ泣いて甘えておいて、いまさら何を照れているんだか。
仕上げにリボンを結んでやると、いつも背伸びしがちな目の前の少女は、年相応の嬉しそうな笑みを浮かべた。
「はい、おしまい」
「ありがと、咲夜」
「どういたしまして」
どうやら機嫌はすっかり直ったようね。
立ち上がってエプロンを指で伸ばしていると、魔理沙が再びこちらをジッと見ていることに気づく。
「何? まだ何かしてほしい?」
「べ、別になんでもない!」
「? おかしな子ね」
咲夜はそれ以上詮索せず、再びお茶の準備を始めた。
◆ ◆ ◆
「リサイクルショップ?」
苺がたっぷり乗ったショートケーキをフォークで切り分けながら、魔理沙が聞き返す。
「フランとにとりが?」
「ええ、二人で頑張ってるわ」
「へえ、あいつらがなぁ……」
ひと月ほど前、魔理沙は紅魔館の主である吸血鬼のレミリアから「妹のフランに友達を紹介して欲しい」と頼まれ、優れた技術者である河童の河城にとりを紹介した。
紆余曲折の末にフランとにとりは仲良くなり、双方の能力と技術を合わせ、外の世界から流れ着いた機械を修理することに成功した。
これは従来の幻想郷でもあまり例を見なかったことで、噂を聞きつけたカラス天狗が新聞の記事にもしたほどだ。
そして、最近になって自分たちでお金を稼ぎたいと言い出し、二人で修理屋(リサイクルショップ)を開店したらしい。
修理の受付けはレミリアの発案で紅魔館が一括で行っている。
受付けが紅魔館で客があるのかと心配した魔理沙だが、意外にも客足は上々とのこと。
にとりは天狗の縄張りである妖怪の山に住んでおり、並の人間や妖怪では立ち入ることができない。
紅魔館も危険な場所には変わりないが、門番の紅美鈴は温和で話の分かる妖怪として人間や妖怪にも人気があり、彼女を通しての修理依頼なら危険はない。
この思惑は的中。新聞に広告を掲載させたこともあり、徐々に客は増えているとのこと。
今のところ、外界の機械を所有する妖怪や半妖が中心で人間からの依頼はないとのことだが。
「でも、あいつら金貯めて何を欲しがってるんだ?」
「さあ? 私も聞かされていないわ」
三たび、咲夜はごまかした。
前述した通り、フランとにとりが友達になるきっかけを作ったのも、問題が起こった時に解決に奔走したのも魔理沙だった。
二人は魔理沙にお礼のサプライズパーティーを開催したいと考え、パーティーやプレゼントの資金も自分たちで用意することを希望した。
そこで、これまたレミリアの提案により修理屋を開店する運びとなった。
その計画を魔理沙に知られないようにするため、計画を知る紅魔館の全住人には緘口令が敷かれていた。
「そっか、じゃあ後でフランのとこにも寄って激励してやるかな」
「そうしてくれるとフラン様も喜ぶわ。ところで、ケーキのお代わりは?」
「食べる」
◆ ◆ ◆
「なあ咲夜、今度はいつ行くんだ?」
ひとしきり雑談を終えたところで、魔理沙がどこかソワソワと落ち着きなく口にした言葉を聞いて、咲夜は小さく苦笑した。
「ごめん、今週は間に合ってるわ」
「そ、そっか。それじゃ仕方ないな、また今度な」
「ええ、来週の頭くらいに買出しの予定だから、その時にまたいらっしゃい」
「うん……」
何かの誘いを断られたというのに、何やら安心した様子の魔理沙。
魔理沙はこのところ、咲夜の買出しに付き合って人間の里に出向いている。
否、魔理沙が人間の里に出向くのを、咲夜が買出しのついでという名目で付き合っている。
実家から勘当された過去を持つ魔理沙は、次第に人間の里そのものを避けるようになっていた。
自給自足の生活を続けていた折、魔理沙は実家に置いてきてしまった本が必要になり、咲夜の元を訪ねた。
咲夜の時間停止能力を頼りに、本を回収できないか打診したのだ。
咲夜はそれを快諾したが、いざ実家に向かう時になって新たな問題が発覚した。
人間の里には何とか行けても、実家に近づくにつれて魔理沙は情緒不安定になり、ついには繋いでいた咲夜の手を振り払って逃げ出してしまった。
これでは本の回収どころではない。
その後、咲夜の提案でトラウマ克服がてら、人間の里への買出しに付き合うことになった。
最初はぐずっていた魔理沙であったが、そこは弱味を握っている咲夜のこと。
巧みな押し引きと駆け引きの前に、魔理沙はあっけなく陥落した。
未だ本は手元に戻っていないが、元々そこで生活していたこともあって徐々に人間の里には慣れてきている。
それでも、実家周辺には近づきたがらない魔理沙のため、咲夜は細心の注意を払ってリハビリに付き合っている。
それも最近はやや停滞気味で、どうしたものかと頭を悩ませているのであるが。
「ごちそうさま。それじゃ、そろそろ行くよ。フランのやつにも顔見せしないとな」
「ええ、頑張っていらっしゃるから褒めてあげてね。それと来週、忘れないこと」
言いながら、帽子をフワリとかぶせてやる。
そのままポンポンと軽く頭に触れて激励してやると、少女は嬉しそうに満面の笑みで応えた。
「おう」
◆ ◆ ◆
「フラン、元気にしてるか?」
吸血鬼姉妹の妹、フランドールの私室の扉を開けると、部屋の中央のテーブルで書類と睨めっこをしていたフランが、顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「魔理沙! 魔理沙だー! いらっしゃい、魔理沙!」
「わっぷ。今日も元気そうだな、フラン」
そのまま胸に飛び込んできたフランを何とか受け止め、そのまま抱き上げる。
「うん、元気だよっ! 魔理沙が来てくれたからもっと元気になったよ!」
「そっか。よしよし、可愛いやつ」
フランを降ろし、帽子を落とさないように額から前髪にかけてゆるゆると撫でてやると、もうたまらないといった様子で身悶えしている。
もっと撫でてと目で訴えかけてくるフランを見て、帽子を取って思う存分可愛がる。
撫でるたび、フランの羽が小刻みに揺れている。
魔理沙に撫でてもらうのが、嬉しくてしょうがないのだろう。
「咲夜から聞いたぜ。にとりと修理屋はじめて頑張ってるんだって?」
「うん! あのね、見てみて!」
帽子を被りなおすのも忘れて魔理沙の手を取り、先ほどまで作業をしていたテーブルの方にパタパタと駆けていく。
テーブルの上には様々な道具や機械が、所狭しと並べられていた。
「紅魔館で修理のお願いを聞いて、私が壊れてるところを調べて、にとりに直してもらってるの!」
「それでねそれでね、“こきゃくじょうほう”とか“のーき”も私が管理してるんだよ!」
得意げな表情のフランが差し出してきた紙の束を受け取り、ペラペラとめくる。
そこには修理を依頼された物品の名前や特徴、修理完了までの納期などが依頼主別にまとめられていた。
中には、スキマ妖怪の式や妖怪の山に住まう天狗、魔法の森近くに店を構える雑貨屋店主など、見慣れた名前もちらほらあった。
やはり修理を依頼されるのは幻想郷で流通しているものよりも、外の世界から流れ着いた品物が多いようだ。
今まで困難とされてきた、外の世界の機械を修理したという実績が買われているのだろう。
「へえ、フランがまとめてるのか。すごいじゃないか」
あまり綺麗な字とは言えないが、丁寧かつ分かりやすい資料に感心する魔理沙。
賞賛の言葉を贈られたフランは破顔一笑。
「うん! パチュリーに作り方を教わったの! 字は咲夜と小悪魔が教えてくれたよ!」
「そうか、頑張ってるんだな。偉いぞ、フラン」
「えへへ、ありがと。これもみんな魔理沙のおかげだよ!」
どうやら紅魔館の総力を挙げて、フランとにとりの修理屋運営をバックアップしているらしい。
何にせよ、打ち込めることがあるのは良いことだ、と魔理沙は思う。
相変わらずベッタリ甘えてくるフランであるが、以前のように過度に依存したり情緒不安定になることも無くなったようだ。
そのことに一抹の寂しさがないわけではないが、彼女のためを思えば贅沢な悩みだ。
「にとりとも仲良くやってるみたいだな」
「うん。週に一回、“けーえーじんかいぎ”をここでやってるよ!」
「本格的だな。ところで、自分たちで金稼ぎして何が欲しいんだ?」
魔理沙の問いかけに、前もってにとりと打ち合わせておいた理由を口にするフラン。
視線が斜め上に泳いでいるが、普段からあまり落ち着きのないフランのことなので、魔理沙も気には留めないようだ。
「え、ええとね、にとりが最新式の工具を欲しがってるの」
「それで手伝ってやってるのか」
「うん。あとね、私も新しいぬいぐるみがほしいの!」
「そっか、自分の金なら好きなの買えるもんな」
その返答に納得した様子を見せる魔理沙。
フランは内心で胸をなでおろしながら話題を変える。
「魔理沙も、八卦炉が壊れたら直してあげるよ!」
「うーん、アレは専門の修理屋がもういるからなあ、他に何かあればお願いするよ」
「うんっ、約束だよ!」
「ああ。それと、何か困ったことがあったら私に言えよ。修理代を踏み倒すような妖怪がいたら、私が吹っ飛ばしてやるぜ」
それはパチュリーの本を無断で借りていく魔理沙が言えた義理ではないのだが、そのことを知らないフランは笑顔で頷いた。
「ありがと! でも、大丈夫だよ。お姉様や咲夜たちも協力してくれてるから」
魔理沙へのお礼のために始めたことで、魔理沙の手を煩わせたくはない。
そんな思いで丁重にお断りしていると、ある心配事がフランの頭に浮かんだ。
「あ……」
「どうした、何かあるのか?」
目を伏せ、両手の指先を不安げに絡ませる仕草から、言うか言うまいか逡巡している様子が見て取れる。
つまらないことなら言わなかっただろうが、フランにとって大事なことだったのだろう、魔理沙が後押しするよりも先に、迷いつつも口を開いた。
「あのね……先週、にとりがあんまり元気なかったの。どうしたの、って聞いても大丈夫としか言わないし、打ち合わせだけしてすぐ帰っちゃったの。いつもは、お泊りして遊ぶんだよ?」
「それっきり会ってないのか」
「うん……私、にとりのお家がどこにあるか知らないから、見に行くこともできなくて……」
話しながら、次第にうつむいていくフラン。
「何かあったのかな。もしかして、私のこと……」
嫌いになったのかな、という言葉はかろうじて飲み込む。
極度の依存は無くなったとはいえ、自分のネガティブな面を、大好きな魔理沙には見せたくない。
だが、一度沈んでしまった心は、目じりに涙がたまっていくのを止めてはくれない。
泣いているところを魔理沙に見られる。それはフランにとって、泣くことそのものよりも悲しいことであった。
フランがにとりの家に行かないのは、場所を知らないという理由だけではないのだろう。
邪魔になるかもしれない。また何も話してくれないかもしれない。嫌われるかもしれない。
人付き合いが上手ではないが、仲良くなると人懐っこいこの少女は、懐いた相手に嫌われることが何より怖いのだ。
そのことを察した魔理沙は愛用の帽子を脱ぐと、フランの頭にやや目深になるように被せた。
「……?」
突然の感触に驚き、反射的に顔を上げるフラン。
視界の先には見覚えのある帽子のつばが見える。お願いして何度か被らせてもらったことがあるから分かる。魔理沙の帽子だ。
まばたきした拍子に頬を涙がつたったが、目深に被せられた帽子のおかげで魔理沙には見えていないだろう。
「私に任せろ。にとりの家を知ってるのは私だけだからな、様子を見てくる」
「うん……ごめんね、魔理沙ぁ……ぐすっ」
「気にするな。異変解決は私の役目だぜ。……あー、その帽子、ちょっと預かっててくれるか? 今日は蒸し暑いからな」
その言葉に黙って頷くフラン。これ以上なにか喋ったら、声をあげて泣くのを我慢できそうにない。
真夏でも帽子を手放さない魔理沙が、そんな理由で帽子を置いていくことはありえない。
自分のためにしてくれているのだと分かり、フランの冷え込んでいた心が少しだけ暖かさを取り戻す。
「もう夕方だから今日は戻れないかもしれない。何があっても明日は顔を見せるから、ちゃんと休んどくんだぞ」
魔理沙が部屋を出て行ったあと、魔理沙の帽子を抱きしめて顔を埋めるフランの姿があった。
◆ ◆ ◆
妖怪の山の中腹。川原から少し奥まった場所に河城にとりの家がある。
一月ほど前にも訪れたが、その時は呼びかけても聞こえなかったらしく、開けてもらえなかった。
その時のことを思い出しながら家主の名前を呼ぶ。が、返事はない。
既視感を覚えながらもう一度呼びかけようとした時、かすかに返事ともうめき声ともとれる声と足音がして、目の前のドアが開いた。
そこには、頬がこけて目の下に濃いクマができ、汗をかいてフラフラのにとりがドアに寄りかかるようにして立っていた。
「……悪いけど、今忙し――あ、魔理沙じゃないか……」
「おう、にとり久しぶり。元気そ……うじゃないな。一体どうし……お、おいっ! にとり!」
ドアノブにすがるように立っていたにとりは、そのまま魔理沙の方に倒れこんできた。
何度か名前を呼びかけるが、反応はない。
にとりの体温は服越しでも火照っているのが分かる。水棲生物の河童としては異常だ。
ただごとではないと感じた魔理沙は、動かないにとりをなんとか背中におぶさり家に入っていった。
部屋の中は酷い有様だった。
魔理沙の家も種々の蒐集物で溢れかえっているが、ここはそれ以上だった。
修理中の機械と工具が散乱しており、足の踏み場もない。
布団は部屋の隅に乱暴に追いやられており、掛け布団の上にも機械が鎮座し、しばらく使った形跡も無い。
テーブルの上には、半分ほどかじったキュウリがしなびて放置されているのも見える。
「……」
しばらく呆然としていた魔理沙だが、背負ったにとりが苦しそうにうめくのを聞き、彼女にとって何よりも不得手な片づけを始めた。
十数分後、なんとか布団を敷くだけのスペースを確保し、にとりを寝かせる。
修理中と思われる部品を適当に片付けるわけにもいかず、まだ分解されていない機械の山を他の場所に移動させていたため時間がかかった。
服を脱がせて顔と身体の汗を拭く。
にとりの裸体を見るのは初めてだったが、苦しそうな友人を前に、余計なことを考える暇もない。
着替えさせ、額に絞った濡れタオルを乗せたところで一息ついた。
先ほどまでうなされていたにとりも落ち着き、今は静かな寝息を立てている。
「さてと……」
しばらく寝顔を眺めていた魔理沙だが、やがて立ち上がってにとりの家を後にした。
◆ ◆ ◆
「ん……あれ? 私……」
「目が覚めたか、にとり」
「あれ、魔理沙……どうしてここに……?」
「私がここにきたら、にとりが倒れたんだよ。私が看てるから、まだ寝てろ」
「うん……」
そのまま、すうっとまぶたが下りていく。が、
「ま、魔理沙! 私、どれくらい寝てた!?」
かけ布団をはねのけながら上半身だけ起き上がり、まだ疲れの色濃い顔を歪ませるにとり。
魔理沙は壁にかけられた時計を見ながら、
「ん? そうだな、私がここにきて二時間ってところか」
「まずい! 納期に間に合わないよ!」
そのまま勢いよく立ち上がるにとり。
だが足元はフラつき、すぐに座り込んでしまう。
魔理沙が慌てて身体を支え、力の入らない様子のにとりを横に寝かせる。
「馬鹿、無理するな! 素人の私にも絶対安静って分かるぞ!」
尚も腕に力を込めて起きようとするにとりを、魔理沙が強い口調で叱りつける。
その剣幕にさすがのにとりも驚き、そして力を抜いた。
少し沈黙が続き、魔理沙がすまなそうに眉尻を下げて謝る。
「怒鳴ってごめん」
「ううん……私こそごめんよ」
「なあ、何をそんなに焦ってるのか聞かせてくれないか?」
にとりはしばらく無言で魔理沙を見つめていたが、観念したように口を開いた。
「……私ね、フランと一緒に修理屋をはじめたんだ」
「ああ、知ってる」
「そっか。じゃあ薄々は勘付いてると思うけど……」
部屋中に散らばった工具や機械に視線を送るにとり。
魔理沙も予想が確信に変わったようで、言葉を受け継ぐ。
「納期、って言ってたしな。修理が間に合いそうにないのか?」
「うん……」
「やっぱり外の世界の機械ってのは、にとり程の腕があっても難しいものなのか」
「それもあるけど、数が多くて……」
ちょうど枕元にあった紙の束に手を伸ばし、魔理沙に渡す。
それはフランの部屋で見せてもらった、顧客情報と納期の一覧表と同じものだった。
にとりによって色々な走り書きがされている点だけが違ったが。
「その表の、一番右端。そこにレ点が入ってるのが終わったやつだよ」
言われたところを魔理沙が目で追うと、修理完了の項目があるが、レ点の数は全体の半分にも満たないのが分かる。
「で、その表に載ってるやつは、今週が納期なんだよ……。だから寝てる暇なんかないんだ」
「いや、無茶だろいくらなんでも。時間でも止められるなら別だけどな」
にとりにこれ以上の無理をさせないために、事実をきっぱりと告げる魔理沙。
にとりも苦笑して頷き、分かってたんだ、と呟く。
「睡眠時間と食事時間を削ればギリギリ大丈夫かなと思ったけど、ちょっと無理だったみたい」
「当たり前だろ。なんでこんな無理するんだ。何だ、この無茶な納期。フランと打ち合わせて決めてるんじゃなかったのか?」
「……っ」
フランの名前を出した途端、にとりが泣きそうに顔を歪める。
魔理沙はそれ以上の追求はせず、にとりが話し始めるのを待つ。
やがて落ち着いたにとりが、自嘲めいた笑みを浮かべながら、
「私が悪いんだ。無理かもって思ったけど、安請け合いしちゃったんだ。フランにいいとこ見せようと思って……悪い癖だよ」
にとりには、元々こういうところがあった。
基本的には控えめな裏方タイプだが、頼られると必要以上に粋に感じてしまい、後先考えずに行動することがある。
それが気に入っている相手だと尚更で、役に立ちたい、喜ぶ顔が見たいという想いが先走ってしまう。
決して頼みごとを断れないタイプではない。
不特定多数から好かれたいとは全く考えていないので、利用しようとする相手からの依頼や、本当に嫌なことはキッパリ断るだけの決断力は持っている。
だが、にとりのような性格は、誰かの役に立つことで自己を肯定しようとすることが往々にしてよくある。
表舞台に立つには向かない己の力量と性格を把握した上で、人並みにこなせる分野で力を発揮しようとする。
今回のケースは、にとりがフランをいたく気に入っていることと、生来のこういう性格が合わさっての失敗であった。
「あーあ、私って成長しないなあ。嫌になるよ」
魔理沙はその自虐を聞き流しながら、懐から薬包紙に包まれた紅い薬を数粒取り出してにとりに手渡す。
どこから持ってきたのか、水の入った水差しも用意されている。
「それ飲んでもう一回寝るといい。にとりは考え込みすぎるから、一回頭をリフレッシュさせるんだ」
「うん……ごめんよ、魔理沙」
魔理沙を信頼しているのだろう。どんな類の薬なのか確かめることもなく、水と一緒に薬を咽下する。
そのまま横になり、目を閉じる。そして数分もしないうちに静かな寝息を立て始めた。
魔理沙がにとりに飲ませたのは、服用することで楽しい夢を見られる“胡蝶夢丸”。
にとりがうなされているのを見かねた魔理沙が、友人の魔法使いに頼んで分けてもらってきたものだ。
寝る間際に泣いてしまったのだろう、涙が耳のそばを通って枕に染み込もうとしているのをタオルで拭ってやりながら呟く。
「おやすみ、にとり。いい夢見るんだぜ」
◆ ◆ ◆
翌朝、にとりは穀物が煮えるいい匂いの中で目を覚ました。
寝る前はどん底まで沈んでいた気持ちも、楽しい夢を見たおかげで少し持ち直していた。
「おはよう、にとり。よく眠れたか?」
「あれ、魔理沙…………? あ……そっか、一晩看病してくれてたんだね。ごめんね……ありがとう」
「別にどうってことないぜ。それよりおかゆ作ったぞ。どうだ、食べられそうか?」
魔理沙がお盆に土鍋と茶碗、そして小皿を載せて歩いてくる。
おかゆと言えば梅干が定番だが、そこには緑色の色彩。
河童の嗅覚が好物の匂いを嗅ぎ取り、食欲を刺激する。
「きゅうりの一夜漬けだね!? 食べる!」
十数分後、にとりは土鍋の中のおかゆときゅうりを全て胃袋に納めていた。
「ごちそうさま。久しぶりにこんなおいしいものを食べたよ」
「食欲もあるなら、もう大丈夫そうだな。クマもすっかり取れたし」
「うん、おかげさまですっかり元気だよ。でも……」
にとりが周囲に放置された機械を見回す。
「もう間に合いそうにない……。どうしよう、フランにあわせる顔がないよ……」
しょげているにとりに、魔理沙が励ますように笑いかける。
「フランはそんなことで怒ったりしないぜ。にとりもよく知ってるだろ?」
「うん、でも……」
俯いて、おかゆ用のスプーンを指先で弄ぶにとり。
付き合いの長い魔理沙は、にとりが考えていることが大体分かる。
「怖いのか? 嫌われるかもしれないのが」
「……っ!」
スプーンに触れていた指がこわばる。
どうやら図星らしい。
せっかくできた新しい友達。
それは人見知りで口下手なにとりにとって、得がたい存在。
魔理沙が言うように、フランは納期を守れないことよりも、にとりが体調を崩していたことの方に驚き、悲しむだろう。
そのことを頭では理解していても、心の奥底にわだかまる不安を払拭できないでいるにとり。
長年に渡る負の感情が生み出したトラウマは、まだ完全には取り除けていないのだろう。
魔理沙が、実家に近寄れないでいるのと同じように。
不安を解消するには、ありのままの事実を告げるしかない。だから魔理沙は、にとりに昨日の出来事を伝えた。
「私がここに来たのは、フランに頼まれたからなんだぜ。先週会った時、元気なかったから心配だ、って」
「フランが? ほんとに?」
「ああ。それなのに、にとりが何も言わずに帰ったから、嫌われたのかもしれないって落ち込んでたぞ」
「そんな……」
ショックを受け、二の句を継げなくなっているにとり。
にとりはフランに喜んでもらいたい一心で体調不良を隠し、遊ぶのも我慢して修理を続けた。
だが、皮肉にもその行動は、結果的にフランを傷つけてしまった。
にとりにとっては厳しい事実だろう。だが、魔理沙は敢えて聞かせた。
この不器用な優しさを持つ河童と吸血鬼は、一度本音で話し合う必要があると考えたから。
相手を思いやってのはずの行動が、相手を傷つけていたというのはあまりにも悲しい。
「にとり、紅魔館に行くぞ。行けるよな?」
言葉はかけるが、以前のように手は差し伸べない。
これはもう、二人の問題だ。できる限りのフォローはするが、解決できるかどうかは二人だけの世界だ。
魔理沙の思惑が伝わったのだろう、泣きそうな顔をしていたにとりはハッと何かに気づいた様子で、力強く頷いた。
「……うん!」
◆ ◆ ◆
紅魔館。フランの私室。
結局、昨日は魔理沙は戻ってこなかった。
寝ずに待っていたフランであったが、夜明けを迎えた頃にウトウトしはじめ、現在もまどろみの中にいた。
夢を見ていた。
魔理沙とにとりが楽しそうに話しているのを見つけ、一緒に遊ぼうと声をかけた。
だが、にとりはフランを一瞥すると、魔理沙の手を取ってどこかに行ってしまった。
一人残されたフランは、友達を二人失った悲しみに押し潰され、声もあげずに泣いていた。
そんな悪夢からフランを救ったのは、扉をノックする音と、友人の声だった。
「フラン、フラン、いるかい?」
「!」
あまり寝起きのよくないフランが一瞬で夢から覚醒し、扉に目をやる。
心臓が激しく脈動する。だがそれとは正反対に、頭の中は澄み切っている。
今きこえた声は夢か幻か、聞き間違えでないことを祈りつつも、もし声をかけて返事が無かったら、という恐怖に駆られて身動きが取れない。
だが、そんな杞憂もすぐに打ち砕かれた。
「フラン、私だよ。にとりだよ。フランに話したいことがあるんだ。ここを開けてほしいな……」
徐々にか細くなっていく声。
だが、そんなことには構わずにフランは扉に飛びつき、勢いよく開けた。
「にとり!」
「ああ、フラン。ええと、こんにちは。……起こしちゃった? ごめわぁっ!?」
にとりが最後まで喋る暇も与えず、フランは抱きついていた。
そして、今まで言えずにいた正直な想いを泣きながら言葉にする。
「来てくれてよかった……! 私、にとりに嫌われたのかとっ……」
それを聞いたにとりも一瞬で涙腺が決壊し、涙を流しながら謝罪の言葉を口にする。
「心配かけてごめん、ごめんよ……。私がいけないんだ、いいとこ見せようとして修理引き受けたけど、結局時間が足りなくて倒れちゃって、納期も守れなくて……」
「そうだったの……。ううん、そんなの気にしないで! 私こそ、にとりが辛いときに助けてあげられなくてごめんね。倒れたって、もう大丈夫なの?」
「そんなことない。フランが魔理沙に頼んでくれたから私は助かったんだよ。あのままだったら、私は死んじゃってたかもしれない。フランは命の恩人だよ……!」
今まで棒立ちだったにとりが、フランの背中に手を回し抱きしめ返す。
あまりベタベタして嫌われたくないという想いから、魔理沙やフラン相手でもスキンシップを極力避けていたにとり。
そのにとりがついに我慢しきれず、初めて能動的にフランを抱きしめた。
それが何より嬉しくて、フランの涙が嬉し泣きに変わる。
フランはずっと、にとりにこうして欲しかった。
スキンシップによって好意を示すフランは、にとりがいつも距離を置いて接してくる事を密かに気にしていた。
このハグは、二人の間にあった見えない距離感を無くし、同時に二人の心の奥底に眠っていたトラウマが解消されたことを意味していた。
そこからやや離れた場所に、魔理沙と咲夜、そしてレミリアの姿があった。
心配で見守っていたのだが、どうやら今回も無事に解決したことに胸をなでおろす。
「ご苦労様、魔理沙。いつも悪いわね」
「なに、あいつらは私の妹みたいなもんだからな。気にするなって」
「でも、安心しましたわ。フラン様は良いご友人を持ちました」
「そうね、初めて連れてきた時はちょっと文句も言ったけど、改めて撤回させてもらうわ。これ以上ない人選だったわ、魔理沙」
「だろ? 色々と難しいやつらだけど、これで本当の意味で仲良くなれたらいいな」
「ええ、本当に」
三人が見守る先では、笑顔のフランとにとりが手を繋いで部屋に入っていくところだった。
◆ ◆ ◆
翌日。
にとりとフランは顧客先を回り、納期を守れなかったことへの謝罪を行った。
そこは基本的に長寿かつマイペースな連中揃いの幻想郷。
誰も文句など言わず、気長に待つからのんびりやってくれということで決着がついた。
にとりも徹夜するのはやめ、自分のペースで修理を続けている。
そして、修理が完了していた機械の代金も幾ばくか払われた。
それは二人が考えていたより遥かに多額で――手を繋いでぺこぺこ頭を下げる小さな二人を見たカラス天狗が、何故か激しく興奮して奮発してくれた――魔理沙へのパーティー費用が集まった。
二人は話し合い、人間の里で魔理沙へのプレゼントを買うことにした。
だが、ここでまた一つ問題が浮上した。
互いにすっかり慣れたとは言え、基本的にはまだまだ人見知りな二人だけで人間の里に行かせることは憚られる。
特にフランは、普段は引きこもりのため他者との関わりが極めて少なく、初めて会う人間とは事務的な会話もおぼつかないことが多い。
反面、慣れると人懐っこい面もあるのだが、事務的な会話だけならにとりの方がまだしも無難にこなせる。
にとりだけで買いに行く案もあったが、フランがどうしてもついて行きたいと言ったため、誰かが隠れて監視するという条件でレミリアは許可を出した。
もし何かあった時、その場を治められる人が近くにいる必要があると考えたのだ。
「で、その役目を魔理沙にお願いしようと思ってるの」
咲夜は部屋を訪ねてきた魔理沙にそう告げた。
それを聞いた魔理沙は、口に入れていたケーキと咲夜の言葉を、文字通り咀嚼して考え込む。
人間の里。
地底や魔界など、およそ幻想郷で行かぬ場所のない彼女が、ただ一つ避けてきた場所。
最近は少しずつ慣れてきたとは言え、一人で行った記憶は遥か昔、もはや霞がかっておりはっきりと思い出せない。
いつもは咲夜に手を繋いでもらっているため、何とか耐えられているに過ぎないと魔理沙は考えていた。
「……なんで、私なんだ? 咲夜が行けばいいじゃないか」
魔理沙にしては歯切れの悪い返答をする。
この問いかけは想像通りだったのだろう、咲夜がすぐに理由を話す。
「お嬢様に急な仕事を仰せつかって、私や美鈴、パチュリー様に小悪魔も駆り出されてるのよ」
先手を打って紅魔館全員の名前を出す咲夜。
急な仕事とはサプライズパーティーの準備であるのだが、それはもちろん魔理沙には伏せておく。
実のところ、レミリアは咲夜の準備役を免除し、二人に付き添わせるつもりでいた。
だが、思うところがあった咲夜は主に逆らい、魔理沙を監視役に提案したのだ。
「万が一なにかあっても、魔理沙がいれば上手く解決できるでしょう?」
「……」
咲夜は、魔理沙がこの提案を断らないだろうという確信があった。
単純に一人で行けと言えば嫌がるだろうが、フランとにとりの事になると魔理沙は弱い。
これは咲夜の賭けであった。
最近の魔理沙は咲夜にかなり甘えるようになっており、特に人間の里でのそれは顕著になっている。
この少女の手を握って一緒に歩く時間は楽しく、また大切にも思っていたが、甘やかしすぎる自分が原因で、却って解決の阻害をしているのかもしれない。
先日のフランとにとりの一件で、最後は敢えて一歩引いて二人だけで解決させた魔理沙の姿勢を見た咲夜は、それを見習うことに決めた。
もしかしたら、このことで恨まれるかもしれない。
もう甘えてくれなくなるかもしれない。
それでも咲夜は、魔理沙のためになると信じて話を持ちかけた。
「もし、私が断ったら……どうするんだよ?」
この質問が出たのは、魔理沙の心が揺れている証拠。
条件次第では受けるとも取れるこの言い回しは、裏を返せば断れないように後押ししてほしいだけなのだ。
「きっとお嬢様が、フラン様の外出を禁止するわね」
申し訳ありません、お嬢様。
了解は得ているとはいえ、主を二度もダシに使う行為に胸が痛む。
だが、痛みを我慢しただけの効果はあったようで、魔理沙が両手を挙げて降参のポーズをしながら呟く。
「わかった、わかったよ。ここで断ったら私が悪者みたいじゃないか」
「あら、泥棒は悪者じゃないの?」
「む……」
内心ホッとしつつ吐かれた咲夜の軽口に、魔理沙は言い返せなかった。
◆ ◆ ◆
「おい、なんで無駄にフリフリした服ばっかりなんだ」
咲夜の私室にて、手渡された服を見た魔理沙がうんざりした表情で呻いた。
白黒の魔理沙のいでたちは、夜はともかく昼間は目立つ。
にとりやフランが振り返った時にバレてしまっては元も子もないため、咲夜が変装のための服を見繕うことになった。
クローゼットの奥から咲夜が出してきたのは、フリフリのレースがついたピンクと白が基調のワンピース。
頭につけるものだろう、白い花をあしらったブローチも用意されている。
咲夜が小さな頃に着ていたものらしいが、虫食いなどもなく保存状態がいいのはさすがと言うべきか。
「魔理沙が絶対に着ないようなのを選ばないと意味ないでしょう、変装なんだから」
「それは……そうだけどさ……」
「うん、よく似合うわ。貴女って案外、こういう可愛らしいのがよく似合うわよね。普段からもっと着飾ればいいのに」
「私は、機能性重視だぜ」
「よし、これに決めたわ」
服を魔理沙の身体に合わせていた咲夜が、満足げに頷く。
魔理沙の返事など聞いてもいない。
もうかれこれ一時間以上、魔理沙は咲夜の着せ替え人形にされていた。
「はあ、やっと決まったか。もう疲れちゃったぜ……」
「あら、それなら私が着替えさせてあげるわよ?」
「へっ……!? い、いや、いいです! 自分でできます!」
何を焦っているのか、無意識に丁寧語になるなってしまった魔理沙と、それを見てニッコリ微笑む咲夜。
そのまま、笑顔で魔理沙を部屋の隅に追い詰めていく。
どう見ても魔理沙をからかって遊んでいるだけなのだが、今の魔理沙にそれを見抜く余裕は無かった。
「や、やめろ! そ、それ以上近づくなぁ!」
顔を真っ赤にして涙目で叫ぶ魔理沙。
懐から愛用のミニ八卦炉を出して咲夜に向かって構える。
が――それが、咲夜からもらったコンパクトタイプの手鏡であることに気づくのに、それほど時間はかからなかった。
どうやら慌てふためいたために、形状の似ているミニ八卦炉と間違えたらしい。
「ぷっ……くふっ……魔理、沙、それっ、ふふふ……そう、いつも持ち歩いてくれてるのね。嬉しいわ」
薄々勘付いていたことではあるが、事実が白日の下に晒された以上、これをネタにいじめない手はない。
この切り替えの早さこそが、咲夜の瀟洒たる所以であった。
「わー! ち、違うんだ。きょ、今日はたまたま……!」
「あら、そうなの? せっかくあげたのに、持ち歩いてくれてないのね。残念だわ」
わざとらしく沈んだ表情を見せる。
だが、完全に冷静さを失った魔理沙はこんな単純な手に引っかかって踊ってくれた。
「う……じ、実はいつも持ち歩いて……あー!? お、お前!」
我慢しきれずにニヤニヤしていた咲夜を見た魔理沙が、かつがれたことに気づく。
「い、今のは嘘だからな! お前があんな顔するから、慰めようと――!」
「はいはい。優しい魔理沙は、私が落ち込んでるから気を遣ってくれたのよね?」
「そ、そうだ!」
「今日はたまたま持ってたのよね?」
「そうだ!」
「でも実は毎日持ち歩いてるのよね?」
「そうだ! ――あ」
訳もわからず同意していた魔理沙が、誘導尋問に引っ掛けるのは容易なことだった。
「い、今に覚えてろ……」
ぷるぷると震える指先をこちらに突きつけ、子供のように――普段は大人びているだけで、実際は子供と言ってもよい年齢だが――負け惜しみをいう魔理沙に、さらりと言い返す。
「あら、魔理沙のこんな可愛らしい姿、今だけじゃなくて一生覚えておいてあげるわよ」
「うぅぅ……」
それ以上は何も言い返せずがっくりうなだれて、負けを認める魔理沙。
対照的に、面白いオモチャで遊んだ後のように満足げな咲夜。
幻想郷の誰もが、この二人のこんな表情は見たことがないだろう。
この後、すっかり機嫌を損ねた魔理沙のために和菓子を買いに行かされることになるのであるが。
◆ ◆ ◆
「買い物ならこの店がいいでしょう。お二人にとって初めて行く場所でしょうから、まずは店主にこの手紙を渡してください。それでスムーズに買い物ができるはずですわ」
翌日。曇天の空は、日光が苦手なフランにとって絶好の買い物日和。
にとりに人間の里の地図を、フランに蝋で封をした手紙と、念のための日傘を渡す咲夜。
手を繋いで紅魔館の門を出て行く二人を見送ったあと、上空に待機していた魔理沙に手で合図を送る。
魔理沙が頷き、高度と距離をとりながら二人の後を追っていく。
白を基調とした服は、上空にいる限りは雲の保護色となって見つかりにくいだろう。
目下で楽しそうに談笑している少女たちと違い、魔理沙の胸は早くも緊張で高鳴っていた。
誰も付き添ってくれない、一人きりでの人間の里。
里につけば飛ぶのを控え、歩くしかないだろう。
普段は咲夜の体温を感じる右手が、今日は寒々しい。
魔理沙は邪念を振り払うかのように、箒の柄を強く握った。
人間の里に入っていくフランとにとり。
最近は妖怪や妖獣も買い物に訪れるため、人目を引く羽をもつフランが足を踏み入れても特に混乱はない。
せいぜい、珍しいものが好きな子供がちらちら見ているだけだ。
少し前から飛ぶのをやめていた魔理沙も、そのまま続く。
平静を装って前を向いてはいるが、心臓は今にもはちきれんばかりに鼓動しており、箒を握る手に汗がにじむ。
逃げたい。
フランとにとりのことを忘れ、今すぐ飛んで帰りたい。
だが、魔理沙はその欲求に抗う。妹のように――本当の家族のように――思っている二人を、放ってはおけない。
もし何かあれば、純真なフランは深く傷つくだろう。
怖がりなくせに孤独が嫌いで落ち込みやすいにとりは、またふさぎこんでしまうだろう。
そうならないために私はここにいる。だから逃げない。
そうだ、ここに異変解決に来ていると思え。かつての永い夜のように。
決意を固めて深呼吸すると、少しだけ心が落ち着いた。
二人を見失わないように、後ろを歩いていく。
里に入ってからは二人も口数が少なくなり、にとりが地図を取り出してキョロキョロしている。
設計図を読むことは抜群に上手い河童の技術者も、勝手を知らない人間の里の地図には苦労しているようだ。
周囲にはまばらながらも人通りがあり、誰かに道を尋ねることもできる。
が、そこは人見知りの二人。
にとりは誰かに道を尋ねるという選択肢は最初からないらしく、地図との睨めっこを続けている。
フランはちらちらと周りの人に視線を送ってはいるが、目が合うたびに視線をそらしてしまっている。
魔理沙がどうしたものかと見ていると、道の向こうから見覚えのある人物がやってきて、二人に声をかけた。
紺色に近い青をベースとした服に身を包み、一風変わった形の帽子――幻想郷では変わった形の帽子など珍しくもなんともないが――を頭に乗せている人物は、寺子屋の教師であり里の守り人でもある半人半獣の上白沢慧音。
距離があるため会話の内容は分からないが、地図を見ながらどこかを指差していることから察するに、二人に道を教えてくれているのだろう。
説明が終わったらしく、フランが笑顔で頭を下げ、にとりも慌てて頭を下げて礼を言っている。
こういうときは、好意に対して好意を素直に返せるフランの方が自然に振舞えるのが面白い。
事務的なやりとりはにとりも無難にこなせるが、素直に感情を表現するという点においてまだまだ不得手だ。
再び手を繋いで歩いていく二人を見送る慧音。
魔理沙が後を追うために隠れていた物陰からでてくると、何故かこちらを見ていた慧音と目が合う。
しまった。
内心で舌打ちする魔理沙。
変装しているとは言え、お互いに見知った顔である。
ここで声をかけられると二人に気づかれる可能性がある。だが逃げ出せば余計に怪しまれるだろう。
どうしたものかと焦る魔理沙をよそに、慧音は何も言わずに回れ右し、元来た道を歩いていく。
「……咲夜か」
道を教えにくるタイミングといい、こちらが隠れているのを知っていたかのような視線といい、話が出来すぎている。
おそらくは、あの気が利くメイド長が、里の守護者である上白沢慧音に話をつけておいたのだろう。
そして、変装した魔理沙が監視についていることも。
「どうせなら、慧音のやつがずっと付き添ってくれたら良かったのに」
そう一人ごちるが、慧音の姿はすでに見えない。道案内だけの役割だったようだ。
魔理沙は気を取り直すと小走りでフランとにとりの後を追う。
この時は何も意識せず、二人に追いつくことだけを考えていたために気づかなかった。
そして、気づいた時には遅かった。
いくつかの路地を抜け、十字路を左に曲がったところで唐突に魔理沙の足が止まる。
フランとにとりが、どこに向かっているか見当がついたのだ。
道具屋“霧雨店”。
里でも屈指の大手道具屋であり、霧雨魔理沙の実家でもある。
咲夜が同伴してくれても、どうしても近づけなかったその店が、既に視界の先におぼろげに見えている。
視線を下ろせば、フランとにとりがその店に一直線に向かっている。
地図を見たにとりがその店を指差したことから、もはやそこが目的地であることは間違いないだろう。
「……ハメやがったな、咲夜のやつ……」
汗が魔理沙の頬を伝う。
尾行することに集中していたため、ここまで近づいていたことに気づかなかった。
そして気づいてしまった途端、心臓の鼓動が跳ね上がる。
足が鉛のように重くなり、頭がグラグラと揺れる錯覚に襲われる。
手近な家屋の壁に手をついて地面を見ていると、乾いた土にぽたぽたと水滴が滴っている。
頭のどこか冷静な部分が汗だと判断したが、それは涙だった。いつの間にか泣いてしまったらしい。
とにかく、こんな顔では逃げることも進むこともままならない。
人目につくことだけは避けなければならないので、表情だけでも整えようと咲夜のコンパクト手鏡を開く。
と、開いた拍子に何かが地面に落ちる。よく見ると小さな紙片であった。
どうやら、コンパクトの中に挟み込まれていたらしい。
指でつまみ、開く。そこには小さく丁寧な字でこう書かれていた。
『どうしても無理なら、後ろに上白沢慧音がいるから代わってもらいなさい』
こんなことを書いて仕込んでおけるのは、一人しか居ない。
後ろを振り返ると、確かに20メートルほど後方に、先ほどいなくなったはずの慧音が立っている。
道案内でお役御免かと思っていたが、こんなことにまで協力してくれていたのだ。
「へっ……あのやろ……」
確かに、今ここに十六夜咲夜の姿はない。
だが、彼女の優しさは感じ取ることができた。
咲夜以外に、泣き顔を見られてなるものかという意地もある。
意地っ張りなら、誰にも負けない。
ふと横を見ると、いつものように咲夜が立って見守ってくれている気がした。
自然と、涙は止まっていた。
「やれやれ、どうやら大丈夫のようだな」
こちらに親指を立て、フランとにとりの後を追っていく魔理沙の姿を見て慧音が呟く。
「ほんと、慧音は面倒見がいいね」
声とともに、長身・白髪の少女が現れて慧音の横に並ぶ。
その少女に向かい、慧音が微笑みかける。
「なに、霧雨も私の生徒になるはずだった子ですから。生徒の面倒を見るのは教師の役目ですよ」
「ふうん、じゃあ、私の面倒はどうして見てくれてるの?」
「ま、まあそれはいいじゃないですか。それとこれとは話が違――」
「照れちゃって可愛い。今日はそんな慧音に色々ご教授願いたいわね。ね、慧音センセ?」
「――~~っ!」」
往来に、頭突きをしたかのような鈍い音が響いたが、この辺りではいつものことなので誰も気にとめなかった。
◆ ◆ ◆
霧雨店にて。
昼を過ぎ、また夕暮れにもまだ時間があるということで店内に他の客はなく、にとりはほっと胸をなでおろしていた。
店内には齢40過ぎと思われる男性店員が一名だけおり、二人に向かってややぶっきらぼうな挨拶をよこした。
「……いらっしゃいませ」
人間の里を出歩く妖怪が増えたとはいえ、人間にとってみれば畏怖の存在であることに変わりは無い。
本能的に怖がったり、内心で敵意を抱く人もいるだろう。
そう理解していても、あまり歓迎されていない空気を纏った店員に対し、一歩引いてしまうにとり。
だがフランはそれには気づかず、咲夜から預かった手紙を懐から取り出して、両手で店員に差し出している。
にとりには、できないことだ。
「……?」
フランから受け取った手紙をしばらく眺めていた男性は、やがて低い声でぼそりと、
「……少し店をあける。その間に、買いたいものを決めておいてくれ」
「は、はい」
そう言い残し、入り口の扉を閉め切って他の客が入れないようにすると、男性は店の奥に引っ込んでしまった。
店内に静寂が訪れる。
人目が気になる性質のにとりやフランには、誰も居ない店というのはありがたい。
それを見越した咲夜が、人払いしてくれるように手紙で言付けしてくれたのだろうと、にとりは判断した。
「フラン、今のうちにプレゼントを選ぼう」
「うんっ!」
十分ほど後、思いおもいの品を手に持って待っていると、先ほどの男性がのそりと出てきた。
そのまま無言で会計を済ませ、商品を包んでもらう。
にとりとフランが小包を受け取り、お礼を言って――今度はにとりが先に謝辞を述べた――立ち去ろうとすると、男性が無言で一冊の本を差し出してきた。
表紙はこちらから見えないが、紐で綴じただけの粗末な造りの本とは違う。
やや色あせているがカラフルな印刷から察するに、外の世界のものだろうとにとりは判断した。
真意がつかめずに本と男性を交互に見ていると、フランが疑問を口にする。
「それ、くれるの?」
男性は頷き、フランにそれを手渡した。
「アンタらがプレゼントしようとしている人に、渡してくれればいい」
「魔理沙に? 貴方も魔理沙のことを知っているの?」
無邪気に、そしてどことなく嬉しそうに質問するフラン。
にとりは男性の表情が、少しだけ悲しげなものに変わったのを見逃さなかった。
問われた男性は、質問には答えず別の言葉を投げかけてきた。
「魔理……その子は、元気にしているのか?」
「魔理沙? うん、元気だよ! 私たちの大事なお友達なの!」
「……そうか。…………すまないが、今日はもう店じまいするから帰ってくれないか」
閉めていた入り口の扉を開放し、再び店の奥に行こうとする男性。
だが、暖簾をくぐったところで立ち止まり、ポツリと呟いた。
「もし……今夜の料理に鮭の蒸し焼きがあるなら、キノコも入れてやるといい。あれは、それが好物だ」
◆ ◆ ◆
霧雨店のすぐ傍で中の様子を伺っていた魔理沙は、店から二人がでてくるのを見て慌てて隠れた。
店内に向かってにとりは頭を何度も下げ、フランは親しげに手を振っている。
その相手はこちらからは見えないが、仮に見えたとしても目をそらしていただろう。
だが、ともあれ何事もなく買い物は終わった。
二人が紅魔館に戻ったのを確認し、家でいつもの服に着替えてから紅魔館に報告に行く手はずになっている。
魔理沙は知らない。
報告のために行った紅魔館で、自分のためのパーティーが準備されていることを。
その席で、咲夜も知らないはずの自分の大好物が用意されていることを。
パーティーの終盤、にとりとフランからのプレゼントに不覚にも感動して涙ぐんでしまうことを。
その際、一緒に渡された本を見て、皆の前で大声で泣いてしまうことを。
この時の魔理沙は、知らない。
◆ ◆ ◆
その夜。咲夜の私室にて。
すっかり遅くなってしまったため、魔理沙は紅魔館に泊まっていくことになった。
どの部屋に泊まるかで、フランとパチュリーの二人が揉めにもめたのだが、結局はレミリアの鶴の一声で第三者の咲夜の部屋に決定した。
魔理沙は咲夜のおさがりのパジャマに着替え、ベッドの上でうつぶせに寝転んでいる。
そして、鏡台の前で髪を梳いている咲夜をなんとはなしに眺めていた。
「今日はお疲れ様」
鏡越しに視線に気づいたらしい咲夜が、振り返らずに話しかけてくる。
「本当にお疲れだぜ。まさか、あんなに仕組まれてたとはな」
「ふふ、貴女の真似をしてみたのよ。私と一緒に行くより、よっぽどいいリハビリになったでしょう?」
「私の真似だって?」
「ええ、フラン様とにとりの問題を、敢えて少し突き放して解決させたでしょう」
「ああ、それで……」
その言葉に魔理沙も合点がいく。
フランとにとり、いつまでも二人の間を取り持つのが友人として正しいかどうかは、疑問符がつく。
こじれた関係の修復の手は貸すが、最終的には当事者同士が解決しないと意味が無い。
それは、魔理沙も同じであった。
咲夜についてきてもらっていては、いつまでたっても実家のトラウマを克服できなかったかもしれない。
まだ実父との関係が修復されたわけではない。
だが、実家のすぐ傍まで行くことはできた。これは確かな前進だろう。
何年間も進展しなかった問題に、今日確かに楔が打たれたのだ。
「我ながらどうなるかと思っていたけれど、よく頑張ったわね。褒めてあげる」
下ろした髪を整え終えた咲夜が、うつぶせになっている魔理沙の傍に座る。
お互いの身体が触れるか触れないかの距離。
手を伸ばせば、すぐに届く距離。
「おう。頑張ったんだから、何かご褒美くれよ、ご褒美」
下唇を尖らせてご褒美を要求する魔理沙を、微笑んで見つめる咲夜。
こうしていると、本当に年相応の子供ね。
「ええ、いいわよ。何がいい? きんつば? もなか? わらび餅?」
甘味でも食べさせればすぐにご機嫌になる。
そう思っていたが、魔理沙はその提案には賛同せず、しばらく黙った末に――
「……でて」
「うん?」
「……頭、撫でて」
顔を真っ赤に染め、消え入りそうな声で呟く魔理沙。
ああ、なるほど。
いつも髪を整えてあげた後、よくこちらを見てくることがあったが、やっと理由がわかった。
親に甘えた経験がほとんど無いこの子は、こういうことを渇望していたに違いない。
だから、以前に図書館で頭を撫でてやったときも嫌がらなかったのだろう。
「あまえんぼ」
「……うっさい」
柔らかな金髪に指先を絡めて撫で上げながら、少しだけからかう。
その反論に手を止めてみると、
「……もっと」
「はいはい」
今日はずっと、二人のお姉ちゃんとして頑張ったものね。
今夜くらいは、甘やかせてあげるわ。
魔理沙。手のかかる、私のかわいい妹。
丁度自分の現在の題材にもマッチしてた事もあって、あっ、こんな表現の仕方もあるんだと感心させて貰いました。
個人的には魔理沙の最後のセリフ「・・・もっと」は即ピチューン物の凄まじい火力を秘めてると思う!
次回作も、楽しみにしてますよ。
中身の方は、終始キャラへの違和感が付きまとって楽しめませんでした。
にとりジャスティスの俺としては、この作品はまだ続いてほしい………
もの凄く良い作品でした。
有難う御座いました。
気に入った
とても楽しく読ませていただきました!!