***一話完結の短編です***
「ぎゃ~て~♪ ぎゃ~て~♪ あなたの想いを今日もぎゃ~て~♪」
ねぐらの山からこだまする響子の楽しげな読経は、今ではここいら一帯の名物だ。
皆の想いを山彦にのせて幻想郷の空に歌う――山彦伝心サービスをはじめてからというもの、多くの人妖達との縁を得ることができた。出会いの記憶の一つ一つが彼女の読経をより豊かにしてくれる。
「ねぇ、貴方が幽谷響子?」
そして今日もまた、想いをかかえた子羊が彼女の助けを求め――
「こんにちはー! そーです。そういう貴方はどちらさま?」
「はいこんにちは。はじめまして。私の名前は風見幽香」
「きゃーーー! 誰か助けてーーー!!」
――時にはとっても危険な狼だってやってくる。
「いきなり逃げ出すなんて失礼じゃないかしら」
あくまで口調は優しく、そしてひまわりみたいに朗らかな笑顔を浮かべて風見幽香。ただしそれはヤクザの笑みである。誰だって、目の前にポン刀を構えたグラサン付きパンチパーマ――ほとんどの妖怪にとって風見幽香はそういう存在だ――が現れたら即座に逃げ出すに決まってる。それをするなというのは、タマ差し出せとすごんでいるようなものだ。
「うふふ。私は貴方をどうこうする気はないのよ? 山彦のお願いをしにきただけなのだから。けれど、そんな美味しそうな反応をされてしまうとねぇ」
幽香は切り株に腰を落ち着かせ、その膝に響子を座らせた。そうして背中からぎゅうっと抱きしめて、後頭部に頬擦りをしている。その姿はまるで娘をあやす母親のようにも見えるが、あやされているのは響子の命である。響子は怯えて体を硬直させていた。背中には幽香の豊満な胸の感触がある。こうまで体を密着させられているともはや逃げ出す隙すら見当たらない。何をされても逃げようがない。
「ごめんなさい、ごめんなさい。いじめないで」
「可愛いわね貴方」
「ひぃ」
首のつけねからなぞるように、幽香の妖しく蠢く指達が、響子の髪の毛に潜りこんでくる。頭頂部にむけてずりずりと髪を掻き分け皮膚をなでていく。
「髪の色が私に似てるわねぇ。細くて柔らかい。それに……いい匂いだわ」
「はひぃ」
幽香の鼻が響子の獣耳をめくりあげるようにしてもぐりこんできた。内側の敏感な部分に触れられて、ぴくんと体が震える。幽香が臭いを嗅ぐ音が、ずぅーずぅーと耳の中で反響する。
「うふふ。でも穴の中は獣くさいわねぇ」
「うぅ」
「もっと嫌がってもいいのよ?」
「へ?」
「イヤイヤをしてる子猫ほど可愛いものはないわ。ほ~らほ~ら。くすぐったいでしょう? 抵抗していいのよ? 逃げようとしていいのよ?」
風見幽香は可愛がることと傷つけることの違いを知らない生粋の加虐趣味だ。
愛玩動物を嬲るような幽香の笑みに、背筋に冷たいものが走る。湿った耳の穴の中を指でクリクリされながら、できることなら響子だって今すぐ逃げ出したい。大声を上げて、命蓮寺に助けをもとめたかった。
それでも響子がじっと耐えているのは、恐怖に体を縛られているからだけではないのだ。
「私は逃げませんっ」
響子は歯を食いしばって言いきった。
「あらどうして?」
「風見さんは私に山彦のお願いをしにきてくれたんです。だから私は自分の役目を果たします。私、自分の山彦が大好きですから!」
もっと恰好つけて言えば、皆を想いを運ぶ自分の能力に誇りを持っている。だから幽香が山彦を求めてやってきたのなら、自分は絶対にそれに応えてみせる。
「ふぅん」
と、響子の体をまさぐっていた幽香の動きが止まった。
自分の気概を理解してくれたのだろうか、と淡い期待を抱いた瞬間、
「痛っ!」
響子の獣耳に刺すような痛みが走る。幽香が犬歯で噛んだのだ。歯が食い込むほどではないが、甘噛みともいえない、我慢できる限界ギリギリの絶妙な痛み加減。
「良いわね。貴方本当に良い」
耳穴に直接ささやきかけられるその艶やかな声は、響子の脊椎を伝わって全身に鳥肌をたたせた。
「でも今日はここまでにしましょ。貴方の言うとおり、私はお願いごとをしにきたの」
響子は体を解放され、ほっとしながら恐る恐る立ち上がった。「今日は」という言葉にいささかの寒気を感じるが……。
幽香は切り株に腰をおろしたまま側においていたパラソルを手にとった。鳥の羽ばたくような音とともに、傘が開く。緑の山中で木漏れ日を日傘に浴びる彼女は、不思議な気高さを備えていた。これが大妖怪の格というものだろうか。もともと、幽香はとてつもない美人なのだ。
「それで、風見さんは――」
「幽香でいいわよ。ムズムズしちゃう」
「えと、それじゃあ幽香さん」
「うんうん。私も響子ちゃんって呼ばせてもらうわね」
風見幽香と名前で呼び合う関係というのは、はたして歓迎できることなのだろうか。響子は溢れる不安を、なんとか唾で飲み込んだ。
そんな葛藤を知ってか知らずか、幽香は機嫌良さそうに言葉を進める。
「あのね、響子ちゃんに仲直りの手伝いをしてほしいの」
「仲直りですか」
意外に普通の依頼内容で拍子ぬけしてしまう。もっとなにかこう、とんでもない依頼をされるのではと危ぶんでいたのだが。謝罪の山彦は一番か二番目によくある山彦だ。
いやしかし、幽香が普通のお願いをするというのは、それはそれで普通じゃないのかも。
「実は恋人とケンカをしちゃったのよね……」
恋人!?
幽香のアンニュイな溜め息を聞きながら、響子は目を丸くした。
「幽香さん恋人がいるんですか」
思わず言ってしまった。それが失言だったと気づいたのは、幽香に睨みつけられた後だった。まぁ、どんな化け物なら風見幽香の恋人になれるのか、なんて言ってしまわなかっただけましだ。
「それはどういう意味かしら。私みたいなのに恋人がいるはずないって?」
「あ、いや、えと」
「あぁ、それとも、もしかして響子ちゃんは私のことが好きだったのかしら? それでショックを受けたと」
幽香がぬっと立ち上がり妖しげな笑みを口元にたたえながら近寄ってきたので、響子は腰が抜けそうになった。食べられちゃう!
「あのあのあのっ、ほんとにただ、幽香さんみたいな大妖怪にも恋人がいるんだなぁって、びっくりしただけで……」
「あら、恋することと、力が強いことに、関係はないでしょう?」
唇だけで小さく笑い、幽香は響子の頬をなでた。
二人には頭二つ分ほどの身長さがあるが、響子には幽香が山のごとくそびえたって見えた。怪しげに見下される幽香の瞳は、山頂から大地を睨む獣の目のよう。
「貴方は、恋人は?」
言われて、ぼんやりと宮古芳香の顔が頭に浮かぶが、それが恋というほどの感情なのかは分からないし、幽香に芳香の事を知られるのはあまり良くないかも、という知恵が働いた。
「いませんけど……」
「そう。じゃあ少し想像し辛いかもしれないけれど、私はね、響子ちゃんが思っている以上に、貴方の助けを必要としているのよ」
そう呟いた幽香の顔は驚くほどに弱々しく微笑んでいて、響子は再び言葉を失った。その表情は、響子がこれまで何度も目にしてきたものだ。後悔にさいなまれ、許しを求める子羊達の顔。
「幽香さん……」
風見幽香もこんな顔をするのか。そもそも自分は風見幽香という妖怪ついて何かを知っているわけではない。「非常に好戦的で危険な妖怪」というありふれた――けれど真実として広く知れ渡っている――風評を知っているだけだ。
もしかすると、この大妖怪にだってちゃんと心はあるのかも……。
「あの……」
「なぁに?」
「……私、幽香さんに恋人がいるっていう事、なんだか信じられた気がします」
また思わず言ってしまった。誰がきいたって失礼な言葉だ。けれど幽香の顔色を見る限り、今度は失言にはならなかったようだ。
「嬉しいわ。ありがとう」
風見幽香が、たしかにそう言ったのだ。
「今度また遊びましょうね」
山彦を伝えると、幽香は恐ろしげな言葉を残して帰っていった。
そういえばつい今しがたまで、鳥達や虫達の声が途絶えていたような気がする。皆風見幽香の気配に息を殺していたのだろうか。やはり彼女は大妖怪だ。
けれど、ただ恐ろしいというだけの妖怪ではないのかもしれない。響子はそう思いはじめていた。それに、受け取った山彦はかつてないほどに情熱的で、そして想いに溢れている。
「こんな山彦は始めてだなぁ。ちょっと練習しとかなきゃ」
幽香への印象を新たにしながら、お腹に少量の空気を溜めた、その時だった。
「お邪魔するわよ」
背後の木陰から、女性の声に呼びかけられた。
「え?」
少し驚きながら振り向く。
響子より少し年上だろうか、落ち着いた感じの女の子がそこにいた。平静にしているときのナズーリンと、少し雰囲気がにているかもしれない。お人形さんのように整った顔をして、幽香とはまた違ったタイプの美人。そういえば、髪型が少し幽香と似ている。金髪で、幽香の緑の髪とはまったく違う色だけれど。服の色も幽香の刺激的な赤とは正反対で、淡青色のワンピースに白地のケープと落ち着いている。
「えと、こんにちは」
「こんにちは。驚かせてごめんね」
「貴方はどなた?」
「私はアリス。アリス・マーガトロイド」
「え……!」
先ほど幽香に聞かされた恋人の名前がアリスだ。
響子は思わずまじまじとアリスの顔を見つめてしまっていた。風見幽香の恋人と言うくらいなのだから、もっととんでもない妖怪かと思っていたけれど、少なくともこうして対面しているかぎり、普通の妖怪にしか見えない。
「貴方がアリスさん」
「そうよ。私の事は幽香から聞いたかしら」
「まぁそれなりに……。えっと、もしかして、アリスさんも幽香さんに伝えたい事があって私に山彦を依頼をしにきたの?」
アリスは首をふってそれを否定する。
「まさか、私は言いたい事があるなら直接伝えるわ」
人差し指の背を噛んで、呆れたような声で呻いた。
「あの馬鹿……こんな大げさな事しないでよね……」
あの馬鹿とは幽香の事だろうか、とアリスの度胸に心の中で小さく拍手。さすがは恋人。
「あ、ごめんなさいね。貴方の山彦を悪く言っているわけではないのよ」
「いえいえ。じゃあ、アリスさんはここで何をしてるの?」
響子のねぐらだという意外は何の用事もなさそうな場所だ。山彦の依頼でないとしたら、ちょっと理由が思いつかない。
アリスはちょっとためらってから、僅かな羞恥を表情に見せつつ言った。
「私の部屋の前でずーっと謝ってた幽香が、いきなりどこかへ行ってしまったから、気になってしまって」
「……ああなるほど」
まさに押してだめなら引いてみろ、というやつだ。幽香の後をつけてここまでやってきたのだろう。
「あいつめ、私が無視し続けてたから思い切った手段にでたのね」
いったい二人はどんなケンカをするんだろう? という興味はあったけれど、響子はあえては聞かなかった。響子に山彦サービスをお願いしにくる者達の中には、なかなか打ち明けられない想いを溜め込んで、救いをもとめてやってくる者だっている。向こうから打ち明けてこないかぎり、事情を根掘り葉掘り聞くことを、響子はしないようにしている。気持を伝えるささやかな手助けができればそれでいいのだ。
「ねぇ、幽香は貴方に何を言ったのかしら」
「えと、山彦の内容を勝手に誰かにしゃべっちゃうわけにはいかないので……」
「ああそうか。そうでしょうね」
「明日にはアリスさんの家にまで届くよ」
「同時に他の大勢にもね。まったく……」
いつかの天人みたく山彦に極端な指向性を持たせることもできる。けれど今回の幽香の依頼は、自宅の部屋に篭っているアリスに届くほどの大声、だ。アリスの家は魔法の森にあるというから、人里や妖怪の山にはどうしても声が伝わってしまう。
それを想像したのか、アリスは顔を赤らめた。
「ねぇ、一つだけ教えてくれない? 幽香は反省してた? それとも全然そういうのとは関係のない山彦なの?」
「んと、詳しくは秘密だけど……とっても心の篭ったごめんなさいの山彦だったよ。こんなのはじめて。幽香さんは本当にアリスさんと仲直りしたがってる」
「そう……」
アリスは腕を組んで、まだどこか煮え切らない感じではあったけれど、なんとか無理やりに溜飲を下げたようだ。
「……しかたない。山彦を聞いたら、許してやるか」
はぁぁぁっと大きく溜め息を吐いて、胸に溜めていたであろう怒気を吐き出した。腕組をほどいたアリスは、少しだけさっぱりした顔に笑みを浮かべ、響子に言った。
「明日はよろしくお願いね」
「あ、はい!」
アリスの笑顔を受けて、響子の表情もほころんだ。この瞬間、気持を伝える、という山彦サービスの大きな目的は一足速く達成されたのだ。
立ち去る前に、アリスはポケットから櫛を取り出して、響子の髪を研いでくれた。いきなりのことに最初は目を白黒させていた響子だが、アリスの手つきはとっても気持ちよくて、しだいに耳がとろんと垂れていった。
「私達の問題に巻き込んでごめんね。恐かったでしょう」
どうやら幽香が響子を脅かしていたところからしっかりと観察していたらしい。
「今度私の家に遊びにきなさい。貴方可愛いんだから、お化粧しないともったいない」
去っていくアリスの笑顔に、響子は大きく手をふった。
アリスと仲良くなりたいな、と響子は思っていた。ちょっとつっけんどんなところもあるみたいだけど、とっても優しくて、お姉さんみたい。
「アリスさんが幽香さんの恋人……」
二人はどんな風に知り合って、どんな風に恋人になったんだろう? 仲良くなったら教えてもらえるのかな。
響子の未発達な乙女心が、なんだかきゅんきゅんと刺激されるのであった。
そして翌日。
響子は山のひらけた斜面で、幽香の合図を今か今かと待ち構えていた。風は少し強いが、そびえたつ白い雲の山脈と青い空がうかがえる絶好のヤッホー日和である。春を終えてだんだんと陽が暑くなってきたけれど、今は山の空気が涼しい風を運んでくれていた。
『ヤッホ~~~!』
来た! 幽香の声だ!
響子は山彦を返すために、大きく息を吸い込んだ。何千回と繰り返してきたその動作に、待ってましたととかばりに肺が膨らんでいく。気持がいい。丹田に収束していく妖力を感じながら、響子は叫んだ。
――yahoo!
全身からすぅっと力が抜けていくような開放感。響子の声が、目の前に広がる緑の山脈を駆け上がり、空に響いていく。
しかしまだまだ気は抜けなかった。幽香の続く合図を待って、いよいよ山彦伝心サービスの本番である。
今回の山彦は、なんといってもとても長いのだ。一度のチャージドヤッホーではまず語り終えられない。二度三度、連続でチャージする必要がある。響子は気を落ち着かせ、全身に妖力を溜めていく。過度の妖力練成で額に脂汗が浮かぶ。分を越える過剰な妖力を溜めて、全身の霊脈が悲鳴を漏らしはじめる。例えるならば食べ過ぎた時みたいに苦しい。けれど同時に、かつて無い達成感を予感して体が武者震いしてしまう。
……幽香さん早く! これ以上は耐えられない!
歯を食いしばって、響子は必死の思いで合図を待った。
そして――
『アリス~~~! 私を許して~~~!』
合図だ!
響子は即座に、破裂しかけていた肺から裂ぱくの気合と共に息
を吐く。全幻想郷に向けて、かつて無い山彦を今解き放つ――
――アリス本当にごめんなさい! もう何度謝ったかわからないけれど、貴方が許してくれるまでは、例えおばあちゃんになってしまっても謝り続けるわ。ねぇ聞いて。はじめは痛くする気はなかったの。できるだけ優しくするつもりだった。でも、アリスの綺麗な顔が悦楽と痛みの狭間で悶えるのをみていると私、どうしてもたまらなくて、あぁ今すぐにでもアリスを抱きたくなっちゃう。貴方はどうしてそんな美貌を備えて生まれてきてしまったの? ごめんなさい、もちろんアリスに罪をなすりつけているわけではないのよ。悪いのはこの私、アリスが好きで好きでたまらないこの私の心が悪いの。ねぇアリス、私がどれだけ貴方を愛してるか知ってる? 貴方を私が一年で一番好きな夏の一日と比べてみましょうか? でも比べるまでもないのよね。アリスの方がずっと素敵だし、ずっと穏やか。夏の荒々しい風は可憐な蕾を揺さぶるしそれに余にも短い間しか続かない。時には太陽がぎらぎらとひまわりたちを照りつけるけど、その黄金の輝きも雲にかくされることがある。どんなに美しいものもやがては萎み衰え偶然や自然の移り変わりの中で消え去っていく。でもアリスの永遠の夏は決して色あせない。 二人の生まれたままの姿をこのまま人形にしてしまおうかって語りあったあの夜を覚えてる? 私がアリスの体中を噛んだら、あの時もアリスは泣いちゃったわね。暗闇の中に白く浮かんだ貴方の肢体は最高に淫靡だった。そしてその白い肌に刻まれた私の歯型……思い出すだけで体が疼いちゃう。そういえばあの時、アリスとの子どもがほしいって言った私のお願い、まだ返事をもらっていないわね。アリスは子どもは何人欲しい? 私は三人欲しいな。女の子がふたり、男の娘がひとりね。名前はアリスが決めて――
連続で放出される特大の音波に、幻想郷の青空が歪む。
割愛したが、ここまでの間に響子はチャージドヤッホーのスペカ宣言を一度やり直している。そして今また時間切れによるスペルブレイクを起こし、連続発動による激しい疲労に襲われながら、新たにスペカ宣言をしようとした、その時だった。
「こらーーー!!!」
響子の山彦に匹敵するほどの強烈な怒声が、突然空から叩きつけられた。
「!?」
山彦の途中に声は出せないから、代わりに瞳を大きく見開いて、上空を仰ぐ。するとそこにいたのは、顔を真っ赤に燃え上がらせるアリスだ。手には大きな本を抱えている。以前幽香の後をつけてやってきたときには持っていなかったはずだ。
赤鬼のような形相で響子を見下ろし、そして断固とした口調で命じる。
「響子! 今すぐ山彦を止めなさい!」
良く見るとアリスは何かの発作を起こしたかと思うほどに呼吸を乱して、そして汗だく。もしかすると、山彦を聞いて自宅からここまですっ飛んできたのかもしれない。
おそらくは、山彦を阻止するために。
響子はぶんぶんと肩ごと首を降って、拒否の意思表示をした。自分は幽谷響だ。途中で山彦を止めることはできない。幽香から託された大切な山彦なのだ!
「んなっ!? ……力づくでも止めるわよ!? これ以上そんな恥ずかしいことを言いふらされてたまるもんですか!」
アリスは般若のような顔で歯軋りをして、周囲に人形を展開させた。武装した恐ろしい人形達だ。槍、剣、八卦路のようなもの、トマホーク……おのおのの手にはまがまがしい武器が構えられている。
アリスが腕を大きく振りかぶり、激鉄のごとくその手を振り下ろすと、人形達が一斉に響子に向かって突撃してくる。
山彦の最中の響子は無防備だ。
どうしよう!?
響子の額に冷や汗が浮かんだ、その時――
「させないわよ!」
この声はまさか、と思った次の瞬間。大気を揺さぶる激しい轟音と共に、アリスと響子の間を引き裂くようにして、まばゆく輝く光の激流が出現した。横薙ぎの極太マスタースパークだ。
「な、なに!?」
光の柱の向こうに、爆風にあおられスカートと髪を激しくはためかせながら驚愕するアリスが見える。慌てて人形達を退かせたようだ。天の川の如く二人を別った光の奔流は数秒間あたりに熱波を撒き散らし、ようやく消失する。
爆音の名残か、まだ、耳鳴りが続いている。
二人は反射的に辺りを見回して攻撃の主を探す。すると、正三角形の頂点をなすような位置に、彼女はいた。
「幽香!?」
アリスと響子の視線の先には、開いたパラソルを砲身のように構えた幽香。凶暴な笑みを浮かべて、不敵に口元をゆがめていた。
「何のつもり!?」
とアリスが食ってかかるが、
「うふふ。響子ちゃんの邪魔はさせないわよ!」
と嬉々とした返事。
いきなりの展開に響子が唖然としていると、幽香が一瞬で間を詰めて、片腕で響子を抱き上げた。そしてそのまま大空に駆け上っていく。
響子はもう何がなんだかわけがわからない。突然大地が遠のいて、自分は空の彼方に放り出されてしまった。背中に感じる幽香の押し当てられた胸だけが確かな感覚だ。
「さぁ響子ちゃん」
と風きり音の中、耳元で幽香の楽しそうな声。
「アリスからは私が守ってあげる。貴方は心置きなく山彦をやってちょうだい!」
パニックを起こしていた響子の頭が、カァッと熱くなる。自分は幽谷響だ! わけのわからないこの状況の中でたった一つだけの明らかな事実、疑いようのない真実! 響子の口元が、瞳が、まるで幽香のそれのように鋭く歪んだ。
霧散しかけていた妖力を再び収束させ、次なるチャージドヤッホーを放つ――!
――赤ちゃんの名前はアリスが決めて。私ってあんまりネーミングセンスないから。うふふ、どっちに似ると思う? 私とアリスの子供だったら、きっと男の娘でも女の子でも可愛いでしょうね――
「止めろって言ってるでしょーがーーー!」
響子が山彦を続ける間にも、アリスの執拗な追従は続いていた。いまやアリスは全力で弾幕を展開している。しかし幽香は、響子が到底真似できないような超機動でそれらを回避していく。めまぐるしく回転する天と地とに、もはや響子は上下感覚を失っていた。
「幽香! あんた反省したんじゃなかったの!?」
「反省したわよ。アリスを怒らせてしまって本当に後悔してる」
「じゃあこの山彦は何よ! さっさとやめさせないと本当に怒るわよ!」
「聞いてアリス。貴方を怒らせてしまったことは本当に申し訳ないと思う。けれど私のこの性分はどうしようもないの。だからアリスには私を受け入れてほしい。甘えてごめんね。せめて私にできることは、幻想郷中に私を想いを宣言すること」
「意味がわからない! どうして幽香はそう自分勝手なのよ!」
「それが私でしょう?」
――庭付きの白い家に二人で住んで、大きな犬を飼うの。犬の名前くらいは私に決めさせてね。アリスは犬派? 猫派? 私は断然犬派なんだけど、あ、でも、アリスが猫の方が好きだっていうんなら、勿論猫を飼うことにしようよ。私、犬派は犬派だけれど動物ならなんでも好きだから。だけど一番好きなのは、勿論アリスなのよ。アリスが私のことを一番好きなように――
「ぎゃあああ! もうほんっきで怒ったんだから!!!」
地獄から響いてきたかのようなその声と共に、突然アリスの弾幕がピタリと止んだ。異常な静けさである。幽香も様子を伺うためか、中空に静止する。響子に久方ぶりに方向感覚が戻ってくる。かなり、頭の中が揺れているが。山彦は続けながら、アリスの様子を伺う。
「幽香なんて大ッ嫌いよ!」
その鋭い瞳が響子ごと幽香を串刺しにする。そしてその手元では、それまで閉じられていた本が、開いている。まるで強風にあおられているかのように激しくページがめくられ続けている。はじめはそれだけの事だったが、すぐに次の異変が起こった。アリスの周囲の空間がどす黒く変色し、歪み始めた。ギチギチと軋むような音を発し、まるでアリスが周囲の空間の光をゆがめているかのよう。歪みの中心では怒りに燃え上がる一対の瞳が不気味に輝いている。同時に、尋常ではない妖力がアリスに収束してゆく。大気が鳴動を始めた。響子の全身から冷や汗が噴出す。恐るべき妖力を目の前にして、響子はパニックを起こしかけていた。
「アリス……!」
背後で幽香が呟いた。体内から溢れる狂喜を抑えきれずについもらしてしまったような、そんなかすれた声。
「アリス貴方はやっぱり最高に素敵よ。誰よりも愛してる……!」
あぁこの人は狂ってる。混乱した思考のなかで、響子は素直にそう思った。
――それからの事はあまりよく覚えていない。アリスは見たこともないような苛烈な弾幕を展開し、それはもはや光の壁とも言うべき高密度なもので、響子はもう目を開けていられなかった。そして目を閉じていてさえ、まるで太陽の中にいるように明るい。それでも幽香は、時折歓喜の雄たけびをあげながら、理解を超えた動作で弾幕を避け続けていたようだ。再び重力は消え去り、終わりの無い超慣性機動にもはや天地は完全に消え去った。
五感をめちゃくちゃにされた世界のなかで、ただ一つはっきりと覚えているのは山彦をつむぎ続ける自分の声だけ。山彦を終えるのだという使命感だけが、途切れかけた響子の意識を繋ぎとめていた。
――ときどき静かに昔の思い出にふけるわ。過ぎ去ったことどもを思い起こそうとして、そして気づくの。探し求めている多くのものがすでにないことに。昔の悲しみを新たにして時の流れを嘆き悲しむの。かつての大切な世界が果てしない死の闇に去ったことを思うと、これまで流したことのない涙が私の目を潤す。長い間忘れていた悲しみが私に新たな涙を催させ、失ってしまった多くのことが私を嘆き悲しませる。過ぎ去った日々の悲しみを思い出しては悲嘆にくれて、重い気持ちでひとつずつ数え上げては昔の悲しみを改めて悲しみ直すのよ。それはとっくにすんでしまったはずの支払いをもう一度するようなものね。でもアリス、貴方を見ている間は損失は償われ悲しみは消え去るのよ。永遠に愛してるわアリス――
――全ての山彦を紡ぎ終えると、響子の記憶は完全に途絶えた。
響子は見知らぬ洋室で、ベッドに横たわっていた。いくらか混乱しながら、起き上がる。体におかしなところはない。少し、汗臭い程度か。ここはどこだろうと辺りを見回すと、見覚えのある背中がベッドに背を向けて机で本を読んでいた
「……アリスさん?」
呼びかけるでもなく名前を呟くと、
「あぁ、気がついたのね」
と、すました様子でアリスが振り向いた。
目を合わせた瞬間、魔神のような形相で凄まじい弾幕を浴びせてきたアリスの記憶が甦り、顔が強張る。それに、アリスは山彦にたいしてそうとうに怒っていたはずだ。
「あ、あのぅ……」
シーツの上でいささか逃げ腰になっていると、アリスはそれを察したのか、響子を安心させるように、両手を肩の高さに挙げて苦笑いをした。
「貴方に文句を言う気はないから、心配しなくていいわよ」
「いったい何がどうなったんですか? 幽香さんは……?」
「幽香なら下のソファに転がしてあるわよ」
部屋の窓から気持ちの良いそよ風が入り込んで、響子はそちらを見やる。いつのまにか陽が落ち始めていた。木の葉に縁取られた空は、赤らみはじめている。たしかにこの部屋は二階にあるようだ。アリスの寝室なのだろう。
「貴方が山彦を最後まで言い終えた後、幽香も集中力が切れたんでしょうね。とうとう被弾してそのまま気絶しちゃったのよ」
「そっか……私、ちゃんと全部言えたんですね」
「私にとってはいい迷惑だけどね」
「う……」
それはさておき、幽香が撃墜されたというのが驚きだ。あの大妖怪が……。
「アリスさんて実はものすごく強い……?」
アリスはちょっと照れたような顔をして、手のひらをふって否定した。
「幽香は一切反撃せずに逃げ回るだけだったし、それに響子を抱いてたし」
それにしたってあの幽香を打ち負かすとは。やはりアリスもただ者ではないのだ。耳元で聞いた幽香の狂喜が思い出されて、響子の背筋が震えた。
「やれやれ、久々に本気をだしちゃった。こんな事に、馬鹿みたい」
アリスはそう呟いて、机の上の本に手を添えた。先ほど恐ろしいほどの速度でページをめくられていたその本は、今は厳重に封じられている。革のベルトで十字に閉じられ、鍵さえかけられている。
「あのう、まだ幽香さんの事を怒ってます……?」
アリスは感情の読めない表情をして窓の外を見やるばかりで、返事をくれなかった。不自然な沈黙に居心地の悪さを感じていると、今しがたの質問なんて無かったかのように、アリスが優しく微笑んで言った。
「とりあえず、お風呂してきなさい。貴方も随分汗をかいたでしょう」
響子は大人しく頷く意外に、何もいえなかった。
いそいそとタンスからタオルを取り出してくれるアリスの背中は、やっぱり優しい世話好きのお姉さんにしかみえなくて、先ほどの鬼人化が嘘のように思える。けれど、アリスにつれられて一階に下りると、服のあちこちが焦げてボロ雑巾のようになった幽香がソファーの上に転がされているのだった。
「ほっときゃそのうち起きるから」
つっけんどんに言ったアリスの口調には、やっぱりまだ、静まりきらない怒りが見え隠れしているように思えてしまった。
習慣的にお風呂に入るわけではないけれど、やっぱり熱いシャワーを浴びていると気持が良い。耳の穴にお湯が入らないように、少し注意は必要だけれど。
「幽香さんの山彦、とっても素敵だったと思うけどなぁ」
響子は心底からそう思っているのだ。あんな風な言葉を自分も言われてみたい、とさえ。
「アリスさんは二人きりで言ってほしかったのかな。私が大声で皆に伝えちゃったから、それで怒ってるのかなぁ……」
まだ知り合ってからほとんど間もないけれど、アリスはあまりプライベートを明かしたがらない性格のような気がする。そう考えると、悪い事をしたのかなという気持になる。かといって、自分は幽谷響なのだから、人から伝えられた山彦は叫び終える義務がある。
「むー……」
どうにも晴れない心持のまま、湯浴みを終え、響子はのそのそとリビングに戻った。
――そこで見てしまったのだ。
憮然とした表情で床に膝を着いたアリスが、ソファーに肘をつき、いまだ眠っている幽香の寝顔をジッと見つめているのを。
響子は足音をたてないように注意して、廊下の影に身を隠した。静寂の部屋の中、早くなっていく鼓動が耳を打つ。見てはいけないような気はしつつ、響子は二人から目をはなせないでいた。
「馬鹿」
アリスがかすかな声で呟いた。そして、いまだ目覚めない幽香の口元にそっと自分の唇を重ねた。
響子はそろそろと風呂場に戻った。そして、もう一度体と頭をしっかりと洗って、それからリビングに戻ったのだった。
幽香が目を覚まして、アリスの命令によりお風呂に入れられて、それから三人で食事をした。
アリスは始終不機嫌そうだったけれど、幽香はとくに気にする事なく楽しそうにしていた。聞けば、数日ぶりにやっと一緒に食事をしてくれたのだという。こう見えて、アリスの態度は随分と軟化しているらしい。
「そうだ。響子」
と、アリス。
「はい?」
「私も山彦をお願いしたいのだけど」
「え、でもアリスさんは、言いたい事は直接伝えるって……」
「今回は別。目には目を、よ」
「はぁ、じゃあ後で内容を教えてね」
「今で良いわ」
「え、でも、幽香さんが聞いてる」
「かまわないわ。山彦の内容はね、『幽香なんて大嫌い』よ。幻想郷中に聞こえるくらいの声でお願い」
響子はギョッとして、アリスと幽香の顔を見比べた。幽香は相変わらずず何も気にしてないようで、ニコニコしながらスープをすすっている。アリスはやっぱりツンとした表情。
(さっきのキスはなんだったんだろうなぁ……)
というか、今こうやって二人が普通に食事をしている事だって、響子には不思議なのだ。いつ仲直りのやり取りがあったのだろう?
「じ、じゃあ承りましたー。明日でいい?」
「うん。よろしく」
タイミングを見計らったように、幽香が空になったお皿をアリスに差し出した。
「やっぱりアリスの食事は美味しい。おかわりをお願いできる?」
アリスはつっけんどんな表情のまま、
「はいはい」
と何事も無く皿を受け取ってキッチンに向かっていった。
響子がぽかぁんとしていると、幽香と目が合った。
「うふふ」
幽香が微笑んだ。
いつのまにか二人のケンカは終ったのだろうか。それともまだ続いているのだろうか。響子にはよく分からない。そも大妖怪達の考える事をただの凡妖怪に理解できるはずないのだろうか? なんにせよ自分にできるのは山彦だけだ。明日も頑張ろう。響子はなんだか達観してしまったような気分になって、幽香に愛想笑いを返すのであった。
「止めろって言ってるでしょーかーーー!」
かーーーの所、がーーーですかね?
しかしニヤニヤしてしまった。キングゲイナーの告白を思い出しましたわw
それと、犬派?猫派?のくだりでコピーミスのような部分があったような
そこはかとなく漂う色気と、砂糖の香り。
ゆうアリはやっぱりこうじゃないとね!
しかし、あのぽふぽふ耳を堪能するとは何とも妬ましい。
だがそれがいい
ゆうアリ最高
とてもバランスがとれてて楽しく読めました。
ありがとうです。
イェッツイェッツ リエークンジーナーラーコエリツクゼー…
幽香さん・・・・・・w
カップリングは比較的王道が好きな私ですが、ゆうありがドツボに嵌りました。
ドSな幽香を御せるアリスさん格好良すぎる!
響子ちゃんの耳クンカクンカしたい
だが…そんなアリスも嫌いじゃないぜ(´・ω・`)
自分や幽谷響だ。
自分は幽谷響だ。かなと思いました。
きょ、きょうこちゃんふふふふffff
誤字に気付かなかった
後、米どうもでし
全キャラコンプするまでこのシリーズ続けばいいと思います。
しかし、良くこれだけの長さの山彦を記憶できるな。
響子が芳香に好意を寄せているんなら、響子を振り向かせるにはまず死体にならなきゃいけないのか。ハードすぎる。
>>激鉄
撃鉄?
このシリーズは割とポピュラーなカップリングなんだけど、
普通行くところまで行って、さらにどっか新しいとこにちょっと出ちゃったみたいな
このシリーズに限らずKASAさんの作品はみんなそうなんだけど、
そういうところが嫌味もなくスッと入ってくるのがすごいと思うし好きです。
悶えるアリスを想像してしまった。
番外編が某 所に投稿されるのはいつですか?
あの二人の間にできた子供なら、それはそれは可愛らしい男の娘になるであろうなあ…!
アリスの出会いやシリアスなことからギャグなこと、色々聞かされるわけか
んで最後に「私たちの子になりなさい」
そしてあとがきwww
くそっ、俺より先に響子とモフるなんて、許せないな……
そして後書き自重。
余裕で全部諳んじて歌える廃人にとっては、再び睡眠時間が削れる恐怖です。
ああ、もっと犬耳弄られてピクンピクンしちゃう響子ちゃんが見たいです。
っていうか僕も弄りたいです。
これは恥ずかしいw
幽香とアリスは本当にお似合いだな。
ニヤニヤしてしまった
めだかボックスの江迎ちゃんのセリフが元ネタ
誰だ響子ちゃんにciv4教えたのwww廃人になるぞwww
もちろん、本編面白かったです。とくにやまびこの内容とか。
ただあとがきに持ってかれた感が悔しい(’