「――ちゃん、大ちゃん! しっかりして! 目を覚まして!」
「……う、ん?」
真っ白な世界の中、彼女は目を覚ました。
その体は、今にも泣きそうな顔をした青い髪の少女に支えられている。
「大ちゃん! 生きてた、良かったぁ。」
少女は目元をぬぐって笑顔を作ると、言葉を続けた。
「じゃ、まだ辛いんなら、ここで待っててよ。後はあたいが何とかしてくるから。」
「え?」
言うなり目の前の少女はふっと消え、支えを失った彼女の体は白い地面に倒れ込む。
その瞬間、不意に辺りが轟音に包まれた。
「わっ! 何これ、いったい何が起こったの?」
彼女は、必死に起きあがって両耳をふさいだ。そして、きょとんとした顔であたりを見回す。
白かったのは、荒れ狂う猛吹雪。轟音は、この吹雪によるものだろう。
その中で、彼女はふと気付いた。
吹雪の奥に幽かに見える、大きな黒い影。そして、その影のもとへ飛んでいく青い少女。
よく見ると、その姿はボロボロだった。
「ちょっと、チルノちゃん! そんな体で、どこに行くの? ねぇ、やめようよ。」
彼女は立ち上がり、覚束ない足取りで少女の後を追う。
「チルノちゃん、寒いよ。今日は冒険はやめて、早く帰ろうよ。」
どうしてか、体には全く力が入らない。どうしてか、眠気まで襲ってくる。
しかし目に映る黒い影だけは、一層はっきりと、大きくなっていく。
一方で、少女の影はみるみる小さくなっていく。
「チルノ、ちゃん、戻ってきてよ……逃げようよ! ねぇ、チルノちゃんっ!」
寒気と眠気に蝕まれる意識。凍ったように動かない体。白に染まる視界。
それでも、彼女は叫んだ。
「チルノちゃんっ! ねぇってば! チルノちゃんっ!!!」
叫び続けた。
すると。
「――大ちゃん。」
突然、少女の小さな声が頭に響いた。
「チルノ、ちゃん?」
「寒いの苦手なら、大ちゃんが逃げなってば。
あたいは……寒いのは……大丈夫なんだから……」
(待ってよ。私にだって力があるのに。だから、私だけでも、頑張れるのに……)
言い返したい。声は出なくても口を開く。けれど、彼女はもう限界だった。
少女の声が耳から、意識から、次第に遠のいていく。
「心配、は、いら……よ。……前じゃん!
だって……たいは……いきょー……なるんだから……」
「ちるの、ちゃ……」
彼女の意識は、そこで途切れた。
「――ちゃん、大ちゃん! しっかりして! 目を覚まして!」
「……う、ん?」
もやもやとした世界が、開いた瞳の中に広がる。
気付くと、再び辺りが白々としている。ぽうっとしている。そして寒い。
もやもや、白々、寒いと言えば、言わずもがな。
朝だ。朝が来たのだ。
(誰かが起こしてくれたのかな。さっきのは夢、かな。)
緑髪の彼女はそう考えて、むくりと起き上がった。
もやもやとした世界が、視界を埋め尽くしている。
しかしここは霧の湖。年中霧中なのだから、もやもやなのは至極当然。
と、言いたいところだが、実は夜だけは霧の晴れることが多い。
それなのに、彼女が足下をのぞきこんで見ると、真っ黒な水面に星影と月影が浮かんでいた。
緑髪の彼女は、か細い腕と背中についた二枚の羽を思いっきり伸ばして、あたりを見回した。
(……ああ、まだ朝じゃなかったんだ。まだまだ、真っ暗な夜じゃない。)
しかし、夜でもこんな日はある。緑髪の妖精は、そう思うことにした。
もやもやとした世界が、少しずつ視界に馴染んでいく。
考えてみれば、こんな夜中は妖怪の時間。妖精は眠っている者ばかりだ。
が、気まぐれな妖精のこと、中には元気にはしゃぎ出す者もいる。
事実、緑髪の妖精の周りには、気付くと何匹かの妖精たちが集まっていた。
(私もこの子たちも、今日は夜更かし組だっけ。寝ぼけてたから起こしてくれたんだ。)
私でもこんな日はある。緑髪の妖精は、そう思うことにした。
そういえば、夜通しこの子たちに囲まれて、何かしきりに訴えられていたっけ。
緑髪の妖精は、それを思い出そうとした。一方で、先の夢のことは、早くも記憶から消え始めていた。
周囲の妖精たちは、真ん中で腕を組んだ緑髪妖精に口々愚痴をぶつけている。
「ねぇ、大ちゃん! しっかりしてよ、大丈夫?
寒いでしょう。暑いのも嫌だけど、寒いのも嫌だよ!」
「大ちゃん! 寒いのは、ウワサの青いアイツのせいなのよ!
夏なのに寒いなんて、私たちには耐えられないことじゃん!」
「暑い夏にはちょうど良い奴だけど、近づくと冬みたい。じゃあ冬にはどうなるのかな?」
大ちゃんと呼ばれた緑髪妖精――湖の大妖精は、頭を抱えた。
どうやら、いつも通り勝手気ままな彼女らの言を、いつも通り聞くだけ聞いて、では終われないようだ。
けれども、話が飲み込めない。
「それで、あんたたちは私にどうしろって言うの?」
彼女は困惑した顔で周囲の妖精たちに問いかける。
すると、妖精たちの方も困惑した様子で、また口々に喋り出した。
「えぇ、大ちゃん! あたしには無理だけど、大ちゃんならできるよ!」
「大ちゃん! あなたならウワサの青いアイツを懲らしめられるもの。
大妖精であるあなただからこそ、私たちはお願いしてるんじゃん。」
「夏である今、大ちゃんなら簡単に勝てると思うけど、じゃあ冬にはどうなるのかな?」
そんな言葉を聞くうちに、大妖精は少しずつ思い出してきた。
この湖に起こった一つの事件。それは時期外れの超局地的冷え込みだった。
湖のあたりは、この幻想郷内においては元々涼しい部類に入る地域であるという。
と言っても、彼女は湖近辺から遠出したことがないので、冒険好きな妖精づての情報に過ぎない。
どちらにしろ、寒さを苦手とする妖精が住みつける程度なのだから、涼しいと言ってもたかが知れていた。
あるいは、湖に生まれた妖精たちは、生まれつき寒さへの耐性が強いのかもしれない。
ところが、そんな湖の妖精たちでさえ被害を訴える程の寒さが、先日から超局所的に発生している。
そして大妖精は、ついにその超局所を捉えたわけなのだ。
犯人は分かっている。不自然に銀世界化した湖岸に住むという、新手の「青い」妖精だ。
「うん、そうだった。しょうがないなぁ。その『ウワサの青いアイツ』は、きっとこの近くにいる。
私が懲らしめるから、みんな探し出すの手伝ってね。まずは向こうのあたりを……」
そうして、あらかたのことを思い出した大妖精は、さっそく青妖精討伐の音頭を取ろうとした。
ところが。
「いやいや大ちゃん、この寒さの中逃げ出さずにいる妖精なんて、
私たち以外、まさにあそこで寝てる青い奴しかいないって、さっき大ちゃんが言ってたよ?
寝ぼける前に。」
探し出すまでもなく、青妖精は既に見つかっていたのである。
やっと彼女は全てを思い出し、頬を赤らめて頭を掻いた。
「アハハ、そうだよね、って……」
だが、その照れ笑いも周囲の失笑も、すぐに消えた。
何故なら、小さな妖精の指さしたその場所へと近づくにつれ、信じ難い光景が目に飛び込んできたからだ。
何と、夏にも関わらず湖面の一部が凍結し、その上に青妖精が寝っ転がっているのである。
凍った湖面自体、稀にしか見られない景色なのだ。その上、そこを好き好んで陣取る妖精などあり得ない。
しばらくの後、妖精たちは驚き呆れて開きっぱなしだった口を、口々動かし始めた。
「あぁ、大ちゃん。あの子、凍死して一回休みだね。」
「大ちゃん! 油断しちゃだめよ! ウワサの青いアイツは死んでも、また生き返るもの。」
「私たち妖精は暖かい季節だと回復が早いよね。じゃあ冬にはどうなるのかな?」
そんながやがやを大方無視して大妖精は一人、また腕組みをしながら考えていた。
果たして、どうして真夏の湖に氷が浮かぶだろうか。
そして、冷え込みの中心である青妖精が、その上で寝息を立てているのは何故だろうか。
それはそれは簡単な謎解きであった。大妖精にとっては。
「みんな、ちょっと下がっててよ。私、あいつを叩き起こして、一つ成敗してくるね。」
しかし、周りの妖精の頭上には次々と疑問符が浮かび出す。
「え、どうして? 放っとけば凍死じゃない。」
これが、妖精の妖精たる所以である。大妖精と一般妖精の差でもある。
大妖精は一般妖精よりも力がある。力があるというのは、腕力と知力と判断力と行動力と決断力と魅力と……
ともかく、力と名のつくもの全てが周囲の妖精よりは高いのだ。
もちろん、その力に驕らず皆のために動けるのだから、精神力だって高い。
――大妖精自身は、そう考えていた。
少なくとも実際、大妖精を除く妖精たちの頭の回りは非常に悪い。
そんな彼女たちの頭脳回転数に合うように頭をひねって考え考え、大妖精は言った。
「あいつのせいで寒いんだから、あいつは寒さが平気なんだよ。
だから凍死もしない。ね、今やっつけておかなきゃダメでしょ?」
なるほど、どゆこと?
またも飛び交い始めた言葉をよそに、大妖精は一目散、青妖精の寝転がる氷の板へと飛んだ。
「起きなよ、ねぇ。」
「うーっ。」
体中に染み込むような冷気を耐えながら、大妖精は声をかけた。
それに反応してか、青妖精は寝返りを打って仰向けになる。
(顔に見覚えは……うーん、ない、かな? 生まれたばかりか、引っ越してきた妖精ね。)
体型こそ一般妖精と変わりないが、特徴的な水色の髪に青いリボン、青基調の服装。何より目立つ氷の羽。
なるほど、「寒さの原因の青妖精(ウワサの青いアイツ)」と呼ばれるのも納得の出で立ちである。
しかし、待てども待てども起き出す気配はない。
「ちょっと、起きてってば。」
「うーん、朝ごはんは甘い玉子焼きがいい……」
「はぁ。」
上空では、未だに飽きず様子を見守っている稀有な数匹の妖精たちが、固唾を飲んでいる。
仕方ない。湖妖精のリーダー格である大妖精は、彼女たちの期待に応えるべく、思い切って腕を振り上げた。
「ふふん、ごめんね。これも君のため、みんなのためなの。
行くよ……目覚ましチョップ!」
ガツン。と、垂直に構えた大妖精の平手が、青妖精の額に直撃する。
何故か上空の妖精たちも顔を覆ってうめき声を上げた。どうやら、同じ経験があるらしい。
そして計画通り、青妖精も似たようなうめき声を発しながら、むくりと起きあがった。
「なに、なによ? まだ真夜中じゃない。眠い。……痛い。」
青妖精は寝ぼけ眼をこすり、赤くなった額を押さえながら、大妖精の方を向いた。
「あんた誰よ。あ、もしかして今、あたいを殴ったでしょ!」
「な、殴ってはいないよ。その、話があるから、起きてもらっただけ。」
けれど、そんな言い訳にも聞く耳持たず、青妖精は鋭い目つきで大妖精をにらんだ。
初対面で目覚ましチョップはやり過ぎだったかもしれない。だが、ここで退くわけにはいかない。
「えーとね、私はこの湖の大妖精。みんなからは『大ちゃん』って呼ばれてる。
あなたの名前は知らないけれど、この寒さ、あなたのせいなんだよね?」
大妖精は、彼女から目をそらさず問いただした。
この答えがイエスなら、戦いは免れない。ならば、相手への視線を外すのは負けを意味する。
精神力も眼力も、こんな名も知れぬ妖精に負けるわけにはいかないのだ。大妖精は息をのんで答えを待った。
しかし、青妖精はなかなか答えを返さない。にらみ合いは続き、時が無為に過ぎていく。
そして上空の妖精たちが飽き果てて、一匹二匹と飛び去り始めた頃。
大妖精もいよいよ冷気に耐えられず、再び青妖精に問いかけた。
「ねぇ、ちょっと。質問変えるよ。そもそもこんなに寒いのに、あなたはやっぱり平気なの?」
「さっきから何言ってるのさ? あたいは全然寒くないよ。」
その返答を聞き、大妖精は理解した。この小さな青妖精は、間違いなく寒さの元凶だ。
しかも悪いことに、自身が他の妖精を寄せ付けぬ冷気を放っていることに気付いていない。
だから先の質問の意味が分からずに、答えられなかったわけだ。
無駄に寒い思いをした大妖精は、肩を落として溜め息をついた。その溜め息まで真っ白い。
「呆れた、寒さにさえ気付かない妖精だなんて。あなた、何者なの?」
「あたいは氷の妖精チルノだよ。寒さなんて感じたことないね。何せ、あたいはさいきょーだから。
でも、あんたもこのあたいのオーラから逃げ出さないなんて、なかなか肝の据わった妖精ね。」
青妖精――チルノは、ふふんと鼻を鳴らしながら腰に手をあてた。
本当に呆れた妖精だ。いや、極めに極めて「妖精らしい」妖精だ。
力がある分、多少「妖精らしさ」の抜けてしまった大妖精にとって、その姿はむしろ羨ましい程で。
(いやいや、こいつのせいで私も皆も辛いんだ。何とか追い出さなきゃ。)
大妖精は首を振って、再び強い視線をチルノへ向けた。
「あのね。勘違いしてるよ、チルノ……ちゃん。
あなたから出てるのは、オーラなんかじゃなくて、冷気。」
「……へ? あたいのさいきょーオーラが、冷気?」
「そう、チルノちゃんは氷の妖精なんでしょう?
その氷から出る冷気が、周りの妖精を苦しめてるの。普通の妖精は、あなたと違って寒さが苦手だから。」
上空から見守っていたはずの妖精たちは、既に一匹も残っていなかった。
それほど、妖精たちにとって寒さと退屈は脅威なのだ。
しかし大妖精ともなると、多少の寒さや退屈には負けない程度の力を持つ。
その力の片鱗が、今、大妖精の片手に輝いていた。
「だからね、申し訳ないけど、私はチルノちゃんを倒しに来たの。
湖の他の妖精たちを守らなきゃいけないからね。」
そう言うと、大妖精は力のたまった左手をチルノに向けて構える。手のひらに、光の球が形作られてゆく。
だが、それを見たチルノは不敵な笑みを浮かべた。
「へぇ、何でもいいけど、あたいと戦ってくれるんだ!
大ちゃんって言ったっけ? こんな夜中に道場破りなんて、なかなか面白い奴じゃん!」
決闘成立。二匹の妖精は夜空へと舞い上がる。
「その代わり約束してね。私が勝ったら、チルノちゃんは湖から出ていく。いいかな?」
「へへん! 約束ってのは、勝ってから取りつけるものよ!」
次の瞬間、月光を映して煌めく小さな氷玉と自ら輝く光球が衝突した。
そして、儚い音と共に、湖上の闇に煌めきが散った。
翌日、花の咲く湖岸で、大妖精は相変わらず気ままな妖精たちに囲まれていた。
その一匹が、心底わくわくした様子で彼女に問いかける。
「さすがだねぇ、大ちゃん。あっという間だったんでしょ?」
「うーん、まあね。氷の妖精っていうのは少し特別だけど、力はみんなとそう変わらなかったかな。」
大妖精は困った笑顔で答えた。
実際、昨夜の戦いで大妖精は、ほぼ一方的にチルノを抑え込んだのである。
冷気という未知の能力もあり、本心では大妖精も戦々恐々として戦いに臨んでいた。
しかしその実、チルノの強さは並の妖精程度のもので、大妖精には遠く及ばなかったのだ。
「氷なんて飛ばしてくるから、ちょっとびっくりするけどね。
弾の大きさもスピードも数も、みんなにとっても避けられないレベルじゃなかったよ。
今度から何かあったら、直接文句言って大丈夫。」
それを聞いて、妖精たちは喜び飛び回った。
大妖精は困った笑顔のまま、その光景をぽつんと一人で眺める。
彼女の心境は複雑だった。結局のところ、寒さの解決は未だできていなかったからだ。
「うぅぅ、ちょ、ちょっと待ってよ……」
昨晩の決闘後、チルノは流氷にへたりこんだまま、苦しそうに言った。
「あたいは、ここが一番、住みやすいんだ。
涼しいし、暑すぎないし、寒すぎないし、湖は凍るし、強い奴もいるし。」
「そう言われても。って、強い奴って誰のこと?」
「そりゃあ、あんた――大ちゃんのことに決まってんじゃん!」
「え……」
倒れたまま目を輝かせるチルノ。
どうやら大妖精は、図らずも彼女に気に入られてしまったようだ。
「確かに私たち妖精は、強い力に引き寄せられやすいけど。」
「何言ってんのさ。妖精の性質なんて関係ないね。強い奴と一緒にいれば、あたいもどんどん強くなれる!
そして大ちゃんに勝った暁には、あたいは晴れて妖精界さいきょーになってるって寸法よ!
ふふん、あしを洗って待ってるといい!」
「はぁ。」(首かなぁ。)
大妖精は首をかしげて考えた。
チルノを追い出そうとして挑んだはずが、現状どうしてか、余計にチルノを居座らせる結果となっている。
このまま引き下がってはわざわざ戦った意味もない。大妖精の面目丸つぶれである。
何とか目的を果たさねばなるまい。
「ねぇ、チルノちゃん。そう言われても、あなたの冷気で周りの妖精は迷惑しちゃうんだよ。
私は湖の妖精のリーダーだから、悪いけど、あなたを追い出すしかない。
そうでしょ。力ずくで、勝ったんだし。約束は約束だよ。」
「うー、分からず屋め。その約束を変えてっていってるのにぃ。」
(分からず屋って、こっちのセリフだよ……)
なおも食い下がる氷の妖精に、大妖精は困惑を隠せずにいた。
負かしたのに、ここまで強気で意志を通してくる妖精など、これまで出会ったことがなかったのだ。
そもそも、負かした後に会話が続くような妖精自体が初めてだった。
そして、自分をこれほどまで強く意識してくれる妖精も、初めてだった。
「けどさ……」
「うるさい分からず屋ー! あたいがどこに住もうと勝手じゃん!」
「な……、わ、私だってね!」
大妖精は、思わず声を張り上げた。
「私だって、この湖を気に入ってくれた子を追い出そうなんて、やりたくないよ!
でも、寒さに凍えるみんなの姿だって見たくないもの、しょうがないじゃない! しょうがないよ!
約束を変えてって言うけど、他に方法がないんだもん! そうでしょ!?」
一気にそう叫ぶと、大妖精はうつむいた。
ああ、いけない。下級の妖精相手に感情をぶつけたって、ろくなことにならない。
そう思い直し、大妖精は一度深く息を吸い込もうとした。
けれど、その時。
「ある。」
「……へ?」
予想外の返しに、大妖精は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
不意に、チルノが立ち上がり、言ったのだ。よろけながら、ゆっくりと。
「あるよ、別の約束。」
「別のって……えふん、ごほん!」
咳払いをして、改めて問いかける。
「どういうこと? あんたと一緒にいて、湖のみんなが寒くない方法があるっていうの?」
「もちろん、当然! あたいから冷気が出てて、それが邪魔なら、制御すればいいだけじゃん!」
「制御って。」
今日まで自分から出る冷気に気付きもしなかった妖精が、それを制御しようと言う。明らかな出まかせだ。
だが、大妖精が口を挟む間もなくチルノは続けた。
「冷気を制御すれば、他の奴らは困らないし、あたいもここに住める。
あ、もしかして、冷気を制御できたら今より強くなったってことにもなるじゃん!
まさに一石二鳥! これしかない! あたいったら天才ね!」
ボロボロのくせに、目だけキラキラと輝かせる青い妖精は、大妖精を真っ直ぐに見据えた。
「ね、大ちゃん。これでどうよ。
約束は、あたいが冷気を操ってみんなを寒くしないこと。カンペキでしょ?」
「……」
どうしようもないことを言う妖精だ。そんなのは口先だけで無理に決まっている。でも、あるいは。
大妖精は胸に手を当ててうつむいた。何故か、心臓がズキズキと痛みだす。
ただ力ずくで追い出せばいいだけの話なのに、どうしてこんなことになったのか。
この青い妖精は一体何なのか。
(この子を追い出したら、この子は……)
大妖精は寒さに震えながら、うつむいたまま口を開いた。
「ねぇ、チルノちゃん。一つだけ聞くよ。」
「何さ。」
「あなたの周りは寒くて、とても好き好んで妖精は近づいて来ない。今まで、ひとりぼっちだったの?」
「な、何でいきなりそんなこと……」
チルノは急に困った顔になる。
だが、それも一瞬だった。本当に、一瞬。彼女はすぐ腰に手を当て、胸を張って話し始めた。
「まあ、確かにそうだったけどさ。それに耐えられないあたいじゃないよ。なんせ、天才だからね!
しかも、これから強くなって、大ちゃんや湖の奴らと仲良く戦いの日々ができるじゃん。
ひとりぼっちなんて、最早あたいとは関係ないね!」
それを聞いた時、大妖精は一つの気持ちを見つけた――この子の力を信じてみたい、と。
チルノは自らの力で、ひとりぼっちを終わらせると言うのだ。こちらがどう思おうと、チルノは本気なのだ。
それならば。
大妖精は、また白いため息をついてから、言った。
「分かった。うん、分かったよ。仕方ないね。
約束しよう、チルノちゃん。強くなって、冷気を操って。私たちが近づいても大丈夫なように、ね。」
「へへん、明日には果たせる約束だよ。あたいの底力を思い知るがいい!」
そして、大妖精は初めてチルノに笑顔を向けた。
「うん、仕方ないけどね。それなら湖に住んでもいいよ。でも、約束を果たすまでは迷惑をかけないように――」
「――なんて言ったけど。やっぱり難しいよね。」
いつの間にか弾幕ごっこを始めた妖精たちを眺めながら、大妖精は花咲く湖岸に座りこんで呟いていた。
聞こえてくる叫びから察するに、彼女たちはどうやらチルノとの戦闘を意識しているようだ。
「文句があるなら直接戦って大丈夫」という大妖精の言葉を受けて思いついたのだろう。
「幸いみんなは寒さのこと、忘れちゃってるみたいだけど。」
妖精たちにとって気になるのは、決闘の結果とチルノの強さだけだったようだ。
今後また誰かがチルノに近づいて寒さを感じても、本人たちが直接決着をつけるだろうし、そうなったことに対して誰も大妖精に文句は言うまい。
「うーん、やっぱり考え過ぎかな。
こうやって見てると、自分たちは何も気にしてないみたいだし。痛いとか寒いとか。」
妖精たちはお互いボロボロになりながらも、弾幕ごっこを続けていた。
確かに、どちらかが今にも消えてしまいかねない弾幕戦さえ、妖精は遊びとして楽しんでいる。
妖精にとって寒さは辛いものだが、本気で手を打つ程のことではなかったのだ。
「うん、そうだよ。湖全体が死ぬほど寒いわけじゃないし。
チルノちゃん一人分くらいの冷気で、何かが変わるわけでもない。」
大妖精は自らに言い聞かせるように一つうなずいて、伸びをした。
「よし、寒さのことなんて気にしない! なんたって、今は夏だもの。」
そう言って、大妖精は霧のかかった空へ飛び立った。
そして、いつの間にか季節は晩夏を迎える。
あれ以降、チルノとのいざこざは結局頻繁に起こっていた。
大妖精自身も何度かチルノと戦ったが、その度にチルノは一瞬でのされる。
「もういいよ、チルノちゃん。本当に強くなったら、かかっておいで。」
いつの日か大妖精はそう言って、以降チルノの相手をするのをやめていた。
そもそも大妖精は、滅多に他の妖精とも争いを起こさない。力の差が目に見えているからだ。
一方、他の妖精たちとチルノの喧嘩は毎日のように起きているが、彼女たちの戦績も五分五分といったところ。
この結果だけ見れば大妖精の言った通りで、チルノの強さはおおよそ一般の妖精程度だった。
約束には程遠い。大妖精は、そう考えていた。
しかしこの日、うっすらと広がる霧の中で、彼女はあることに気が付く。
今日も今日とて妖精たちの気ままな愚痴を聞いていた時だった。
「聞いてよ大ちゃん! またやられちゃったよ! やっぱり寒いのはずるい!」
「私もだよ! 前は全然勝てたのにおかしいじゃん。調子悪いんだ、最近。」
「あたしも負けた。一昨日あたりの暑い日に。じゃあ冬にはどうなるのかな?」
こんな報告を耳に入れるうちに、ふと思いついたのだ。
もしかしたら、度々喧嘩して戦うことで、本当にチルノの実力は上がるのかもしれない、と。
「いや、むしろ既に強くなり始めているのかも知れない。
考えてみれば、チルノちゃんが勝ちを稼ぎ始めたのは、最近になってからじゃ……」
「大ちゃん? どしたの?」
「あ、いや、ごめんね。何でもない、けど。」
けど。
つい声に出してしまった自らの口を押さえながらも、大妖精は自然と首をかしげていた。
チルノは、本当に約束通り強くなっているのか。そうだとしたら、彼女の冷気は徐々に抑えられているのか。
それとも、まさか逆に……
「いやいや、そんなわけないし、考えてもしょうがないよね。
私は最近戦っていなかったけど、今でも喧嘩し続けている子に聞いてみればいい。
うん。信じようと思ったんだから、信じよう。チルノちゃんは私の予想を裏切ってくれる。」
「大ちゃん?」
大妖精はまたも口を押さえながら、あはは、と照れ笑いをこぼす。
その時だった。一匹の妖精が、凄い勢いで大妖精たちのもとに飛び込んできたのだ。
「み、みんな! すごく面白いこと……じゃなくて! 大変なことになってるよ!」
こうなると、妖精たちの興味は一瞬で切り替わり、彼女を取り囲む輪が形成される。
「なになに!? どうしたの!?」
妖精たちは一様に目を輝かせながら、何が起きたのかを知りたがった。
大妖精とて好奇心は同じくらいあるので、ひっそりと輪に入る。
ここまでは、いつものこと。
しかしそれでも、彼女の心の中ではチルノのことが引っかかり続けていた。そのためだろうか。
「それがさ、向こうの湖岸の方でね。夏なのに大変なことになってるんだよ!」
「夏なのに」――この言葉を聞いた時、大妖精は急に嫌な予感に襲われた。
妖精たちの輪に紛れたまま、彼女は恐る恐る尋ねる。
「大変なことって、何?」
「ふふん、それはね……」
自慢げに鼻を鳴らしながら、中心の妖精が答えようとした、その瞬間だった。
「……あれ、雪?」
一匹の妖精が呟いた。
それを聞いた妖精たちは、一斉に空を見上げる。
「雪だ。」
霧のせいで上空はよく見えないが、確かにはらはらと粉雪が舞い降りてきている。
夏なのに、雪。大妖精は再び中心の妖精の方を向いて聞いた。
「ねぇ、大変なことって、もしかして。」
「ううん、粉雪どころじゃ済まないよ。向こうの湖岸はね、真冬の大吹雪!」
彼女が叫んだ途端、冷たい風が雪を乗せて吹きぬけた。これが言の葉というものだろうか。
彼女は身震いしながら呟いた。
「あれ、もしかしたらあの吹雪、湖全部を覆っちゃうのかな?」
一瞬の間。そして。
「それって、あたしたち、やばいじゃん!」
その一声と共に、輪を作っていた妖精たちは黄色い声を上げて右往左往し始めた。
一匹、また一匹、わめきたてながら飛び去っていき、あっという間に輪は崩れていく。
その中で、大妖精は中心にいた妖精を捕まえた。
「ねぇ、吹雪って向こうの湖岸から来るんだよね?」
大妖精は遠く霧と雪の向こうを指して訊ねた。
「そうだよ! 大ちゃんも早く家に帰らないと春まで凍死だよ!」
「向こうの湖岸って、もしかして、もしかしてチルノちゃんの……」
「ちるの? ああ、あの青い奴が住んでる方じゃない? あたしはよく知らないけど。」
聞いて、大妖精は息をのんだ。
夏の雪。寒さ。吹雪。こんな異変を引き起こせるのは、彼女しかいないのではないか。
だとしたら。
「あ、ありがとう! じゃあ、すぐ逃げて!」
「え? 大ちゃん、ちょっと!?」
大妖精は、徐々に強まる風の中へ一人、飛び立った。
ひゅん、と消えて、ズバッと翔け抜ける。
大妖精の得意とする高速飛行は、湖をものの数十秒で縦断できる速さである。
しかし、急激に強まる風と雪と冷気の影響か、はたまた心なしか。
チルノの住む湖岸がどこまでも遠く、彼女には感じられた。
「早く、早く行かないと! チルノちゃんが本当にこれほどの力をもったんだとしたら、私のせいだ!」
冷たい雪と風がひっきりなしに顔にぶつかる。真っ直ぐ飛んでいるのかどうかも分からなくなる。
「春まで凍死」――ふと、先の妖精の言葉が脳裏をよぎる。
今は晩夏。春の訪れまで、あと半年以上凍る羽目になる。
「けど、そんなこと怖がってられない。精神力! 私が甘かったんだ。私が止めなきゃ!」
大妖精はがむしゃらに飛んだ。
次第に雪と風は合わさって強まり、吹雪の様相を呈し始める。
普段は湖のそこらじゅうを飛び回っている他の妖精たちの姿が全くないのも、この天候では当然だ。
それでも彼女は羽ばたき続けた。目の前が白で覆われても。かじかんだ手に感覚がなくなっても。
(湖を、守らなきゃ。一人でも。私は、湖の大妖精だから。)
彼女は、その力を振り絞って吹雪を突き抜けた。
そして、数分後。今にも羽が凍りつかんという頃。
ついにその目は、白の中でうごめく何かをとらえた。
「……あれは?」
気付くと辺りは猛吹雪に飲まれ、目を開けているのも厳しい状態だった。
確かに誰かがいる。しかし、その姿をしっかりと確認することができない。
目が駄目ならばと、大妖精は口を開いた。
「チルノ、ちゃん!」
だが、その一言の内にも雪と冷気が口から入る。喋ることさえもままならない。
「どう、して……!?」
(――どうして、こんなことを? やめてよ! 信じてたのに!)
伝えたいことはあるのに、思うように口が動かない。
風の音も酷く、吹雪の中にいる誰かがこちらに気付く様子はない。
大妖精は唇を噛んだ。だが、その痛みさえ麻痺するほどの寒さ。このままでは、本当に凍りつくかもしれない。
(私は……)
ふと、大妖精は思いとどまった。ここで、自分は本気で命を賭すつもりなのか。何のために?
彼女は吹き飛ばされぬよう必死で羽ばたきながら、考えた。
吹雪から湖や妖精たちを守るため。湖の大妖精として妖精たちを引っ張っていくため。
そのために、春までいたずらに命を捨てるのか。誰にもそんなこと、求められていなかったのに。
それでも自分は、みんなのために、ここまでがむしゃらになって来たのか。
一人だけ、たった一人だけ、力があるから。
「ちが、う。そんなんじゃ、なかった。」
大妖精は、首を振って目を閉じた。
いつかのチルノの姿が、瞼に浮かんでくる。
一瞬だけ困った顔をしたけれど、すぐに気を取り直した時のあの姿。
そして、その時の言葉――「ひとりぼっちなんて、最早あたいとは関係ないね!」
大妖精は、震える唇で力の限り叫んだ。
「私は! チルノちゃんを、止めるよ!
だって、またひとりぼっちにしたく、ないんだ!」
口が、舌が、凍りつきそうになる。それでも構わず、彼女は続けた。
「チルノちゃんだって、ひとりぼっちになんて、なりたく、ないんでしょう!?
それは私も、同じ、だから……」
そこまで叫んだとき、不意に大妖精は気付いた。
ぼやけ始めた視界の中で、彼女が叫びかけ続けていた「誰か」が動いたのだ。
吹雪の轟音の中、声が届いたのだろうか。それとも、彼女の想いが通じたのだろうか。
チルノらしき「誰か」は、少しずつ近づいてくる。
――しかし。
「チルノちゃ……え?」
少しずつその輪郭が整い始めた「誰か」は、大妖精の方へ巨大で歪な腕を伸ばし始めた。
開かれた黒い手の中では、これまで以上に猛烈な風と雪が渦巻いている。
「あなたは……チルノちゃん、じゃ……」
しかし、その「誰か」は彼女の言葉を意にも介さず、黒い手のひらをゆっくりと開いた。
途端、猛吹雪が大妖精の周りを包む。一体、何が起こったのか。彼女には理解できなかった。
分かったのは、耳をつんざくような吹雪の轟音。動かなくなった自らの羽。
そして、閉じていく視界。
(私、チルノちゃんを、止めに来た、のに……?)
真っ白い視界が真っ黒に染まる。
その最後の瞬間、彼女はもう一つ、小さな影を見た。
「ありがとう、大ちゃん。」
「――ちゃん、大ちゃん! しっかりして! 目を覚まして!」
「……う、ん?」
何度目か、また声をかけられて、大妖精はまぶたを開いた。
一体何が起こったのかと、彼女は身を起こして辺りを見回そうとする。
ところが、冷えた体はそれさえ出来ぬ程のダメージを負っていた。
「いてて、私どうなったんだろう?」
当然、羽も動きそうにない。どうやら今は冷たい地べたに倒れこんでいるようだ。
目だけ動かすと、相変わらず辺りは真っ白い。
しかし、心なしか。
「少しおさまってるよね、吹雪。」
横から声をかけられ、大妖精は痛みをこらえて首を動かした。
隣に同じように倒れていたのは、チルノだった。
「チ、チルノちゃん! どうして!?」
大妖精は驚きを隠せず大声を出して、のどの痛みにせき込む。
それを見て、チルノは「へへっ」と笑った。
「あたいもおしいところまでいったんだけど、あの雪男のパンチを食らっちゃって。」
「ゆ、雪男!?」
「だって吹雪の中の大きなやつだよ? 雪男に決まってんじゃん。」
大妖精はチルノの言葉を聞きながら、次第に状況を思い出していた。
吹雪に包まれたあの大きな影は、やはりチルノではなかったのだ。
彼女いわく、雪男ということらしい。
「そ、そっか。そんな妖怪が湖に現れたら、異変が起こって当然だよね。
……雪男はまだ近くにいるの?」
「えーと、今は姿は見えないね。あれだけ大きいから、出てきたらすぐ分かるよ。
まったく、あたいの近所で異変起こすなんて、今度こそコテンパンにしてやる!」
強がるチルノを見て、大妖精は少し微笑んだ。
と、その瞬間。
(ん? 吹雪の中の、雪男みたいな大きな影と、チルノちゃん……?)
大妖精の中で何かが引っかかった。
だいぶ昔の記憶のような、つい先程の記憶のような。
(私、どうしたんだろ? 何か、どこかの思い出に――)
「ん、なんかおかしなことでもあった? 大ちゃん?」
チルノが大妖精の様子に気づき、声をかける。
「ううん、ごめん。なんか、頭がこんがらがっちゃって。」
「……?
だいじょうぶ。大ちゃんはね、最初からおかしなやつだよ。
あんなゴッツイ雪男を、びゅーてぃほーなあたいと見間違えるし。
逃げろと言っても、逃げないし。」
「あははは、それはごめん……。でもホントに良かった、チルノちゃんがチルノちゃんのままで。
って、え? 逃げろなんて、チルノちゃん言ったっけ? ――あれっ?」
大妖精の心に、不意にあの光景が蘇った。
――「チルノ、ちゃん、戻ってきてよ……逃げようよ!」
いつか見た夢。
――「寒いの苦手なら、大ちゃんが逃げなってば。」
響いた言葉。
大妖精は思い出した。
彼女の体を支えたのち、大きな影へと向かっていった青い妖精。
ボロボロの体で強気に飛んでいく、あの姿。
――「だって、あたいはさいきょーになるんだから……!」
「覚えてないの? あたいは悔しかったよ。
だって、大ちゃんが逃げれば、立ち向かったあたいこそがさいきょーになれる。そう思ったのに。」
改めて見ると、強がるチルノの姿は今も本当にボロボロだった。
(そうだ、あの時吹雪にやられた私を、チルノちゃんが支えて、戦ってくれたんだ……!
それでこんな、ボロボロに……)
どこからどこまで夢なのか。それは最早関係なかった。
痛々しい姿のチルノを映す瞳から急に溢れだしたのは、とめどもない涙。
「ちょ、え!? 何さいきなり!?」
「ありがとう、ひっく、チルノ、ちゃん。助けて、くれたんでしょ?」
「へ!?」
チルノは慌てて首を振った。髪に付いた雪が散り、解ける。
「あ、あたいは別に大ちゃん助けようとしたわけじゃなくて!
ずっと戦ってもくれなくて悔しかったから、強くなったあたいを見せつけてやろうと!」
そう言うと、チルノは腕に力を込めて起き上がった。
「ほら。強いじゃん、あたい。」
「う、うん、ご、ごめん……。
わ、私も、弱いと思ってた、ひっく、チルノちゃんが、た、助けてくれるなんて、思わなく、て。
泣いてる場合じゃ、ないのに。私が、頑張らなきゃ。」
そう言って、大妖精も泣きながら腕に力を込める。
ところが、不意に強くなり始めた吹雪に再び押し倒されてしまう。
「へん、起き上がれもしないじゃん。
あたいも、大ちゃんがそんな泣き虫だなんて思わなかったし。」
「わた、しも、ひっく、思わなかった、もん。
でも、怖かったけど、嬉しかった、から。本当に、ありがとう。チルノちゃん。」
「ば、ばかじゃん! 何だか知らないけど、いきなり泣きながら、あ、ありがとうなんて。
けど……大ちゃん。えーと、その。でもね。」
そうつぶやくと、急にチルノは立ち上がった。
起き上がることのできない大妖精をかばうように、背を向けて。
「本当はさっきも言ったんだけどさ。覚えてないだろうから。
あのね、大ちゃんこそ、あ、ありがとう。私のために。」
「チルノ、ちゃん?」
その背中に輝く氷の羽が大きく揺れる。
吹雪がますます強まってきたのだ。
「あたいはね、強くなったよ。本当に。
それは……、そう。大ちゃんに会ったから。」
そして、チルノの頭越しに見えたのは、迫りくる大きな影。
「ゆ、雪男? いつの間に!? チルノちゃん!」
大妖精は慌てて立ち上がろうと必死にもがくも、何故か力が入らない。
しかし、チルノはそれを横目で見て笑い声を上げながら、仁王立ちのまま話した。
「あはは、大ちゃんはやっぱり変なやつだよ。
そういえば、『私には力がある。だから私だけでも頑張れるのに。』みたいなこと言って。
偉そうな割に、あたいを湖から追い出さないでくれたし。」
「え、えっ!? 私、そんなこと言ったっけ?」
「言ってたじゃん、さっき。でも、強いからひとりぼっちで頑張るなんて、ほんと変だよ。
あたいだって強いけど、もうひとりぼっちじゃない。」
話しているうちに影は再び腕を伸ばし、突然手のひらから強烈な雪の渦を撃ち出した。
が、チルノは一歩も動かず、手を吹雪に向けてかざす。
「だって、大ちゃんがいるからね! だから、大ちゃんにはあたいがいるよ!」
次の瞬間、視界が吹雪に蝕まれる。
けれど、もう一度目を開いた時、大妖精は見た。
チルノと彼女の周りを覆う、青くて夢のように美しい氷。それでいて、強くて大きい氷。
その固い壁に包まれて、二人は笑った。片方は、泣きながら。
「チルノちゃん、強いね!
ほんとに、ぐすっ、強くなったんだね!」
「へへっ、当然! あたいはさいきょーなんだから!
だからっ、負けないっ!」
アイスバリアとも言うべきその氷壁は、裂くように冷たい吹雪を一切寄せ付けない。
だが、猛烈な吹雪を相手に、チルノもすぐに辛そうな表情を見せ始めた。
「ま、負けないっ!」
それでも一歩も動かず立ちはだかり、手を掲げ続けるチルノの姿を見て、大妖精は涙をぬぐった。
「チルノちゃん、ありがとう。今度こそ大丈夫だから、私も手伝う。」
大妖精はやっとの思いで立ち上がると両手を掲げ、彼女の持つ輝く力をアイスバリアへと注いだ。
バリアはきらきらと光りながら、冷たい風を押し返していく。
「ありがと。さすが大ちゃん、『協力』も強い『力』だね。」
「え、あ、うん……」
大妖精は苦笑いしつつ、さらに力を入れた。
それを見たチルノも負けじと踏ん張って、氷を張り続ける。
「もう二度と、大ちゃんには負けないからね。ライバルだもん。」
「ライバルか、うん、そうだね。」
大妖精は、ふっとため息をついた。
「チルノちゃんはこんなに強い力を持ってる。
私、大妖精だからって本当に偉そうにしてたかもしれないね。力なんて、みんな持ってるんだ。」
「おお! そしたら、ひとりぼっちじゃなくて、みんなぼっちになれるじゃん!」
「え、あ、うん……」
またも苦笑する大妖精を見て、チルノも笑顔で続けた。
「とにかくライバルだから、これからよろしくね、大ちゃん! さあ、一気に吹き飛ばすよ!」
「うん、よろしくチルノちゃん! せーので力込めるよ!」
「せーのっ!」
アイスバリアは煌き輝く力を乗せて、白い湖に広がった。
少し経って、大妖精はふと目を開いた。
透明な氷越しに見える青い湖には、いつの間にか日差しが照りつけ、吹雪も大きな影も消えていた。跡形もなく。
そして、珍しく晴れ渡った湖の空の遥か彼方に、紅白の服を着た少女が見える。
「あれ、雪男やっといなくなったのかな? それにあの女の子は、ねぇチルノちゃ……」
「――大ちゃん!」
大妖精は振り向いた。
「あれれ?」
不意に、隣にいたはずのボロボロの妖精の姿がなくなっていた。
声だけが、どこかもっと遠くから聞こえる。
「――きて! ――だよ!」
「どこにいるの? 今行くよ!」
しかし、ここに来て体も動かない。力を使いすぎたのだろうか。
紅白の少女も氷の壁も湖も、もう見えない。
「チルノちゃん? どこ……?」
感じるのは、顔に注ぐ真っ白な夏の日差しだけだった。
「――ちゃん、大ちゃん! しっかりして! 目を覚まして!」
「……う、ん?」
何度となく聞いた台詞。何度となく持ち上げた重いまぶた。
しかし、そこに広がるのは、もう真っ白い景色ではなかった。
「おー、起きた起きた!
珍しいね、大ちゃんが寝坊だなんて。」
大妖精は、きょとんとして目をこする。
自分の家。自分の寝床。変わらない、いつもの夏の朝の風景。
「遊びに来てみたら、うんうん言いながら寝てんだもん。
全然起きそうにないからさ、作っといたよ朝ごはん。ほら、甘ーい玉子焼き。」
台所では、これまたいつもの忙しないチルノが、忙しなく動いている。
一方、大妖精はボーッとしたまま動けない。
「何さ大ちゃん、ボーッとしちゃって。あ、もしかして悪い夢でも見た?
面白そうだから後で聞かせてよ。」
夢。
彼女はそのキーワードを頼りに、寝起きのぼさぼさ頭を振り絞って考えた。
(確か昨晩は、夏なのに何だか寒くて寝付けなくて。)
そう思い返した途端、くしゅん、と飛び出すくしゃみ。
「ありゃ、大ちゃん風邪ひいた? 昨日あたいがボコボコに勝っちゃったせいかな。」
相変わらず微妙に冷え込む部屋の台所から、チルノは心配そうな顔を大妖精に向ける。
その手元では、焼きあがった玉子焼きを切る包丁が所在なさげに浮いている。
「だ、だいじょぶだよ、ぐずっ。それよりチルノちゃん、包丁危ないから。」
「おお、あぶない。」
言われて、チルノは今にも指の上に落としそうだった包丁を持ち直し、調理を続けた。
大妖精はその姿を見てため息をつきつつ、先程まで見ていたはずの光景に思いを馳せた。
(夢、だったのかな。弱いチルノちゃん、か。あまり覚えていないけど、昔のことだったのかな。
昨日は私、確かにいつも通りチルノちゃんと遊んで、負けてたし。
でも……、こんなとぼけた姿を見たら、チルノちゃんが弱くてもおかしくないよね。)
改めて、彼女はチルノの姿を見つめる。
覚束ない動きでお湯を沸かしているチルノ。暑い夏に、氷の妖精が火を扱っている。
「あ、チルノちゃんもしかしてそれ、私に?」
「うん。風邪気味でしょ? あったかいもの大事だよ。
ま、あたいには風邪なんて関係ないけど! 何せ氷の妖精だからね!」
そう言いながら、だらだらと汗をかくチルノ。
「だ、だいじょぶだからさ。チルノちゃん無理しないで。」
氷の妖精だけに汗をかくと融けてしまいそうで、大妖精はその度心配になる。
しかし、それでもチルノは必死な顔で火を焚き続けた。
「……訂正。チルノちゃんはやっぱり強い。あの頃から、そうだった。」
「ん? なんか言った、大ちゃん?」
その強さに気付かなかった頃から、ずっと助けられてきた。
既に記憶はあいまいでも、それだけは彼女にとって確かなことだった。
だから彼女は、その友と共に飛び続ける。幻想郷の空を。
いつか自分がまた、彼女の力になれるように。
「ううん、何でもない。チルノちゃん、おはよう!」
「ん、おはよう大ちゃん!」
最初から仲がよいのではなくだんだんと気持ちが通じ合っていく過程が丁寧に描かれていて、
とてもほほえましい気持ちになりました。
これは霊夢らしき少女がいるということは…紅魔郷あるいは妖々夢の頃のお話でしょうか?
まさか、だいだらぼっち?
私の読解力では時系列を確信を持っては読み取りきれませんでしたが、なかなか想像力をかき立てられるお話でした。
筆主様の次回作も期待しています!
いい話なんだけどな。
フリーレスで