人間たちは冬がそれほど好きではない、と聞いたことがある。
私は妖精で、人間たちの住処にはそもそも近寄れないから、定かではないけれど。
冬の風情――雪や氷には魅せられるが、寒いのは頂けない、といったところだろうか。
でもそれは所詮人間たちの都合であって、私たちには何にも関係がないこと。
妖精たちが、舞っている。
しんしんと雪の降る中、大きな湖の湖畔で。
「冬ねえ」
冬ですね。
「寒いわねえ」
寒いですね。
「だがそれがいい、ってところかしら」
ですね。
妖精たちと雪合戦に興じている氷精の姿を眺めつつ、言葉を返す。
私と話している彼女は、レティ・ホワイトロック。
冬の妖怪で、文字通り冬を司る少女。
そして私たち湖の妖精たちにとっては、例えるなら母のような存在だ。
母親というのがどういう存在なのか、私たちはよく知らないけれど。
「あれ、いつだったかしら? なかなか春が来なかった時の」
え、ああ、春雪異変でしたっけ?
「あ、それそれ。あの時はずーっと冬だったからうんざりしてたけど、いざ冬の終わりが見えるようになるっていうのもなかなかに寂しいものね」
冬の妖怪の貴女がそれを言いますか。
私は呆れたように肩を竦め、僅かに口元を緩めてレティさんを見やる。
「冬の妖怪が春が嫌いとは限らないじゃない。ま、夏は勘弁してほしいけど」
そんなものですか?
「ええ、そんなものよ」
レティさんは私の傍に腰を下ろし、湖ではしゃいでいる氷精に視線を移した。
私たち妖精は、自然から生まれる極めて弱い存在でしかない。
言葉も持たず、同種間でのテレパスで意思疎通を図る。
力は人間のそれに大きく劣り、頭脳もお粗末、とてつもなく短絡的。
でもごく稀に、妖精の中でもかなり力を持った妖精が生まれることがある。
普通の妖精に比べて頭もよく、魔力も普通の妖精の比ではない。
人間に悪戯を仕掛けるどころか、己の能力で殺傷することすら可能。
そして、彼女たちはやたらと自らの名前を誇示したがる。
私たちを始めとする、ただの妖精に名前という概念はない。
彼女たち……枠組みから抜け出た妖精たちと、私たち普通の妖精との違い。
それがただの妖精に個の概念が存在しないからなのか、ただ単に私たちが名前の概念を理解しきれていないからなのか、私には良くわからないけれど。
「冬も、もう終わるわねえ」
ですね。
「あーあ、いっそのことずっと冬だったらよかったのに」
さっき言ってたことと矛盾してますケド。
「そうじゃないわ、四季があるから冬しかないことを残念に思うのよ」
春も夏も秋もなくて、冬だけだったら?
「そうそう。それなら、あの娘を悲しませずに済むのだけれど」
そう言ってため息をつき、レティさんは湖上の氷精から視線をそらした。
その暗い表情に秘められた感情。
私がその本当の意味を理解することは、きっとできない。
憂い、不安、期待……いろいろな感情が入り混じった不可解な色。
でも理解できなかったとしても、僅かに感じることはできる。
レティさんは私たちのお母さんを演じているから。
一人だけ過ぎた力を持て余す氷精を放っておけないから。
何より貴女は、優しいから。
「春が来たらまた、あの娘は一人になるわ」
なら貴女が眠りにつかなければいいのに。
「あら、手厳しいのね。一介の妖精のくせに」
何も貴女だけが仲間を心配してるわけじゃありませんから。
レティさんはその言葉に満足げに微笑み、じっと私の瞳を覗き込む。
「それもそう……あなたは、優しいから」
でも名無しです、私は。
「……ふぅん」
それっきり、私たちの間に言葉が途切れた。
辺りに響く氷精の元気な声と、それに合わせて舞い踊る妖精たちの姿。
氷の破片が空に散り、蜘蛛の子を散らすように逃げていく妖精たち。
それを追いたてる氷精。
どうやら鬼ごっこが開始されたようだ。
「おーいレティ! 見ててよ、全員捕まえるからー!」
ぶんぶんと手を振って、氷精は鋭い氷の羽をはばたかせて妖精たちを追い始める。
レティさんは、そんな彼女に微笑みを浮かべ、小さく手を振って答えてみせた。
そして、辺りに再びの静寂が満ちる。
静まり返った水面を叩き壊したのは、やはりレティさんの声だった。
「……でもね、私がずっといたら……あの娘のためにならないわ、きっと」
何故?
私はその答えに驚き、思わず問い返す。
「あの娘は強くなる。やがては妖精の域から飛び出してくるでしょうね。つまりは脇役から主役へ……あの娘にはそういう才能がある。だから、私に頼ってちゃ駄目なの」
レティさんは自分自身に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
何だ、貴女も寂しいんじゃないですか。
「……そうよ、悪い? 言っとくけどね、この湖の妖精たちはみんな私の家族だと思ってるわよ。何しろ私の故郷の住人たちなんですから」
故郷……冬?
「そう、冬。人間たちが寒さにやられて家に引きこもる時、私の世界」
大きく出ましたね。
「それはそうよ。だって私は冬の妖怪ですもの」
春を心待ちにしている冬の妖怪って言うのもおかしなものですけど。
「ふふ、違いないわ」
レティさんは微笑み、そしてゆっくりと立ち上がる。
心なしかその表情は眠たげで、私の心にさっと影が差す。
春が近付いているのだ。容赦なく、着々と。
氷精の天敵、春を呼ぶ妖精リリー・ホワイトが現れるのも近いだろう。
「じゃあね、あなたと話せてよかったわ」
また次の冬、ですか。
「こら、あなたみたいなかわいい女の子がそんな怖い顔するものじゃあないわ」
誰のせいだと思ってるんです?
「むぅ……あ、じゃあこうしましょう。ちょっと頭を貸しなさい」
はい?
テレパスで私が問いかけるよりも早く、レティさんが私の頭をむんずと捕まえる。
そしてそのまま、柔らかな感触が私の顔に押し付けられた。
まるで愛する赤子にそうするように、レティさんの胸に抱かれている。
そう気付くまで、幾分かの時間を要した。
混乱の余り停止する思考。顔に熱が集まり、無意識の内に朱に染まる。
髪を撫ぜる彼女の手が、やけに心地よく感じられる。
そうして、どのくらいたっただろう。
五秒、十秒、もしかしたらそれよりももっと長く。
温かくて気持ちの良い感覚に抱かれ、私は蕩けたまま彼女にしがみついていた。
やがてゆっくりと私の意識が引き戻される。
そして。
「レ、レティ……さん?」
聞いたことの無い透き通った少女の声が、私の鼓膜を打っていた。
「あ、え?」
レティさんの身体から顔を引きはがし、辺りをきょろきょろと見回して見る。
だが誰もいない。あの氷精も、仲間の妖精たちも。
いるのは私と、レティさん、だけ。
「声。お気に召したかしら? 名無しの大妖精」
つい数秒前と同じように言葉を伝えようとすると、口元から見知らぬ少女の声がする。
妖精のテレパスが発動しない。
じゃあこれは、私の声?
「ど、どうして……?」
「んー、なんとなくかな。あなたならあの娘を任せられるかと思って」
レティさんは私の頭を優しく撫で、私の瞳を覗き込む。
「あなたは今この瞬間を以て大妖精。これならあの娘と同等……いえ、あなたは頭がいいから、それ以上かも。私たちの家族をよろしく頼むわよ?」
そうしてレティさんは外見相応に悪戯っぽく笑い、私の鼻先をつんとつついた。
「寝ている間に、あなたの名前を考えておくわ。次の冬を楽しみにしていなさい」
気がついた時には、レティさんの身体はもう半分も実体を保っていなかった。
冬の終わり。
次の冬が来るまで、彼女はどこかで眠りにつくのだろう。
「ひゃ……は、はい!」
私は慣れない声をなんとか駆使して、彼女の言葉に返事をする。
「いい子……。それじゃあ、またね――。
デクレシェンドのかけられた声が、ゆっくりと虚空に響き渡っていく。
彼女がいた場所の白い霧は、暖かく柔らかな春の風にさらわれ、消えた。
私はじっと空を見つめ、その先に白い春の妖精の姿を見る。
冬が終わり、また春が来る。
春が過ぎれば夏になり、夏が終われば秋が来る。
そしてまた、私たちの冬が訪れる。
「まったく、あの母あってあの娘あり、です」
私はため息をつき、未だに遊びまわっている氷精に声をかけるべく歩き出す。
また来年、私に名前をつけてもらおう。
そのためにも私はレティさんの期待にこたえなくちゃいけない。
でも急ぐことはないだろう。
時間はまだたくさんあるのだから。
大ちゃん、で慣れ親しまれてるのを知ったレティは、1年後、あえて名前をつけなかった。的なノリで今に至る……?あくまでこの作品内ですが。しかも勝手な想像。
とてもいい話でした。
大ちゃん好きには嬉しいです。
これからもがんばってください!