起きあがった少女がまずしたことは、欠伸だった。
紅白の衣装に身を包み、年の頃は10歳くらいだろうか。
少女は辺りを見渡し、不思議そうに首を傾げる。
自分は山にいたはずなのだが、ここは人家の一室のようだった。
隅には今まで横になっていたベッド、本棚にはぎっちりと本が詰め込まれ、溢れた分は床に積み上げられていた。
少女はぼんやりとした頭でここはどこか考える。
「お目覚めですか」
声の方を見ると一人の少女がベッドの傍の椅子に座っていた。
どうやら家主らしい。
「だれよあんた」
「射命丸文です。以後お見知り置きを」
「ふぅん」
「さて、あなたの状況を説明せねばなりません」
そう前置きし、文はしゃべり始める。
「あなたは無防備にも妖怪の山で、あろうことか昼寝をしていた。脆弱な人間にも関わらず。私は烏天狗、ひいては妖怪としてあなたに人外の恐怖を教育してあげようと思ったんですよ。奴隷同然の扱いをし、その身を持って……って何寝ようとしてるんですか!」
「んー? だってあんたの話長いんだもん」
布団に潜り込み眠る体勢に入っていた少女は不満そうに言う。
「ああもうこれだから子どもは……。いいですか! 妖怪の縄張りで昼寝なんてすると食べられても文句は言えないんですよ!」
「私を食べようとする奴なんていないわよ」
「妖怪はいなくても獣はいるんですよ!」
「そうなの?」
「そうですよ! 狼だっているんですから危険ですよ!」
真剣な表情で叫ぶ文に少女は率直な疑問をぶつける。
「あんた、私をさらって何がしたいの?」
「え、いや、えっと……そう! 愚かな人間に妖怪の恐怖というものを教えてやろうと」
「嘘ついてるでしょ。何となくそんな気がする」
「ぬぐぐぐ……」
図星だった。
文が少女をさらった理由は、知り合いの引きこもり天狗に「えっ、文って天狗のくせに人攫いもできないの? うわだっさ」と馬鹿にされた故の勢い任せの行動で、妖怪の恐怖云々は全くの出任せだった。
妖怪や獣に襲われる心配は本心からだったが。
「と、とにかく! 天狗の恐ろしさを教えてあげます!」
「弾幕ごっこってこと? はじめからそう言えばいいのに」
「ええい、うるさい! いいから勝負です!」
◇
「結構面白かったわ。天狗ってすごいのね」
「そ、そうですか……」
笑顔で汗を拭う少女の言葉は文には届かない。
天狗が人間の子どもに負けた。
その事実が文のプライドをズタズタに引き裂く。
いやだって弾当たらないとかチートだろ。なにあの量、あんなの避けれるとか人間じゃないよ。あ、私は人間じゃないのに避けれなかった……。
「……えと、大丈夫? 変なところに当たった?」
しかも相手を心配する余裕まであるときた。
私っていったい……。
沈んだ目で少女を見る。心配そうに文を見る彼女はどう見てもただの人間のはず。
確かに、この若さで空を飛べることやお札を扱えること。そして、対峙して一番厄介だった未来予知に近い勘の良さ。
これらは一般人とはとても思えないが。退魔師の家系なのだろうか。
そこではたと気がつく。少女の名前をまだ聞いていなかった。
「あなたの名前はなんですか?」
「博麗霊夢よ」
「へぇ、博麗……」
そんな退魔の家系はあったかなと思考を巡らし――固まる。一致する情報はあった。
しかし認めたくない。認めるといろいろ危ない。主に自分の身が。
「あの……博麗って……神社に住んでたりしますか……?」
ただの同姓であってくれ。
文の願いも虚しく、霊夢は驚いたように答える。
「よく知ってるわね。やっぱり有名なのかしら」
「結界の管理もしたり……」
「うん。まだよくわからないけど」
「妖怪の賢者とも知り合いだったり……」
「紫のこと? あいつってそんなに偉いの?」
神社に住んでいて結界の管理をしている。妖怪の賢者をあいつ呼ばわり。
確定した。彼女は間違いなく博麗の巫女だ。
「は、ははっ……」
乾いた笑いしかでてこなかった。
妖怪の間に絶対遵守として存在するルール。
『博麗の巫女を襲ってはならない』
幻想郷の存続に関わる彼女を誘拐なんてした自分の運命は……。
知らなかったなんて言い逃れはできない。間違いなく制裁を受ける。天狗一人と幻想郷なんて秤に乗せることもできない。
何とかしなければ……何とか。
「どうかした? なんか具合悪そうだけど」
限界まで顔色を悪くした文に霊夢は心配そうに声をかける。必死に解決策を巡らす当人には聞こえなかったようだが。
何か使えそうなものはないか部屋を見渡し、時計に気がつく。
「まだ2時間しか経ってない……!」
これなら道に迷って休んでいた、で誤魔化せる。あとは口裏を合わせれば……!
「霊夢! あなたは山で迷ってしばらく休んでいた! そういうことにしてください!」
「なんで?」
「私の危険が危ないんですよ! お願いします!」
「へぇ、面白そうな話ですわね」
その声は文でも霊夢でもない第三者の声。
「あ、紫」
文は油の切れたゼンマイのように後ろを振り向く。
静かな微笑を讃えた金髪の女性――八雲紫。
微笑んではいるが、目は全く笑っていないその視線に睨まれ、一歩も動けない。
「こんなところにいたのね、霊夢。修行はどうしたの?」
「休憩よ」
「ああそう……。ま、それはともかく。天狗さん」
「は、はい!」
膝は立っていられるのが不思議なくらい震えていた。
これが八雲紫。妖怪の賢者としての風格。
「博麗の巫女を拐かした汝の行いは許されざる」
「紫、『かどわかす』ってどういう意味?」
張りつめた空気を壊す幼い声。
紫はため息をつき、応える。
「攫ったってことよ。話は後で聞くから」
「だったら違うわ。私は攫われたわけじゃないもの」
「……どういう意味かしら」
「山を散歩して疲れたから昼寝していたの。そしたら、文がここまでつれてきたの。妖怪や獣がいて危ないからって」
「……それは本当かしら?」
紫は疑わしそうな視線を文に向ける。
そう言われても、文本人が一番困惑していた。
確かに妖怪や獣に襲われる心配をしていたのは事実ではあるが、彼女の安全のための行動ではない。
さっきの発言を真に受けたわけではないだろうし、庇ってくれただろうか。
霊夢は文を守るように割って入り紫を睨みつける。自分と千は年の離れた子どもに守られている状況は情けないが、それよりも不思議な安堵感の方が強かった。
理屈や理論を抜きにして、彼女なら大丈夫だと思えた。
「……はぁ、わかったわよ。あなたは霊夢を保護していた、そういうことにしとくわ」
やれやれだ、とばかりに二度ため息をつく。
同時に文も安堵の息をついた。
「じゃあ、帰るわよ霊夢」
「やだ」
「……あのね、あんまりわがまま言わないでくださらない?」
「だって神社に帰っても一人でつまらないんだもん」
「先代はもっとしっかりしていたわ」
「私はお母さんみたいにはなりたくない」
一言。それだけで空気が凍り付いた。
静かな怒気を発する紫の、文ですら怯む鋭い視線を霊夢は平然と受け止める。
「あなたは自分の母親がどれだけ苦労したか知らないのかしら」
「知ってるわよ。だから、お母さんみたいにはなりたくない」
「辛い修行がいや? 親元を離れて一人で暮らすのがいや? 博麗の巫女になるのがいや?」
「お母さんは一生懸命頑張っていたのはわかるわよ。だけど、里の人はだれもお母さんの名前を知らなかった。みんな博麗の巫女としか見てなかった。私は『博麗霊夢』。『博麗の巫女』なんかじゃない」
だから、お母さんみたいにはなりたくない。
紫の目を見据えて、霊夢ははっきりと宣言した。
二人の視線がぶつかり合い――折れたのは紫だった。
「まったく……。頑固なところは母親似ね」
「そうなの?」
「ええ、大人びてかわいげのないところも」
「えっと……」
話の展開に置いてけぼりを食らった文は、二人の顔を交互に見る。
とりあえず、自身とこの部屋の安全は守られたようだった。
「天狗さん、名前は?」
「あ、はい。射命丸文です」
「そう、じゃあ射命丸さん。今日この子を泊めてくれないかしら」
「はっ?」
突拍子もないその言葉に文は間抜けな声を出す。
攫った相手に身を預けるとはどういうことか。
「これも一つの経験、ということで。霊夢もあなたのことが気に入ったみたいだから」
「はぁ……」
これはどうすべきか。
文と視線のあった霊夢は、感謝しろと言わんばかりに得意げな表情を作る。文は渋い顔しかできなかった。
自業自得の所行を助けられたのは事実なのだが、いまいち釈然としない。
「それじゃあ頼みましたわ」
「あっ、ちょっと!」
それだけ言って紫は了解も取らずスキマに引っ込んでしまった。
話の展開に取り残された文は誰もいなくなった虚空をぼんやり見つめ、スカートの裾を引かれ我に返る。
「文、晩ご飯はなに?」
「……オムライスですよ」
キラキラした目で尋ねる霊夢にため息をつき、文は応えた。
◇
「どうぞ召し上がれ」
「いただきます」
向かい合った霊夢はオムライスを前にして丁寧に手を合わせると、ケチャップに手を伸ばす。
大人っぽいなぁ、と文は改めて感じていた。取材先でたまにみかける子どもは、もっとうるさくて自己中心的なのだけど。
手が掛からないのはありがたいが少し寂しくもある。そう言う子どもも嫌いではなかったから。
「およ」
ケチャップで描かれた軌跡はこちらからではわかりづらいがたぶん『れいむ』のようだ。
なんだ、ちゃんと子どもらしいところもあるじゃないか。
「……なに、にやついてこっち見てるの?」
「いいえ、可愛いところもあるんだなと」
「むう、文ってロリコンなの?」
「違いますよ!」
全力で否定する。
そりゃあ湖の傍でよく見かける妖精とか、たまに里で見かける紅い髪の女性に連れられた銀髪の少女を可愛いと思ったりするけど、これはただの愛玩精神であって小さい子が特別に好きなわけじゃなくて。
「けど天狗は子ども攫うのが趣味なんでしょ?」
「今はそんなことしません!」
「したじゃない」
「うぐ……」
「私が庇わなかったらひどい目にあってと思うけど」
「まあ、そうなんですけど……。だけど、どうして庇ってくれたんですか?」
制裁される理由はあれど助けられる理由は無かったはずだ。
尋ねられた霊夢は少し考えるように天井を見て、言う。
「んー。遊んでくれたから、かな」
「遊んでって……弾幕ごっこのことですか」
子どもと大人の遊びにしてはずいぶん過激だったが、確かに最中の霊夢の表情は楽しげだった。
「うん。神社はあんまり人来ないから退屈なの」
「退屈、ですか」
「そうなのよ。お茶を飲むことくらいしかすることがなくて暇で退屈でつまらない。神社をあんまり留守にするなって紫はうるさいし」
年齢に似合わないうんざりした表情で言う。それもオムライスを食べた途端明るくなったが。文の頬もつい緩む。
「……やっぱり文ってロリコン?」
「違います」
それにしても。頬杖をかいた文は彼女の小さいからだを見てぼんやりと思う。
若いのに苦労してるなぁ。私の小さいときは……昔すぎて思い出せなかった。だけどまぁ、彼女とは違った苦労はした気がする。
「というか、私のこと呼び捨てなんですね」
「別にいいじゃない」
「『お姉ちゃん』って呼んでもいいんですよ」
「やだ。文は『文』で十分でしょ」
「そんな遠慮せずに」
「いーや!」
照れくさいのかそっぽを向いて断る霊夢に苦笑する。
人があまり来ない、と言っていたから他者との関わりあいの仕方がわからないのだろう。
人生の先輩として何かしてやりたいけれど、なにをしたらいいのやら。
そんな思考は自分でも意外だった。庇ってもらった恩はあるが、一晩面倒を見ることでチャラのつもりだったのだけど。
親近感を覚えたからかもしれない。『博麗の巫女』としてではなく『博麗霊夢』として見てもらいたい彼女。ただの烏天狗が嫌で新聞記者を目指した自分。
「あ、そうだ」
「なに?」
文のつぶやきに、夢中で食べ進めていた霊夢はスプーンを置く。
「私、新聞書いてるんですよ。退屈なら如何ですか?」
「新聞?」
「毎日というわけにはいきませんが、たまの暇つぶしくらいにはなると思いますよ」
彼女の退屈しのぎになって、彼女をより知ることができる提案。
「じゃあ、貰おうかな」
「ご契約ありがとうございます。丁度できあがったのがあるので、明日お届けしますよ」
「うん、楽しみにしてる」
口の端にケチャップを付けて笑う霊夢に、文も笑い返した。
◇
「幻想郷最速の新聞配達ですよー」
「……それはいいけど」
いつも通りに縁側でお茶を飲んでいた霊夢は呆れたように言う。
「寝癖ぐらい直したらどうなの?」
「あやや、仮眠からさめてすぐに来たものでして」
「それくらい直してから来なさいよ」
「はやく霊夢さんに読んで貰いたかったんですよ」
「ったく、口だけは達者ね」
新聞を受け取った霊夢は部屋の奥を指さし言う。
「私の部屋に櫛があるからとってきて。寝癖直してあげる」
「おおう、これはお宝発見のフラグですかね。私への想いを綴った手紙とか」
「しばくわよ」
素敵な笑顔でおっしゃる霊夢から逃げるように文は部屋に向かう。
「昔は純粋でいい子だったのに……。文お姉ちゃんって呼ばれたり……したことはなかったですね」
多少スレてはいるが本質は変わっていなかった。初対面から呼び捨てだったしマイペースだし。
「可愛いのはそのままなんですけどねー」
あと胸も。
そう思った刹那。思っただけである。口には出していない。
にもかかわらず、文の頬をお札が掠っていった。
「……勘の良さも相変わらずで」
機嫌がこれ以上悪くならないうちに見つけよう。
文は霊夢の部屋を見渡し、目当てのものを探す。
ああは言ったが、家捜しする勇気はさすがになかった。
「ああ、ここに……これは?」
櫛は文机の上に置いてあったのですぐに見つかった。それとは別に見つけたものは積み上げられたファイルだった。
探したわけじゃなくて目にはいるところにあったから見てもいいですね、と自分に言い訳してからファイルをめくっていく。
それに綴じられていたものは見覚えのある新聞だった。
「これって私の新聞……」
刊行ナンバーは途切れること無く順番に続き、紙面は丁寧に綴じられていた。
読んだ後はどうしてるんですかと訊くと、『焚き付けにしてる』なんて言ってたくせに、ちゃんと保存してくれたんだ。
「今でも楽しみにしててくれたんですね……」
初めて新聞を渡しとき、彼女は『ありがとう』と笑顔で言ってくれた。
楽しそうに輝いた目で写真を見つめ、わからない字があるたびに呼びつけて、その度に苦笑しながら隣で教えてやった。
届けるたびに喜んでくれるのが嬉しくて、もっと楽しめる新聞を目指して努力した。
無愛想に受け取るようになって寂しくなったけれど、それも照れ隠しだったんだ。
文は自然と笑みがこぼれていた。
大人びていてもやっぱり彼女は少女なのだ。どれだけスレてもその本質は変わらない。
「いつまで探してるのよって……」
戻ってこない文に痺れを切らした霊夢は部屋まで来て、彼女が手にしているものに気がつく。
そして、顔を青くして――一瞬で赤くなった。
「な、それは、べつにその、なんでもないん、だからって抱きつくな頭撫でるな! 離せロリコン天狗!」
「ロリコンでもいいですよーだ」
「開き直るな! いいから離しなさいよ!」
叫ぶ霊夢と意地でも離れようとしない文。
二人の関係は変わっても、互いの想いは変わらないようだった。
◇
夕食終了後のお茶の時間。
「ふわぁ……」
「もう眠くなりましたか?」
「まだ……」
そうは言っているが、欠伸はしているし眠たそうに目を擦っている。時折危なげに船をこいで、頭をぶつけそうになっていた。
「無理しないでいいんですよ。今日はもう寝ましょう」
「うみ……」
文は小柄な体を背負い、自室のベッドまで運ぶ。緩みきって弛緩した体に布団を掛けて頭を撫でてやった。
「んぅ……」
柔らかい黒髪を撫でてやると気持ちよさそうに目を細める。
すでに夢見心地の霊夢は呟くように、無意識に言葉を吐き出した。
「お姉ちゃん……」
「ん、なにか言いました?」
それで自分がなんと言ったのか気がついた霊夢は耳まで赤くして文に背を向ける。
「っ! な、何でもない!」
「何か聞こえた気がしたんですが、なんて言ったんです?」
「文のロリコン天狗って言ったのよ!」
「えー……だから違いますよ。……たぶん」
文は急にむくれた霊夢を怪訝に思いながら、彼女が寝付くまで髪を撫で続けた。
でも、あややなら許すw
天狗にとっては人攫いも仕事の内みたいだし~。
この文はたぶんロリコンではあってもペドフェリアでは無い、と勝手に解釈してます。
ノンケの私(強調)でさえ普段可愛げのない少女がふとした瞬間に甘えてくる仕草にはついニヤニヤしてしまいましたよ。
カワイイ霊夢をありがとう。
烏天狗的に卵料理はありなのか?
しかし、この2人いちゃつきすぎだろwww
仲のいい姉妹みたいですね。
ずっと新聞を保存してるとは…
霊夢さんは文お姉ちゃんが大好きですね本当に。
新聞をファイルしてるとか霊夢かわいいなあ。
霊夢も新聞をずっと取ってあるとは可愛いとこありますね。
文お姉ちゃんか…これは時代の風が吹いてきたな!
良いあやれいむ、ありがとうございます!
面白かったです。
それ以外はニヤニヤと面白かったです
大きい子と小さい子のコンビは良いですね。一方がロリコンでも。
貴方の長編も読んでみたいです
この二人は姉妹もよく似合いますな
大人びていてもやっぱり彼女は少女なのだ。どれだけスレてもその本質は変わらない
スレてはいけない。
スネるんだ
面白かったです。
いつまでも霊夢にとって文はお姉ちゃんであってほしいなぁ。