「暇ウサ」
この大きい屋敷に小さいあたしが一人、退屈な思いをして、長い廊下を歩いていた。
いつもなら師匠に与えられた仕事で里に行ったり薬草集めとかに行ったりするけど、今はそんな仕事も無い。
「兎どもも、外で遊んでいるしねぇ……」
仕事が無い今、あたしの仲間である他の兎たちは自由に行動をしている。いつもいつもインドアではしゃいでいるあいつらは、今日に限ってみんながみんな神社や里に遊びに行っていた。
あたしも行ってみようかな。
「でも……」
面倒くさい。
ここから妙に遠いし、なんにせよ暇つぶしでそこまで行くような気力は持ち合わせていない。
そうだ。
「姫様と遊ぶかねぇ」
姫様の部屋の襖を開けると、そこには布団に長い黒髪の、あたしと背丈はほとんど変わらない、だけどあたしより断然偉い少女がそこに寝ていた。
「姫様ー」
呼びかける、返事はない。
「姫様ー?」
顔を覗き込んで、再度呼びかける。姫様は涎を垂らして枕を抱きしめてスースーと寝息をたてていた。本当にこいつがあたしより偉いのか?
「ひーめーさーまー」
今度はその体を揺らして呼んでみた。「ん、んうぅ……」と歯切れの悪そうな声を上げて、姫様の寝顔は少し強張った。
「起きないねぇ」
あたしは息を思い切り吸い込んだ。
スー……
「ひいぃぃめえぇぇさあぁぁまあぁぁ!!」
ダメだ。まったく反応が無い。本当にこいつ姫かよ。
「おい、起きろ、ニート、ねぼすけ」
ぺしっぺしっ、とその頬を叩く。「むにゅうぅ……」と可愛らしい反応をしているが、全然起きないその眠り姫はまったく可愛く思えない。
「お~き~ろ~」
頬をつねってみた。起きない。
目を開かせてみた。キモイ。
髪を引っ張ってみた。あたしと同じ黒髪なのに、こいつの髪のほうが綺麗で整っている。妬ましい。
結果、まったく起きない。
「ったく……」
そろそろ最終兵器を出す時が来たようだ。隣の部屋から「アレ」を持ってきて、それを思い切り振りかざした。
「ふふふ……蓬莱人なら死んでも大丈夫だよね……」
自分でも不気味だと思えるくらい黒い笑みを浮かべているあたしの手にあるのは、そう、兎の最終兵器。
キネだった。
「あっはっは! 死ねぇぇぇ!」
それを満面の笑みで姫に振り下ろした。
それは超ド級ストライク。顔面ぐちゃぐちゃ脳みそドロドロ。もうあの美しい姫だとは想像も付かないくらいに、残酷な死に方をする。
はずだった。
キネを振りかざしたときに、いや、振りかざす前に気づくべきだった。
あの永琳がそう簡単に姫を危険な目に遭わせるわけがない、と。
「む~、むにゃむにゃ
騒々しいわね、せっかく寝てるんだから静かにしてよ
誰も居ないところで言っても何も始まらないか
ん、何してるの、てゐ
……まぁいいや、おやすみ」
気づけばあたしは満身創痍。全身ボロボロの、まるでギャグマンガで薬の調合に失敗して爆発したハカセのような姿になっていた。最終兵器のキネはポッキリ折れてしまっている。
それに比べ、この眠り姫はまぁだ寝ている。傷ひとつ付かずに。高密度の弾幕はあたしだけを狙って飛んできた。その結果がこれだ。
あたしはふらりとその部屋を出た。するとそこに待ち構えていたのは……
師匠だ……
「輝夜が危険な目に遭ってるらしいから来てみたら……てゐ、あなた何やってるの?」
「……何も」
師匠と目は合わせない。どんな顔をしているか、大体は想像つくからだ。
「はぁ、本当にここの兎たちは何するか分からないわね。ウドンゲ以外は」
ウドンゲ以外……なぜだろう、その言葉が妙に心に引っかかった。
まぁ、暇は潰せたっちゃあ潰せたけど……代償が結構大きかった。
「そ、そうだ、師匠、何か仕事はない?」
この際なんでもいい。師匠の機嫌を取ると同時に暇も潰せれば、まさに一石二鳥だ。
「何、急に。珍しいわね。自分から仕事を買って出るなんて」
「いやぁ、たまにはそんな気分になることもあるって」
あたしは頭を掻きながら言った。普段は与えられた仕事もまともにやらないようなあたしだけど、わざわざ自分から買って出るなんて、誰が考えても不自然なことだろう。
「そうね、じゃあついてきて」
「は、はーい」
長い廊下をとことんついていく。着いたのは、様々な薬が置いてある薬品庫だった。
「じゃあそこに鞄があるわよね、そこに私が言った薬品や道具を探して詰めてくれないかしら」
「りょうかーい」
ずいぶんと簡単な仕事だ。師匠は口々に、様々な薬品や道具の名前を言った。風邪薬、聴診器、包帯、傷薬……それらを探しているのは、まるでゲーム感覚で少し楽しかった。
「じゃあこれで最後、『ウドンゲの調合した薬』」
あたしの手が止まった。
また、師匠の口から発せられたのは「ウドンゲ」だった。鈴仙のこと。なんでだろう。どうしてその名前? 言葉? が引っかかるんだろう。別に大したことじゃないはずなのに。
ゆっくりとその名前のラベルが貼られている薬に手を伸ばし、鞄に詰め込んだ。
「はい、ありがとね」
「……」
「さてと……うぇ、意外と重いわね……」
「……」
「じゃあ、私は里に行ってくるから、留守番よろしくね」
「……」
師匠はそう言って、永遠亭を出て行った。
「って、え!?」
ちょ、留守番って、結局暇になるじゃない!
「し、師匠ー!」
「留守番よろしくねー」
笑顔で手を振る師匠に悪意はないはずだ。だが、あたしにとっては結局また暇になるっていうことだ。
事情っていうのは……残酷だ……
「暇ウサァー」
またさっきとおんなじこと言ってる。つまんない。
そしてさっきと同じように廊下を歩いているが、今度はさっきとは違う光景を目にした。
姫様が起きてる!
これは暇つぶしのチャンス!
「姫様ー!」
「どうしたの、てゐ」
「暇ですよね? お暇ですよね!」
「確かに暇だけど……なに?」
未だに眠気が残っているのか、目をごしごしさせながら姫は言った。
「じゃあ、あたしが何かお相手しますよ! 碁でも棋でも双六でも!」
「えー、嫌よ。あんたとやったって面白くないもの」
グサリ。
「べ、別にいいじゃないですか。他にすることもないんでしょう? ね? ね?」
「……」
姫は目を瞑った。そのまま立ったまま寝てしまいそうな感じで。
「鈴仙のイナバなら、少しは面白くなるはずなんだけどね。あはは」
そう言って、あたしの横をすり抜けてった。
また……鈴仙……
どうしてそんな、みんなみんな、鈴仙ばっかり……
そんなに鈴仙がいいの? あたしより鈴仙? 鈴仙はそんなに信用されてるの?
あたしが鈴仙に抱いたのは、紛れもない劣等感。
あたしは師匠の仕事を投げ出して、迷いの竹林へと走りだした。
おかしい。
ここはあたしの庭みたいなもの。
なのに、いくら走っても、続く竹林。
あたしは迷っていた。この竹林で。
走っても走っても出口が見えない。普通なら、ここに迷い込んだ人間をあたしが出口まで導くぐらいなのに、今のあたしはその迷路で文字通り迷っていた。
ぽつん、ぽつん。
落ちてくる水滴。竹の露なんかじゃない。雨が振る予兆だ。
あたしは歩調を緩めて、歩くようにした。
やがてぱらぱらと雨が降り始め、あたしの体を濡らしていく。黒い髪、白い耳、桃色のワンピース、そして肌。
あたしの歩みはやがて止まり、そこで動くのは降り続ける雨と風に吹かれ揺れる竹のみになった。
雨は容赦なく強くなっていく。ザー、ザーと音を立てて降る雨は、今のあたしの嗚咽さえもかき消す。
そう、あたしは泣いていたのだ。
なんでもかんでも「鈴仙」「鈴仙」「鈴仙」。
鈴仙ばっかり頼りにされて、あたしはろくに相手してもらえない。
寂しかった。
兎は寂しいと死ぬという。だけどあたしは半分兎で半分妖怪。実際に寂しくて死ぬこともない。だが、その兎の性質なのだろう。寂しさはどんな感情よりも強かった。
同じ兎なのに、鈴仙ばかり相手にされて、あたしは妬いていたのだ。
そして、寂しかった。
何度でも言おう。寂しかった。そして今でも寂しい。一人で竹林に迷い込み、一人で泣いているのだから。
だが、独りという哀愁を感じられるのも、束の間だったようだ。
「あれ? てゐ……こんなところでどうしたの?」
独りすすり泣くあたしの前に現れたのは……傘を差した鈴仙だった。
「……びしょ濡れじゃない。傘も差さないで、何やってるのよ」
鈴仙が一歩踏み出す。が、あたしはそれを静止した。
「近寄らないで!」
「え……」
鈴仙の動きが止まる。だが、手は差し伸ばされたままだった。
ザー、ザーと雨の降る音だけがあたしたち二人の間に響く。その音が無ければ、あたしはきっとこの場所を逃げ出していたに違いない。
先に口を開いたのはあたしだった。
「どこに行ってたの?」
鈴仙ははっとして答える。
「え、ええと、里に行ってたの。師匠が来たから私は帰っていいって言われて……」
まただ。師匠は鈴仙ばっかり頼りにする。そんな仕事、あたしはそんな話聞いていないのに、鈴仙だけが仕事を任されていた。
そんなことにも、劣等感。
「どうして鈴仙ばっかり! あたしだって同じ兎なのに!」
「は? ああー、うん……日頃の行い、じゃないかな?」
こんな状況でそんなジョークが通じると思っているのだろうか。あたしは本気で言ってるのに。
「……寂しいよ、あたしだって……師匠にも姫様にも相手してもらえないんだから」
「それは違うよ、てゐ」
「どうして?」
「師匠はね、あんたが他の兎たちと自由に遊んで、イタズラして、仕事は大体投げ出して、それに呆れてるのは事実だけど、まだあんたの前で笑っていられるもの」
「笑っているから何? 笑いにだっていろんな種類があるけど。蔑みの笑い、愛想笑い、苦笑い、どれも同じ『笑顔』じゃないんだよ?」
「そうかな? 確かにいろんな種類があるけど、人は寂しかったら笑えないと思う。あんたが居る、それだけで、人は笑えるの。寂しい思いをしなくてすむのよ」
「じゃあ……なんであたしは寂しいの」
「それはあんたの考え次第じゃないかな。もっと前向きに考えなよ。こうやって私と話していることで、寂しさを紛らわせることができるでしょ?」
「……」
あたしは何も反論できなかった。確かに、鈴仙と話していることで寂しさを忘れていた。完全にずぶ濡れになったあたしの冷たい体が、何か熱を取り戻しているように思えた。
「師匠、言ってたわ。『てゐが手伝ってくれれば幾分か楽しい』って。一人でやるよりはマシだってことじゃないかな。あんたも楽しそうにしてたって、言ってたもの」
「じゃあ……姫様は」
「さぁ? 姫様はもともと、師匠ばかりに頼る人だから。私たちなんて別に眼中にも無いんじゃない?」
「……」
「てゐ、あんたは、あんたが思っているよりも、みんなに慕われているのよ。他の兎たちにだって、師匠にだって、そしてもちろん、私にだって」
「鈴仙……」
また、泣きそうになった。鈴仙が素直に、あたしに告白してくれた、今のあたしの寂しさを紛らわすには、十分な言葉だった。
「ほら、あんたもいつまでも雨に打たれてないで、こっちに来なさい。風邪こじらせるわよ」
鈴仙が笑顔で手を差し伸ばしている。その笑顔はどんな笑顔なのか。今のあたしには、「一緒に帰ろう」、そんな笑顔に見えた。
あたしはゆっくりと歩いて、傘の中に入る。そして、口を開いた。
「……相合傘ね。鈴仙とだなんて、なんか変な感じね」
「もっと素直になりなさいよ」
「正直な気持ちだって」
「あはは、あんたらしい。いつものてゐでよかった」
鈴仙はあたしの手に手を重ねてきた。あたしは少し驚いて、身を引いてしまう。
「冷たい……帰ったらまずお風呂ね」
「鈴仙と?」
「嫌?」
「別に」
鈴仙とお風呂……正直、こんな展開、想像つかなかった。
あたしたちは手を繋いで歩き出す。帰る途中、こんな会話をした。
「あれ? てゐ、目が赤いわね。泣いてたの?」
「っ! べ、別に、あたし兎だから!」
「ふふっ……」
鈴仙は笑ったかと思うと、あたしの頭の上にふわりと何かを被せてきた。
それは、鈴仙のハンカチ。
「拭いたら? 可愛い髪がぺっちゃんこになってるわよ?」
反則。反則だ、これは。
あたしは泣いた。嗚咽を上げて泣いた。そして言った。
「……ありがと」
「素直ね」
鈴仙の繋ぐ手が、少し強くなった。
「鈴仙なんて……
いつか絶対に、寂しい思いさせてやるんだから」
「……そうね。てゐだけっていうのも不公平だしね」
あたしがイタズラの予告をしたにも関わらず、鈴仙は笑っていた。
その笑顔は、見ていてあたしも笑顔になりそうな笑顔だった。
二人なら、寂しい思いなんてしない。
あたしより年下のくせに、今日は一本取られたわね。
ほのぼの感が良いです。
さすがにジェネリック版は短すぎですよw
てゐは永遠亭に欠かせない存在であると再確認した。
でも冷静に考えると結構良いポジションに居ると思うんだよね~。
むしろ鈴仙にはこれからも姫様の我儘や師匠の実験やてゐの悪戯に耐えて頑張って欲しいw
その試みには成功しているようですが
個人的に真面目に面白いSSを書こうと努力している作者さん達に
失礼なんじゃないかなあという点が少し気になるので
点数にはその成功分の上乗せはせずにおきます。
一人称とかウサとかが特に