古明地こいしは、いつもの様に無意識下で地底をふらついていた。
目的などは当然なくて、ただ気まぐれに散歩を楽しんでいる。
地上へ出てしまう事も多々あるが、今回はまだ地底にいるようだ。
「…あれ?地底にこんな場所、あったっけ」
不意に意識を取り戻して辺りを見渡してみると、その景色は今までこいしが見た事のないものだった。
それ位はよくある事なのだが、普通とは違う場所だと言うのを感覚で感じ取る。
「燃えてた跡がある…灼熱地獄が溢れてたのかな?」
地面では未だに炎が燻っていたが、既にほとんど消えかかっていた。
少し前までは一面炎の海が広がっていただろうその場所は、既にその面影もほとんどない。
そんな中で、中央にある神殿の様な建物の周りだけ未だに燃え続けている。
「あの建物はなんだろ?」
建物が気になったこいしは、ふらふらと建物へ向かって歩いていく。
だが、建物に入ろうとした瞬間、目の前に巨大な円が出現し、語りかけてきた。
「…貴女は覚ですね。この場所に何の用です?」
「ふえ?あなた、誰?」
こいしの前に現れた何かは、月のように丸い部分から女性の上半身が生えるように存在していた。
問い掛けられた事を聞いていたのかいないのか、答える事無くこいしが尋ね返す。
「……私はキクリ。ここ、炎の腐界に住まう者です」
聞いているのかいないのか、こいしは不思議そうにキクリの姿を見ている。
色んな妖怪を見た事があっても、キクリのような姿の妖怪は初めてだったからだ。
「私はこいしだよ、古明地こいし。よろしくねっ」
元気よく自己紹介をすると、キクリの周りを回って興味深そうに眺める。
キクリはどう対応すれば良いのか分からず、戸惑いながらこいしの動きを眼で追っていた。
「…こほん。改めてお聞きしますが、この場所に何の用ですか?」
先程の問いかけに答えていない事を思い出すと、改めてこいしに尋ね直す。
「えーっと…どんな用があったら面白いかなぁ…うーん」
立ち止まって考え込んでいる姿を見て、キクリはあきれていた。
まさか、何の用もなくこんな場所まで来るとは思っていなかったからである。
「特に用はない、と…でしたら、早く去った方が宜しいですよ。こんな場所にいても、何もありませんから…」
早く帰るように促すが帰る素振りは見せず、それどころか更に興味を持ったようだった。
「あるわよ、ほら、燃えてた跡。ここも灼熱地獄と関係あるんでしょ?」
馴染み深い灼熱地獄と関係があると思っているこいしが、期待の眼差しを向ける。
しかし炎の腐界がそうであるかどうかは、キクリも詳しく知らなかった。
「…私からは何とも言えませんが…確かにここも、以前は灼熱地獄の様に燃え盛っていました」
その頃の事を思い出しながら、キクリが語り始める。
それをこいしは、興味深そうに聞いていた。
炎の腐界はほんの数年ほど前までは、灼熱地獄に負けないくらいの規模だった。
しかしある時、地上からやってきた巫女にキクリは敗北し、そのまま封印されてしまう。
その封印が少し前に突然解かれて今に至るが、封印されている間に炎はすっかり燃え尽きていたのだ。
「そっかー…大変だったんだねぇ」
黙って聞いていたこいしは、納得したように頷いていた。
「…このまま何もしなければ、ここも消滅してしまうでしょう」
物憂げにキクリが言うと、こいしは何とか助ける方法はないかと思案する。
そこでふと、つい最近ペットに起こった出来事を思い出す。
あの子の力を使えばきっと、ここも元の姿を取り戻す事ができるだろう。
「それなら、いい方法があるわ!私に任せて!」
その言葉に驚きながら、自信満々な様子のこいしを見る。
サトリの少女妖怪が、ここを元に戻す方法を持っているとは信じ難かったからだ。
「…良い方法…ですか?」
「そう、ここの火力を一気に戻しちゃう方法よ」
疑り深そうに尋ね返すキクリに、よほど自信があるのか力強く答える。
この様子なら、本当に何とかできるかも知れない…そう思ったが、一つ疑問があった。
「方法があるのは分かりました。…けれど、どうして貴方がここまで…?」
ついさっき出会ったばかりの妖怪相手に、こうまで協力的な理由が分からなかったのだ。
こんな事を聞くと機嫌を損ねてしまうかも知れないと思ったが、それでも聞かずにはいられなかった。
「どうしてって…だって、ここは元々燃えてたんでしょ?それを見てみたいの!」
元気よく答えるこいしの様子は、嘘をついているようには見えなかった。
実際、本人も単なる好奇心から元に戻したいと思っただけであり、丁度いいペットもいたからだ。
「…そうですか…分かりました。それでは、お願いして宜しいでしょうか」
キクリにとっても、ここがかっての姿を取り戻すのなら願ってもない申し出だった。
特に悪意もないようなので、ここは素直にお願いしておく事にした。
「うん!それじゃ、呼んでくるから、ここで待っててね」
ようやく許可が下りて嬉しそうに頷くと、早速地霊殿へと足を向ける。
無意識の内に辿り着いた場所だが、帰り道は分かっていた。
「はい、お気をつけて…」
心なしかキクリも嬉しそうに、こいしを見送るのだった。
地霊殿に帰ってくると、早速姉のさとりを探して部屋を目指す。
姉のペットである為、勝手に連れ出すと後で怒られるからだ。
「お姉ちゃん、ただいまー!」
部屋の扉を勢いよく開けながら、笑顔で姉に呼びかける。
読書をしていたさとりは、突然大声で声を掛けられて少し驚きながら返事を返した。
「…おかえり、こいし。扉は静かに開けなさいって、いつも言ってるでしょう」
本にしおりを挟みながら、急に入ってきたこいしを軽く叱っておく。
「あぅー、ごめんなさーい」
叱られて思い出したのか、反省した様子で謝る。
しかしすぐに気を取り直すと、こいしが話を切り出した。
「あ、それでね、お姉ちゃん。お空連れてってもいい?」
用件だけを言うが、当然それに二つ返事で答えられる訳もなく、さとりが尋ね返す。
「…空を…?どうして、急に?」
少し前に起きた間欠泉騒ぎもあって、さとりもお空の事を気に掛ける様になっていた。
強大な力を持ってしまった彼女を、こいし一人に任せるのはとても不安だ。
「あのね、炎の腐界を復興させるの。キクリって子がいてね、凄く困ってるみたいだったから…」
「炎の腐界?キクリ?……とりあえず、説明してくれる?」
急に単語だけを出されても何の事か分からず、ひとまず説明を求める。
何か悪い事をする訳ではないので、先程の出来事をありのまま、さとりに説明した。
「なるほど、そんな事があったのね…理由はよく分かったわ」
説明を聞いて事情を理解したさとりは、少しの間考え込んだ。
「じゃあ、お空を連れてっても良いの?」
その姿を見ていたこいしは、早く答えが欲しくてさとりを急かした。
待たせすぎるのもよくないと思ったからだ。
「…そうね、連れて行っても構わないわよ。ただし、条件が一つあるけど…」
「条件?」
「そう、条件。私も同行させてもらうわ、心配だからね」
さすがに妹とお空の二人だけで外を出歩かせるのは、さとりにとって不安だった。
それにキクリという妖怪も何者なのか分からず、信用できるのか見極める必要がある。
「じゃあ、お姉ちゃんも一緒に来てくれるの?やったー!」
そんな思惑があるとは知る由もないこいしは、久々に姉と出かけられる事を喜んでいた。
中庭から通じる灼熱地獄の最深部で、空はいつものように仕事をしていた。
「よーし、今日も火力はいい感じ!ここで更に火力を上げて…」
既にかなりの火力で燃え盛っている灼熱地獄を更に燃え上がらせようと、空が力を使おうとする。
「お空、これ以上はダメだって!」
一緒にいた燐が、慌てて空を止めに入った。
これ以上火力を上げると、また面倒な事になるのが分かりきっていたからだ。
「離してお燐、私の火力なら大丈夫よ!」
「大丈夫な訳あるかーっ!」
本気で大丈夫だと思っている空を何とか止めようと、必死で押さえつける。
しかし体格差などもあって、抜け出されるのは時間の問題だろう。
「…何をしているの、空?」
灼熱地獄へとやって来たさとりが、空に声を掛ける。
その声と背後に感じる気配から、静かに怒っている事が分かった。
「うにゅっ!?さ、さとり様!?」
「こ、これは違うんです、ほらその、ちょっとした冗談と言うか」
突然の事に驚きながら、空が身を縮こまらせて燐の後ろに隠れる。
燐も空に何かあっては困るため、慌てて言い訳をしていた。
「……はぁ、まったく。今回の所は見逃してあげるわ…」
心を読めるさとりは大体の状況を把握していたが、未遂に終わったので見逃しておく。
「ほっ…ところでさとり様、どうかしたんですか?」
「おやつの時間ですか?」
不問で済んで安堵した二人は、何故さとりがここにいるのかを尋ねる。
こいしも一緒なのだが、意図的に隠れて二人を驚かせようとしていた。
「違うわ、ちょっと空に用事があってね…一緒に来てくれるかしら」
「来てくれるよねー?」
さとりが言うのと同時に、こいしが空の後ろから声を掛ける。
『うわぁっ!?』
突然のこいしの登場で、二人揃って驚いていた。
まさか一緒にいるとは思っておらず、気配も感じなかったからだ。
「わーい、大成功~♪」
「こら、こいし、話が進まないでしょう…」
嬉しそうにしているこいしに呆れながら、さとりが言った。
「えーと、それで、お空を連れて行くんでしたっけ?あたいも行っていいですか?」
「お出かけなら皆で行く方が楽しいもんね」
二人とも気を取り直すと、先ほど尋ねられた事に答えた。
主人であるさとり様に呼ばれたのだから、断る理由はないので当然の答えである。
燐も、お空の事が気になったので同行を申し出ていた。
「えぇ、構わないわ…こいしも、それで良いわね?」
「もちろんいいよー。皆でお出かけだね」
さとりが了承してこいしに尋ねると、こいしも機嫌良さそうに頷く。
「それで、どこ行くんですか?」
「炎の腐界、と呼ばれる場所らしいわ」
行き先が気になった空に、さとりが答える。
場所を知っているのはこいしだけであり、燐と空も聞いた事はないようだった。
「聞いたことない場所ですねぇ」
「まぁ、行けば分かるよ。さ、行こう行こう」
疑問に思っている三人を他所に、こいしは早く行こうと促してくる。
「…そうね、とりあえず行ってみましょうか」
「はーい」
「大丈夫かなぁ」
行ってみない事には分からないので、心配ながらも一先ず出発するのだった。
こいしの案内で、さとり達は炎の腐界へとやってきた。
「ここが炎の腐界…確かに、燃えていた跡があるわね」
さとりが地面の様子を確認すると、道中で聞かされていた通りの状態となっていた。
燐と空も、きょろきょろと辺りを見渡している。
「こっちだよ、お姉ちゃん」
さとりの手を引いて、キクリがいる神殿のような建物へと連れて行く。
燐と空はまだ珍しそうに辺りを眺めていた。
「おーい、戻ってきたよー」
建物に着くと、こいしが大声で呼びかける。
それを聞いて奥の方から、キクリが現れた。
「来てくれたのですね…そちらの方が、貴方の言っていた…?」
こいしと一緒にいるさとりの姿を見て、キクリか尋ねる。
一方のさとりも、キクリの心理を読もうと第三の目を向けていた。
「違うよ、私のお姉ちゃん。私が言ってた子は、まだ外にいるよ」
そう言ってこいしは、外で見物している空を指差した。
「お姉さんでしたか…初めまして」
「初めまして。私がこの子の姉、古明地さとりです」
キクリに自己紹介をしながら、用心深く様子を伺う。
考えを読んで行くが、特に悪意があるようには感じられなかった。
「…どうかしましたか?」
「何でもありませんよ」
さとりの視線に気付いてキクリが尋ねるが、何でもない風を装う。
悪意も感じられなかったので、問題ないだろうと判断する。
「ねぇ、早くここを元通りにしようよー」
既に建物から出て空達と一緒にいるこいしが、さとり達を呼んだ。
「…そうね。では、行きましょうか」
特に警戒する必要もないと分かり、さとりも安心して建物から出る。
少し遅れて、キクリもついてきていた。
さとり達は、キクリがいた建物から炎の腐界を見渡していた。
「えっと、ここを灼熱地獄みたいにすればいいの?」
既に制御棒を出して準備万端と言った様子で上空にいる空が、改めて確認する。
「うん、そうだよー。思いっきりやっちゃってー」
上空にいる空に向かって、こいしがそう指示を出す。
それを聞いて、一気に最大火力まで充填を始める。
「あの力は一体…」
キクリは強大な力の流れを感じて、充填中の空を見上げた。
周囲の温度も少しずつ上がってきているが、元々熱さには耐性があるので特に影響はない。
「八咫烏、太陽に住まう神様の力なんだってさ。あたいにゃよく分かんないけど、まぁ地獄の太陽ってトコかな」
一緒に見上げていた燐が、簡単に解説する。
そもそもの力の持ち主がアレなので、説明をされてもよく分からなかったのだ。
「地獄の太陽…そう、遂に地底にも太陽が……」
地獄の太陽と聞かされて、キクリが感慨深そうに言った。
かつて地獄の月と呼ばれていたキクリにとって、その対となる太陽の存在が現れた事は嬉しい事のようだ。
「地獄に太陽と月が揃えば、地底も今以上に住み良い場所となるかも知れないわね」
そう言いながら、さとりがこいし達を中へと連れ戻す。
そろそろ充填が終わり、空が力を解放するからだ。
「エネルギー充填、100%!行くよー…そぉ、れぇっ!!」
溜め込んだエネルギーを一気に放出し、空がいる場所から周囲に炎の波紋が広がっていく。
そして一気に炎の腐界の端まで到達すると、一斉に地面が炎上した。
衝撃で建物には少しヒビが入っていたが、古い割には頑丈に出来ていたようで倒壊はせずに済んだようだ。
「す、凄い…あっという間に…」
キクリは信じられない、と言った様子で周囲を見渡していた。
神の力の強大さを目の当たりにすれば、当然の反応ともいえる。
「わー、本当に灼熱地獄にそっくり…よく燃えてるねー」
燃え盛っている大地を見渡して嬉しそうに、こいしが言った。
さとりと燐も建物から出て辺りを見渡し、改めて空の力の強大さと危険性を感じていた。
「ふー、疲れたー」
一気に力を放出した空が、疲れたようにぱたぱたと羽ばたきながらさとりの元へと戻ってくる。
これだけの力を解放すれば無理もない事で、燐が慌てて空を支えてやった。
「お疲れ様、空。よく出来たわね」
さとりが空を褒めてやりながら、頭を撫でてやる。
空は少し照れながら、褒められて嬉しそうにしているのだった。
かっての姿を取り戻した炎の腐界は、勢いよく燃え続けていた。
維持するだけならキクリにも可能らしく、力を取り戻したキクリは嬉しそうだ。
「本当に、ありがとうございました…これでここも安心でしょう」
燃え盛る炎の腐界の景色を眺めているこいし達に、キクリが礼を言った。
キクリの放つ光と炎が合わさり、鮮やかな景色が広がっている。
「うん、どういたしまして。元に戻って良かったね」
こいしも嬉しそうに笑いながら答えた。
「そういえば、貴方の放つ魔力…月の魔力と近いものを感じるわね」
力を取り戻したキクリの光に、さとりは地上の月に似た魔力を感じていた。
本物の月に比べれば圧倒的に弱いが、これもキクリが地獄の月と呼ばれている所以なのだろう。
「うにゅ?じゃあ、ライバルだね!」
「いや、それはライバルって言わないから」
月という単語に反応して空が言うと、すかさず燐が突っ込みを入れる。
息の合った二人の様子を見て、くすくすと笑っていた。
「これでも、地獄の月ですからね。共に地底を照らす光として、頑張りましょう」
「負けないよ、私だって核融合の力があるんだから!」
微笑みながら言うと、空も元気よく答える。
放っておいたら、そのまま弾幕ごっこでも始めそうな勢いだった。
「外では無闇に力を使わないように、と言ったわよね?忘れたのかしら」
さとりがなだめると空も大人しくなり、羽根を閉じて制御棒をしまう。
一応、空は元気になったようなので、そろそろ帰る事にした。
「それじゃ、空も十分休めたようだし、そろそろ帰りましょうか」
『はーい』
「あら、そうですか…またいつでも遊びに来てくださいね」
さとりに従って元気よく三人が返事をすると、キクリが微笑みながら言った。
「うん、また来るからね!」
こいしが笑顔で答えると、キクリも釣られて笑顔になる。
新しい友達が出来て、こいしはとても嬉しそうだった。
「えぇ、その時はちゃんと、もてなせるようにしておきます。それでは、皆さんお気をつけて…」
「ありがと、またねー!」
四人は建物を後にすると、キクリに見送られながら帰路へとつく。
この日以来、地底には新たに月も出るようになった。
月と太陽が揃った事により、旧都を始めとした各地の環境も格段に良くなり、地底世界は更に繁栄して行くのだった。
目的などは当然なくて、ただ気まぐれに散歩を楽しんでいる。
地上へ出てしまう事も多々あるが、今回はまだ地底にいるようだ。
「…あれ?地底にこんな場所、あったっけ」
不意に意識を取り戻して辺りを見渡してみると、その景色は今までこいしが見た事のないものだった。
それ位はよくある事なのだが、普通とは違う場所だと言うのを感覚で感じ取る。
「燃えてた跡がある…灼熱地獄が溢れてたのかな?」
地面では未だに炎が燻っていたが、既にほとんど消えかかっていた。
少し前までは一面炎の海が広がっていただろうその場所は、既にその面影もほとんどない。
そんな中で、中央にある神殿の様な建物の周りだけ未だに燃え続けている。
「あの建物はなんだろ?」
建物が気になったこいしは、ふらふらと建物へ向かって歩いていく。
だが、建物に入ろうとした瞬間、目の前に巨大な円が出現し、語りかけてきた。
「…貴女は覚ですね。この場所に何の用です?」
「ふえ?あなた、誰?」
こいしの前に現れた何かは、月のように丸い部分から女性の上半身が生えるように存在していた。
問い掛けられた事を聞いていたのかいないのか、答える事無くこいしが尋ね返す。
「……私はキクリ。ここ、炎の腐界に住まう者です」
聞いているのかいないのか、こいしは不思議そうにキクリの姿を見ている。
色んな妖怪を見た事があっても、キクリのような姿の妖怪は初めてだったからだ。
「私はこいしだよ、古明地こいし。よろしくねっ」
元気よく自己紹介をすると、キクリの周りを回って興味深そうに眺める。
キクリはどう対応すれば良いのか分からず、戸惑いながらこいしの動きを眼で追っていた。
「…こほん。改めてお聞きしますが、この場所に何の用ですか?」
先程の問いかけに答えていない事を思い出すと、改めてこいしに尋ね直す。
「えーっと…どんな用があったら面白いかなぁ…うーん」
立ち止まって考え込んでいる姿を見て、キクリはあきれていた。
まさか、何の用もなくこんな場所まで来るとは思っていなかったからである。
「特に用はない、と…でしたら、早く去った方が宜しいですよ。こんな場所にいても、何もありませんから…」
早く帰るように促すが帰る素振りは見せず、それどころか更に興味を持ったようだった。
「あるわよ、ほら、燃えてた跡。ここも灼熱地獄と関係あるんでしょ?」
馴染み深い灼熱地獄と関係があると思っているこいしが、期待の眼差しを向ける。
しかし炎の腐界がそうであるかどうかは、キクリも詳しく知らなかった。
「…私からは何とも言えませんが…確かにここも、以前は灼熱地獄の様に燃え盛っていました」
その頃の事を思い出しながら、キクリが語り始める。
それをこいしは、興味深そうに聞いていた。
炎の腐界はほんの数年ほど前までは、灼熱地獄に負けないくらいの規模だった。
しかしある時、地上からやってきた巫女にキクリは敗北し、そのまま封印されてしまう。
その封印が少し前に突然解かれて今に至るが、封印されている間に炎はすっかり燃え尽きていたのだ。
「そっかー…大変だったんだねぇ」
黙って聞いていたこいしは、納得したように頷いていた。
「…このまま何もしなければ、ここも消滅してしまうでしょう」
物憂げにキクリが言うと、こいしは何とか助ける方法はないかと思案する。
そこでふと、つい最近ペットに起こった出来事を思い出す。
あの子の力を使えばきっと、ここも元の姿を取り戻す事ができるだろう。
「それなら、いい方法があるわ!私に任せて!」
その言葉に驚きながら、自信満々な様子のこいしを見る。
サトリの少女妖怪が、ここを元に戻す方法を持っているとは信じ難かったからだ。
「…良い方法…ですか?」
「そう、ここの火力を一気に戻しちゃう方法よ」
疑り深そうに尋ね返すキクリに、よほど自信があるのか力強く答える。
この様子なら、本当に何とかできるかも知れない…そう思ったが、一つ疑問があった。
「方法があるのは分かりました。…けれど、どうして貴方がここまで…?」
ついさっき出会ったばかりの妖怪相手に、こうまで協力的な理由が分からなかったのだ。
こんな事を聞くと機嫌を損ねてしまうかも知れないと思ったが、それでも聞かずにはいられなかった。
「どうしてって…だって、ここは元々燃えてたんでしょ?それを見てみたいの!」
元気よく答えるこいしの様子は、嘘をついているようには見えなかった。
実際、本人も単なる好奇心から元に戻したいと思っただけであり、丁度いいペットもいたからだ。
「…そうですか…分かりました。それでは、お願いして宜しいでしょうか」
キクリにとっても、ここがかっての姿を取り戻すのなら願ってもない申し出だった。
特に悪意もないようなので、ここは素直にお願いしておく事にした。
「うん!それじゃ、呼んでくるから、ここで待っててね」
ようやく許可が下りて嬉しそうに頷くと、早速地霊殿へと足を向ける。
無意識の内に辿り着いた場所だが、帰り道は分かっていた。
「はい、お気をつけて…」
心なしかキクリも嬉しそうに、こいしを見送るのだった。
地霊殿に帰ってくると、早速姉のさとりを探して部屋を目指す。
姉のペットである為、勝手に連れ出すと後で怒られるからだ。
「お姉ちゃん、ただいまー!」
部屋の扉を勢いよく開けながら、笑顔で姉に呼びかける。
読書をしていたさとりは、突然大声で声を掛けられて少し驚きながら返事を返した。
「…おかえり、こいし。扉は静かに開けなさいって、いつも言ってるでしょう」
本にしおりを挟みながら、急に入ってきたこいしを軽く叱っておく。
「あぅー、ごめんなさーい」
叱られて思い出したのか、反省した様子で謝る。
しかしすぐに気を取り直すと、こいしが話を切り出した。
「あ、それでね、お姉ちゃん。お空連れてってもいい?」
用件だけを言うが、当然それに二つ返事で答えられる訳もなく、さとりが尋ね返す。
「…空を…?どうして、急に?」
少し前に起きた間欠泉騒ぎもあって、さとりもお空の事を気に掛ける様になっていた。
強大な力を持ってしまった彼女を、こいし一人に任せるのはとても不安だ。
「あのね、炎の腐界を復興させるの。キクリって子がいてね、凄く困ってるみたいだったから…」
「炎の腐界?キクリ?……とりあえず、説明してくれる?」
急に単語だけを出されても何の事か分からず、ひとまず説明を求める。
何か悪い事をする訳ではないので、先程の出来事をありのまま、さとりに説明した。
「なるほど、そんな事があったのね…理由はよく分かったわ」
説明を聞いて事情を理解したさとりは、少しの間考え込んだ。
「じゃあ、お空を連れてっても良いの?」
その姿を見ていたこいしは、早く答えが欲しくてさとりを急かした。
待たせすぎるのもよくないと思ったからだ。
「…そうね、連れて行っても構わないわよ。ただし、条件が一つあるけど…」
「条件?」
「そう、条件。私も同行させてもらうわ、心配だからね」
さすがに妹とお空の二人だけで外を出歩かせるのは、さとりにとって不安だった。
それにキクリという妖怪も何者なのか分からず、信用できるのか見極める必要がある。
「じゃあ、お姉ちゃんも一緒に来てくれるの?やったー!」
そんな思惑があるとは知る由もないこいしは、久々に姉と出かけられる事を喜んでいた。
中庭から通じる灼熱地獄の最深部で、空はいつものように仕事をしていた。
「よーし、今日も火力はいい感じ!ここで更に火力を上げて…」
既にかなりの火力で燃え盛っている灼熱地獄を更に燃え上がらせようと、空が力を使おうとする。
「お空、これ以上はダメだって!」
一緒にいた燐が、慌てて空を止めに入った。
これ以上火力を上げると、また面倒な事になるのが分かりきっていたからだ。
「離してお燐、私の火力なら大丈夫よ!」
「大丈夫な訳あるかーっ!」
本気で大丈夫だと思っている空を何とか止めようと、必死で押さえつける。
しかし体格差などもあって、抜け出されるのは時間の問題だろう。
「…何をしているの、空?」
灼熱地獄へとやって来たさとりが、空に声を掛ける。
その声と背後に感じる気配から、静かに怒っている事が分かった。
「うにゅっ!?さ、さとり様!?」
「こ、これは違うんです、ほらその、ちょっとした冗談と言うか」
突然の事に驚きながら、空が身を縮こまらせて燐の後ろに隠れる。
燐も空に何かあっては困るため、慌てて言い訳をしていた。
「……はぁ、まったく。今回の所は見逃してあげるわ…」
心を読めるさとりは大体の状況を把握していたが、未遂に終わったので見逃しておく。
「ほっ…ところでさとり様、どうかしたんですか?」
「おやつの時間ですか?」
不問で済んで安堵した二人は、何故さとりがここにいるのかを尋ねる。
こいしも一緒なのだが、意図的に隠れて二人を驚かせようとしていた。
「違うわ、ちょっと空に用事があってね…一緒に来てくれるかしら」
「来てくれるよねー?」
さとりが言うのと同時に、こいしが空の後ろから声を掛ける。
『うわぁっ!?』
突然のこいしの登場で、二人揃って驚いていた。
まさか一緒にいるとは思っておらず、気配も感じなかったからだ。
「わーい、大成功~♪」
「こら、こいし、話が進まないでしょう…」
嬉しそうにしているこいしに呆れながら、さとりが言った。
「えーと、それで、お空を連れて行くんでしたっけ?あたいも行っていいですか?」
「お出かけなら皆で行く方が楽しいもんね」
二人とも気を取り直すと、先ほど尋ねられた事に答えた。
主人であるさとり様に呼ばれたのだから、断る理由はないので当然の答えである。
燐も、お空の事が気になったので同行を申し出ていた。
「えぇ、構わないわ…こいしも、それで良いわね?」
「もちろんいいよー。皆でお出かけだね」
さとりが了承してこいしに尋ねると、こいしも機嫌良さそうに頷く。
「それで、どこ行くんですか?」
「炎の腐界、と呼ばれる場所らしいわ」
行き先が気になった空に、さとりが答える。
場所を知っているのはこいしだけであり、燐と空も聞いた事はないようだった。
「聞いたことない場所ですねぇ」
「まぁ、行けば分かるよ。さ、行こう行こう」
疑問に思っている三人を他所に、こいしは早く行こうと促してくる。
「…そうね、とりあえず行ってみましょうか」
「はーい」
「大丈夫かなぁ」
行ってみない事には分からないので、心配ながらも一先ず出発するのだった。
こいしの案内で、さとり達は炎の腐界へとやってきた。
「ここが炎の腐界…確かに、燃えていた跡があるわね」
さとりが地面の様子を確認すると、道中で聞かされていた通りの状態となっていた。
燐と空も、きょろきょろと辺りを見渡している。
「こっちだよ、お姉ちゃん」
さとりの手を引いて、キクリがいる神殿のような建物へと連れて行く。
燐と空はまだ珍しそうに辺りを眺めていた。
「おーい、戻ってきたよー」
建物に着くと、こいしが大声で呼びかける。
それを聞いて奥の方から、キクリが現れた。
「来てくれたのですね…そちらの方が、貴方の言っていた…?」
こいしと一緒にいるさとりの姿を見て、キクリか尋ねる。
一方のさとりも、キクリの心理を読もうと第三の目を向けていた。
「違うよ、私のお姉ちゃん。私が言ってた子は、まだ外にいるよ」
そう言ってこいしは、外で見物している空を指差した。
「お姉さんでしたか…初めまして」
「初めまして。私がこの子の姉、古明地さとりです」
キクリに自己紹介をしながら、用心深く様子を伺う。
考えを読んで行くが、特に悪意があるようには感じられなかった。
「…どうかしましたか?」
「何でもありませんよ」
さとりの視線に気付いてキクリが尋ねるが、何でもない風を装う。
悪意も感じられなかったので、問題ないだろうと判断する。
「ねぇ、早くここを元通りにしようよー」
既に建物から出て空達と一緒にいるこいしが、さとり達を呼んだ。
「…そうね。では、行きましょうか」
特に警戒する必要もないと分かり、さとりも安心して建物から出る。
少し遅れて、キクリもついてきていた。
さとり達は、キクリがいた建物から炎の腐界を見渡していた。
「えっと、ここを灼熱地獄みたいにすればいいの?」
既に制御棒を出して準備万端と言った様子で上空にいる空が、改めて確認する。
「うん、そうだよー。思いっきりやっちゃってー」
上空にいる空に向かって、こいしがそう指示を出す。
それを聞いて、一気に最大火力まで充填を始める。
「あの力は一体…」
キクリは強大な力の流れを感じて、充填中の空を見上げた。
周囲の温度も少しずつ上がってきているが、元々熱さには耐性があるので特に影響はない。
「八咫烏、太陽に住まう神様の力なんだってさ。あたいにゃよく分かんないけど、まぁ地獄の太陽ってトコかな」
一緒に見上げていた燐が、簡単に解説する。
そもそもの力の持ち主がアレなので、説明をされてもよく分からなかったのだ。
「地獄の太陽…そう、遂に地底にも太陽が……」
地獄の太陽と聞かされて、キクリが感慨深そうに言った。
かつて地獄の月と呼ばれていたキクリにとって、その対となる太陽の存在が現れた事は嬉しい事のようだ。
「地獄に太陽と月が揃えば、地底も今以上に住み良い場所となるかも知れないわね」
そう言いながら、さとりがこいし達を中へと連れ戻す。
そろそろ充填が終わり、空が力を解放するからだ。
「エネルギー充填、100%!行くよー…そぉ、れぇっ!!」
溜め込んだエネルギーを一気に放出し、空がいる場所から周囲に炎の波紋が広がっていく。
そして一気に炎の腐界の端まで到達すると、一斉に地面が炎上した。
衝撃で建物には少しヒビが入っていたが、古い割には頑丈に出来ていたようで倒壊はせずに済んだようだ。
「す、凄い…あっという間に…」
キクリは信じられない、と言った様子で周囲を見渡していた。
神の力の強大さを目の当たりにすれば、当然の反応ともいえる。
「わー、本当に灼熱地獄にそっくり…よく燃えてるねー」
燃え盛っている大地を見渡して嬉しそうに、こいしが言った。
さとりと燐も建物から出て辺りを見渡し、改めて空の力の強大さと危険性を感じていた。
「ふー、疲れたー」
一気に力を放出した空が、疲れたようにぱたぱたと羽ばたきながらさとりの元へと戻ってくる。
これだけの力を解放すれば無理もない事で、燐が慌てて空を支えてやった。
「お疲れ様、空。よく出来たわね」
さとりが空を褒めてやりながら、頭を撫でてやる。
空は少し照れながら、褒められて嬉しそうにしているのだった。
かっての姿を取り戻した炎の腐界は、勢いよく燃え続けていた。
維持するだけならキクリにも可能らしく、力を取り戻したキクリは嬉しそうだ。
「本当に、ありがとうございました…これでここも安心でしょう」
燃え盛る炎の腐界の景色を眺めているこいし達に、キクリが礼を言った。
キクリの放つ光と炎が合わさり、鮮やかな景色が広がっている。
「うん、どういたしまして。元に戻って良かったね」
こいしも嬉しそうに笑いながら答えた。
「そういえば、貴方の放つ魔力…月の魔力と近いものを感じるわね」
力を取り戻したキクリの光に、さとりは地上の月に似た魔力を感じていた。
本物の月に比べれば圧倒的に弱いが、これもキクリが地獄の月と呼ばれている所以なのだろう。
「うにゅ?じゃあ、ライバルだね!」
「いや、それはライバルって言わないから」
月という単語に反応して空が言うと、すかさず燐が突っ込みを入れる。
息の合った二人の様子を見て、くすくすと笑っていた。
「これでも、地獄の月ですからね。共に地底を照らす光として、頑張りましょう」
「負けないよ、私だって核融合の力があるんだから!」
微笑みながら言うと、空も元気よく答える。
放っておいたら、そのまま弾幕ごっこでも始めそうな勢いだった。
「外では無闇に力を使わないように、と言ったわよね?忘れたのかしら」
さとりがなだめると空も大人しくなり、羽根を閉じて制御棒をしまう。
一応、空は元気になったようなので、そろそろ帰る事にした。
「それじゃ、空も十分休めたようだし、そろそろ帰りましょうか」
『はーい』
「あら、そうですか…またいつでも遊びに来てくださいね」
さとりに従って元気よく三人が返事をすると、キクリが微笑みながら言った。
「うん、また来るからね!」
こいしが笑顔で答えると、キクリも釣られて笑顔になる。
新しい友達が出来て、こいしはとても嬉しそうだった。
「えぇ、その時はちゃんと、もてなせるようにしておきます。それでは、皆さんお気をつけて…」
「ありがと、またねー!」
四人は建物を後にすると、キクリに見送られながら帰路へとつく。
この日以来、地底には新たに月も出るようになった。
月と太陽が揃った事により、旧都を始めとした各地の環境も格段に良くなり、地底世界は更に繁栄して行くのだった。
なかなかのお手前、「乙」なものとお見受けしました。
情報の少ない旧作キャラを違和感なく話にとけ込ませていますね~。
こいしちゃんに新しいともだちが出来たのも嬉しいです。
この世界観のお話がもっと読みたいです!
ご馳走様でした。
雰囲気も好みでした