俺設定命蓮寺+響子ちゃん!(+ぬえ)
幽谷響子は、命蓮寺に入門した後も、用意された自分の部屋で夜を明かそうとはしない。
入門当初は泊まったこともあったが、ほんの数日で断りを申し出た。
寝泊まり場所は、育った山の住処である渓谷の洞穴を相変わらず使い続けている。
しかしそこに限らず、人里に通じる獣道の木々の上、墓地に1つはある大きい墓石台の裏などに身を潜ませることもある。
暗闇と無音が当たり前の場所で、物音を響かせ、恐怖をあおる。
慌て驚き、腰を抜かして情けない格好で逃げ惑う人間や妖精を見て、笑い転げる。
妖怪らしく振る舞うに適した場所を、ふらふらと回っていた。
そんな響子のことを唯一心配したのが、命蓮寺の本尊、寅丸星だった。
妖怪だから問題無いじゃないと、他に気に留める者はいなかった。
ほら、ルーミアみたいに一見幼女だけど一人でたくましく生きている妖怪もいるでしょう、とお決まりの文句で返すと、あまりその点を心配してるわけではありません! と怒られ、拗ねられてしまう。
入門者により、精進に打ち込む意気はそれぞれ異なる。
熱心な信者は寺に住まい、より過酷な勤行に身を投じる。
そうでない者は、好きな時に来てもらい参拝や体験勤行を繰り返し、相性や適性の有無を確かめながら少しずつ馴染んでもらう。
実際は後者がほとんどで、寺に身を寄せて自らに苦行を課している者はほとんどいないのが現状である。
・ 生ける聖母にして命蓮寺の極楽浄土の体現者である聖白蓮、彼女の掲げる人妖皆平等を賛同したい(そしていつかその豊満なたれ乳に埋もれたい)
・ 毘沙門天代理にして文武と財運を司る命蓮寺の美男役、寅丸星のご加護に与りたい(そしていつかその甘い声で囁かれながら抱かれたい)
・ 聖輦船という飛行船としても名を馳せる命蓮寺の船長たるキャプテン、村紗水蜜の指揮に従いたい(そしていつかその華奢な体と一緒に水浸しになりたい)
・ 知的で清楚な命蓮寺屈指の大人の女性である雲居一輪、硬派で禁欲的な彼女の勤行を見守りたい(そしていつかその頭巾を脱がせてあげたい)
・ その雲居一輪が使役する入道にして時代遅れの古き良き頑固親父な雲山、無口で多くを語らず少女達を陰から見守る彼に付いて行きたい(そしていつか拳で語り合いたい)
・ 小さな体に似合わず寅丸星の信頼と補佐を一手に引き受けるナズーリン、彼女と小鼠達の東奔西走ぶりを応援したい(そしていつか「君は実に馬鹿だな」ではなく「君は実に……馬鹿だな……///」と言われるような立ち位置になりたい)
・ 何が何だかよく分からない封獣ぬえ、割と新参な彼女のカオティックでアンノウンでアンディファインドな魅力を解き明かしたい(そしていつか彼女の素性を丸裸にしたい)
お気楽で都合の良い煩悩全開の魂胆でこの寺に来る多数の後者組が、入れ替わり立ち替わり訪ねては交流を深めていく。
そのためこの寺は、何やかんやで毎日賑やかな様相なのだった。
閑話休題。
響子は、そんなありきたりな妖怪達とは違う。そう星は感じていた。
毎朝聖の起床に合わせて境内の掃除を始め、その後は日が沈みかける頃合まで、熱心な修行に励んでいる。
その所作はまだまだ拙く未熟だし、物覚えに秀でているわけでもない。
けれど、一心不乱に自らを精進しようとする意気に偽りは感じられない。
そんな響子が寺に住み込もうとしないのは、理由が何かあるはず、そう信じて疑わなかった。
心当たりがあるとすれば、響子が入門して間もなく泊まった数晩の日に何か原因があるはず。
何とか詳しく話を聞いてみなければ。
そう思いつつも叶わない日々がしばらく続いた。
幽谷響子にとって、命蓮寺は他の妖怪と触れ合い苦楽を共にすることが出来る場であり、生き甲斐と憩いを感じることが出来る場だった。
山彦の化身として生まれて長い間、ずっと他者の叫びを遠くから叫び返すだけの日々を過ごしてきた。
ずっと、独りで。
山の斜面に響き渡る声を叫び返すと、声の主は驚き混じりで喜び、さらに意気揚々と叫んでくれる。
それをまた叫び返す。
それがただ楽しかった。
それだけで、腹と気力が満ちた。
時には妖怪らしく、その能力を使い夜道で人間の恐怖心を煽ることもする。
偶然にも格上の人間や妖怪と出逢ってしまったら、全力で口を塞いでやり過ごす。
そんな彼女の実体を、わざわざ突き止めにやって来る乱暴者はほとんどいなかった。
大半の人や妖怪からは、遠くで面白がる童の戯れと思われ、近頃ではただの音の反響としか認識されない。
自身と似た無害に近いほんの一部の妖怪や妖精とだけ、たまにひっそりと語らうくらいのことはあった。
同じ相手と二度話すことはなかったけれど。
そんな気ままで気楽な生涯でいいと楽観的だったのも、ほんの少し前まで。
段々と、空しさと寂しさを持て余すようになった。
そんな時だった。
人間と妖怪が分け隔てなく立ち入ることが出来て、人妖を問わず持て囃されているという寺の存在を耳にしたのは。
仏門のことをよく知らない者が、お寺に持つ印象に大した差はない。
お坊さんが毎日早起きして、修行とか勉強とかをして過ごして、なんだかんだと難しいお経を唱えて、一日三回欠かさず鐘を鳴らす。 退屈なことの繰り返しをしている所だと。
大して気に留めなかった。
ところが、あまりにその寺の評判を聞く機会は多かった。
通り過ぎる人妖の三組に一組は、件の寺の話題に花を咲かせていた。
やれあそこの女性の僧侶に癒されるのが生き甲斐だの、本尊として奉っている毘沙門天の代理がえらく腕利きだの、あそこに身を寄せる者達は漏れなく可愛いだの、その程度のものに過ぎなかったけれど。
ここまで話題になっては、腰を上げないわけにいかない。
最初は、寺の近くの藪に何度も身を潜ませた。
飽きることなく通い詰めた結果、寺に身を寄せている者だけではなく、繰り返し入り浸るに留まる者まで、大体の顔と名前と性格を把握した。
別に厳しい修行とか勉強とかをしなくても入っていっていいんだ、そんな解釈もした。
ここでは毎日どんな出来事が起こるのだろう。
あり余る時間の使い道を迷っていた響子は、この寺に通うようになったらどれだけ楽しいだろうと、出来る限りの想像を巡らせて日々を過ごした。
特に、毘沙門天の代理という寅丸星。
彼女を見ると、胸の高鳴りが止まらなかった。
少なからず男という認識をされているが、響子の耳は誤魔化せなかった。
呼吸、歩行、何気ない仕草。一つ一つの振る舞いから発せられる音が、実はあの者は女性だと教えてくれた。
そしてなお、いや、だからこそ、星に対する響子の憧れと尊敬の念は尽きるところを知らなかった。
他者の視線と信仰を一身に受ける男性のような度量を持ちつつ、その所作は洗練された女性の持つしなやかさに溢れている。
幼い響子であっても、その完成度に格の違いを見抜き、見惚れ、見習いたいと思わせたのだった。
そしていよいよ、溜め続けた憧れと溢れる興味を満たそうと、その門を潜ろうとの決心をした。
しかし、すぐに不安と恐怖に駆られ、身を隠した。
今度は、その行動を何度繰り返しても進展しなかった。
開けた野、広がる空の下、眩しい日差し。
これまでの響子の境遇と比べたら、危険極まりない場所。 自らの身をさらけ出すことに耐性の無かった響子は、どうしてもあと一歩、門を潜ってその先へ向かうことが出来なかった。
何か、きっかけが欲しかった。
「ご主人、あそこだ」
不意の声に疑問を覚えた次の瞬間、響子は大きな腕に抱えあげられていた。
周りの気配に意識を向けることを、すっかり忘れていた。
まさか、こんな予期せぬ形で、初めて見た時からずっと、憧れと尊敬の目で見てきた毘沙門天様に近付くことが出来てしまうなんて。
目の前には、夢と現実と妄想で何度も見た毘沙門天の弟子が、自分を覗き込んでくる。
込み上げる緊張と羞恥に、小さく身を震わせることしか出来ない響子に、穏やかな声がかけられた。
「よろしければ、中で温かいお茶でもいかがですか? ほかほかになりますよ」
響子にとって、命蓮寺の居心地はとても良いものだった。
中に入り、出迎えてくれた皆は、とてもいい人達ばかりだった。
温かいもてなしに、温かい言葉。
もっとずっと、この幸せを感じ続けたい。
ここには、当たり前のように自身を認識し、接してくれる誰かがいる。
響子は、平和でありつつも刺激的な、そんな毎日を送ることを選んだ。
生まれ育った山に、少しだけ未練と愛着を残して、心の在り処を命蓮寺へと移した。
「こら、ぬえ! 今度は一ヶ月もどこほっつき歩いてたのよ!」
ある朝、響子が耳にしたことのない名前を叫ぶムラサの怒号が、命蓮寺の静かな境内に響いた。
木々の枝から烏が驚いて飛び出していく、なんてよくある表現の代わりに、ナズーリンの配下の小鼠が、ちょろちょろと身を潜めるのが聞こえる。
「あ、いや、ちょっと諸事情で」
「どうせ人様に迷惑掛けて追いかけられて、身を隠すしかない状況に追い込まれていたんでしょう?」
「うん、ま、そんなとこかな。さっすがムラサ!」
「茶化してないでさっさと朝ご飯食べてしまいなさい。今日から一週間は、皿洗いとお堂の掃除はあんただからね――って、あれ」
精々二、三週間だったが、熱心に寺へ通い詰め、所属している者を把握しきっている自負はあった。
そんな響子が、見たことのない顔だった。
ムラサのお叱りを適当に受け流したその黒い誰かは、静かにこちらへ飛んで来る。
「おお、おっかないおっかない。やっとこさ戻ってこれたと思ったらこれだよ。ほーんと、ムラサの粘着質な過保護は耐久スペルものってか。さすが舟幽霊――っと! ん、いたた」
音も無く飛ぶぬえに対して、速さを認識して適切に避けるという動作が上手く出来なかった響子。
ほぼ無防備のまま、後ろ向きで飛んでくるぬえ。
正面衝突は予定調和だった。
今日は朝からツイてないなとの愚痴は、互いにとりあえず後にした。
「お前……何?」
「あ、はい。はじめまして。先日このお寺に入門したばかりの、山彦の幽谷響子と言います。あなたも命蓮寺に入門してたんですか? ぬえさん、でしたっけ」
「ん、ま、一応だけど」
「これからよろしくお願いします」
ここまで馬鹿丁寧な挨拶をされては、邪険に扱うのも気が引ける。
立ち上がったぬえは、柄にもなく響子の手を握って起こしてあげた。
山彦ってもっと毛むくじゃらなおっさん臭いイメージがあったなぁと考えつつ、ぬえは埃を払った。
よく見ると、どこかで見たことあるような風貌を感じる。
こんなに背が小さくて、動物耳付けてて、オプション持ってて、突くと「いじめないで下さい」と涙目で言わんばかりの被虐属性溢れる顔立ち。
「んー、誰だっけ、はて」
「大丈夫ですよ」
「……は?」
「ムラサお姉さん、まったくこっちがどれだけ心配してるか分かってんのかしら。今日は久々に私が料理を振る舞うしかないじゃない、って言ってますから」
「え、何々? 何それどこ情報? 嘘じゃないよね?」
「いっ、今っムラサ姉さんが、そうっ言ってるのが聞こえただけ、っですけどっ」
「聞こえた、って……」
響子を激しく揺さぶり問い詰めるぬえの手が、ふと止まる。
気付くのに時間はかからなかった。
そう、聞こえるのだ。先ほど、響子と名乗ったこの子は、自らのことを山彦と称した。
山彦として必要なのは、叫ばれた声を叫び返せるほどの、桁外れの声量。
そしてもう一つ、叫ばれた声の内容を正確に把握するための、非常に優れた聴覚。
――これ、使えるんじゃね?
ぬえの頭の回転は、こんな時は最大出力である。
この子の能力が確かならば、完全無欠の悪戯し放題空間を、この命蓮寺に構築することが出来るのではないかと。
一ヶ月の間、平和に溺れてボケつつあるに違いないこの命蓮寺の奴等に、喝を入れる時が今なのではないかと。
一ヶ月前、守矢神社に忍び込んで好き勝手に物を漁り飲み食い散らかしていたところを早苗に見つかり、三日三晩に及ぶねちっこい説教と罰を地下室で味わった屈辱を晴らす時が今ではないかと。
その後、早苗に連れて行かれた古道具屋で、四週間ほど男店主のコスハラ(コスチュームプレイ・ハラスメント)に耐えながら返済金を稼いだ忌まわしきHW(緊縛週間)の憂さを晴らす時が今ではないかと。
ぬえの目の色が、真紫に染まった。
「いくつか、聞きたいんだけど」
「いくつか、ですか」
ぬえのただならぬ剣幕に、思わず素の、聞いたことをそのまま復唱するしゃべり方が出てしまう。
ぶりっこにもほどがあると自覚し、使わないようにはしているものの、追いつめられたり余裕がなかったりした時には、つい出てしまうのだった。
「――今、寅丸星の持つ宝塔は何処にある?」
「え、っと、星様の宝塔、は……ナズーリンさんが台所の戸棚の中にあるのをちょうど見つけたところ、です」
「上等。次」
「次、ですね」
「――聖の今日の気分は?」
「聖様の今日の気分? うー、多分ですけど、いい方だと思います。新調した下着着けてますし、今日はお通じの調子も良かったみたいだし、いつもより読経の調子も良さそうでした。鼻歌歌って歩いてます」
「――ナズーリンの子鼠の今日の配置図はどんな感じ?」
「今日は皆さんお休みなのか、いつもより少なめです」
「具体的に分かる? 何処に何匹ぐらいとか」
「具体的に……と、お堂の床下に300匹、炊事場に20匹、このお寺の各部屋の天井裏に10匹ずつ、星様の所だけ30匹はいるみたいです。あとは正面門付近の茂みに100匹、参道脇の物陰あちこちに50匹、裏の倉庫に20匹、それから……」
「――充分」
読み上げただけだった。いつも自分で聴き、感じ、判断していることを。それがどれだけ異能で、他の者にとってあり得ない感覚かということは、当の響子には分からないまま。
「お前……すっっっごいわ! 妖怪精密探知機じゃない! 嘘やその場限りの出任せじゃあそこまで細かく言えないよ! どこかの千里眼持ちを思い出しちゃった!」
「別にこのくらい、いつものことですけど」
興味がない、下らないと吐き捨てんばかりにノッてこない響子を置き去りにし、ぬえの衝動は高まるばかり。
生粋のトラブルメーカーであるぬえが、山彦という妖怪の性質を理解し、なお落ち着いていられるはずがない。
血が騒ぐ。
これは大事だと、ぬえの本能が囁く。
この子の能力があれば、悪戯の選択と、悪戯にかけるタイミングを適切に判断出来る。
そして、悪戯仕掛け人の本命にして肝となる、完全に逃げ遂せるということ。
この確率が非常に上がる。
早速ぬえの頭の中では。命蓮寺を舞台にした公演の混乱模様が描き出されていた。
大抵の物音を、漏らさず詳細に聴くことが出来る。
こんな能力を持ちながら、山彦以外の能力の使い道など、積極的に考えたことはなかった。
これまでの、自らを閉ざした生き方だったなら、それでよかっただろう。
山に響く叫び声を聞きとり、木霊で返す。
自分の周辺の物音を聞きとり、危険を察知する。
それだけの用途に過ぎない能力。
そんな自分の能力は、生い立ちもあり、育ちもあり、疎ましいと感じたことはこれまで一度も無かった。
大した情報も入らない野良暮らし。
何が聞こえたところで、動揺するほどのことなど、身の危険を察する時ぐらいしかなかった。
今の響子は、周りとの関わりの中で、この能力と折り合いを付ける段階だった。
関わる者が増えた今では、情報は雑多になり、質を問わず、無作為に耳に入ってしまう。
自分の処理判断能力を超えた量の情報に溺れてしまう。
それでもまだ、真昼の人里や神社、命蓮寺を眺めに行くくらいなら気にならなかった。
命蓮寺の中まで案内されると、行き交う人の足音、発生する生活音、他愛無い雑談に、今までになかった耳への負担を感じた。
少し騒がしいけど、人前に出る以上必要なことだと割り切った。
そんな響子が初めて自分の聴覚を恨んだのは、命蓮寺に泊まった初夜のこと。
敬愛する寅丸星の情事だけは、どうしても聞き流せなかった。
立場上、一部の熱烈な信者と、定期的に夜の営みを済ませなければならない事情があると聞いた。
戒律があるのはもちろんだが、それだけで断り切れない事情があるのだと言う。
響子自身、星に秘かな想いを寄せる一人だった。
ほぼ毎晩その流れを耳にしては、星と普通に接することなど出来るわけがない。
それが、響子が寺泊まりを拒む切実な理由だった。
聞くことを拒みたいと、自分の聴覚を憎らしいと思ったことは初めてだった。
耳を閉じても、どんなに強く押さえつけても、聴こえてしまう。
むしろ、耳を塞ぎ、目を閉じ、自らを追い込むにつれ、余計にひどくはっきりと、そのやりとりが聴こえてしまう。
衣擦れの音。
滴る水音。
漏れる声。
床が軋む音。
両者の荒い呼吸。
そして。
心地良さそうな寝息。
どれもが不快で、ひどく羨ましかった。
「響子ちゃん、だったよね。ちょっと私に協力してくれない? 色々と面白いこと、一緒にいかが?」
予想される惨事を思い描いただけですっかり意気揚々のぬえが、響子の肩を叩いた。
何となく、このぬえとやらに付き合った場合に、この先起こるであろうことの予想が頭に浮かび、思わず一歩後ずさる。
「それって、もしかして、良くないこと?」
「ま、良いか悪いかで言ったら良くはないことなんだけど。でもさ、妖怪たるもの、平和な日常に波乱を巻き起こして、日々の平和の有難みを痛感させるのも大切な役割だと思うわけよ」
「……そうは思えないんですけど」
「そんなに固く考えなくてもいいじゃん。ほんのちょっとのストレス解消さ。私の混乱を煽る数々の能力に加えて、響子のその能力があれば、色々と面白いことが出来ると思うんだけどなー」
よくもそんな都合のいい解釈が出来るものだと、逆に感心しそうになる。
少し、心が揺れる。
「名付けて、被弾音大感謝祭! inテーマパーク命蓮寺! お寺の皆と一緒に今までに溜めた残機をパーっと放出していただきましょうスペシャル! いつもなら1ピチュンで-1残機のところを、日頃のご愛顧に感謝して75%オフ! 驚愕の4ピチュンで-1残機の超良心的設定となっております! 被弾が怖い……被弾なんて屈辱の極み……そんなことはナッシング! 被弾時しか味わえない快楽がある! 被弾で見える天啓がある! 被弾で次元を超えたあの人と両想いになれる! 被弾の勢いで超絶リア充に様変わり! お子様も大人もレッツピチュン! さあさあよってらっしゃい当たってらっしゃい! ――~~! ~~~~!!」
すっかり調子付いたぬえは、思い付きの文句をこれでもかとまくし立て続ける。
一ヶ月の間の鬱憤は、なかなかにひどいものらしい。
「お寺の皆、ということは星様も……」
「そう! あいつも当然! 久々にあのダメ虎の焦り困り泣き顔が見れると思うと……ふふふ」
「ナズーリンさんも?」
「あのスカした態度が気に入らないからね。あんな奴が慌てふためく様、見てみたくない?」
響子の目の色が変わった。
ナズーリンさんなんて。
少しくらい困り果ててしまえばいい。
格好悪い姿をさらして、幻滅されてしまえばいい。
星様だってそう。
気取った振る舞いが出来なくなってしまえばいい。
だらしない姿を、皆の目の前でさらしてしまえばいい。
「……やります」
「お! その言葉を待ってたよ! そうと決まったらさあ実行! 今日のUFO占いは緑三個だったからねー、上手いこといきそうな予感。ちなみに響子は?」
「赤UFO三個」
「マジ!? 激レアじゃん!」
こんな自己満足な憂さ晴らしをしたところで、何の意味もないことは分かってる。
でも、何らかの形で何かにぶつけずにはいられなかった。
響子が寺泊まりを断った四日目。
その前夜の星の相手は、他でもないナズーリンだった。
「よし、響子を私の秘密基地にご案内~っとっと」
「どうしたんですか、ぬえさん」
「思い出した。あんたはナズーリンと小傘とキスメと犬っころを足して四で割ったような感じだ。そーだそーだ。あーすっきり」
「……はい?」
命蓮寺では、何か珍事が起これば、まずその矛先はぬえに向かっていた。性格があり、能力があり、前科があり、懲りないしぶとさがあり。
故に、時にぬえの所為ではない事件まで、ぬえが起こしたものと誤信されてしまうこともあった。
つまり。
これから起こす事件は、これまで私が味わってきた無念と無力を救済すべく仏が寄越した救済措置である。
そんな幸せ極まりない自己中心的な理論を組み立てたぬえは、納得し、誇っていた。
今回は更に、響子という工作の協力者と、アリバイの証言者がいる。
響子が能力を駆使すれば、命蓮寺にいる皆が今何処にいて、何をしているか、何をするつもりなのかまで、ほぼ丸聞こえ。
対象が一人になった瞬間。
狙いが二人同時に重なった瞬間。
どれも聞き逃さず、第三者の仕業を感じさせないように、一瞬の隙を巧みに暴いていく。
そこにぬえが、巧みに罠(正体不明の種)を仕掛けていく。
「その蛇が、正体不明の種なんですか?」
「ああ、効果は単純にして明快。物に付けると、その物の認識を変えてしまうのさ」
「つまり?」
「知っているものが謎の何かに見える。知らないものは、知っている何かに見える。まあ見てて」
「あれっ、ナズーリン? どこに?」
「あいたっ! っつつ、ここって廊下じゃなかったっけ」
「きゃっ! せっかく用意した御膳なのに……」
「今回の悪戯はね、テーマパークの名の通り命蓮寺そのものを舞台にしたの。通れるはずの通路が壁に見え、階段に見えて足を出すと庭先に落ちる。あらかじめ倉庫から引っ張り出してきた用途不明の備品の数々をあちこちに配置して、正体不明の種を付けるだけではい完成の、お手軽心機一転リフォーム術!」
何が起こっているのか分からないので詳しく教えてと目で訴える響子に、得意気にトリックを明かすぬえ。
ほえーと口を開けて驚きを隠せない様子の響子に、さらに解説が入る。
「今回はこれで終わりじゃないわ。壁や物に当たったり、足を踏み外したり、物を落としたりすることでカウントされる被弾、その四回ごとに――もともと無いものが有るかのように見える、バスト1カッププレゼント。これは嬉しい! 寅丸あたりは今日はどんな胸になっちゃうのかしら、見物よね~」
予想通り、早速ぬえの前には被害に遭った面子が間を置かず皆がやってきて、またお前の仕業かと、何か仕掛けたんでしょう正直に白状なさい、などと問い詰めていく。
そこで響子が、今までずっとぬえさんと一緒でしたけど、何もしてませんでしたと言うだけで、あっさりと引き下がった。
ただ一人、ナズーリンが尋ねて来た時、妙に不可解そうに何度も覗き込んできたのが気になったくらい。
時間が経つに連れ、響子自身がこの悪戯にのめり込んでいた。
特に、対象がナズーリンと星に集中した。
二人の困り顔を見るのが楽しみだと言わんばかりに、失くし物や災難に喘ぎ、ペナルティとして胸を膨らませる(ように見える)二人を眺め続けた。
ぬえが、他の者に仕掛ける悪戯には見向きもしなくなった。
地雷踏んじゃったかなーと、発案側のぬえが一歩引いてしまうくらいの執着ぶりだった。
そんな、立て続けに騒ぎが続いたある日のこと。
「……っ、ぬえさん。何か、いつもと音が違います」
「どういうこと?」
「ナズーリンさんの鼠達の動きに、変化があります。この命蓮寺内で誰かを、まるで私達を的として探させているような」
「……やっぱり、最初に勘付くのはこいつだったな」
調子に乗り過ぎて、短時間に騒ぎを起こし過ぎてしまった。
こうまで二人一緒で席を外してばかりでは、二人一緒にいるというアリバイによって、逆に追い詰められてしまう。
「あーあ、だからこいつにあまり照準を向けたくなかったんだよなー。色々と鋭い奴だからさ」
口ではそう言うが、ぬえの口元はひどく緩んでいた。
経緯と結果はどうあれ、この賢将の不覚な姿を思う存分堪能出来たことが、これまでほとんど無かったのだから。
「範囲を少しずつ狭めてきています。このままだと、そう遠くないうちに――」
「響子、撤収するよ。」
まずナズーリンは、今回の捕縛にあたって、小鼠達から集めた情報をもとに、発生したトラブルの洗い出しから始めた。
すると、ぬえと響子の被害報告がないのが一目瞭然だった。
とってつけたかのように毎晩二人ともGカップになっていたが、擬装の可能性が高い。
十中八九ぬえと響子の共犯だと踏んだ上で、最初から二人を尾けるのではなく、犯行の現場を押さえるために、トラブル発生時の二人の居場所を突き止めようと試みた。
被害を最小限に食い止めるためには、二人を現行犯として捕まえてしまうのが手っ取り早い。
逃げ切られては、引き続き起こるであろう被害にも、その後片付けにも余計な手間暇を取られる。
面倒事を段取り良く片付けるコツは、手間を手間と思わないうちになるべく早く済ませてしまうこと。
とは言え、こんな些細な事件に自分以外の者の手を煩わせるのは申し訳ないし、何より腹立たしい。
そう感じているナズーリンの目論見は一つ。
ご主人の手を焼かせないうちに、自分一人で片を付けるつもりである。
命蓮寺は、思いの外広い。
本堂や宝物庫、鐘楼など、聖輦船の甲板となる中枢部分だけなら、簡単に一回り出来るくらいである。
そこに、宿坊、講堂、庭園、墓地など、境内の敷地にある全ての施設を含めると、かなりの範囲になる。
また、妖怪が集う寺ということもあり、争いや取っ組み合いは仕方なくも日常茶飯事。
そのため、生半可な物音では、心配した誰かがいちいち様子を伺いに来てくれることなどあまりない。
そんなこの寺では、ひとたび身を隠してしまえば、その行方を追うことはまず出来ない。
ナズーリンあたりは、鼠を使うなどして現在地の探知までは出来ても、そこに向かうまでの時間に姿を隠されてしまう。
そんな状況におけるぬえと響子の勝利条件は、ナズーリンの小鼠達が組み上げている包囲網を抜けて一定時間身を隠しきること。
逆に、二人揃った状態でナズーリンを始めとする誰かに見つかったら、アウト。
互いにそう認識し、鬼ごっこは既に始まっていた。
「おい、いつまで私と一緒に逃げてるんだ。こういう時はバラけて相手を撹乱するもんだ」
「でも、私一人じゃ」
「お前には並外れた聴覚があるんだから、遠くの私の指示くらい聞きとれるだろう。じゃ」
「え、えっ。ぬえさん!? ぬえさーん!」
告げると、ぬえは早速手にしたマントに身を包む。
そこに風が巻き起こった瞬間、ぬえの姿もマントも気配も、跡形も残さず消えていた。
境内の参道に一人残された響子。
それでもぬえのことを呼び続け、懸命に耳を澄ませる。
大量の雑音に混ざり、遠くでぬえの罵倒が聞こえる。
「あんたは馬鹿かっ! 相手から逃げようって時に、大声で味方と連絡を取ろうとする奴がいるかっつーの!」
「でも!」
「あんたの能力って、自分の声を音を特定の奴にだけ届けることって出来ないの!?」
「――え?」
考えたこともなかった。
出来るかどうかなんて分からない。
しかし、ためらっている暇もない。
「ぬえさん! 今どこ!?」
「ばっ……って、私の声はお前以外には聞こえないんだったな。私なら、もう寺の外だ」
「場所が分かれば……出来るかも? 場所は!? 教えて!」
音が反響する空間を、細く長く収束させ、糸電話のようにすればもしかしたら。
慌ただしい思案の中、脳内で響く自らの言葉を最後に、響子の耳に入るのはぎらぎらとやかましい鼠の鳴き声だけとなった。
周りをおびただしい数の鼠が取り囲み、ナズーリンの合図を待ち望むように威嚇を繰り返す。
更に、ペンデュラムガードで周囲を囲む念入りぶり。
密閉された空間に響き渡る小鼠達の鳴き声の分厚さだけで、全身から立つ気力を奪うような感覚が響子を襲う。
いくら大声で呼びかけても、ぬえから返事は来ない。
「ことこういった逃亡劇に関して百戦錬磨のぬえの相手は、私では力不足だからね。非常に心苦しいけど、ご主人達に任せるとしよう。そして非力な私は、君のお相手だ」
確かに、単なる八つ当たりの悪戯にしては度を越してしまったかもしれない。
しかし、仕返しに無条件で降伏することだけは嫌だった。
ましてその相手が、どうしても譲れない恋敵ならば。
「近頃よく一緒にいたぬえは、どこ行ったのかな?」
「どこ行ったのかな。今日は朝から見ていませんけど」
空気が一段と重くなる。
小さな体を震わせて、柄にもなく怒っている。
してやった。
常に冷静で、一歩引いた小憎らしい態度を取るこの賢将の神経を逆撫でしてみせたのだ。
これが、響子が一人で出来る、精一杯の八つ当たりだった。
もっとも、このままでは自身がただでは済まない。
あと一言、こちらに有利になるようにしなければならない。
「……一つ提案、なんですけど」
「何かな」
「このお寺の皆さんは、スペルカードルールの心得は?」
「ああ、私の小鼠達ですら皆一枚は所持するくらいには嗜んでいるよ」
「三枚でどうですか」
「ぬえと比べたら随分と潔いね」
「やかましいのが嫌いなの。早く周りの鼠達を引っ込めて欲しいから」
小細工や策と言った、相手の土俵では勝てないのは明白だったから。
後はもう、単純なルールに則った勝負に持ち込む。
それで洗いざらい清算することにしよう、と。
「ところで星、あんた新入りの山彦をどう思ってんの?」
「元気で一途、健気な頑張り屋さんですね。近頃の妖怪にしては珍しい素直な子だと思いますが」
「あ、そ。ネズーミンのことは?」
「そう呼ぶのはやめて欲しいと言われているでしょうに……。そうですね、響子と反対に、全然素直じゃありませんね。けれど、芯は優しいいい子です」
「どっちか選べと言われたら?」
「愚問です。どちらも選びますし、どちらも選びません。どちらか一人を選択するなんて不平等、あの子たちに限らず、私は極力しないように心がけるだけです」
「……あいつらの溜め息が聞こえてきそうだよ」
人里離れた平野で、ぬえは星に問答を持ちかけていた。
出会って間もない自分ですらある程度の把握が出来るというのに、こいつはどこまでニブチンの堅物なんだろうかと呆れ返るしかなかった。
ちょっとばかり、あいつの憂さ晴らしに付き合ってあげようかな。
らしくなく、そんなことを考えたぬえ。
懐から未確認飛行物体の名にちなみ、感情を表現する愛用のスペルカードを三枚ほど手に取った。
「まったく。入門早々、こんな大事を巻き起こすような奴だとは思わなかったよ」
「まったく。入門早々、こんな大事を巻き起こすような奴だとは思わなかったよ」
かたや、近くの木の幹に寄り掛かり、休息に一息吐いたナズーリン。
かたや、参道に大の字になって寝転び、木霊を返す響子。
二人とも満身創痍の様相で、どちらが勝ったのか定かではない。
ただし、互いに足掻く気配はなかった。
ナズーリンにしてみれば、響子の逃走を食い止められたのだから、これ以上無理をする必要はない。
もっとも、自分自身で最後まで連行する体力が残っていないのが、癪と言えば癪だった。
当分は、満足に動けそうにない。
一輪あたりに迎えに来てもらわなければ。
前もって、小鼠一匹走らせておいてよかった。
一方の響子は、悪戯も勝敗も、既に何も眼中に無いようだった。
ただひたすら、胸の内に溜まった鬱憤を叫びに変えて、ナズーリンに向けて、力の限り打ち出していた。
そのせいかどうか、妙に心が落ち着いているのを感じた。
実際には、何一つ自分の望むように事態が進展していないにも関わらず。
「さて、ぬえの方はどうなったか、得意の耳で聞こえるかい?」
「ちょうど今、聖様と星様に捕まったようね」
言い逃れなんて見苦しいこと、する気にはなれなかった。
こんな晴れやかな気持ち、これからも忘れたくない。
「ちょっとおかしくなってた、さっきまでの私」
「ずっと気がふれてるわけじゃなくて助かる。どういった風の吹き回しかな?」
「久しぶりに大声、出せたから」
「なるほど。そう言えば、君は山彦だったね」
山彦にとって大きな声を出すことは、機嫌の良し悪しを通り越し体調の好不調にまで影響する根本的なこと。
集団の中に身を寄せ生活するようになった響子は、無意識のうちにその機会がなくなっていた。
何か、日常生活の中でも大きな声を存分に出せる機会はなかったか。
山彦のように、互いに繰り返し伝え合う。
そんな何かが、人間の礼儀にあったような気が――。
賢将ナズーリンに、案が浮かんだ。
「挨拶とか、いいんじゃないかな」
「あい、さつ?」
「人間達を見習って、私達も実践するように聖から教わっていることさ。まずは、朝に誰かと会った時に使う、おはようございます。そして、誰かに助けてもらった時に使う、ありがとうございます。それから――」
命蓮寺では、規則違反や何らかの反省に値する行為をした者に対しては、聖による制裁が待っている。
命蓮寺に長く身を寄せる者であれば、誰もが一度は経験する、一つの試練。
響子にとっては、初めてのことだった。
「う、った……!」
「きゃ! ……っ!」
「ぬえはこれで94回目ですか。まだまだ精進が足りませんね。妖怪たるもの目の前の好奇心に心奪われてしまう気持ちは分からなくはありません。しかし」
「他の者に迷惑をかけてはいけない」
「ええ、その通りです。加えて、罪を認めず、意地悪くも逃げようとしましたね。自らの非を認め、更生しようとの意志がまだまだ未熟です」
ぎゃーぎゃー騒がず制裁を受け止め、以前の教えも頭に残っている。
生粋のひねくれ者であるぬえ相手にはこれだけでも大した進歩であり、聖の教えとその効力に敵うものはない。
ムラサは秘かにそう感心していた。
「それと、響子。あなたはまだまだ見識が浅く狭く、その場の勢いに流され、誤った判断をしてしまいがちな頃です。入門してまだ日も浅いので、その辺りは今後教えていくとしましょう」
「すみませんでした」
響子は、星とナズーリン、二人の情事については何も口にしなかった。
口にしたら負けだと、この寺にいてはいけなくなると思っていた。
あくまで、個人的な出来心で羽目を外してしまい、寺の皆に迷惑をかけたことへの仕置きに留まった。
終わってみれば、何てことない。
まだまだ、この寺で過ごす時間は長いのだ。
「星様が暇な時、いつでも呼んで下さいね。今日はこれで、失礼します」
星の顔に動揺が走るのを満足気に見届けて、この日も寺を後にし、夜の空を翔ける。
ぬえの助言をもとに使い方を見つけた、範囲を絞った遠隔伝達に想いが高鳴る。
つまり、持ち前の聴力とこの方法のおかげで、いつでも何処でも好きなだけ、望む相手と二人きりで話せるようになったということなのだから。
でもやっぱり、直接会いたいし、直に触れたい気持ちは治まらない。
憧れの星の隣の、特別な存在になれますように。
そう考えていれば、仕置きの時間も苦痛も、特に気にならなかった。
だけど、あまりそんなにいじめないでね。
聖には、まだ雑念を捨て切れていないようですねと、見抜かれてしまったのだから流石と言うしかない。
幽谷響子は、命蓮寺に入門した後も、用意された自分の部屋で夜を明かそうとはしない。
入門当初は泊まったこともあったが、ほんの数日で断りを申し出た。
寝泊まり場所は、育った山の住処である渓谷の洞穴を相変わらず使い続けている。
しかしそこに限らず、人里に通じる獣道の木々の上、墓地に1つはある大きい墓石台の裏などに身を潜ませることもある。
暗闇と無音が当たり前の場所で、物音を響かせ、恐怖をあおる。
慌て驚き、腰を抜かして情けない格好で逃げ惑う人間や妖精を見て、笑い転げる。
妖怪らしく振る舞うに適した場所を、ふらふらと回っていた。
そんな響子のことを唯一心配したのが、命蓮寺の本尊、寅丸星だった。
妖怪だから問題無いじゃないと、他に気に留める者はいなかった。
ほら、ルーミアみたいに一見幼女だけど一人でたくましく生きている妖怪もいるでしょう、とお決まりの文句で返すと、あまりその点を心配してるわけではありません! と怒られ、拗ねられてしまう。
入門者により、精進に打ち込む意気はそれぞれ異なる。
熱心な信者は寺に住まい、より過酷な勤行に身を投じる。
そうでない者は、好きな時に来てもらい参拝や体験勤行を繰り返し、相性や適性の有無を確かめながら少しずつ馴染んでもらう。
実際は後者がほとんどで、寺に身を寄せて自らに苦行を課している者はほとんどいないのが現状である。
・ 生ける聖母にして命蓮寺の極楽浄土の体現者である聖白蓮、彼女の掲げる人妖皆平等を賛同したい(そしていつかその豊満なたれ乳に埋もれたい)
・ 毘沙門天代理にして文武と財運を司る命蓮寺の美男役、寅丸星のご加護に与りたい(そしていつかその甘い声で囁かれながら抱かれたい)
・ 聖輦船という飛行船としても名を馳せる命蓮寺の船長たるキャプテン、村紗水蜜の指揮に従いたい(そしていつかその華奢な体と一緒に水浸しになりたい)
・ 知的で清楚な命蓮寺屈指の大人の女性である雲居一輪、硬派で禁欲的な彼女の勤行を見守りたい(そしていつかその頭巾を脱がせてあげたい)
・ その雲居一輪が使役する入道にして時代遅れの古き良き頑固親父な雲山、無口で多くを語らず少女達を陰から見守る彼に付いて行きたい(そしていつか拳で語り合いたい)
・ 小さな体に似合わず寅丸星の信頼と補佐を一手に引き受けるナズーリン、彼女と小鼠達の東奔西走ぶりを応援したい(そしていつか「君は実に馬鹿だな」ではなく「君は実に……馬鹿だな……///」と言われるような立ち位置になりたい)
・ 何が何だかよく分からない封獣ぬえ、割と新参な彼女のカオティックでアンノウンでアンディファインドな魅力を解き明かしたい(そしていつか彼女の素性を丸裸にしたい)
お気楽で都合の良い煩悩全開の魂胆でこの寺に来る多数の後者組が、入れ替わり立ち替わり訪ねては交流を深めていく。
そのためこの寺は、何やかんやで毎日賑やかな様相なのだった。
閑話休題。
響子は、そんなありきたりな妖怪達とは違う。そう星は感じていた。
毎朝聖の起床に合わせて境内の掃除を始め、その後は日が沈みかける頃合まで、熱心な修行に励んでいる。
その所作はまだまだ拙く未熟だし、物覚えに秀でているわけでもない。
けれど、一心不乱に自らを精進しようとする意気に偽りは感じられない。
そんな響子が寺に住み込もうとしないのは、理由が何かあるはず、そう信じて疑わなかった。
心当たりがあるとすれば、響子が入門して間もなく泊まった数晩の日に何か原因があるはず。
何とか詳しく話を聞いてみなければ。
そう思いつつも叶わない日々がしばらく続いた。
幽谷響子にとって、命蓮寺は他の妖怪と触れ合い苦楽を共にすることが出来る場であり、生き甲斐と憩いを感じることが出来る場だった。
山彦の化身として生まれて長い間、ずっと他者の叫びを遠くから叫び返すだけの日々を過ごしてきた。
ずっと、独りで。
山の斜面に響き渡る声を叫び返すと、声の主は驚き混じりで喜び、さらに意気揚々と叫んでくれる。
それをまた叫び返す。
それがただ楽しかった。
それだけで、腹と気力が満ちた。
時には妖怪らしく、その能力を使い夜道で人間の恐怖心を煽ることもする。
偶然にも格上の人間や妖怪と出逢ってしまったら、全力で口を塞いでやり過ごす。
そんな彼女の実体を、わざわざ突き止めにやって来る乱暴者はほとんどいなかった。
大半の人や妖怪からは、遠くで面白がる童の戯れと思われ、近頃ではただの音の反響としか認識されない。
自身と似た無害に近いほんの一部の妖怪や妖精とだけ、たまにひっそりと語らうくらいのことはあった。
同じ相手と二度話すことはなかったけれど。
そんな気ままで気楽な生涯でいいと楽観的だったのも、ほんの少し前まで。
段々と、空しさと寂しさを持て余すようになった。
そんな時だった。
人間と妖怪が分け隔てなく立ち入ることが出来て、人妖を問わず持て囃されているという寺の存在を耳にしたのは。
仏門のことをよく知らない者が、お寺に持つ印象に大した差はない。
お坊さんが毎日早起きして、修行とか勉強とかをして過ごして、なんだかんだと難しいお経を唱えて、一日三回欠かさず鐘を鳴らす。 退屈なことの繰り返しをしている所だと。
大して気に留めなかった。
ところが、あまりにその寺の評判を聞く機会は多かった。
通り過ぎる人妖の三組に一組は、件の寺の話題に花を咲かせていた。
やれあそこの女性の僧侶に癒されるのが生き甲斐だの、本尊として奉っている毘沙門天の代理がえらく腕利きだの、あそこに身を寄せる者達は漏れなく可愛いだの、その程度のものに過ぎなかったけれど。
ここまで話題になっては、腰を上げないわけにいかない。
最初は、寺の近くの藪に何度も身を潜ませた。
飽きることなく通い詰めた結果、寺に身を寄せている者だけではなく、繰り返し入り浸るに留まる者まで、大体の顔と名前と性格を把握した。
別に厳しい修行とか勉強とかをしなくても入っていっていいんだ、そんな解釈もした。
ここでは毎日どんな出来事が起こるのだろう。
あり余る時間の使い道を迷っていた響子は、この寺に通うようになったらどれだけ楽しいだろうと、出来る限りの想像を巡らせて日々を過ごした。
特に、毘沙門天の代理という寅丸星。
彼女を見ると、胸の高鳴りが止まらなかった。
少なからず男という認識をされているが、響子の耳は誤魔化せなかった。
呼吸、歩行、何気ない仕草。一つ一つの振る舞いから発せられる音が、実はあの者は女性だと教えてくれた。
そしてなお、いや、だからこそ、星に対する響子の憧れと尊敬の念は尽きるところを知らなかった。
他者の視線と信仰を一身に受ける男性のような度量を持ちつつ、その所作は洗練された女性の持つしなやかさに溢れている。
幼い響子であっても、その完成度に格の違いを見抜き、見惚れ、見習いたいと思わせたのだった。
そしていよいよ、溜め続けた憧れと溢れる興味を満たそうと、その門を潜ろうとの決心をした。
しかし、すぐに不安と恐怖に駆られ、身を隠した。
今度は、その行動を何度繰り返しても進展しなかった。
開けた野、広がる空の下、眩しい日差し。
これまでの響子の境遇と比べたら、危険極まりない場所。 自らの身をさらけ出すことに耐性の無かった響子は、どうしてもあと一歩、門を潜ってその先へ向かうことが出来なかった。
何か、きっかけが欲しかった。
「ご主人、あそこだ」
不意の声に疑問を覚えた次の瞬間、響子は大きな腕に抱えあげられていた。
周りの気配に意識を向けることを、すっかり忘れていた。
まさか、こんな予期せぬ形で、初めて見た時からずっと、憧れと尊敬の目で見てきた毘沙門天様に近付くことが出来てしまうなんて。
目の前には、夢と現実と妄想で何度も見た毘沙門天の弟子が、自分を覗き込んでくる。
込み上げる緊張と羞恥に、小さく身を震わせることしか出来ない響子に、穏やかな声がかけられた。
「よろしければ、中で温かいお茶でもいかがですか? ほかほかになりますよ」
響子にとって、命蓮寺の居心地はとても良いものだった。
中に入り、出迎えてくれた皆は、とてもいい人達ばかりだった。
温かいもてなしに、温かい言葉。
もっとずっと、この幸せを感じ続けたい。
ここには、当たり前のように自身を認識し、接してくれる誰かがいる。
響子は、平和でありつつも刺激的な、そんな毎日を送ることを選んだ。
生まれ育った山に、少しだけ未練と愛着を残して、心の在り処を命蓮寺へと移した。
「こら、ぬえ! 今度は一ヶ月もどこほっつき歩いてたのよ!」
ある朝、響子が耳にしたことのない名前を叫ぶムラサの怒号が、命蓮寺の静かな境内に響いた。
木々の枝から烏が驚いて飛び出していく、なんてよくある表現の代わりに、ナズーリンの配下の小鼠が、ちょろちょろと身を潜めるのが聞こえる。
「あ、いや、ちょっと諸事情で」
「どうせ人様に迷惑掛けて追いかけられて、身を隠すしかない状況に追い込まれていたんでしょう?」
「うん、ま、そんなとこかな。さっすがムラサ!」
「茶化してないでさっさと朝ご飯食べてしまいなさい。今日から一週間は、皿洗いとお堂の掃除はあんただからね――って、あれ」
精々二、三週間だったが、熱心に寺へ通い詰め、所属している者を把握しきっている自負はあった。
そんな響子が、見たことのない顔だった。
ムラサのお叱りを適当に受け流したその黒い誰かは、静かにこちらへ飛んで来る。
「おお、おっかないおっかない。やっとこさ戻ってこれたと思ったらこれだよ。ほーんと、ムラサの粘着質な過保護は耐久スペルものってか。さすが舟幽霊――っと! ん、いたた」
音も無く飛ぶぬえに対して、速さを認識して適切に避けるという動作が上手く出来なかった響子。
ほぼ無防備のまま、後ろ向きで飛んでくるぬえ。
正面衝突は予定調和だった。
今日は朝からツイてないなとの愚痴は、互いにとりあえず後にした。
「お前……何?」
「あ、はい。はじめまして。先日このお寺に入門したばかりの、山彦の幽谷響子と言います。あなたも命蓮寺に入門してたんですか? ぬえさん、でしたっけ」
「ん、ま、一応だけど」
「これからよろしくお願いします」
ここまで馬鹿丁寧な挨拶をされては、邪険に扱うのも気が引ける。
立ち上がったぬえは、柄にもなく響子の手を握って起こしてあげた。
山彦ってもっと毛むくじゃらなおっさん臭いイメージがあったなぁと考えつつ、ぬえは埃を払った。
よく見ると、どこかで見たことあるような風貌を感じる。
こんなに背が小さくて、動物耳付けてて、オプション持ってて、突くと「いじめないで下さい」と涙目で言わんばかりの被虐属性溢れる顔立ち。
「んー、誰だっけ、はて」
「大丈夫ですよ」
「……は?」
「ムラサお姉さん、まったくこっちがどれだけ心配してるか分かってんのかしら。今日は久々に私が料理を振る舞うしかないじゃない、って言ってますから」
「え、何々? 何それどこ情報? 嘘じゃないよね?」
「いっ、今っムラサ姉さんが、そうっ言ってるのが聞こえただけ、っですけどっ」
「聞こえた、って……」
響子を激しく揺さぶり問い詰めるぬえの手が、ふと止まる。
気付くのに時間はかからなかった。
そう、聞こえるのだ。先ほど、響子と名乗ったこの子は、自らのことを山彦と称した。
山彦として必要なのは、叫ばれた声を叫び返せるほどの、桁外れの声量。
そしてもう一つ、叫ばれた声の内容を正確に把握するための、非常に優れた聴覚。
――これ、使えるんじゃね?
ぬえの頭の回転は、こんな時は最大出力である。
この子の能力が確かならば、完全無欠の悪戯し放題空間を、この命蓮寺に構築することが出来るのではないかと。
一ヶ月の間、平和に溺れてボケつつあるに違いないこの命蓮寺の奴等に、喝を入れる時が今なのではないかと。
一ヶ月前、守矢神社に忍び込んで好き勝手に物を漁り飲み食い散らかしていたところを早苗に見つかり、三日三晩に及ぶねちっこい説教と罰を地下室で味わった屈辱を晴らす時が今ではないかと。
その後、早苗に連れて行かれた古道具屋で、四週間ほど男店主のコスハラ(コスチュームプレイ・ハラスメント)に耐えながら返済金を稼いだ忌まわしきHW(緊縛週間)の憂さを晴らす時が今ではないかと。
ぬえの目の色が、真紫に染まった。
「いくつか、聞きたいんだけど」
「いくつか、ですか」
ぬえのただならぬ剣幕に、思わず素の、聞いたことをそのまま復唱するしゃべり方が出てしまう。
ぶりっこにもほどがあると自覚し、使わないようにはしているものの、追いつめられたり余裕がなかったりした時には、つい出てしまうのだった。
「――今、寅丸星の持つ宝塔は何処にある?」
「え、っと、星様の宝塔、は……ナズーリンさんが台所の戸棚の中にあるのをちょうど見つけたところ、です」
「上等。次」
「次、ですね」
「――聖の今日の気分は?」
「聖様の今日の気分? うー、多分ですけど、いい方だと思います。新調した下着着けてますし、今日はお通じの調子も良かったみたいだし、いつもより読経の調子も良さそうでした。鼻歌歌って歩いてます」
「――ナズーリンの子鼠の今日の配置図はどんな感じ?」
「今日は皆さんお休みなのか、いつもより少なめです」
「具体的に分かる? 何処に何匹ぐらいとか」
「具体的に……と、お堂の床下に300匹、炊事場に20匹、このお寺の各部屋の天井裏に10匹ずつ、星様の所だけ30匹はいるみたいです。あとは正面門付近の茂みに100匹、参道脇の物陰あちこちに50匹、裏の倉庫に20匹、それから……」
「――充分」
読み上げただけだった。いつも自分で聴き、感じ、判断していることを。それがどれだけ異能で、他の者にとってあり得ない感覚かということは、当の響子には分からないまま。
「お前……すっっっごいわ! 妖怪精密探知機じゃない! 嘘やその場限りの出任せじゃあそこまで細かく言えないよ! どこかの千里眼持ちを思い出しちゃった!」
「別にこのくらい、いつものことですけど」
興味がない、下らないと吐き捨てんばかりにノッてこない響子を置き去りにし、ぬえの衝動は高まるばかり。
生粋のトラブルメーカーであるぬえが、山彦という妖怪の性質を理解し、なお落ち着いていられるはずがない。
血が騒ぐ。
これは大事だと、ぬえの本能が囁く。
この子の能力があれば、悪戯の選択と、悪戯にかけるタイミングを適切に判断出来る。
そして、悪戯仕掛け人の本命にして肝となる、完全に逃げ遂せるということ。
この確率が非常に上がる。
早速ぬえの頭の中では。命蓮寺を舞台にした公演の混乱模様が描き出されていた。
大抵の物音を、漏らさず詳細に聴くことが出来る。
こんな能力を持ちながら、山彦以外の能力の使い道など、積極的に考えたことはなかった。
これまでの、自らを閉ざした生き方だったなら、それでよかっただろう。
山に響く叫び声を聞きとり、木霊で返す。
自分の周辺の物音を聞きとり、危険を察知する。
それだけの用途に過ぎない能力。
そんな自分の能力は、生い立ちもあり、育ちもあり、疎ましいと感じたことはこれまで一度も無かった。
大した情報も入らない野良暮らし。
何が聞こえたところで、動揺するほどのことなど、身の危険を察する時ぐらいしかなかった。
今の響子は、周りとの関わりの中で、この能力と折り合いを付ける段階だった。
関わる者が増えた今では、情報は雑多になり、質を問わず、無作為に耳に入ってしまう。
自分の処理判断能力を超えた量の情報に溺れてしまう。
それでもまだ、真昼の人里や神社、命蓮寺を眺めに行くくらいなら気にならなかった。
命蓮寺の中まで案内されると、行き交う人の足音、発生する生活音、他愛無い雑談に、今までになかった耳への負担を感じた。
少し騒がしいけど、人前に出る以上必要なことだと割り切った。
そんな響子が初めて自分の聴覚を恨んだのは、命蓮寺に泊まった初夜のこと。
敬愛する寅丸星の情事だけは、どうしても聞き流せなかった。
立場上、一部の熱烈な信者と、定期的に夜の営みを済ませなければならない事情があると聞いた。
戒律があるのはもちろんだが、それだけで断り切れない事情があるのだと言う。
響子自身、星に秘かな想いを寄せる一人だった。
ほぼ毎晩その流れを耳にしては、星と普通に接することなど出来るわけがない。
それが、響子が寺泊まりを拒む切実な理由だった。
聞くことを拒みたいと、自分の聴覚を憎らしいと思ったことは初めてだった。
耳を閉じても、どんなに強く押さえつけても、聴こえてしまう。
むしろ、耳を塞ぎ、目を閉じ、自らを追い込むにつれ、余計にひどくはっきりと、そのやりとりが聴こえてしまう。
衣擦れの音。
滴る水音。
漏れる声。
床が軋む音。
両者の荒い呼吸。
そして。
心地良さそうな寝息。
どれもが不快で、ひどく羨ましかった。
「響子ちゃん、だったよね。ちょっと私に協力してくれない? 色々と面白いこと、一緒にいかが?」
予想される惨事を思い描いただけですっかり意気揚々のぬえが、響子の肩を叩いた。
何となく、このぬえとやらに付き合った場合に、この先起こるであろうことの予想が頭に浮かび、思わず一歩後ずさる。
「それって、もしかして、良くないこと?」
「ま、良いか悪いかで言ったら良くはないことなんだけど。でもさ、妖怪たるもの、平和な日常に波乱を巻き起こして、日々の平和の有難みを痛感させるのも大切な役割だと思うわけよ」
「……そうは思えないんですけど」
「そんなに固く考えなくてもいいじゃん。ほんのちょっとのストレス解消さ。私の混乱を煽る数々の能力に加えて、響子のその能力があれば、色々と面白いことが出来ると思うんだけどなー」
よくもそんな都合のいい解釈が出来るものだと、逆に感心しそうになる。
少し、心が揺れる。
「名付けて、被弾音大感謝祭! inテーマパーク命蓮寺! お寺の皆と一緒に今までに溜めた残機をパーっと放出していただきましょうスペシャル! いつもなら1ピチュンで-1残機のところを、日頃のご愛顧に感謝して75%オフ! 驚愕の4ピチュンで-1残機の超良心的設定となっております! 被弾が怖い……被弾なんて屈辱の極み……そんなことはナッシング! 被弾時しか味わえない快楽がある! 被弾で見える天啓がある! 被弾で次元を超えたあの人と両想いになれる! 被弾の勢いで超絶リア充に様変わり! お子様も大人もレッツピチュン! さあさあよってらっしゃい当たってらっしゃい! ――~~! ~~~~!!」
すっかり調子付いたぬえは、思い付きの文句をこれでもかとまくし立て続ける。
一ヶ月の間の鬱憤は、なかなかにひどいものらしい。
「お寺の皆、ということは星様も……」
「そう! あいつも当然! 久々にあのダメ虎の焦り困り泣き顔が見れると思うと……ふふふ」
「ナズーリンさんも?」
「あのスカした態度が気に入らないからね。あんな奴が慌てふためく様、見てみたくない?」
響子の目の色が変わった。
ナズーリンさんなんて。
少しくらい困り果ててしまえばいい。
格好悪い姿をさらして、幻滅されてしまえばいい。
星様だってそう。
気取った振る舞いが出来なくなってしまえばいい。
だらしない姿を、皆の目の前でさらしてしまえばいい。
「……やります」
「お! その言葉を待ってたよ! そうと決まったらさあ実行! 今日のUFO占いは緑三個だったからねー、上手いこといきそうな予感。ちなみに響子は?」
「赤UFO三個」
「マジ!? 激レアじゃん!」
こんな自己満足な憂さ晴らしをしたところで、何の意味もないことは分かってる。
でも、何らかの形で何かにぶつけずにはいられなかった。
響子が寺泊まりを断った四日目。
その前夜の星の相手は、他でもないナズーリンだった。
「よし、響子を私の秘密基地にご案内~っとっと」
「どうしたんですか、ぬえさん」
「思い出した。あんたはナズーリンと小傘とキスメと犬っころを足して四で割ったような感じだ。そーだそーだ。あーすっきり」
「……はい?」
命蓮寺では、何か珍事が起これば、まずその矛先はぬえに向かっていた。性格があり、能力があり、前科があり、懲りないしぶとさがあり。
故に、時にぬえの所為ではない事件まで、ぬえが起こしたものと誤信されてしまうこともあった。
つまり。
これから起こす事件は、これまで私が味わってきた無念と無力を救済すべく仏が寄越した救済措置である。
そんな幸せ極まりない自己中心的な理論を組み立てたぬえは、納得し、誇っていた。
今回は更に、響子という工作の協力者と、アリバイの証言者がいる。
響子が能力を駆使すれば、命蓮寺にいる皆が今何処にいて、何をしているか、何をするつもりなのかまで、ほぼ丸聞こえ。
対象が一人になった瞬間。
狙いが二人同時に重なった瞬間。
どれも聞き逃さず、第三者の仕業を感じさせないように、一瞬の隙を巧みに暴いていく。
そこにぬえが、巧みに罠(正体不明の種)を仕掛けていく。
「その蛇が、正体不明の種なんですか?」
「ああ、効果は単純にして明快。物に付けると、その物の認識を変えてしまうのさ」
「つまり?」
「知っているものが謎の何かに見える。知らないものは、知っている何かに見える。まあ見てて」
「あれっ、ナズーリン? どこに?」
「あいたっ! っつつ、ここって廊下じゃなかったっけ」
「きゃっ! せっかく用意した御膳なのに……」
「今回の悪戯はね、テーマパークの名の通り命蓮寺そのものを舞台にしたの。通れるはずの通路が壁に見え、階段に見えて足を出すと庭先に落ちる。あらかじめ倉庫から引っ張り出してきた用途不明の備品の数々をあちこちに配置して、正体不明の種を付けるだけではい完成の、お手軽心機一転リフォーム術!」
何が起こっているのか分からないので詳しく教えてと目で訴える響子に、得意気にトリックを明かすぬえ。
ほえーと口を開けて驚きを隠せない様子の響子に、さらに解説が入る。
「今回はこれで終わりじゃないわ。壁や物に当たったり、足を踏み外したり、物を落としたりすることでカウントされる被弾、その四回ごとに――もともと無いものが有るかのように見える、バスト1カッププレゼント。これは嬉しい! 寅丸あたりは今日はどんな胸になっちゃうのかしら、見物よね~」
予想通り、早速ぬえの前には被害に遭った面子が間を置かず皆がやってきて、またお前の仕業かと、何か仕掛けたんでしょう正直に白状なさい、などと問い詰めていく。
そこで響子が、今までずっとぬえさんと一緒でしたけど、何もしてませんでしたと言うだけで、あっさりと引き下がった。
ただ一人、ナズーリンが尋ねて来た時、妙に不可解そうに何度も覗き込んできたのが気になったくらい。
時間が経つに連れ、響子自身がこの悪戯にのめり込んでいた。
特に、対象がナズーリンと星に集中した。
二人の困り顔を見るのが楽しみだと言わんばかりに、失くし物や災難に喘ぎ、ペナルティとして胸を膨らませる(ように見える)二人を眺め続けた。
ぬえが、他の者に仕掛ける悪戯には見向きもしなくなった。
地雷踏んじゃったかなーと、発案側のぬえが一歩引いてしまうくらいの執着ぶりだった。
そんな、立て続けに騒ぎが続いたある日のこと。
「……っ、ぬえさん。何か、いつもと音が違います」
「どういうこと?」
「ナズーリンさんの鼠達の動きに、変化があります。この命蓮寺内で誰かを、まるで私達を的として探させているような」
「……やっぱり、最初に勘付くのはこいつだったな」
調子に乗り過ぎて、短時間に騒ぎを起こし過ぎてしまった。
こうまで二人一緒で席を外してばかりでは、二人一緒にいるというアリバイによって、逆に追い詰められてしまう。
「あーあ、だからこいつにあまり照準を向けたくなかったんだよなー。色々と鋭い奴だからさ」
口ではそう言うが、ぬえの口元はひどく緩んでいた。
経緯と結果はどうあれ、この賢将の不覚な姿を思う存分堪能出来たことが、これまでほとんど無かったのだから。
「範囲を少しずつ狭めてきています。このままだと、そう遠くないうちに――」
「響子、撤収するよ。」
まずナズーリンは、今回の捕縛にあたって、小鼠達から集めた情報をもとに、発生したトラブルの洗い出しから始めた。
すると、ぬえと響子の被害報告がないのが一目瞭然だった。
とってつけたかのように毎晩二人ともGカップになっていたが、擬装の可能性が高い。
十中八九ぬえと響子の共犯だと踏んだ上で、最初から二人を尾けるのではなく、犯行の現場を押さえるために、トラブル発生時の二人の居場所を突き止めようと試みた。
被害を最小限に食い止めるためには、二人を現行犯として捕まえてしまうのが手っ取り早い。
逃げ切られては、引き続き起こるであろう被害にも、その後片付けにも余計な手間暇を取られる。
面倒事を段取り良く片付けるコツは、手間を手間と思わないうちになるべく早く済ませてしまうこと。
とは言え、こんな些細な事件に自分以外の者の手を煩わせるのは申し訳ないし、何より腹立たしい。
そう感じているナズーリンの目論見は一つ。
ご主人の手を焼かせないうちに、自分一人で片を付けるつもりである。
命蓮寺は、思いの外広い。
本堂や宝物庫、鐘楼など、聖輦船の甲板となる中枢部分だけなら、簡単に一回り出来るくらいである。
そこに、宿坊、講堂、庭園、墓地など、境内の敷地にある全ての施設を含めると、かなりの範囲になる。
また、妖怪が集う寺ということもあり、争いや取っ組み合いは仕方なくも日常茶飯事。
そのため、生半可な物音では、心配した誰かがいちいち様子を伺いに来てくれることなどあまりない。
そんなこの寺では、ひとたび身を隠してしまえば、その行方を追うことはまず出来ない。
ナズーリンあたりは、鼠を使うなどして現在地の探知までは出来ても、そこに向かうまでの時間に姿を隠されてしまう。
そんな状況におけるぬえと響子の勝利条件は、ナズーリンの小鼠達が組み上げている包囲網を抜けて一定時間身を隠しきること。
逆に、二人揃った状態でナズーリンを始めとする誰かに見つかったら、アウト。
互いにそう認識し、鬼ごっこは既に始まっていた。
「おい、いつまで私と一緒に逃げてるんだ。こういう時はバラけて相手を撹乱するもんだ」
「でも、私一人じゃ」
「お前には並外れた聴覚があるんだから、遠くの私の指示くらい聞きとれるだろう。じゃ」
「え、えっ。ぬえさん!? ぬえさーん!」
告げると、ぬえは早速手にしたマントに身を包む。
そこに風が巻き起こった瞬間、ぬえの姿もマントも気配も、跡形も残さず消えていた。
境内の参道に一人残された響子。
それでもぬえのことを呼び続け、懸命に耳を澄ませる。
大量の雑音に混ざり、遠くでぬえの罵倒が聞こえる。
「あんたは馬鹿かっ! 相手から逃げようって時に、大声で味方と連絡を取ろうとする奴がいるかっつーの!」
「でも!」
「あんたの能力って、自分の声を音を特定の奴にだけ届けることって出来ないの!?」
「――え?」
考えたこともなかった。
出来るかどうかなんて分からない。
しかし、ためらっている暇もない。
「ぬえさん! 今どこ!?」
「ばっ……って、私の声はお前以外には聞こえないんだったな。私なら、もう寺の外だ」
「場所が分かれば……出来るかも? 場所は!? 教えて!」
音が反響する空間を、細く長く収束させ、糸電話のようにすればもしかしたら。
慌ただしい思案の中、脳内で響く自らの言葉を最後に、響子の耳に入るのはぎらぎらとやかましい鼠の鳴き声だけとなった。
周りをおびただしい数の鼠が取り囲み、ナズーリンの合図を待ち望むように威嚇を繰り返す。
更に、ペンデュラムガードで周囲を囲む念入りぶり。
密閉された空間に響き渡る小鼠達の鳴き声の分厚さだけで、全身から立つ気力を奪うような感覚が響子を襲う。
いくら大声で呼びかけても、ぬえから返事は来ない。
「ことこういった逃亡劇に関して百戦錬磨のぬえの相手は、私では力不足だからね。非常に心苦しいけど、ご主人達に任せるとしよう。そして非力な私は、君のお相手だ」
確かに、単なる八つ当たりの悪戯にしては度を越してしまったかもしれない。
しかし、仕返しに無条件で降伏することだけは嫌だった。
ましてその相手が、どうしても譲れない恋敵ならば。
「近頃よく一緒にいたぬえは、どこ行ったのかな?」
「どこ行ったのかな。今日は朝から見ていませんけど」
空気が一段と重くなる。
小さな体を震わせて、柄にもなく怒っている。
してやった。
常に冷静で、一歩引いた小憎らしい態度を取るこの賢将の神経を逆撫でしてみせたのだ。
これが、響子が一人で出来る、精一杯の八つ当たりだった。
もっとも、このままでは自身がただでは済まない。
あと一言、こちらに有利になるようにしなければならない。
「……一つ提案、なんですけど」
「何かな」
「このお寺の皆さんは、スペルカードルールの心得は?」
「ああ、私の小鼠達ですら皆一枚は所持するくらいには嗜んでいるよ」
「三枚でどうですか」
「ぬえと比べたら随分と潔いね」
「やかましいのが嫌いなの。早く周りの鼠達を引っ込めて欲しいから」
小細工や策と言った、相手の土俵では勝てないのは明白だったから。
後はもう、単純なルールに則った勝負に持ち込む。
それで洗いざらい清算することにしよう、と。
「ところで星、あんた新入りの山彦をどう思ってんの?」
「元気で一途、健気な頑張り屋さんですね。近頃の妖怪にしては珍しい素直な子だと思いますが」
「あ、そ。ネズーミンのことは?」
「そう呼ぶのはやめて欲しいと言われているでしょうに……。そうですね、響子と反対に、全然素直じゃありませんね。けれど、芯は優しいいい子です」
「どっちか選べと言われたら?」
「愚問です。どちらも選びますし、どちらも選びません。どちらか一人を選択するなんて不平等、あの子たちに限らず、私は極力しないように心がけるだけです」
「……あいつらの溜め息が聞こえてきそうだよ」
人里離れた平野で、ぬえは星に問答を持ちかけていた。
出会って間もない自分ですらある程度の把握が出来るというのに、こいつはどこまでニブチンの堅物なんだろうかと呆れ返るしかなかった。
ちょっとばかり、あいつの憂さ晴らしに付き合ってあげようかな。
らしくなく、そんなことを考えたぬえ。
懐から未確認飛行物体の名にちなみ、感情を表現する愛用のスペルカードを三枚ほど手に取った。
「まったく。入門早々、こんな大事を巻き起こすような奴だとは思わなかったよ」
「まったく。入門早々、こんな大事を巻き起こすような奴だとは思わなかったよ」
かたや、近くの木の幹に寄り掛かり、休息に一息吐いたナズーリン。
かたや、参道に大の字になって寝転び、木霊を返す響子。
二人とも満身創痍の様相で、どちらが勝ったのか定かではない。
ただし、互いに足掻く気配はなかった。
ナズーリンにしてみれば、響子の逃走を食い止められたのだから、これ以上無理をする必要はない。
もっとも、自分自身で最後まで連行する体力が残っていないのが、癪と言えば癪だった。
当分は、満足に動けそうにない。
一輪あたりに迎えに来てもらわなければ。
前もって、小鼠一匹走らせておいてよかった。
一方の響子は、悪戯も勝敗も、既に何も眼中に無いようだった。
ただひたすら、胸の内に溜まった鬱憤を叫びに変えて、ナズーリンに向けて、力の限り打ち出していた。
そのせいかどうか、妙に心が落ち着いているのを感じた。
実際には、何一つ自分の望むように事態が進展していないにも関わらず。
「さて、ぬえの方はどうなったか、得意の耳で聞こえるかい?」
「ちょうど今、聖様と星様に捕まったようね」
言い逃れなんて見苦しいこと、する気にはなれなかった。
こんな晴れやかな気持ち、これからも忘れたくない。
「ちょっとおかしくなってた、さっきまでの私」
「ずっと気がふれてるわけじゃなくて助かる。どういった風の吹き回しかな?」
「久しぶりに大声、出せたから」
「なるほど。そう言えば、君は山彦だったね」
山彦にとって大きな声を出すことは、機嫌の良し悪しを通り越し体調の好不調にまで影響する根本的なこと。
集団の中に身を寄せ生活するようになった響子は、無意識のうちにその機会がなくなっていた。
何か、日常生活の中でも大きな声を存分に出せる機会はなかったか。
山彦のように、互いに繰り返し伝え合う。
そんな何かが、人間の礼儀にあったような気が――。
賢将ナズーリンに、案が浮かんだ。
「挨拶とか、いいんじゃないかな」
「あい、さつ?」
「人間達を見習って、私達も実践するように聖から教わっていることさ。まずは、朝に誰かと会った時に使う、おはようございます。そして、誰かに助けてもらった時に使う、ありがとうございます。それから――」
命蓮寺では、規則違反や何らかの反省に値する行為をした者に対しては、聖による制裁が待っている。
命蓮寺に長く身を寄せる者であれば、誰もが一度は経験する、一つの試練。
響子にとっては、初めてのことだった。
「う、った……!」
「きゃ! ……っ!」
「ぬえはこれで94回目ですか。まだまだ精進が足りませんね。妖怪たるもの目の前の好奇心に心奪われてしまう気持ちは分からなくはありません。しかし」
「他の者に迷惑をかけてはいけない」
「ええ、その通りです。加えて、罪を認めず、意地悪くも逃げようとしましたね。自らの非を認め、更生しようとの意志がまだまだ未熟です」
ぎゃーぎゃー騒がず制裁を受け止め、以前の教えも頭に残っている。
生粋のひねくれ者であるぬえ相手にはこれだけでも大した進歩であり、聖の教えとその効力に敵うものはない。
ムラサは秘かにそう感心していた。
「それと、響子。あなたはまだまだ見識が浅く狭く、その場の勢いに流され、誤った判断をしてしまいがちな頃です。入門してまだ日も浅いので、その辺りは今後教えていくとしましょう」
「すみませんでした」
響子は、星とナズーリン、二人の情事については何も口にしなかった。
口にしたら負けだと、この寺にいてはいけなくなると思っていた。
あくまで、個人的な出来心で羽目を外してしまい、寺の皆に迷惑をかけたことへの仕置きに留まった。
終わってみれば、何てことない。
まだまだ、この寺で過ごす時間は長いのだ。
「星様が暇な時、いつでも呼んで下さいね。今日はこれで、失礼します」
星の顔に動揺が走るのを満足気に見届けて、この日も寺を後にし、夜の空を翔ける。
ぬえの助言をもとに使い方を見つけた、範囲を絞った遠隔伝達に想いが高鳴る。
つまり、持ち前の聴力とこの方法のおかげで、いつでも何処でも好きなだけ、望む相手と二人きりで話せるようになったということなのだから。
でもやっぱり、直接会いたいし、直に触れたい気持ちは治まらない。
憧れの星の隣の、特別な存在になれますように。
そう考えていれば、仕置きの時間も苦痛も、特に気にならなかった。
だけど、あまりそんなにいじめないでね。
聖には、まだ雑念を捨て切れていないようですねと、見抜かれてしまったのだから流石と言うしかない。
深みをだそうとしているのはわかるんだが……
こういうときは、逢引している程度の表現にぼかすほうがいいのかななんて思ったりしました
ここのところはちょっと違和感がありましたねえ。
しかしそれを気にさせないほど良いお話でした。
新キャラを上手く既存キャラと絡めることに成功していますね~。
響子ちゃんはこれから伸び代のある感じがします。
続編も期待しています!
星が不邪淫っていう戒律を毎晩破ってるってのはいかがなもんなんだろ。
その辺、すごく違和感を覚えてしまったし聖も響子よりまずそっちを
戒めるべきなんじゃないだろうかw?
どんだけビッチよ
カリスマブレイクですら注意書きするなかで嫌がらせのような設定ですよ
お話はよかったですけど・・・。
それはそれでいいと思います
ただタグにオリ設定注意とすべきだったとも思いますね
ちなみに私はこの小説の星は実はちょうど発情期だったと脳内変換させていただきました
↑これが言いたかっただけですスイマセン