桜も、もう大方が散ってしまった。花見の時期も終わったが、香霖堂は相も変わらずしめやかな空気に包まれ、僕が本を捲る音と、茶を飲む音だけが店内には響いていた。
殆どが葉となった桜の、微かに残っていた花が、窓から舞い降りては箱にうずたかく積まれたゲーム機の黒の山を、微かに紅く彩る。
「そろそろ、処分するべきかな」
と、僕は独りごちた。
かつては、ゲーム機を入手した、となれば色めき立った物だ。「ありとあらゆる物を操る」という能力もそうだが、商売人としては、ゲーム機が携えていた希少性にはそれ以上に心を引かれていた。
ぴゅう太。3DOリアル。ジャガー。それらは等しく「ありとあらゆる物を操る」力を持つが、未だにその能力を顕現させることのないまま。そして誰かに買い求められることも、また等しく無いままに、物言えぬ体を箱の中で眠らせている。
かつては希少だと思っていた物が、次第にそうではなくなる。人々の耳目を集めていた品が、欠片の関心も抱かれなくなる。別段珍しいことではない。僕の眼前、机に置かれた白い箱、パソコンもそうだったものだ。
おそらく、パソコンと同様、ゲーム機も、もはや幻想の存在となりつつあるのだろう。故に、幻想郷に数多く流れ着いているのだろう。
流行が終わった道具とは、皆そのような運命にある。窓越しに葉桜を見やりながら、花とは等しく儚い物だと、僕は感じた。
そう思う間にも、やはり客の来る気配は無い。皆は、未だに季節外れの花見でも楽しんでいるのであろうか。
まあ、それはそれでよい。来客のないうちにゲーム機を処分してしまおう、と僕は決めた。ゲーム機の在庫は店内にあるだけではない。倉庫にも、まだまだ山のようにあるのだ。このまま取っておいたとしたら、いつの日か香霖堂はゲーム機で埋まってしまうだろう。
それに、誰もいない中で、一人花を愛でるのも悪くはない。供養にもなろう。僕はリンクス、と言う名の小さなゲーム機を手に取ると、軽く放り投げた。
少し前に、ゲーム機を蹴鞠のように蹴り上げる、と言う遊技が流行っていた。外来人の伝えた「サッカー」という遊技が元のようだが、不完全な伝聞から作られたそれは、もはや別物の遊技と化していた。
そして、外来人の指導の下、人里の少年の多くは今日でも正しいルールと道具で行われているサッカーを嗜んでいるようだが、少女達はもう、サッカーのような何かにも、ゲーム機にも興味を示すことはない。
流行を終えた、サッカーのような何かを愛でる者は、もう居なくなってしまった。あえて言えば、今ゲーム機を蹴り上げた僕だけだろう。葉桜にしがみつく桜の花のように、流行は僕にしがみついている。
だが、少女達が器用に蹴り上げ続けていたこれは、存外に難しい物らしい。頭上に蹴り上げようとしたリンクスは明後日の方向に、ドアの方へと飛んでいった。
「あいた!」
と言う声と、カランカラン、と言う鈴の音が聞こえたのは、果たしてどちらが先であっただろうか。
「痛いぜ……」
帽子を取っては金髪越しに頭をさする魔理沙の姿がそこにはあった。
香霖堂は無論店舗ではあるが、同時に僕の住居でもある。そして、代金も支払わずに物を持って行くだけの、魔理沙のような者を来店客とは言わない。
来店客ではない、私用で訪れた者であれば、訪れた際にノックの一つでもするべきであり、今回魔理沙がそれを行っていれば、頭にリンクスの直撃を受けることも無かった。
それは正論なのだが、未だに痛そうな様子を浮かべる魔理沙を目にすれば、
「……すまなかったね」
と言うことしかできなかった。
「流石の私でも、不意打ちには対応できないんだよ……」
僕が正論を曲げて謝罪したにも関わらず、そう答えた魔理沙の声はどうにも不機嫌な色が混じっていた。子供じみているな、と感じたが、それはそれでよい。子供なら菓子の一つでも与えれば静かになろう、と思いながら、僕は奥に向かい湯を沸かす。
「それにしても、何がどうしてゲーム機が飛んできたんだ? あれか、私たちと弾幕ごっこでもやろうってか?」
と言う声が聞こえてきた。無論、答えは否だ。日々商売に励み、読書に勤しむ僕に、あのような遊びをする時間などあろうはずがないのだから。
「まさか、ただ、古い花を見たくなったんだよ」
背中越しにそう答えた。魔理沙の返事は無い。考え込んでいるのだろうか。沈黙の中に湯気の音が響いたので、僕は少し冷まし、茶を淹れると、四つの桜餅と共に盆に載せ、運んだ。
「花って何のことだ? 季節外れのこの桜餅か? 桜餅には花なんて入っていないぜ。葉はあるけどな」
「何も花など無くても花見は出来る物さ、少し考えてみるといい」
「ふむ……」
桜餅を口に運びつつ答える魔理沙の声には、もう不機嫌さは無かった。もっとも、流行からは果てしなく縁遠い所で微かな命脈を保つこの花を、何も無しに魔理沙が知っているとも思えない。
僕からして、偶然に目にしては知っただけなのだから。何十部にも分けられた辞典の奥底に、散らぬようにしがみつくこの花の事は。
「最近は君たちが訪れることも少ないが、相変わらず花見が忙しいのかな? もう、桜も散ってしまったが」
「ああ。忙しいよ。『春風の 花を散らすと 見る夢は さめても胸の さわぐなりけり』と言うくらいだ。散った桜を偲びながら飲む酒も風流なもんだ」
西行法師の歌を引いては、風流などと彼女は言った。ふむ。魔理沙も幾らかは成長しているのだろうか……と思ったのだが、
「――と香霖なら言うだろうが、花なんてのは春なら山ほど有るもんだからな。毎日目に見える花見三昧だよ。桜でも梅でもチューリップでも、なんなら焼酎を桜茶で割っても、それを見てれば花見になるからな」
と言ったので、結局は、まだまだ花より団子な年頃か、と感じるしか出来なかった。
なんとも趣がない花見だが、別段、否定する気もない。
花を見るのを口実に、酒だけを見る席。それが何よりも楽しい頃。というのは僕にも有った気がする。もう、昔の事だが。
「香霖は付き合いが悪いからなあ、たまには花見に顔くらい出せよ」
と言ったのは、ちょうど僕が一つ目の桜餅を食べ終え、魔理沙は二つ目に口を付けた時だ。
「考えておくさ、ところで、この言葉を君は知っているかな?」
それを横目にしては、僕は机の脇から紙を――これもまた外の世界では流行遅れとなったものだ――を取り出し、「時花」と書いた。
「いや、聞いたことのない花だな」
「では、なんと読むと思う?」
「ときばな? じか? どっちかだろうな」
「ふむ。ではどんな花だと――」
言いかけて、僕は少し変えた。
「いや、どんな意味だと思う? 一つヒントを上げよう。これは特定の花を指す言葉ではないんだ」
「そうだな……今が盛りの花、くらいの意味だろう。漢字ってのは見れば意味がわかるように出来ている物だからな」
今が盛り、か。大負けに負ければ、あるいは正しいと言ってもいいのかもしれない。
「二割五分……の正解かな、今が盛りというのは、広く見れば正しいのかもしれない」
「なんで二割五分なんだ? まあ、読み方で二つ答えたからな。七割五分かもしれないが」
「まず、『時花』と書いて『はやり』と読むんだ」
「聞いたこと無いな」
そう答えると、魔理沙は最後の、魔理沙にとっては三つ目の桜餅を口に運んだ。
「これで私が食べた桜餅は七割五分か。大丈夫。さっきの衝撃でぼけたわけではないようだ。よかったな、香霖。これでぼけてたら死ぬまで面倒を見させてたところだぜ」
「……それは何よりだよ」
僕が嘆息しつつ答える間に、魔理沙は先ほどの紙に「流行」と書き込んでいた。
「流行と言えば普通はこう書くだろう?」
「ああ、意味も読みもそれと同じだ。ただ、古人は『時花』とも書いた物さ」
今では死に絶えた、と言っていい言葉だが、そう言った、流行から外れた物には、何とも言えぬ、儚い味わいが宿るように僕には思える。
「例えば、この本にはそうあるさ、読んでみるかな?」
「遠慮しておくぜ。そもそも私は昔の言葉はよくわからないよ、ありおりはべりいまそがり、みたいな古くさい奴はさ」
今では古くさい、と言われる言葉。僕の生まれた頃の文は、皆このように書かれていた物だが。そして、今では古くさいと言われる言葉が、確かに流行だった時代も存在する。
「国歌八論。か。そんな題名だってことは、和歌の本なんだろうな」
「そうだね」
「ああいうのは回りくどくて私の性に合わないからな。もっとシンプルなのが好みだよ」「君はさっき歌を詠んでいたじゃないか」
「たまたま知っていただけさ。あの亡霊が昔、寝ぼけ眼で読んでたんだよ。あの春雪の時か。懐かしいな。寝起きに歌を詠むなんて面倒でわかりにくい奴だな、と思ったもんだ」
今の人間ならば、大方が「回りくどい」という魔理沙の言に同意するのだろう。だが、恋文には思いを託した和歌だけを書くのが雅だ、とされた時代と流行も、かつては確かに存在した。
「昔の人はそれがよかったんだろうけど、そいつらも今生きていたら、こんな面倒な表現はしなかったんじゃないかな。ただ流行に乗っていたからそうしていた、ってだけの話で」
「そうかもしれないね、幽々子からして君の何十倍も生きている身だ」
「死んでいる、の間違いだろう?」
習慣や文化を流行の言で片付けるのは乱暴だが、言わんとすることには同意できないこともない。習慣、文化、流行。それらは皆、「皆が知っている」そして「だから私も行おう」と感じる所が肝要な点であるのだから。
「でも、あれか。妖怪連中も昔はこんなのを書いてたのかな。年は食ってるからなあ。……紫が詠む和歌か。ぞっとしないな。ましてや恋の歌だったらどうしたもんかね」
僕は苦笑を浮かべて、それが返事代わりだった。実際の所、紫は詠もうと思えば中々の歌を詠めるようにも思える。紫の古来からの友人である幽々子は、高名な歌人の娘であり、また、手慣れた歌を書くのだから。
そして、紫もまた、幽々子に劣らぬ生を経て、負けぬ教養を持つ妖怪である。
まあ、それは理屈だ。紫が一人、恋の歌を詠む場面というのは、僕にもまた想像しにくい。
「失礼な人たちですわね」
「む……出会え出会え、妖怪の襲来だってとこか」
僕らの眼前には、不機嫌さと愉快さが半々の笑みを浮かべた紫の姿があった。不機嫌さの由来が魔理沙の言葉と、僕の表情であれば、愉快さの原因は彼女の手元のカステラか。そしてそのカステラは僕の部屋に有った物だ。
先日、予想外の収入が有った際に買い求めた高価な物だったのだが……
「美味しいですね。上品で優しくて。高そうな甘みだこと。景気は上々なのですか?」
先ほどの会話を考えれば怒るわけにもいかず、僕は妖怪の賢者を餌付けする道を選ぶことしか出来なかった。
「まあ、悪くはないね。先日、外来人が本を高値で買ってくれたんだ」
「私たち以外に客なんて来るんだな」
「当たり前だよ」
魔理沙達しか訪れなかったら、香霖堂はすぐにでも潰れてしまうに違いない。代金を払わぬ客が訪れても、赤字が増えるに過ぎないのだから。
「本ですか。どのような本でしょう?」
「外の世界の本のようだった。奥付にこことは違う暦が書かれていたからね。さして面白いとは思わなかったが……大方、かつて外の世界で流行ったんじゃないかな」
後の世に生きる人間が見れば、下らなく、古くさく思えるのが流行であるのも確かだろう。だが、実際にそれを体験した人間には、後の者にはわからぬ懐かしさと愛着、輝きがあるのもまた確かだ。
大方、あの客も外の世界の流行を見て、高値を出してくれたのではないだろうか。本自体ではなく、そこに宿った流行、外の世界の思い出に。
「題名は覚えていますか?」
「火星の井戸。そんな題名だった。名前からして、どうにも陳腐だね。君は知っているのかな?」
「……ええ、名前は良く。読んだことはありませんけど」
どこか怪訝そうな顔を浮かべると、紫はふと、香霖堂内の本を物色し始めた。
「ここに面白い本なんてあったのか?」
「どうだろうね」
と、魔理沙に答えたが、そのような本は往々にして非売品となるので、極めて数は少ないとは思う。
「……なるほど」
「それらも外の世界の本のはずだ。かつて流行ったのかな? それか、欲しがっている者を知っているのかな?」
「どう、でしょうね。そもそも外の世界のというか、なんというか。まあ、欲しがる人もどこかにはいるのではないでしょうか?」
何か煮え切らぬように話す様が気になったが、僕は彼女と違って外の世界の事は、漏れ伝わる欠片による伝聞でしかわからない。問おうかと思ったが、それより先に魔理沙が問いかけていた。
「ところで、何をしに来たんだ?」
これで紫でなければ「買い物に決まっているじゃないか」と横から答えるところだが、彼女にもまた、客などと言うことは出来ない。
「使いっ走りよ。凶悪な巫女に脅されて、連絡当番をさせられてるの」
「わかった。もう聞かなくてもいいや。いや、一つだけ聞くべきか。何時からだ?」
「七時くらいかしら? まあ、適時にね」
「だったら準備が終わった辺りに出向くぜ」
使いっ走りや脅されて、とは言うが、果たして霊夢は今日の宴会の事を知っているのだろうか。それも些か怪しい。
また勝手に押しかけて! や あいつらったら準備も片付けも手伝わないで! と彼女がぼやく様は容易に想像できるのだが。
「ところで紫、お前って歌なんて読めるのか」
「勿論。それでこそ賢者と呼ばれるのよ」
「お前をそう呼ぶ奴に会ったことはないけどなあ、あの胡散臭い本くらいか」
「なんでしたら、一句見せましょうか?」
そんな問答を横目に、僕は箱を開けて、半分になってしまったカステラを口に運ぶ。実に美味だ。これであと半分有ればどれだけ楽しめたことだろう。
「そうね、私に勝てたら素晴らしい歌を貴方にあげるわ。どんな殿方も貴方に夢中になれるような」
「そんな奴はもう墓の中にしか居ないぜ」
カステラも無くなったので、僕はそんな二人の問答を聞き流しつつ、読書を始めた。歌を見やり、お茶を飲み。
「香霖、七時だぜ! 神社にな!」
外に出て行った二人を見やって、今日は香霖堂が壊されずにすんだ。と胸をなで下ろした。
「亡き人を忍ぶることもいつまでぞ 今日の哀れは 明日のわが身を」
そのまま読み続けていた本に載せられていた一句。平安に生きた者、加賀少納言の書いた句。古めかしい言葉で綴られた思い。
いつまで、亡くなった人のことを偲ぶことができるだろう。今日は悲しんでいる身だが、いつかは私達も他の人に偲ばれる身となるのだから。
程度の意味か。外からは二人の声と弾幕の音が聞こえる。
スペルカードルール。今では少女達が当たり前のように楽しんでいるが、さして歴史ある物ではない。所詮は流行の一つかもしれない。少女とは流行には敏感だが、熱しやすく冷めやすい者でもある。
そう遠くもない未来に、ゲームを蹴り上げる遊びのように、廃れた時花と化すのかもしれない。
窓越しに、弾幕に煽られた葉が散るのが見えた。もう、あの桜には、一枚の花もないのだろうか。それでも、僕の心には、満開だった頃の桜の美しさが息づいている。
花とは、そのようなものだ。桜も時花もそれが短命に散っても……生み出した煌めきは、消えはしない。
秋の者が、幹だけとなった桜を見て、美しさの無い木と思おうが、後の者が、時代遅れの流行を下らぬ物と思おうが、それを直に見た者の中には、懐かしく、鮮やかな物として息づいている。
そう思ったところで、僕は本を閉じ、リンクスを再び手に取ると、ドアに鍵をかけ、閉店を示しては外に出た。
「あと一度で、私の勝ちね」
と頭上の紫が呟く、ちょうど間が出来た頃だったので僕は確認をした。
「神社に七時でいいんだね」
「そうだが……宴会に来るのか?」
「ああ、誘ったのは君じゃないか」
「それはそうなんだが。おい紫、一旦休戦だ。傘をとってこないといかん」
その声を聞きながら、僕は天高くリンクスを蹴り上げた。紫が蹴り返して、僕も、もう一度蹴り上げようとしたが、残念ながら空振りに終わり、そこで終わりだった。
だが、僕が蹴り上げ、紫の蹴り返した一回。そこには、確かにかつての流行があった。
「お早いんですわね」
「準備もあるだろうし、あるいは霊夢に伝えなければいけないかもしれないからね。今日は花見だと」
背中越しに答えつつ、彼女たちと一旦別れて、僕は神社へと足を進める。歩いて行けば、それなりに時間はかかるものだ。早すぎるということもないだろう。
この道を歩いたのは何時以来だろうか。桜餅が季節外れでないとき、まだ桜の花も咲かぬ頃だったか。
緩やかに足を進める中で、目に映る草花。どれも美しく、儚いものだ。後ろを振り向くと、色鮮やかな弾幕の光が見えて、すぐに消えた。
本の中の、不変の世界は美しい。だが、愛でる物を偲ぶ物もまた、偲ぶ物となったころには消え去る日常も美しいのだと思う。
命名決闘法。人妖の少女達の宴会。それもまた時花だろうか。僕が幼い頃にはそんなものは無かった物だ。時花だとしたら、いつまであるのだろうか。わからない。
僕はただ、それを愛でたい、心に留めておきたい。とだけは思う。儚く散る花が紡ぐ日常を。
「おや、珍しいですね。外出するなんて」
「ああ、たまには宴会に顔を出そうかと思って」
その道すがら、通りかかった天狗に声をかけられた。文々。新聞は定期購読している。お客様相手と言うこともあってか、丁寧な口調だった。
「奇遇ですね。私も今日は宴会に顔を出そうかと、ええ、天狗仲間も引き連れて、賑やかになりますよ。そうそう、取材をしたいと思ったことがあるんですが、素面のうちに聞いた方がいいでしょうか? それとも――」
だが、丁寧な口調でもこうペラペラと、畳みかけるように話されては疲れる。
「山で作られた貴重な酒も山ほどありますし――」
そして、天狗と言えば大酒飲みで有名だ。果たして、僕は今日の事を記憶に留められるのだろうか?
殆どが葉となった桜の、微かに残っていた花が、窓から舞い降りては箱にうずたかく積まれたゲーム機の黒の山を、微かに紅く彩る。
「そろそろ、処分するべきかな」
と、僕は独りごちた。
かつては、ゲーム機を入手した、となれば色めき立った物だ。「ありとあらゆる物を操る」という能力もそうだが、商売人としては、ゲーム機が携えていた希少性にはそれ以上に心を引かれていた。
ぴゅう太。3DOリアル。ジャガー。それらは等しく「ありとあらゆる物を操る」力を持つが、未だにその能力を顕現させることのないまま。そして誰かに買い求められることも、また等しく無いままに、物言えぬ体を箱の中で眠らせている。
かつては希少だと思っていた物が、次第にそうではなくなる。人々の耳目を集めていた品が、欠片の関心も抱かれなくなる。別段珍しいことではない。僕の眼前、机に置かれた白い箱、パソコンもそうだったものだ。
おそらく、パソコンと同様、ゲーム機も、もはや幻想の存在となりつつあるのだろう。故に、幻想郷に数多く流れ着いているのだろう。
流行が終わった道具とは、皆そのような運命にある。窓越しに葉桜を見やりながら、花とは等しく儚い物だと、僕は感じた。
そう思う間にも、やはり客の来る気配は無い。皆は、未だに季節外れの花見でも楽しんでいるのであろうか。
まあ、それはそれでよい。来客のないうちにゲーム機を処分してしまおう、と僕は決めた。ゲーム機の在庫は店内にあるだけではない。倉庫にも、まだまだ山のようにあるのだ。このまま取っておいたとしたら、いつの日か香霖堂はゲーム機で埋まってしまうだろう。
それに、誰もいない中で、一人花を愛でるのも悪くはない。供養にもなろう。僕はリンクス、と言う名の小さなゲーム機を手に取ると、軽く放り投げた。
少し前に、ゲーム機を蹴鞠のように蹴り上げる、と言う遊技が流行っていた。外来人の伝えた「サッカー」という遊技が元のようだが、不完全な伝聞から作られたそれは、もはや別物の遊技と化していた。
そして、外来人の指導の下、人里の少年の多くは今日でも正しいルールと道具で行われているサッカーを嗜んでいるようだが、少女達はもう、サッカーのような何かにも、ゲーム機にも興味を示すことはない。
流行を終えた、サッカーのような何かを愛でる者は、もう居なくなってしまった。あえて言えば、今ゲーム機を蹴り上げた僕だけだろう。葉桜にしがみつく桜の花のように、流行は僕にしがみついている。
だが、少女達が器用に蹴り上げ続けていたこれは、存外に難しい物らしい。頭上に蹴り上げようとしたリンクスは明後日の方向に、ドアの方へと飛んでいった。
「あいた!」
と言う声と、カランカラン、と言う鈴の音が聞こえたのは、果たしてどちらが先であっただろうか。
「痛いぜ……」
帽子を取っては金髪越しに頭をさする魔理沙の姿がそこにはあった。
香霖堂は無論店舗ではあるが、同時に僕の住居でもある。そして、代金も支払わずに物を持って行くだけの、魔理沙のような者を来店客とは言わない。
来店客ではない、私用で訪れた者であれば、訪れた際にノックの一つでもするべきであり、今回魔理沙がそれを行っていれば、頭にリンクスの直撃を受けることも無かった。
それは正論なのだが、未だに痛そうな様子を浮かべる魔理沙を目にすれば、
「……すまなかったね」
と言うことしかできなかった。
「流石の私でも、不意打ちには対応できないんだよ……」
僕が正論を曲げて謝罪したにも関わらず、そう答えた魔理沙の声はどうにも不機嫌な色が混じっていた。子供じみているな、と感じたが、それはそれでよい。子供なら菓子の一つでも与えれば静かになろう、と思いながら、僕は奥に向かい湯を沸かす。
「それにしても、何がどうしてゲーム機が飛んできたんだ? あれか、私たちと弾幕ごっこでもやろうってか?」
と言う声が聞こえてきた。無論、答えは否だ。日々商売に励み、読書に勤しむ僕に、あのような遊びをする時間などあろうはずがないのだから。
「まさか、ただ、古い花を見たくなったんだよ」
背中越しにそう答えた。魔理沙の返事は無い。考え込んでいるのだろうか。沈黙の中に湯気の音が響いたので、僕は少し冷まし、茶を淹れると、四つの桜餅と共に盆に載せ、運んだ。
「花って何のことだ? 季節外れのこの桜餅か? 桜餅には花なんて入っていないぜ。葉はあるけどな」
「何も花など無くても花見は出来る物さ、少し考えてみるといい」
「ふむ……」
桜餅を口に運びつつ答える魔理沙の声には、もう不機嫌さは無かった。もっとも、流行からは果てしなく縁遠い所で微かな命脈を保つこの花を、何も無しに魔理沙が知っているとも思えない。
僕からして、偶然に目にしては知っただけなのだから。何十部にも分けられた辞典の奥底に、散らぬようにしがみつくこの花の事は。
「最近は君たちが訪れることも少ないが、相変わらず花見が忙しいのかな? もう、桜も散ってしまったが」
「ああ。忙しいよ。『春風の 花を散らすと 見る夢は さめても胸の さわぐなりけり』と言うくらいだ。散った桜を偲びながら飲む酒も風流なもんだ」
西行法師の歌を引いては、風流などと彼女は言った。ふむ。魔理沙も幾らかは成長しているのだろうか……と思ったのだが、
「――と香霖なら言うだろうが、花なんてのは春なら山ほど有るもんだからな。毎日目に見える花見三昧だよ。桜でも梅でもチューリップでも、なんなら焼酎を桜茶で割っても、それを見てれば花見になるからな」
と言ったので、結局は、まだまだ花より団子な年頃か、と感じるしか出来なかった。
なんとも趣がない花見だが、別段、否定する気もない。
花を見るのを口実に、酒だけを見る席。それが何よりも楽しい頃。というのは僕にも有った気がする。もう、昔の事だが。
「香霖は付き合いが悪いからなあ、たまには花見に顔くらい出せよ」
と言ったのは、ちょうど僕が一つ目の桜餅を食べ終え、魔理沙は二つ目に口を付けた時だ。
「考えておくさ、ところで、この言葉を君は知っているかな?」
それを横目にしては、僕は机の脇から紙を――これもまた外の世界では流行遅れとなったものだ――を取り出し、「時花」と書いた。
「いや、聞いたことのない花だな」
「では、なんと読むと思う?」
「ときばな? じか? どっちかだろうな」
「ふむ。ではどんな花だと――」
言いかけて、僕は少し変えた。
「いや、どんな意味だと思う? 一つヒントを上げよう。これは特定の花を指す言葉ではないんだ」
「そうだな……今が盛りの花、くらいの意味だろう。漢字ってのは見れば意味がわかるように出来ている物だからな」
今が盛り、か。大負けに負ければ、あるいは正しいと言ってもいいのかもしれない。
「二割五分……の正解かな、今が盛りというのは、広く見れば正しいのかもしれない」
「なんで二割五分なんだ? まあ、読み方で二つ答えたからな。七割五分かもしれないが」
「まず、『時花』と書いて『はやり』と読むんだ」
「聞いたこと無いな」
そう答えると、魔理沙は最後の、魔理沙にとっては三つ目の桜餅を口に運んだ。
「これで私が食べた桜餅は七割五分か。大丈夫。さっきの衝撃でぼけたわけではないようだ。よかったな、香霖。これでぼけてたら死ぬまで面倒を見させてたところだぜ」
「……それは何よりだよ」
僕が嘆息しつつ答える間に、魔理沙は先ほどの紙に「流行」と書き込んでいた。
「流行と言えば普通はこう書くだろう?」
「ああ、意味も読みもそれと同じだ。ただ、古人は『時花』とも書いた物さ」
今では死に絶えた、と言っていい言葉だが、そう言った、流行から外れた物には、何とも言えぬ、儚い味わいが宿るように僕には思える。
「例えば、この本にはそうあるさ、読んでみるかな?」
「遠慮しておくぜ。そもそも私は昔の言葉はよくわからないよ、ありおりはべりいまそがり、みたいな古くさい奴はさ」
今では古くさい、と言われる言葉。僕の生まれた頃の文は、皆このように書かれていた物だが。そして、今では古くさいと言われる言葉が、確かに流行だった時代も存在する。
「国歌八論。か。そんな題名だってことは、和歌の本なんだろうな」
「そうだね」
「ああいうのは回りくどくて私の性に合わないからな。もっとシンプルなのが好みだよ」「君はさっき歌を詠んでいたじゃないか」
「たまたま知っていただけさ。あの亡霊が昔、寝ぼけ眼で読んでたんだよ。あの春雪の時か。懐かしいな。寝起きに歌を詠むなんて面倒でわかりにくい奴だな、と思ったもんだ」
今の人間ならば、大方が「回りくどい」という魔理沙の言に同意するのだろう。だが、恋文には思いを託した和歌だけを書くのが雅だ、とされた時代と流行も、かつては確かに存在した。
「昔の人はそれがよかったんだろうけど、そいつらも今生きていたら、こんな面倒な表現はしなかったんじゃないかな。ただ流行に乗っていたからそうしていた、ってだけの話で」
「そうかもしれないね、幽々子からして君の何十倍も生きている身だ」
「死んでいる、の間違いだろう?」
習慣や文化を流行の言で片付けるのは乱暴だが、言わんとすることには同意できないこともない。習慣、文化、流行。それらは皆、「皆が知っている」そして「だから私も行おう」と感じる所が肝要な点であるのだから。
「でも、あれか。妖怪連中も昔はこんなのを書いてたのかな。年は食ってるからなあ。……紫が詠む和歌か。ぞっとしないな。ましてや恋の歌だったらどうしたもんかね」
僕は苦笑を浮かべて、それが返事代わりだった。実際の所、紫は詠もうと思えば中々の歌を詠めるようにも思える。紫の古来からの友人である幽々子は、高名な歌人の娘であり、また、手慣れた歌を書くのだから。
そして、紫もまた、幽々子に劣らぬ生を経て、負けぬ教養を持つ妖怪である。
まあ、それは理屈だ。紫が一人、恋の歌を詠む場面というのは、僕にもまた想像しにくい。
「失礼な人たちですわね」
「む……出会え出会え、妖怪の襲来だってとこか」
僕らの眼前には、不機嫌さと愉快さが半々の笑みを浮かべた紫の姿があった。不機嫌さの由来が魔理沙の言葉と、僕の表情であれば、愉快さの原因は彼女の手元のカステラか。そしてそのカステラは僕の部屋に有った物だ。
先日、予想外の収入が有った際に買い求めた高価な物だったのだが……
「美味しいですね。上品で優しくて。高そうな甘みだこと。景気は上々なのですか?」
先ほどの会話を考えれば怒るわけにもいかず、僕は妖怪の賢者を餌付けする道を選ぶことしか出来なかった。
「まあ、悪くはないね。先日、外来人が本を高値で買ってくれたんだ」
「私たち以外に客なんて来るんだな」
「当たり前だよ」
魔理沙達しか訪れなかったら、香霖堂はすぐにでも潰れてしまうに違いない。代金を払わぬ客が訪れても、赤字が増えるに過ぎないのだから。
「本ですか。どのような本でしょう?」
「外の世界の本のようだった。奥付にこことは違う暦が書かれていたからね。さして面白いとは思わなかったが……大方、かつて外の世界で流行ったんじゃないかな」
後の世に生きる人間が見れば、下らなく、古くさく思えるのが流行であるのも確かだろう。だが、実際にそれを体験した人間には、後の者にはわからぬ懐かしさと愛着、輝きがあるのもまた確かだ。
大方、あの客も外の世界の流行を見て、高値を出してくれたのではないだろうか。本自体ではなく、そこに宿った流行、外の世界の思い出に。
「題名は覚えていますか?」
「火星の井戸。そんな題名だった。名前からして、どうにも陳腐だね。君は知っているのかな?」
「……ええ、名前は良く。読んだことはありませんけど」
どこか怪訝そうな顔を浮かべると、紫はふと、香霖堂内の本を物色し始めた。
「ここに面白い本なんてあったのか?」
「どうだろうね」
と、魔理沙に答えたが、そのような本は往々にして非売品となるので、極めて数は少ないとは思う。
「……なるほど」
「それらも外の世界の本のはずだ。かつて流行ったのかな? それか、欲しがっている者を知っているのかな?」
「どう、でしょうね。そもそも外の世界のというか、なんというか。まあ、欲しがる人もどこかにはいるのではないでしょうか?」
何か煮え切らぬように話す様が気になったが、僕は彼女と違って外の世界の事は、漏れ伝わる欠片による伝聞でしかわからない。問おうかと思ったが、それより先に魔理沙が問いかけていた。
「ところで、何をしに来たんだ?」
これで紫でなければ「買い物に決まっているじゃないか」と横から答えるところだが、彼女にもまた、客などと言うことは出来ない。
「使いっ走りよ。凶悪な巫女に脅されて、連絡当番をさせられてるの」
「わかった。もう聞かなくてもいいや。いや、一つだけ聞くべきか。何時からだ?」
「七時くらいかしら? まあ、適時にね」
「だったら準備が終わった辺りに出向くぜ」
使いっ走りや脅されて、とは言うが、果たして霊夢は今日の宴会の事を知っているのだろうか。それも些か怪しい。
また勝手に押しかけて! や あいつらったら準備も片付けも手伝わないで! と彼女がぼやく様は容易に想像できるのだが。
「ところで紫、お前って歌なんて読めるのか」
「勿論。それでこそ賢者と呼ばれるのよ」
「お前をそう呼ぶ奴に会ったことはないけどなあ、あの胡散臭い本くらいか」
「なんでしたら、一句見せましょうか?」
そんな問答を横目に、僕は箱を開けて、半分になってしまったカステラを口に運ぶ。実に美味だ。これであと半分有ればどれだけ楽しめたことだろう。
「そうね、私に勝てたら素晴らしい歌を貴方にあげるわ。どんな殿方も貴方に夢中になれるような」
「そんな奴はもう墓の中にしか居ないぜ」
カステラも無くなったので、僕はそんな二人の問答を聞き流しつつ、読書を始めた。歌を見やり、お茶を飲み。
「香霖、七時だぜ! 神社にな!」
外に出て行った二人を見やって、今日は香霖堂が壊されずにすんだ。と胸をなで下ろした。
「亡き人を忍ぶることもいつまでぞ 今日の哀れは 明日のわが身を」
そのまま読み続けていた本に載せられていた一句。平安に生きた者、加賀少納言の書いた句。古めかしい言葉で綴られた思い。
いつまで、亡くなった人のことを偲ぶことができるだろう。今日は悲しんでいる身だが、いつかは私達も他の人に偲ばれる身となるのだから。
程度の意味か。外からは二人の声と弾幕の音が聞こえる。
スペルカードルール。今では少女達が当たり前のように楽しんでいるが、さして歴史ある物ではない。所詮は流行の一つかもしれない。少女とは流行には敏感だが、熱しやすく冷めやすい者でもある。
そう遠くもない未来に、ゲームを蹴り上げる遊びのように、廃れた時花と化すのかもしれない。
窓越しに、弾幕に煽られた葉が散るのが見えた。もう、あの桜には、一枚の花もないのだろうか。それでも、僕の心には、満開だった頃の桜の美しさが息づいている。
花とは、そのようなものだ。桜も時花もそれが短命に散っても……生み出した煌めきは、消えはしない。
秋の者が、幹だけとなった桜を見て、美しさの無い木と思おうが、後の者が、時代遅れの流行を下らぬ物と思おうが、それを直に見た者の中には、懐かしく、鮮やかな物として息づいている。
そう思ったところで、僕は本を閉じ、リンクスを再び手に取ると、ドアに鍵をかけ、閉店を示しては外に出た。
「あと一度で、私の勝ちね」
と頭上の紫が呟く、ちょうど間が出来た頃だったので僕は確認をした。
「神社に七時でいいんだね」
「そうだが……宴会に来るのか?」
「ああ、誘ったのは君じゃないか」
「それはそうなんだが。おい紫、一旦休戦だ。傘をとってこないといかん」
その声を聞きながら、僕は天高くリンクスを蹴り上げた。紫が蹴り返して、僕も、もう一度蹴り上げようとしたが、残念ながら空振りに終わり、そこで終わりだった。
だが、僕が蹴り上げ、紫の蹴り返した一回。そこには、確かにかつての流行があった。
「お早いんですわね」
「準備もあるだろうし、あるいは霊夢に伝えなければいけないかもしれないからね。今日は花見だと」
背中越しに答えつつ、彼女たちと一旦別れて、僕は神社へと足を進める。歩いて行けば、それなりに時間はかかるものだ。早すぎるということもないだろう。
この道を歩いたのは何時以来だろうか。桜餅が季節外れでないとき、まだ桜の花も咲かぬ頃だったか。
緩やかに足を進める中で、目に映る草花。どれも美しく、儚いものだ。後ろを振り向くと、色鮮やかな弾幕の光が見えて、すぐに消えた。
本の中の、不変の世界は美しい。だが、愛でる物を偲ぶ物もまた、偲ぶ物となったころには消え去る日常も美しいのだと思う。
命名決闘法。人妖の少女達の宴会。それもまた時花だろうか。僕が幼い頃にはそんなものは無かった物だ。時花だとしたら、いつまであるのだろうか。わからない。
僕はただ、それを愛でたい、心に留めておきたい。とだけは思う。儚く散る花が紡ぐ日常を。
「おや、珍しいですね。外出するなんて」
「ああ、たまには宴会に顔を出そうかと思って」
その道すがら、通りかかった天狗に声をかけられた。文々。新聞は定期購読している。お客様相手と言うこともあってか、丁寧な口調だった。
「奇遇ですね。私も今日は宴会に顔を出そうかと、ええ、天狗仲間も引き連れて、賑やかになりますよ。そうそう、取材をしたいと思ったことがあるんですが、素面のうちに聞いた方がいいでしょうか? それとも――」
だが、丁寧な口調でもこうペラペラと、畳みかけるように話されては疲れる。
「山で作られた貴重な酒も山ほどありますし――」
そして、天狗と言えば大酒飲みで有名だ。果たして、僕は今日の事を記憶に留められるのだろうか?
幻想郷自体失われたものが行き着く場所ですし。
後、バーチャルボーイってwww
文章がきれいで肉付けもほどよく物語として楽しめました
うちにあるゲームギア動かなくなっちゃった;─;
うちの初代ゲームボーイも数年前までは動いたものですが
それはとても寂しいながら、その寂しさを微笑みとともに思い出せることが幸せかもしれませんね。
バーチャルボーイ、もの凄くやりてえ。
懐かしいものは大抵みな美しいものですよね。
リアルで東方という文化が終わるときは、どうなるのでしょうね