「ふああ」
食後の眠気が心地よく襲ってくる。
そんな今の私は、お昼休みの真っ只中。
午後の始業時刻である一時までは、まだかなり余裕がある。
「少し寝ようかな……」
そう思い、門柱に背をもたれ掛けたときだった。
「出たわね、怪人ホンメイリン!」
いつの間にか、私の眼前に一人の人間が出現していた。
改めて確認するまでもない、我が館が誇る完璧で瀟洒なメイド長・十六夜咲夜さんである。
「……何やってんですか」
「ふっふっふ」
彼女は、足を肩幅程度に広げて立ちながら、右腕を斜め四十五度の角度で上方へ向けてピンと伸ばしていた。
左腕は肘関節の部分で曲げていて、ピシッと伸ばしたその指先は胸のあたりにあり、右腕とほぼ同じ方向に向けられている。
そのポーズも大概奇妙なものだったが、彼女の奇妙さを一層際立たせるものが私の視線を奪って放さなかった。
「……ていうかそれ、なんですか」
私が指差した先―――咲夜さんの腰回り―――には、見たこともないようなドデカいサイズのベルトが巻かれていた。
中央部には巨大な目玉のようなパーツが組み込まれており、見ようによっては不気味ですらある。メイド服との相性が最悪であることは言うまでもない。
というか、そもそもこれはベルトと呼称していいものなのだろうか。
「ライダーベルトよ」
ベルトだった。
「何ですか? ライダーベルトって」
「ライダーが巻くベルトよ」
「何ですか? ライダーって」
「怪人を倒す正義の味方よ」
「ああ、それでさっき」
ようやく、冒頭の彼女の台詞に合点がいった。
「しかし、どうしたんです? それ。どっかで拾ったんですか?」
「早苗に貰ったの。大掃除してたら出てきたらしいわ。もう壊れちゃってて使えないからって」
「ああ、なるほど」
何故だか妙に納得してしまった自分がいた。
あの巫女さんなら、これを常時腰に巻いていてもさほど違和感が無いように思える。
「そういうわけなので、覚悟! 怪人ホンメイリン!」
「えぇえ!?」
あまりにもいきなり過ぎる。
私は咄嗟に構えを取るが、次の瞬間には咲夜さんはその場で思いっきり右足を振り上げていた。
「咲夜キーック!」
「!…………」
「…………」
「…………」
……振り上げただけだった。
当人の肩あたりの高さまでまっすぐに上げられた右足は、私の眼前五十センチほどで止められており、そもそも当てる意思は無かったのだとようやく気付いた。
「……もう、驚かさないで下さいよ。いきなり何事かと思っちゃったじゃないです……」
「吹っ飛びなさいよ!!」
「えぇえ!?」
突如、咲夜さんが鬼気迫る形相で怒鳴った。
思わずのけ反る私。
「ライダーがキックしたら怪人は吹っ飛ばなきゃダメでしょ!? あんた何年怪人やってんのよ!」
「えぇえ!? ていうか私、怪人じゃなくて妖怪なんですけど!?」
「そういう問題じゃないでしょ!!」
「ヒぃ」
「大体、本来はジャンプしてキックするものなのよ。でもそれだと、どのタイミングで吹っ飛べばいいか分かりにくいだろうから、こうやってあえて立ったままで……そんな私の気遣いを、あんたは! あんたは!」
「わ、わかりましたわかりました。わかりましたから落ち着いてください咲夜さん。あと瞳孔閉じてください」
この様子だと、どうやら早苗さんから相当熱心な布教活動をされたのだと推察される。
咲夜さんは、自分が興味を持った事柄にはとことんのめり込む癖があるし。
「いい!? もう一回いくわよ!? 次は無いからね!?」
「わ、わかりました」
なんでそんなに必死なんですか、とはとても言えなかった。
彼女の勢いに気圧されるがままに、唯々諾々と首を縦に振る私。
「じゃあいくわよ。……咲夜キーック!!」
先ほどよりさらに力強く、咲夜さんは右足を振り上げた。
それが完全に伸びきったあたりで、
「ぐわあっ」
私は後方に飛び、そのまま尻餅をついた。
貴重なお昼休みがこのざまである。
「…………」
あれ?
なんか怖い。
咲夜さんは右足を突き出したまま、無言で私を睨んでいる。
注文通りに吹っ飛んだのに、何が不満だったというのだろうか。
「あのー、咲夜さん……?」
恐る恐る声を掛けると、咲夜さんの目がカッと見開いた。
「ぜんっぜんダメ!!」
「えぇえ!?」
訳が分からないよ!
「何でですか!? 私ちゃんと吹っ飛んだじゃないですか!」
「ただ吹っ飛べばいいってもんじゃないでしょ!? もっと感情を込めて吹っ飛びなさいよ!」
咲夜さんの表情は真剣そのものだった。
こうなったら、もう何を言っても無駄である。
私はお昼休みを潰す覚悟を決めた。
「……わかりました。次は感情を込めて吹っ飛びます」
「ほう。ようやく真剣になったようね」
咲夜さんがにやりと笑った。
「じゃあいくわよ! 咲夜キーック!!」
「ぐわああっ!!」
吹っ飛ぶ私。
「まだ照れが残ってる! もう一回!」
「はい!」
「咲夜キーック!!」
「ぐわああああっ!!」
吹っ飛ぶ私。
「もっと抑揚付けて! 咲夜キーック!!」
「ぐわあぁああぁああっ!!」
吹っ飛ぶ私。
「大分良くなったわ! でもまだまだ! 咲夜キーック!!」
「ぐわあぁぁぁああああぁあああっっっ!!」
……私達は時間も忘れて、ただひたすらに、蹴っては吹っ飛ばされ、蹴っては吹っ飛ばされのやりとりを繰り返した。
―――そしてもう、自分が何回吹っ飛んだのかも分からなくなった頃だった。
「……よし。まあ、こんなもんでいいでしょう」
「あ、ありがとうございます……」
ようやく、咲夜さんからオーケーが出た。
と言っても、最後の方はほとんど同じリアクションだった気がするし、むしろ疲労が蓄積した分、クオリティは下がっていたように思えるのだが。
「そう? 別に気にならなかったわ。私は楽しかったし」
「……ああ、そうですか」
まあ、終わりよければすべてよしだ。
私はやれやれと肩をすくめ、何気なく紅魔館の大時計へと目を向けた。
「あっ」
「ん?」
思わず上げた私の声に反応して、咲夜さんも時計盤の方を振り返る。
「…………!」
目を見開き、絶句する咲夜さん。
まあ、無理もないだろうか。
「いやはや……もうこんな時間になってたんですね」
時刻は、午後四時を過ぎていた。
これはすなわち、お昼休みどころか、午後の就業時間までをも大幅に潰してしまったということを意味する。
最近は日も高くなっており、この時間でもまだ昼間のように明るいので、まったく気付いていなかった。
「いやあ、咲夜さんにしては珍しかったですね。仕事を忘れて、遊びに熱中するなんて」
「…………」
まあ、咲夜さんはいつも仕事一辺倒だから、たまにはこういうのもいいんじゃないだろうか。
しかし、そんな呑気なことを考えていたのは私だけだったようで。
「……なんで」
「え?」
肩をわなわなと震わせながら、咲夜さんは言った。
「何でもっと早く言わないのよ!! もうとっくにお昼休み過ぎちゃってるじゃない!!」
「えぇえ!?」
今更言うかそれ!?
「いやいや、別にいいじゃないですかたまには……。どうせお嬢様もまだ寝てるんですし」
そう。
夜行性の我らが主は夢の中。
ちょっぴり―――ではないかもしれないけど―――お昼休みを延長して遊んでたからって、黙っている限りはばれようがない。
しかし何故だか、咲夜さんは弱々しく首を横に振った。
「……違うのよ」
「えっ」
いつになく暗い表情を浮かべて、続ける。
「……今日、お嬢様は、神社へ遊びに行かれることになっていたのよ」
「へっ?」
「だから、午後一時ちょうどに起こしてくれって―――」
「―――!」
思わず、息を呑み込んだ。
現在時刻、午後四時十三分。
「……どうしよう」
「どうしようって……素直に話して、謝るしかないでしょう」
「……やだ。怒られる」
「子供か」
「いたい」
ずびしとチョップ。
上司といえどもしつけはきちんとしないとね。
「こうしているうちにも、事態は刻々と悪化してるんですから。謝るなら早いうちにしないと」
「うぅ……」
しかし咲夜さんはなかなか踏ん切りがつかないようで、唇を尖らせながら胸の前で両の人差し指をつっつき合わせたりしている。
何かいいごまかし方はないかなー、と考えているときの悪戯っ子のような仕草だ。
と、そのとき。
「あ」
「えっ」
またも思わず上げてしまった私の声に反応し、咲夜さんが館の方へと振り返った。
「……あ」
その表情が、絶望に染まる。
―――門柱に、日傘を差した、可愛らしい我らが主が腰掛けていた。
「…………」
咲夜さんは何も言うことができず、ただただ金魚のように口をぱくぱくと開閉させるばかり。
ご愁傷様です。
「…………咲、夜?」
一方、にこにこと、実に楽しそうに微笑みながら、そんな咲夜さんに優しげな声をお掛けになるお嬢様。
「……お、お嬢様。ごごっご、ご機嫌麗しゅうございますわ……」
対して、ヒクヒクと、実によく引きつった笑顔で、上ずった声を出す咲夜さん。
「……さ、さ~て、侵入者は来ないかしら、と……」
そして、何食わぬ顔で通常営業の振りをする私。
今日ほど、自分の持ち場がこの門前であったことに感謝した日はない。
他方、私の背後では、早くも不穏な空気が展開され始めていた。
お嬢様の、優しくも低い声が響く。
「……ねぇ、咲夜?」
「は、はいっ。なな、なんでございましょう?」
「……私、今日、一時に起こしてくれ、って言ってたわよね?」
「そそっ、それはですねお嬢様。あいにく、その、やんごとなき事情がございまして……」
「ほう? それは一体、どんな事情なのかしら?」
「えっと……」
そこで何故か、私の方をチラ見する咲夜さん。
ぞくっと嫌な予感がした。
「そう! 美鈴! 美鈴が居眠りをしていたので注意をしていたのですわ!」
「えぇえ!?」
「ほう、美鈴が」
「そう、美鈴が!」
「いやいや、ここで私を売る!? どんだけ往生際悪いんだあんた!」
思わずタメ口でツッコむ私。
「な、なによぅ。さくや、わるくないもん」
「都合よく幼児退行すんな!」
立場も忘れて本気で叱る私。
と、そこで。
「……オホン」
「「あっ」」
しまった。
お嬢様の目の前だったのを忘れていた。
一瞬で大人しくなる私達。
「…………」
お嬢様はじろりと視線を動かすと、一層低い声で言った。
「……咲夜」
「は、はい」
「……それは、何かしら?」
「えっ」
すぅっと、お嬢様が指差した先。
そこには。
「あ」
隠そうにも、隠しようがない巨大ライダーベルト。
咲夜さんの頬を一筋の汗が伝った。
「ここっこ、これはですね、えっと、き、筋力増強用具のようなものでして……」
「…………」
お嬢様の目が細まる。
普段完璧に近い人ほど、想定外の事態に弱いということの証左である。
「……それ、前に同じようなやつを香霖堂で見かけたわ」
「えっ……」
「なんでも、子供が身に着けて遊ぶおもちゃのようだったけど……あなたが着けているそれは、違うのかしら?」
「あ、え、えっと……」
咲夜さんの目が泳いでいる。
ちらりと私の方を見てきたが、余裕でシカトしておく。
さっき売られかけたもんね。
「……咲夜」
一転して、にっこりと笑顔を浮かべるお嬢様。
「は、はいっ」
咲夜さんも、つられて笑顔に。
……だが。
「仕事さぼって遊んでた上に、嘘までつくとは何事ですか! 廊下に立ってなさい! それから今日は晩御飯抜き!」
「え……えぇええっ!!」
世の中、そんなに甘くはない。
続いてお嬢様は、拳をぐっと握り締め、
「そしてこれは……」
「ひっ」
「お仕置きです!」
「あうっ!」
ごちん、と。
お嬢様の拳骨が咲夜さんの頭に落ちた。
やーい、いい気味。
なんて内心で笑っていると、
「美鈴。お前もよ」
「えぇえ!?」
「一緒になって遊んでたんだから、連帯責任!」
「ばれてた!?」
「私の部屋の窓から丸見えだったっつーの」
「そ、そんなぁ……」
へたりと、そのまま地面に座り込む。
どうしてこうなった。
―――そして。
「うぅ……おなかすいた……」
「言わないでください。私もなんですから」
私と咲夜さんは二人、両手にバケツを持った状態で紅魔館の大廊下に立たされていた。
今頃、他の皆はディナーを楽しんでいる頃だろう。
「なんで私がこんなめに」
「まだ言うかコラ」
バケツを持ってなきゃ頬でもつねっているところである。
「だってさ、美鈴がもっと早く気付いてくれてたらさ、私だって……」
「あー、咲夜さん?」
おほん、とわざとらしく咳払いをする。
「な、なによぅ」
「……私に何か、言うことがあるんじゃないですか?」
「う……」
少しだけ威圧を込めて、じとっと睨む。
「……ごめんなさい」
「うむ、よろしい」
この館はやっぱり平和なんだなとつくづく思った。
了
食後の眠気が心地よく襲ってくる。
そんな今の私は、お昼休みの真っ只中。
午後の始業時刻である一時までは、まだかなり余裕がある。
「少し寝ようかな……」
そう思い、門柱に背をもたれ掛けたときだった。
「出たわね、怪人ホンメイリン!」
いつの間にか、私の眼前に一人の人間が出現していた。
改めて確認するまでもない、我が館が誇る完璧で瀟洒なメイド長・十六夜咲夜さんである。
「……何やってんですか」
「ふっふっふ」
彼女は、足を肩幅程度に広げて立ちながら、右腕を斜め四十五度の角度で上方へ向けてピンと伸ばしていた。
左腕は肘関節の部分で曲げていて、ピシッと伸ばしたその指先は胸のあたりにあり、右腕とほぼ同じ方向に向けられている。
そのポーズも大概奇妙なものだったが、彼女の奇妙さを一層際立たせるものが私の視線を奪って放さなかった。
「……ていうかそれ、なんですか」
私が指差した先―――咲夜さんの腰回り―――には、見たこともないようなドデカいサイズのベルトが巻かれていた。
中央部には巨大な目玉のようなパーツが組み込まれており、見ようによっては不気味ですらある。メイド服との相性が最悪であることは言うまでもない。
というか、そもそもこれはベルトと呼称していいものなのだろうか。
「ライダーベルトよ」
ベルトだった。
「何ですか? ライダーベルトって」
「ライダーが巻くベルトよ」
「何ですか? ライダーって」
「怪人を倒す正義の味方よ」
「ああ、それでさっき」
ようやく、冒頭の彼女の台詞に合点がいった。
「しかし、どうしたんです? それ。どっかで拾ったんですか?」
「早苗に貰ったの。大掃除してたら出てきたらしいわ。もう壊れちゃってて使えないからって」
「ああ、なるほど」
何故だか妙に納得してしまった自分がいた。
あの巫女さんなら、これを常時腰に巻いていてもさほど違和感が無いように思える。
「そういうわけなので、覚悟! 怪人ホンメイリン!」
「えぇえ!?」
あまりにもいきなり過ぎる。
私は咄嗟に構えを取るが、次の瞬間には咲夜さんはその場で思いっきり右足を振り上げていた。
「咲夜キーック!」
「!…………」
「…………」
「…………」
……振り上げただけだった。
当人の肩あたりの高さまでまっすぐに上げられた右足は、私の眼前五十センチほどで止められており、そもそも当てる意思は無かったのだとようやく気付いた。
「……もう、驚かさないで下さいよ。いきなり何事かと思っちゃったじゃないです……」
「吹っ飛びなさいよ!!」
「えぇえ!?」
突如、咲夜さんが鬼気迫る形相で怒鳴った。
思わずのけ反る私。
「ライダーがキックしたら怪人は吹っ飛ばなきゃダメでしょ!? あんた何年怪人やってんのよ!」
「えぇえ!? ていうか私、怪人じゃなくて妖怪なんですけど!?」
「そういう問題じゃないでしょ!!」
「ヒぃ」
「大体、本来はジャンプしてキックするものなのよ。でもそれだと、どのタイミングで吹っ飛べばいいか分かりにくいだろうから、こうやってあえて立ったままで……そんな私の気遣いを、あんたは! あんたは!」
「わ、わかりましたわかりました。わかりましたから落ち着いてください咲夜さん。あと瞳孔閉じてください」
この様子だと、どうやら早苗さんから相当熱心な布教活動をされたのだと推察される。
咲夜さんは、自分が興味を持った事柄にはとことんのめり込む癖があるし。
「いい!? もう一回いくわよ!? 次は無いからね!?」
「わ、わかりました」
なんでそんなに必死なんですか、とはとても言えなかった。
彼女の勢いに気圧されるがままに、唯々諾々と首を縦に振る私。
「じゃあいくわよ。……咲夜キーック!!」
先ほどよりさらに力強く、咲夜さんは右足を振り上げた。
それが完全に伸びきったあたりで、
「ぐわあっ」
私は後方に飛び、そのまま尻餅をついた。
貴重なお昼休みがこのざまである。
「…………」
あれ?
なんか怖い。
咲夜さんは右足を突き出したまま、無言で私を睨んでいる。
注文通りに吹っ飛んだのに、何が不満だったというのだろうか。
「あのー、咲夜さん……?」
恐る恐る声を掛けると、咲夜さんの目がカッと見開いた。
「ぜんっぜんダメ!!」
「えぇえ!?」
訳が分からないよ!
「何でですか!? 私ちゃんと吹っ飛んだじゃないですか!」
「ただ吹っ飛べばいいってもんじゃないでしょ!? もっと感情を込めて吹っ飛びなさいよ!」
咲夜さんの表情は真剣そのものだった。
こうなったら、もう何を言っても無駄である。
私はお昼休みを潰す覚悟を決めた。
「……わかりました。次は感情を込めて吹っ飛びます」
「ほう。ようやく真剣になったようね」
咲夜さんがにやりと笑った。
「じゃあいくわよ! 咲夜キーック!!」
「ぐわああっ!!」
吹っ飛ぶ私。
「まだ照れが残ってる! もう一回!」
「はい!」
「咲夜キーック!!」
「ぐわああああっ!!」
吹っ飛ぶ私。
「もっと抑揚付けて! 咲夜キーック!!」
「ぐわあぁああぁああっ!!」
吹っ飛ぶ私。
「大分良くなったわ! でもまだまだ! 咲夜キーック!!」
「ぐわあぁぁぁああああぁあああっっっ!!」
……私達は時間も忘れて、ただひたすらに、蹴っては吹っ飛ばされ、蹴っては吹っ飛ばされのやりとりを繰り返した。
―――そしてもう、自分が何回吹っ飛んだのかも分からなくなった頃だった。
「……よし。まあ、こんなもんでいいでしょう」
「あ、ありがとうございます……」
ようやく、咲夜さんからオーケーが出た。
と言っても、最後の方はほとんど同じリアクションだった気がするし、むしろ疲労が蓄積した分、クオリティは下がっていたように思えるのだが。
「そう? 別に気にならなかったわ。私は楽しかったし」
「……ああ、そうですか」
まあ、終わりよければすべてよしだ。
私はやれやれと肩をすくめ、何気なく紅魔館の大時計へと目を向けた。
「あっ」
「ん?」
思わず上げた私の声に反応して、咲夜さんも時計盤の方を振り返る。
「…………!」
目を見開き、絶句する咲夜さん。
まあ、無理もないだろうか。
「いやはや……もうこんな時間になってたんですね」
時刻は、午後四時を過ぎていた。
これはすなわち、お昼休みどころか、午後の就業時間までをも大幅に潰してしまったということを意味する。
最近は日も高くなっており、この時間でもまだ昼間のように明るいので、まったく気付いていなかった。
「いやあ、咲夜さんにしては珍しかったですね。仕事を忘れて、遊びに熱中するなんて」
「…………」
まあ、咲夜さんはいつも仕事一辺倒だから、たまにはこういうのもいいんじゃないだろうか。
しかし、そんな呑気なことを考えていたのは私だけだったようで。
「……なんで」
「え?」
肩をわなわなと震わせながら、咲夜さんは言った。
「何でもっと早く言わないのよ!! もうとっくにお昼休み過ぎちゃってるじゃない!!」
「えぇえ!?」
今更言うかそれ!?
「いやいや、別にいいじゃないですかたまには……。どうせお嬢様もまだ寝てるんですし」
そう。
夜行性の我らが主は夢の中。
ちょっぴり―――ではないかもしれないけど―――お昼休みを延長して遊んでたからって、黙っている限りはばれようがない。
しかし何故だか、咲夜さんは弱々しく首を横に振った。
「……違うのよ」
「えっ」
いつになく暗い表情を浮かべて、続ける。
「……今日、お嬢様は、神社へ遊びに行かれることになっていたのよ」
「へっ?」
「だから、午後一時ちょうどに起こしてくれって―――」
「―――!」
思わず、息を呑み込んだ。
現在時刻、午後四時十三分。
「……どうしよう」
「どうしようって……素直に話して、謝るしかないでしょう」
「……やだ。怒られる」
「子供か」
「いたい」
ずびしとチョップ。
上司といえどもしつけはきちんとしないとね。
「こうしているうちにも、事態は刻々と悪化してるんですから。謝るなら早いうちにしないと」
「うぅ……」
しかし咲夜さんはなかなか踏ん切りがつかないようで、唇を尖らせながら胸の前で両の人差し指をつっつき合わせたりしている。
何かいいごまかし方はないかなー、と考えているときの悪戯っ子のような仕草だ。
と、そのとき。
「あ」
「えっ」
またも思わず上げてしまった私の声に反応し、咲夜さんが館の方へと振り返った。
「……あ」
その表情が、絶望に染まる。
―――門柱に、日傘を差した、可愛らしい我らが主が腰掛けていた。
「…………」
咲夜さんは何も言うことができず、ただただ金魚のように口をぱくぱくと開閉させるばかり。
ご愁傷様です。
「…………咲、夜?」
一方、にこにこと、実に楽しそうに微笑みながら、そんな咲夜さんに優しげな声をお掛けになるお嬢様。
「……お、お嬢様。ごごっご、ご機嫌麗しゅうございますわ……」
対して、ヒクヒクと、実によく引きつった笑顔で、上ずった声を出す咲夜さん。
「……さ、さ~て、侵入者は来ないかしら、と……」
そして、何食わぬ顔で通常営業の振りをする私。
今日ほど、自分の持ち場がこの門前であったことに感謝した日はない。
他方、私の背後では、早くも不穏な空気が展開され始めていた。
お嬢様の、優しくも低い声が響く。
「……ねぇ、咲夜?」
「は、はいっ。なな、なんでございましょう?」
「……私、今日、一時に起こしてくれ、って言ってたわよね?」
「そそっ、それはですねお嬢様。あいにく、その、やんごとなき事情がございまして……」
「ほう? それは一体、どんな事情なのかしら?」
「えっと……」
そこで何故か、私の方をチラ見する咲夜さん。
ぞくっと嫌な予感がした。
「そう! 美鈴! 美鈴が居眠りをしていたので注意をしていたのですわ!」
「えぇえ!?」
「ほう、美鈴が」
「そう、美鈴が!」
「いやいや、ここで私を売る!? どんだけ往生際悪いんだあんた!」
思わずタメ口でツッコむ私。
「な、なによぅ。さくや、わるくないもん」
「都合よく幼児退行すんな!」
立場も忘れて本気で叱る私。
と、そこで。
「……オホン」
「「あっ」」
しまった。
お嬢様の目の前だったのを忘れていた。
一瞬で大人しくなる私達。
「…………」
お嬢様はじろりと視線を動かすと、一層低い声で言った。
「……咲夜」
「は、はい」
「……それは、何かしら?」
「えっ」
すぅっと、お嬢様が指差した先。
そこには。
「あ」
隠そうにも、隠しようがない巨大ライダーベルト。
咲夜さんの頬を一筋の汗が伝った。
「ここっこ、これはですね、えっと、き、筋力増強用具のようなものでして……」
「…………」
お嬢様の目が細まる。
普段完璧に近い人ほど、想定外の事態に弱いということの証左である。
「……それ、前に同じようなやつを香霖堂で見かけたわ」
「えっ……」
「なんでも、子供が身に着けて遊ぶおもちゃのようだったけど……あなたが着けているそれは、違うのかしら?」
「あ、え、えっと……」
咲夜さんの目が泳いでいる。
ちらりと私の方を見てきたが、余裕でシカトしておく。
さっき売られかけたもんね。
「……咲夜」
一転して、にっこりと笑顔を浮かべるお嬢様。
「は、はいっ」
咲夜さんも、つられて笑顔に。
……だが。
「仕事さぼって遊んでた上に、嘘までつくとは何事ですか! 廊下に立ってなさい! それから今日は晩御飯抜き!」
「え……えぇええっ!!」
世の中、そんなに甘くはない。
続いてお嬢様は、拳をぐっと握り締め、
「そしてこれは……」
「ひっ」
「お仕置きです!」
「あうっ!」
ごちん、と。
お嬢様の拳骨が咲夜さんの頭に落ちた。
やーい、いい気味。
なんて内心で笑っていると、
「美鈴。お前もよ」
「えぇえ!?」
「一緒になって遊んでたんだから、連帯責任!」
「ばれてた!?」
「私の部屋の窓から丸見えだったっつーの」
「そ、そんなぁ……」
へたりと、そのまま地面に座り込む。
どうしてこうなった。
―――そして。
「うぅ……おなかすいた……」
「言わないでください。私もなんですから」
私と咲夜さんは二人、両手にバケツを持った状態で紅魔館の大廊下に立たされていた。
今頃、他の皆はディナーを楽しんでいる頃だろう。
「なんで私がこんなめに」
「まだ言うかコラ」
バケツを持ってなきゃ頬でもつねっているところである。
「だってさ、美鈴がもっと早く気付いてくれてたらさ、私だって……」
「あー、咲夜さん?」
おほん、とわざとらしく咳払いをする。
「な、なによぅ」
「……私に何か、言うことがあるんじゃないですか?」
「う……」
少しだけ威圧を込めて、じとっと睨む。
「……ごめんなさい」
「うむ、よろしい」
この館はやっぱり平和なんだなとつくづく思った。
了
まぁ可愛かったけど
美鈴苦労人だねぇ
もしや、ライダーマンか?