昔々 ~Once upon a time~
「――――――――――」
「――――――――――」
私はこの静かな時が好きだった。仏の道に生きる人もそうでない人も、手を合わせ請い願うこの時は辺りの音を耳から遠くに離して真摯に祈る。この真剣な静けさが私は好きだった。
「婆ちゃん、早くいこうぜー」
「……こら勘太郎、お前の兄弟が無事生まれてこれるように手を合わせてんだよ、お前も真面目にやりんしゃい」
「えー、ちゃんとやった……あ、揚羽蝶だ!?婆ちゃん俺ちょっと行ってくる!!」
「あ、こら……全く、お地蔵様このばばあが孫の分まで祈ります故、何卒娘と孫に御加護を……南無」
『ええ、御心配なく御老人。貴方の願いは聞き届けました。それにあのお孫さんも先日宝物の独楽を持って、兄弟の無事を祈って行きましたよ』
彼女に霊的な力はないため、この声が届くことはまずないだろうが……腰の痛みを堪えつつ手を合わせるお婆さんの懸命さに私は思わず声を掛けてしまっていた。
「……?今なんぞ聞こえたような……お地蔵様の声じゃろか?……ありがたやありがたや」
そう言って、再び手を合わせ立ち去るお婆さん。……私が驚いていることには気づいていなかったようだが。……いや本当に驚いた。確かに近頃とある事情で信仰が集まり力が強くなっていたのだが声が届くとは。
『いいものですね。声が、思いが届くというのは……彼女に感謝しないといけません』
「その彼女ってのはあたいのことかい?」
『……! 小町?いつから居たんですか?』
「とりあえずあの坊主が蝶取りに走ってくところは見たよ」
『……ほとんど始めから居たんじゃないですか。どうして声を掛けてくれなかったんですか?』
「いやぁ、あたいが出てったらあのお婆さんを怖がらせちゃうだろ?」
気を使ったのさ、あっはっはっは。とからから笑う彼女は最近できた私の友人で名を小野塚 小町と言う。ちなみに職業は死神である。最初そのことを聞いたときは驚いたものだ。なにせ彼女の明るさは私が想像していた死神像とはかけ離れたものだったから。
『その心配をするのは三年遅いです。なにせ私の渾名は死神にすら説教する『説教地蔵』ですから。私の膝下で死神を恐れる者など居ません』
「あ~、まだ言われてるんだねぇそれ。いや、あたいとしては早く廃れて欲しいんだけどねぇ」
『無理でしょう。今やその話を知らぬ者はこの村にはいませんから』
「たはー、そんなにか」
私がそう言うと小町はふらりとよろめき、木にしがみついて滂沱する。と言ってもその仕草が非常に白々しいので本気ではあるまいが。……山道に座す、とある地蔵についた渾名『説教地蔵』、何を隠そうこの渾名こそが近頃私への信仰が増えた要因であり、彼女と私の出会いの発端を表すものでもある。……その話は三年前の冬にまで遡る。
三年前――
『よく降りますねぇ。お陰で私はすっかり雪まみれです。誰かが払ってくれるといいのですが……期待薄でしょうね』
なにせ、私が置かれているのは山に入って行く道である。冬場は当然のことながら滅多に人が通らない。
「うひゃあ~、寒い寒い。おまけに雪でずぶ濡れだ。全く、ウチの閻魔様もこんな日にお使いに行かせなくてもいいだろうに」
……人が来ない、そう言った直後にこうして人が来ると私が嘘を言ったように思われるかもしれないが、この道は普段は本当に人が来ない。この時はただ単に私の一人言がたまたま二十日ぶりの通行人に被さっただけである。
「……お?こんな所に丁度いい笠が……こりゃ日頃、真面目に働いてる小町さんへの贈り物かねぇ」
……ちょっと待った。まさかその笠というのは二十日前に狩人のお爺さんが私に被せてくれた笠ではあるまいな?
「では、有難く……」
『待ちなさい!!』
「きゃん!?」
私の懸念通りお供え物の笠に手を掛けた彼女に信仰で得たなけなしの力を振り絞り思い切り声を発する。……正直、徳を積んだ僧でもない限り届くはずも無かったのだが、それでも声を出さずにはいられなかったのだ。
「な、何者だい!?このあたいの不意を付くなんて不届きな。姿を見せな!!」
『不届きなのは貴方でしょう。よりにもよってお供え物に手をつけるとは、恥を知りなさいこの盗人が』
「そ、供え物……?」
盗人猛々しく叫んだ彼女がキョロキョロと辺りを見回す。そして、ふと笠の下―つまるところ私の方―に目を止め、ポンと手を打つ。
「もしかして(ざかざか)……わ、やっぱりこんな所にお地蔵様が……こりゃ失礼、雪で埋もれてて気付かなかったよ。でもなんで笠だけ無事だったんだい?」
『親切な御老人が被せていってくれた笠です。雪を被せるのは忍びないでしょう?』
「……いや、そりゃ立派な心がけだとは思うけど……それであんたが埋もれちゃ本末転倒って言わないかい?」
『……冬場は人が訪れないのでそれぐらいしか力がないのです。私自身も守るには、とてもとても』
「……(はぁ、自分より供え物優先か。律儀だねぇその力でせめて自分の顔だけでもとは思わないのかね?)……ああ、確かにこんな山道じゃ確かに人は来ないだろうねぇ……いや、それにしても悪かったね。それじゃあ、あたいはこれで……」
『待ちなさい』
「はい?」
雪で隠れていた私に気付き、すごすごと立ち去ろうとする名も知らぬ彼女を呼び止める。……後から思えばこれは私らしくない行動だったと思う。それでも彼女を呼び止めてしまったのは、延々雪に埋もれ続けて人恋しくなっていた所に私の声が届く人が来て些かはしゃいでしまったのではないかと、今はそう思う。とは言え……
『確かに雪で私に気付かなかったのは仕方のない事かも知れません。しかし、そうだったとしても落し物に迷いなく手を付けるのはどうかと思うのですが?』
「ぐ……」
『もし、これが何らかの理由で一時的に置いていった物だったらどうするのです?貴方が取っていったせいで帰り道で雪を頭に積もらせる人がいたとしても貴方の良心は痛まないのですか?』
「い、いやそりゃ……ほ、ほらこんな人気のない山道だし、なんかの拍子に飛ばされたやつかなぁ~って思ったりして」
『……つまり、貴方はなんらかの拍子で出た落し物なら我が物にしても構わないと、そう言うのですね?』
「へ?……げ、しまった」
『……どうやら少し灸を据える必要があるようですね』
「か、勘弁しておくれよ~」
『問答無用です。いいですか、そもそも……』
そう言って、雪の降る中で延々と説教してしまったのははしゃぎすぎだろうと昔の自分に言ってやりたくなるのもまた事実である。そして、そんな場をわきまえない地蔵の繰り言に付き合ってくれた彼女、小野塚小町は付き合いが良すぎる人だとも。
『……そう、つまり貴方に足りないのは克己心です。解りましたか?』
「解りました!!」
『よろしい。以後気を付けなさい』
「はっ、失礼します!!」
『……待ちなさい』
「ま、まだあるのかい……?」
『この笠ですが……貸してあげます』
「へ?……いいのかい?」
『構いません。盗まれるのならともかく、貸し出すのなら問題はないです。この身は慈悲深さを持って鳴る地蔵菩薩の形代、ここで知らぬふりをしては、この笠を供えてくれた御老人にも面目が立ちません』
「……解ったよ。それじゃあ、有難く。……返すのは明日でいいかい?」
『いつでも構いません。返して下さるのなら』
「……いやぁ、それでもやっぱり明日返しに来るよ。だって……」
……笠がないとお前さんも寒そうだ。そう言って小町は爽やかに去って行った。……ここで終わるのなら、とある地蔵と石像を気遣う優しい死神のちょっといい話で終わったのだが、実はこの光景を横合いから見ていた人物が居たため話は続いてしまう。その人物は村ではちょっとした顔役らしく、あちこちに顔が利いたため彼が見たこの光景は村中に広がってしまったのである。つまり、
「大鎌持った死神が地蔵様にペコペコ頭下げて、手ぇ合わせて帰ってったんだ。いや、ありゃまるで死神が親父に説教されてる子供みてぇだった」
という話が。死神と言うのは三途の川の渡守なのだが、人間の間では死そのものの予兆だ、などと思われたりして不吉なものと勘違いされていることがある。そんな死神を説教して追い払ったのだから、あれは凄いお地蔵様に違いない。そうだあれはきっと徳の高い『説教地蔵』なんだ。……かくして噂に尾鰭が付き、私は『説教地蔵』と呼ばれるようになったのである。
『こうして思い返すと噂という物の怖さがよく解りますね』
「全くだねぇ。いつの間にかあたいは子供を十人まとめて三途の川に沈めたようとしてた所を、お前さんに見られて説教された極悪死神になってるからねぇ」
『……それは素直に悪いと思いますが』
「いやいいさ。その後、極悪死神は地蔵様に説教されて改心し、地蔵様の掃除をするようになったのでしたって続いてるからね。お陰でこうしてあたいも偶の休暇を話し相手付きでゆっくりできるってもんさ」
『……ふむ。ならいいのですが。私も小町と話すのは好きですから』
「そうだろうそうだろう?という訳で、今日も早速こいつで一杯やりながら由無し事を語ろうじゃないか」
とても楽しそうに笑いながら小町はどこからか取り出した日本酒の一升瓶を私の前に供える。……この身はただの石像だが、こうして供えてもらうと私でも飲めるようになるのだ。概念的な物なので実際に酒が減る訳ではないのだが、小町曰く「そっちの方がお得」とのことである。
『昼日中から酒盛りというのは些か自堕落な気もしますが……いいでしょう。小町は日頃良く働いているようですからね。これぐらいなら十分に対価の内です』
「あっはっはっは、説教地蔵様のお墨付きならあたいも安心して飲めるってもんだ。……ところであたいの働きっぷりなんてどこで聞いたんだい?」
『聞かずとも解りますよ。小町が私に供えてくれるお酒は一級品ばかりですからね。完全歩合制の死神業でこれだけの物を持ってくるのですから、さぞかし勤勉に働いているのでしょう』
死神業というのは金銭的に見ると非常に報われない職業である。渡し賃の額にもよるが、長大と言える三途の川を渡して得られる額は通常多くても六~十文程度。その死神業でこれだけのお酒を持ってくるためには、日夜汗水たらし懸命に働くしかない。……正直、私に供えるのはもっと安いお酒でいいと言おうと思ったこともあるのだが、からから笑って気にするなと言う小町が容易く想像できてしまうため言えずにいる。
「おお。その辺解るなんてお地蔵様のくせに意外と酒飲みなんだねぇ。いや、確かにあたいは同僚よりたくさん稼がせてもらっててね、何を隠そう毎年恒例『死神競艇十王杯~三途の川最速を決めろ!!~』三連覇中の小野塚小町とはあたいのことさ」
『……前言を撤回します。勤勉には働かずに荒稼ぎしているようですね』
説教が必要でしょうか、と得意気な顔の小町に向かって冗談めかして、さらりと言う。
「いやいやいやいや、その必要はないよ。なにせあたいは速さもぶっちぎりだけど、勤務時間もぶっちぎりだからね。まぁ、正直船渡しを仕事と思ったことはないんだけどね」
『……というと?』
「だってさぁ、船に揺られて波乱万丈の人生語りを聞きながら、鼻歌唄って、合いの手入れて、それで向こう岸まで渡すだけなんだよ?何遍渡したって苦になんかならないって」
むしろ、こっちがお捻り投げたいくらいだね。と小町は朗らかに笑う。軽く言うがとんでもないことである。なにせ三途の川というのは余程の聖人でない限り数時間ずっと船を漕ぎ続けなければ渡れないのである。それがどれ程の労苦かは想像に難くない。
『成程。貴方にとって三途の川の船渡しとは本当に天職だということですか』
「おうともさ……と言ってもあたいもやっぱり陸でゆっくりしたいこともあるんでね。こうして地蔵様に付き合ってもらってるって訳さ」
『そうですか。なんというか……貴方にとって人生は本当に楽しいものなんですね』
「その通り!!」
『……では、今日の乾杯の音頭の句はそれで行きましょうか』
「お、いいねぇ~待ってました!!」
小町が自分の杯と私の前の杯にお酒をトクトクと注ぐ。
『それでは……我が友、小野塚小町の楽しき生を祝して』
「『乾杯』」
掛け声と共に小町が二つの杯をうち鳴らす……私がかけ声をかけ、彼女がその手で杯を鳴らす。いつの間にか決まっていた二人の決まり、それが何時までも続くよう私は地蔵の身で祈りつつ杯を干した。
春 ~the spring~
「いやぁ、何て言うかこうしてお地蔵様の頭の上に桜が乗ってるのを見ると、春が来たなぁって感じがするねぇ」
言いつつ小町は私の頭の上の桜の花びらを手に集め、ふっと息をかけ局地的な桜吹雪を作り楽しげに笑う。私達が出会って三年目の春、すでにその光景は私にとっても季節の風物詩となっていた。
『ええ、ウグイスの鳴き声と満開の桜、そして、はしゃぎ回る小町。三つ揃ってようやく春が来たという感じがしますね』
私の置いてある場所の頭上には桜の樹が枝葉を伸ばしているため、ここからの春の眺めはちょっとした物である。地蔵として日々変わらぬ光景を眺め続ける私にとってはこの桜は本当に有難い。
「……お地蔵様。その言い方だとあたいが春になると裸になっちゃう類の可哀相な子みたく聞こえるんだけど?」
『そんなつもりはありませんよ。ですが、もしそう聞こえるというのなら貴方の方に疚しい所があるのでは?……ところで小町、胸元がちょっと開き過ぎですよ』
「え、おっとこりゃ失礼。……お地蔵様?」
『ふふふ、どうしました?』
「はぁ、やっぱり説教地蔵様には口じゃ敵わないなぁ、ちくしょう」
そう言って、小町は私の事を爪先でコツコツと蹴やる。……当たり前であるが、地蔵である私にはその小町の反撃を防ぐ手立てはない。
『ちょっと、やめて下さい小町。その攻撃は地味に響くんですから』
「へっへっへ、口で敵わなけりゃ脚にうったえりゃ言いのさ!!ああ、おっとう、おっかあ、あたいにこんなに長い脚を授けてくれてありがとう!!」
小悪党のような笑いを浮かべて小町は私を蹴り続ける。私が口でからかい、小町がこうして反撃する。これもまた三年でお約束になった情景である。と言っても……
『こら、ちょっと本当に……ひ、響いて……酔う……』
「あっはっはっは、今日こそあたいの壇ノ浦!!盛者必衰を思い知れぇ!!」
今日の小町は何か興に乗ってしまったらしく、いつもより多めに蹴り続ける。お陰で私もいい加減頭がクラクラしてきたのでやめて欲しいのだが……小町はやめるつもりはないようである。さて、どうしたものか。
「大車輪天罰蹴りぃ!!」
「うきゃん!?」
などと困っていたら、小町に天罰が下った。しかも子供の守り神たる地蔵菩薩に相応しく子供の一撃を持ってである。
「おい、そこの死神!!このお地蔵様に悪さするなら俺が許さないぞ!!」
「あたたた、人様にいきなり蹴り入れるなんて……一体どこの子だい、あんた?」
『ふむ、見覚えのある子ですね。確か前に弟御が無事に生まれてくるよう独楽を供えて行った子で……名を勘太郎と言ったはずです』
小柄な体躯に似合わぬ脚力で持って小町を蹴り飛ばし、私を庇うように堂々仁王立ちするその子は、春先に安産祈願に来た勘太郎少年であった。弟が出来たためか以前見かけた時より頼もしさが増しているように見える。
「お地蔵様、俺の事覚えてるんですか!?」
「おや?」
『ほう?』
そして、驚いたことに私の言葉に反応する勘太郎少年。……確かにあれから説教地蔵の名は更に広まったようで私の力は倍々に伸びていっていたが……
『……(子供だからか、元々素質があったか……とにかく、こうして言葉を交わせるのは喜ばしいことですね)……ええ、覚えていますとも、まだ見ぬ弟御のために懸命に祈っていった兄君のことは』
「へへへへへへ」
勘太郎少年は口の端を上げて照れ臭そうに鼻の頭を擦る。そして一転すると小町に向き直り腕を振り上げ威嚇する。
「あー、と……! ふふふふふふ、かつてこの悪の死神を退けた地蔵に復讐してやろうと思うたが、思わぬ邪魔が入ったな」
『……小町?』
(心配しなくても平気だよお地蔵様。ただ、ちょっとこの坊主と遊んでやろうってだけさね)
「な、説教地蔵様に説教されて改心したんじゃなかったのかお前!?」
「ふはははははは、それは世を忍ぶための演技さね!!捲土重来の期は来たり、そこな地蔵に今こそ、思う様落書きしてくれる!!」
堂々たる胸を堂々と張り、小町は筆を胸元から抜き放つ。が、その復讐の内容のみみっちさに私は拍子抜けして肩を透かされる。
「そ、そんなことはさせないぞ死神!!お地蔵様に手を出すならまず俺を倒してからにしろ!!」
「よかろう!!……しかし、お前のような小童では相手にならん。……ふむ、余興だ。特別に独楽で相手をしてやろう!!」
「『なっ!?』」
小町は手に持った大鎌を放り出し、胸元から今度は六文銭柄の独楽を取り出して勘太郎少年に突きつける。独楽を突きつけられた勘太郎少年は悪の死神の意外な提案に、そして私は小町の胸元の深さに驚きの声を上げた。
「ふはははははは、どうした小童。まさか独楽で戦うことが怖いなどとは言うまいな」
「言うかそんなこと!!……でも今は独楽が……」
『勘太郎、これを使いなさい』
「え?これは俺がお地蔵様に供えた独楽!?」
私の前にいつの間にやら一つの独楽が現れていることに再び勘太郎は驚きの声を上げる。……これもまた信仰が増したため出来るようになった事なのだが、私はお供え物を自身の内に収め好きなときに眼前に現す事が出来るのだ。
「くぅ、ありがとうございますお地蔵様!!……やい死神、これでお前に勝ち目は無くなったぞ!!俺はこの独楽を使って負けたことが一度もないんだ!!」
「ふはははははは、大した自信だ。ならば敗者は一筆勝者に落書きされるという提案をしよう。受ける勇気があるか?」
「当たり前だ!!」
『ちょっと小町!?それはマズイですよ!?』
(あっはっはっは、なに平気だよ、お地蔵様。一筆、二筆ちょびっと墨入れた後わざと負けてやるから)
『いえ、そうではなくてですね……』
「どうした死神、こっちは用意できてるぞ!!怖じ気づいたか!?」
「何をぅ!!三途の川の独楽小町と呼ばれたあたいにその啖呵!!覚悟はいいんだろうね!?」
どん!!と喧嘩独楽用の土俵を取り出し地面に叩きつける。どこから出てきたかはもはや言及すまい。
「用意はいいかい!!」
「おう!!」
「「いっ、せい、の……」」
『はぁ、知りませんよ。どうなっても』
「「せっ!!」」
かくして、村の代表と三途の川代表の誇りを賭けての喧嘩独楽の幕が切って下ろされたのであった。……私の制止をまるっと無視して。
一刻後――
「うぅ~もう一勝負!!もう一度勝負だよ勘太郎!!」
「えぇ~まだやんの~飽きたよ俺。だって小町ねぇちゃん弱いんだもん!!」
「ごはっ……」
子供の無垢だがそれ故に残酷な一言にとうとう小町は膝を付く。その顔は言うまでもなく墨の落書きだらけであり、対する勘太郎少年の顔は最初の勝負の時から一筆も入れられていない。
『はぁ、だからやめろと言ったでしょう?』
「うぅ~お地蔵様ぁ~なんであの坊主はあんなに強いんだよ~」
『……勘太郎の独楽を良く見てみなさい』
「はい?」
『確かにあの独楽は一見荒く削ってあるように見えますが、重心はしっかりしていますし、木も重い良い物を使っています。なにより明らかに手作りでしょう?それがどういう事か解りますか?』
「ええ~と?」
『当たり前ですが独楽作りというのは中々に難しい物です。なにせ下手に作ればまともに回りすらしないのですから。それをどう見ても齢、十かそこらの勘太郎が作る、ということは……』
「……まさか」
『勘太郎の父君は独楽作りを副業にしている、と聞いたことがあります。……むしろそっちの方が畑の収穫より儲かっている、とも』
「血統書付きかよあの坊主ぅ~~」
小町は私に縋りついて、おいおいと泣き叫ぶ。しかし、私は慰める気にはならなかった。なにせ地蔵のお告げを無視したのだ、多少の罰は当たって然るべきである。
「あ、俺もう帰らなきゃ。それじゃあ、また来ますお地蔵様。小町のねぇちゃんもまた遊ぼうな~~」
『はい。帰り道に気をつけて』
「ちくしょ~~今度はメンコで勝負だこの野郎!!」
「わかった~~!!」
子供は風の子。瞬く間に勘太郎は私の視界から消え去っていく。
『ところで小町』
「なんだい?」
『貴方が胸元から抜き放ったあの筆。よもや、本当に私に落書きするための物ではないでしょうね?』
「ぎっくう」
『どうしました小町?目が泳いでいますが』
「い、いやぁそんな訳ないじゃないか。あたいがお地蔵様に落書きなんてそんな罰当たりなこと……あはははは」
『そうですね。小町がそんな事する訳ないですよね』
「そうっすよ、あはははは」
『いえ良かったです。メンコ作りを生業とする兄君を持つ勘太郎にあんな勝負を挑んだので、罰が当たったんじゃないかと心配したんですが杞憂だったようです』
「……え゛?」
『ふふっ、どうしました小町?顔色が悪いようですが?』
「……う、うわぁああああん!!血統付きがなんだー!!雑種の強さを見せてやるチキショー!!」
私の告げた事実を聞いてやけっぱちな雄叫びを上げて小町は飛び去っていく。……恐らくメンコで負けてもいいように仕事をしに行ったのだろう。特訓ならここですればいいのだし。
「ふふ、小町は本当に元気がいいですねぇ。それにしても……今日もいい天気です」
小町を追って見上げた青空に、桜の花びらがふわふわと舞っていた。……願わくば来年もまたこんな桜が見られますように。
夏 ~the summer~
「いやぁ、何て言うかこうしてお地蔵様の回りの草を刈ってると、夏が来たなぁって感じがするねぇ」
『同感ですね。私もこうして小町の鎌捌きを見ていると、蝉の声が大きくなったように感じます』
「……なんかこんな会話去年もしなかったっけ、あたい達」
『……かも知れませんね。けれどそれはきっと、悪くない繰り返しだと私は思いますよ』
「そうかなぁ~……、うん、そうだね。あたいもなんかそんな気がしてきたよ」
くつくつと笑って小町は草を刈り続ける。いつもと変わらぬその背を見ていると心が安ぐのが解る。うん、やはりこの繰り返しは悪くない。
『けれども、変わって良かったと思う物もあります。特にこの向日葵という花は良いですね。まるで太陽が地に咲いたかのよう』
「ああ、それは良く解るねぇ。この大輪の花はあたいも好きだよ……今度一輪貰っていってもいいかい?」
『ええ、どうぞ。ただし、勘太郎にも尋ねてからにして下さいね。育てたのはあの子ですから』
「ああ、あいつが去年ここに花壇を作るって言ったときはどうなることかと思ったけど……きちんと物になったねぇ」
勘太郎が初めて私と言葉を交わしてからすでに一年が経っていた。その年は私が記憶している限りで一番楽しい年となった。時に小町と酒を飲み交わし、時に恒例となった小町と勘太郎の勝負の審判をし、時に真摯に私に手を合わせる人の願いに耳を傾ける。地蔵として、『私』として、これ程有意義な年は過去にはなかった。
「この花壇もだけど……お地蔵様の回りは随分変わったよねぇ。なんだい、この立派な御堂は」
昔、雪に埋もれてたのが信じらんないよ。と言った小町が、私を囲う小さいながらも丁寧な作りの御堂の屋根を叩く。……あれから私の言葉を聞ける人間は勘太郎を筆頭に徐々に増えていき、それに比例するように私への信仰は増えていった。最初、私の声が聞こえる様になった者の多くは子供だっため、一悶着あったのだがそこは小町の説得や説教地蔵の小芝居で凌ぐことが出来た。本当に彼女には感謝してもしきれない。
『ふふふ、それも貴方や村の人達のおかげですよ。ありがとうございます小町』
「やめとくれよ。あたいとお地蔵様の仲だろう?水臭いってもんだよそんなの」
「そうそう、それに小町ねぇちゃんはそんなに大した事してないしなー」
「をう!?いつの間に!?……と驚いてやりたいところだけれど、まだまだだね勘太郎。お前さんが山の方から忍び寄っていたことなんぞ小町さんはお見通しさ」
「ちぇー、また負けたか。独楽にメンコに双六に……ええと、あとほとんどは俺の勝ちなんだけどなぁ」
「ぐ、それを言うのはやめとくれ。と言うかなんでお前さんは双六まであんなに強いんだい!?」
「あはは、そんなの説教地蔵様のお陰に決まってんだろー。ほら小町ねぇちゃんも、もっと草刈すれば強くなるって」
「うぐ、明らかに誤魔化されているのにそれでも早まってしまうこの手が憎い!!」
いつの間にやら忍び寄ってきていた勘太郎と軽快な会話をしつつ、小町はざしざし、と音を立てて死神の象徴たる大鎌で草を刈っていく。前々から聞きたかったのだが、あの鎌はこんなことに使って良いのだろうか?
『……まぁ、それはさておき、呼び立ててしまってすみませんでしたね勘太郎』
「いえお気になさらずお地蔵様。俺ん家はお地蔵様に特に世話になってるんですから呼ばれりゃ来るのは当然です」
「(ざしざしざしざし)……前々から言いたかったんだけどさ、お前さんお地蔵様とあたいに対する態度に差がありすぎやしないかい?あたいも一応、物凄い年上なんだけど」
「え~それじゃあ……小町おばさん、とか呼んだらいいのか?」
「(ざしざしざ……)……今なんか言ったかい勘太郎?」
「さぁ~なんて言ったかなぁ~、お地蔵様なら覚えてるんだろうけどただの年寄りさんは忘れちゃったのかな~?」
「ふふふ、いい度胸じゃないか勘太郎。覚悟は出来てるんだろうねぇ?」
「おばさん相手にムキになるのもかっこ悪いけど、どうしてもって言うんなら相手してやるぜ」
『二人とも、すみませんがじゃれ合うのは私の話の後にしてもらえませんか?』
戦意溢れる笑顔で火花を散らしながら睨み合う二人。こうなると日が暮れるまで勝負に熱中してしまう事を良く知っている私は慌てて待ったをかける。……もう、手遅れなような気もするが。
「今日の種目は……」
「……花札!!」
「「さぁ、いざ勝負!!」」
「話を聞きなさい。えい、天罰覿面」
「「あだっ!?」」
完全に二人の世界に入ってしまった二人の頭を私は手にした錫杖ではたく。
「って、え?」
「あれ?今のは……」
そして、二人は頭の痛みが錯覚でないことを確認しつつ私の方にようやく顔を向ける。
「全く、せっかく貴方達に一番に見せようと思ったのに無視だなんて……流石の私も怒りますよ」
「え~あの……」
「もしかして……お嬢さん、お地蔵様かい?」
「他の誰だと思うんですか小町?ええ、私は貴方達の良く知る説教地蔵ですよ」
そう言って、人と変わらぬ姿の霊体で私は本体と同じ姿勢を取って見せる。ああ、でも恐らく私の顔は本体とは似ても似つかない、してやったりといった風な顔だろう。
「はぁ~こいつは驚いたね。強くなった神霊がこういう風に姿を見せるのは知ってたけど、まさか一介のお地蔵さんがこんな短い間で出来るようになるなんて、小町さんびっくりだよ」
小町は私に駆け寄って彼女の胸元辺りにある私の頭を撫でたり、頬をつまんで矯めつ眇めつしたりしている。……扱いがなにやら子供に対するそれのようだが今の私はとても機嫌がいいので見逃す。
「ええ、なにせ最近は他所の村からも私に手を合わせに来る人が居るぐらいですから……出来るかなと思ってやってみたら、この通りという訳です」
「いやぁ、参った参った。本当に凄いや、ちゃんと触れるし脱帽だよ」
「ふふふ、そうでしょうそうでしょう。……ところで勘太郎?」
「……!!」
「どうですかこの姿は?似合いますか?」
先程から黙りっぱなしの勘太郎に向き直りくるりと一回転して見せる。
「え、あ、う……こ、小町ねぇちゃん!!」
「おおう?どしたい坊主?」
(あれ本当にお地蔵様なのかよ!?)
(あん?何を今更、そうだって言ってるだろう。というかあの袈裟懸けの格好を見りゃ解るだろ?)
(そ、そうだけど……いいのかよ!?お地蔵様があんなに可愛らしくて!?)
(あ~なるほど。それは確かにあたいも思うけどねぇ)
「……二人とも、どうかしましたか?」
突如、私から距離を取り小声で話し始めた二人に私は尋ねる。ふむ、どこかおかしかっただろうか?
(うぐ、あ、あれとか反則だろ!!なんだよあの可愛さは!?)
(ああ、そうだねぇ……あの不思議そうなきょとんとした顔なんて、反則ものの愛らしさだよ……!)
「……二人とも、どこかおかしなところがあるのなら言って下さい。直しますから」
なおも私から離れてひそひそ話す二人に私は今度は不安になる。……む、いけません体に慣れていないから涙腺が……
「くわぁ!?いえいえいえいえ、おかしなところなんてどこもないですお地蔵様!!なぁ小町ねぇちゃん!!」
「いやいやいやいやいや、全くもってその通り!!おかしなところなんて微塵もないさね!!ただちょっとお地蔵様がどこぞの姫様みたいにかわい、もとい綺麗だったもんだから……」
何やら必死の様子で手を顔の前でパタパタさせていた小町が手を唐突に止め、視線を宙にやる。
「小町?どうしました小町?」
「閃いたよ!!」
「ひゃ!?……い、いきなり大声出さないで下さい。それで一体何を閃いたんですか?」
「いやぁ、あたいは常々思ってたんだよ。いまやあたいの親友なお地蔵様の呼び方が、いつまでもこんな感じじゃ他所他所しいって」
「それは……確かにそうかも知れませんが、この身は地蔵ですので他に呼び名はありませんので……」
「だから、それだよ閃いたのは」
「はい?」
「お地蔵様の名前だよ。ずっと考えてたんだけど今思いついたよ。映姫、四季映姫なんてのはどうだい?四季を映す姫、うん、雅やかでいいじゃないか」
「は、はぁ……」
小町のいきなりの提案に私は唖然とするしかない。なにせ地蔵に名前を付けるなんて聞いたことがない。これは地蔵として有りなのだろうか?
「……お、俺は……」
「勘太郎?」
「俺は良いと思います!!お地蔵様に似合うと思うし、それにお地蔵様の事を名前で呼べたら皆も喜ぶと思います!!」
「そうだろうそうだろう?流石勘太郎、小町さんの子分だね。話が解る」
「んなっ!?誰が小町ねぇちゃんの子分だよ!!さっきまで二十連敗中だったくせに!!」
「あっはっはっは、忘れたねぇそんな昔の話は。あたいが覚えてるのはコソコソしてた小僧っ子をバッチリ見つけた時の輝かしい勝利だけだよ」
「な、ずりぃよ小町ねぇちゃん!!」
「あっはっはっは」
小町に挑みかかるものの、額を抑えつけられ手も足も出ない勘太郎と軽やかに笑う小町を見ながら私は考える。ふむ、四季映姫。響きも良いし、文字の並びも綺麗なように思う。それになにより……
「小町」
「ん?なんだい、映姫?」
「……貴方は……私がそう名乗ったら嬉しいですか?」
「は?……何言ってんだい。お前さんのために考えた名前だよ?受け取ってもらえたら嬉しいに決まってるじゃないか」
「そう、そうですか……解りました。それでは今より私の名は四季映姫です。……改めてよろしくお願いしますね、二人とも」
「……うわ」
「…………ッ///」
「どうかしましたか?」
「い、い、いえなんでもないです!!そうだ!!俺、四季様に名前ができたって皆に知らせてきます!!」
そう言うやいなや、勘太郎は脱兎の如き勢いで走り去る。……はて?一体どうしたのだろうか?
「ふっふっふ、映姫も罪作りだねぇ」
「? 罪……ですか?私はあの子に何かしてしまったんでしょうか?」
「おや、自覚なしかい。まぁ、その姿になったばかりじゃ仕方ないかもしれないけどね」
「??」
「いや何、簡単な話さね。映姫の笑顔は……こいつに良く似てるってことさ」
「はぁ……?」
ピン、と向日葵の花を指で弾く小町の言葉に私は首を傾げる。私と向日葵が似ている……?
「……とりあえず背丈は似ていないように思うのですが」
「あっはっはっは、確かにそうだねぇ。お前さんと比べるとこいつは随分、背ぇ高ノッポだ」
向日葵の花を見上げる私とそれを見て笑う小町。そして背ぇ高ノッポの向日葵がそんな私達を明るい顔で見下ろしていた、風に吹かれてゆらゆらと楽しそうに揺れながら。……願わくば来年もまた、小町とこんな向日葵が見られますように。
秋 ~the fall~
「いやぁ、何て言うかこうして映姫の回りの落ち葉を掃除してると、秋が来たなぁって感じがするねぇ」
「ええ、その通りですね。そうして大鎌で器用に枯葉を集めつつも、どうしてもそのサツマイモの方に気が向いてしまう小町を見ると秋の足音が聞こえてくるようです」
「あっはっはっは、嫌だねぇ映姫。それじゃあ、あたいがどうしようもない食いしん坊みたいじゃないか」
「ふふふ、そう言ったんですよ。わざわざ私の名前を使って村からサツマイモを貰ってきた小野塚小町さん?」
「うぐ、な、何故それを」
「舐めないでください。今やこの近隣の村々で私の耳の届かない所などありません」
「うひゃあ、そいつは凄いねぇ……いやまぁ確かに去年、映姫がその姿になれるようになってからの信仰の集まりっぷりは凄かったからねぇ」
「……ええ、見た目の親しみやすさという物の重要性が身に染みて解りました」
こちらの姿が親しみにくいとは思いませんが、と私は本体の頭を撫でつつ溜息をつく。この人間の姿をとるようになってから、私への信仰はそれまでの倍々から、さらに三倍、四倍と伸びていった。特に仕事やら人生やらに行き詰まった人が私に説教されに来るようになったのが大きい。なんでも滝で身を打たれるより心身が引き締まり、やる気が出るのだとか。……私なりに彼らのためになるよう話しているつもりではあるが、そこまで効くものだろうか?
「あーそれはまぁ、子供に説教されてるようで情け無くなって、発奮するからだろうねぇ」
「? 何か言いましたか小町?」
「いーや、なんにも言ってないよ」
「そうですか。……では人の名前を勝手に使って、村人からサツマイモを巻き上げてきたことについて説教しましょうか」
「うげ、いやいやいや待っておくれよ映姫さん。確かにお前さんの名前は出したけど、それは焼き芋にして映姫に供えるからくれないかいって頼んだだけだよ?脅しては勿論いないし、これから映姫に供えるんだから嘘でもないだろう?」
「確かに嘘は付いていませんが真実全てを言い表わしてはいないでしょう?例えば自分も食べるつもりだとか、私は一つ食べればお腹いっぱいなのに、小町は四つも五つもパクパク食べるつもりだとか」
「ぐ、いやでも嘘は吐いてないんだし」
「わざと隠したのなら嘘を付くのと変わりません。その言い様は詐欺師のそれとさして変わりませんよ、小町」
「うぐぅ」
「……はぁ、とは言ってもお供え物として渡してくれた村人達の芳心は真のもの。それを突き返すわけにはいきません。小町、枯葉はそれで十分でしょう?村に行って焼き芋をやるからと言って子供達を呼んできて下さい」
「え~それじゃあ、あたいの食べる分が……」
「こ・ま・ち?」
「不肖、小野塚小町!!説教地蔵様の命により村への伝令に行って参ります!!」
腰に手を当てて凄んで見せると、小町は一目散に村への道を駆けて行く。……全く、始めから自分もそのつもりなんだから素直に行けばいいものを。私は内心でそう呆れ、二人で食べ切るには明らかに多いサツマイモの山を見遣る。
「どうして小町は変なところで素直じゃないんでしょうね?」
花壇に咲いている曼珠沙華に向かって問い掛ける。私の力は今や地蔵としては過分な物になりつつあるが、しかし、それでもこの場から大きく動くことは出来なかった。それは勿論、私の本体が動かぬ地蔵だからなのだが、そうでなくても私はこの場を動こうとはしなかっただろう。力があっても私はあくまで地蔵である、その本分を忘れるつもりはない。
「……と言ったら、皆、四季様が退屈しないようにと言って花を持って来てくれるんですから……有難い事です」
曼珠沙華を眺めて、私は思わず微笑む。
「しかし……この曼珠沙華はどうなんでしょうね?天上の花なのですからお供え物として問題はないのでしょうけど、一応、毒草なんですが」
ないとは思うし、絶対にさせないが子供が間違って口に入れでもしたら事である。ただでさえ私はお供え物の多くを子供達に振舞っているのでそれが怖い。このことを小町に話したら「あー、映姫に悪い虫が付かないようにっていう皆の気持ちも汲んでおやりよ」と言っていたが、小町が掃除してくれるから私の本体に虫など付かないし。
「もう一度、小町に相談してみましょうか。……という訳でどう思いますか小町?」
「いや、相談してもらってもねぇ、まずその勘違いをどうにかしないと」
「勘違い?」
「そうだよ。その虫って言うのは子供押倒して変なことしようっていう変態共のことなんだから」
「む、そんな不届きな輩が居るのですか?小町、今度そんな人を見つけたら私の所に連れてきて下さい。この説教地蔵が説教してやります」
「……あー、そうだようねぇ。お前さんならそう言うよねぇ」
小町はやれやれ、と肩を竦める。むぅ、何やら小馬鹿にされている気がするのだが。
「まぁ、それはそれとして子供達の方はもう少ししたら来るよ。皆で集まってた所に友達誘って寄っといでって言っといたから」
「そうですか。ご苦労様でした」
「おう。それじゃあ、あたいは焼き芋の準備でも……おや?」
「ふふ、準備なら私がしておきましたよ」
「しておきましたって……じゃあ、物にも触れるようになったのかい?」
「ええ、驚きましたか?」
「……ああ勿論さね。正直、あと三年は掛かると思ってたんだけどねぇ」
目と口で丸を作っている小町を見て私の中に満足感が行き渡る。未だに人やお供え物以外に触ろうとすると凄く疲れるのだが頑張って火打石を擦った甲斐があった。
「それにしても、結構もう焼けているようだねぇ……ねぇ映姫」
「ふふっ、皆まで言わずとも結構ですよ。本来なら皆が来るまで待てと言うべきところですが私の回りを掃除してくれたお礼です。お上がり下さいな」
「おおう!?今日の映姫は話せるねぇ、どれ、では早速一つ……」
「ああ、待ちなさい。仮にも食べ物をその大鎌で漁ってはいけません。使うならこっちにしなさい」
「……いや、そこで普通の顔して錫杖を差し出されてもあたいとしては困るんだけどね」
「気にせず使いなさい。奉公してくれた方に報いるために使うのですから地蔵菩薩様も怒ったりはしませんよ」
「そうかい?それじゃ遠慮無く」
小町は錫杖を受け取るとざかざかと枯葉の山を漁り焼き芋の発掘に勤しむ。去年はこの横に勘太郎も居り、競うように焼き芋を発掘していたのだが私がその後ろで発掘された芋を他の子達に配ってしまったので結局、手元に一つしか残らず二人揃って呆けた顔をしていたっけ。
「ふふっ」
「? どうかしたかい?」
「いえ、少しばかり思い出し笑いを……そう言えば勘太郎はどうしたのです?いつもなら、いの一番に駆けつけてくるのに」
「ん~?そういえばどこに行ったんだろうねあの坊主。村の方では見かけなかったけど……お、あったあった」
ほこほこと煙を立てる焼き芋を錫杖で突き刺した小町がこちらに振り向く。
「ま、あの坊主もそろそろ元服やろうかって歳なんだ。そこまで心配するこっちゃないよ。彼女でも出来てよろしくやってるのかもしれないしねぇ」
「……小町、小指を立てるのはやめなさい。親父臭いですよ」
「む、こんなに女らしい小町さんを捕まえて親父臭いはないんじゃないかい?」
小町がしなを作って、婀娜っぽい流し目を私に送る。その姿は小町の言う通り女らしさ、というか色っぽさに満ちているが……
「……確かに貴方は色々と女らしい所も多いですけど……焼き芋片手に言われても説得力に欠けます」
「……それもそうだね。それじゃまずこいつを片付けちまおうか」
小町は焼き芋を二つに割って片方を美味そうに頬張り、もう片方を私に差し出す。
「あ、いえ私は皆が来るまで待っています」
「む、なんだい説教地蔵様は私だけをつまみ食い犯にしようってのかい?そんなこと言う口は……こうだっ!!」
「え?……ふもっ!?」
小町はそう言うと同時、私の口に焼き芋を無理やり押し込む。……って、あつっあつっ!!
「ふぉ、ふぉまひ!!はにふぉするんれすか!!」
「いや言えてない、言えてないよ映姫。そしてお前さん反則だからね、それ」
「??」
熱さに耐えかねお供え物の水を取り出して、舌を浸す私を見て小町が溜息をつく。……うぅ、こっちは熱くて涙目なのになんでそんなにしれっとしているんですか。
「はぁ、こりゃやっぱりしばらく曼珠沙華を供えておくべきだねぇ」
「よく解りませんが……何か問題があるなら直すよう努力しますよ?」
「いや、お前さんはそのままでいておくれ。そういう映姫があたいは好きなんだから」
「……ふむ。小町がそう言うならそうしておきましょうか」
小町に好かれるというなら、それは望ましい事なのだし。
「あっはっはっは、そうそう、そうしといておくれ。ほら、もう一口食べたんだから大人しくつまみ食いの共犯になっちゃいな」
「むぅ……罪を犯せば、また一度というのは堕落への第一歩……なのですが、口を付けた物を残すというのも気が引けますね」
地蔵の身で罰が当たるというのは笑えないし、仕方ないここはご相伴に預かるとしよう。
「仕方ない~?な~に言ってんだい。そもそもあたいが芋貰ってくるのを止めなかった時点でお前さんは共犯だろう?」
「な!?いえ、それは私が気付いたときには、すでに貴方が意気揚々と芋の入った袋を受け取るところだったからでですね……」
「お~お~世にも名高き説教地蔵様が嘘つき地蔵に変わっちまったよ。世は諸行無常とはいえ、悲しいねぇ」
「な!?……もう小町!!」
「あっはっはっは」
憤る私の頭を片手で抑えつつ、小町は焼き芋をまた一口齧る。
「ほれほれ一度食べると言ったんだから大人しくお食べよ。本当に嘘付き地蔵になりたくはないだろう?」
「……はぁ、全く貴方はいつも調子がいいんですから」
けらけら笑う小町に毒気を抜かれ、なにやら力の抜けてしまった私は小町の言う事に従い焼き芋を口にする。ほんわかと柔らかい甘みが私の口の中に広がる。うむ美味なり。
「ふむ、良かったねぇ。これで願いが叶ったよ」
「はい?」
「……覚えてないかい?去年、映姫は言っていただろう?また、こうして来年の秋に焼き芋が食べられますようにって」
「……!……小町こそ、覚えていたんですか」
覚えていないはずがない、なにせ小町が芋を受け取るのを止める機会を逸してしまったのは、その事が頭を一瞬よぎってしまったせいなのだから。……とはいえ、それにしても……
「貴方がその事を覚えていてくれたのは喜ばしいですが……一つ肝心な事を忘れていますよ小町」
「ん?何をだい?」
「私は『貴方と』また焼き芋を食べられますようにと、言ったんです。そこを省かれたのでは私が唯の食いしん坊のようではないですか」
私にとって重要なのはそこなのだ忘れてもらっては困る。なにせ小町と一緒だというのなら、それが煎餅に変わろうと、曼珠沙華を眺める事に変わろうと構わないのだから。
「あー何と言うか……やっぱりお前さんには曼珠沙華が必要だよ、うん」
なにやら頬を掻きつつ曼珠沙華を一輪手折り、小町は私の髪にその花を飾る。
「小町?どうしたのですか?なにやら顔が赤くなっていますが」
「あー何でもない何でもない。ほら、焼き芋を食っちまおう。焼き芋を冷ました、なんてなっちまったらそれこそ罰当たりってもんさね」
「?……ふむ、確かにそうですね、それでは頂きましょうか」
腑に落ちない所はあるが、小町の言うことも最もだと思った私は小町にならって焼き芋を啄む。……うん、今年も去年と変わらず芋の出来は上々なようだ。……去年と変わらず、か。
「……ふふ」
「うん?どうかしたかい映姫?」
「いえそうですね、もうこれも毎年恒例のようなものですし……」
「?」
「どうかまた来年も……」
こうして変わらず過ごせますように。私がそう言って焼き芋を頬張ると小町は目を丸くして、そして、そっと微笑み私と同じように焼き芋を頬張った……それからしばし私達は、焼き芋が二人の手からなくなるまで静かで穏やかな時を過ごすのだった。そう……
「……おや子供達が来たみたいですね。……ああ、あんなに走っては転んでしまいます」
「あっはっはっは、あんなに慌てなくてもまだたくさんあるっていうのにねぇ。お~い!!お前さんら、慌てなくても芋は逃げやしないよ!!」
「…………ぜぇ、ぜぇ、し、四季様!!小町ねぇちゃん!!た、大変なんだ、か、勘太郎が……」
「ん?あの小僧っ子がどうかしたかい?」
「か、河に落っこちた弟助けて……」
「「……え?」」
冬が訪れる前、私達が変わらずに過ごせた最後の時を静かに穏やかに。
冬 ~the winter~
「いやぁ、何て言うかこうして映姫の回りを雪かきしてると、冬が来たなぁって感じがするねぇ」
「ええ、全くですね。こうして小町が私の笠をかぶって雪を押しやるのを見てると、雪の冷たさに改めて気付かされます…………はぁ、何をやってるんでしょうね私は」
一人で小町の声真似までして。自分の一人芝居の虚しさに気付いた私は思わずそう呟く。
「落ち込むのは解りますが……私の所にぐらい来てくれてもいいでしょうに。……そうすれば、お互いに励ますこともできるのに」
私は色付いた枯葉がまだ木々の枝に残っていたあの日のことを思い出す。
『か、河に落っこちた弟助けて……そん時に頭打ったみたいで、血ぃ出て……お医者様が……もう、ダメだって』
『『……え?』』
『と、とにかく二人とも一緒に来てくれよ。ってああ、四季様はここから動けないんだった……それじゃ小町ねぇちゃんだけでも!!』
『は?え?』
『……小町、行きなさい』
『いや、ちょ、ちょっと待っておくれよそんな事いきなり言われても……』
『小町ッ!!』
『――ッ、場所はあいつの家かい!?』
『え、ああそうだけど……ってわぁぁ!?』
『ぶっ飛ばしていくよ!!しっかり掴まりな!!』
『わぁぁぁ……!?』
そうして、小町は勘太郎の家の方に飛び去って行ったのだった。そして、どうにか間に合いはしたらしい……死に目に。
『はは、いやいや参ったね。あの坊主、最期になんて言ったと思う?悪ぃな小町ねぇちゃん勝ち逃げしちゃってよ、だってさ。全く、カッコつけ過ぎだよあの坊主』
『……小町……』
『さってと……映姫、悪いけどあたいはしばらくこっちに来れなくなるよ』
『え?』
『いや何、葬式で手ぇ合わせてしめやかにって柄じゃないだろう?あたいは。ならせめて……あの子を渡してやるのはあたいがやってやりたいからね』
『……そうですね。勘太郎と言葉を交わせる最後の機会です。見逃してしまえば薄情だと言われてしまいます』
『だろう?だからついでに最後に一勝負してやって、せいぜい楽しく送ってやるさ』
『……勘太郎の家族には私の方から言っておきます。ですから……あ、あの子に、私が、ありがとう、と……』
『ああ、ああ、泣くんじゃないよ。あたいは勘太郎にお前さんの事よろしくとも頼まれてるんだから。……とはいえ……そうさね、あたいが次来る時までには泣き止んでおいておくれよ?』
『……ヒック、はい、はい……大丈夫です』
『よし、それじゃあたいは行くよ。次会った時はあいつを偲んで一杯やろう』
……と、そう言って立ち去って以来、小町はここを訪れていない。四十九日もとっくに過ぎたというのに。
「勘太郎と一番仲が良かったのは小町でしたから……辛いのは解りますけど、私だって……辛いんですよ、小町」
今度は勘太郎の祖母殿が私の前に来たときの事が私の脳裏をよぎる。
『この度はその、ご愁傷さまでした。……惜しい子を亡くしました』
『有難い御言葉です。四季様にそう言ってもらえればあの子も報われるってもんですじゃ』
『……私は……報いてなんかいません。あれだけあの子に色々してもらったのに……肝心な時に、なにも』
『……いぃえぇ、それは違います四季様。あの子はきちんと加護を授かりました』
『そんな……そんな事は』
『実はですねぇ、四季様。ここだけの話ですが、あの子はカナヅチだったんですよ』
『……へ?』
『だというのに、あの子は河に飛び込んで……本当ならきっとそのまま二人して沈んでいったんだと思います。けれども、あの子は弟を命懸けで助けた立派な兄になれた。これが加護でなくてなんなのですか』
『で、でも』
『それにです。河に飛び込んだのはあの子自身の決断ですじゃ。それに責任を持つなんてことは、このばばあには勿論、お地蔵様にだってできることじゃありません。ですから四季様、あの子が死んだのが、自分のせいだなんて思わないでくだされ』
『……祖母殿は……私が憎くはないのですか?もしかしたら、あの子を助けられたかもしれない私が』
『……その事に思うところがないと言えば嘘になってしまいます。けれども……』
『けれども……?』
『年食ったばばあが一番怖いのは、何より孫に嫌われることでしてな。ここで四季様を責めたりしたら、孫に夢枕に立たれて叱られてしまいますわ。それを思えばとてもとても……ですからこう言わさせてもらいます、四季様、有難う御座いました、あの子の死を意味あるものにしてくださって、弟を助けさせてやってくださって……有難う御座いました』
『……祖母殿』
最後に私に手を合わせて勘太郎の祖母殿は去っていった。あの子の葬儀が終わった次の日のことである。
「……いっそ責めてくれた方が楽だったのかもしれません……いえ、こんな事を言ってはいけませんね、勘太郎にも祖母殿にも申し訳が立ちません」
滲んだ涙を拭って私は雪の降る空を仰ぐ。
「……小町、どうして居てくれないんですか?今年も私の横に雪だるまを作るって言っていたじゃありませんか」
「うぃ~それじゃ今から作りましょうかぁ~雪だるま~」
「……! こ、小町!?」
虚空に溶けて消えるはずだった問いかけに応えを返したのは、誰あろういつの間にやら私の後ろに居た小野塚小町だった。
「全くもう!!貴方は一体今まで何してたんですか!?貴方がちゃんと勘太郎を渡せたかどうか心配して眠れなかった夜が幾晩あったと……こ、小町?」
「ふぃ~?どーかしたかい、え~きぃ~?ふぅー」
「ぶわっ……お、お酒臭い……あ、貴方、今までお酒飲んでたんですか!?」
「あ~い。そーですよ~飲まなきゃやってらんないですよ~だ。ひゃっひゃっひゃっ」
「こ、この……小町!!幾ら何でも怒りますよ!!」
「お~う怒れ怒れ、そんでこの役立たずな小町さんを叱っておくれよ説教地蔵様ぁ~……うぅ」
「……小町?」
「うぅ、本当に、あたいってばなにも……うぅ、うぅぅ~~~」
「こ、小町!?どうしたんですか小町!?」
酔いどれた態度から一変、突如として泣き出した小町に私は成す術なく狼狽する。そして、小町はそんな私に構わずにいつまでも泣き続けた。……それが、私が見る初めての小町の涙だった。
「……賽の河原って知ってるかい?」
あれから、しばらくひたすら泣き続けて涙と一緒に酒精まで流し尽くしてしまったのか、随分と落ち着いた様子の小町に事情を尋ねると一言そんな言葉が返ってきた。
「ええ、まぁ知識でなら。親より先に死んだ子供が延々と石を積まされる罰を受ける三途の川の河原だとか……まさか」
「ははは、ああ、そのまさかだよ。勘太郎が居たんだよそこに」
「そんな……確かにあの子は親より先に死んでしまいましたけど、それは弟御を助けるためで決して罰を受けるようなことでは……」
「……あたいもそう思って、閻魔様に聞いてみたさ。そしたらなんて言ったと思う?関係ない親より先に死んだ者は皆賽の河原行きだ、だってさ。はっ、馬鹿みたいな話だよ」
「……小町……」
「それからあたいも何とかならないかと思って色々調べたさ、らしくもなく是非曲直庁で文献漁ったりもしてね。そしたら……笑っちゃうよ、昔からその罰自体はおかしいんじゃないかって話は出てるのに閻魔王様が決めた規則だからっていって誰も何も言わないんだ。お陰で今じゃその話するだけで煙たがられて左遷だってさ、閻魔は自身の中に絶対的な善悪の基準を持つんじゃないのかよ、畜生」
そこで、小町は私が渡した水を一息にあおって、酒臭い息を吐く。
「それで……せめて、勘太郎の様子を見るようにしてたんだけど……とうとうあの子が積んだ石を同僚が蹴飛ばす所に行きあっちまってね。流石に切れて殴りかかっちまって……」
今日まで謹慎だよ。と言って小町はその場にゴロリと寝転ぶ。すると当然、雪まみれになってしまうのだが小町は気にした様子もない。
「畜生、これじゃ一体勘太郎の家族になんて言ったらいいんだい?弟さんに兄貴はあんたを助けたせいで石積みやらされてますとでも言えって言うのかい」
「あ……その」
「……いや、映姫に言ったって仕方ないことだね。御免よ」
「いえ……」
「……あたい、死神辞めるよ」
「え?ええ!?」
「なんか馬鹿らしくなっちまったよ。あんないい子を向こう岸に渡してやれずに何が死神だっていうのさ」
「それは……でも、小町は死神が自分の天職だって言っていたじゃないですか。それに勘太郎だって、きっとそんな事望みはしない……」
「……望みはしないって?そりゃそうだろうさ!?延々延々来る日も来る日も石積みやらされて、蹴っ飛ばされて!!あんな空っぽの目になっちまったら何も望める訳ないだろう!?」
「う……」
「……お前さんには解んないよ。ここで、ただ安穏としてればいいお前さんにはね」
「そ、そんな言い方……ぐす」
「………………悪い。やっぱり気が滅入っちまってるみたいだね。今日はもう帰るよ」
「あ、小町……」
私に背を向けて立ち去ろうとする小町を呼び止めようとするしたが、私はその声を飲み込んでしまった。なんと言って励ませばいいのか解らなかったし……なにより、いつも私を見下ろしていた小町の背がとても小さく見えて……声をかければ立ち消えてしまうのではないかと、そう思ってしまったから。
「……互いに励まし合うこともできないなんて……これじゃ親友失格ですね、私」
小町の背が見えなくなってようやく口を開けた私だったが、最初に出た言葉は自虐の言葉であった。
「それに……ただ安穏と、か」
その言葉を口に乗せると自嘲の笑みが湧き上がって来る。確かにその通りだと思ってしまったからだ。増した信仰も、花壇や御堂も、四季映姫の名も、みんな村人や勘太郎や……誰より小町に与えられたものではなかったか。それらを得るために私は何かできただろうか?
「……できてませんね。やったことといえば……せいぜい理屈を捏ね回した説教ぐらいでしょうか」
無力ですね、自身で言った言葉が肩に重くのしかかる。この身は地蔵、形こそ地蔵菩薩を真似てはいるが、その実ただの石像である。賽の河原の勘太郎を救うことも、嘆く友人の元に行くことすらできない。
「さて、それはどうですかな。少なくとも友人の元に行けるようになることはできますが」
「……! 貴方は……?」
突然、降って湧いたような声に俯いた顔を上げて見ればそこに居たのは見覚えのない白髭白髪の老人だった。
「ふむ、貴方はと聞かれてもやつがれには貴殿のような風雅な名はありませぬので……失礼ながら、この身の役でもって返答とさせて頂きますぞ。やつがれは……」
ヤマザナドゥ、人が閻魔と呼ぶ者です……そして、そう答えた閻魔様が語った話は私に一つの選択肢と大いなる苦悩を与えるのだった。
……………………
…………
……
「……それではやつがれはこれにて。四季殿くれぐれもどうか悔いの残らぬようよくお考え下され」
「……はい、御忠言有難う御座います」
「なんの、それがやつがれの役目なれば……では御免」
スゥ、と空に溶けて消える閻魔様。それを見届けてようやっと私は肩から力が抜ける。
「驚きましたね。話には聞いていましたけれど、まさか私の所にくるなんて……閻魔の募集が」
私は閻魔―ヤマザナドゥ―様の言葉を思い出す。
『些か不作法で恐縮ですが、単刀直入にお尋ねしますぞ四季映姫殿。貴殿、閻魔になってみる気は御座いませんかな?』
『は、はい?』
『む……四季殿は近頃、地蔵諸氏に閻魔の募集がかかっていることはご存じないですかな?』
『い、いえ、それは存じておりますが……その募集というのは閻魔様が直々に来られるようなものなのですか?』
『いえ、通常ならば我々地蔵の大元であらせられる地蔵菩薩様を本地とする初代閻魔王様からの一斉発信ですが、やつがれは故あってこうして自ら足を運んだ次第です』
『故……ですか?』
『左様。これを話すと四季殿に首を振られるやもしれませんが、実はやつがれが担当する地区はかなり多忙……いえ、はっきり言ってしまって殺人的な激戦区でしてな。すでにやつがれの同輩が四人、過労で倒れています』
『そ、それはまた恐ろしい……い、いえ大変なお役目お疲れ様です』
『労いの言葉を頂き恐縮です。しかし、そう言って頂いた直後にこのような事を述べるのは心苦しいのですが、やつがれもそろそろ限界でしてな。……言い訳させて頂くなら、通常通りの二交代制ならどうにでもなるのですが、倒れた同僚の分も務めをこなしておりまして、今日で連続勤務三ヶ月目になります』
『三ッ!?ヶ月ですか?』
『然り。故にこのままでは、やつがれも道半ばで倒れた同輩達の後を追うことになりましょうな……故に、早急に次なる閻魔を募集せねばならない訳なのですが……しかし、これまでの事を踏まえれば生半な者にヤマザナドゥが勤まらないことは明白。そこで、近頃我々の間でも評判の貴殿にお願いに参った、という次第です、説教地蔵殿』
『はぁ、なるほど……って評判!?私が閻魔様方の間でですか!?』
『無論ですな。貴殿の説教を聞けばどんな悪人も悔い改め三途の川を渡るため善行を積む、と。我ら閻魔の中には貴殿を見習い地上で説教をする者も居るぐらいです。……実の所、かく言うやつがれもその一人でしてな』
『は、はぁ……』
『そこで最初の話に繋がるのですが……どうでしょう、お受け頂けませんかな四季殿。率直に言って貴殿はかなり閻魔向きの為人のようにお見受け致しますぞ』
『……それが小町の……友人の元に行くための条件、ですか?』
『……そう取って頂いて構いませぬ。先の言に他意はありませぬが、地蔵のままでは動けぬが閻魔になれば動けるとそう言った訳ですからな、申し訳ない』
『あ……すいません。私の方こそ勘繰るような物言いをしてしまって……』
『謝りめさるな。その疑いは正しいものですぞ。なにせ、やつがれが貴殿に閻魔になって欲しいという欲を持っているのは事実ですからな……ふむ、四季殿。察するに、どうやら貴殿はこの話に乗り気ではない……のですかな?』
『……私は地蔵である自分に、ここで里を見守る役目にあることに不満を持ったことはありませんので……けれど……』
『御友人の事も気になる、と?』
『……はい』
『尊敬する貴殿の願いです。でき得るなら双方共に叶えて差し上げたい所なのですが……閻魔といえど、やつがれもまだまだ不肖の身、片方の願いしか聞き届けることができませぬ……しからば』
『?』
『一日、今日一日。貴殿に時間を差し上げまする。どうかその時間にてどちらを取るか、御決断頂きたい』
『い、一日でですか?』
『申し訳ない。短な期間であることは承知しているのですが、もし貴殿に断られた場合すぐに次の候補を探さねばなりませぬ。それを考えると、これが今の幻想郷……失礼、やつがれの担当区の事情が許す精一杯の時間なのです。どうかご容赦願いたい』
『あ、いえ……そうですよね、閻魔様の裁きは輪廻の基幹となる重要な役目です。こちらこそ私事で我侭を言って申し訳ないです』
『私事などと……この里を見守る地蔵の役目も閻魔のそれと変わらず重要なことであることはやつがれも承知しております……心中お察しいたしますぞ』
『有難うございます。……考えてみます、閻魔になることも、ならぬことも』
『それがよろしいかと……それではやつがれはこれにて、四季殿、くれぐれも……』
「悔いの残らぬように、か……」
ヤマザナドゥ様の言葉を繰り返して私は苦笑してしまう。悔いの残らぬように、簡単なようでいてなんと難しい命題か。
「あんな自暴自棄の小町を放っておくのは論外です。さりとて、こんな私を熱心に祀ってくれる村人の皆さんを裏切る訳にも……」
二律背反。あちらを立てればこちらが立たず、私が今置かれている状況は正にそれである。
「…………」
目を閉じる。
―考える。
『何卒娘と孫に御加護を……南無』
私に祈ってくれた村人の信仰を。
―考える。
『このお地蔵様に悪さするなら俺が許さないぞ!!』
私の前に立った小さな影を。
―考える。
『何言ってんだい。お前さんのために考えた名前だよ?受け取ってもらえたら嬉しいに決まってるじゃないか』
私に名付けたときの彼女の笑顔を。
―考える。
「『乾杯』」
そう言って杯をうち鳴らした時の願いのことを。
考えて、考えて、考えて……そして、
「……決めました」
目を見開いたとき、私にもう迷いはなかった。……この決断に悔いは……ない。
翌日―
「四季様。御言葉の通り、村の者集まれるだけ集まりましたぞ」
「そうですか……随分、多いですね」
「かっかっかっかっ。そりゃあそうです我らが説教地蔵様に折り入って話があると呼ばれたのです。来ぬのは病で動けぬ者とそれに付いている者ぐらいですかな」
矍鑠とした様子で親しげに笑うのはこの村の村長さんで……勘太郎の曾祖父に当たる人物である。この人も曾孫と同じくよく私に花を供えて、今と同じように笑っていた。……大丈夫、悔いはない……ないったらない。
「それで……四季様。我らに話とは一体……?」
「……今日集まってもらったのは……皆に別れを告げるためです。この身は今日より閻魔として地獄に赴くことと相成りました」
「「「…………」」」
「これも今日までの皆の信仰のお陰です。有難う御座いました」
しわぶき一つない静寂の中、私はそれだけ言って頭を下げる。言葉は少ないがその全ては漏れ無く私の本心だった。
「四季様……」
最初に静寂を破ったのはこの村の代表である村長の声であった。
「それは致し方なくこの地を去ると、そういう事ですかな?」
「いえ、違います。私は私の意思でこの地を去ります」
その通りだと、頷き誤魔化したくなる思いをねじ伏せ私は言葉を紡ぐ。
「……四季様、それでは我らは何か信仰の形を違えたのですかな?」
「いえ、違います。貴方達の信仰はこの上ないものでした」
こちらを見据える村長から背きたくなる思いを抑えて正面を向く。
「……四季様、それでは何故……」
「一身上の都合、私一人の我侭です。それが……貴方達を見捨てる理由です」
痛い、胸が、心が痛い。……けれど、背を伸ばして言い切る。それが村人より……小町を取った私の、せめてもの責任だ。
「左様ですか……しからば四季様」
「――――ッッ」
次に来るのはきっと罵倒の言葉だろう。当然だ、今日まで真摯に尽くした者にただの我侭で裏切られるのだからそれが当然なのだ。
……なのに……なのに何故、村長は私の手を取り……髪飾りなど載せるのだろう?
「しからば四季様、どうかこちらをお受け取り下され。儂ら村人からの旅立つ四季様への供え物ですじゃ」
「え……な……?」
「粗末な物で申し訳ない。ですが、なにぶん四季様がここを去るやもしれぬと聞いたのが昨晩でしてな。このような物しか用意できませなんだ」
「な、なんで……?」
それを知ってとは問わない。その事を話したのはヤマザナドゥ様しか有り得ないのだから。私が尋ねたいのはもっと別のことである。
「私は貴方達を……裏切ったんですよ?なのに何故?」
私は確かに選んだのだ。村人の真心よりも小町の笑顔を、なのに何故?
「何を仰いますか四季様。小町嬢のためにその身を閻魔としてこの地を去る。それが何故、儂らを裏切ったことになるのですか」
「……え?」
「儂らが今日までお慕いしてきた地蔵様は、この国で一番優しい地蔵様なのです。その地蔵様が親友を助けに行くことが何故に儂らを裏切ることになるのですか」
「…………ッッ」
「しかも聞けば我が曾孫の事まで気にかけて下さっているとのこと。何故にそのようなお方を裏切り者などと謗れましょうや」
「……ッ違います!!私は貴方達と小町を天秤に掛けて小町を取ったんです!!私は、私は優しくなどない!!」
「なれば何故先程……儂らに虚言を申さなかったのですかな?」
「それは……」
「四季様、儂らが慕った説教地蔵は誰よりも優しく、そして……誰よりも正しく歩む方なのです。その在り方を貴方様が曲げぬというのなら……例えその加護を得られずとも、裏切られたなどと思うものはこの場には居りませぬ」
「…………」
「故に四季様。どうか儂らのことはお気になさらず、御心のままに歩み下され」
視界が……滲む。ああ、思えばこの体を得てから私はこの滲みを留められたことがないような気がする。
「貴方達は……馬鹿です。大馬鹿です。加護の得られない地蔵など信仰して一体どうするというのです」
「「「…………」」」
「でも、でも……私は……」
前を向く。もはや涙を止めようとは思わない。いや、止めるべきではないのだろう。彼らはありのままの私こそを信仰してくれたのだ。ならば私自身のまま偽らずに彼らと向き合うべきだ。
「貴方達が大好きです。……貴方達の信仰が……私の誇りです」
「……村人一同、その御言葉、御身に裁かれる日が来ようとも決して忘れませぬ。四季様これまで有難う御座いました」
老いも若きも私の前に居た人々が一斉に頭を下げる。
「……村長さん」
「はっ」
「私は貴方達の信仰に賭けて三つ約束をします。一つは小町を必ず助ける事。もう一つが貴方の曾孫も必ず助けること……そして……」
供え物の小刀を手の内に現す。私はそれでもって、右の髪をばさりと切り落とす。
「この髪をあの御堂に。私は必ずそこに再び戻ります……それまで貴方達が息災でいられますように」
「四季様……はっ、御堂を磨き、花壇に花を植え、お帰りをお待ちしております」
「……では行ってきます」
私は今度こそ皆に背を向け歩き出す。その先には、いつから居たのかヤマザナドゥ様の、いやヤマザナドゥ殿の姿がある。
「……お世話になりました。貴方が話してくれなければ私は道を誤っていたでしょう」
「なんの、やつがれはただ頼まれもせぬのに由無し事を語ったに過ぎませぬよ。やつがれが何もせずとも貴殿は、貴殿らは同じ答えに辿り着いていたことでしょう」
「……そうですね。私だけならともかく、あの人達となら、きっと……」
「……四季殿、これは貴殿らを引き裂いてしまったやつがれが言うべきことではないのでしょうが……」
「なんでしょう?」
「貴殿らが羨ましい。貴殿と同じく信仰によって立たねばならぬ身として、貴殿らの在り方が……ただひたすらに」
「……そうでしょうとも。私は世界で一番、信仰に恵まれた地蔵ですから」
「ふ、違い有りませんな……では、参りましょうか」
「ええ、行きましょう」
私は村長から受け取った髪飾り―赤と白の飾り紐―を髪に結び、ヤマザナドゥ殿に手を引かれ……いつかの彼と同じようにその場から溶けて消えた。
「……四季様、どうか御武運を」
そして、その消えた背中を思い村人は皆、手を合わせ祈るのだった。
三日後―
「うぃ~~、ヒック。うわぁ~いお兄さん凄いねぇ、三子かい?同じ顔が三つも並んでるよ」
「は?……ってなんだ酔っ払いかよ。ネェちゃん悪ぃけど、俺は先急ぐんだ。絡むんなら他所当たってくんな」
「んだとぉ、あたいは酔ってない酔ってないよ~」
「……あーじゃ悪いけどまたな」
「おいチョットお待ちよ……っととと」
通りすがりの御仁に絡んでいた小町だったが、その身に回りに回った酒精のためかたたらを踏み、中有の道に積もった雪の上にしゃがみ込む。
「う~頭がぐらぐらするよ……あー全く、あたいは駄目なやつだ本当によー」
映姫と別れた後、小町は死神を辞するべく辞表を書き始めたのだがすらすら書けたのは三行程までであり、それからは全く筆が進まなくなってしまった。
(あたいは……結局、死神を辞めたくなんかないんだ。勘太郎のあんな姿見てそれでも死神でいたいんだ)
友人に何もしてやれない事へのせめてもの償いすら躊躇ってしまう程の自身の死神への執着に気付いてしまった小町は、勘太郎への後ろめたさに思わず家を飛び出してしまい、そして彷徨った挙句が……
(酒屋で自棄酒、しかも死神辞めた訳じゃないからこれじゃまるきりサボりだよ)
小町は膝を抱えて、額をその膝にうずめて蹲る。
「あ~あ、小町さんはもっと……思い切りのいい奴だと思ってたのに……こんなに優柔不断だなんて本当に情けなくなってくるよ。……これじゃ映姫の事、言えないね」
小町の頭に雪が、そしてまなじりには自責の念での涙が溜まり始める。
(いや、そもそも映姫はなんにも悪くないね。地蔵なんだからあそこでじっとしてるのは当然だし死神のあたいと違って勘太郎が賽の河原に居る事にもなんの関わりもないんだから……なのにあんな事言っちまって)
「はー本当に駄目だねぇあたいは、これじゃ映姫の親友失格だよ」
「ふむ、確かに前半には賛同しますが後半は間違いですね。飲んだくれだろうと優柔不断だろうと小野塚小町は私の親友ですから」
「……駄目だ。本格的に飲み過ぎたね。幻聴まで聞こえてきたよ……しかもあたいに飛び切り都合のいいやつが」
膝に額を埋めたまま小町は溜息を付く。それは確かに望んでいた声だが、ここでは聞けるはずのない声だったからである。
「む、せっかく遥々来た友人を幻聴扱いというのは頂けませんね小町……というかまず、顔を上げなさい」
「……嫌だよ……だって顔を上げたら誰も居ないんだろう?こうして蹲ってる内は映姫に許して貰えたなんて夢見てられるんだからさ。もう少しこうさせといておくれよ」
「……ですから幻聴ではないと……ふむ、せっかくだからこれを使ってみましょうか。さらさらさらっと……えい、天罰覿面」
ゴスッ
「~~~~~~~ッッ!!」
いつか聞いたセリフと共に後頭部へ走った重い痛みに、小町は思わず辺りを転げ回る。
「ほ、本当に痛い!?」
「当たり前です。私は実際にここに居るんですから」
ここでようやく小町は顔を上げる。すると見慣れた顔……とはやや違う顔がその目に映る。
「お、お前さん……映姫、かい?」
「他の誰に見えるというんですか小町。私は間違いなく貴方が名付けた四季映姫ですよ」
そう言って映姫は小町の見慣れたお地蔵様ポーズを取る。確かにその姿は間違いなく小町の良く知る映姫のものであったが完全に同じものとは言えなかった。子供のようだった体躯は未だ小町には及ばないながらも明らかに背丈が伸び、あどけなさの残った顔も凛々しさが増し大人らしくなっている。それになにより……
「ど、どうしたんだいその格好は?」
「どうしたと聞かれても……見たままとしか言えませんが」
映姫の服装はいつもの袈裟懸けではなく是非曲直庁御用達の閻魔の衣装に、そしてその手には錫杖の代わりに悔悟棒が握られている。それが意味するところは一つしかない。
「お、お前さんまさか閻魔になっちまったのかい!?」
「ええ、その通りです」
「なんでだい!?勘太郎があんな目にあったっていうのになんで!?」
「勘太郎があんな目にあったからこそ、ですよ」
「――ッどういう意味だい!!」
映姫の言葉に激昂した小町が彼女の胸ぐらを掴んで食いかかる。
「貴方が気付かせてくれたことですよ小町、あの場でただ安穏としていても何も解決しない。ならばこうして渦中に飛び込んでみるのが最善でしょう?」
「それは……確かにあたいが言ったことだけどさ……閻魔になったって何も変わらな……」
「変わります」
「――!」
「変わりますし、変えてみせます。その為の方策も考えました。……なにより……」
胸ぐらを掴む小町の手に自分の手を乗せて映姫は諭すように毅然として言う。
「閻魔になれば、少なくとも変えることに挑むことはできます。違いますか?」
「……映姫」
「さっきの悔悟棒……痛かったですか?」
「は?……ああ、痛かったけど……」
「そうですか、ならば知りなさい。その痛みこそが……」
映姫は悔悟棒を裏返し罪の名が書いてある面を小町に向ける。
「貴方の罪の証なのだと」
そこに書いてある文字はただ二つ。すなわち……『諦念』。
「……」
「先程、方策があると言いましたが……私一人では成し得ぬ策です。この策を成就させるには優秀な死神が必要です。そう、それこそ十王杯を連覇する程の、です。ですから小町、もう一度……」
「いや、もういいよ」
小町が映姫から手を放す。そして口の端に笑みを浮かべる。これまでの暗いものではなく、彼女らしい切れっ端のいい力強い笑みを。
「まったく……言いたい放題言ってくれちゃってさ。そこまで言われてへたばってたら十王杯王者の名が泣くってもんだよ……その話乗った。映姫の……いや映姫様の死神、この小野塚小町がやってやろうじゃないか」
小町が立ち上がる。千鳥足ではなく、しっかりと地を踏みしめて。
「ああ、やっぱりそうして私を見下ろしている方が貴方らしいです」
「そうかい?そういうお前さんはすっかり立派になっちまったねぇ……ま、泣き虫なのは治らなかったみたいだけどね」
映姫の目尻に浮かんだ嬉し涙を拭って小町はからからと笑う。
「そうですね。けどいいんです、この涙は私の嘘偽りなき感情ですから」
「はぁ、立派になったのはいいけど……からかい甲斐がなくなっちまったねぇ」
変わらず微笑み続ける映姫を見て、小町が笑みを深める。
「さってと……それじゃ行きましょうか映姫様?」
「ええ、行きましょう」
二人は肩を並べて振り返る。その先には彼女達の戦場、三途の川がある。
「ねぇ、映姫……最後に一個だけ弱音を吐くよ。本当に……変えられるかな?」
か細い声で小町が言う。
「変えられます。私と……貴方なら」
映姫が力強く応える。
「そっか……いよぉし!!やる気出てきたぁ~~!!」
「わ、ちょっと小町!?」
「わはははははは!!やったるよあたいはーーー!!」
「それは解りましたから降ろしなさい!!いくらなんでも肩車は……!」
「わはははははははは!!」
「ひゃあああああああ!!」
……かくして、後に三途の川の歴史を変えることになる主従は、その最初の一歩を騒がしく駆け出したのだった。厳しい冬のその終わりに向けて。
今 ~ the present ~
「四季殿、四季殿」
「う、うん?小町?……って、し、失礼しましたヤマザナドゥ殿」
どうやらうたた寝してしまったらしい私は同僚に肩を揺すられ慌てて飛び起きる。
「お気にめさるな四季殿。なにせ、そうして貴殿が疲れているのはやつがれが仕事を押し付けてしまったのが原因でしょうからな」
「いえそんなヤマザナドゥ殿は是非曲直庁に呼ばれて出向いていたのですから代わるのは当然です」
「そう言って頂けると……有難いですな。なにせ貴殿はすでに向こう百年、休暇を取っても誰も文句が言えぬほど働いている身ですからな」
「あ、あはははは、それも……まぁ、半分は私情ですので」
あれから……小町が私の死神になってから最初に私達が始めた事は……働くことだった。とにかく、ただひたすらに。……私が賽の河原を変えるために打ち立てた策とは何のことはない、その旨を是非曲直庁のトップである十王様方に直接具申するというもので工夫を凝らしたのはその中身だったのだが……その工夫を見てもらうためにはまず、実績が必要だった。少なくとも十王様方に具申を聞いてもらえるようになる程度には。しかし、この実績を立てる事に時間をかける訳にはいかなかった。なにせ私の策というのはその当時の時勢を利用したものだったからである。故に……
「ぬうおりゃぁぁぁああああああ!!」
『ちょっと死神さん速すぎますよ!?六文は有るんですからもっと安全運転で……うお、今傾きましたよ!?』
策の為に小町が必要だったのである。閻魔の実績とは、すなわちいかに多く正確に霊を裁いたかで決まる。それを短時間で積み上げるのなら当然通常より多く霊達を運んできてもらわねばならない。小町はこの点を完璧にこなしてくれた。……実際本気の小町の操船は凄かった。あんまりにも速すぎて普通なら沈むはずの霊すら渡してしまうので、小町だけ櫂を重い物に変えようかという話が出た程である。しかもそれだけではなく、私に付く他の死神もことごとく優秀な者を勧誘してきてくれたのだ。……これは嬉しい誤算だったのだが十王杯というのは当時の私が思った以上に権威ある大会であったため、それを連覇する小町は死神達の憧れの的だったのである。まぁそれにしても……
「小町さん速ぇ……」
「ああ、なんか残像が見える気がするぜ」
「あれ本当に俺達と同じ舟なのか?俺、今日小町さんに抜かれるの20回目なんだけど」
「でぇぇええりゃああああああ!!秘技、イルカに乗ったあたいッ!!」
『ぎゃあぁぁああああッッ!?』
「「「あ、跳んだ」」」
小町の働きっぷりが一番助かったのだが。推定だが通常の五倍以上だったらしい。本当に頼もしい親友である。そして頼もしいと言えば……
「む、如何なされた四季殿?」
この先輩閻魔様も非常に頼もしい御仁だった。なにせ私達の目的を知ると、出来る限り裁きの方を私達に回し自身は事務処理や是非直曲庁での資料集めなどに回り、私や小町が疲労で倒れるやいなや即座に交代と仕事の配分を完全に私達に合わせてくれたのである。それだけでなく、その長い職歴で培った人脈で色々口も聞いてくれたのだ(小町の櫂が重くならなかったのは彼のお陰である)。そしてとどめになったのが、私達に裁判を多く回しているのでその事を非難されていた事をおくびにも出さなかったことである。ちなみにその事について頭を下げる私と小町に言った言葉が、
「いや何、やつがれも賽の河原については疑問を持っておりましてな。その解決の手伝いになるというのならその程度なんでもありませぬ。お気にめさるな」
である。「ヤマザ様かっけー」とはそう言って颯爽と去って行く彼の背中を見て小町が言った言葉であるが、全くの同感である。……そうやって色々な人に助けてもらって私は閻魔として勤めて幻想郷にその人ありと言われるまでになったのだった。
「いえ、少々昔の事を夢に見まして……」
「昔、と言いますと?」
「ええと、あ……そうですね。あの子が貴方の部下になった時のことです」
「ああ、なるほど」
そう言って私は書類の山を抱えて部屋に入ってきた人影を指差す。そう……
「ヤマザ様~サボってないで仕事して下さいよ。お偉い様方が押し付けてくれた仕事が洒落にならない数になってるんですから」
今や私より、そして小町よりも背が高くなった勘太郎を。……私が小町やヤマザナドゥ殿の協力で得た名声を楯に十王様方に直訴した内容というのはこれである。つまり、賽の河原に送られた子供の罰を是非直曲庁での勤労に変えるということである。これなら石積みと違って休みも取れるし普通の人間らしい生活を送らせる事もできる。……実の所、私は最初十王様方に賽の河原そのものの廃止を訴えかける積もりでいたのだが……是非直曲庁で賽の河原問題の根の深さを知ってこちらに方針を変更したのである。
そもそも、常識的に考えて親より先に死ねば問答無用で罰するというのは明らかにおかしい。例えば勘太郎は弟を助けて死んでしまった訳だが、これが父母を助けて死んでしまったとしても罰されるのだから。そのため私は最初、この法が曲解に基づく曲解の果てに生まれたものではないのかと思っていたのだが……調べる内にこの法が抱える厄介さがそんな安易なものでないことを思い知った。というのも話を聞いていると私から見ても至極立派な同僚―ヤマザナドゥ殿のような―にもこの法を日和見などでなく断固として支持する者が居たためである。彼らの話は総合すると、とある同僚が言った一言で纏められる。すなわち、
「人の世が移り変わろうとも、我らが法を変えることは罷りならん。法が揺らげば秩序が揺らぐのだから」
と、つまり賽の河原を人間側から見るか閻魔側から見るかの違いである。当時の私は閻魔に成り立てであり人界で地蔵として過ごしていた時間の方が圧倒的に長かったため人間よりで賽の河原を見ていたが……閻魔として賽の河原がおかしいという意見を聞くと変えるわけにはいかないという意見の理も見えてくる。つまり大昔には親より先に死ねば問答無用で罰するというのは常識的にもおかしくなく、それに基づいて閻魔の法は作られた。そして、その法に背いて変わっていってしまったのは人間の方なのだからそれに合わせて法を変える道理はないということである。確かに裁かれる側の都合に合わせて法を変えていたのでは法の意味はなくなってしまう。かと言って、いわゆる現在の一般的な良識とかけ離れすぎる法が問題であることも確かである。このどちらにも理があるという二律背反こそが賽の河原の問題の根源だったのだ。
「ふふ、そう言うな勘太郎。今ちょうどお前に関する話をしていたところでな。四季映姫の名を是非直曲庁の歴史に刻んだ、あの『十王裁判』の話だ」
「ああ、あの話ですか。ヤマザ様はその場に居合わせたんですよね……羨ましい限りです。四季様が偉人になる瞬間……是非とも見たかった」
「や、やめて下さい、二人とも。あれぐらい別にそこまで言われることでは……」
そこで、考えたのが先の罰の石積みから勤労への変更である。親より先に死んだことの罪が動かしようがないのなら、罰そのものを有名無実化してしまえばいいということである。無論こんな発想は本来なら閻魔にあるまじきもので通るはずもない、があの時だけは別だったのだ。
「しかしですな。あの論法は実に見事なものでしたぞ。死神の数が足りない、ならば罪を持ちながらも善良な者を臨時雇いとして雇用すれば良い。差し当たって人格的に問題のない賽の河原の子達はどうだろう……どちらにも理があるのなら利をもって説けばいい。なんというか……策士ですな」
「ですねぇ」
「そ、それは褒められてるんですか?私」
「「当然!!」」
「そ、そうですか……」
当たり前の話であるが、裁判官である閻魔の数が急激に増大すればその下につく死神も増やさなければならない。しかしながら当時の是非直曲庁には必要な数の死神を揃えるだけの余力はなかった。……そのため私のこの案は火の車を消し止めるための案として受け入れられ実際に十王様の前で披露することが出来たのである。
「それになにより、凄かったのはその後ですな。ふふ、よもや十王様方に"黒"を突きつけようとは……あの時の四季殿の勇姿は今なお鮮明に思い出せますな」
「く、見たかった見たかった見たかった……」
「あ、あれはですね……いえ、あれこそ後先考えずに勢いで言ってしまっただけで……」
とは言っても、閻魔王様―それも最も力のあった初代閻魔王様―が定めた法を地蔵上がりの一閻魔が覆そうというのは中々受け入れられず、十王様方も私の案には難色を示した。特に五官王様はこの案を激しく糾弾した。というのもこの頃すでに私が何故賽の河原の法の改正を求めるのかは、時たま勘太郎の様子を見に行っていたため知られており、かつて言動における悪を裁いていた御方からすれば私の詭弁は許せないものだったのだろう。しかし、それならそれで私としては望むところだった、何せ私の真意を咎める方に話が進むというのなら、三途の川の法が如何に無常であるかを直に語ることができるのだから。……そう、望むところだったのだが、
「ならぬ。閻魔の法を変えることは出来ぬ。その案は却下だ」
私の想いを聞いて、なにより三途の川の子供達の事を聞いて、それでも尚、そのような言葉で返し閻魔王様が定めたからという理由で改正を拒む諸王方に私もとうとう切れてしまいその時叫んでしまったのが、
「いい加減にして下さい!!悪しき法と知り、それでもなお沽券に拘り改正を拒む!!それが閻魔のすることですか!?貴方達は……黒です!!」
恐れ多くも十王様方に対する有罪判決であった……いや本当に、今思い出しても背筋の凍る話である。なにせその場で消し飛ばされても文句は言えぬ程の無礼なのだから。実際そうなってもおかしくなかっただろう。
「く、かーかっかっかっかっかっか!!!」
そう次の瞬間、辺りに広がる緊迫した空気を一挙に吹き飛ばす呵々大笑をそれまで一言も喋らなかった秦広王様が上げなければ。
「くく、くくく、いい度胸じゃ全くもっていい度胸じゃのう小娘、気に入ったわい……のう、閻魔の」
「ふむ、そうだな……」
「な!?秦広、閻魔!?」
そして、更に驚いたことにこの法を定めた初代閻魔王様が私の言葉を聞いて思案気な、あたかも私の案について一考を巡らすような顔つきになったのである。
「何を驚いておる五官の、我ら閻魔の法に照らすのならこの小娘の言葉に耳を傾けぬ訳にはいくまい?」
「な、なに?」
「くく、『閻魔の裁きは絶対である』それが我らの基幹となる最も重き法であろう?ならば黒を突きつけられた我らはその汚名を雪ぐべく努力せねばなるまいて」
「なっ!?」
正直に言ってこの秦広王様の言葉に最も驚いたのは五官王様でなく私であったろうと思う。閻魔とは人を裁くものであって、同じ閻魔を裁くものではないのだから。そう、言ってしまえば秦広王様のこの言葉も私が並べた詭弁とさして変わらぬ手合いのものだったのである。しかし……
「……四季映姫・ヤマザナドゥ」
「は、はい」
「その方の案、確かに聞き届けた。全てを叶えることはできまいが……法を預かるものとして善処することは約束しよう」
「え?……あ、はい!!ありがとうございます!!」
初代閻魔王様が、十王様方の長が下した結論は私の案をいれるというものだった。この決定に他の閻魔王様方は各々異なる思いがあったようだが――苦い顔をしている五官王様やにやにやしている秦広王様が筆頭――十王様方の中でも頭抜けた力を持つ初代閻魔王様の決定には何も言えなかったようだった。……かくして私と小町の戦いは幕を閉じたのだ。……勝利という形で。
「そうして一連の騒動についた渾名が『十王(が裁かれる)裁判』……いやはや、貴殿を閻魔に推したことはやつがれの生涯で一番の英断でしたな。まったく」
「は、はぁ……」
なにやら感じ入ったように何度も首肯するヤマザナドゥ殿となぜその場に俺はいなかったんだ、と打ちひしがれる勘太郎に私はそんな間の抜けた返事しか返せない。なにせ……
「でも、今思い出しても不思議なんですよね」
「何がですかな四季殿?」
「その、初代閻魔王様なんですけど……なんで認めてくれたのか未だによく分からないんです。秦広王様は何と言うか面白がっていただけのように思えますし……それに……」
「それに?」
「最後に私に『感謝する』って言ったんです。私にだけ聞こえるように念話で、それが正直なんのことだか……」
「……」
私達は確かに思い通りの成果を上げた、それは間違いない。けれども何故そうなったのかそれがよく解らない。無論そうなるべく私は十王様方にそう思ってもらうために話していたのでそれが通じたのだと言えばそれまでなのだが……それもなんだか違う気がするのだ。
「……ふむ、そうですな。他ならぬ四季殿にならもう言っても良いかもしれませぬな」
「はい?」
「これはやつがれも後から聞いた話なのですが……そもそも是非直曲庁とは四季殿が行った法改正を期待して初代閻魔王様が設立したというのが本当のところらしいのです」
「え?ええ!?」
「四季殿が言っていた古い閻魔の認識と今の人間の認識の差というのは、実の所、閻魔王様も察しておられたらしいのですが……彼の方は言うまでもなく誰よりも古い閻魔です。今更、人の道理を理解し切る等というのは難しい話だったらしいのです。そこで発案されたのが……」
「人間と共に過ごした地蔵を閻魔にすること……ですか?」
「然り、ですが絶対的な力を持つ十王様方に法を改めよなどと言える者など早々現れるはずもなく、そのまま時が過ぎ……」
「是非直曲庁は今の形になった、と」
私の言葉にヤマザナドゥ殿が大きく一つ相槌を打つ。何と言うか、いかにヤマザナドゥ殿の言葉でも突拍子のなさ過ぎるような話のように思うのだが、しかし、それならば納得がいく。閻魔王様が認めて下さったことにも、最後の言葉にも。
「ふふっ」
「む?どうされた四季殿?」
「あ、いえ何と言うか、結局私も閻魔王様の掌の上だったのかと思うと……まだまだなぁ私も、と思いまして」
「ぬ、それは違いますぞ四季殿」
長年の疑問が解消された安堵と、ほんの少しの悔しさを滲ませ笑う私に慌てたような早口でヤマザナドゥ殿は言う。
「閻魔王とて誤った改正は望んでいなかったはず。それを納得させるだけの理が四季殿の言葉にはあったのです。それになにより……人の理を解さぬはずの閻魔王すら動かす程の想いが貴殿の言葉にはあった、言うならば貴殿の心根が閻魔王に勝ったのです。その事を誤解してはなりませぬ」
「い、いえ、閻魔王様に勝ったというのは幾ら何でも……」
「四季殿!!」
「はいぃ!!解りました!!」
常にその容貌に似付かわしい落ち着きを持った彼らしからぬ語気に押され私は思わずそう叫ぶ。そこでようやく自分が熱くなっていたことに気付いたらしいヤマザナドゥ殿が咳払いを一つ二つして居住まいを正す。
「コホン、まぁとにかくそういう事ですので……四季殿、余計な事かもしれませぬがどうか自身の功績について正しく御理解下され」
「は、はい……」
「あー……と、ところで四季殿、時間の方は良いのですかな?確か今日は休暇を取られて出かけられるのでは?」
「え?……ああ!?」
ヤマザナドゥ殿の言葉に私は慌ててポケットから懐中時計を取り出し……良し、急げばまだ間に合う。
「ああ、ちょっといきなりですいませんですけどヤマザナドゥ殿、私はこれで失礼します。ええと引継ぎの方は……」
「そちらの方は心配いりませんぞ四季殿。どうやら貴殿は仕事を全て終えてから眠っていたようですからな」
「みたいですねー。半ば寝こけてたはずなのに記載ミスもないっぽいですし」
狼狽える私の前に積まれた書類をペラペラめくるヤマザナドゥ殿と、それを覗き込む勘太郎が私に向けてビシリと親指を立てて見せる。
「そ、そうですかでは……って、そういえばお二方小町を見ませんでしたか?」
扉の方に駆け出そうとしたところで、はたと気付いた。そもそも今日の休暇は小町と一緒に取っているのだし一緒に仕事していたのだから私を最初に起こすのは小町であるはずなのだが。
「やつがれは見ておりませぬが……」
「あー四季様、小町ねぇ……もとい小町さんの事は俺も見てないんですけど……」
「ですけど……なんです勘太郎?」
いかにもバツの悪そうな勘太郎の様子に続きを察しながらも私は頬を引きつらせないようにしつつ問い掛ける。
「こっちに帰って来たときに岸に留めてある小町さんの船は見たんで多分いつものじゃないかと……」
「……そう、そうですか」
ふ、ふふ、よりにもよって今日、わざわざ今日にいつものサボリ癖を発動させますか小町。ああ、最初に見たときはもっと真面目な人だと思っていたのに。
「……解りました。では勘太郎、ヤマザナドゥ殿、私は可及的速やかに成さねばならないことができましたのでこれで」
「は、了解しました」
「あ、はい。ってああ、これヤマザ様と見繕った向こうの地酒です。良かったらどうぞ」
「ああ、いつも有難うございます。……これは良い物ですね、小町の頭をはたくのに本当に丁度良さそうです、ふふふ」
「む、四季殿やつがれ共としては普通に小野塚殿と飲んで頂ければ「ふふふふふふ……(バタン)」」
ヤマザナドゥ殿が何か言っている気もしたのだが、それどころではなかった私は問答無用で扉を閉め大急ぎで小町のもとへ向かうのだった。
………………
…………
……
怒りにかられていつもに倍する速さで飛翔した私が降り立った草原では、私の心情とは裏腹な穏やかな春風が優しく青草をそよがせていた。そして、その風が孕む草木の香りは私の記憶の一番奥を撫でつつ怒気でささくれだった私の心を丸くしてゆく……なんだろう、ただ風に吹かれただけだというのにあれ程強かった怒りがすっかりなくなってしまった。……というか思い返してみれば毎年ならぬ毎季ごとのこの日に小町がサボるのはさして珍しくもなかった気がする。
(昔は本当に小町も真面目だったんですけどねぇ……いつからでしたっけ、サボるようになってしまったのは)
……考えるまでもない、『十王裁判』が終わってからだ。それから小町は「燃え尽きちまったのさ……真っ白にさ」などと言って時折サボるようになってしまったのだ。気持ちは解るのだが。
(確かに私もあの頃ほどの緊張感でもって仕事をしているかというと疑問ですし……いえ、それにしても小町はサボりすぎです)
懐かしい面影のある山道を早足で歩きつつ、私はどうにか先程の怒りを呼び戻そうとするが見慣れた―そう言えるのはもはや遥か昔のはずなのだが―道の穏やかさに宥められてしまいどうにも上手くいかない。……まぁいいか、せっかくの休暇でまで眉根に皺を寄せるのももったいない。
「そうです、もったいないですね。こんなに……」
木々の枝の天蓋が途切れ、一際強い日差しが私の視界を白く塗りつぶす。そして、その白が消えた先には……
「こんなに綺麗に桜が咲いているのに、そうでしょう小町?」
「ん?おお、よくわかんないけどそうですとも。こんなに綺麗な桜の下で酒を飲まないなんてもったいない」
満開の桜の下で私がかつて住まいとした御堂の横に呉座を敷いて寝そべる小町の姿があった。――十王裁判が終わり、賽の河原が変わってからの私達の決まり事、春夏秋冬それぞれの季節が巡るごとにこうして里帰りすること……あの日の村の皆との約束を果たすために。
「それにしても……今年も綺麗に整えられていますね、御堂の回りは」
「はっはっはっは、そりゃそうですとも。『説教地蔵』の話は山の下の里じゃまだまだ有名みたいですからねぇ」
私がかつていた山里は残念ながら長い時の流れによりすでに廃村になってしまっており、村人達の子孫は山の下の大きな里に合流し生活するようになったのだが……驚いたことに彼らはその里でも私の話―死神を説教して追い払ったなど―を語り継いでくれたため『説教地蔵』の名はお伽話として山の下では今尚、磐石の地位にあるのだ。その為、今でも御堂の補修やら回りの草刈やらがきちんと行われている。
「まったく、本当に私は世界一信仰に恵まれた地蔵です」
「本当に……映姫様は幸せ「小町」……はい?」
「今ここには私と貴方しかいないのですが」
「……あー、うん。そうだね、映姫は本当に幸せもんだ」
よろしい、と小町に一つ頷き私は小町の隣に腰を下ろし勘太郎から渡された一升瓶を取り出す。ってこれは……
「おおっ!?そりゃ地獄三大銘酒の一つ閻魔殺しじゃないかい!?どっから持って来たんだいそんなの?」
「ヤマザナドゥ殿と勘太郎からのお土産です……とは言え、まさかこれ程のものとは……」
あの二人が見繕ってきた物なのだから質は全く疑っていなかったのだが、いくらなんでも……このお酒は是非直曲庁の高官ですら入手困難な代物なはずなのだが。
「はっはっはっは、あの二人は映姫にぞっこんだからねぇ。ま、気が引けるのはお前さんの性分だからしょうがないけど有難く貰っといてやんな」
「……そうですね。今度は私がお土産を奮発するということで今は有難く」
私が渡したお酒を小町は朱塗りの杯についでいく。小町の分と私の分を昔のように。
「さて、それじゃあお地蔵様、今日の音頭はどうするんだい?」
おどけた風に懐かしい呼び名で小町は私を呼ぶ。ああ、そうだまだ私に名前がなかった頃、私はそう呼ばれていた。
「そうですね、それでは」
一瞬、私は昔を思い出す。あの頃もそう、
「今も続く私達のこの約束に……」
小町が二つの杯を手に取り……
「「乾杯」」
小町が打ち鳴らした杯を受け取り私は祈る。諸行無常、四季は常に変わって巡る、それでも変わらぬものもある。ならば願わくば来年もまた……
「貴方とこうして過ごせますように」
そう呟いて飲み干した酒は昔どこかで飲んだような懐かしい味がした。
四季は変わりて巡りゆく ―了―
勘太郎もヤマザさんも粋じゃァないですか!
素晴らしいお話をありがとうございました!
…ところで四季様、
>最初に見たときはもっと真面目な~
最初に見たとき彼女は笠泥棒だったのではw
ドンドンのめり込んで行って気付いたら読み終えていました
笑顔で杯を交わす二人の姿。
いいもんですな、やはりこの二人はこうでなくては。
素晴らしい御話を有難う御座いました。
無論、小町は秘書としてw
お美事!お見事な話でございます!
長いお話なのに一気に読み終えていまいました。
筆主様には大感謝。ありがとうございます!
途中の勘太郎のくだりには悲しい結末になるのか…とドキドキしましたが、
素晴らしいエンディングにほっこりとしました。
またこのキャラクター達のお話が読んでみたいです。
百点じゃ足りないお話、ご馳走様でした。
会話によって場面場面の描写を解決しようとするあまり
説明臭くなってしまっている箇所があります
そうでない場面では、逆に説明が足りず
想像しづらい場合もありました
地の文を減らすため・テンポや勢いを保つためなど理由も
あるでしょうが、もう少し地の文を挟んでもいいのでは
ないかと思います
それに関係して三点リーダーの乱用や”///”といった記号へ
安易に頼るのは描写をする努力の放棄です。こうして
場面や登場人物がもった感情の解釈を読み手に
委ねきってしまわれると、意図したところとの齟齬が
生まれやすくなります
混乱してしまった箇所が二点
序盤、映姫と小町の邂逅から三年目の場面で
”これもまた十年でお約束になった情景である”
とありました。どちらになるのでしょうか
映姫が初めて顕現する際、小町と勘太郎の諍いを錫杖
で諌める場面がありましたが。その後、焼き芋の場面で
小町が”物にも触れるようになったのかい?”と問いかけて
います。人と物は違うと言われればそれまでですが
やはり説明が欲しかったところです
勘太郎を交えた小町と映姫の馴れ初めから
いいおっちゃんしてる閻魔様のお歴々まで生き生きとした
登場人物など色々な所で和めるいい話でした
映姫様、小町嬢、勘太郎、ヤマザ様、閻魔様達全てがいいキャラでした