墓場である。
無意識に身も心も任せて、ふらふらだのゆらゆらだの、そんな言葉が似合うようにさまよっているといつの間にか墓場にいることが多い。
何故かはわからない、とは言えない。普通の人間、妖怪には自分の無意識なんて意識に無いという字のごとくさっぱりわからないのだろうがそれはそれ。無意識を操ることのできるこの古明地こいしちゃんには自覚していないことを自覚するというなんだか凄そうなことが可能なのだ。
ああ、墓場に来る理由だっけ。それは墓場のちょっぴり寂しい雰囲気だとか、ふと漂うお線香のなんだか落ち着く匂いだとか、そんなのがマイホーム地霊殿、もといそこに住む我がお姉ちゃんを思い出させるんだろう。あえて地霊殿に帰らないのはほんの少しの意地、なのかもしれない。
そんな墓地が今日はお姉ちゃんというより、地霊殿らしかった。どっちも陰気くさい感じなのだが、姉はわりと物静かで、家はわりと賑やかである。陰気と言いつつ賑やかってのは可笑しいけれど、妖獣の鳴き声や怨霊の呻き声で姦しいので多分陰気で間違いない。
さて、墓地の賑やか成分であるが……、あれは死体、かな? 墓石に腰掛け足をぶらぶらさせていると、中華風の衣服を身にまとった人影が視界に入った。飛んで動いて騒がしく、おまけに弾も撃てる高性能な死体である。さっき弾幕ごっこをしていた化け傘が泣きじゃくりながら、「覚えてろーっ!」なんて捨て台詞を吐いて逃げていった。長年死体を見てきた私だったが一見生者と間違えそうだ。実はほんとに生きているのかもしれない。血色良いし。
「今日も元気に死んでるぞー!」
死んでた。
「身体はくさってもー、心はくさらないー」
紫の傘を追い返しても彼女は一人でうるさかった。そこらの人妖よりよっぽど明るい死人に興味が湧いたので、姿を現してみようか。
一人になってもやかましいってのは一人なのが淋しいか、もともとそういう性格なのかであるので、前者なら突然姿を現せば大変驚くはずである。まあ、あの能天気な感じは十中八九後者だろうね。
そして私は彼女の前にすうっと、風景から滲み出るように躍り出た。
目と目が合う。のほんとした目。驚きのあまり目を見開くってのはない。口はぽかんと空けているがさっきから半開きだった気がする。
そうして一拍遅れて口が動き、
「おどろいたー」
「いやいや」
絶対驚いてないよこの子。私の悪戯に慣れてきたお姉ちゃんだって、引っ掛かった時には背筋がぴくっとするもの。動じていないふりをするけれど。
「ほんとに驚いたの?」
「いつも『おどろけー』って言ってくる化け傘よりずっと驚いたぞう」
それはさっきの妖怪だろうか。比べられるのはちょっと心外かもしれない。よっぽどの妖怪にだって気付かれず動けるのに。
気を取り直して情報収集。彼女は死人らしく呆けているので行動はこちらから。
「私は古明地こいし。覚り、いえ、なんでもない妖怪よ」
「はあ」
会話が終わってしまった。話を聞いてたのかな。わざわざ突っ込みどこ仕込んであげたのに。自己紹介もへったくれもない。
相も変わらず呆けっぱなし。遺体のくせにろくな返事をしない。もっとも向こうじゃ遺体が返事をしたらホラーらしい。メルヘンじゃないのかしら。
「ちょっと待ってて。驚かされたら色々忘れてしまったぞ」
どうやら名前も挨拶も記憶から飛んでしまったらしい。カラスよりひどい。衝撃に弱い精密なからくり、ではなく年代ものか不良品のイメージを受ける。
見ると御影石に頭を打ち付けていた。取れそうだなあ、頭。
こんな変わった、つまり自分にとって素敵な何かには滅多に出会わない。そう思うと蒐集欲が疼いた。ネコになんてやるもんか。
「思い出したぞ!我々はキョンシー、崇高なる霊廟を守るため生まれたのだ!」
「霊廟ねぇ。面白そうだけど今はあなた優先かしら。名前は?」
「む、ああ。えーと、うん。みやこ、宮古芳香」
「へぇ。みゃーこかよっしーだけど、地獄らしさが欲しいわ」
「何の話?」
「ん、家が狭くなる話」
いけないいけない。ペットにした時の名前まで妄想していた。それとも生きていないから動くインテリアに区分されるんだろうか。
「そうだ。お前は侵入者か」
「いや、前から隣にお邪魔してるわ」
「ご近所さんだったか。忘れててごめんね」
相手に都合のいい思考回路なのかな。隣に居たのは事実だから騙してはないし、墓石の下も旧地獄も似たようなものである。
「せっかくだから家に来ない。話し相手もエントランス前の置物役も空いていることだし」
「お誘いはありがたいが命令があるからここから離れられないぞ」
忘れ癖がうつったかな。そういえばキョンシーだった。つまり操り主がもういるわけだ。残念。
こいしちゃんは育ちがいいので人のものには手を出さないはず。多分出してなかった。
しかしこんな墓地に縛り付けられ、周りは霊ばかりでちゃんとした話相手もいない。昔のお姉ちゃんが浮かぶ。もっともお姉ちゃんは自分の意思で地霊殿に閉じ籠っているのだし、今では大勢のペットに囲まれている。だから、私が彼女にしようとすることは決してどこかの誰かさんとは関係ない。絶対。
「ちょっとお札にさわってもいい?」
芳香は軽く迷う素振りを見せたが、「剥がさないでね」と上目遣いで頭を差し出してきた。そのままお札に優しく右手でふれる。
読み取れたお札の命令術式はかなり強く組み込んであり、意識にも無意識にも干渉していた。成程、けっこうな術者みたいだ。そして守らせているものはとっても重要なんだろう。でもまあ、この子の心と私の意志が最優先である。どんな洗脳も無意識の世界では私の敵じゃないわ。
おっと、彼女は命令により蘇っているから完璧に壊してしまうと動かなくなると思う。端っこをいじくる程度で済ませた。これでちょっとだけ自由になれたはず。
顔を見ると目が虚ろで舌がだらりと垂れている。らしいね。
しばらくするとうおーなんて叫び声と共に芳香が目覚めた。こっちをじっと見つめてくる。
「えーと、えーと。古明地こいし!」
「大正解。偉い子の芳香ちゃんにはご褒美に人里で饅頭を奢ってあげましょう」
「やったぞー! む、命令があるんだった」
満面の笑みからしょんぼりとした顔になるのは見てて面白かったが、ことが進まないので助け船を出す。
「命令ってのはここを守ることでしょ」
「うん」
「なら私が侵入者をやるから。守るために逃げる私を追いかけてくればいいのよ」
「何となく、わかった、ような。……でも心配だぞ」
どうやら場所を動くことへの抵抗は無くせたようだ。しかし大本の命令自体は消えていなかった。手詰まりだろうか。あんまりいじると骨董品みたいな脳みそがショートするかもしれない。無念。
そんな時、沈んだ思考を打ち破る大声が響いた。
「こんにちは! あなた達が墓地で暴れる妖怪ね! そんな輩は命連寺の誇る超読経少女、幽谷響子が成敗するわ!!」
「山彦で二倍おどろけー」
よくわからないが化け傘が墓場の管理人を連れてきたようだった。確か山彦かな、あれ。
めんどさくなるかな。けれどやってきた二人は同じ匂いがした。解決策が見える。
「ねえ」
すっと意識を掻い潜り、山彦の真ん前へ。肩をぎゅっと掴む。
「うわ。な、何よあなた」
急に現れた私に声を洩らし、顔が引きつる。そうそう、驚く顔ってのはこうじゃなきゃあ。そして意識の大部分を奪った上でこいしちゃん五百十四の秘技「無意識微笑」を発動した。
「無意識微笑」とは誰もが気を許しそうな微笑みと共に、自身の妖気の解放、相手の無意識への干渉を行う大技である。くらった相手はその迫力に成すがままなのだ。
「ちょっとここら辺の番人をしてくれないかな。お寺の人みたいだしちょうどいいよね」
「は、はい」
「ちょっと響子ちゃん!しっかり――」
「ね!」
「もちろんでありんす」
顔を合わせて微笑めばちょろいものだった。
「さて、心配事も消えたよ」
「うう、少しの間だからね」
「買い食いするだけだもの。ほら一緒に行こう」
「侵入者のふりは――」
「そんなこと言ったっけ」
「言ってないかもしれない」
危うい頭の子とデートだ。死体だどーだの関係ない。幻想郷だもの。
ぎゅっと彼女の手を握って引っ張っていく。
彼女の手が根元から抜けた。
関節が曲がらない子と手を繋いで飛ぶのは変な感じだった。
組体操のように色んな格好を試していると目的地まではすぐだった。
今日も人里は人妖入り乱れてわりかし盛況である。芳香も気分が高揚しているようで。
「食べ物がいっぱいだ!」
「どこ見て言ってるのかしら」
拾い食いには釘をさしておく。
「普通に入って大丈夫?」
人の多さからそんなことも聞いてきた。
「平気だよ。角生えるのも居るくらいだし。肌きれいだし」
「そうかな」
肌のことを言うと何故かはにかむ芳香。
「お肌のケアはしっかりしてるんだよ」
「乙女だもんね」
「そう。死んでも女の子だもん。ゾンビでも可愛く生きるぞ」
嬉しいのは伝染するのかな。少女扱いに喜ぶのを見ていると顔が綻ぶ。
明るい気分で饅頭求め、私たちは歩き始めた。
「歩くの手伝って。ひざがいまいち動かない」
知り合ってから苦労が多い気がする。手のかかる妹みたい。間違っても自分のことじゃない。
たどり着くのに苦労はしたが無事お饅頭は買えた。
妖怪二人、ぎこちなく道を進むさまは大層目立ちそうだったが自身の能力でどうとでもなった。見られた方が美人になると言い張る芳香はちょっと残念がっていた。
とりあえず里のはずれで仲良くいただくことにする。
「ねえ、なんで饅頭地面に食べさせちゃうの」
下に置きかけたところで動きを止めさせた。
「ひじがちょっと曲がんない」
「食べさせてあげるよ」
そう言って手から饅頭を取ると、芳香は顔を真っ赤にして首を振った。
「それは恥ずかしい」
「いつもはどうなの」
「犬食い」
「乙女心は難しいね」
手が曲がらないのをいいことに饅頭をだらしなく開いた口に突っ込んでやる。諦めたのかそのまま数口でたいらげた。
「お味はいかが」
「実は味覚もそんなに働いてないよ」
食べかすのついた口で言うに事欠いてそれだ。久々に溜め息が出かけた。嫌なこともつまらないこともみんな心の深い所に押し込めちゃって、いつも笑顔のこいしちゃんも呆れ顔である。
「でもいつもよりおいしく感じるのは気のせいじゃないぞ」
「……、それは良かった」
不意打ちみたいに言うものだからこれまた隠せず、なんだか言い表せない表情になってるようだ。お姉ちゃんだってなかなか見れない貴重品なのに。帽子をきつめに被りなおす。
照れ隠しで自分の饅頭も食べさせてあげた。
日も斜めになった頃、墓場に戻ってくると山彦と化け傘が怯えたように寄ってきた。
「おかえりなさい。仕事はちゃんとしたよ。だからいじめないでね」
「響子ちゃんがみんなおどかしちゃってひもじいよう」
「はいはい、お土産」
すっかり小動物のようになった二人にも買っておいた饅頭を手渡す。
「あれ、実は優しい妖怪なんだね。ありがとう」
「嬉しいけどこれじゃ足しにならないよう」
アメとムチを上手く使うのが心の掌握には重要とはお姉ちゃんの談、もう心は覗けないから正解かは不明だ。もっとも前に居るのは表情と感情が直結してるようなので答え合わせは簡単だった。
そうして一方は「さよーならー」と大声で、一方は沈んだ面持ちでここを後にした。
「じゃあ、私も幻想郷徘徊に戻るよ」
ちょっとした親切か好奇心の充足が済んだので、またぶらりと出かけようかなと思う。
芳香の方を向くとこっちを離さないように見つめている。行ってほしくない。そう示しているのだろうか。もっともそれは自分の願望かもしれない。相手の顔は無表情気味でわかりにくかった。
しばらく時間をおいて声をかける。
「一人になるのなら、まだ、居ようか?」
「いや、同志が埋まってるよ。呼べば出てくる」
想像はしたくはないが見てみたくはある光景だ。わらわらキョンシーが湧く、とある墓地。
というか一人じゃなかったのね。連れ出したのはお節介だったのだろうか。仲間がいると聞いて胸のあたりが微かにちくちくする。一緒の相手があることはいいことのはずなのに。私の意味合いが薄れてしまうようで。
そんな気持ちは知らないで芳香は頓着なくこんなことを言うのだ。
「でもこいしは同志とも、今ここにいない主人とも違う感じがするから。うまくは言葉にならないけど。また遊びに来てほしいな」
「そう」
今の返事はだいぶ嬉しさが詰まってた。無意識の力を手に入れてから関心が向けられないことは慣れてたはずだけど、やっぱり必要とされるのは心が弾むことなのかな。
「次来た時に忘れてないでね」
「大変だ。だけど死ぬ気で頑張ってみるぞ」
お互い手を振りながらその場は別れた。もう少し留まっていたら、居着いちゃいそうな気がした。何となく頼られるのは心地いい。憶測だが、芳香は私が見えなくなっても手を振っている気がする。曲がらない腕で一生懸命。
多分無意識に身を委ねてもここにまた訪れるだろう。妖怪らしくないぬるい付き合いも悪くない。私らしくない振り回される関係もいいだろう。
墓場を彷徨う理由が、増えた。
ああ、でも一度、すごく地霊殿に帰りたくなった。お姉ちゃんの顔が、見たい。
いいコンビですね。
なるほどなるほど。
こいしちゃんがメロメロになっても仕方ないさ。
そして姉以外にデレるこいしちゃんってなかなか見ないんだよ。
みやこいし流行れ!
芳香ちゃん、地霊殿メンバーとは凄く相性いい気がするな。
そんなにズレてない気がした。
新作は命蓮寺と地霊殿の関係が深まりそうだな。
特におりんと宮古がどういう関係に落ち着くのか興味がある。
端々にシュールなギャグテイストが溢れているのに、
読み終えた後のこの感動は…いいですね~。
こいしも少しずつ変わっているのでしょうか。
良きお話、ご馳走様でした。
続きがまた読みたいです!
この芳香ちゃんは可愛いなぁ。製品版を待って作者様の新作に期待したいです!