「やっぱり、このままじゃまずいね」
闇の中、何者かがつぶやく。強力な力を持っているようだが、なぜか弱っているかのような様子だ。
「幻と、人の想いの眠る郷・・・か」
何物かは、己の手を握りしめる。彼女に残された時間はそれほど長くないことをしっかりと自覚していた。
「覚悟を決めた方が・・・良さそうだね」
その言葉を最後に、気配が掻き消える。その場にはほこりの一かけらさえ残ってはいなかった。
「それでは、いってきます!」
日本のとある場所にある神社、守矢神社。
もうすでに日の高い、夏の月曜日の朝。早朝から境内で働く人々に挨拶しながら、一人の少女が駆けていく。
「早苗ちゃん、いってらっしゃい!」
「はい、いってきます!」
「今日も元気だね、早苗ちゃんは」
「それがとりえですからー!」
少女の名は、東風谷早苗。守矢神社に住まう、女子高生だ。
そして、この神社の祀る神、八坂神の巫女でもある。
「よっと」
参道を駆け抜け、駐輪場に止めてある彼女の自転車の籠ににカバンを放り込む。
それと同時に搭乗、発進。
駐輪場を出た直後にある信号が青になった瞬間に通り抜ける。
「今日も絶好調!」
これが彼女の登校の日常風景である。
「おはよー!」
「あ、おはよ、早苗。昨日のテストどうだった?」
「完璧!100点満点間違いなしです!」
「この前も同じこと言って、80点くらいだったじゃん。ホント自信過剰なんだから」
友人たちと合流し、たわいのない話に花を咲かせる。このうえなく普通の女子高生の姿である。
しかし彼女自身が普通であるかというと、それは少し違う。
人であり、神である。現人神。
奇跡を起こす力を持つ彼女は、しかしその力をふるわない。
科学の力の発達した今の世の日本では、大雨が降ろうが、大風が吹こうが、奇跡は求められない。
奇跡にすがるのでは無く、人が自分の力で解決する時代なのだ。
そんなご時世、異質な力を持っていることは、余りよろしいことではない。受け入れられればいいが、下手をすれば爪はじきにされるかもしれない。
そんな状況で奇跡を起こす力を使うメリットは少ない。
加えて言うなら、今の彼女には大した力は無い。せいぜいそよ風を吹かせる程度だ。
昔はもう少し強い風を起こすことも出来たのだが。
・・・力の弱まっている原因が、人々の信仰心が薄れているからであることに彼女はまだ気が付いていない。
そして信仰心の薄れは、神にとっては半分人間である彼女以上の問題であることにも、気が付いていないのだ。
「ただいま帰りました」
学校を終え、神社の仕事も終わって、巫女装束に身を包んだ早苗が家へと戻る。
「ん、早苗、おかえり」
出迎えるのは人ではなく、神。守矢神社に祀られる二柱の神のうち一柱、八坂神奈子だ。
「神奈子様、少し待っていてください。すぐ食事の準備を」
「いや、早苗。今日は久しぶりに私が作っておいたよ。一緒に食べようか」
「本当ですか!ぜひいただきます!」
神である神奈子と、現人神である早苗。その二人の姿は、さながら親子か、年の離れた姉妹かのようだった。
早苗は、幼いころに両親を亡くしている。
別に、自殺とか殺人とか、そういうことではない。
彼女を生んだ時、両親はすでに50歳を超えていた。いわゆる超高齢出産というやつである。
彼女の父も現人神であり、風を呼ぶ力を持っていた。その力を早苗は受け継ぎ、それが何を意味するかも教えられた。
そしてその後、早苗が10歳になるころに、父母ともに病気で他界した。何が悪いというわけではない、人であるが故の、ただただあらがえない定めであった。
しかし幼かった早苗は悲しさに、そして寂しさに泣いた。そして神を信じ、神に祈った。助けてください、と。
「あんたが、次代の守矢の巫女かい?」
その願いに答えたのか、早苗の前には神奈子が現れていた。
「あなたは、神様?」
「ああ、神さ。あんたが信じた、ね」
その日から、神と現人神の生活が始まった。
神奈子の存在は、早苗の寂しさを確実に和らげてくれた。
祀っている神様が、自分の家に一緒に住んでいるというのも変な話ではあるが、気がついたら慣れていた。呼び方も何時の間にやら『八坂様』から『神奈子様』に変わっていた。
そしてもう一柱。最近は姿を見せないが、洩矢諏訪子もまた、彼女と共にあった。
神社に勤める人たちもよくしてくれた。そのおかげで早苗は今日まで立派に生きてきたのだった。
「早苗、今日は大事な話があるんだ」
食事を終え、早苗が一息ついた頃、神奈子が静かに切り出した。
「どうしたんです、神奈子様?」
「あんた最近、力が落ちてきてないか?」
「奇跡を起こす力ですか?もともとそれほど大きな力ではありませんが、確かに最近より弱くなってきているような。それが何か?」
早苗は軽く答えるが、神奈子の顔を見て居住まいを直す。
かつてないほどに深刻そうな顔をしていたのだ。
「原因はわかるかい?」
「いえ・・・」
早苗は首を横に振る。
「簡単だよ。人々の信仰心が、無くなってきているからさ」
そして、神奈子は現在の状態を説明し始めた
神奈子が言うことをまとめると、おおよそこのような感じだ。
科学が発達した現代の世の中、人間が神を信仰することをやめるようになってしまった。
人間の信仰は、神にとって生命そのものである。つまり信仰を得られなければ、神奈子は消滅してしまう。
「そんなのダメですよ!何とかならないんですか?」
神奈子は一瞬ためらうように言葉を詰まらせたが、早苗の眼を正面から見つめて言った。
「方法は、ある。ここでは無理でも他の場所なら信仰を集められるかもしれない」
「他の場所、ですか?」
「まだ信仰を集められるかもしれない場所に、心当たりがある。上手くいけばそこなら・・・」
それを聞くやいなや、早苗は立ち上がる。
「お引っ越しですね、解りました!お友達みんなに挨拶しないと・・・あれ、でも神社のお引っ越しってどうすれば?」
「落ち着きな、早苗。私が神社を移そうとしているのは普通の場所じゃない」
「え?」
あわただしく動き出した早苗を神奈子は止めた。
「幻想郷、という場所がある」
そして神奈子は以前よりたてていた計画を、全て早苗に話したのだった。
「まったく何を考えてるのかと思えば・・・」
闇の中、何者かが神奈子に語りかける。この声からもまた、強大な力を感じる。しかし、なぜか神奈子よりもさらに弱っているようだ。
「しかも私の知らないうちに準備万端じゃない。私には何の相談もないわけ?」
「あんたが反対するとは思ってなかったんでね」
神奈子は何者かの声に答える。
声の主は、洩矢諏訪子。最近姿を見せなかったのは、神奈子以上に信仰の力が弱まっているからだ。もはやこの世に彼女の名を知っている者はほとんどいない。
「反対する気はないよ。そもそも相談されてないんだから反対も何もない。でもね」
諏訪子の気配が大きくなる。弱まっているはずの力が大きく、禍々しいものになる。
「もし早苗が行くのを嫌がって、それでも無理やり連れて行くってのは承知しないからね?」
その言葉を最後に、気配がかき消える。残されたのは神奈子の気配のみ。
「もちろんわかってるさ」
神奈子は虚空へと言葉を放つ。
「あの子が望むことが第一に決まっているじゃないか」
そして、神奈子の気配も消えさった。
「では、いってきます」
神奈子に計画を聞かされた翌日の朝。平日なのだから学校はある。
いつも通りにかけられた声に返事しながら、参道を駆けていく。
「いってらっしゃい、早苗ちゃん」
「早苗ちゃん、台風が近づいているみたいだから気をつけてね!」
「はい、わかりましたー」
いつもとは違う、どこか間延びして気の抜けた感じの返事を返す早苗。
「よいしょっと」
いつもどおりにカバンを自転車に放り込み、発進。
そして駐輪場を出た直後にある信号・・・に引っ掛かってしまった。
「・・・あっちゃあ・・・」
自転車を使って通学を始めた中学時代以来、通学時には一回たりとも引っ掛かったことの無かった信号に引っ掛かった。
早い話が、彼女の行動はまったくいつも通りでは無かったわけだ。
彼女は動揺していた。原因は明らかだ。昨日の神奈子の話である。
「お引っ越しだけなら全然問題ないんだけど」
別に彼女にとって、引っ越し自体は何の問題も無いのだ。
神奈子は彼女にとって家族同然。家族の都合で引っ越し、ということはよくある話だ。実際に彼女の友達にも、父親の転勤で引っ越してしまった者がいる。その子とはいまだにメールでよくやりとりをする仲だ。
情報技術の発達した現代。普通の引越しならばたいした問題は無い。
しかし、それは普通の引越しならば、の話だ。
「幻想になる、か」
信号が青になり、自転車を発進させながら昨日の神奈子の話を思い出す。
『幻想郷という場所では、ここと違って魔法や精神についての理解が大きいそうだ。そこならば、神を信じる存在も多いだろう。しかし、そこに行くには一つ条件がある』
ただの引越しならばいい。友達との絆は変わらないし、よくしてくれた人たちとの関係も続く。しかし・・・
『その条件ってのは、幻想になること。簡単に言えば、人々から忘れ去られることだ。私は残された力でこの神社の存在を幻想にする。そうすればこの神社は幻想郷に流れ込む。この神社に祀られている私もそれに引きずられるだろう』
幻想になる。友達からも、朝、声をかけてくれる人達からも忘れられる。
『そして私は幻想郷に行って、そこで信仰を集める。一時的に力を失うだろうが、今のままよりよっぽどましなんだ。できれば、早苗にもついてきてほしいと思う。あんたも半分とはいえ神だからね。でも、ついてくるかどうかは・・・自分でよく考えて決めな』
この世界から、忘れ去られる。
「それは・・・流石に少しきついですよ・・・神奈子様・・・」
それからも彼女はいろいろ考えた。しかし考えれば考えるほど、頭がこんがらがってくる
「私はどうしたいんだろう?」
結局、早苗の考えは学校についてもまとまることは無かった。
「早苗、大丈夫?今日一日上の空だったよ?」
「うん、大丈夫。すこし風邪気味なだけだから」
そして下校時間。結局早苗は一日中考えにふけっていた。それでも答えはでない。
「そう?それならいいんだけど。それじゃ、また明日―って言っても明日は台風で休みかもねー」
「あはは、そうかも。それじゃね」
友達と別れ、家への道を歩く。
「幻想郷に行ったら、みんな忘れちゃうんですよね」
気がついたら、家の方向とは違う方向へ向かっていた。
「でも、神奈子様は言わなかったけど私だけがこっちに残っても・・・」
神奈子は、神社を幻想にすることを決めている。それはそうだ。わざわざ消滅が解っていて手を打たないなんてことは無いだろう。
「でも、それじゃ私も神奈子様のことを・・・諏訪子様のことも忘れちゃうってことじゃないですか」
そう。当然こちらの世界に残るのならば早苗も神奈子のことも、諏訪子のことも忘れてしまうのだ。
「それは絶対に嫌です。もちろんお二人が消えるのも」
早苗はそれだけは許せなかった。それこそ自分が忘れ去られてしまうことよりも、だ。
「それでも・・・うー・・・」
早苗は、最終的には何があっても神奈子と共に行くことを選ぶだろうことを自覚していた。それでもなかなか自分を幻想とする決心がつかない。
何かきっかけがあれば・・・
「忘れられるってどんな感じなんだろう?やっぱりさびしいですよね・・・あれ」
気がついたら橋の上に居た。家の近くにある大きな川にかかっている橋。その川は今、接近しつつある台風の影響で荒れていた。
「何時の間にかこんなところにきてたんですね・・・」
台風。太古の人々はその力を恐れ、神に祈りをささげながら過ぎ去るのを待った。
しかし現代では弱い台風であれば一つや二つ来ようが大した問題は起きない。せいぜい電車が止まり、学校が休みになって学生が喜ぶくらいだ。
しかし、その台風が早苗に天啓をもたらした。
「・・・あっ!」
早苗はひらめいた。この世界への、人々の持つ自分の記憶への未練を振り切る方法。
「そうだ、そうしよう。みんなが私を忘れちゃうなら」
自転車から降りる。彼女は決めた。幻想郷へ行く。そのための心残りを今からなくす。
「忘れられない何かを残せばいいんだ!」
「ふぅ」
夜。早苗は神社の裏にある湖へと来ていた。
台風が近づいている影響で、木はざわめき、空は厚い雲が覆っていて今にも雨が降り出しそうだ。
このことは神奈子にも話していない。神奈子には、もう幻想郷に行く決心をしたことを伝え、思い出づくりのために友達の家に泊まりに行く、と言って出てきた。
「考えてみれば、神奈子様に嘘をつくの、初めてだなぁ」
なんとなく柔軟体操をしながら、彼女は独り言を言う。
神奈子に嘘をついてまで、何故早苗はこんなところに来ているのだろうか。
「よしっ!」
気合を入れて、立ち上がり、湖へとむかう。
「さぁさぁ皆さんお立会い!私、現人神の東風谷早苗が今宵、皆様にお見せするのは一つの奇跡でございます!」
誰が聴いているわけでもないが、気持ちを盛り上げるために早苗は声を張り上げる。
「今、この土地に接近しているこの台風!これを私が一瞬にて消し去ってごらんにいれましょう!」
早苗はこの世界に居たことの証を残すことにしたのだ。
幻想になってしまえば、早苗のことは全ての人の記憶から綺麗に消え去ってしまうだろう。
しかし、台風が消え去ったという『奇跡』が起これば、それは記録に残る。その『奇跡』は彼女がこの世界に存在したという確固たる証になると彼女は考えたのだ。
自己満足でしかない。それは早苗にも解っている。でも、それでもいいと思っていた。
これは、迷いを断ち切るための儀式なのだ。
「・・・とは言ったものの・・・」
口上をぶちあげたままの状態で早苗は立ち尽くす。
「どーやってやるんだろう・・・」
奇跡を起こす力があることは、散々言い聞かされてきた。でも今までせいぜい遊びで風を吹かせてみるくらいしかやったことが無かったのだ。やり方なんてわかるわけがない。
「それでもっ!」
やるしかない。やって、自分の証を残すのだ。
「私なら出来るっ!」
友達に自信過剰だとよく言われたが、今はこのみなぎる自信を、自分のことながら早苗は頼もしく思っていた。
その時、早苗の中の力が少し大きくなった。
「はあああああ!」
やる、できる、やってみせる。
早苗は自分に言い聞かせ続ける。
「私は神奈子様の巫女で!現人神なんです!」
早苗の意思に呼応して、力が大きくなっていく。
神の力の源は信仰・・・つまり人間の信じる心だ。
半分人間である、現人神たる早苗の力も、例外ではない。
彼女の力もまた、人の信じる心から生じるものだ。
ならば何故、人々の信仰が無くなってきている今、彼女にこんな力があるのか。
その問いは愚問である。
今ここに、誰よりも早苗という神を信じている人間がいるではないか。
東風谷早苗という『人間』が東風谷早苗という『神』を信じる。
自信。すなわち自分を信じる心。
神は信じるものに奇跡をもたらすのではない。
信じる心が、神に奇跡を起こす力を与えるのだ。
「やれるんです!やるんです!やって、そして!」
身の中で極限まで高まった力を、想いと共に目の前の嵐に向かって解き放つ。
「神奈子様と、諏訪子様と一緒に暮らすんだあああああ!」
夜闇に明るい光がほとばしった。
その光が収まった時、風は止み、雲は晴れ、静かな湖面には月が映っていた。
「・・・やりました・・・」
そして早苗は、やりとげた顔をして、地面に倒れこんだのだった。
「神奈子、あんた手伝ったでしょ?」
「それは諏訪子もだろ。お互い様だよ」
闇の中、二つの影が浮かび上がる。それは守矢神社に祀られる、二柱の神。
そして、幼い早苗の想いに答えて顕現した、二人の家族の姿だった。
神奈子と諏訪子は机を挟んで向き合っていた。二人の前にある湯のみからは湯気が立っている。一仕事終えて落ち着いたといった風情だ。
神をなめてはいけない。早苗のやろうとしたことなど、彼女らは百も承知であった。
「そうかー。私たちと一緒に暮らしたい、か。まったく、自分が何で顕現したのか忘れちゃうなんて私も年かなぁ」
見た目からはその年齢を感じさせない、諏訪子がつぶやく。そもそも神に年齢の概念があるのかも定かではないが。
「言っただろう。早苗の望むことが第一だって。それなのにあんたときたら最近消えてばっかりで何をしてたんだか」
「ごめんごめん。流石に信仰が足りな過ぎてさ」
神奈子は消えてしまうことを恐れてはいない。人々が自分で技術を発達させ、自分で立つことが出来るなら、神を必要としないのなら、それはそれで喜ばしいことなのではないかとさえ思っている。
それでも、一人でも神奈子のことを必要とする者がいるなら、彼女は神たりえないといけない。
それが、神奈子にとっても大切な人であるなら、なおさらだ。
早苗が望んだからこそ、実体を持たなかった彼女らは顕現した。
ならば早苗が望む限り、早苗の傍に居ることが自分の使命だと、神奈子はそう思っている。
それは諏訪子も同じだった。
「ところでさ、神奈子。最近、ぐっと人間の信仰心が薄くなったわけだけどなんでだと思う?」
「さっきの早苗が答えさ。あんただって、うすうす気が付いているだろ?」
嵐がやみ、静かになった室内で二柱の神が世間話のように信仰について語り出す。
「最近の人間は自信を持っているのさ。自分たちの力にね」
神奈子はお茶を一口飲み、言葉を続ける。
「昔の人間は自然に対して無力だった。でも今の人間は違う。災害があっても身を守る術を心得ているし、何かあっても自力で立ち直ることが出来る。今の人間たちは神を信じ、神にすがる前に自分の力を信じることが出来るのさ」
「私たちはもう必要ないんだね」
「寂しいかい?」
「寂しいね。でも素晴らしいことだよ。嬉しくてしょうがないや」
神奈子のからかう様な視線に、諏訪子は正面から答えた。
自分の守っていたものが、たくましく育って自立していくのだ。寂しさを感じこそすれ、悲しさを感じるわけがないと諏訪子は思う。
神奈子も諏訪子も、自分の見守ってきた人々の成長を嬉しく思っているのだ。
「それでも、私たちは消えるわけにはいかないけどね」
いつまでも、早苗と共に。早苗がそれを望むから。
そのためには、彼女らの存在を保つための信仰心を集めなければならない。
だからこそ、幻想郷へ行くのだ。
「ちなみに、万が一早苗が私たちを選ばなかったらどうする気だったの?」
「そのときは消えるだけさ。必要無い神は消えるのみってね」
神奈子は笑みを浮かべる。その笑みは力衰えても変わらない、神としての威厳をたたえていた。
「それにしても早苗にはきつい選択だったかね」
「それでも、早苗は私たちを選んだ。ある意味重いよ?」
今度は諏訪子が、神奈子をからかう。
「これくらいの信仰心、受け止められないで何が神だい」
神奈子もまた、それに正面から答えた。
「流石は私の国を征服した神様だね」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
そして二柱の神は姿を消す。残されたのは空になった二つの湯呑だけであった。
出発の朝。
早苗は朝食をとる。いつも通りの時間はとうに過ぎているが、もう学校に行くことも無いから問題ない。
ニュースを見ると、突然消滅した台風の話題で持ちきりだった。
「よしっ!」
早苗の目的は達成された。紛れもない、彼女がこの世界に存在していたことの証。
このことを友達が、知り合いが覚えている限り、早苗はその人たちの心に存在の証を残すことが出来る。
これでもう未練は無い。
友達に申し訳ないと思う気持ちもあるが、それでも彼女は神奈子と、諏訪子と共にありたいと、そう思うのだ。
幼かった自分と共に居てくれた、二柱の神と共に。
「神奈子様、準備できました!」
身支度をし、巫女服を着込んで、鳥居の下に立つ神奈子に話しかける。神社には神奈子が人払いの術を仕掛けているので彼女たちの他には誰もいない。
「あれ、諏訪子様は・・・?」
「あいつは少し調子が悪くてね。多分向こうについて少ししたらでてくるよ」
幻想郷には神に対する信仰があふれている。それが直接、神奈子や諏訪子に対するものでないにしても『神』という概念に対しての信仰は彼女たちに力を取り戻させるきっかけとなるはずだ。
「そうですか・・・」
(まったく、早苗に心配ばかりかけてるんじゃないよ)
しょぼんとする早苗を見て、神奈子は内心で諏訪子に毒づくのだった。
「それじゃ行こうか」
「はい、お願いします」
神奈子様は、神社とその中にあるものを幻想に変える儀式の準備を始めた。
私は鳥居を通して、今までお世話になった世界を見る。
自分が居た世界。証を刻んだ世界。
私が居なくなってもこの世界は何事もなく歴史を刻み続けるだろう。
でも、私はこの世界のことを忘れない。
友達のこと、お世話になった人達のこと。たくさんの思い出。
それからもらったたくさんのものを、昨夜の出来ごとからもらった自信を、胸に抱いて幻想郷へ行く。
「向こうで友達出来るかなー」
向こうは神様の文化が残っているみたいだし、同年代の巫女仲間とか出来たら嬉しいな。あと、魔法使いの友達とか。魔法少女っていいな。憧れるかも。
「あれ?」
自分で自分にびっくりした。悲しいかと思ったらわくわくしてる。そうか、新しいところに行くんだからわくわくもするよね。悲しいことばっかりじゃないんだ。
大学デビュー・・・じゃなくて
「幻想郷デビュー、か」
うん、悪くないかも。
「早苗、いくよ!」
神奈子様の声がした。私は居住まいを正す。
そして今までの世界に別れを告げる。
「それでは、現実の世界よ、またいずれ!」
瞬間、世界が反転した。気がついた時には、山の頂上。あんまり元の世界と変わらない気がしたけど、なんとなくわかった。ここが幻想郷。
さて、やることがたくさんあるな。お引越しのご挨拶とか。
とりあえず、その前に。なにごとも最初が肝心だし、一発かましておきましょう。
なんたって私は幻想郷デビューするんだから。
「幻想郷よ、これから末永くよろしくお願いします!」
自信に充ち溢れた彼女の声は、山中に響き渡った。
山を吹きゆく風は、彼女たちを歓迎しているかのようであった。
闇の中、何者かがつぶやく。強力な力を持っているようだが、なぜか弱っているかのような様子だ。
「幻と、人の想いの眠る郷・・・か」
何物かは、己の手を握りしめる。彼女に残された時間はそれほど長くないことをしっかりと自覚していた。
「覚悟を決めた方が・・・良さそうだね」
その言葉を最後に、気配が掻き消える。その場にはほこりの一かけらさえ残ってはいなかった。
「それでは、いってきます!」
日本のとある場所にある神社、守矢神社。
もうすでに日の高い、夏の月曜日の朝。早朝から境内で働く人々に挨拶しながら、一人の少女が駆けていく。
「早苗ちゃん、いってらっしゃい!」
「はい、いってきます!」
「今日も元気だね、早苗ちゃんは」
「それがとりえですからー!」
少女の名は、東風谷早苗。守矢神社に住まう、女子高生だ。
そして、この神社の祀る神、八坂神の巫女でもある。
「よっと」
参道を駆け抜け、駐輪場に止めてある彼女の自転車の籠ににカバンを放り込む。
それと同時に搭乗、発進。
駐輪場を出た直後にある信号が青になった瞬間に通り抜ける。
「今日も絶好調!」
これが彼女の登校の日常風景である。
「おはよー!」
「あ、おはよ、早苗。昨日のテストどうだった?」
「完璧!100点満点間違いなしです!」
「この前も同じこと言って、80点くらいだったじゃん。ホント自信過剰なんだから」
友人たちと合流し、たわいのない話に花を咲かせる。このうえなく普通の女子高生の姿である。
しかし彼女自身が普通であるかというと、それは少し違う。
人であり、神である。現人神。
奇跡を起こす力を持つ彼女は、しかしその力をふるわない。
科学の力の発達した今の世の日本では、大雨が降ろうが、大風が吹こうが、奇跡は求められない。
奇跡にすがるのでは無く、人が自分の力で解決する時代なのだ。
そんなご時世、異質な力を持っていることは、余りよろしいことではない。受け入れられればいいが、下手をすれば爪はじきにされるかもしれない。
そんな状況で奇跡を起こす力を使うメリットは少ない。
加えて言うなら、今の彼女には大した力は無い。せいぜいそよ風を吹かせる程度だ。
昔はもう少し強い風を起こすことも出来たのだが。
・・・力の弱まっている原因が、人々の信仰心が薄れているからであることに彼女はまだ気が付いていない。
そして信仰心の薄れは、神にとっては半分人間である彼女以上の問題であることにも、気が付いていないのだ。
「ただいま帰りました」
学校を終え、神社の仕事も終わって、巫女装束に身を包んだ早苗が家へと戻る。
「ん、早苗、おかえり」
出迎えるのは人ではなく、神。守矢神社に祀られる二柱の神のうち一柱、八坂神奈子だ。
「神奈子様、少し待っていてください。すぐ食事の準備を」
「いや、早苗。今日は久しぶりに私が作っておいたよ。一緒に食べようか」
「本当ですか!ぜひいただきます!」
神である神奈子と、現人神である早苗。その二人の姿は、さながら親子か、年の離れた姉妹かのようだった。
早苗は、幼いころに両親を亡くしている。
別に、自殺とか殺人とか、そういうことではない。
彼女を生んだ時、両親はすでに50歳を超えていた。いわゆる超高齢出産というやつである。
彼女の父も現人神であり、風を呼ぶ力を持っていた。その力を早苗は受け継ぎ、それが何を意味するかも教えられた。
そしてその後、早苗が10歳になるころに、父母ともに病気で他界した。何が悪いというわけではない、人であるが故の、ただただあらがえない定めであった。
しかし幼かった早苗は悲しさに、そして寂しさに泣いた。そして神を信じ、神に祈った。助けてください、と。
「あんたが、次代の守矢の巫女かい?」
その願いに答えたのか、早苗の前には神奈子が現れていた。
「あなたは、神様?」
「ああ、神さ。あんたが信じた、ね」
その日から、神と現人神の生活が始まった。
神奈子の存在は、早苗の寂しさを確実に和らげてくれた。
祀っている神様が、自分の家に一緒に住んでいるというのも変な話ではあるが、気がついたら慣れていた。呼び方も何時の間にやら『八坂様』から『神奈子様』に変わっていた。
そしてもう一柱。最近は姿を見せないが、洩矢諏訪子もまた、彼女と共にあった。
神社に勤める人たちもよくしてくれた。そのおかげで早苗は今日まで立派に生きてきたのだった。
「早苗、今日は大事な話があるんだ」
食事を終え、早苗が一息ついた頃、神奈子が静かに切り出した。
「どうしたんです、神奈子様?」
「あんた最近、力が落ちてきてないか?」
「奇跡を起こす力ですか?もともとそれほど大きな力ではありませんが、確かに最近より弱くなってきているような。それが何か?」
早苗は軽く答えるが、神奈子の顔を見て居住まいを直す。
かつてないほどに深刻そうな顔をしていたのだ。
「原因はわかるかい?」
「いえ・・・」
早苗は首を横に振る。
「簡単だよ。人々の信仰心が、無くなってきているからさ」
そして、神奈子は現在の状態を説明し始めた
神奈子が言うことをまとめると、おおよそこのような感じだ。
科学が発達した現代の世の中、人間が神を信仰することをやめるようになってしまった。
人間の信仰は、神にとって生命そのものである。つまり信仰を得られなければ、神奈子は消滅してしまう。
「そんなのダメですよ!何とかならないんですか?」
神奈子は一瞬ためらうように言葉を詰まらせたが、早苗の眼を正面から見つめて言った。
「方法は、ある。ここでは無理でも他の場所なら信仰を集められるかもしれない」
「他の場所、ですか?」
「まだ信仰を集められるかもしれない場所に、心当たりがある。上手くいけばそこなら・・・」
それを聞くやいなや、早苗は立ち上がる。
「お引っ越しですね、解りました!お友達みんなに挨拶しないと・・・あれ、でも神社のお引っ越しってどうすれば?」
「落ち着きな、早苗。私が神社を移そうとしているのは普通の場所じゃない」
「え?」
あわただしく動き出した早苗を神奈子は止めた。
「幻想郷、という場所がある」
そして神奈子は以前よりたてていた計画を、全て早苗に話したのだった。
「まったく何を考えてるのかと思えば・・・」
闇の中、何者かが神奈子に語りかける。この声からもまた、強大な力を感じる。しかし、なぜか神奈子よりもさらに弱っているようだ。
「しかも私の知らないうちに準備万端じゃない。私には何の相談もないわけ?」
「あんたが反対するとは思ってなかったんでね」
神奈子は何者かの声に答える。
声の主は、洩矢諏訪子。最近姿を見せなかったのは、神奈子以上に信仰の力が弱まっているからだ。もはやこの世に彼女の名を知っている者はほとんどいない。
「反対する気はないよ。そもそも相談されてないんだから反対も何もない。でもね」
諏訪子の気配が大きくなる。弱まっているはずの力が大きく、禍々しいものになる。
「もし早苗が行くのを嫌がって、それでも無理やり連れて行くってのは承知しないからね?」
その言葉を最後に、気配がかき消える。残されたのは神奈子の気配のみ。
「もちろんわかってるさ」
神奈子は虚空へと言葉を放つ。
「あの子が望むことが第一に決まっているじゃないか」
そして、神奈子の気配も消えさった。
「では、いってきます」
神奈子に計画を聞かされた翌日の朝。平日なのだから学校はある。
いつも通りにかけられた声に返事しながら、参道を駆けていく。
「いってらっしゃい、早苗ちゃん」
「早苗ちゃん、台風が近づいているみたいだから気をつけてね!」
「はい、わかりましたー」
いつもとは違う、どこか間延びして気の抜けた感じの返事を返す早苗。
「よいしょっと」
いつもどおりにカバンを自転車に放り込み、発進。
そして駐輪場を出た直後にある信号・・・に引っ掛かってしまった。
「・・・あっちゃあ・・・」
自転車を使って通学を始めた中学時代以来、通学時には一回たりとも引っ掛かったことの無かった信号に引っ掛かった。
早い話が、彼女の行動はまったくいつも通りでは無かったわけだ。
彼女は動揺していた。原因は明らかだ。昨日の神奈子の話である。
「お引っ越しだけなら全然問題ないんだけど」
別に彼女にとって、引っ越し自体は何の問題も無いのだ。
神奈子は彼女にとって家族同然。家族の都合で引っ越し、ということはよくある話だ。実際に彼女の友達にも、父親の転勤で引っ越してしまった者がいる。その子とはいまだにメールでよくやりとりをする仲だ。
情報技術の発達した現代。普通の引越しならばたいした問題は無い。
しかし、それは普通の引越しならば、の話だ。
「幻想になる、か」
信号が青になり、自転車を発進させながら昨日の神奈子の話を思い出す。
『幻想郷という場所では、ここと違って魔法や精神についての理解が大きいそうだ。そこならば、神を信じる存在も多いだろう。しかし、そこに行くには一つ条件がある』
ただの引越しならばいい。友達との絆は変わらないし、よくしてくれた人たちとの関係も続く。しかし・・・
『その条件ってのは、幻想になること。簡単に言えば、人々から忘れ去られることだ。私は残された力でこの神社の存在を幻想にする。そうすればこの神社は幻想郷に流れ込む。この神社に祀られている私もそれに引きずられるだろう』
幻想になる。友達からも、朝、声をかけてくれる人達からも忘れられる。
『そして私は幻想郷に行って、そこで信仰を集める。一時的に力を失うだろうが、今のままよりよっぽどましなんだ。できれば、早苗にもついてきてほしいと思う。あんたも半分とはいえ神だからね。でも、ついてくるかどうかは・・・自分でよく考えて決めな』
この世界から、忘れ去られる。
「それは・・・流石に少しきついですよ・・・神奈子様・・・」
それからも彼女はいろいろ考えた。しかし考えれば考えるほど、頭がこんがらがってくる
「私はどうしたいんだろう?」
結局、早苗の考えは学校についてもまとまることは無かった。
「早苗、大丈夫?今日一日上の空だったよ?」
「うん、大丈夫。すこし風邪気味なだけだから」
そして下校時間。結局早苗は一日中考えにふけっていた。それでも答えはでない。
「そう?それならいいんだけど。それじゃ、また明日―って言っても明日は台風で休みかもねー」
「あはは、そうかも。それじゃね」
友達と別れ、家への道を歩く。
「幻想郷に行ったら、みんな忘れちゃうんですよね」
気がついたら、家の方向とは違う方向へ向かっていた。
「でも、神奈子様は言わなかったけど私だけがこっちに残っても・・・」
神奈子は、神社を幻想にすることを決めている。それはそうだ。わざわざ消滅が解っていて手を打たないなんてことは無いだろう。
「でも、それじゃ私も神奈子様のことを・・・諏訪子様のことも忘れちゃうってことじゃないですか」
そう。当然こちらの世界に残るのならば早苗も神奈子のことも、諏訪子のことも忘れてしまうのだ。
「それは絶対に嫌です。もちろんお二人が消えるのも」
早苗はそれだけは許せなかった。それこそ自分が忘れ去られてしまうことよりも、だ。
「それでも・・・うー・・・」
早苗は、最終的には何があっても神奈子と共に行くことを選ぶだろうことを自覚していた。それでもなかなか自分を幻想とする決心がつかない。
何かきっかけがあれば・・・
「忘れられるってどんな感じなんだろう?やっぱりさびしいですよね・・・あれ」
気がついたら橋の上に居た。家の近くにある大きな川にかかっている橋。その川は今、接近しつつある台風の影響で荒れていた。
「何時の間にかこんなところにきてたんですね・・・」
台風。太古の人々はその力を恐れ、神に祈りをささげながら過ぎ去るのを待った。
しかし現代では弱い台風であれば一つや二つ来ようが大した問題は起きない。せいぜい電車が止まり、学校が休みになって学生が喜ぶくらいだ。
しかし、その台風が早苗に天啓をもたらした。
「・・・あっ!」
早苗はひらめいた。この世界への、人々の持つ自分の記憶への未練を振り切る方法。
「そうだ、そうしよう。みんなが私を忘れちゃうなら」
自転車から降りる。彼女は決めた。幻想郷へ行く。そのための心残りを今からなくす。
「忘れられない何かを残せばいいんだ!」
「ふぅ」
夜。早苗は神社の裏にある湖へと来ていた。
台風が近づいている影響で、木はざわめき、空は厚い雲が覆っていて今にも雨が降り出しそうだ。
このことは神奈子にも話していない。神奈子には、もう幻想郷に行く決心をしたことを伝え、思い出づくりのために友達の家に泊まりに行く、と言って出てきた。
「考えてみれば、神奈子様に嘘をつくの、初めてだなぁ」
なんとなく柔軟体操をしながら、彼女は独り言を言う。
神奈子に嘘をついてまで、何故早苗はこんなところに来ているのだろうか。
「よしっ!」
気合を入れて、立ち上がり、湖へとむかう。
「さぁさぁ皆さんお立会い!私、現人神の東風谷早苗が今宵、皆様にお見せするのは一つの奇跡でございます!」
誰が聴いているわけでもないが、気持ちを盛り上げるために早苗は声を張り上げる。
「今、この土地に接近しているこの台風!これを私が一瞬にて消し去ってごらんにいれましょう!」
早苗はこの世界に居たことの証を残すことにしたのだ。
幻想になってしまえば、早苗のことは全ての人の記憶から綺麗に消え去ってしまうだろう。
しかし、台風が消え去ったという『奇跡』が起これば、それは記録に残る。その『奇跡』は彼女がこの世界に存在したという確固たる証になると彼女は考えたのだ。
自己満足でしかない。それは早苗にも解っている。でも、それでもいいと思っていた。
これは、迷いを断ち切るための儀式なのだ。
「・・・とは言ったものの・・・」
口上をぶちあげたままの状態で早苗は立ち尽くす。
「どーやってやるんだろう・・・」
奇跡を起こす力があることは、散々言い聞かされてきた。でも今までせいぜい遊びで風を吹かせてみるくらいしかやったことが無かったのだ。やり方なんてわかるわけがない。
「それでもっ!」
やるしかない。やって、自分の証を残すのだ。
「私なら出来るっ!」
友達に自信過剰だとよく言われたが、今はこのみなぎる自信を、自分のことながら早苗は頼もしく思っていた。
その時、早苗の中の力が少し大きくなった。
「はあああああ!」
やる、できる、やってみせる。
早苗は自分に言い聞かせ続ける。
「私は神奈子様の巫女で!現人神なんです!」
早苗の意思に呼応して、力が大きくなっていく。
神の力の源は信仰・・・つまり人間の信じる心だ。
半分人間である、現人神たる早苗の力も、例外ではない。
彼女の力もまた、人の信じる心から生じるものだ。
ならば何故、人々の信仰が無くなってきている今、彼女にこんな力があるのか。
その問いは愚問である。
今ここに、誰よりも早苗という神を信じている人間がいるではないか。
東風谷早苗という『人間』が東風谷早苗という『神』を信じる。
自信。すなわち自分を信じる心。
神は信じるものに奇跡をもたらすのではない。
信じる心が、神に奇跡を起こす力を与えるのだ。
「やれるんです!やるんです!やって、そして!」
身の中で極限まで高まった力を、想いと共に目の前の嵐に向かって解き放つ。
「神奈子様と、諏訪子様と一緒に暮らすんだあああああ!」
夜闇に明るい光がほとばしった。
その光が収まった時、風は止み、雲は晴れ、静かな湖面には月が映っていた。
「・・・やりました・・・」
そして早苗は、やりとげた顔をして、地面に倒れこんだのだった。
「神奈子、あんた手伝ったでしょ?」
「それは諏訪子もだろ。お互い様だよ」
闇の中、二つの影が浮かび上がる。それは守矢神社に祀られる、二柱の神。
そして、幼い早苗の想いに答えて顕現した、二人の家族の姿だった。
神奈子と諏訪子は机を挟んで向き合っていた。二人の前にある湯のみからは湯気が立っている。一仕事終えて落ち着いたといった風情だ。
神をなめてはいけない。早苗のやろうとしたことなど、彼女らは百も承知であった。
「そうかー。私たちと一緒に暮らしたい、か。まったく、自分が何で顕現したのか忘れちゃうなんて私も年かなぁ」
見た目からはその年齢を感じさせない、諏訪子がつぶやく。そもそも神に年齢の概念があるのかも定かではないが。
「言っただろう。早苗の望むことが第一だって。それなのにあんたときたら最近消えてばっかりで何をしてたんだか」
「ごめんごめん。流石に信仰が足りな過ぎてさ」
神奈子は消えてしまうことを恐れてはいない。人々が自分で技術を発達させ、自分で立つことが出来るなら、神を必要としないのなら、それはそれで喜ばしいことなのではないかとさえ思っている。
それでも、一人でも神奈子のことを必要とする者がいるなら、彼女は神たりえないといけない。
それが、神奈子にとっても大切な人であるなら、なおさらだ。
早苗が望んだからこそ、実体を持たなかった彼女らは顕現した。
ならば早苗が望む限り、早苗の傍に居ることが自分の使命だと、神奈子はそう思っている。
それは諏訪子も同じだった。
「ところでさ、神奈子。最近、ぐっと人間の信仰心が薄くなったわけだけどなんでだと思う?」
「さっきの早苗が答えさ。あんただって、うすうす気が付いているだろ?」
嵐がやみ、静かになった室内で二柱の神が世間話のように信仰について語り出す。
「最近の人間は自信を持っているのさ。自分たちの力にね」
神奈子はお茶を一口飲み、言葉を続ける。
「昔の人間は自然に対して無力だった。でも今の人間は違う。災害があっても身を守る術を心得ているし、何かあっても自力で立ち直ることが出来る。今の人間たちは神を信じ、神にすがる前に自分の力を信じることが出来るのさ」
「私たちはもう必要ないんだね」
「寂しいかい?」
「寂しいね。でも素晴らしいことだよ。嬉しくてしょうがないや」
神奈子のからかう様な視線に、諏訪子は正面から答えた。
自分の守っていたものが、たくましく育って自立していくのだ。寂しさを感じこそすれ、悲しさを感じるわけがないと諏訪子は思う。
神奈子も諏訪子も、自分の見守ってきた人々の成長を嬉しく思っているのだ。
「それでも、私たちは消えるわけにはいかないけどね」
いつまでも、早苗と共に。早苗がそれを望むから。
そのためには、彼女らの存在を保つための信仰心を集めなければならない。
だからこそ、幻想郷へ行くのだ。
「ちなみに、万が一早苗が私たちを選ばなかったらどうする気だったの?」
「そのときは消えるだけさ。必要無い神は消えるのみってね」
神奈子は笑みを浮かべる。その笑みは力衰えても変わらない、神としての威厳をたたえていた。
「それにしても早苗にはきつい選択だったかね」
「それでも、早苗は私たちを選んだ。ある意味重いよ?」
今度は諏訪子が、神奈子をからかう。
「これくらいの信仰心、受け止められないで何が神だい」
神奈子もまた、それに正面から答えた。
「流石は私の国を征服した神様だね」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
そして二柱の神は姿を消す。残されたのは空になった二つの湯呑だけであった。
出発の朝。
早苗は朝食をとる。いつも通りの時間はとうに過ぎているが、もう学校に行くことも無いから問題ない。
ニュースを見ると、突然消滅した台風の話題で持ちきりだった。
「よしっ!」
早苗の目的は達成された。紛れもない、彼女がこの世界に存在していたことの証。
このことを友達が、知り合いが覚えている限り、早苗はその人たちの心に存在の証を残すことが出来る。
これでもう未練は無い。
友達に申し訳ないと思う気持ちもあるが、それでも彼女は神奈子と、諏訪子と共にありたいと、そう思うのだ。
幼かった自分と共に居てくれた、二柱の神と共に。
「神奈子様、準備できました!」
身支度をし、巫女服を着込んで、鳥居の下に立つ神奈子に話しかける。神社には神奈子が人払いの術を仕掛けているので彼女たちの他には誰もいない。
「あれ、諏訪子様は・・・?」
「あいつは少し調子が悪くてね。多分向こうについて少ししたらでてくるよ」
幻想郷には神に対する信仰があふれている。それが直接、神奈子や諏訪子に対するものでないにしても『神』という概念に対しての信仰は彼女たちに力を取り戻させるきっかけとなるはずだ。
「そうですか・・・」
(まったく、早苗に心配ばかりかけてるんじゃないよ)
しょぼんとする早苗を見て、神奈子は内心で諏訪子に毒づくのだった。
「それじゃ行こうか」
「はい、お願いします」
神奈子様は、神社とその中にあるものを幻想に変える儀式の準備を始めた。
私は鳥居を通して、今までお世話になった世界を見る。
自分が居た世界。証を刻んだ世界。
私が居なくなってもこの世界は何事もなく歴史を刻み続けるだろう。
でも、私はこの世界のことを忘れない。
友達のこと、お世話になった人達のこと。たくさんの思い出。
それからもらったたくさんのものを、昨夜の出来ごとからもらった自信を、胸に抱いて幻想郷へ行く。
「向こうで友達出来るかなー」
向こうは神様の文化が残っているみたいだし、同年代の巫女仲間とか出来たら嬉しいな。あと、魔法使いの友達とか。魔法少女っていいな。憧れるかも。
「あれ?」
自分で自分にびっくりした。悲しいかと思ったらわくわくしてる。そうか、新しいところに行くんだからわくわくもするよね。悲しいことばっかりじゃないんだ。
大学デビュー・・・じゃなくて
「幻想郷デビュー、か」
うん、悪くないかも。
「早苗、いくよ!」
神奈子様の声がした。私は居住まいを正す。
そして今までの世界に別れを告げる。
「それでは、現実の世界よ、またいずれ!」
瞬間、世界が反転した。気がついた時には、山の頂上。あんまり元の世界と変わらない気がしたけど、なんとなくわかった。ここが幻想郷。
さて、やることがたくさんあるな。お引越しのご挨拶とか。
とりあえず、その前に。なにごとも最初が肝心だし、一発かましておきましょう。
なんたって私は幻想郷デビューするんだから。
「幻想郷よ、これから末永くよろしくお願いします!」
自信に充ち溢れた彼女の声は、山中に響き渡った。
山を吹きゆく風は、彼女たちを歓迎しているかのようであった。
短いシーンであまりにも頻出すると気になるので、何度も使う場合は他の言い回しを混ぜた方がより綺麗かと。
話は面白かったし、前向きな早苗さんをはじめとして守矢一家を応援したくなった。
あれって、まさか・・・W
素敵なお話、ありがとうございます!
考えさせられました。