Coolier - 新生・東方創想話

忘暇異変録 ~for the girls of leisure

2011/04/27 01:43:41
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[はじめに]
   ・長大になってしまったので連載モノの体裁を取らせていただきます。
   ・不定期更新予定。
   ・できるだけ原作設定準拠で進めておりますが、まれに筆者の独自設定・解釈が描写されていることがあります。あらかじめご注意下さい。
   ・基本的にはバトルモノです。

   以上の点をご了承頂いた上、ぜひ読んでいってください。

    
    前回  L-1 G-4 L-2 J-3















  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――














   【 L-3 】【 I-3 】



「みんな、って銘打った割には、随分偏ったメンツのようにも思えるけど……?」
「あら、そうかしら」

今回参加している面々を、アリスは思い浮かべた。
妖怪から人間まで――総勢三十九名。さまざまな種族が特になんの縛りも無く、ごった混ぜになっている。
言ってしまえば、そもそも幻想郷自体がそういう風にできているのだ。この参加者構成も、ある意味で非常に象徴的なもののようにも思えるが――これではおそらく足りていない。

「幻想郷全土を巻き込みたいのなら、もっと拾ってくるべき強力なのがいくらでもいるでしょう?例えば……天狗とか河童。数の多い種族だし、今回参加してる二人よりも強いのがいるんじゃないの?知らないけど」
「お山の長――天魔だっけ?あれもきっと相当な大妖怪だろうな。もちろん、見たことは無いが」
アリスが呟き、魔理沙も追従する。
彼女たちの言う通り、幻想郷は広い。閉じた楽園であるとは言え、そこにはまだ見ぬ力を持った幻想たちが数多存在しているのだろう。
今例示された天狗の長も、その一。
今回の紫の号令で萃まった者たちは確かに強大な幻想ではあるだろうが、それが全てではない。

「あぁ……。天狗、河童両種族は参加しないわ。彼らは彼らで、一つの社会を持っている。そこで上手くやっているので問題は無い。口出しはするな。と、突っぱねられてしまいましてね」
二人の声に、簡単な相槌を打ち、紫が説明する。
残念がっているように見えるが、呆れているようにも、馬鹿にしているようにも見える。微笑みながら吐き捨てるようでさえある彼女は、その様子を隠そうともしていない。

「いや、天狗も河童も参加しちゃってるじゃないか」
「えぇそうね。彼らの参加は叶わなかったけど、理解は得られた、ってところかしら。その証拠に、彼らの住処である妖怪の山を舞台の一つとして使わせてもらえた。これだって、あの付き合いの悪い種族からすればスゴいことですわ」

その約束を取り付けたことを誇っているように、彼女はわずかに自慢げな顔をしてみせた。
「えー、そりゃすごいわ」
 そんな心からどうでもよさそうなアリスの返事など聞いていないかのように、紫は言葉を続けてゆく。


「その条件として、一つ。彼らのコミュニティで完全にケアしきれないであろう、問題児たちをこっちに預かっているわ。まぁ山の妖怪たちはこぞって内気だから、あれらくらい山以外との交流があるタイプも確かに珍しいわね」

 彼女の言う問題児二人――射命丸文と河城にとり。
 システマティックな種族の組織の中で、特に気安い二人。いくら同じ敷地内にあるとは言え、お茶を呑みに守矢の神社を訪れるような天狗と河童は、実はこの二人くらいのものであった。
 さらに言えば、自身の好奇心を原動力に山を勝手に下りてゆくのもこの二人ぐらい。特に文がそうだった。
 天狗の新聞記者というのも彼女一人なわけではないが、彼女ほど明け透けに取材をして回るタイプはほとんどいない。中には山どころか部屋から出ずに記事用の写真を手にいれる者さえいるのだ。
 だがそれは極端な例であっても、特異な例ではない。山の社会とは、それほど閉じた空間である。
 そんな中で暮らす者たちの間では、今回紫に招待された二人がむしろ特異な部類にカテゴライズされているようだった。


「……まぁそれでも。もはやお山は別世界。暇人な彼女たちも、言ってしまえば別社会の住人たちですわ。どれほどその中で変だろうと、ね。彼女たちが積極的に参加してくれるかは――私にもわかりかねますわね」
 肩を竦めながらそう付け足す。
 文もにとりも、共に種族内でも力のある者たちだ。この騒ぎの中に於いても遜色は無い――が、他の妖怪たちほど“暇”なのかは、彼女たちを呼び出した紫にも正確に把握はできていないようだった。
 ふぅん、という魔理沙とアリスの声が重なる。

 不意に、紫は一人押し黙る少女がいることに気づき、彼女へと声をかけた。


「――怖がらせちゃったかしら?そんな不安そうな顔しなくても大丈夫よ」

 その言葉に、早苗はビクッと肩を震わせる。
 心象を言い当てられたことに驚いてか、紫の薄笑いを受けてか、彼女は怯えるような瞳を向けていた。


「……そりゃ、不安にもなりますよ。今振り返れば、すでに危ない経験もしましたしね」
「それはそれは。経験豊富なのはいいことだわ」
 紫の視線を受け、早苗はスカートの裾を強く握る。その隣では、なぜか魔理沙がきょとんとした顔をしていた。


「ん?なんか危ないことあったっけか?」
「ちょ……昨日の夜に、二人で神奈子様とやったじゃないですか!しかも魔理沙さんに至っては、“本気でかかって来い”とか挑発までして!」
「……それはまた、信じがたいほどのアホね…………」
「あーはいはい。そこは勇敢と言ってもらいたいもんだぜ」
「あれじゃただの無茶です」
「そりゃただ無謀なのよ」
 両サイドの二人は、揃って溜め息混じりのツッコミを入れていた。

「ぐ……今日は二対一かよ……」
 しかも三人の真ん中を陣取っている彼女は挟み撃ち。
 だが、紫だけは、魔理沙の無茶を“是”としていた。


「ふふ……流石ね。楽しんでいただけているようで幸いですわ」
「お、今日はおまえが味方か。地獄に仏ってヤツか?あの世に妖怪?」
「それはそれは。奇々怪々」
「――はいはいソコ。グダグダとツルまない」
 例によって魔理沙と紫が馴れ合い始めそうだったのを、アリスが手を叩いて遮った。
 彼女らにこのテンションで話をさせ出すと、夜がいくつあっても終わらないだろう。無益な話を嫌うというほど堅物な彼女でもなかったが、収拾がつかなくなりそうな状況は好ましくない。


「……でも――――」
 そんなアリスすらも含む緩い空気を塗り潰すような、重い声が響く。


「魔理沙さんのあれは……本当に危なかったです。一歩間違えば…………」

 声を上げた早苗は、あくまで神妙な顔でいた。
 不安であることを隠せないその表情は、周りの面持ちに染まっていない。だがそれも“人間”としては、一番あるべき表情のように思えた。
 窓の無い部屋は空気が逃げず、その小さな部屋の中は、彼女の声とともに重く張り詰めてゆく。


「ふふ……さっきも言ったけど、大丈夫よ。死にはしないから」
「――――ッ!!神奈子様もそう仰ってました!“結界が張ってあるから死にはしない”って!」
 そうだ、私はそれが知りたくて来たんだ、と息を荒げて紫に詰め寄った。
 そうして向けられた熱を前にしても、紫は変わらず飄々と、
「そういえばまだだったわね」
 などと軽く反応しただけである。
 もっとも、幻想郷中を探しても紫を焦らせることをできる者など、ほとんどいないだろうが。


「――今回、力の強い妖怪たちを招くにあたって、問題なのは“ハンデ”だったわ」

 ハンデ、と誰ともなく反芻する。
 反応の返ってくるオーディエンスに満足するように紫は頷き、彼女もまたその単語を繰り返す。


「そう、ハンデ。……いや、厳密に言えばハンデだと語弊があるわね。優位者への負担条件……ではないし。リミッター?でも恩恵高いのはむしろ逆……」
「あーはいはい。この際言葉はなんでもいいから。具体的な話を聞かせてもらってからこっちで判断するわよ」
「あんまりヒネられても伝わらないぜ」
「えっと……恥ずかしながら、ハンデくらいの方がわかりやすくていいです……」
「あら残念。総好かん。じゃあハンデで続けましょうか」
 そう言って彼女は大げさに肩を竦めてみせる。


「幻想郷中の知ってる顔から強力そうなのを掻き萃めたのはいいんだけど、そこにはどうしても力の差が生じてしまうわ。それは、個人の能力如何にかかわらず――さっき出たように種族的な意味も含めてね」
 その話題を持ち出したアリスの方へ静かに視線を送る。彼女はまた何も言わずに口を結んで耳を傾けていた。
 紫の話は続く。

「あまりに力の差が開くと、この催しの意味が無くなるわ。例えば――ねぇ、魔理沙?」
「おん?」
「あなたは昨日戦っていたのよね?そこであなたの相手に決まったのが、そこら辺にいるただの妖精だったらどうするかしら?」
「今回妖精いたっけか?」
「氷精なら呼んでいるわね」
「そういやそうだったっけ」

 紫からの問いに魔理沙は少し考え、思ったままを口にする。
「テキトーにあしらって次行こうってなるな」
 そんな答えで満足だったようで、紫は静かに頷き、僅かに微笑んでみせた。

「まぁそうなるわよね。誰もそこで本気を出そうとは思わないわ。それじゃ意味が無い――とまでは言わないけど、ある程度そうさせないための措置が必要だったのよ」
「それが――“結界”」
「ご明察」
 静かにそう答えた。


「じゃあ問題はその結界の効果かしらね」
 結界についてはさほど詳しくはないが、アリスが主導をきった。絶えず知識を求めてゆくという彼女の姿勢は、模範的なまでに魔法使いであると言える。

「結界というからには、何か境界を引いて内と外とを分けてる、ってことだろ?」
 そんなアリスに負けじと、魔理沙も声を上げた。
「魔理沙さん、詳しいんですね」
 雑学程度だけどな、と小さく胸を張る。
 今日来る前に大図書館で摘み読みした知識だとは、もちろん言わない。


「まぁ魔理沙の言う通り、結界とはそういうものね。一定の範囲内を領域化し、その内と外とを明確に区分する――これがいわゆる結界の機能ですわ」

 仏教、密教、神道などに登場するこの概念は、自分たちのいる聖域と、その外の俗域を厳密に隔てるために存在する。
 その内部での秩序を守る、俗世との交わりを絶つ、魔の侵入を妨げる、など様々な理由はあるが、結界の用途を端的に表すならば、“結界で隔てられた空間を、外と隔絶させる”ということに他ならない。


「これはあくまで東洋的な“結界”論ね。これに西洋の魔術的な要素が加わると、“結界”は外との隔絶以外にも、その結界内部で特定の効果を発揮させるようにプログラムされるようになる――魔術師のアリスが言いたいのは、むしろこっちのことじゃないかしら」

「そうね。神道的な要素だと結界は聖域の保持に留まってるだろうけど、魔術的な意味での結界は、その中で行う術式のための魔力ブースト等の効果を持たせるものも指すのよ。まぁ自身を“内”とした場合の“外”との隔絶という意味では同じだと言えるかもしれないけど……本質的にはもはや違うものかしらね」

「そうは言っても、東洋的な結界にもその辺の機能が無いわけじゃないんだけどね。聖域として定義した領域内での不浄を払うとか。儀式を行う際に結界を張って、聖域の維持とともに自身の神性を高めるという使い方をしている者もいるわね」

「でもやはり原則としては空間固定に重きを置いてる感が強いわよね?私たち魔術師の言う結界は法陣による呪術的意味合いの場合も多いし、そっちの結界ほど厳密には境界を引かないっていう違いがあるから、早苗から言わせれば私たちの言う結界は違うものかしら」


 侃々諤々と意見を交互に交し合うアリスと紫――それを魔理沙と早苗は完全に置いてけぼりで眺めていた。
 口を挟もうにも会話は難解、本で読み摘んだ程度の知識量じゃ混ざれそうにない。
 早苗も神道従事者ではあるが、この二人の議論に入れるほど結界術について明るい訳ではなかった。かろうじて聞き取れたのは、最後に挙げられた自分の名前くらいなものである。

「おまえらが空気を読めないって言われる由縁だな……もっと人に伝える努力をしようぜ」
 一応の負け惜しみだけを口にしておいたが、
「あら、多少知識があるようだったからついてこれるかと思ってましたわ」
「同じく。まぁ曲がりなりにも魔術師を自称するのだから、これくらい楽勝かと思ってたのだけど?」
 しれっと言い返す二人。


「……あーはいはい。わかったよ。私が悪かった。勉強不足でスミマセンねー」
「あ、あの~私もすいませんでした……。そうですね。尋ねに来るのだからもっと知識を身につけてくるべきでした……」
 結局、魔理沙は開き直って両手を上げて降参のポーズを、早苗は片手を上げて泣きを入れ、それぞれ白旗を上げた。
 紫はくすくすと笑い、アリスはふっと鼻を鳴らして微笑んだ。


「まぁ判りやすく話を戻しましょうか。この際結界としての定義の話はひとまず置いておいて――結界には外界との遮断を優先するものと、指定した領域内になんらかの効果を発揮させるものとがある、ってことはわかってもらえたかしら?」
「外界とを隔てる結界って言うと――博麗大結界みたいなことか?」
「ご名答。幻想郷で一番有名な結界がそれね」

 これらの例は、幻想郷でも比較的多く見受けられる。
 幻想郷という楽園を外の世界と隔絶させる博麗大結界の他にも、
 冥界にはあの世とこの世を隔てる結界が敷かれているし、
 永遠亭の月人二人は、月と幻想郷を隔てる結界を作ろうとしていた。
 紅魔館に局地的に降る雨も、外界への吸血鬼の移動を妨げるという点では、結界と言えるかもしれない。

 つまり、これだけ多くの例があるという事実が、東洋的結界の一般性を示していた。


「博麗大結界のような結界は、簡単に言えば“こっちに誰かが入ることを許さなくする”というものね。でも……今回張ってある結界はそっちじゃないですわ」
「っていうと……陣内になんらかの効果を付属させるっていうものですか?」

 西洋魔術的意味合いの“結界”。
 魔術様式として、結界内での限定効果に重きをおいた空間指定型魔術式。

「しかも“なんらか”の用途はハッキリしてるわ。さっき言ってたハンデとやらを付与する“なんらか”よ」
「飲み込みが早くて助かるわ。その通り」
 魔理沙が思案顔でそれらしく、ふむ、とだけ言っていた。


「さて、ここで聞きたいのはその結界の具体的な効果でしょう。これは結構ややこしい術式を組んでいるのだけど――まぁ最大の特徴を端的に説明すると……そうねぇ、“指定領域内における個人の許容定数以上の瑕疵を著しく減衰させる”ってところかしら?」
「…………どこが端的だって?」
 ふふふ、と口に手を当て笑う紫に、魔理沙は真っ向から食い掛り、早苗はひとりで頭をグルグルとさせている。

 ただアリスだけが静かに頭を巡らせ――そしてゆっくりと口を開いた。


「……それがあなたご自慢の仕掛けって訳……その結界があるからこんな無茶なことをやらかしたのね」
 紫はそれには答えず、目を閉じたまま、さっきまでと同じ笑顔を浮かべていた。


「アリスさん!なにかわかったんですか!?」
「まぁ、今回のは紫にしては単刀直入な説明だったから。早苗も慣れればコイツと会話できるわ」
「私にゃサッパリだぜ?」
「あんたは頭緩いんじゃないかしら?」
「せめて柔らかいって言え」
「あ、あのぅ……結局どういうことなんでしょう……?」

 そして不意に、紫が答える。


「まぁ簡単に言えば“死ななくなる”ってことかしらねぇ~」


 その声に、魔理沙も早苗も言葉を失った。
 咄嗟に返す言葉が見当たらず、口から短く音を発する程度が精一杯だった。

 そんな彼女たちの反応に満悦した紫は、バサッと音を上げて再び扇子を開く。
 その扇面で、歪んだ口許を隠すかのように。





   ※


   


「あれ…………私……何してんだろ……」
 それが目を覚ましたミスティアの第一声だった。

 目覚めるとそこは森の中。彼女は木の根を枕にして大樹を見上げていた。
 月も星も見えない暗い森の中。彼女は目をパチパチとして、薄ぼんやりとした頭を働かせる。どうにも記憶が曖昧だった。
 見上げる太い枝の先には、無数の葉が茂っている。だが夜の暗さの中、葉の一枚一枚はその輪郭を無くし、ただの真っ黒い塊のようになっている。
 ミスティアの頭の中も、まさにそんな感じだった。

「ここは――えっと、妖怪の山で…………」

 ぼんやりとした頭に、落雷のような音が響く。
 遠く遠く。近い気もする。
 なにかが壊れるような音。なにかが壊される音。誰かがなにかを壊す音。
 それは夜の山にこだまし、ミスティアの脳を揺らし、記憶を呼び起こす。


「そうだ!私―――――――――――っ!!」
 喚起される記憶に、ガバッと勢いよく上体を起こし、
「って……あいったぁぁぁぁぁぁ――――っ!!」
 続いて来る全身の痛みが、彼女の記憶の正しさを裏付けた。


 ミスティアは完全に思い出していた。
 昨日と同じように、プリズムリバー姉妹や秋姉妹と一緒に山に来る者を待ち伏せていたこと。
 その結果、思わぬ怪物が網に掛かってしまったこと。
 仲間はみんな一撃でやられてしまったこと。
 そこにチルノとレティが助けに入ってくれて――――

「そうだ……レティを助けないと……」
「呼んだ?」
「え?」
 ギシギシと悲鳴を上げる体をなんとか立ち上げようとしたところに、どこからともなく、脳裏に浮かんだ人物の声が聞こえてくる。
 ほとんど脊髄反射的に、声のする方へと振り向いた。


「レティ!!」
 その先には間違いなく彼女の姿。
 胸中の人物、レティ・ホワイトロックは木に寄り掛かって座り込み、彼女に向かって微笑んでいた。


「無理しちゃダメよ。ミスチーもこっぴどくやられたみたいなんだから」

“やられた”――その言葉が引き金となり、自分の体の痛む理由を思い出す。
 彼女はうっかり釣り上げた怪物、満月の吸血鬼に、致命傷になりえる一撃をもらっていたのだ。
 彼女の振るう魔杖での一振り。それをまともに受けた彼女の体は弾けるように真横に吹き飛ばされて、そして今こうして森の帳の中にいる。

 彼女は完全に思い出した。
 まるで自分の手足が人形のように、現実感の無い動きで跳ね回る様を。
 自分の体が有り得ない速度で大木を薙ぎ倒す音を。感触を。
 全てを鮮明に思い出すと、今さらながら背筋が凍り、冷たい汗が流れた。
 思い出して気持ちのいい思い出ではない。できることなら完全に忘れ去りたい種類の思い出である。
 彼女は嘔吐感さえ覚えるその記憶を呼び覚まし――そして、ふと疑問が湧いた。

「私……なんで生きてるんだろう……?」

 それは哲学的な問いなどではなく、どうしようもなく現実的な疑問だった。
 あれがあの吸血鬼の本気だったかはさて置き、あれほどの破壊力を一身に受けた我が身が、節々の痛み程度のものと引き換えに五体満足でいることが不思議――というか有り得ないとすら思える。
 なにがどうなっているのか、彼女にはわからなかった。


「レティは?レティもモロにあの攻撃食らったわよね?無事なの?」
「……あなたと一緒よ。無事じゃないけど、どうにか生きてる。あんな魔力の塊当てられたら、粉々になっててもおかしくないんだけどねぇ…………」

 彼女もあのレーヴァテインの一撃をまともに受けたにもかかわらず、ミスティアと同じ程度の傷を受けているだけのようだった。
 所々服が破れて血が滲んでいたりするが、五体満足。命に別状があるようではない。口調も意識も、見たとおりにしっかりとしている。

 そんな彼女の様子を観察していて、不意に気づいた。むしろ今まで気づかないほど自分が動転していたことにミスティアは驚いたほどだ。
 レティの足元に転がっている、彼女が目に入る。


「――ってチルノ!!あんたも……ん?」

 レティの膝を枕にしてスヤスヤと眠るチルノの頭の上で、レティが“しぃ~”、と言いながら人差し指を立ててみせる。


「なんだかスゴイ疲れてるみたいだからね……そっと寝かせておいてあげましょ?」
 そう言って静かにチルノの頭を撫でてやっていた。
 冷たさを感じさせない、明るい青い髪がサラリと額を滑る。寝息はスースーと規則正しく、その寝顔はあどけなく気持ち良さそうだった。
 そんなチルノを眺めながら、レティも慈しむような微笑みを見せて、ゆっくりとまた頭を撫でる。

「寝てる、だけ?」
「そうみたいね。力は消耗してるようだけど外傷は無いし……感じとしてはただ疲れただけみたい」
 幸せそうな寝息を立てる彼女は、ミスティアたちと違い、怪我らしい怪我はまったく無いようだった。
 戦闘による土埃などはあるようだったが、あの乱戦では当然である。ミスティアたちの体もドロドロだ。

 無傷。力を使い果たしている。自分たちは無事。
 それらを総合して、ミスティアはある結論に思い至る。

「――――私たち、チルノに助けられた……とか?」

 思ったことをそのまま口に出してみた。
 一昨日までたまに会っては一緒にバカをやっていた友人が、頭が弱いと言われて馬鹿にされている妖精が――怪物的な夜の王、吸血鬼を倒して自分たちを助けた……いくらなんでも荒唐無稽にもほどがあった。口には出してみたが、信じられないことを言っている自覚はある。


「……私たちをここに運んでくれたのは萃香よ」
 レティはチルノの髪を撫でながら、呟くようにそう告げた。

「萃香?ってあの鬼の?なんで――ってそっか。レティとチルノと同じチームだっけ」
「そうね。今もあの吸血鬼と戦ってるみたいだし」


 ゴゥンッと遠雷に似た音が響く。
 先程から聞こえていたそれの正体が、今やっとミスティアにも理解できた。

 今、この時にも、少し離れたさっきの場所で、吸血鬼と鬼とが戦っているのだ。
 洋の東西という、起源の違う二人の鬼――その力のぶつかり合いが、こうして山に谺しているのだ。そんな場所に放置されていたら、今度こそ死んでいただろう。

「そっか……私たちを助けてくれたのは鬼の子なんだ…………」

 ミスティアは遠雷の聞こえる方を向き、細く呟いた。
 ここまでを聞き、それを理解したにもかかわらず、まだ心のどこかでは、チルノが自分たちを助けてくれたような気がしてならなかった。無論、そっちには根拠は無い。だがなぜか、心の隅からそれは離れなかった。
 レティも何も言わず、ただ黙ってミスティアと同じ方向を見ていた。

 不意に――パキンという乾いた音が、辺りに響く。


「声がするから来てみれば……生きてるようでなにより」

 そこには人影。
 まるで幽霊のように音も気配も無く、ミスティアたちの背後からすぅっと現れ、おもむろに声をかけてきた。
 それは間違いなく、幽霊の声だった。


「――ルナサ!!良かった!生きてたのね!」
「いや、死んでるわ。騒霊だから」
「……揚げ足取れるくらいは無事だってわかったわ」
 騒霊楽団の長女、ルナサ・プリズムリバーはいつもの抑揚の無い声で、いつもの顔をしてそこに立っていた。いつもの服は、いつもと違いボロボロになっている。


「私たちはどうにか大丈夫。――それよりあなたが心配だった。メルランもリリカも私も幽霊だから死なないし、神様二人はあれでも神様だから大丈夫。でもあなただけは 普通の妖怪だから、もしかして本当に死んじゃったかと思ったわ」
「あ、ありがと。無事……とは言えないけど、どうにか生きてるよ」

 ミスティアは笑顔を向け、手をヒラヒラと振った。
 未だに地面に座ったままの彼女の、つまりそれが今の限界だった。まだミシミシと軋む体は、立ち上がるのに時間がかかりそうだ。
 ルナサもそこまでをわかったかのように、そう、とだけ短く答える。


「他の四人は?」
「ちょっと離れた所。まだ寝てる。みんな当たり方が悪かったようで、動けるのは私だけ」
「ルナサたちも萃香に運ばれたの?」
「萃香――ってあの鬼の?」
 この問いに、初めて彼女は少し顔色を変えた。ルナサは怪訝そうに顔を曇らせる。

「……いや、あの子たちはみんな私が運んだ。唯一動けたのが私だけだったから。じゃあこの低音を響かせてるのは、吸血鬼と鬼なのね」
「――――?私も人のことは言えないんだけど……どういう状況だったの?」
 ミスティアは興味本位で尋ねた。
 自分の背後で、人知れずレティが少し顔を曇らせたことなど、無論わかってはいない。


「まず出会い頭で私たちがやられたのは、一緒にいたからわかると思うけど、その時私は比較的早く意識を取り戻したわ。それで――申し訳なかったけど、私は妹たちの安全を優先させてもらった。あなたたちが戦っているのは……わかっていたんだけど」
 ルナサは俯きながらそう答えた。
 彼女の行動は、それはそれでまた正しいものである。だが見方によれば確かに、まだ無事なミスティアを見捨てたとも取れる。その本人を目の前にして、彼女は謝罪するように説明をした。

「あぁ――――、っと別に……大丈夫よ?無事逃げられたならむしろ良かった。こっちにも援軍が来てくれたから、私も助かったし、気にしないで……ね?」
 無論、責めるつもりなど毛頭無く、ただ話題のひとつ程度で聞いただけに、ミスティアは予想外の展開にあたふたとしながらも、どうにか返事をしていた。
 手は盛大にパタパタと振り、変な汗をかく。ルナサの表情が優れないだけに、こちらがむしろ悪いことをしてしまったような気になってしまっていた。彼女は日頃からだいたいこのテンションだったが。


「本当ごめんなさい――援軍っていうのはチルノとレティ?」
「だから気にしないで――って、あぁ、そうそう。なんかチーム違うのに助けてもらっちゃった」
「…………そう」
 ルナサはまた短く応えると、おもむろに二人の方へと足を進めた。
 所在無くルナサとレティを見比べているミスティアを通り越し、木の陰に座り込むレティの前で立ち止まると、すっ、と彼女も腰を下ろす。

「それじゃあ、こちらにも礼を述べないと。――ありがとう。助かったわ」
「そう言ってもらえるほど何か出来たわけじゃないけど……一応受け取っておくわ。どういたしまして」

 二人は簡単に会釈を済ませ、ルナサはおもむろに、レティの膝で寝ているチルノに手を伸ばし、
「あなたもありがとう。おかげでどうやらミスティアも死ななかったみたいだし」
 小さく呟く。
 その声の大きさに合わせるように、レティも小さく、小さく、呟く。


「この子も一緒よ。何もしてないわ。……なんにも」
「…………そう。あなたがそう言うんなら、そうなのかもね」
 チルノの髪を指で梳くように撫でながら、ルナサはそれだけを応え、また静かに立ち上がった。


「私はこれで失礼するわ。あっちに妹たちを置いてきてしまってるし。――また後で会いましょう」
「え、あ、うん。だね。また落ち着いたら合流しよう」

 ルナサはまた元来た通りにミスティアの横を抜け、木々の狭間へと歩いていき、不意に足を止め、振り返った。
 ぼんやりとミスティアとチルノと、レティを視界に入れ、俯瞰気味に三人を眺める。
 その瞳は、あえて誰にも焦点を合わせずにいた。


「……保護者の立場を自負しているのなら、目を離しちゃだめ。せめていつか――独り立ちできるまで」


 それだけを言い、彼女は返事も聞かずに元来た森の中へと消えてゆく。
 その場には最初と同じように、三人だけが残され、ルナサの纏っていた静かな雰囲気が後をひくように、静寂だけが満ちていた。


「……………最後のなんだったの?」
 ミスティアはルナサの消えていった方を見つめながら、それだけ呟いた。
 静けさと疑問だけを残していった彼女は、森の闇の中に消えてしまって、何も答えない。

「そうね、」
 と代わりにレティが口を開き、

「きっと訓示ね。現役お姉さんだもの。……わかっているわ」


 ミスティアは要領を得ず、疑問符が増えただけだった。
 レティはまた静かに、チルノの頭を優しくひと撫でする。
















   【 L-4 】【 K-3 】



「死ななくなる――ってそんな馬鹿な!!」

 有り得ないっ、と早苗は思わず立ち上がって叫んでいた。
 その叫喚も、その怯えるような瞳も意に介さず、紫は口許を扇子で隠したまま、

「まだまだ浅いわねぇ。この幻想郷では平気で“有り得ないこと”が“有り得る”のよ。――ようこそ、幻想郷へ」
 優しい声で投げ掛けられた言葉も早苗にはすんなり入って来ない。まだ驚嘆が尾を引いている。


「……死ななくなる、って言うけど、具体的にはどういうことだ?無敵になるのか?」

 魔理沙は、隣で立ちすくむ早苗を盗み見た後、平然とした顔で質問をぶつけていた。
 平然として見えるのは早苗だけで、彼女とて内心驚きが無い訳ではない。だが、幻想の中で生まれ育った彼女の適応力は、早苗とは比べ物にならないほどあっさりと、提示された不思議に順応してみせた。

「言葉尻を捕らえるなら、無敵、ってことじゃないみたいね」

 さっきまでと変わらないテンションでアリスも喋っている。案の定、彼女の方にも狼狽する様子は微塵も見られなかった。
 早苗は顔色の変わらない二人の傍に立ち、茫然としていた。
 彼女の中を次々と驚愕が襲う。幻想郷に越して来てだいぶ経っていたが、まだカルチャーギャップは予想以上に残っていたようだった。


「“個人の許容定数以上の瑕疵を著しく減衰させる”――ってことはおそらく、“そいつが死ぬレベルのダメージをすごい和らげる”ってことよ。きっと。……これなら伝わる?」
「オッケーだぜ!まったく、回りくどいヤツだ。最初っからそう言えばアリスのいらん手間が省けたものを」
「ちなみにあなたが一発で理解してくれてても省けた手間なんだけどね」
 立ちすくむ彼女をそっちのけに、すでに二人は事も無げな会話に戻っていた。
 早苗は未だに所在無さを感じていたが、仕方なく黙って座り込み、そこで広げられる会話へと耳を傾ける。


「っていうか、微妙に“ハンデ”ではないな」
「だから言ったじゃない。言葉選びは慎重にしたかったですわ」
「まぁそれはいいんだが……しかし中途半端な効果だなぁ。せっかくなら完全無敵にしてくれればいいのに」
「まぁそう言わないの。これでも結構頑張ったのよ?」
 紫は扇子をパタパタと扇ぎながら何気なく答えていた――が、実際、この結界は“頑張った”なんてレベルの代物ではない。
 そのことにアリスも気づいているため、彼女は何も言わない。


 結界の効果をこの程度に抑えたのにはいくつか理由があるのだろう。

 効果を強め過ぎて裏方の存在を気づかれることを厭んだためか、はたまた直接戦闘の意味を薄れさせないためか――アリスは黙って考えを巡らせる。
「単純にオマエの力不足なんじゃないのか?」
 ――いや、おそらくそれは無い。

 アリスは自らの中に仮定をひとつ打ち立てている。
 そしてそれを証明するために、訊かなければならないことがあった。


「ねぇ紫、聞いていい?」
「あら、改まって何かしら?」
「この結界――協力者は誰?」

 紫は相変わらずすぐには口を開かない。黙ってアリスを見つめ、扇子を動かす。


「協力者、ってアレじゃないのか?式神とその式神」
「それもそうだけど……それだけじゃないわ。こんなデタラメな力の結界を張るには紫の他に、手を貸しているヤツがいるハズよ――違うかしら?」
 ほとんど睨むような、アリスの金の視線が紫に刺さる。
 その鋭さを、まるで楽しむように――紫は口許を歪めてみせていた。


「……えぇ、いるわね。二人ばかり」

 ふふっ、と微かな笑みが零れ、透き通った声が響く。


 アリスの脳裏には紅白の少女――それだけしかいなかった。永琳からの情報に出てきたのは彼女だけだったから。
 しかし、今明かされた事実によれば、協力者は二人いる……だがそれも、アリスはすんなりと受け入れた。
 よくよく考えれば、当然。
 幻想郷の調停者を味方に引き入れるのならば、必要な人数は――二人だ。


「ひとり、幻想郷の均衡を保ち、結界の管理を任される者――博麗霊夢」

 なっ、と魔理沙が絶句する声が聞こえる。早苗も声こそ上げないが、言葉を失っている様子は部屋の全員に伝わっていた。
 アリスはひとり唾を飲み下し、次に呼ばれる名前を待っている。


「そして……もうひとり、幻想郷を古くから見守る、文字通りの“調停者”――四季映姫・ヤマザナドゥ」


 ――やっぱり、そう……閻魔様。
 直接幻想郷に関与している訳ではないが、これほど大掛かりな騒ぎを彼女に話を通さず断行するのはあまりにリスキーだ。
“ザナドゥ(楽園)”を地獄から管理する“ヤマ(閻魔)”――神の眷属となる彼女の影響力は、同じ神である山の神々よりも、古参という意味では強大である。


 内と外、表と裏の、幻想郷の調停者の名前が挙がったことでアリスは確信した。

 紫はこの騒ぎに対して本気である。
 いや、もはやこれは“騒ぎ”なんて規模の問題ではない。


 すでにこの騒ぎは“異変”と呼べる域にある。


 アリスは自らの確信とともに、冷たい汗が流れるのを感じた。
 各々思うところがあるのだろう、他二人の少女たちもそれぞれに口を噤んでしまっている。


「この二人が今回の協賛。まぁ言っても許可を貰ったくらいですわ」
 わざわざ異変級の騒ぎに許可を貰いに動くというのも不思議な話だったが、こうして霊夢と映姫の太鼓判が押されてしまっている以上、厳密にはこれを“異変”と断ずることはできなくなっていた。
 異変解決者の霊夢、幻想の最高裁判長の映姫の両者が是としているこの騒ぎを、もはや誰も止められはしないのだから。

「あ、そうそう。お二方には結界についてもご助力いただきましたわね。――タネを明かしてしまうと、これほどの結界を張るのは私だけじゃ無理なんで助かりましたわ」
 取ってつけたように恭しい口調の紫は、いよいよ本格的に胡散臭かった。


「――霊夢はわからなくもないけど……閻魔は何かできるのか?説教以外で」
 揺れる心を頭の中で鷲掴みにして、“いつもの”ように振舞おうとしながら、魔理沙は声を返す。
 紫はただただ楽しそうに、そんな彼女を眺めていた。

「……ふふ。――閻魔様に手を貸してもらったのはハードではなくソフトに関して。結界自体の展開、維持、管理は私と霊夢の仕事ですわ」
「“死ななくなる”っていう効果を付与してるのが閻魔様だっていうの?」
「その通り」
「いくらアイツでもそんなことできんのか?」
 魔理沙とアリスが紫へと詰め寄る中、映姫と直接の面識の無い早苗は、その能力、容姿、人柄まで全てを知らなかった。多忙な閻魔は、宴会などにはほとんど顔を出さないのだ。
口 の挟みようのない彼女は、ひとまず黙って話を聞いている以外にできることはなかった。

「あらあら、あなたたち二人とも視点がズレてきているわねぇ」
 食って掛かるような二人分の金の瞳を心地良さそうに、紫は瞳を歪める。


「結界の効果はあくまで“指定領域内における個人の許容定数以上の瑕疵を著しく減衰させる”ことよ。瑕疵に対する個人の許容定数――まぁ魔理沙にもわかるように言ってあげるとHPかしら。それは当然、個人によって違う。さらにはその個人の耐久力、また、攻撃側の攻撃力なども加味した上で“これを受けたら命が危ない”、という域に届く瑕疵“のみ”を減衰させる――この結界は、そこの見極めを“白黒はっきりつけて”くれるようにプログラミングされているのよ」

 紫は手慰みにしていた扇子をまたパチンと閉じた。乾いた音が静かな冥界の夜に響き渡る。


「閻魔様の能力をそういう風に使うって……」
「ホントに悪だくみの上手いヤツだな……」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
 紫は悪びれるでもなく、クスクスと笑いながら返していた。
 アリスと魔理沙が溜め息混じりにその様子を見ている横で、ここまで黙っていた早苗が口を開き、問いを投げる。


「……ひとつ質問です。各チームのリーダーの方々もこのことをご存じなのか――つまり、あなたを抜いたリーダー三人も……みんなグルなんですか?」

 考えてみれば、これも当然の疑惑である。
 各々リーダー役は開会時に紫からの指名で決められたこと。
 それを本人たちが呆気なく了承したこと。
 それぞれ相手のチームの動きがわかっているかのような用兵をしていたこと。
 そして――神奈子が結界の存在を仄めかしたこと。

 これらを加味すれば、むしろ各リーダーは紫と打ち合わせ済みで、これらは全て予定調和の出来事だと考えた方が、辻褄は合う。
 ふむ、とアリスと魔理沙も頷き、紫の答えを待った。
 アリスに情報を与えたのは、紫チームの永琳だ。もしかするとここのチームは全員黒かもしれない、とアリスは一人頭の中で論を進める。

 三人の視線を受け、紫は怯むことも無く、


「いいえ。ここまでの話を聞かせたのは前述の二人とあなたたちだけ。あとは……まぁ当然、藍は知ってるけど」
 リーダー各人は何も知らないと言い切った。

「それに――――」
 ひとつ区切りをつけ、紫は目を細めるようにして、深く小さく笑う。
 胸の中でだけ笑声を上げるようなこの笑い方をしている時の紫の顔は、心底楽しそうで、その異質さを際立たせている。

 そのまま口を開き、


「そこまでやったら、面白くないじゃない」





   ※





「――とか言ってるわよ、きっと」
「違いないね」
「紫だものねぇ」

 三人は手に手に小さなお猪口を持ち、空に浮かぶ満月を神社の境内から見上げていた。
 山に吹く風はやや冷たくなってきていたが、大気にまだ残る湿っぽさを拭うには丁度良い。
 遥か空の上では風が強いのか、空に浮かぶ満月は雲に遮られることなく白光を地上に注いでいた。

 そんな絶好の月見日和と言える夜の妖怪の山で、神と亡霊と宇宙人は、肩を並べて酒杯を傾けている。
 それは多種族が住まう幻想郷といえど、なかなかに稀有な光景だと言えた。
 彼女たちの酒の肴はもちろん、現在進行形で行われているこの“異変”について。


「ヤになっちゃうわよねぇ。萃められて急に“リーダーをやれ”って。――まぁ楽しそうだから引き受けたけど」
 などと言いながら輝夜はカラカラと笑っている。

「まったくだ。その上三日も拘束されて、挙句神社まで野営地にさせられるとはね。――まぁこの手の騒ぎは嫌いじゃないがね」
 鼻で小さく笑いながら神奈子は酒を口に運ぶ。

「私なんかリーダーやらせてもらえないのに、屋敷取られちゃったしねぇ~。――まぁお陰で神社にお泊まりもできたし、良しとしましょうかねぇ」
 幽々子はうふふと笑いながら浮かぶ月を眺めている。

 三者が三者とも、この現状にさしたる不満があるわけではないようであった。


「この様子じゃ私たちも、紫に言わせれば“暇人”なんでしょうねぇ。失礼しちゃうわ~」
 怒気をまったく孕まない声音で、幽々子は友人への不満を口にしていた。
 幽々子の言う通り、この異変に召集され、文句も言わずに参加している彼女たちもまた、紫風に言うならば、参加資格を満たした“暇人たち”なのだろう。

「どうかしらねぇ。あなたの友人のあのスキマ妖怪なら、どうにかして私たちの参加を無意識に強制させたのかもよ?」
「違い無いね。出来る出来ないはさておき、あの黒幕ならやってもおかしくはないやね」
 輝夜の提案に神奈子も笑って追従する。
 どこまでが本気かはわからないが、それだけ彼女たちも紫のことを胡散くさく思っているようだ。

「一応友人として庇ってあげるとね――紫はそんな半端な悪さしないわ。やるならもっと……気取られないほどこっそりやってるわよ~」
「すごい言われ様。ひどい友人もいたもんね」
 三人は口々に笑い合った。


 同じ妖怪の山、そして幻想郷の各地では、今まさに激しい戦闘が繰り広げられており、彼女ちもそんな騒ぎの渦中にいる――にもかかわらず、彼女たちにはそういった剣呑さは感じられなかった。
 まず、わざわざ敵の本陣にまで自ら赴いたというのに戦う様子が見られない輝夜。
 そして、自分の陣地に敵大将が飛び込んで来たにもかかわらず、それを倒そうとしない神奈子と幽々子。
 それは、ルール付けまでされて整えられたこの騒ぎの深い所――彼女たちにも聞かされていない、紫の望む“今回の異変のカタチ”を理解した上での行動だった。


「八雲としては、ここで私たちにも戦ってもらいたいんだろうな」
 神奈子は飲み干した盃に自ら手酌をしながら呟いた。

「まぁそれはそうでしょうね。巫女を懐柔し、閻魔の手を借り、山の妖怪たちに話をつけてまで主催したイベントで、私たち三人が消化不良で終わり、じゃあきっとあの妖怪でもカンカンに怒るわよ」
「ふふっ、いいわねぇ~それ。紫のあの澄まし顔を崩して、顔真っ赤にして怒らせたら、私はきっと笑っちゃうわねぇ~」
 ケラケラと笑い合いながらチビチビと酒を飲む。
 どうやら今夜、彼女たちはまったく戦う気が無いようだ。


 この異変のために紫がわざわざ整えた、これほどのお膳立て――それらは、全て無尽の戦いのため――それを解った上で、この三人は今夜は戦わないことを選んでいた。

“そうなんでも、あいつの思い通りに動く気は無い”

 口には出さなかったが、各々考えていることは同じだった。


「あ、閻魔で思い出したけど――この結界はスゴイねぇ。私ら神の力にまで、キッチリ作用してる」
 神奈子は昨日のことを思い出しながら何気なく感嘆の声を上げ、話を切り替えた。

 昨晩の戦い――手加減したとは言え、昨日のアレは人間相手に振るう力としては、些か過分だった。
 だが、それをモロに受けた魔理沙には、ダメージはあれど深刻な傷はひとつも無かった。
 はっきりと言えば、神奈子の予想以上に傷は浅かった。
 あの時点ではすでに、神奈子はこの結界について大まかなアタリはついていた。だからこそ、自らの巫女を含むあの人間たちとの無茶な戦いにも応じたのだが――紫の組んだ仕掛けがまさかここまでのモノだというのは、正直言えば、予想外だった。

「――紫も本気みたいね……私の能力は全面禁止されちゃったわ」
「ほぉ、あんたの能力ってなんだい?」
「そんな大したこと出来ないわ~。“死を操る程度”よ?無条件で相手を殺せるくらいねぇ」
「そりゃ普段から全面禁止にしてもらいたいもんだ」
「あ、私には使っていいわよ?どう転んでも死なないし」
「だからあなたって苦手よぅ……」

 それぞれがそれぞれに屋敷を持ち、主としてそれをまとめている立場にいる彼女たちは、普段はそうそう接点が無い生活を送っている。宴会で顔を合わせれば挨拶をして酒を酌み交わす程度だ。
 しかし、今の彼女たちを見ていると、そんなことは忘れてしまいそうだった。
 互いに数十年、数百年の知己と語り合うかのように、肩の力を抜いて笑いあっている。

 ふぅ、と誰のものだかわからない溜息とともに、なんとはなく笑い声が途切れた。
 輝夜がまた平らなトーンで話を切り出す。


「でも――まじめな話、この結界は無理があるわ」
「……だね。結界に乗せるには、この力は重すぎる」
 神奈子も手にした酌をクルクルと弄びながら答える。中の液体が緩やかに波立ち、滑るようにお猪口の淵を回る。

「だから、範囲を限定して張るしか無かった――戦場は四ヵ所だけ、とルールで規定した理由はコレね~」
 幽々子も追従しながら酒をチビリと口に運ぶ。

「そうだね。それに、これほどの効果を維持するには、きっとマメな管理が要求される。今日霊夢が出てるのもそのためだろう。――昨日は八雲自身が結界の維持がてら、 山の様子を窺っていたようだしな」
 神奈子の台詞に、幽々子も無言で肯定した。
 彼女たち二人とも、昨夜の山の上空に浮かぶ紫の気配には、しっかり気づいていた。
 紫の目的は山に張ってある結界の管理、そして実地における起動確認だったのだろう。
 攻め入るでもなく、眺めるだけ。リーダー自ら斥候というわけでもない――と、すれば、山にいた理由はそれ以外へと自動的に絞られる。


「私の所にも来たみたいだったわ。こっちは昨日一日“見”に回りたかったから、一晩中酒宴だっただけだけどね」
 さぞや肩透かしだったかしらね、と小さく笑い、二日目の酒にまた手をつける。
 全参加者の中でも、二日連続でほぼ酒飲みに終始したのはこのお姫様だけである。

「よく文句が出なかったもんだなぁ。ウチは守戦をするって言っただけでブーブー言う輩が出たってのに」
 天人とか、亡霊とかね、と付け加えながら、隣にいる幽々子を流し見る。我関せずと言わんばかりにお猪口を傾ける彼女の横顔が見えるだけだった。

「あらあら、大変そうね。私に振られたメンツが比較的大人しいのばっかりで助かったわ。紅魔の魔法使いとか、もうひとりの神様とかね」
「いや……あいつこそ一番大人しくしてられないヤツだと思うけど……ともあれ、今は落ち着きが無いのがほとんどか」
 神奈子は手にしたお猪口の水鏡に映る月を眺めながら、静かに、溜息のように吐き出した。

「そうね……多くはこの騒ぎに当てられて浮き足立ってる――いや、浮き足立ってるからこそのこの騒ぎ、かしら。まぁどっちにしろ、吸血鬼のチームなんかは一丸となってそんな感じでしょうね」

 吸血鬼、レミリア・スカーレット。
 思いつきに身を任せる気質の強いイメージがある彼女だが、第三者が思うより遥かに、その眼は深いところを見通す力を持っている。
 そんな彼女のことだから、紫の意図などすでにわかっているのだろうが、その上でなお、自ら進んで死地に踊りに行っているのだろう。
 割り振られた味方はいい迷惑――などとは誰ひとり思っていないだろうが。

「血が余ってるだろうから、真っ先に一番近所のウチのチームのところに来るとは思ってたけど、本当に来たしねぇ」
「あら、戦術眼。私たちが今夜山に来るのまでお見通しだったのかしら?」
「そこはほとんど勘。お嬢ちゃんたちが二日連続で来ることは無さそうだったから、ってのが根拠なくらいだったけど……あんたたちが来なかったら、今夜は私が相当怒られただろうねぇ」
 神奈子はケラケラと楽しそうに笑いながら言っていた。今山で戦っている面々が聞けば、それだけで彼女は怒られそうだった。


「まぁあのお嬢様の血が余ってるのは確かねぇ~。昨日私と戦った時も、飛んで跳ねてと忙しそうだったわ~」
 止まると死んじゃうのかしら、と幽々子が相槌を打つ。
 五百年モノの吸血鬼、レミリアを指してそう言えるだけの年月を、幽々子は歩んでいた。この幻想郷で、見た目通りの年齢なんてものは通用しない。


「まだまだ、騒ぎに騒ぎたいお年頃なのかしら」
 若いわねー、などと年を食ったような発言をしながら、輝夜もあっけらかんと笑う。
 千年以上の時を積み重ねてきたのは、彼女も同じ。自分の半分以下しか生きていない吸血鬼など、彼女の歴史からすればまだ少女だ。


「まぁせっかく祭じみているんだ。どうせ暇人なら、踊る暇人でいなきゃ損でしょ」
 うんうん、と頷きながら神奈子も追従する。
 神代の時代から今を生きる神奈子から見れば、両脇の二人ですらまだ幼い。そういう気の遠くなるような星霜を経て、彼女は今、ここにいる。


 こうした途方も無い面々すらも、紫は――幻想郷は――全てを受け入れ、巻き込んでいる。


 三人は不意に黙り、並んで夜の空を見上げた。
 雲ひとつなく晴れ上がった夜空に所狭しと星が散りばめられ、すでにだいぶ低くなった月は泰然として銀の光を放っている。


 何年――何千年と前から変わらない、清冽な光。
 光風霽月にして、満月は、鋭く、優しく、幻想郷の全てを照らしていた。
















   to be next resource ...
姫とお酒が呑みたい。今なら永琳も付けちゃう!

ゆかりんによる裏側トークの第二弾。予定では次でラスト。
二日目自体ももう終わりが見えてきました。目標の2/3までもっちょい。ムネアツ。

さて、今回やっとご紹介の無茶理屈。色々とツッコミがありましたら、ぜひ。
「結構ガチで殺り合ってるのが書いてみたい!」「でもキャラたちには死んでほしくない!」
っていう日和見思想の産物です。頑張って考えてみました。
思い返してみれば、もう少し伏線張ってもよかったかもです。微妙に出たのが一日目の霊夢からくらいですしね。

文中の説明でどうにか伝わるようにはしたつもりですが……説明回ばっかりは人に読んでもらわないとわかりません。
イマイチ意味がわかんない、っていう方いらっしゃいましたらお声かけください。
レス返しでの対応になる予定ですが、何人かいらっしゃいましたら加筆・修正したいと思っております。
それでは、また。かしこ。
ケンロク
[email protected]
http://gurasan.kurofuku.com/
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コメント



0.450簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
結界すげー。でもやっぱり無理があったか。まあ、そうじゃないとスペルカード・ルールなんて不要だものな。
5.80愚迂多良童子削除
こんなにあっさりとネタばれしまくっていいんだろうか。
どういうオチになるのか気になるというか、不安というか・・・
6.無評価ケンロク削除
結界はこのお話限りのために紫さんが頑張ってくれました。
スペカルールって優秀ですよね。原作のメタ的な意味でも。

ネタバレ……って言われれば、そうです、としかw
ここでタネ明かし、っていうのが後半きっと効いて……くるかもこないかも。