妖怪にだって、熱烈な恋愛とその結果として日々を共にするパートナーを得ることが時にはある。伴侶との間に子孫を残す者さえいる。加えて言えば、相手が人間だったりすることだって。
けれどそんなドラマチックな出来事は、まぁ幽谷響子には関係のない話だ。彼女はわりとどこにでもいる妖怪――つまり、外の世界で居場所をうしなって幻想郷に流れ着き、そこでも別段野心を発揮するわけでもなく平凡に日々をすごしている――にすぎない。少しまえに命蓮寺で仏門に帰依し、やっと生活に変化が起こった。けれどそれだって、せいぜいが日々の日課が増えたことと、普段の心持が多少豊かになった程度。そういえば、寺の側の墓を掃除している時に知り合った宮古芳香という元気なキョンシー。一緒にいるとなんだか安心できて、一人の時でも彼女は今何してるかななんてふと考えたりもするけれど、まぁだからどうというわけでもなく、相変わらず一日の大半はネグラの山で散発的な幽谷響をして静かに暮らしてきたのだ。
――それがいつの間にこうなったのだろう? 今でさえ、響子は時々ふと可笑しくなるものだ。
「あんたが幽谷響?」
目の前にいる高飛車な感じの少女は響子の名前など知りもしないだろう。けれど響子は彼女の名前を良く知っていた。
比那名居天子。博麗神社を倒壊させてことで有名な不良天人だ。実力もある。
そんな彼女が今、わざわざこんな山奥に、自分に会うためにやってきたのだという。見ず知らずの他人に尋ねられるなんて、はて私はそんなに有名人だったっけ? けれど、今はそうなのだ。
背の高い木々に遮られ、辺りはいくらか日当たりが悪い。けれど静寂に満ちて空気は緑に澄んでいるし、土も柔らかい。ここは居心地のよい、響子の寝床。
「ふぅん。あんた名前は?」
「幽谷響子」
「あは、まんまじゃん」
「……」
いきなりやってきて、自分は名乗りもしないくせにこちらの名前を笑う。無礼な奴。響子はイヌっころい童顔をちょっとだけ不愉快そうに歪めた。
響子はどちらかといえば大人しい性格で力も弱い。けれど今は仏様の加護を得ているのだ。箒を握る手にキュッと力を込めて、娘を咎める母はのようにはっきりと命じる。
「挨拶」
「は?」
「挨拶! それと貴方の名前! こんにちわっ」
あえて名前を聞く。
さておき挨拶は元気よくが最近のモットーである。
付近の木の枝にいた何匹かの鳥が響子の大声にびっくりして飛び去った。いつもごめんね。低い唸り声をあげる山の空に、スタッカートの聞いた鳥達の鳴き声が遠のいていく。数秒たって、いくらか間延びした声で山彦が返ってきた。
――こんにちわ~
天子も他の動物と同じように、ぎょっとして後ずさっていた。
「驚かすんじゃないわよ」
それから気を取りなおすと、動揺を取り繕うように、蒼く美しい長い髪を幽雅にたなびかせつつ名のった。
「比那名居天子、天人よ。どうもごきげんよう」
思ったりよりも上品な挨拶が返ってきて、少し意外。ともあれ響子はやっといくらか溜飲をさげた。
「それで、天人さんみたいな偉い人が私にご用?」
わざわざ聞いたのは響子のちょっとした意地悪。
「えっと、それは……あ~、そのぉ……」
今までの高飛車な態度はどこへやら、天子はまるで内気な少女になって、頬を赤らめながらごにょごにょと言葉を濁した。
――『幽谷響子の山彦伝心サービス』
美しい山彦の音にのせて、貴方の想いを届けます――
ある一件をきっかけに、聖白蓮によって発案されたそれは、日を待たずして幻想郷中に広まった。一つには発信源である聖が大きな信望を得ていたことと、また一つはその数日前に山彦の実例が大々的に示されていたからだ。つまり――それこそがきっかけとなった一件――、山彦伝心サービスによって、守矢の二柱の間に起こっていたちょっとした諍いが解決された。ナズーリンの知恵によって、山彦サービスの宣伝と一緒にその事実も添えて広められた。その出来事の折の特大チャージドボイスは誰しもが耳にしていたから、あれはそういう事だったのか、と皆がすんなり理解できた。そうして、神様もやっているのなら自分達だって、という人心が働いたのである。
今や山彦伝心サービスはちょっとした流行。いろんな妖怪が、人間が、告白を依頼するため響子に会いに来る。
山彦の内容は色恋だけにかぎらない。ちょっとした感謝の気持をしめしたり、時には遠く離れた相手への伝言だったり、目新しさへのお遊びだったり、多種多様。
そしてこの天人は――。
「あ、あんたさぁ、頼めば山彦してくれるのよね」
「お代はけっこうだよ」
「ふん。じゃあ一つ、頼まれなさい」
なぜそこまで偉そうに振舞えるのかと首を傾げてしまいうが、けれどもう腹立たしさを感じたりはしなかった。天子は頬を染めて、俯いて、あきらかに照れ隠しをしている。この瞬間だけは、天子だってどこにでもいる一人の少女にすぎない。
響子に山彦の依頼をする者は、その多くが心に秘め事を抱えている。伝えたくてしかたのない切なる想いを抱えてやってくる。そんな相手を、響子はどうしても嫌いになれないのだ。
「いいよ。じゃあ、内容と実行日時、その他必要事項を教えてね」
幽谷響として頼ってもらえると、響子だって嬉しいし気持が満たされる。にっこりと笑うと、天子はほっとしたような、救われたような力の抜けた笑みを返してくれた。
サービスの利用方法は簡単。響子が寝床にしている山に向かって、事前に決めておいた合図を叫ぶだけだ。
山はもともと音を反響しやすい地形にあって、依頼の規模によっては妖力を使う必要もない。が、今度の天子の依頼には、山彦を極限まで限定的にするように――つまり、声は天子とその隣にいる者にだけ届かせる――との条件があったので、能力を使って音に極端な指向性を付与する。二人から時には幻想郷の果てまで、響子の伝心サービスがブームになった理由には、その声の幅の広さもある。
あいにくと薄雲の広がる暗い日だった。もはや山中は日暮れ間際のように夜に近い。響子は切り株に腰を下ろして、静かにその時を待った。天気がどうであれ、雨さえ降らなければ山の音に変わりはない。暗がりの向こうから動植物たちの豊かな声が常に囁きかけてくる。さらにそれらを、幻想郷の大気がつつみこむように低く鳴いていて――
『ヤッホー!』
来た! 天子の声だ!
響子の意識がまたたく間に活性化する。切り株から勢いよく立ち上がる。木々や草花を掻き分けながら、開けた場所まで颯爽と駆けてゆく。その顔は、人間の子供みたいにはしゃいでいる。響子は山彦が何よりも大好きなのだ。
山脈を見渡せる位置に立ちはだかると、響子は大きく手を広げて、そうして肺一杯に山の大気を溜め込んだ。そうしてぷっくりと頬をふくらませてから勢いよくそれを解き放つ。
――Yahoo!
ああ気持がいい! 山間に拡散していく山彦の音とともに、自分自身が広がっていくのを感じる。山彦を最大の愉しみと感じるように、響子の体はできていた。
ねぇ早く! さぁ早く次の山彦をちょーだい! 獲物に飛び掛る子猫のごとく、瞳孔が広がった。そして――。
『衣玖の事なんか大嫌いーーー!』
それが今回の合図。
天子から合図の言葉と返す山彦を聞いた時は、きっとこの娘はすごい天邪鬼なんだろうなぁ、なんて内心で笑ったものだが、今はもうそんな事は関係ない。幽谷響としての悦びを一心に溢れさせ、響子は叫んだ。
――衣玖の事なんか大好きーーー!
声に指向性を持たせる事も忘れてはいない。気持がすぅっとして、頭のてっぺんから体の中のあらゆる力みが抜けていく。響子は艶やかな溜め息を吐いて、放心した目で空を仰いだ。
「ふーっ……」
と声が漏れる。
このサービスを始めてから、響子は自分の幽谷響にあらたな力を得ていた。ただ音を伝えるだけではなく、心のうちの気持さえ伝える。その達成感が響子に強い快感を与えるのだ。
ともあれこれで天子からの依頼は終了した。後は、誰かさんに届いた天子の心が、幸せを呼ぶように祈るだけ。
響子は心地よい満足感に浸りながら、寝床に戻ろうとした、その時だった。
『あの~。ちょっと良く聞こえなかったので~、え~、もう一回。今度はもっと大きく、そうですねぇ、天界に聞こえるくらいに言ってくれませんかー?』
それは天子の声とは違って、もう少し大人びた声だった。が、そんな事はどうでもいい。
何ですって! よく聞こえなかった!?
ふやけていた響子の心が一瞬にして引き締まった。
伝達ミスがあるなんて幽谷響としての沽券に関わる。
響子の目に怒りと見まごうような燃え盛る炎がわきたった。
『ちょ! 何言ってるの衣玖! ぎゃー! やめて! 響子! 叫ばなくていいからねー!?』
それは天子の声だったが、叫ばなくてよい、なんて依頼は幽谷響にとって論外である。
もう一度聞きたい、という依頼が全てにおいて優先するのだ。
天界にまで轟かせてほしい? やってやろうじゃないの!
響子は足幅を広く取ってがっしりと大地を踏みしめた。そして何度かの深い腹式呼吸の後、胸囲が変わってしまうくらいの勢いで大きく息を吸い込んだ。体内の山彦に妖気を練り混ぜておくことも忘れない。十分な力溜めた今、檻の中の獰猛な虎のごとく山彦は荒れ狂っている。あとは一気に弾けさせるのみ!
『ストーップ! ストォォォォォップ!! いやぁぁぁぁ!!!』
『お願いしますー。はっきりと大きな声でフィーバーしてくださ~い』
クライアントの願いに応えるために! いざ、南無三――!!
――翌々日の文々。新聞に天子と衣玖の写真が載った。先日の山彦についての取材を一緒に比那名居邸で受けていた。衣玖は大人びた笑顔でにこにこと笑っていたけれど、天子は赤ちょうちんのようなふくれっ面をしてそっぽを向いていた。けれどよくよくみると、ソファーに腰掛けた二人のお尻の影に、しっかりとつながれた手が写っていて、響子は夜の墓場を箒がけしながらその写真を思い返して、
「い~な~」
と憧れに顔をほころばせた。
思ったより大きく声がでていたらしく、近くでぴょんぴょんとキョンシー飛びしていた宮古芳香が、あぁん? と片眉をあげた。恋に恋するような自分がなんだか恥ずかしくて、響子は慌ててごまかした。
ぎゃ、ぎゃ~て~
私も山に向かって叫びたい!
いやーいくてん良いですね。
そしてシリーズ化ひゃっほー
何の躊躇も無くリピートを要求する衣玖さんが素晴らしすぎます。
マーヴェラスな後書きも感動モンでした。
シリーズ化嬉しいです!
衣玖さんは空気を読める女。しかし、たまにぶち壊す。
後書き涙拭けよ・・・
ほんと、響子ちゃんの気の使いっぷりは天井知らずやでー。ぎゃーてー
シリーズ化のおかげで楽しみが増えました!!
シリーズ化嬉しいです!
面白かったです。前作も読んでくる。
しまうが、じゃないですか?
皆本当に可愛いわ
いつも楽しみにしてます
>いや、それは無い
でふきましたwww
ぎゃーて~ぎゃーて~
次は誰だ!
途中まで気付かず新作みたいに楽しく読ませていただきました。
しかし、山彦サービス私もやってほしいです。
あとがきで作者さんの愛を感じましたけど、がんばってください!
ホントに響子ちゃんは体験版で可愛いです。
相手も自分も気持ち良くなってウィンウィンなビジネスモデルですね!
響子ちゃん可愛いわぁw
続きもお待ちします~!
誤字?後書きの そしうして、あとで
そうして?