まーた始まった。
妖精が唐突に訳のわからぬ事を言い出すのはいつもの事だが、今回は輪をかけて酷い。
夕暮れ時、竹林の入り口で店を開いている八つ目ウナギの屋台は、今回の開店でもそこそこの集客を見せていた。
最もここら辺一帯は危険な場所である為、昼間ならともかく、夕方、夜ともなれば馴染みの客か、気まぐれに立ち寄った妖怪、妖怪退治に長けた人間位しか訪ねては来ない。
現在の客は竹林での案内を終えたばかりの藤原妹紅とナズーリンの二人組、氷精と大妖精の二人組である。前者は非常に珍しい組み合わせだが、先日妹紅が竹林にナズーリンを案内した縁で、飲みの約束を交わしていた。
ナズーリンは毘沙門天の部下であるが、そこまで敬虔な門徒でも無い。勿論聖白蓮と同じ食事の席につく時、大抵は精進料理の様な物を食べているが、肉も食うし、酒も飲む。そもそも妖怪は自由気侭な生活を営んでいる物だ。
後者の二人は人里で遊んでいた所、里に住む人間による「氷を作ってくれ」との頼まれ事をこなした所、駄賃が懐に入った為、パーッと使おうと言う事で屋台に来ているのである。
先の一言は、そこで大妖精が放った言葉に対しての、妹紅の感想だった。
「本当なんだよチルノちゃん、白黒魔法使いの、あの、ええと」
どうやら色は覚えていても、名前はすんなり出てこない様だ。
その様子を見たチルノが答えてやる。その場のノリと勢いで動くような妖精でも、何度もやりあった相手位は覚えているらしい。
元来妖精は単純思考と勢いで行動しているし、、時間の流れ等に無頓着な為、記憶すると言う事はあまりしない。が、頭の働き自体は悪くは無い。
頭が悪いくせに頭の回転が速い者は多数存在する。
「まみふぁ?」
「そう、その人が最近、妖精の顔を食べてるって噂になってるよ」
自力で冷やしたウナギの蒲焼をくっちゃくっちゃと口に含みながら喋っているのでおかしな言葉になってはいるが、「魔理沙?」と言っているのである。
妹紅は、口の中に物を入れて喋るな、と注意し、水を差し出してやった。
隣でチーズを肴にちびちびとやっているナズーリンが、「母子のようだね」と言うと、妹紅は口に含もうとした酒を飲み損ね、鼻から口から酒びたしになっていた。
チルノは水をぐい、と飲み干してから言う。
「顔って美味しいのかな」
違う、問題はそこじゃない、と妹紅は言いたそうだったが、妖精相手に真面目にツッコミを入れても仕方が無い。
妖精の会話は、時に脈絡が無く、時に前後の繋がりが薄く、時に的外れであるので、真面目に付き合うと疲れるのである。
大妖精、通称大ちゃんは利発に見えるが、その会話についていけている時点で、やはり妖精なのだ、と妹紅は実感した。妖精には妖精の会話のリズムがあるのだ。
チルノはさらに続けた。
「でも、人間って顔を食べるんだっけ?」
「知らないや。でも、私達も気をつけた方が良いと思うよ」
「大丈夫だって、あたい最強だし。みすちー! お勘定ー!」
そう言うと、チルノと大妖精は、妹紅とナズーリンに熱燗を用意しているミスティアに代金を払い、ふよふよと霧の湖方面へ飛んでいった。
ミスティアは代金を見て、「あ、少し多い。ラッキー、クッキー、もんじゃ焼きー」等と上機嫌に歌っていた。
新たに落花生を注文し、ぽりぽりとそれを食べつつ、ナズーリンは妹紅に話しかける。
ひまわりの種をかじるハムスターの様で非常に愛らしい。
ミスティアの屋台では、基本的に八つ目ウナギを店のウリとしているが、客層には酒飲みが多い為、サイドメニューと言う形で、ツマミになる物も提供している。
鳥を使った食べ物が無いと言う事に眼を瞑れば、ごく普通の屋台であった。
「しかし、顔を食う、か。まるで『のっぺらぼう』の様だな」
「のっぺらぼうって、あののっぺらぼう?」
「君の考えている『のっぺらぼう』かどうかは不明だが、その『のっぺらぼう』だ」
「道端でしゃがみこんでいる女に声をかけると……って奴か。私の時代には『目も鼻もない女鬼』なんてのがいたんだけど、そいつらの系譜になるのかなあ」
無限の時を生きる妹紅が、いつの時代を指して『私の時代』と言っているのかは不明だが、おそらくは彼女がまだ普通の人間としての生を送っていた時代なのだろう。
そう言って妹紅は懐かしそうな顔をした。
「そういえば君は1000年以上も前の生まれだったね。後の時代には『お歯黒べったり』や、『ぬっぺふほふ』、『ずんべら』なんて連中も出てくるが、基本的には皆似た様な物だ。目と鼻が無く、人間を脅かす。一度脅かした後にまた予想外の場所で現れて脅かす。『再度の怪』と言う奴だな」
二人は神魔に詳しい。特に妹紅は、識者でも妖怪の縁者と言う訳でも無いのに。
博麗の巫女や、妖怪達と好き好んで付き合っている人間――稗田や魔理沙、咲夜の事であるが――、自身が神やそれに順ずる存在と言うならわかるが、人間でここまで妖怪に通じているのは珍しいなとナズーリンは思った。
それだけ、苛烈な人生を送ってきたか、或いは数多くの妖魅と対峙して来たのだろう。
妹紅は実際にそれらを見聞した経験があるのだ。
「ムジナや狸、狐の悪戯の様に言われてるけど、実際はどうなのだろうね」
「いや、私は見た事あるよ」
「ほう」
「蕎麦屋の店主なんかやってたな。味もまあまあだったと思う。あれが動物だったとは思わないけど。仮にそうだったとしても、元々妖怪の存在ってのは、得体の知れない事や物への畏れだ。本当に存在していると信じている者がいれば、獣の悪戯ではない『のっぺらぼう』そのものが発生してもおかしくないんじゃないかな」
「信じれば叶う。いや、そんな若人の青春みたいな物では無いな。鰯の頭も信心――多少使い所が違うがそう言った感じかね?」
妹紅は「鰯ねえ」と言うと、青ジソを巻いた鰯を梅と一緒に煮た料理をパクリとやる。
鰯は鮮度落ちが早く、所謂下魚の一種だが、大量に獲れて安く、酒のつまみにも丁度良い。
しかし海の幸が獲れない幻想郷で、どのように流通しているのかは、全く不明である。隙間妖怪が輸入を行っていると言う説もある。
輝夜なら鯛でも食べているかな、等と思いつつ、妹紅は酒をあおった。
「君の経験や知識は貴重だ。本にまとめたりするべきでは? 印刷所や書店を通さず、自分一人でやれば丸儲けだ」
「やだよそんなの面倒臭い。それに印刷技術ってのは天狗とか河童の領分だ。自分一人で大量に製本なんてそんな手間のかかる事」
「私達の寺では写経の片手間に写本も引き受けているが。君なら安くしておくけれども」
「商売上手なのは結構だけど、それじゃあ印刷屋に頼んだ方が早い。それに私は今の所、本なんて作る気は無いよ」
「広く門徒を募る為に多角経営を目指している物でね。何にせよ勿体無い話だ。まあ、ムリにとは言わないが考慮には値すると思う。気が変わったら連絡をくれたまえ」
ナズーリンはそれだけ言うと、再び落花生を口に放り込んで話題を変えた。
脱線しがちだが、むしろ本題はこちらなのである。
「しかし、あの妖精達の言う噂が真実なら、あの魔法使いはのっぺらぼうだったと言う事か。人は見かけに寄らんな」
「ナズーリン、あなたが言うと本当っぽくて笑えない。あいつは魔法を学んだだけの、ただの人間よ」
「火の無い所になんとやら、と言う。人間が突然妖怪になったり鬼になったりと言うのは珍しい事じゃない」
「確かに、鬼も元々は排斥された陰陽師だとか、山賊だったとか言う話もあるしなぁ。でもこのある種平和な場所でそんな事が起きるものかな」
「どうだろう。無きにしも非ず、と言った所だろう。この幻想郷では、『死人が健常体で生き返る』以外のありとあらゆる怪異が起こりうる、と私は考えているがね。例えば並外れた復讐心があれば人も鬼になるさ」
妹紅には耳が痛い話だ。ナズーリンの言葉通りならば、自分は最近まで鬼になりかけていた事になる。
輝夜はもはや復讐の対象では無く、切っても切れない縁を持ってしまった、それこそ同じ穴のムジナと考え、最近ではスペルカードルールで穏当に決着をつける事も多くなった。
あのまま殺し合いを続けていたら、自分はどうなっていたろうか。
不死身の鬼と化して、博麗神社に住み着き酒を食らいながら昼寝でもしているだろうか?
(くくっ、鬼の方が平穏じゃないの)
妹紅は苦笑すると改めて幻想郷の特異な環境を思った。
妖怪だけならまだしも、不死人や神様が存在しているし、冥界の辺りでは幽霊も当たり前の様に徘徊している。
死、と言う概念を除いて、幻想郷の常識は、外界での非常識なのだ。
のっぺらぼうの一人や二人、存在するだろう、と考える。
だが、事の真相は単純極まりない物で、聞けば誰もがいつもの事か、と肩をすくめるであろう。
かつて三人組の妖精が、悪戯でのっぺらぼうを演じた事があったのだが、魔理沙はそれに別のアイディアを添えて、悪戯を企てただけの事である。
それが妖精達の間でよく分からぬ噂となっている様だが、デマゴギーの流布と言うのは、えてしてそんな物だ。
「まあ結局のところ、私達には関係の無い話だ。女将、『魔王』をくれ」」
「それもそうだ。ミスティア、蒲焼もう一人前と『美少年』頂戴」
妹紅は追加の蒲焼を注文し、もっと飲めよと言わんばかりにナズーリンに酌をした。
珍しい酒が置いてあるので、注文すると面白い台詞になるのも、この屋台ならではだ。幻想郷の外の酒だが、入手方法は企業秘密、と言う事らしい。
こちらも隙間妖怪が何らかの手段で輸入しているのだろうか。しかし、その事について深く考える者はいない。
ミスティアの屋台の夜は、こうして更けていくのであった。
当然、屋台なのだから他の客もやってくる。
基本的に竹林周辺の妖怪が主だった客層だが、時には冥界のお嬢、結界の番人等が鰻を賞味しに来る事だってある。
今回の変わった客と言えば、紅魔館の当代、レミリア・スカーレットだ。
「おや、レミリアさん、お見限りですね~♪」
「洋食ばかりだと、さすがに飽きるから」
主人よりもある意味有名なメイド長を連れていない。
たまには一人で散歩をする事もあるのだろうか。
ミスティアはかつて異変の際、道すがら叩き落とされた事もあるが、それはそれ、これはこれ。
店主と客として上手くやっているようだ。
レミリアは暖簾をくぐると、妹紅とナズーリンを一瞥して言った。
「業の深い者が二人もいるな」
「何か?」
妹紅はじろりとレミリアを見て言うが、当人は気にしていない。
「別に文句を言った訳じゃあ無いよ、不死人。カグヤ姫とやらはどうした?」
「何であいつの話が」
「いつも一緒に殺し合いを楽しんでいる仲だろう?」
レミリアは、いつもこの様な態度だ。それは妹紅もわかっている。
わかってはいるが、少々癇に障るのも確かだ。
「知り合いかね?」
「霧の湖の近くに紅魔館ってあるでしょ? そこの吸血鬼だそうで」
ナズーリンは最もであろう疑問を口にし、妹紅はうんざりした口調で言った。
その答えを聞いて、頭の中でしばらく反芻し、ナズーリンは呟いた。
「……なんだって?」
まあ、当然の反応では有る。
レミリア・スカーレット。齢500を超える吸血鬼だが、その姿は可憐な少女なのだ。
ナズーリンの出会った事のある吸血鬼と言えば、長身痩躯の紳士、或いは肉感的なスタイルを持った蟲惑的な淑女だったからである。
「高慢で偉そうだけど、悪い奴じゃない。その点では輝夜よりは救いがあるわ」
「『偉そう』では無く、『偉い』んだ。そこを間違えるな、不死人」
威嚇のつもりか、レミリアの瞳の赤光がさらに強くなる。
吸血鬼と言うのはエサを魅了する際、血の渇望を満たそうとする際などに、この紅い瞳の力を利用する事が多い。
平穏な日常生活では「ぎゃおー!」等と悪ふざけに興じて、文字通り牙を隠しているが、夜、妖怪の領域ともなれば、吸血鬼本来の畏怖を前面に押し出して行動するのが普通だ。
ニヤリと笑った口からは乱杭歯がチラリと覗いた。その美しさ、恐ろしさと来たら、伝承の比では無い。
姿は少女の体を為しているが、彼女と視線を交わし、言葉をかけられれば、童女趣味が無い者でも喜んで首を差し出すだろう。
吸血鬼の魔性とはそう言う物だ。それこそがレミリア・スカーレットの脅威なのである。
その仕草、瞳の力の強さを検分し、ナズーリンはこの吸血鬼が並大抵の化け物では無いと言う事を看破した。
「落ち着きたまえ、ご両人。カリカリしていたのでは、美味い食事もまずくなる」
「これは失礼。やはり夜に出歩くのは私としても昂ぶりを抑えるのが難しいのでね、詫びておくわ。ミスティア、とりあえずエールを1パイント」
レミリアが指を鳴らし、ミスティアがそれに答え、なみなみとレッド・エールが注がれた竹筒を差し出した。
妹紅は竹筒とビールと言う組み合わせを見て顰めっ面になり、ナズーリンはビールも置いてあるのか、と感心していた。
それをゴクゴクと飲み干し、レミリアは再びエールを注文する。
「ツマミはいかが~♪」
「つまみは要らない、ラーメンを。それとニンニクを別に追加して頂くわ」
ラーメンに、ビール。
これぞ仕事帰りの労働者のメニューだ。
酒を呷っていた妹紅は、再び吹きだす所だった。
紳士淑女の館、紅魔館。その当代の注文した料理が男顔負けのオーダーとは。それともう一つ。
「何を狼狽しているんだい。我々下賎の者……いや、君は違うかもしれないが、高貴な者は、たまにそういう食事をしたいと思うのが定番ではないかね?」
「それも驚いたけど。お品書きを見てもらえるかしら」
「『輝夜のお気に入り☆』……これは?」
「文字通りだよ。あのバカ、ここの屋台に通って、気に入った料理にはサインまで押し付けてるのよ。ラーメンが好きらしい」
「面白いじゃないか。あの『かぐや姫』のオススメとなれば、注文も増えるだろう。何故君はラーメンを頼まなかった?」
そこまでナズーリンが聞くと、妹紅は彼女の耳に口を寄せて小声で言った。
「この屋台で一番まずい」
「それはそれは」
ナズーリンは納得した表情で器に残った落花生をザラザラと口に流し込んだ。
ぼりぼりと一気にそれを噛み砕いて、美味しそうにラーメンを啜る吸血鬼に目をやる。
「それにしても……ねえ」
外見は無邪気な童女その物であるから、とても吸血鬼なんて忌まわしき化け物には見えない。
しかし、見ようによっては不健康とも取れる、その異様に青白い肌、それでありながらこの世の物とは思えない整った顔立ち、そして乱杭歯。
どれもが一般的な吸血鬼に見られる物だ。
「失礼。レミリア・スカーレットと言ったか。私はナズーリンと言うケチな妖怪だが」
「宝船の事は霊夢から聞いているわ。けちとは一体何?」
「ああ、日本的な言い回しには明るくないのかね? まあ、『くだらない』とか『しみったれ』だと思ってくれればよろしい」
「身の程を弁えているようだな、ネズミのお姉さん。それで?」
「かなり強力な吸血鬼だと見受けるが、どちらのご出身かを伺いたい」
「それをお前に話して、私に何か得が?」
「いや、酒の席での世間話みたいな物さ。何しろあなたみたいな高貴な連中が幻想郷には多い。繋がりを持っておくにこした事は無いのさ」
「な?」と言いながらナズーリンは妹紅を見た。当の妹紅は複雑そうな表情で苦笑している。
それを聞いて、レミリアは上機嫌で竹筒の杯を傾けた。
ミエミエの世辞だが、効果覿面だったようだ。普段が普段だから、褒められ慣れていないらしい。
レミリアの本来の恐ろしさを理解しているのは、紅魔館の住人と隙間妖怪等、一部のレベルの高い妖怪位だ。
魔理沙や妖夢、鈴仙辺りは、紅魔館全体を軽視するフシすら見受けられる。
それだけレミリアがとっつき易いタイプだと言うのはあるが、それも彼女の度量の大きさを示している。
仮にここが中世、外界で、彼女が治める領地があったとすれば、吸血鬼の魔性の魅力を抜きにしても、その領民はさぞかしレミリアを慕うだろう。
天才の中でも、平凡な天才と非凡な天才でさらにグループ分けが為されるように、彼女も吸血鬼としては平凡な物では無く、傑物であると言う事である。
「ツェペシュの末裔、と言えばわかるか?」
「ブラドー公。……いや、そちらの言い方ではヴラド、か。ドラキュラを自称していたとの事だが、ストリゴイ(吸血鬼)だったのかね?」
「さて」
レミリアは涼しい顔で言葉を流し、濁した。
妹紅は静かに耳と杯を傾けている。その眼はナズーリンに「眉唾だから、それ」と語っていた。
無論ナズーリンもそれはわかっている。
そもそも彼がドラキュラだと言っていた事自体が自称なのだから、本当に吸血鬼であったかどうかは定かでは無い。
竜公(ドラクル)の息子だから、ドラキュラ乃至ドラクリヤ(竜の息子)と名乗っていたと言う説もある程だ。
最も『ドラクル』には悪魔公と言う解釈もあるので、諸説入り乱れている事になる。
「と言う事は、森の彼方の国で生まれた、と言う事なのか?」
「森の彼方の国ねえ……輝夜が好きそうな言い回しだから余り好きになれない。トランシルヴァニアって言えば良いのに」
近年、輝夜の存在と自分の関係を認める事に至ったとは言え、嫌悪の情と言う物は簡単に払拭される物では無いらしい。
それを聞いて、ナズーリンは苦笑しながら言う。
「言葉遊びや比喩表現を楽しむのは貴人の嗜みだろう? 君はすっかり俗世に迎合したようだな」
「そんな風に生きてたのは人生の内、一割を軽く切るからねえ」
「一理あるね。しかしレミリア嬢、先程ニンニクを注文していたが、それは平気なのかね?」
当のレミリアは既にラーメンを食べ終える所だ。
吸血鬼でなくとも吸い付きたくなる様な美しい喉を鳴らし、スープをゴクゴクと飲み干して、
「時代遅れと言わざるを得ないわね。私はそんな前時代的な弱点は持たない。夜中にノコノコ出て行って退治される様なバカどもとは違う。生活も早寝早起き、快食快眠がモットーなのさ」
と、語り終え、爪楊枝で歯の掃除を始めた。
西洋の吸血鬼と言えば、魔を払うと言われたニンニクを蛇蝎の如く嫌っていたはずだが、レミリアはそれをあっさり否定した。
しかしその割に流水や太陽は従来通りの効果を発揮するので、ここは吸血鬼の解釈が幻想郷と外界では異なると言う事なのだろうか。
「前時代的、か。十字架はどうかね?」
「あんな物ただのオブジェに過ぎん」
妹紅とナズーリンは、同時に「は?」と返しそうになり、何とか口をつぐんだ。
そしてお互いに顔を見合わせてから、再びレミリアに視線を戻す。
当のレミリアは新たにサンマの塩焼きを注文し、大根おろしに醤油をかけていた。
トランシルヴァニアのツェペシュの末裔だと自称するのに、十字架に嫌悪感を示さないと言う事は、彼女は基督教圏には生きていなかった事になる。
当然、レミリアの話とは矛盾する。
吸血鬼と言うのは、宗教的、民族的禁忌から聖印を嫌悪する。
吸血鬼が十字架を弱点としていると言う一般論は、単に吸血鬼の原典である地域に基督教徒が多く、十字架は聖なる物だと言う認識があった為、悪魔、化け物等を祓う事から不浄なる吸血鬼にも効果がある、と言う事らしい。
要するに、自分が不浄なる者、悪魔であると言う心理があるからそれらを嫌うのだ。
宗教等無くとも神や妖怪が根付いており、クリスマスを楽しみ初詣に出かけ葬式にお経を挙げる等、ガラパゴス化している日本にもし吸血鬼が生まれたら、十字架やニンニクは勿論、神社仏閣、果ては読経や御札にお守り、お地蔵様や仏像を恐れる最弱の吸血鬼として名を残すであろう。
レミリアが単に無宗教か神を畏れていない、と言う可能性もあるが、その様な考えであれば妖怪をやっていないだろう。
神を申し訳程度にしか認識していない、外界における現代の若者的なドライな思考を持っている妖怪等、自らの存在を否定している様な物だ。
「そうか、旧時代の吸血鬼とは一線を画する強さを持っていると言う訳だね」
「理解が早い様で何よりだ」
「お近づきに、私から何か奢らせてくれ。女将、お品書きに桃の果実酒とあるが、今出せるかい?」
「はいな~♪」
妹紅はそれを聞いて三度目となる酒の噴水を形作るハメになった。
レミリアが鬱陶しそうにそれを眺め、ナズーリンはさりげなく妹紅から少し椅子を離した。
「そのジョーク……いや、芸はウケないと思うわ、不死人」
「ゴホッ、ゴホッ」
「すまんね、彼女には持病があるんだ」
「蓬莱人の癖に病気?」
「慢性的な咳嗽(がいそう)だそうだ。煙草のやりすぎらしい」
咳嗽とは、要するに空咳(からせき)の事だ。
勝手な言い訳をして、ナズーリンは水を差し出してやった。
妹紅はそれを飲み干して、こっそり苦情をぶつける。
「ちょっ、何考えてるのよ。もしコイツが大陸出身だったら」
「まあ死ぬ事は無いだろう。せいぜい悲鳴をあげてのた打ち回るのが関の山だ。何より彼女が中国出身とは考えにくい。ただの確認作業さ」
中国において、桃は魔除けの果実である。
仙桃等と言う物が存在する通り、長寿祈願、厄除け、魔除け、虫除け等様々な事に効果を発揮する。
日本でも古事記で黄泉醜女(よもつしこめ)相手に使用した様に、邪気を祓う力があるとされている。
キョンシー相手にも桃の木から作った剣を利用する事があるので、中国出身の妖怪が相手なら効果覿面であろう。
しかし、中国妖怪ではないと九分九厘確信しているとは言え、レミリア相手にそんなマネをするとは。
ナズーリンはそ知らぬ顔でレミリアに杯を差し出しているから、その度胸が伺い知れる。
最も当人は何かあったら対応を妹紅に任せようとしている為、そう言う意味でも良い根性と言えよう。
二人は固唾を飲んでレミリアの動向を注視したが、幸い、予想が覆されるような事は無かった。
レミリアは満足そうに杯をテーブルに置いて、一息ついている。
「ナズーリン、その辺にした方が良い。もしそいつの勘気を買ったりしたら、タダじゃすまない」
「ことわる」
「なんで?」
「聖救出の時までご主人と共に一介の僧として隠遁していた私は現在の情勢に疎い。地下に封印されていた船長や一輪も同様だ。まさに浦島太郎なのだよ。ご主人からは機会があれば、その都度調査をして来る様に言われている」
確かに、たまたま飲みに来た屋台で有名人と出会える事など、そうそう無い事では有る。
伝え聞くに、紅魔館は屈強な門番が存在し、内部には瀟洒で完璧なメイド長、あらゆる知識を蓄えようとしている魔法使いがおり、いざ調査をしようとなれば、その作業は困難を極めるだろう。
ナズーリンからすれば、これは千載一遇のチャンスであった。
「いや、でも今じゃなくても」
「藤原さん、君もわかるだろぅ。戦場、商売、日々の生活等は全ては情報が物を言ぅ。情報を制する限り、私の仲間が再び封印の憂き目に会う様な事は無いだろう」
「それは、まあ」
「出身地の特定は難しいょうだが、私も調査探索のエキスパートだ。だからレミリア嬢には、ここで全てを曝け出して貰う」
身の毛もよだつ様な事を言うと、ナズーリンは再び料理をレミリアに勧め出した。
そこまで言われては、妹紅も納得せざるを得ない。
しかしいくら肝試しと称して襲撃を受けた相手とは言え、アレは輝夜が彼女達を騙してやらせた事だ。
別段、妹紅はレミリア個人に含みは無い為、揉め事は遠慮しておきたい訳である。
が、ナズーリンはお構い無しに世界各国の魔除けとされる食べ物を勧めていた。
レミリアにダメージを与えられれば、その国の出身と言う事だ。
これは形を変えた毒殺計画であると妹紅は思うのだが、ナズーリンはそこまで考えが至っていないようだ。
調査探索のエキスパートと自称する程だから、コールド・リーディングにも自信があるのだろう。しかし、少々強引過ぎる。
そんなバカな。彼女は『賢将』だ。いくら仲間の為とは言え、レミリアの怒りを買えば紅魔館とは即敵対、命蓮寺は一気に危険にさらされる事になるので、本末転倒ではないのか。
顔にも朱の色が見える。まるで酔っ払いだ。こころなしか眼も据わっている。
そこまで考えてから妹紅は気づいた。そう、酔っ払いなのだ。
彼女はすっかり失念していたが、元々妹紅とナズーリンは単に飲みに来ただけなのだ。
よくよく彼女の言を聞いていると、呂律も少し回っていない。
それもかなりの時間、ちびちびと飲み続けている。それを本人も忘れていたのだから、妹紅にもかなり酔いが回っていたのだ。
急いでナズーリンの酔いを醒ますか、此処から連れ出さぬ限り、面倒な事が起きるのは間違いない。
ナズーリンからレミリアに飛んだ質問が、妹紅の耳に届いた。
「ひた(下)着の色は何色かにぇ?」
それを聞くや否や、妹紅は勢い良くナズーリンの頬をひっぱたいた。首がぐるんと半回転し、ナズーリンは沈黙する羽目に陥った。
平手打ちでナズーリンの意識を刈り取った妹紅は、額の汗をぬぐって息をついた。
どうやら、かなりギリギリの酔い方をしていたらしい。ここら辺が潮時か、と妹紅は感じた。
「私の聞き間違えで無ければ、今ネズミのお姉さんがフザけた事を言っていたと思うのだけれど」
「幻聴なら、カウンセラーを紹介しよう。危ないファーマシストか、頭の固いお姉さんの二択だけれど」
「フン……まあ良いわ。ところで、お前のその呪われた運命は一段楽したのか? 以前の肝試しの時とは空気が違う」
「? そんなの、スカーレット嬢。あなたならいくらでも視えるでしょうに」
「『レミリア』と呼びなさい。何だか不快だわ」
「私も『藤原妹紅』って名前があるから『不死人』ってのはやめてもらえるかしらね」
「じゃあ藤原の娘よ。運命視、運命操作は言う程簡単な事じゃない。可能性の芽と言うのはいくらでもある。不死身ともなれば尚更だ」
相手が年上だと言うのに、まるで自分の方が格上であるかの様な口調でレミリアは言った。
ある程度歳を経た妖怪や悪魔ともなると、もはや年齢は関係無く、力の大小で『格』が決定するのだろう。
長年生きた事は力の目安になるだけで、力その物が無ければ相手に認められる事も無いのである。
「それがあなたの能力でしょうに」
頬杖をつきながら妹紅は返答するが、少々行儀が悪い。
レミリアはやはりと言うかテーブルマナーにはうるさいらしく、底冷えのする表情を見せながら「姿勢を正せ」と言う身振りをし、妹紅は渋々ながらも居住まいを正した。
レミリアはそれを見て満足すると、再び話し始める。
「浅慮が過ぎるな、藤原の娘。例えばだが、無限分の一の確率で自分の運命が変えられるとしたら、お前はそれを実行するか?」
「しないね。真っ当に生きて人生を良くする方が早い」
「そう言う事だ。星の数ほど存在している生き物、さらに特定の人物の確定された運命、確定していない運命、それら全ての中からたった一つの運命を選択する等、神をも超越した所業だと言う事さ」
レミリアの言からすると、運命を操る能力と言うのも、そこまで便利な物では無いらしい。
彼女の言う事が真実ならば、運命操作とは、宇宙に手を突っ込んでその中から好きな星を探し出し、掴み取る行為に似ている。
手が届く範囲に混在する事象なら簡単にイジる事ができるが、それ以上となると相応の労力が必要と言う事だ。
観測するにも、目的の物を探し出さなくてはならない。無理矢理な運命操作となると、宇宙を漂流しているような状況に陥るのだろう。
「そう言う訳だから、おぼろげに視える物や勝手に視えてしまう物以外は私の知る所に無い。お前の口から聞いたほうが早いからだ」
「そうだとしても私の事なんかどうでも良いだろう」
「人の身で不死を獲得した者の身辺だぞ? 気になっても不思議じゃない」
口調こそは威厳がある吸血鬼のそれだが、内容は興味本位の世間話だ。
妹紅は当然相手にはしたくなかった。
「日々を精一杯生きてるだけで、話して聞かせる様な事でもない」
「話を聞きに毎夜お前の自宅を訪ねても良いんだが」
「引っ越すよ」
「臆病者」
「巧遅主義者なもんで。悪いね」
妹紅はあっさりそう言って、ナズーリンに活を入れた。
レミリアは納得の行かない様子だったが、それ以上は何も言及しなかった。
「うえっぷ。藤原さん? ここは一体?」
「屋台だよ。ほら、水」
「う、すまにゃい。女将、お愛想。領収書もたにょむ(頼む)」
ナズーリンはヨタヨタしながら立ち上がり、呂律の回らない口調で会計を済ませた。
レミリアの調査と称して、かなりの料理を注文していたが大丈夫か? と妹紅は思ったが、ここで言っても彼女を混乱させるだけだろうと思い、黙っておく。
酔っ払いの介抱なんていつ以来だろう、と思う。
不死と言う業を背負っているから、あちこちを渡り歩いた。
それが、幻想郷に来てみたらどうだろう。
当時は輝夜にどんな報復をしようと言う事しか頭に無かったが、人間と妖怪と共存すると言う題目が掲げられた地では、そんな事は些事に過ぎない。
あくまでも、個性の一つとして受け入れられている。特に博麗大結界が形成されてからは、それが顕著になった。
後は、自分でその永遠に続く人生と、どう付き合っていくかという事だけだ。
レミリア風に言うならば、運命を受け入れた、と言う事になる。
受け入れた運命をどういなし、折り合いをつけるかは、結局自分自身で答えを出すしかないが、輝夜との関係を前向きに考えられるようになったのも、その土壌があってこそだ。
隙間妖怪は、本物の楽園を作り出したのだ。
ナズーリンの呻きが、そんな妹紅の思考を中断させた。
「うえぇ」
「ちょ、大丈夫?」
「だいじょぶ、だいじょうえぇ」
ナズーリンは足取りが定まっていない。
妹紅が手を貸すより早く、ナズーリンは屋台に倒れ込んだ。
「うぼぇえええぇ」
「うおああああああ」
二つの悲鳴(?)が挙がった
片方は当然ナズーリンだが、もう一つの悲鳴は、誰あろう、レミリア・スカーレットの物であった。
ただ倒れ込んだだけなら、悲鳴は一つだったのだろうが、今回は『運』が無かった。
ナズーリンはレミリアに倒れ込み、且つ彼女の一張羅に、キラキラした胃の中身をブチまけたのである。
慌ててナズーリンを引き剥がしたが、どうにもならなかった。
レミリアの眼には殺意が漲っており、その指は今にも相手に襲い掛かろうと鉤状に曲がっている。
もし今、無限分の一の確率で運命を変えられるとしたら、妹紅は例え可能性が少なかろうと、できる限りの挑戦をするだろう。
後日、文々。新聞で竹林から謎の火の手が上がったとの記事が一面を飾ったが、案内人の妹紅は取材拒否の姿勢を貫いた。
◆
寅丸星は命蓮寺宛の二つの請求書を見て顔色を変えた。
差出人は紅魔館、及びミスティア・ローレライとある。
内訳はレミリアのドレス代、屋台の修理代であった。
眼の飛び出るような金額が記されており、何故か銀製のナイフが同封されていた。
ミスティアの方はともかく、紅魔館にとってドレスの一着や二着、破こうが燃やそうが、いくらでも代わりはあるし、修復も購入も容易な財力があるはずだ。
おそらく紅魔館メイド長の「落とし前はつけてもらう」と言う意思表示であろうが、「誠意無き対応を見せたら殺す」と言う脅迫ともとれる。
無論、ナズーリンと星にはそんな事はわからないので、知らぬが仏と言う事だ。
「ちょ、何ですかこれ……もしかして私が払うんですか?」
毘沙門天の代理人らしからぬ様で狼狽し、星は事情をナズーリンに尋ねた。
「その……接待費と言う訳にはいかないかな? 職務上の経費と言う事で」
「いく訳ありませんよ! 聖にどうやって説明すれば」
「一応、ここの信仰対象はご主人なんだから、少々蓄財を切り崩しても……ダメ?」
「可愛らしく言ってもダメです! 大体、今は色々物入りで余裕が無いんですよ。寺社で売るお守りも前払いで発注してしまったし」
「ご主人だって、私がせっかく倹約に努めたのに、『聖が帰ってきたからパーッとやりましょう』とか言ってた気が」
「無い袖は振れませんよ。はっきり言えば、お金が無いんです」
「えっ」
結局、命蓮寺の蓄えでは今回の件の弁償をするには足りなかった。
ナズーリンは失せ物探しのアルバイトに勤しみ、星は写経の片手間、写本の内職に精を出し、それでようやく支払いを済ませる事ができたのである。
『財宝が集まる能力』では、弁済期間に間に合わなかったのだ。
罰としてナズーリンの食事がハムスター用のひまわりの種になったりもした。
風見幽香印の物だから、良い種なのだろうが、マトモな食卓に比べると悲惨な食事である事に変わりは無い。
以後人里では、食事時になると命蓮寺から「チューチュー」と悲しげなネズミの声が聞こえると言う噂が、まことしやかに囁かれた。
いい感じのレミリアさんでした。
しかしナズェ…
幻想郷はほんと楽園だぜ!