里の外れで、その姿を見た瞬間。
一定のリズムを保っていた我が体内の心臓は大きく高鳴り、激しく鼓動を打ち始めた。
純白の髪にぽっこりと膨らんだ異国風の帽子。
黒いひらひらで縁を飾るくすんだ橙の服に緑のスカート。
体のどこからか飛び出た紫の紐の先にあるのは閉じられた瞳の飾り。
その全てが一体となって、目の前を気ままに歩む少女の魅力を構成していた。
ああ、なんという奇跡だろう。
この世に生を受けて数えること25。いつまでたっても浮いた話の無い我が身を嘆き、母がさめざめと涙を流す光景にも慣れつつあった。
女性に興味が無かったわけではない。今までどんなに評判の良い女性と会ってもぴんと来るものを感じなかった。それだけだ。
何より外見が自分と同世代では頂けない。我が理想の女性とは、穢れを知らぬ幼き少女。庇護欲を掻き立てられるか弱き存在でなければならないのだ。
一度この譲れぬこだわりを両親に打ち明けた時、何故か母は泣き崩れ父は難しい顔をし『…せいぜい自警団に気をつけるんだな』とだけ言われ、そのまま追い出されてしまった。
どうにも我がこだわりは世間一般から見るとかなりずれた価値観からなるものらしい。あらゆるものを受け入れるというこの幻想郷で狭量なとも思うが、仕方のないことだろう。
閑話休題。
気がつくと、そこは里から少し離れた小さな森だった。
この辺りは数多の妖怪が屯しており、良識があるなら進んで近づく者はいない。
少女を追いかけるのに夢中で、こんな危険なところに来てしまった事に気づかなかったとは。
恋は盲目という。まったくよくいったものだと実感するあまりだ。
「そう。恋は盲目。無意識の行動の原動力としては、一番使いやすい感情の一つ」
驚いて振り返ると、前を歩いていた筈の少女がこちらを見上げていた。
いつの間に回りこまれたのだろうか。考え事をしていたとはいえ、少女から目を離した瞬間は無かった筈だが。
「驚いた? 驚くよね。でも種を明かせば、別に不思議な事じゃない。無意識の行動に、無意識の行動が重なっただけ」
むむ。何やらよく分からない。
自慢話にもならないが、かつて寺子屋で受けた国語の読解力試験では常に赤点を維持していた自分には、いまいち理解しにくい言い回しだ。
だが、それもまたよし。
このくらいの少女なら、多少背伸びした振る舞いをするのが普通であり、それがまた魅力なのだから。
「ねえお兄さん。私のこと、好き?」
とか何とか考えていたら、いきなり直球を投げつけられてしまった。
待て待て、落ち着いて軌道を読め。よし、ストライクゾーン確定。迷わず振り抜くべし。
「やっぱり。そうかぁ、お兄さんは私のことが、好き。好きなんだ。ふぅん」
一人で呟きながら、少女はその場で嬉しそうにくるくると小回りする。
ああ、なんと素晴らしい。外見の可愛さが行動の可愛さと重なりあい、数倍の威力になって我が心へ波濤の如く押し寄せてくる。
抗う選択などある筈もない。この心を揺さぶる熱き感情こそが全てであり、真実なのだから。
「お兄さん。私は妖怪だよ。しかも覚り。知ってるよね、覚りは」
唐突なカミングアウトに、流石の自分も少々驚きを隠せなかった。
覚りといえば他者の心を読み取りそこから会話の主導権を握りねちねちと言葉責めしたり、二度と思い出したくない記憶を呼び覚まし精神的苦痛を与えることで有名な妖怪だ。
そのあまりにも陰湿な力故に人間は勿論妖怪からも忌み嫌われ、追いやられ。今では地底にある神殿にたった二人の生き残りが住むだけと聞いている。
しかし、それが何だというのか。
過去の経緯や評判がどうであれ、目の前にいるこの少女を否定する材料にはならない。
心を読まれる? トラウマを抉られる? だからどうした。
今この心に湧き上がり、沸き立たせている強き愛の感情の前には、そのようなもの些事でしかない。
そう告げると、少女の表情が少し柔らかくなった。
「逃げない。怯えない。怒らない。お兄さん、変わり者なんだね。それともひょっとして、お兄さんも人間じゃなかったり? あはは、そんなわけないか」
変わり者で結構。
かつてはそのせいでからかわれいじめられもしたが、今はむしろ誇りですらある。
そのおかげで、今目の前にいる少女と自然に会話できているのだから。
「じゃあそんな素敵なお兄さんに、お話してあげる。心がきゅんとする、私の昔話」
一瞬、少女の姿が消えたと思ったら、隣の切り株に座っていた。折角なのでこちらも腰をおろす。
しかしいきなり回想語りとは、色々な過程を飛ばしている気がしないでもないが、それがこの少女のペースというなら心よく受け入れよう。
何より、純粋に興味もある。好きになった相手の話なら、どんなものでも大歓迎だ。
こちらが聞き手に回ったのを確認すると、少女は厳かな口調で語り始めた―――
――昔々のことでした。あるところに二人の覚り妖怪がいました。二人は血の繋がった姉妹で、お互いをとても大切にしていました。
しかし覚り妖怪は嫌われ者。地上では人間に石を投げつけられて追い払われ、妖怪には露骨な嫌がらせをされる日々。
ようやくたどり着いた地底ですら、陰口を叩かれ忌み嫌われる始末。嫌われ者からも嫌われる。それが覚り妖怪の宿命だったのです。
姉はしっかり者でした。
閻魔様から与えられた管理の仕事を淡々とこなし、行き場のない動物を集めペットにし、上に立つ者としての振る舞いを身につけていきました。
対する妹は、臆病者でした。
忌み嫌われ、排除される覚りの業の重さに耐えきれず、第三の目を閉じてしまったのです。
第三の目は心を読み取る覚りの力の源。それを閉じるということは、覚り妖怪としての本分を捨ててしまうことに他なりません。
姉は心配しましたが、その時の妹は全く気にしませんでした。
心が読めないおかげで、誰にどう思われていようが関係なく振る舞える。それが嬉しくてたまらなかったからです。
楽しくて。楽しくて。楽しくて。妹は毎日外に出て、自由気侭に歩きまわりました。
ある日の事です。
妹は夜の人里を一人で歩いていました。周りには誰もいません。人っ子ひとり、妖怪一匹いません。
いえ、一人だけ人間がいました。大きな体の人間の男です。厳しい顔つきで辺りを見回りながらのっしのっしと歩き、こちらに近づいてきました。
昔の妹なら、慌てて逃げ出したことでしょう。人間には、ろくな思い出が無いからです。
でも何故かその時の妹は、逃げたいという気持ちが湧いてきませんでした。
見つかって、捕まったら何をされるか分からないというのに、全く恐怖を感じない。
むしろ逆に、心のどこかでわくわくしていました。これも何故かは分かりません。
何も分からないまま、ぼんやりとする妹のすぐ側を男が素通りし、数歩進んだところで倒れました。ばったりと、突然に。
おや、どうしたのでしょう。妹が近づいても、男はぴくりとも動きません。
それもその筈です。男は死んでいたのですから。
はて、どうしていきなり死んだのかしら。
首を傾げた妹は、その時ようやく自分の右手の中にあるものに気が付きました。
びくん、びくんと弱々しく脈打ち、紅い雫をぽたぽたと垂らす生暖かい、手のひらにちょうど収まる大きさの物体。
――それは、心臓でした。
改めて男の死体を観察すると、胸の辺りにぽっかりと穴が開いているではありませんか。
ああ、なんだ。これ、この男の心臓だったんだ。
得心がいった妹は、その時自覚したのです。
心を閉ざした結果、新たに目覚めた自分の能力に。
それは、無意識を操る程度の力。
他者の無意識を自在に操り、また自分も無意識で今まで以上に行動できるようになったのです。
それから妹の生活は劇的に変わりました。
無意識を操れば、誰に気づかれることもなくどこにでもいけるし、ずっといられる。嫌な相手に出会っても安全に逃げ切れる。
ああ、なんて素晴らしいことでしょう! こんなに自由に、何にも縛られず生きていけるなんて!
妹は幸せでした。今まで不幸だった分、尚更そう感じていたのでしょう。
その後、妹は色々な出会いを繰り返し、ちょっぴり後悔や反省をして成長する事になるのですが、それは別のお話―――
「はい、おしまい。どう、心がきゅんとしたでしょう?」
嬉々とした様子で訪ねてくる少女に、自分は一言も返せなかった。
目の前にいる少女が、想像していた以上に恐ろしい存在であるという事を理解してしまったから。
「あはは、いい顔。凄くいい顔だよ、お兄さん。このお話をするとね、皆同じ顔をするの。私はそれが大好き。そんな顔を見るのが大好きなの」
目を細め、淡々と告げる少女。その言葉には色が無かった。背筋を冷たいものが走り、体がブルブルと震え出す。
遅れてやってきた恐怖が、全身をかけめぐっているのだろう。
だが、しかし。
「さて、ここまで聞いてくれたお兄さんに問題です。私の左手にあるものはなーに?」
もう、遅かった。
しょう、じょの、ひだ、りて、ある、のは
「びくんびくんしてる……。あつくて、おおきい……。こんなの初めてだよ……お兄さん」
いしき、うしな、うまえ、に、さ、いご、みえた、は
しょう、じょの、むじゃ、き、えが、お
名前覚えてないなぁ
とか言ってるのを想像しちゃったじゃないかw
でも彼女にハートキャッチしてもらえるなら本望かも!
びくんびくんしてる、で鳥肌全開の恐ろしいお話でした。
でもこいしちゃんにならハートキャッチされでも一向に構わん。
ええい、欲しけりゃ持ってけ泥棒!!
>1様
正解です。その巻をちょうと読んだ晩にみた夢でした。
>2様
あの場面は序盤の中でも特に印象的でした。描写が生々しくてもう…。
>7様
元ネタの漫画も人を選びますが面白いので機会があればぜひ。こいしちゃんは可愛いですよね。
>9様
こいしちゃんちゅっちゅ
>愚迂多良童子様
そっちはハートを奪われた方ですね。流石に筋骨隆々なこいしちゃんは誰得だと思います。
>11様
自分でも久しぶりにしっくりくるタイトルになったと思います。普段は結構悩むので…。
>12様
怖さと可愛さが同時に存在しているからこそのこいしちゃんなのです。
>がま口様
ティキぽんも確かに似たような事をしていましたね。あちらはむしろゆかりんがぴったりなイメージです。
びくんびくんこいしぃ
>22様
冒頭注意すべきか悩みましたが、タグの方が色々都合がよいかなと判断しました。でもやっぱり失敗したかな?
そしてやっぱりこいしちゃんは可愛いですよね。
>23様
後で気がついてくれた方もいて嬉しい限りです。いや、気がつかない方が幸せだったのかもしれませんが。
>25様
さとりんはこういう物理系の行動は苦手そうなイメージ。むしろお燐が得意そうです。猫だし火車だし。
>27様
大丈夫、それは真実なので正常です。正常なのです(強調)
>29様
こういう内容は初めて書いたので面白いと言っていただけると嬉しい限りです。
>32様
そのイメージをする方もいて安心しました。あの歌のインパクトは絶大すぎますよね。
>33様
ベリーメロンな夢だったら完全ギャグに終わっていたのに、何故こうなったしと自分でも不思議です。
そしてその覚悟に敬意を表します!
>34様
いやいや、そこは恐怖に震えるところですから!(褒め言葉)
>電動ドリル様
そのキュートさにホイホイ釣られた結果がこれだよ!
奪ったハートは大切に保存しております。お燐が塩漬けで。
それでは、読了&評価&感想ありがとうございました! by 橙華とっつぁん