「ちょいとなー、ちょいやさー、やっとなー」
どこまでも透き通る青の、晴れ晴れとした空のもと。
まばらな雲が穏やかな太陽の光を反射して白く輝き、地上に光が降り注ぐ中。
一人の妖怪が木陰に隠れて、陽気な声をあげていた。
自身の身長近くもあろうかという気味の悪い紫色の傘を揺らして楽しげに踊っていた妖怪は、風が葉を揺らす音に動きを止めた。
そっと、木に手を当てて顔の半分だけを覗かせ、様子を窺う。
妖怪の視線の先にあるのは、木々の立ち並ぶ中にある、一本の細い道だった。
息を潜める様にして、遠く道の先を眺める妖怪は、ふぅ、と息を吐いて、木に背を預ける。
大きなひとつ目と長い舌の垂れる傘に顔を向けて、もうひとつ、可愛らしい溜め息を吐いた。
「人、来ないね」
言葉の内容からするに、この妖怪は人を待っているらしい。
特定の誰かではなく、単に、人。
んー、と困り顔になって、上目づかいに空を見やる妖怪。
水色の、糸よりも細い髪が風にさらさらと流れる。紅と水色からなるオッドアイが、影にいてなおキラキラと輝いていた。
薄水色のワンピースに、白い長袖。素足に下駄。
妖怪は、年端もいかぬ少女の姿をしていた。
そして、姿相応に愛らしくうなる。
こてんと首をかしげて、眉を寄せ、小さな口をとがらせる。
暫くそんな顔をしていたが、緩慢な動作で傘を掲げて、それからゆっくりと隣にたてかけた。
でろんと垂れている舌を手に取ってふにふにと揉みながら、あー、と声を漏らす。
「ねぇ、からかさ君。暇だねえ。暇だから、人を驚かす練習でもしよっか」
傘が、揺れる。それを『良し』ととった妖怪は、傘を手に取って開き、ぱっと道に飛び出した。
「だだーん!いきなり飛び出て小傘さまだー!どうだ、参ったか!!」
木々が、苦笑を漏らすかのようにざわめいた。
それが、彼女が人を待つ理由が『人を驚かす為』だからなのか、それとも『驚かせ方があまりにも稚拙』だからなのかは、わからない。
何の反響も返ってこないことに、勇ましい笑みを浮かべていた顔を途端にさびしげな顔に変えて、項垂れる妖怪。
いや、ここからはしっかり『小傘』と名前で呼んでやろう。
小傘はとぼとぼと木の影に戻り、傘を閉じて、眼前へやる。目を合わせて、「これじゃ駄目かな……」と呟いた。
それから木に背を預けて、空を見上げる。
「どうすれば驚かせられるかなー」と呟いているのを見るに、人を驚かす方法を考えているのだろう。
傘をきゅっと抱いて、うなる小傘。
時間にして約二十分弱もの時間が流れ、ようやっとその頭上に、ぴこん!と豆電球が光った。
「あの花の妖怪の真似をすれば、驚かせられるかな」
名立たる妖怪の一人の威光を借りようというらしい。
さっそく小傘は目をつぶって、花の妖怪の姿を思い描く。
大人の女性の妖艶な笑み。白い傘を後ろ手に持つ、静かなたたずまい。
それから、長く生きる妖怪特有の、滲み出る気迫。
思い描いたままに、小傘は真似をする。
傘を後ろ手に持って、ぴしりと無い胸を張り、妖艶……かは甚だ疑問に思える笑みを浮かべる。
そこでふと、動きが止まった。
台詞は、どうしようか。
うーんとうなる。何か、人を驚かせられる一言。
インパクトのある一言……うーん。
しばらくうんうん唸ってみれば、またも小傘の頭上に豆電球が出現して、光った。
これだ!と思える言葉が見つかったらしく、輝かんばかりの笑顔になる小傘。
こほんと空咳をひとつして、精一杯の『怖い顔』をする。
……どこからどうみても拗ねている様にしか見えない顔だが、ここは怖い顔ということにしておこう。
すっと鼻から吸った空気を、緩く口から吐き出して、小傘は頷く。
「………、まずお前から血祭りにあげてやる」
そう言って、ぶるりと身を震わせた。
花の大妖がその台詞を口にするのでも想像したのだろうが、いやに筋肉質な巨漢の男の姿を花の妖怪に重ね合わせるのはどうかと思う。
あれでも花も恥らう乙女である、と。
まあ、たしかに怖そうではある。
ひととおり身震いした小傘は、気を取り直すように頭を振って、からからと笑い出した。
「んぅふふ。これなら、どんな人間だって肝を潰すに違いないね!」
その言葉に反応するように、小傘の手から伸びるからかさがその身を揺らす。
「え?これじゃあ、足りないって?……そうかなぁ。……うん、そうだね、もっと考えて、万全にしないとね」
小傘の声を受けて、再びからかさが揺れる。
小傘は満足げに頷いて、思案顔になった。
からかさは、未だに揺れている。……よく見てみれば、単に小傘自身が揺らしていただけのようだ。
傘を人形にでも見立てているのか、微笑ましい限りである。
かくりと、小傘の頭が傾いた。むにゃ、と口を動かして、ゆるゆるとあげた腕で目をこする。
このぽかぽかとした陽気にあてられたらしく、ふらふらしながら木陰に戻っていった小傘は、ぺたんと座り込んで木に背を預け、目をつぶった。
お昼寝タイム、らしい。暢気なものだ。
ΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦ
さて、日も暮れ始めた頃に、小傘は何かの動く気配に目を開いた。
寝ぼけ眼をゴシゴシとこすりながらゆっくりと立ち上がって、ちょいと木のかげから顔をのぞかせる。
誰もいないのを見て取って……くぁ、と大あくびをした。
むにゃむにゃと口を動かしつつ、不意にふわりと浮き上がる。
手に持つからかさを開いて肩にかけ、ゆらゆらと前後に揺れながら、暗くなっていく空へとのぼっていく。
冷たい風が小傘のほおをなぜていった。
少しばかり目が覚めた小傘は、遠く山々に沈む夕日を探して首をめぐらせた。
おう、あれだ。
オレンジ色に焼ける日をしっかりと瞳に映して、小傘は想う。
何を?といえば、単に、きれいだなーとか、あのきれいさはどうしてなにか…とか、目の前の光景に関係のあることから、最近の人間は実に……だなんて、あまり関係のないことを想っている。
思うではなく、想う。夕日の光に染まってものを想う小傘には、そちらの言葉のほうが似合っているように思える。
月が完全に沈み、夜が訪れた。
むふ、と息を漏らした小傘は、さっと地面に降り立ち、うおー、と両腕を振り上げる。
振り回されるからかさの、でろんと垂れている舌が小傘の頬を打った。
「夜は、我らの時間ぞー」
気にせずに、小傘は声をあげる。叫ぶでもなく、かといって小さな声でもない。
そんな微妙な声量で気合を入れた小傘は、人が通るのを待つために木陰に戻ろうとして……
何かの気配に、足を止めた。
二度目。流石の小傘も、何かいる、と感付いた。
しかし、見回せど木々と道しかなく、人っ子一人どころか、妖精やら妖怪、幽霊の姿さえない。
ざわざわと木々がざわめく。
風によるそれとは違う、不気味な合唱。
夜に生きる妖怪であるはずの小傘でも、なんとなしに肩を抱くほど、不安を掻き立てられるものだった。
お、お、おちつけわたし!こんなときこそれーせーに……!
ぶんぶんと頭を振って、思考に耽りだす小傘。
人、それを現実逃避という。
最近の人間ってあれだよね、ほんと驚かない。何をやっても驚かない。
夜半に足を引っ掛けて転ばせても驚かない。というか、説教までしてくる。
説教なんて閻魔様だけで十分なのに。
そういえばこのあいだ閻魔様に会った時に粗相をしちゃったんだけど、
「ずっとそのままの貴女でいるように。それが、貴女にできる善行です」
って、熱のこもった目で言われたなー。躓いて押し倒しちゃったのに、怒られなかったんだよね。
当たり所が悪かったらしく、鼻血がどばどば出てたのに。
でもあの時、本来人間以外からとることが難しい、驚きエネルギー略しておネギがたっぷりとれたんだよね。
またあーいうこと起こんないかなー。
あー、そーいえばお腹空いた。朝から何も食べてないよ。
早く誰か来ないかね、こーい、人、こーい。
くそー、おなかすいたおなかすいたおなかすいたー!!!
『現実逃避』という言葉も裸足で逃げ出す逃げっぷりである。
もう、何かの気配を感じたことも、不安になったりさびしくなったりしたことも忘れたのだろう。
それはともかくとして、傘ごと両腕を振り回して地団太を踏み始めた今の彼女には、
さしもの花の妖怪でさえ近づきたくなくなりそうな雰囲気があった。
ああ、もし彼女に声を掛けることが出来るのなら、「みっともないからおやめ」と、
そう言ってやりたい。
暫くの間、夜の闇に地を踏むどしどしとした音が響いていた。
やがてその音がやめば、かわりに聞こえてくるのは、ぜー、はーと苦しげな呼吸音。
荒く息を吐いて口元を拭った小傘は、「おなかすいたー!!」と叫んだ。
ついでに傘を掲げ、「からかさフラッシュ!!」といきなり傘を発光させる。
とくに意味の無い行動だった。いうならば、腹いせからくる行動。
「きゃっ!?」
と、小傘の後ろで悲鳴があがった。次いで、おネギが発せられる。
「む!何かよくわかんないけどいただき!!」
すかさずおネギを手に入れる小傘。
おネギの質が良かったのか、小傘は満足げにお腹をさすった。
それからふと、誰を驚かしたのかが気になって、後ろに振り向く小傘。
声からして、若い女性だろうか。
そう思う小傘の視界の端に、スカートの端っこが引っ込んでいくのが見えて、小傘は
そちらに顔を向けた。
しかし、そこには誰もいない。
いや、強いて言うならば、一瞬空間が歪んでいるように見えたのだが、小傘はそのことを見間違いだろうと切って捨てた。
小首を傾げて、それから、傘を掲げて浮かび上がっていく小傘。
「んぅふふー。満腹満腹、余は満足じゃー」
目的は達したので、ここから離れることにしたらしい。
淡い月明かりにてらされて、小傘はふらふらと夜の空の向こうへと飛んでいく。
そのさなか、小傘は振り向いて、ぶんぶんと手を振った。
その姿はまるで、『さよーならー』とでも言っているようである。
しかし、もしそうなのだとしたら、一体誰に向かって手を振っているというのだろうか。
小傘は手を振るのをやめ、再び向こうの空へと飛んでいく。
……明日も小傘がおネギにありつけますように、とでも祈っておいてやろう。
余談だが、あの小傘はボクっ娘である。
さいごのとこ悲鳴の感じから鈴仙を想像してました。
最後の悲鳴が紫だと気付いたらまた最初から読み返してしまった。