地霊の祭りが終わってから少し時を置いた頃。
一体祭りが何だったのかは、地底に棲む土蜘蛛、黒谷ヤマメのみが知る所だが、一般的には守矢の神が何かをして、地底の烏が暴走した、と言う事で通っている。
博麗神社にその副産物として温泉が湧いたが、参拝客が増えると言う事も無く、幻想郷はいつもの空気を保っていたのである。
とは言え、環境がほんの少し変化したのも事実で、第一に地上の妖怪とかつて交わした約束は緩み、地下で暮らしていた妖怪達は再び表に出てくるようになった。
地下に棲む妖怪達は元々忌み嫌われて隠遁した者達が多数を占めるが、基本的に妖怪とはそう言うものである。
そもそも妖怪とは人間に様々な警告を与える為の存在で、座敷童や金霊(かなだま)等、人間に益をもたらす存在と言うのは意外と少ない。
八百万の神と同じで、『畏れ奉りますから、どうか我々に何もしないで下さい』と言った存在が多数派だったのである。
そんな事情もあるから、今更妖怪が多少増えた所で、幻想郷の人間は普段と変わりが無かった。
博麗大結界ができた事により、人間と妖怪の付き合い方も、変化していた事。ただ妖怪と言うだけで忌み嫌われる時代は終わったのだ。
拍子抜けしたのは地底の妖怪で、地獄鴉の所為で再び迫害を受けるのかとビクついていた地底の妖怪は、今の地上が割と自由な気風で、妖怪に対してある種の敬意を持つ事を知り、地上の妖怪や人間達とも交流を持つ者が出て来た程だ。
先の騒ぎで封印が緩んだ瞬間を好機と悟り、ガラクタだと思われていた船に乗って飛び出していった舟幽霊に入道使い、それをコソコソと尾けて行った正体不明の妖怪もいた。
胡散臭い妖怪に監視されているかも、と言う条件こそつくが、出るのは自由だし、まがりなりにも旧地獄であった地底奥深くまで入って来れる者は少ない。
地底の妖怪達にも、地面の下で鬱屈した時間を過ごす必要が無くなったと喜ぶ者が、少数だが確かに存在した。
「と言う訳で私らは自由の身だよ、パルパル」
「何が『自由の身』よ。もうここに橋も渡しちゃったし、軽々に動けるもんですか」
「いつでも地上に行けるってわかっただけでも気分が違うよ、今度遊びに行こう。いつまでもジェラシックパークに引きこもってちゃ健康に良くない」
くだんの『祭り』と謎の発言を残していた土蜘蛛、黒谷ヤマメと、旧都に程近い縦穴に橋を渡した橋姫、水橋パルスィの会話である。
ごつごつした岩肌に渡された橋の真ん中で欄干にもたれつつ会話している二人だが、パルスィとそんな態度で会話ができる妖怪は、ヤマメとあと数名しかいなかった。
普段からパルスィはその持ち前の負の感情を撒き散らしているし、隠すつもりも無い為、基本的に友人は少ないのである。
彼女は地上と地底の行き来を行う者を見守っている心優しい妖怪でもあるのだが――その事を評価してくれる者はあまりいない。
楽しそうに行き来する者には『何となく妬ましい』で敵対行動を取る事もあるからだ。
橋姫の橋付近を通過する際は、なるべく沈痛な表情で今にも自殺しそうな雰囲気をまとわないと危険だ、と地底の妖怪の間では認識が一致している。
ちなみにヤマメの発言は『ジュラシックパーク』ならぬ『ジェラシ』ックパークである。勿論、冗談のつもりで悪気は無いし、イヤミでも無い。
ヤマメの能天気とも言える明るさとその発言に、パルスィは並みの人間ならその眼力だけで死に至りそうな視線をヤマメに向けて言った。
「あのねぇ、私らは妖怪だから忌み嫌われたってのもあるけど、何よりその性質が嫌われてたんだから、ちったぁ自重しなさいよ」
「んー、まあそうだね。でも別に私は『地上を瘴気で汚染してやる、ゴワッハハハ』とか考えて無いし。約一名そう言うのがいたけれども、改心したみたいだ」
「鳥頭に物事の善悪なんか区別つかないわよ。ああ言うのは改心じゃなくて変節って言うの」
パルスィは旧都の中央、地霊殿の方角を睥睨しながら剣呑な台詞を憂鬱そうに吐いた。
件の地獄鴉の増長により、火車が地上の退治屋を呼び込んだ時、静かだった地底は普段では有り得ない程の喧騒に包まれた。
そして次に上方、つまり地上まで続いている風穴に視線を移して、恨めしそうに言った。
「で、その変節漢……変節鴉と主人がどこかに出かけたみたいだけど?」
「鴉は何とか言う神社に行くみたい。星熊の姐さんも久々に山を見に行くとかでついてったよ。さとりんは妖怪の偉い人と話をしに行くとか言ってたけど……何だパルスィ、羨ましいのん? やっぱり地上に出てみたいんじゃん」
「じゃん……おかしな喋り方はよしなさい」
地底と地上の約定を預かる、地霊殿の主と鬼が揃って地上に出ても良いのかと言う疑問よりも、ヤマメの言葉遣いにパルスィはツッコんだ。
「話を逸らしてもダメじゃん。素直になろうじゃん」
「何語よ?」
「悲しみの言語。友人が鬼面みたいな表情をしながら妬み僻みでやりたい事もできないなんて――」
鬼面、と評されたパルスィの名誉の為に言っておけば、彼女は地底でも屈指の美しさを誇る。
パルスィが無言で懐から五寸釘と舌切り雀が由来のハサミを取り出すと、ヤマメは慌てて話題を変えようとした。
が、パルスィはそんな時間を与えず、即座に欄干に五寸釘を打ち込み、行き場の無くなった呪いを弾幕に変えてヤマメに撒き散らした。
これは呪う対象がいない、もしくは相手が防御策を持っていた場合に起こる呪詛返しを利用した弾幕であるが、パルスィは少し離れた所に避難していた。
「わナバばバババババ」
至近距離でモロに呪詛に巻き込まれたヤマメは、おかしな悲鳴をあげ体中を掻き毟りながら、のた打ち回った。
直接呪うより陰湿であるが、これはこれでコミュニケーションとして成立しているのが、彼女達の恐ろしい所でもある。
地上に続く縦穴付近に棲む妖怪や妖精は、この二人のやり取りにはついていけないと述懐するが、それだけ彼女達の関係が不可侵の物である事が伺える。
ほうほうの体でヤマメが、
「それ以上いけない」
と言うと、パルスィは嘆息し、ハサミをしまい込んで偽者の自分を作り出す事を中断した。
少し捻くれてはいるが、彼女は心優しい妖怪なのだ。
そして思い出したかの様に、別の話題を口にした。
「しかし、例の騒ぎで封印された連中も解き放たれちゃったみたいね」
「舟幽霊と、入道使いの…名前は忘れたけど、そいつらが地上に出ちゃったよ」
パルスィもそれは見た。縦穴を地上へ向けて発進して行く船が一隻。
その後方を尾けて行った正体不明の発光体は、おそらく鵺だろう。
「斬新なオブジェだと思ってたけど船だったのね、あれ。ま、別にあいつら酷い奴じゃないし、外に出ても問題ないんじゃない?」
「さっき、自重がどうとか」
「あんたは性格が醜いから」
「私の美しさと明るさを妬むのはわかるけど、そこまで言う事ないと思う」
「それは被『愛』妄想と言う奴ね。精神衛生には気をつけなさい」
「これだから妬まシックシンドロームは困る」
パルスィは花咲か爺さん由来の灰を出現させ、美しい笑顔で告げた。
「表へ出ろ」
水橋パルスィは心優しい妖怪なのだ。本当に。少々短気ではあるけれども。
旧地獄に通じる風穴の入り口付近が、ヤマメの住まいであり、遊び場でもあったりする。
彼女は割と力のある妖怪で、それを見込まれて旧都に住まないか、と常々言われているのだが、それらは全て断っている。
どうせ酔っ払いの代わりか使いっ走りみたいに扱われるのは容易に想像がつくし、何より地底なんて辛気臭い所に住んでいると、時折蒼穹や季節の風が恋しくなる物で、ここならば少しの労力でそれらを感じる事ができるからだ。
ヤマメだって、ただ陽気なだけの妖怪では無く、地上にいた頃を思い出して感傷に浸ったりするのだ。
風穴の入り口で岩壁に寄りかかって、頭に咲かせられた桜の花びらを散らしながらボーッと空を眺めているのは、頭が可哀想な者に見えなくも無い。
近所の妖精や釣瓶落としも、奇妙な姿で呆けている彼女に話しかける度胸は無かった。
その横手からヤマメに近づく影が一つ。ヤマメは目線だけをそちらにやって話しかけた。
「毎度ご苦労さん……ってあれ?」
既知の人妖であるかの様な振舞いをしたのは、最近地底に作られた『間欠泉センター』とやらにやってくる者かと思った為である。
点検維持に神様や河童が、挨拶には緑色の頭髪の巫女っぽい装束の人間が。
今やって来た者も緑色の艶やかな髪の色だが、日傘を差しており、少々様相が違う。
いつもの巫女(?)さんは愛想の良い笑みで、「ウチの神様のご利益は宇宙一」と言うのを体中で表現しているが、今ヤマメの眼の前にいる女性はアルカイックスマイルを顔に貼り付けており、尋常では無い雰囲気を纏わせている。
地霊殿の主なら別だが、このアルカイックスマイル(彫像の笑み)と言う微笑、感情の動きがさっぱりわからないし、見る者が見れば恐ろしさすら感じる物だ。
仏像を見れば理解できると思われるが、信徒にとっては慈愛に溢れた微笑に、敵対者や悪鬼から見れば底無しの黒い笑みに。
彼女からはどちらの感情を持って微笑しているのかは不明だが、ただ、得体の知れなさだけは良く分かる。
「東風谷某さんのご姉妹で?」
ヤマメは同じ髪の色だからと言う短絡的な理由でそう尋ねたのであるが、返事は無い。
春風駘蕩と言った立ち居振る舞いを崩さず、変わらぬ微笑でこちらを見つめている。
信じられぬ程優雅で美しいが、そう言った物ほど注意しなくてはならない。
外から流れ込んで来た漫画本にも、その様な台詞があったはずだ。
「珍しい花を咲かせているわね」
微笑みを崩さずに女性が言った。
パルスィの妖気が抜けるにつれ、ほとんど散ってはいるが、ヤマメ自身から咲き乱れる桜の話である。
桜自体はそう珍しい物でも無いから、彼女はその異常性、と言うか花が妖気の塊と見抜いたと言う事。
なんだ、妖怪か、とヤマメは思った。
それは良いとして、ここは地底への入り口、使い古された言い方をするならば、「ここは地獄の一丁目」だ。
最も、既に地獄は移転してしまったけれども。
そんな場所に一体何の用があって、ここにいるのか?
「どちらさま?」
ヤマメは些か緊張しながら言った。
言葉の端に少々殺気も交えてみたが、相手はその微笑を一向に崩そうとしない。
只者でない事は想像がつくが、一体何故こんな所に、そして何故そこら中にいる妖精、妖怪の中でも自分に話しかけたのか。
「中々綺麗に咲いているけれど、陰鬱な気配がプンプンするのが玉に瑕かしら」
「いやいや、私の事は? 以前も独り言の多い人間が来たけれど、さすがに私を無視して花とお喋りはちょっと」
そこまで言っても、女性は聞いているのかいないのか、ヤマメに咲いた桜が散るのを見つめていた。
奇妙な図である。桜の花に侵された土蜘蛛と、それを笑顔でじっと見る女。
自分の質問は無視されるので、こちらからも無視してやろうと思ったのだが、女性は最初からヤマメの事など歯牙にもかけていないらしく、桜が散ったのを見届けると、さらに奥へ足を踏み入れた。
「ちょちょ、ちょっと」
さすがに驚いたのは仕方が無い。ここから先は本格的に地霊の住処である。
そこまで辿り着けるとも思えないが、途中にはパルスィだっている。
この笑顔で歩みを進める限り、パルスィの感情を逆撫でするのは間違い無い。
ヤマメの脳裏に、「その笑顔が妬ましい」と難癖をつける橋姫の姿が浮かんだ。
「姐さん、ここから先は立ち入り禁止だよ」
命の心配をするならば、と言う話である。
命が惜しく無いなら、むしろ歓迎される様な場所であったが、ヤマメは命を奪う側の癖に、奪われる側に対して躊躇と言うか、慈悲と言うか、よくわからぬ感情を持っていた。
暗い洞窟の明るい網、と呼ばれる所以はそこにある。
どんな能力を持っていようが、どんな嫌われ者だろうが、分け隔てなく接し、最終的には友人になってしまう。
紅白の巫女が、外から妖精をなぎ倒しながら飛び込んできた時も、「拒みゃしないから楽しんでお行き」と声をかけた位だ。
ヤマメのそのスキル、と言うか性格は生来の物で、マネしようと思ってもできる物では無い。
地霊殿の主を「さとりん」呼ばわりし、水橋パルスィと友好関係を築けているのは彼女くらいだ。
別のベクトルでその二名と交友がある人妖で、細かい事を気にしない酔っ払いがいるが、そちらは鬼である。
代表者からして根暗っぽい妖怪なので、そう言った妖怪は地底には貴重だ。
仕方が無いので、ヤマメも女性の後をついて行った。どうせ退屈だし、何かあれば取り成してやろうと思ったのだ。
しかしいくらヤマメが話しかけても相手は無言で斜め下への傾斜路を歩き、断崖を飛び降り、日傘を差したまま底無しの暗闇へ降下して行った。
我が道を行く、と言う言葉を知らしめる様に、微笑も優雅な態度も崩さない。
妨害がまるで無いのもおかしな話だ。普段なら、ちょっかいを出してくる妖精や妖怪に出会う気配が無い。
地霊達は基本、能動的に地上の人妖と出会う事は無いから、外から来る者には敏感なのだ。
自分も何者かが風穴に立ち入った場合、警告の意味も含めて下から岩を投げまくったりするからわかる。
当の妖怪は、自分より先行している為、日傘の頭しか見えない。その下では未だに微笑を貼り付けているのかと思うと、ヤマメは気味が悪くなった。
気持ち悪さを払拭する為に話しかけてみる物の、相変わらず徹底的に無視なので、余計に気持ち悪い。
最初に話しかけられた(?)時に、桜について言及していた事を思い出して、隣を降下している日傘の妖怪に、ヤマメは再び話しかけた。
「そういや、桜に興味深々だったね。花が好きなの?」
日傘の中の気配が、始めて揺れた、気がした。
「でもこんな地底に花なんか咲いて無いよ? まあ、私がこの陰気な地底に咲く一輪の花だと言えない事も無いけどさ」
「それはさっきの桜の事?」
ヤマメはおや、と思った。まさか本当に返答があるとは思わなかったのだ。
彼女は本当に花にしか興味を持たず、その為にここまでやって来たのだろうか?
「あれは私の連れが咲かせた桜さね。褒美を受け取った爺さんへの嫉妬に狂った隣人が持ち出して、無礼打ちにされちゃうけど」
「シロが咲かせた桜、と言う事ね。本物かしら?」
「いんや、その話を元にして考えた、決闘用弾幕の弾っつってた」
「あの妖気はそう言う事。これは来た甲斐があったかしらね」
花なら何でも良いのか、とヤマメは思った。
「あー、何か花を探しに来たの?」
「そうね」
「え? 本当にそうなん? 何の花?」
「地底なら珍しい花が咲いているかな、と思ったの」
「その為だけに地底に行こうとは見上げた姐さんだな」
「散歩みたいなものよ」
「元は地獄に通じてる場所だってのに散歩か、気に入った。名前は?」
妖怪は、傘の下からヤマメをしばし見つめてから、
「幽香」
とだけ言った。味も素っ気も無い言い方である。妖怪――幽香は再び下方へ視線を落とした。
一体どれだけ地下へ降りた物か、並の人妖ならば感覚が無くなって来ている頃。
暗闇の中、岩壁と岩壁の間に橋が渡されている場所。
水橋パルスィの領域である。
降下速度を落とし、緩やかに、優雅に、幽香はその橋に降り立った。
続いてヤマメが着地する。
「さっきの桜を私に叩き付けた奴がここにいるはずなんだけど」
「これは橋姫の橋」
「おや、よくわかったね。バカ正直にここに橋がかかってるのは、この縦穴そのものが旧都までの架け橋って目印みたいなもんさ。つまり地下への入り口は橋の端を意味している……なんちって」
「それはそれは」
幽香はほとんど抑揚のない口調で言った。
こうなるとその微笑は相手を小馬鹿にしているとしか感じられない所だが、それを感じさせないのが幽香の気品であり、またそれを気にしないのがヤマメの美点である。
「しかし、さっきまでいたんだけどなー。買出しにでも出かけたのかね」
ヤマメの話では橋から下の空間、旧都までを繋ぐ穴がパルスィの本来のテリトリーと言う事だが、四六時中ここにいる訳でもないらしい。
それだけ聞くと、幽香は橋の主がいないのならば用無しとばかりに、橋から飛び降り、再び自由落下に身を委ね、ヤマメもそれを追った。
それから程なくして、地下だというのに日傘を差した妖怪と、土蜘蛛と言う珍妙なコンビは旧都に姿を現した。
朽ちた長屋や外壁が立ち並んでおり、破れた提灯が商店の軒先から垂れ下がっている。
廃村の様な風景だが、その見た目に寄らず、旧都は意外に賑わっている。
風呂敷包みを抱えている者、酒を飲んでくだを撒いている者等、行き交う者も多く、閉ざされた空間に住まう者達とは思えない活気だ。
有名な、旧地獄街道である。
通行人は最初こそ傘を差して歩いている幽香に怪訝な視線を向けたが、地底に来る妖怪にはそれなりに事情があるのが普通だ。
少し変わった新参が来た、程度の反応で、詮索をしようとする奴はいない。
地底くんだりまで地上には無い珍しい花が咲いていないかを確認しに来た、と言うのは想像の埒外ではあるが。
雑踏を行く内に、幽香が路地の端に歩みを向けた。
花売りがそこにいた。
見も知らぬ、と言うか、もはやどんな種の妖怪だったのかもヤマメは忘れてしまったが、割と新参では無かったかと思う。
花売り、と言っても隠喩では無く、少女の姿をした妖怪がカゴ一杯に本物の花束を詰め、売り歩いているのだ。
地底で花を売る、等と言う商売をしている者は、今の所その少女以外にはいない。
少女は雑踏に向かって、
「お花買ってくださーい」
と声をかけている。
最も地底と言う場所柄、花がそう簡単に手に入るはずも売れるはずも無く、散る寸前の様な花もある。
花がかろうじて生きているのは、その栽培方法か、もしくは取得後の世話が良かった為だろう。
幽香はそれに近づいて、一通り品定めをした。
「悪く無いわね」
それだけ言うと、貨幣を親指で弾き、カゴの中に落とす。
代わりに一輪の枯れかけたスノードロップを手元に引き寄せ、何やら精神集中を始める。
一体何を始めるのかと思いながらヤマメはそれを見ていた。
すると幽香が手に取った花が、乾いた様な姿から咲いたばかりの様に瑞々しく変貌して行く。
花に生命力が再び戻ったのである。
ヤマメは酷く驚いた。
花が蘇った事ではない。妖怪ならば、色々な能力を備えていたりするから、その位の事ができても「ふーん」で済ませられる。
彼女が驚いたのは、幽香が自分や他の者に向けていた頑なとも言える無味乾燥な微笑が、本物の慈愛に変わったからだ。
感情も感慨すらも到底押し量れなかった微笑から、信じられぬ程の暖かさを感じるのだ。
本心を隠すのが上手い妖怪だと思っていたが、どうやら興味が無い事には只々無関心であっただけらしい。
これは本物だ、とヤマメは感じた。
もしヤマメが外の文化を知っていたなら、彼女を『花オタク』もしくは『フラワーマニア』等と呼んだかもしれない。
幽香は蘇った花を再びカゴに戻し、花売りの妖怪は驚き、恐縮した。
お金を貰っているのに、売り物を蘇らせてくれて、尚且つ再び自分の元に戻してくれたのだ。
売る側としては、お客にそこまでしてもらって良いのか?と言う感想を持つ。
「中々素敵な花だったわ」
優しく囁いて幽香はきびすを返した。花売りの表情は紅く染まっている。
「やるねぇ」
ヤマメは二重の意味で言った。
確かに、あの美しい顔と流麗な所作で気障極まりない行動、同姓(?)と言えども、相手の心を掴むのは容易い事であったろう。
本人にその気が無くとも、だ。
それと、花を再生させた事である。
春告精が通った後は、春の草花が一気に活性化する事は一応知っているが、あれは季節限定だ。
花を即時蘇らせる等と言う能力は余りお眼にかかった事は無い。
何という平和的な能力だろう。
そう思っていると、幽香は再びその微笑でヤマメを見つめ、ヤマメも少し照れながら笑顔を返した。
何か得体の知れないフェロモンの様な物を出しているのか、それとも、その美しさに心を奪われたのか。
花に対して悪い感想を抱く者は少ないだろう。不吉だ、とか不気味だ、と断ずる事はあっても醜い、と言われる事はほとんどあるまい。
誰しもが綺麗な物、美しい物の比喩として花を扱う。
『花の様な笑顔』と言うが、幽香の微笑はまさにそれで、性別、年齢、立場全てを超越した物がある。
いつもヤマメが駄弁っている水橋も美しい。
しかし、こちらは逆らい難い魔力と言うか、それ故にあえて触れてみたい、と言う怪しい魅力も兼ね備えているのである。
雑踏を行く妖怪達も幽香の姿に気をとられ、足を止めてしまう者がいる程だ。
「お眼鏡に叶うモノはあった?」
「まあまあ、ね。でも」
「ん?」
「この地底で、あんな商売をしている者がいるとはさすがに予想してなかった」
幽香は再び歩き出しながら言った。
ヤマメは、なんだそんな事か、と前置きして言った。
「ユウカみたいな奴がいるからさ」
幽香はそれがどうした? と言う風に眉を寄せた。その表情すらも悩める彫像の様に怪しい魅力に満ちている。
「私みたいな妖怪がそんなにいるとも思えないけれど」
「うん、まあ、いない」
「じゃあ何でそんな商売を?」
「客の数が問題じゃないって事だね」
ヤマメは指を可愛らしく幽香につきつけながら大仰に言った。
「そこで例えば、酔狂にも散歩で旧地獄跡までやって来て、地底でそんな商売をしていると知っただけで喜んでくれる人妖が一人でもいたら、雑貨屋も食堂も地底で花を売り出すだろうさ」
「売れないとしても?」
「売れないとしても」
幽香は再び微笑し、誰に話しかけているのか、遠い眼をして言った。
「幻想郷は全てを受け入れる。地底でもその則(のり)は生きている。耳障りの良い努力目標でも感傷でも無く、それこそが真理だと言う事かしら」
「ちょっと何言ってるのかよくわからないですね」
ヤマメが即座に茶々を入れたが、相手は春うららと言った態度だ。
ついついパルスィにやっているのと同じノリで、言葉を放ってしまったのだが、やはりと言うか何と言うか、幽香は気にする様子を見せない。
何となく気まずくなったヤマメは、似合わぬ生真面目な調子で口を開いた。
「まあ、地底に『花が好き』って妖怪がいない訳じゃない。私の連れの橋姫だって桜に関係する弾幕を使うし、地霊殿――地底の代表者が住んでる所があるんだけど、そこに住んでる妖怪も花を基調にした弾幕を使うよ。確かこんな感じで――」
ヤマメの手が、花の形を描こうとするが、中空に指で描いたのではどうにも要領を得ない。
日傘を差した美貌が口を開いた。
「花の名前は?」
口をモゴモゴさせて、ヤマメは首を捻る。
頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでいても不思議ではない。
「おかしいな。知らないんだ。妹ちゃんの弾幕は割と何回も見たのに名前を知らない」
「花は見て愛でればそれで良いわ。名前を知らなくても、それだけで花は喜ぶ」
「そりゃそうかもしんないけど。だけど、気になる。知ってたら教えてよ」
幽香は上着のポケットから種を取り出すと、再び精神集中を行う。
すると刹那の間に美しい花が一輪、手の中に出現した。
「これでしょう?」
幽香は花を差し出しながら微笑んだ。
花を蘇らせるだけでは無く、種から花へ。見た訳では無いが、逆も可能なのだろうと思う。
彼女の能力は戦闘には向いていないかもしれないが、自然界の生命を意図的に弄くる事ができると考えると中々に恐ろしい。
例えばそれが、人間等の生き物だとしたら。
幼子を瞬時に成長させ、老人に活力を取り戻し、或いはあっという間に老化させて命を散らせる。
今の所その能力は花にのみ作用しているが、もし生命ある者全てにその能力が及んだらと考え、ヤマメは寒気を覚えた。
しかしながらその考えは外れており、幽香の能力は『花を操る』に留まっているのだが。
ともあれヤマメは花を見て、口を開いた。
「そうだ、それそれ」
「『そうび』と言う花よ」
「そうび」
「そう、『薔薇(そうび)』よ。ローズと言えばわかるかしら。和名では薔薇(バラ)とも言う」
首を捻っていたヤマメはパチンと指を鳴らし、成る程と言う表情で頷いた。
「そうだ、『サブタレイニアンローズ』だ。そうか、薔薇か」
「名前もたまには役に立つみたいね」
ヤマメが薔薇に眼を奪われ陶然としていると、さらに幽香は続けた。
「地下に隠された薔薇……ね。薔薇の花言葉は『愛情』『内気な恥ずかしさ』等。『秘められた恋心』と言う隠喩なら、良いセンスだわ」
「あの子は無意識で何も考えずに名前つけちゃったっぽいし偶然じゃないかなぁ」
「花は散った後、土に還る。その土の下で再び咲き誇る薔薇。もの凄い無意識ね。まあ、誰がどんな弾幕を張ろうと私には関係ないけれど」
「あり? 見たくないの? ご希望なら案内するけれども」
「地霊殿の主、その妹は放浪癖があると聞いたわ」
「あちゃあ」
ヤマメは額に手をやり、古明地姉妹の妹の風評が地上にも広がっているのか、と呆れ返った。
どうもあの娘は何がしたいのか、何を求めているのかよくわからない。
前回の地獄鴉暴走騒ぎの時もフラリと地上に出て行って、ボロボロになって帰って来た。
妖怪の山に単独で入り込み、紅白の巫女と弾幕勝負をして来た、と聞いた時は正気を疑った物だ。
天狗に厳重に管理されている妖怪の山に地霊殿の代表者の妹が不法侵入。
挙句に鴉とは言え、神の力を取り込んだような奴を取り押さえる相手と弾幕勝負と来た。
いつか、さとりにこの事を教えてあげた方が良いかもしれない、とヤマメは感じた。
再び「覚」と言う妖怪に大しておかしな噂が広まったら、その妹は今度こそ再起不能な精神的ダメージを負うかも知れぬと考えたからである。
「まあ、確かにいない時の方が多いけどさ。今日はいるかもしれない」
「無駄足は余り好きじゃない。帰るわ」
「おや、もうお帰りかい。目ぼしい所を回ったら、私が付き合ってもらおうかと思ったんだけど。暇だったし。私が勝手について来たんだけどさ」
「散歩かしら?」
「散歩さ」
「また今度地底に来る事があったら、付き合っても良いわ」
ヤマメは幽香にニカっと笑いかけた。誰もが気持ちの良い笑みだと思わせられる笑顔である。
幽香が苦笑するのを見て、ようやくマトモに相手をしてくれるようになったか、とヤマメは何とはなしに満足した。
ヤマメからすれば、ここまでくればもう友人一歩手前なのである。暗い洞窟の明るい網、黒谷ヤマメ。
はっきり言って幽香は一匹狼に近いタチで、その単純な力、古豪の妖怪として、近づく者は少ない。
その幽香と冗談やツッコミ有のお喋りができ、私用に付き合わせる事ができる所まで行ったら、まず間違いなく某天狗の新聞のスクープになるだろう。
土蜘蛛が一人で喋り、時折幽香が言葉を返す。
ヤマメ一人で盛り上がっているように見えるが、これでも幽香との会話を試みた事がある者からすれば青天の霹靂だろう。
そんなやり取りを続けながら、二人は再び地上へ戻る為、宙に舞った。
「それにしても、せっかく外からここまで来てくれたのに収穫が無いってのは、地底に住まう妖怪代表としちゃあ、ちっと心苦しい。実は私も珍しい花を所持しているのだよ、ユウカくん」
「あら」
ほんのわずかな変化だが、幽香の微笑が緩んだ。
ただ、傍目には変わらぬ表情で生返事を返したようにしか見えないのが、幽香のミステリアスな所を助長している。
ヤマメはそれを即座に読み取ったらしく、勝ち誇った顔で幽香に笑いかけていた。
「ふふふ、食いついたようだね。花に関しては本当に優しい、と言うか真摯だなあ。ユウカって優しい花って書くの?」
「そうだったら良いんだけど」
「何だ違うのか。それにしても本当、花の話題になると性格変わるね。最初はいきなり殴られてもおかしくなさそうだったけど、今は団子でも奢ってくれそうだ」
「それでも良いけどね」
「おっ、ノリが良くなってきたねえ。ま、礼はいらないさ。また会う事があったら、仲良くしてやってよ」
そう言って、ヤマメは風穴入り口付近で上昇を止めた。
横の岩盤を良く見ると、人間大の大きさの穴がいくつも開いている。
この付近に住む地霊達の住居になっているらしい。
そこに入り込んでしばらくすると、ヤマメは何かを手に抱えて戻ってきた。
それを幽香に差し出すと、
「じゃーん、これが私が拾った『生きている花』さ」
「花は漏れなく生きていると思うけれど」
「それはあんたと妖精にしか、わからない。だけどこの花は違うのさ」
ヤマメが花に向かって話しかける。
「うおーい、このお姉さんがお前の新しい持ち主だぞー」
本人が言った通り、妖精か幽香でなければ、この行動は徒労に終わるのであるが、ヤマメのその行動はあっさり実を結んだ。
花は何とクネクネと妙な動きでリズムを取り出した。
幽香は驚愕で眼を見開いた。
「これは……『ふらわーろっく』!?」
「おや、そんな名前だったのか。どうだい、珍しいだろう」
「機械仕掛けの造花よ。20年程前に、胡散臭い妖怪が自慢してたけど、譲ってもらえなかったわ」
「なら丁度良い。私が今ここであんたに進呈するよ」
ヤマメはその造花を手渡し、幽香の背中をバンバン叩きながら言った。
「その代わり、またいつか遊びに来ておくれ。外の連中は、人妖問わず大歓迎さ」
幽香はそのヤマメに今度は微笑では無く、本物の笑顔を返し、地上へ戻る為に飛び立っていく。
始めて心からの笑顔を見せた幽香に、ヤマメは太陽の様な花を重ねて見た。
あの花は一体なんだったか。
(忘れっぽいなあ。……まあ、今度ユウカが来た時に聞けば良いよね)
何ともおかしな妖怪だったが、これで再び退屈な毎日が戻ってくる。
「さて、また暇になった事だし、今度は何をしましょうかね」
後日、風穴に天狗の新聞記者がやって来た。
購読している『文々。新聞』の配達員である。書いた本人でもあるが。
「毎度ご苦労さん……ってあれ?」
新聞記者、射命丸は新聞と一緒に風呂敷包を手渡した。
風呂敷包みには手紙が同封されている。
「なんだいこりゃ」
「さあ、幽香さんが黒谷ヤマメと言う土蜘蛛に、新聞配達のついでに届けてくれと。私ら、飛脚じゃないんですけどねえ。でも断って暴れられたらそれこそ一大事だし」
射命丸はぶつくさ言いながら飛び立ってしまった。
何ともせわしない事である。
「おー、ユウカから。なんだろ」
風呂敷を解くと、中には先日進呈した『ふらわーろっく』に似た造花が収められていた。
もしやと思い、ヤマメは話しかける。
「おーい、もし?」
しかし反応はと言えば、何も無し、である。
ヤマメは首をかしげた。これはただの造花なのか? と。
そこで幽香からの手紙を見てみると、可愛い丸文字で一文。
『向日葵に光を与えてやるように』
「何のこっちゃ」
仕方なく造花を抱えて太陽の下に出てみると――
「あらら」
あの『ふらわーろっく』の様に、花がくねくねと動き出したのである。
幽香は以前、隙間妖怪に触発され、『ふらわーろっく』を捜し求めた事があるのだが、それはどこをどう探しても、何故か見つからなかった。
しかし、ある日太陽の畑で発見したその造花は原理こそ違う物の、『ふらわーろっく』に酷似していた。
太陽の畑に咲いているヒマワリと同じ形をしたオモチャで、光に反応して動き出すオモチャ、『フラワーキューブ』と言う似て非なる物であった。
「そうか、ヒマワリって言うのか」
ヤマメは幽香の笑顔に見た、花の名前を思い出した。
「しかし、これって私が地上に持ってってやんなきゃ、動けないよね」
幽香は無理矢理でも無く、嫌々でも無く、ヤマメ自らがに地上に来るよう仕向け招待しようとしたのだろう。
いわば、これは幽香から受け取った、地上への招待状代わりでもあった。
「別に気ぃ使わなくても陽の光くらい浴びに来るってのに……やっぱり『優しい花』じゃないか、ユウカ」
ヤマメは、再びパルスィを誘って、地上へ出てみないかと言うつもりであった。
目的は? 散歩だ。
本物の、向日葵を見に行こう、と。
一体祭りが何だったのかは、地底に棲む土蜘蛛、黒谷ヤマメのみが知る所だが、一般的には守矢の神が何かをして、地底の烏が暴走した、と言う事で通っている。
博麗神社にその副産物として温泉が湧いたが、参拝客が増えると言う事も無く、幻想郷はいつもの空気を保っていたのである。
とは言え、環境がほんの少し変化したのも事実で、第一に地上の妖怪とかつて交わした約束は緩み、地下で暮らしていた妖怪達は再び表に出てくるようになった。
地下に棲む妖怪達は元々忌み嫌われて隠遁した者達が多数を占めるが、基本的に妖怪とはそう言うものである。
そもそも妖怪とは人間に様々な警告を与える為の存在で、座敷童や金霊(かなだま)等、人間に益をもたらす存在と言うのは意外と少ない。
八百万の神と同じで、『畏れ奉りますから、どうか我々に何もしないで下さい』と言った存在が多数派だったのである。
そんな事情もあるから、今更妖怪が多少増えた所で、幻想郷の人間は普段と変わりが無かった。
博麗大結界ができた事により、人間と妖怪の付き合い方も、変化していた事。ただ妖怪と言うだけで忌み嫌われる時代は終わったのだ。
拍子抜けしたのは地底の妖怪で、地獄鴉の所為で再び迫害を受けるのかとビクついていた地底の妖怪は、今の地上が割と自由な気風で、妖怪に対してある種の敬意を持つ事を知り、地上の妖怪や人間達とも交流を持つ者が出て来た程だ。
先の騒ぎで封印が緩んだ瞬間を好機と悟り、ガラクタだと思われていた船に乗って飛び出していった舟幽霊に入道使い、それをコソコソと尾けて行った正体不明の妖怪もいた。
胡散臭い妖怪に監視されているかも、と言う条件こそつくが、出るのは自由だし、まがりなりにも旧地獄であった地底奥深くまで入って来れる者は少ない。
地底の妖怪達にも、地面の下で鬱屈した時間を過ごす必要が無くなったと喜ぶ者が、少数だが確かに存在した。
「と言う訳で私らは自由の身だよ、パルパル」
「何が『自由の身』よ。もうここに橋も渡しちゃったし、軽々に動けるもんですか」
「いつでも地上に行けるってわかっただけでも気分が違うよ、今度遊びに行こう。いつまでもジェラシックパークに引きこもってちゃ健康に良くない」
くだんの『祭り』と謎の発言を残していた土蜘蛛、黒谷ヤマメと、旧都に程近い縦穴に橋を渡した橋姫、水橋パルスィの会話である。
ごつごつした岩肌に渡された橋の真ん中で欄干にもたれつつ会話している二人だが、パルスィとそんな態度で会話ができる妖怪は、ヤマメとあと数名しかいなかった。
普段からパルスィはその持ち前の負の感情を撒き散らしているし、隠すつもりも無い為、基本的に友人は少ないのである。
彼女は地上と地底の行き来を行う者を見守っている心優しい妖怪でもあるのだが――その事を評価してくれる者はあまりいない。
楽しそうに行き来する者には『何となく妬ましい』で敵対行動を取る事もあるからだ。
橋姫の橋付近を通過する際は、なるべく沈痛な表情で今にも自殺しそうな雰囲気をまとわないと危険だ、と地底の妖怪の間では認識が一致している。
ちなみにヤマメの発言は『ジュラシックパーク』ならぬ『ジェラシ』ックパークである。勿論、冗談のつもりで悪気は無いし、イヤミでも無い。
ヤマメの能天気とも言える明るさとその発言に、パルスィは並みの人間ならその眼力だけで死に至りそうな視線をヤマメに向けて言った。
「あのねぇ、私らは妖怪だから忌み嫌われたってのもあるけど、何よりその性質が嫌われてたんだから、ちったぁ自重しなさいよ」
「んー、まあそうだね。でも別に私は『地上を瘴気で汚染してやる、ゴワッハハハ』とか考えて無いし。約一名そう言うのがいたけれども、改心したみたいだ」
「鳥頭に物事の善悪なんか区別つかないわよ。ああ言うのは改心じゃなくて変節って言うの」
パルスィは旧都の中央、地霊殿の方角を睥睨しながら剣呑な台詞を憂鬱そうに吐いた。
件の地獄鴉の増長により、火車が地上の退治屋を呼び込んだ時、静かだった地底は普段では有り得ない程の喧騒に包まれた。
そして次に上方、つまり地上まで続いている風穴に視線を移して、恨めしそうに言った。
「で、その変節漢……変節鴉と主人がどこかに出かけたみたいだけど?」
「鴉は何とか言う神社に行くみたい。星熊の姐さんも久々に山を見に行くとかでついてったよ。さとりんは妖怪の偉い人と話をしに行くとか言ってたけど……何だパルスィ、羨ましいのん? やっぱり地上に出てみたいんじゃん」
「じゃん……おかしな喋り方はよしなさい」
地底と地上の約定を預かる、地霊殿の主と鬼が揃って地上に出ても良いのかと言う疑問よりも、ヤマメの言葉遣いにパルスィはツッコんだ。
「話を逸らしてもダメじゃん。素直になろうじゃん」
「何語よ?」
「悲しみの言語。友人が鬼面みたいな表情をしながら妬み僻みでやりたい事もできないなんて――」
鬼面、と評されたパルスィの名誉の為に言っておけば、彼女は地底でも屈指の美しさを誇る。
パルスィが無言で懐から五寸釘と舌切り雀が由来のハサミを取り出すと、ヤマメは慌てて話題を変えようとした。
が、パルスィはそんな時間を与えず、即座に欄干に五寸釘を打ち込み、行き場の無くなった呪いを弾幕に変えてヤマメに撒き散らした。
これは呪う対象がいない、もしくは相手が防御策を持っていた場合に起こる呪詛返しを利用した弾幕であるが、パルスィは少し離れた所に避難していた。
「わナバばバババババ」
至近距離でモロに呪詛に巻き込まれたヤマメは、おかしな悲鳴をあげ体中を掻き毟りながら、のた打ち回った。
直接呪うより陰湿であるが、これはこれでコミュニケーションとして成立しているのが、彼女達の恐ろしい所でもある。
地上に続く縦穴付近に棲む妖怪や妖精は、この二人のやり取りにはついていけないと述懐するが、それだけ彼女達の関係が不可侵の物である事が伺える。
ほうほうの体でヤマメが、
「それ以上いけない」
と言うと、パルスィは嘆息し、ハサミをしまい込んで偽者の自分を作り出す事を中断した。
少し捻くれてはいるが、彼女は心優しい妖怪なのだ。
そして思い出したかの様に、別の話題を口にした。
「しかし、例の騒ぎで封印された連中も解き放たれちゃったみたいね」
「舟幽霊と、入道使いの…名前は忘れたけど、そいつらが地上に出ちゃったよ」
パルスィもそれは見た。縦穴を地上へ向けて発進して行く船が一隻。
その後方を尾けて行った正体不明の発光体は、おそらく鵺だろう。
「斬新なオブジェだと思ってたけど船だったのね、あれ。ま、別にあいつら酷い奴じゃないし、外に出ても問題ないんじゃない?」
「さっき、自重がどうとか」
「あんたは性格が醜いから」
「私の美しさと明るさを妬むのはわかるけど、そこまで言う事ないと思う」
「それは被『愛』妄想と言う奴ね。精神衛生には気をつけなさい」
「これだから妬まシックシンドロームは困る」
パルスィは花咲か爺さん由来の灰を出現させ、美しい笑顔で告げた。
「表へ出ろ」
水橋パルスィは心優しい妖怪なのだ。本当に。少々短気ではあるけれども。
旧地獄に通じる風穴の入り口付近が、ヤマメの住まいであり、遊び場でもあったりする。
彼女は割と力のある妖怪で、それを見込まれて旧都に住まないか、と常々言われているのだが、それらは全て断っている。
どうせ酔っ払いの代わりか使いっ走りみたいに扱われるのは容易に想像がつくし、何より地底なんて辛気臭い所に住んでいると、時折蒼穹や季節の風が恋しくなる物で、ここならば少しの労力でそれらを感じる事ができるからだ。
ヤマメだって、ただ陽気なだけの妖怪では無く、地上にいた頃を思い出して感傷に浸ったりするのだ。
風穴の入り口で岩壁に寄りかかって、頭に咲かせられた桜の花びらを散らしながらボーッと空を眺めているのは、頭が可哀想な者に見えなくも無い。
近所の妖精や釣瓶落としも、奇妙な姿で呆けている彼女に話しかける度胸は無かった。
その横手からヤマメに近づく影が一つ。ヤマメは目線だけをそちらにやって話しかけた。
「毎度ご苦労さん……ってあれ?」
既知の人妖であるかの様な振舞いをしたのは、最近地底に作られた『間欠泉センター』とやらにやってくる者かと思った為である。
点検維持に神様や河童が、挨拶には緑色の頭髪の巫女っぽい装束の人間が。
今やって来た者も緑色の艶やかな髪の色だが、日傘を差しており、少々様相が違う。
いつもの巫女(?)さんは愛想の良い笑みで、「ウチの神様のご利益は宇宙一」と言うのを体中で表現しているが、今ヤマメの眼の前にいる女性はアルカイックスマイルを顔に貼り付けており、尋常では無い雰囲気を纏わせている。
地霊殿の主なら別だが、このアルカイックスマイル(彫像の笑み)と言う微笑、感情の動きがさっぱりわからないし、見る者が見れば恐ろしさすら感じる物だ。
仏像を見れば理解できると思われるが、信徒にとっては慈愛に溢れた微笑に、敵対者や悪鬼から見れば底無しの黒い笑みに。
彼女からはどちらの感情を持って微笑しているのかは不明だが、ただ、得体の知れなさだけは良く分かる。
「東風谷某さんのご姉妹で?」
ヤマメは同じ髪の色だからと言う短絡的な理由でそう尋ねたのであるが、返事は無い。
春風駘蕩と言った立ち居振る舞いを崩さず、変わらぬ微笑でこちらを見つめている。
信じられぬ程優雅で美しいが、そう言った物ほど注意しなくてはならない。
外から流れ込んで来た漫画本にも、その様な台詞があったはずだ。
「珍しい花を咲かせているわね」
微笑みを崩さずに女性が言った。
パルスィの妖気が抜けるにつれ、ほとんど散ってはいるが、ヤマメ自身から咲き乱れる桜の話である。
桜自体はそう珍しい物でも無いから、彼女はその異常性、と言うか花が妖気の塊と見抜いたと言う事。
なんだ、妖怪か、とヤマメは思った。
それは良いとして、ここは地底への入り口、使い古された言い方をするならば、「ここは地獄の一丁目」だ。
最も、既に地獄は移転してしまったけれども。
そんな場所に一体何の用があって、ここにいるのか?
「どちらさま?」
ヤマメは些か緊張しながら言った。
言葉の端に少々殺気も交えてみたが、相手はその微笑を一向に崩そうとしない。
只者でない事は想像がつくが、一体何故こんな所に、そして何故そこら中にいる妖精、妖怪の中でも自分に話しかけたのか。
「中々綺麗に咲いているけれど、陰鬱な気配がプンプンするのが玉に瑕かしら」
「いやいや、私の事は? 以前も独り言の多い人間が来たけれど、さすがに私を無視して花とお喋りはちょっと」
そこまで言っても、女性は聞いているのかいないのか、ヤマメに咲いた桜が散るのを見つめていた。
奇妙な図である。桜の花に侵された土蜘蛛と、それを笑顔でじっと見る女。
自分の質問は無視されるので、こちらからも無視してやろうと思ったのだが、女性は最初からヤマメの事など歯牙にもかけていないらしく、桜が散ったのを見届けると、さらに奥へ足を踏み入れた。
「ちょちょ、ちょっと」
さすがに驚いたのは仕方が無い。ここから先は本格的に地霊の住処である。
そこまで辿り着けるとも思えないが、途中にはパルスィだっている。
この笑顔で歩みを進める限り、パルスィの感情を逆撫でするのは間違い無い。
ヤマメの脳裏に、「その笑顔が妬ましい」と難癖をつける橋姫の姿が浮かんだ。
「姐さん、ここから先は立ち入り禁止だよ」
命の心配をするならば、と言う話である。
命が惜しく無いなら、むしろ歓迎される様な場所であったが、ヤマメは命を奪う側の癖に、奪われる側に対して躊躇と言うか、慈悲と言うか、よくわからぬ感情を持っていた。
暗い洞窟の明るい網、と呼ばれる所以はそこにある。
どんな能力を持っていようが、どんな嫌われ者だろうが、分け隔てなく接し、最終的には友人になってしまう。
紅白の巫女が、外から妖精をなぎ倒しながら飛び込んできた時も、「拒みゃしないから楽しんでお行き」と声をかけた位だ。
ヤマメのそのスキル、と言うか性格は生来の物で、マネしようと思ってもできる物では無い。
地霊殿の主を「さとりん」呼ばわりし、水橋パルスィと友好関係を築けているのは彼女くらいだ。
別のベクトルでその二名と交友がある人妖で、細かい事を気にしない酔っ払いがいるが、そちらは鬼である。
代表者からして根暗っぽい妖怪なので、そう言った妖怪は地底には貴重だ。
仕方が無いので、ヤマメも女性の後をついて行った。どうせ退屈だし、何かあれば取り成してやろうと思ったのだ。
しかしいくらヤマメが話しかけても相手は無言で斜め下への傾斜路を歩き、断崖を飛び降り、日傘を差したまま底無しの暗闇へ降下して行った。
我が道を行く、と言う言葉を知らしめる様に、微笑も優雅な態度も崩さない。
妨害がまるで無いのもおかしな話だ。普段なら、ちょっかいを出してくる妖精や妖怪に出会う気配が無い。
地霊達は基本、能動的に地上の人妖と出会う事は無いから、外から来る者には敏感なのだ。
自分も何者かが風穴に立ち入った場合、警告の意味も含めて下から岩を投げまくったりするからわかる。
当の妖怪は、自分より先行している為、日傘の頭しか見えない。その下では未だに微笑を貼り付けているのかと思うと、ヤマメは気味が悪くなった。
気持ち悪さを払拭する為に話しかけてみる物の、相変わらず徹底的に無視なので、余計に気持ち悪い。
最初に話しかけられた(?)時に、桜について言及していた事を思い出して、隣を降下している日傘の妖怪に、ヤマメは再び話しかけた。
「そういや、桜に興味深々だったね。花が好きなの?」
日傘の中の気配が、始めて揺れた、気がした。
「でもこんな地底に花なんか咲いて無いよ? まあ、私がこの陰気な地底に咲く一輪の花だと言えない事も無いけどさ」
「それはさっきの桜の事?」
ヤマメはおや、と思った。まさか本当に返答があるとは思わなかったのだ。
彼女は本当に花にしか興味を持たず、その為にここまでやって来たのだろうか?
「あれは私の連れが咲かせた桜さね。褒美を受け取った爺さんへの嫉妬に狂った隣人が持ち出して、無礼打ちにされちゃうけど」
「シロが咲かせた桜、と言う事ね。本物かしら?」
「いんや、その話を元にして考えた、決闘用弾幕の弾っつってた」
「あの妖気はそう言う事。これは来た甲斐があったかしらね」
花なら何でも良いのか、とヤマメは思った。
「あー、何か花を探しに来たの?」
「そうね」
「え? 本当にそうなん? 何の花?」
「地底なら珍しい花が咲いているかな、と思ったの」
「その為だけに地底に行こうとは見上げた姐さんだな」
「散歩みたいなものよ」
「元は地獄に通じてる場所だってのに散歩か、気に入った。名前は?」
妖怪は、傘の下からヤマメをしばし見つめてから、
「幽香」
とだけ言った。味も素っ気も無い言い方である。妖怪――幽香は再び下方へ視線を落とした。
一体どれだけ地下へ降りた物か、並の人妖ならば感覚が無くなって来ている頃。
暗闇の中、岩壁と岩壁の間に橋が渡されている場所。
水橋パルスィの領域である。
降下速度を落とし、緩やかに、優雅に、幽香はその橋に降り立った。
続いてヤマメが着地する。
「さっきの桜を私に叩き付けた奴がここにいるはずなんだけど」
「これは橋姫の橋」
「おや、よくわかったね。バカ正直にここに橋がかかってるのは、この縦穴そのものが旧都までの架け橋って目印みたいなもんさ。つまり地下への入り口は橋の端を意味している……なんちって」
「それはそれは」
幽香はほとんど抑揚のない口調で言った。
こうなるとその微笑は相手を小馬鹿にしているとしか感じられない所だが、それを感じさせないのが幽香の気品であり、またそれを気にしないのがヤマメの美点である。
「しかし、さっきまでいたんだけどなー。買出しにでも出かけたのかね」
ヤマメの話では橋から下の空間、旧都までを繋ぐ穴がパルスィの本来のテリトリーと言う事だが、四六時中ここにいる訳でもないらしい。
それだけ聞くと、幽香は橋の主がいないのならば用無しとばかりに、橋から飛び降り、再び自由落下に身を委ね、ヤマメもそれを追った。
それから程なくして、地下だというのに日傘を差した妖怪と、土蜘蛛と言う珍妙なコンビは旧都に姿を現した。
朽ちた長屋や外壁が立ち並んでおり、破れた提灯が商店の軒先から垂れ下がっている。
廃村の様な風景だが、その見た目に寄らず、旧都は意外に賑わっている。
風呂敷包みを抱えている者、酒を飲んでくだを撒いている者等、行き交う者も多く、閉ざされた空間に住まう者達とは思えない活気だ。
有名な、旧地獄街道である。
通行人は最初こそ傘を差して歩いている幽香に怪訝な視線を向けたが、地底に来る妖怪にはそれなりに事情があるのが普通だ。
少し変わった新参が来た、程度の反応で、詮索をしようとする奴はいない。
地底くんだりまで地上には無い珍しい花が咲いていないかを確認しに来た、と言うのは想像の埒外ではあるが。
雑踏を行く内に、幽香が路地の端に歩みを向けた。
花売りがそこにいた。
見も知らぬ、と言うか、もはやどんな種の妖怪だったのかもヤマメは忘れてしまったが、割と新参では無かったかと思う。
花売り、と言っても隠喩では無く、少女の姿をした妖怪がカゴ一杯に本物の花束を詰め、売り歩いているのだ。
地底で花を売る、等と言う商売をしている者は、今の所その少女以外にはいない。
少女は雑踏に向かって、
「お花買ってくださーい」
と声をかけている。
最も地底と言う場所柄、花がそう簡単に手に入るはずも売れるはずも無く、散る寸前の様な花もある。
花がかろうじて生きているのは、その栽培方法か、もしくは取得後の世話が良かった為だろう。
幽香はそれに近づいて、一通り品定めをした。
「悪く無いわね」
それだけ言うと、貨幣を親指で弾き、カゴの中に落とす。
代わりに一輪の枯れかけたスノードロップを手元に引き寄せ、何やら精神集中を始める。
一体何を始めるのかと思いながらヤマメはそれを見ていた。
すると幽香が手に取った花が、乾いた様な姿から咲いたばかりの様に瑞々しく変貌して行く。
花に生命力が再び戻ったのである。
ヤマメは酷く驚いた。
花が蘇った事ではない。妖怪ならば、色々な能力を備えていたりするから、その位の事ができても「ふーん」で済ませられる。
彼女が驚いたのは、幽香が自分や他の者に向けていた頑なとも言える無味乾燥な微笑が、本物の慈愛に変わったからだ。
感情も感慨すらも到底押し量れなかった微笑から、信じられぬ程の暖かさを感じるのだ。
本心を隠すのが上手い妖怪だと思っていたが、どうやら興味が無い事には只々無関心であっただけらしい。
これは本物だ、とヤマメは感じた。
もしヤマメが外の文化を知っていたなら、彼女を『花オタク』もしくは『フラワーマニア』等と呼んだかもしれない。
幽香は蘇った花を再びカゴに戻し、花売りの妖怪は驚き、恐縮した。
お金を貰っているのに、売り物を蘇らせてくれて、尚且つ再び自分の元に戻してくれたのだ。
売る側としては、お客にそこまでしてもらって良いのか?と言う感想を持つ。
「中々素敵な花だったわ」
優しく囁いて幽香はきびすを返した。花売りの表情は紅く染まっている。
「やるねぇ」
ヤマメは二重の意味で言った。
確かに、あの美しい顔と流麗な所作で気障極まりない行動、同姓(?)と言えども、相手の心を掴むのは容易い事であったろう。
本人にその気が無くとも、だ。
それと、花を再生させた事である。
春告精が通った後は、春の草花が一気に活性化する事は一応知っているが、あれは季節限定だ。
花を即時蘇らせる等と言う能力は余りお眼にかかった事は無い。
何という平和的な能力だろう。
そう思っていると、幽香は再びその微笑でヤマメを見つめ、ヤマメも少し照れながら笑顔を返した。
何か得体の知れないフェロモンの様な物を出しているのか、それとも、その美しさに心を奪われたのか。
花に対して悪い感想を抱く者は少ないだろう。不吉だ、とか不気味だ、と断ずる事はあっても醜い、と言われる事はほとんどあるまい。
誰しもが綺麗な物、美しい物の比喩として花を扱う。
『花の様な笑顔』と言うが、幽香の微笑はまさにそれで、性別、年齢、立場全てを超越した物がある。
いつもヤマメが駄弁っている水橋も美しい。
しかし、こちらは逆らい難い魔力と言うか、それ故にあえて触れてみたい、と言う怪しい魅力も兼ね備えているのである。
雑踏を行く妖怪達も幽香の姿に気をとられ、足を止めてしまう者がいる程だ。
「お眼鏡に叶うモノはあった?」
「まあまあ、ね。でも」
「ん?」
「この地底で、あんな商売をしている者がいるとはさすがに予想してなかった」
幽香は再び歩き出しながら言った。
ヤマメは、なんだそんな事か、と前置きして言った。
「ユウカみたいな奴がいるからさ」
幽香はそれがどうした? と言う風に眉を寄せた。その表情すらも悩める彫像の様に怪しい魅力に満ちている。
「私みたいな妖怪がそんなにいるとも思えないけれど」
「うん、まあ、いない」
「じゃあ何でそんな商売を?」
「客の数が問題じゃないって事だね」
ヤマメは指を可愛らしく幽香につきつけながら大仰に言った。
「そこで例えば、酔狂にも散歩で旧地獄跡までやって来て、地底でそんな商売をしていると知っただけで喜んでくれる人妖が一人でもいたら、雑貨屋も食堂も地底で花を売り出すだろうさ」
「売れないとしても?」
「売れないとしても」
幽香は再び微笑し、誰に話しかけているのか、遠い眼をして言った。
「幻想郷は全てを受け入れる。地底でもその則(のり)は生きている。耳障りの良い努力目標でも感傷でも無く、それこそが真理だと言う事かしら」
「ちょっと何言ってるのかよくわからないですね」
ヤマメが即座に茶々を入れたが、相手は春うららと言った態度だ。
ついついパルスィにやっているのと同じノリで、言葉を放ってしまったのだが、やはりと言うか何と言うか、幽香は気にする様子を見せない。
何となく気まずくなったヤマメは、似合わぬ生真面目な調子で口を開いた。
「まあ、地底に『花が好き』って妖怪がいない訳じゃない。私の連れの橋姫だって桜に関係する弾幕を使うし、地霊殿――地底の代表者が住んでる所があるんだけど、そこに住んでる妖怪も花を基調にした弾幕を使うよ。確かこんな感じで――」
ヤマメの手が、花の形を描こうとするが、中空に指で描いたのではどうにも要領を得ない。
日傘を差した美貌が口を開いた。
「花の名前は?」
口をモゴモゴさせて、ヤマメは首を捻る。
頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでいても不思議ではない。
「おかしいな。知らないんだ。妹ちゃんの弾幕は割と何回も見たのに名前を知らない」
「花は見て愛でればそれで良いわ。名前を知らなくても、それだけで花は喜ぶ」
「そりゃそうかもしんないけど。だけど、気になる。知ってたら教えてよ」
幽香は上着のポケットから種を取り出すと、再び精神集中を行う。
すると刹那の間に美しい花が一輪、手の中に出現した。
「これでしょう?」
幽香は花を差し出しながら微笑んだ。
花を蘇らせるだけでは無く、種から花へ。見た訳では無いが、逆も可能なのだろうと思う。
彼女の能力は戦闘には向いていないかもしれないが、自然界の生命を意図的に弄くる事ができると考えると中々に恐ろしい。
例えばそれが、人間等の生き物だとしたら。
幼子を瞬時に成長させ、老人に活力を取り戻し、或いはあっという間に老化させて命を散らせる。
今の所その能力は花にのみ作用しているが、もし生命ある者全てにその能力が及んだらと考え、ヤマメは寒気を覚えた。
しかしながらその考えは外れており、幽香の能力は『花を操る』に留まっているのだが。
ともあれヤマメは花を見て、口を開いた。
「そうだ、それそれ」
「『そうび』と言う花よ」
「そうび」
「そう、『薔薇(そうび)』よ。ローズと言えばわかるかしら。和名では薔薇(バラ)とも言う」
首を捻っていたヤマメはパチンと指を鳴らし、成る程と言う表情で頷いた。
「そうだ、『サブタレイニアンローズ』だ。そうか、薔薇か」
「名前もたまには役に立つみたいね」
ヤマメが薔薇に眼を奪われ陶然としていると、さらに幽香は続けた。
「地下に隠された薔薇……ね。薔薇の花言葉は『愛情』『内気な恥ずかしさ』等。『秘められた恋心』と言う隠喩なら、良いセンスだわ」
「あの子は無意識で何も考えずに名前つけちゃったっぽいし偶然じゃないかなぁ」
「花は散った後、土に還る。その土の下で再び咲き誇る薔薇。もの凄い無意識ね。まあ、誰がどんな弾幕を張ろうと私には関係ないけれど」
「あり? 見たくないの? ご希望なら案内するけれども」
「地霊殿の主、その妹は放浪癖があると聞いたわ」
「あちゃあ」
ヤマメは額に手をやり、古明地姉妹の妹の風評が地上にも広がっているのか、と呆れ返った。
どうもあの娘は何がしたいのか、何を求めているのかよくわからない。
前回の地獄鴉暴走騒ぎの時もフラリと地上に出て行って、ボロボロになって帰って来た。
妖怪の山に単独で入り込み、紅白の巫女と弾幕勝負をして来た、と聞いた時は正気を疑った物だ。
天狗に厳重に管理されている妖怪の山に地霊殿の代表者の妹が不法侵入。
挙句に鴉とは言え、神の力を取り込んだような奴を取り押さえる相手と弾幕勝負と来た。
いつか、さとりにこの事を教えてあげた方が良いかもしれない、とヤマメは感じた。
再び「覚」と言う妖怪に大しておかしな噂が広まったら、その妹は今度こそ再起不能な精神的ダメージを負うかも知れぬと考えたからである。
「まあ、確かにいない時の方が多いけどさ。今日はいるかもしれない」
「無駄足は余り好きじゃない。帰るわ」
「おや、もうお帰りかい。目ぼしい所を回ったら、私が付き合ってもらおうかと思ったんだけど。暇だったし。私が勝手について来たんだけどさ」
「散歩かしら?」
「散歩さ」
「また今度地底に来る事があったら、付き合っても良いわ」
ヤマメは幽香にニカっと笑いかけた。誰もが気持ちの良い笑みだと思わせられる笑顔である。
幽香が苦笑するのを見て、ようやくマトモに相手をしてくれるようになったか、とヤマメは何とはなしに満足した。
ヤマメからすれば、ここまでくればもう友人一歩手前なのである。暗い洞窟の明るい網、黒谷ヤマメ。
はっきり言って幽香は一匹狼に近いタチで、その単純な力、古豪の妖怪として、近づく者は少ない。
その幽香と冗談やツッコミ有のお喋りができ、私用に付き合わせる事ができる所まで行ったら、まず間違いなく某天狗の新聞のスクープになるだろう。
土蜘蛛が一人で喋り、時折幽香が言葉を返す。
ヤマメ一人で盛り上がっているように見えるが、これでも幽香との会話を試みた事がある者からすれば青天の霹靂だろう。
そんなやり取りを続けながら、二人は再び地上へ戻る為、宙に舞った。
「それにしても、せっかく外からここまで来てくれたのに収穫が無いってのは、地底に住まう妖怪代表としちゃあ、ちっと心苦しい。実は私も珍しい花を所持しているのだよ、ユウカくん」
「あら」
ほんのわずかな変化だが、幽香の微笑が緩んだ。
ただ、傍目には変わらぬ表情で生返事を返したようにしか見えないのが、幽香のミステリアスな所を助長している。
ヤマメはそれを即座に読み取ったらしく、勝ち誇った顔で幽香に笑いかけていた。
「ふふふ、食いついたようだね。花に関しては本当に優しい、と言うか真摯だなあ。ユウカって優しい花って書くの?」
「そうだったら良いんだけど」
「何だ違うのか。それにしても本当、花の話題になると性格変わるね。最初はいきなり殴られてもおかしくなさそうだったけど、今は団子でも奢ってくれそうだ」
「それでも良いけどね」
「おっ、ノリが良くなってきたねえ。ま、礼はいらないさ。また会う事があったら、仲良くしてやってよ」
そう言って、ヤマメは風穴入り口付近で上昇を止めた。
横の岩盤を良く見ると、人間大の大きさの穴がいくつも開いている。
この付近に住む地霊達の住居になっているらしい。
そこに入り込んでしばらくすると、ヤマメは何かを手に抱えて戻ってきた。
それを幽香に差し出すと、
「じゃーん、これが私が拾った『生きている花』さ」
「花は漏れなく生きていると思うけれど」
「それはあんたと妖精にしか、わからない。だけどこの花は違うのさ」
ヤマメが花に向かって話しかける。
「うおーい、このお姉さんがお前の新しい持ち主だぞー」
本人が言った通り、妖精か幽香でなければ、この行動は徒労に終わるのであるが、ヤマメのその行動はあっさり実を結んだ。
花は何とクネクネと妙な動きでリズムを取り出した。
幽香は驚愕で眼を見開いた。
「これは……『ふらわーろっく』!?」
「おや、そんな名前だったのか。どうだい、珍しいだろう」
「機械仕掛けの造花よ。20年程前に、胡散臭い妖怪が自慢してたけど、譲ってもらえなかったわ」
「なら丁度良い。私が今ここであんたに進呈するよ」
ヤマメはその造花を手渡し、幽香の背中をバンバン叩きながら言った。
「その代わり、またいつか遊びに来ておくれ。外の連中は、人妖問わず大歓迎さ」
幽香はそのヤマメに今度は微笑では無く、本物の笑顔を返し、地上へ戻る為に飛び立っていく。
始めて心からの笑顔を見せた幽香に、ヤマメは太陽の様な花を重ねて見た。
あの花は一体なんだったか。
(忘れっぽいなあ。……まあ、今度ユウカが来た時に聞けば良いよね)
何ともおかしな妖怪だったが、これで再び退屈な毎日が戻ってくる。
「さて、また暇になった事だし、今度は何をしましょうかね」
後日、風穴に天狗の新聞記者がやって来た。
購読している『文々。新聞』の配達員である。書いた本人でもあるが。
「毎度ご苦労さん……ってあれ?」
新聞記者、射命丸は新聞と一緒に風呂敷包を手渡した。
風呂敷包みには手紙が同封されている。
「なんだいこりゃ」
「さあ、幽香さんが黒谷ヤマメと言う土蜘蛛に、新聞配達のついでに届けてくれと。私ら、飛脚じゃないんですけどねえ。でも断って暴れられたらそれこそ一大事だし」
射命丸はぶつくさ言いながら飛び立ってしまった。
何ともせわしない事である。
「おー、ユウカから。なんだろ」
風呂敷を解くと、中には先日進呈した『ふらわーろっく』に似た造花が収められていた。
もしやと思い、ヤマメは話しかける。
「おーい、もし?」
しかし反応はと言えば、何も無し、である。
ヤマメは首をかしげた。これはただの造花なのか? と。
そこで幽香からの手紙を見てみると、可愛い丸文字で一文。
『向日葵に光を与えてやるように』
「何のこっちゃ」
仕方なく造花を抱えて太陽の下に出てみると――
「あらら」
あの『ふらわーろっく』の様に、花がくねくねと動き出したのである。
幽香は以前、隙間妖怪に触発され、『ふらわーろっく』を捜し求めた事があるのだが、それはどこをどう探しても、何故か見つからなかった。
しかし、ある日太陽の畑で発見したその造花は原理こそ違う物の、『ふらわーろっく』に酷似していた。
太陽の畑に咲いているヒマワリと同じ形をしたオモチャで、光に反応して動き出すオモチャ、『フラワーキューブ』と言う似て非なる物であった。
「そうか、ヒマワリって言うのか」
ヤマメは幽香の笑顔に見た、花の名前を思い出した。
「しかし、これって私が地上に持ってってやんなきゃ、動けないよね」
幽香は無理矢理でも無く、嫌々でも無く、ヤマメ自らがに地上に来るよう仕向け招待しようとしたのだろう。
いわば、これは幽香から受け取った、地上への招待状代わりでもあった。
「別に気ぃ使わなくても陽の光くらい浴びに来るってのに……やっぱり『優しい花』じゃないか、ユウカ」
ヤマメは、再びパルスィを誘って、地上へ出てみないかと言うつもりであった。
目的は? 散歩だ。
本物の、向日葵を見に行こう、と。
続編が読みたくなる
でも面白く読めました
今度はヤマメから会いに行くような続きが読みたくなるお話でした。
良い雰囲気でした
題名の元となったであろう作品シリーズもすきなんですよ。
ごちそうさまでした。
あとヤマメとパルスィの関係が自分の理想に近くて嬉しくなりました。
こちらこそ、ありがとうございました
ともあれお見事でした
発想が面白いし、流れもお見事です。