薄暗い図書館に、かすかな足音が響く。
足音の主が軽いためか、敷き詰められた絨毯が音を隠してしまうのかは定かではないが、その足音で、辛うじてこの空間の存在意義は保たれている。
足音の主は、変わった形の帽子を被った少女だった。
分厚い一冊の本を抱えて、彼女は図書館の奥にある机に腰掛けた。
机の上には、読みかけの本や、羽ペンにインク。羊皮紙が散りばめられていた。それらを、端に寄せて持っていた本を開く。
ぱらぱらとめくり、やがて空白のページにあたる。羽ペンにインクを付けて、そこで動作が止まった。
もう一度、今度は逆側に本をめくる。
結局、最初の方のページまで戻ってしまった。
「X月X日・・・」
そう、あの時もこうやって、何を書こうか考えていた・・・。
X月X日
今日から、新しく魔導書を書こうと思う。
朝から構想を練る。
昼、突然の怪音。
音の正体を探るため図書館内を調べてみると、一匹の大きな鼠がいた。
鼠の癖にそいつは人の言葉を話した。
何を言っているのか、いまいち分からなかったので、追い払うことにした。
だが、まんまと逃げられてしまった。
小悪魔に、何か取られていないか確認させたら、案の定、本が数冊無くなっていた。
図書館に進入させた小悪魔を、その場で教育した。
後で、役立たずの門番にも何か言わないと気が済まない。
少女は役立たずの門番、紅美鈴の土下座を思い出していた。
そんな彼女を労って、頭の上に湯気が出るほど暖かいお茶を乗せてあげたのは良い思い出だった。
すぐ昨日の出来事だと思っていた。しかし、そこから積み重ねられたページの量を見ると、ずいぶん昔の出来事だったことが分かる。
そこから、少女はまたページをめくる。次に鼠が出てくるところまで、数ページ分めくった。
X月XX日
何故か今日は眠い。眠る必要は無いはずなのに眠い。
脳が疲れているのだろうか・・・?
午後、鼠が進入する。
鼠によれば、前回と同じく正門から堂々と入ってきたらしい。
また、門番を躾ないといけない。
それに加えて、咲夜は何をしていたのか?
・・・そう言えば、レミィと神社へ行くと行っていた。
その留守を狙って鼠は進入したのだろうか?
油断のならない鼠だ。
私が無くなった蔵書について尋ねても、この鼠は訳の分からないことを言った。
やはり、追い返すことにした。
しかし、今回は少し息が切れてしまい、完全に追い返すことが出来なかった。
鼠は、私のことを心配したのか、背中をさすってきた。
・・・・・・少し、気持ちよかった。
結局、しばらくの間、鼠に背中を撫でてもらっていた。
ただ、具合が良くなったら鼠はすぐに帰ってしまった。
…数冊の本を持って。
やっぱり、ちゃんと追い返すべきだったと反省している。
少女は役立たずのメイド長、十六夜咲夜の嬌声を思い出していた。
完全な八つ当たりだったが、手を縛って羽根で優しくマッサージをした。
咲夜はすごく喜んでいて、終始笑顔だった。
X月XX日
咲夜に半ば無理矢理外に連れ出される。
庭までだったが、非常につらかった。
鼠が、暗い図書館に来たがる理由が分かった。
日差しは、魔法使いには毒だ。
最も、あの鼠はまだ魔法使いとしては未熟だが・・・。
素養は多少あるのかもしれない。
午後。…平和だ。
鼠は来ない。
X月XX日
本を書く。
本を書いた。
…鼠は来なかった。
基本的に、日記は三度書く。午前、午後、そして寝る前に書いている。
何日か、三行だけの日記が続く。
魔導書は書いているので、濃密なはずの日も含まれているのだが、どの日も空虚なものに見えた。
X月XX日
鼠が来た。
久しぶりだったから、何を話すべきか迷った。
すると、鼠はたまには外に出たらどうだと言ってきた。
やっぱり、これには素養が無いのかもしれない。
私は、ちゃんと外に出ていると言った。
ならよかったと言って、笑う。
日差しに似ている鼠の笑顔は、なんだか眩しい。
…でも、本物よりは暖かみを感じる。
魔法使いの癖に、日差しに似ているのだ。変な鼠だ。
私は、鼠に質問をしてみることにした。
どこに住んでいるとか、何をしていると言った他愛もないことだった。
しかし、鼠は驚いていた。他人には興味が無いのかと思っていたらしい。
確かに、他人にあまり興味は無い。
・・・きっと、鼠だから興味が湧いたんだと思う。
そして、最後に図書館が好きなのか聞いてみた。
変に誤解されないように細心の注意を払った。
嫌いではないらしい。
・・・ぎりぎり魔法使いとしては及第点だ。だが、合格にはまだまだ程遠い。
鼠は、あまり質問されたくないのか、おとなしく帰っていった。
後で確認したが、本は無くなっていなかった。
次のページには、日記ではなく、あれこれメモ書きがされている。
質問をしたことで、鼠に対する学術的興味が湧いてきて、色々実験をしようと思い立ったのだった。
ここには、その実験の構想が書かれていた。
まず、少女が行ったのは、今まで鼠が取っていった本を調べることだった。
どんな本に興味があるのか、その傾向を読みとる。
次に、新しく自分で書いた魔導書を人目の付きやすいところに置いてみる。
タイトルは、鼠の好みそうなもの。中身はほとんど何も書かれていない。
鼠は本の中身を吟味しているのか否か。まずは、これを知りたかった。
・・・結果は、見ているようだった。
トラップの本には、ご丁寧にも、早く書けと落書きされていた。
次に試してみたのが、足跡を辿るというもの。
歩いたところに、魔法の粉をかけることで、どうやって歩いたのかがわかる。
意気揚々と、鼠を待っていたら小悪魔が歩いてきた。
小悪魔で遊んでいたら、鼠がやってきた。
適当に話して鼠は帰っていった。
足跡を見てみると、どうやら話しかけてくる前に、すでに色々と物色しているようだった。
そんなある日のことだった。
X月X日
午前。特に何も無い。紅茶を飲みながら読書をする。
午後。レミィに呼び出された。珍しい。
内容は・・・鼠のことだった。
レミィも最近、屋敷内で鼠を見かけるようだ。
何か困っていることは無いかと聞かれたので、鼠に本を盗まれると言った。
鼠の駆除を頼まれてしまった。
幸いにも、私には鼠に関する研究データがある。うまく使えば追い払えるかもしれない。
言ってしまった手前、駆除するしかない・・・。
それから、またしてもメモ書きが続く。少女は、このころのことをよく覚えていなかった。
鼠をどうしたいのか、自分でもよくわからなかった。
X月XX日
いよいよ、今日がXデーだ。
これから、小悪魔と妖精を使って本に封印を施す。
あれの好きそうなジャンルは、全て一カ所に集めた。
半端なことでは封印は解けない。
これでいい。
Xデーから数日後。鼠はやってきた。
しかし、その日、少女は鼠に会っていない。
本が一冊だけ無くなっていたから鼠が来たと言うことがわかった。
鼠は、少女と話をすることなく・・・消えた。
ぱたんっ
やっぱり、気が乗らない。何も書く気にならない。
もう、この日記も、どこか奥の方に仕舞ってしまおうか・・・。
あれから、どれくらい経ったんだろう・・・。日記を付けていないから、何日経ったのかもわからない。
それでも、私の気持ちを置いて、時間は過ぎていく。この先もずっと。
咲夜は、時が止まることを恐れているようだけど・・・私は遙か以前から時が止まっているようなものだった。
止まることのない探求心。
もし、それが止まってしまったら・・・幻想郷の中でさえ、私の存在は消えていくのだろうか。
感傷に浸っていても、しょうがない。久しぶりに魔導書でも書こう。
…ううん・・・やめよう。
なんだか・・・眠い。眠る必要が無いはずなのに眠い。
・・・脳が疲れているせいだろうか・・・あるいは・・・。
「ねぇ・・・魔理沙。もう・・・封印は解いたのよ? ねぇ・・・」
そして、私は眠りに落ちていった。
ドサッ
突然の大きな音と風圧で、髪が少し浮いた。
私は、思わず悲鳴を上げてしまった。
「わははは、びっくりしただろ?」
・・・鼠、鼠!鼠!!!
「ようやく解けたんだぜ!それ。全く、めんどくさいことしやがって」
見ると、確かに封印は解かれていた。並の魔法使いでも苦労する封印だった。
気が付くと、私は鼠に飛びついていた。
鼠は尻餅を付く。
「なっ、なんだよ、いきなり・・・いてて」
私は、鼠の首に手を回して耳元で言った。
「・・・・・・合格よ」
目から出る水が見えないようにしながら、鼠の暖かさを確かめる。女の子の感触と・・・女の子らしからぬ茸の匂い。
「なんかよくわからないが、合格出来て嬉しいぜ」
そうして、鼠は太陽のように笑うのだった。眩しくて、ずっと見ていたいその光が私を照らす。
鼠がイタズラしても、これからは目を瞑ろう。鼠が帰ったら、早速日記を書こう。
実験とか対策とか、そんなことばかり書いていないで、着飾らず、自分の思ったことをそのまま書くことにした。
今日の良き日を・・・。
Ex.
X月XX日
今日も鼠が来た。
また、外に出ているかを聞いてきたので、今度、鼠と一緒に外に出ることにした。
少し、日が陰ってから迎えに来るらしい。不安もあるが・・・楽しみだ。
午後。咲夜の様子がおかしかった。
どうやら、神社の巫女の体調が優れないらしい。
メイドが私情を挟むのは良くないが・・・そう言えば、鼠のことで八つ当たりをしたことがあった。
暇なときに、栄養剤でも渡そうと思う。
・・・魔理沙、楽しみに待ってるから。
ツンデレパチュリーさんご馳走様でした