いらっしゃい。
ん?誰かと思えば輝夜じゃあないか。
珍しいね、お前がこんな所に来るって、いや、珍しいな、お前がこんな所に来るとは、かな。
いやいや、言い直したのは気にしないでくれ、私が気にしているだけの事なんだ。
普段外に出ないお前が来たものだから、驚いてしまった。
良い日だな、陽がとても暖かい。
桜ももうぽつぽつと咲き始めてきているな。
咲いては散りゆく運命でも、咲き誇る一瞬の美しさは素晴らしいな。まさに、筆舌に尽くしがたい。
座布団だ、使うと良い。
煎餅もあるから、まあ好きに食ってくれ。
とにかく、ようこそ私の寺子屋へ、お前の永遠亭と比べたら立派とは言えないが、まあそう過ごし辛いわけでもない、お姫様には少々耐え難いかも知れないが。その辺は我慢してくれ、これでも改修したりなんだりで随分と立派にはなっているんだから。
しかし、本当に珍しいな、お前がこんな所に来るだなんて。
相変わらずそっちは賑やかなんだろう?ま、こちらも負けず劣らずだが。
鈴仙は、立派になったな。
なに、この間永琳に生徒達の健康診断をして貰った時に甲斐甲斐しく子ども達の世話をしてくれていたのでな。
助かったよ。今度菓子折でも持ってお礼に伺わせて貰う。
てゐの悪戯に引っかからないように気をつけないとな。
子どもっていうのは、日々成長していくものなんだな。
記録をつけていると良くわかる。
私たちにはもう分からなくなってしまったことだが、あの子達を見ていると自分にも人間らしい部分が残っている事を思い出させてくれる。
ああ、そうだ、私もまた人なのだと思い出させてくれる。
それで、今日は何の用だ、お前がわざわざ出向いたというのには、やはり一筋縄ではいかない事なのだろう。
ああ、その話か。
そう言ってくれるのは嬉しく思ってるよ……思っているよ、しかし、やはり遠慮させて貰う。
確かに、お前の言う事は良くわかるし、本当に有り難い事だとは思っているんだ、でもな、私は今の生活も気に入っているんだ。
それに、やはり里に教育者は必要だろう。
気持ちは、本当に有り難いと思ってはいるんだ。
桜、綺麗だな。
とても。
見ろ、蝶が舞っている、紋白蝶だな。一匹、二匹、ああ、動くから数えられない。
思えば、こんな風にお前と庭を眺める日が来るだなんて考えた事はなかった。
あの頃、私とお前は不倶戴天の敵同士だったのだから。
そんなお前が私を永遠亭に招いてくれている。一緒にすごそうと言ってくれている。
あいつが知ったら、どんな顔をするだろう、驚くのかな。
いや、やはり喜んでくれるんだろうな、満面の笑みで、あいつはそう言う女だった。
一人でいる事に寂しさを感じないかって?
まったく、お前も酷な事を聞く、そんな事は、聞かずともわかるだろうに。
まあ、一人というわけではないよ、私には子ども達がいるし、それに、ほら見ろ。あいつはいつもあそこで微笑んでいてくれている。
そうさ、私は、藤原妹紅は一人じゃない。
寂しい事があるとしたら、それは一人だからじゃなくて、あいつが居ないから。
綺麗だろう、文が撮ってくれたんだ。
あいつがまだ、元気だった頃に、二人、並んで。
まったく、何で私は俯いてしまっているのだか。あいつは隣であんなに綺麗に微笑んでいるというのに。
せっかくここまで来てくれたんだ、どうせなら思いで話に付き合ってくれないか。
私も、たまには誰かと慧音の話がしたい。
酒でも持ってくるかな、好きだろうお前も。
ほら、飲むと良い。
とっておきの酒だ、あいつの好きだった、酒だ。
少し、辛いが、飲んでいるうちに甘くなってくる。
慧音の好きだったもの、なるべく、使うようにしているんだ。
筆など、馬の尻尾より犬の尻尾の方が好きだったらしい。
肉よりも、魚を好んで食べていたな。
ひとつひとつ、そうやっていれば私はあいつの事を忘れないようにしているんだ。
この言葉遣いもそうさ、あいつの真似をしているんだ。
物は朽ちていってしまっても、私は朽ちる事がないからこうやっていれば私は永遠にあいつの事を忘れないでいられる。
似合わないかな、似合わないよな。でもいいんだ。私が好きでやっている事なんだから。
まあ、飲め。
いい、女だったよ。
心の底からそう思う。あいつがいたから私は人間になれた、と言う気がする。
とても、幸せだった。
慧音がいてくれて。
何故だろう、思い出すのはいつも笑顔ばかりだ。
少し思い出してみようか、あいつの怒ったときのこと。
良くお前と喧嘩をしたな。
喧嘩と言えるほど生易しいものでもなかったが、私が怪我をして家に戻ると、よく怒られた。
そういう日は大体私の帰りが遅いだろう、夜道を歩いて帰っていくと家に明かりがついているのだな。
まず、私はそっと窓から家の中を覗き込むんだ。
大体は窓から見える位置にあいつはいなくて、私はため息をつくんだ。そして玄関に回る。
玄関を開けると、あいつが廊下に正座して待っているのさ、そして私は睨まれるんだ。
何処へ行っていた、ってね。
そのときの声といったら無かったぞ、子どもたちへ見せているあのやさしい声は何だと思うくらいに怖くてな、そして説教を喰らうんだ。
ああ、思い出してきたな、そんな思いでも今となってはただ、美しい。
普段冷静な慧音がまず私を叱り、そして、泣き始める。私が怪我をすると心配になると言ってな。
リザレクションが終わっていないときなんかは特に。
お前のことも心配していたよ。面と向かってそういわれたことはないだろうが。
本当さ、永琳にでも聞いてみると良い、あいつ等本当は仲が良かったんだぞ。どうせ、私たちの事を肴にしていたんだろうが。
私達は不老不死だというのに。もし、薬の効果が切れたら、もし、何かの間違いで再生しなかったら、そう言っていた。
そして、例え私たちが不老不死だとしても、傷つけあうのがただ、辛いと。
他人の痛みを自分の痛みのように感じる、そういう、優しい女だった。
いつも言っていたな、憎みあうことよりも、寄り添うほうがずっと簡単で、幸福なことなのだと。
そして、私が謝って慧音の涙を吹いてやるんだ、するといつも、ホッとしたように、でも、少し哀しげに、笑ってくれた。
ああ、そうか、あいつは怒ったときも、泣いたときも、落ち込んだときも、いつも最後に笑顔を見せてくれた。
だから、慧音の笑顔ばかりを思い出す。
ずいぶんと心配をかけたのだな、私は。
いや、わかっていたことだが。
そう、いつも笑いかけてくれていた。
そして私はその笑顔を見るたびに胸がいっぱいになった。
どうも今日は酒が進む、お前が来てくれたからだろうか。
だんだんと、酒が甘くなってきた。あいつの好きだった酒が。
そうそう、教師になってから思うんだが、あいつはやはりすごい奴だったよ。
あいつは子どもを叱りつける事はあっても、怒る事はなかった。
全てを許す事が出来たんだな。
子どもにとって意味のない説教はまずしなかった。
私は駄目だな、あいつより大分年を重ねたというのに、まだ腹が立ったりしてまう。
もう少し我慢強くならないと。
そう、我慢強く。
あいつは、教師だけではなく里の守護者もしていた。妖怪の中には調和と言う事を考えずに好きかってやる奴がいる、そんな奴らを刈り取るのも慧音の仕事だった。
でも、あいつ半妖だったろう。
人間半分、妖怪半分であったあいつにとっちゃ……とっては、それは辛い仕事だったんだと思う。
里を荒らす妖怪が出て、それを討つ度にあいつは涙を流していた。
すまない、すまないと言いながら。
あいつにとっては妖怪と人間の区別なんか無かったんだろう。
両親の事は知らないが、きっと仲むつまじい夫婦だったんだろうな。
だからあいつは、妖怪と人間も手を取り合えると信じていた。
だから、己の血の半分が、あいつに涙を流させたんだろう。
けれど、それを人前で見せる事はなかった。
ずっと、我慢していたんだろうな。
私だけがそれを知っていた。
私だけがあいつの苦労を知っていた。
苦労は口に出せば愚痴になる、そう言って私に謝りながら、私の胸であいつは泣いた。
それが、少しでもあいつを癒せたのなら良かったんだがな。
どうして、あいつが生きている内に私はお前とこうして酒を飲む事が出来なかったんだろう。
もし、見せられるのならこれに勝る喜びはないというのに。
人間は、愚かだな、いつもしておけば良かった、と言う後悔だけが胸を衝く。
本当に、愚かだった。
酔ってなど、いないよ。
ああ、大丈夫だ。
すまないな、心配をかけて。
何故、あんな良い奴が死ななければならなかったのかな。
私みたいな者が朽ちることなくあり続け、慧音はもうこの世にいない。
神様って奴は残酷だ。
あいつが、死んだ時そう思った。
里を荒らす妖怪が、子どもを攫って、それを助けに行った慧音は、子どもを守って死んだ。
その時、私は竹林にいた。いつもの案内をしていたんだな。タイミングが悪かったとしか言いようがない。
どうして、私はその場にいられなかったのだろう、そう考えるのは意味のない事なのだろうか。
村人から知らせを受けた私は、急いでその妖怪のねぐらに向かったんだがな。
間に合わなかった。
綺麗な、顔をしていたよ。
相打ちだったらしい。傍には泣いている子どもがいた。
おねえちゃんが助けてくれた、そう言いながらな。
綺麗な、顔だった。哀しいほどに。
幾晩も、泣いた。
泣いて、啼いて、哭いた。
慧音は、私の全てだった。私が人らしくいきられたのも、笑えるようになったのも、全てあいつのお陰だった。
私は、あいつに何かしてやれたんだろうか。
なにも、してやれなかったんじゃないか。
もう、だれもその答えを教えてくれないんだ。
だからな、私はあいつのしようとしていた事を引き継ごうと思ったんだ。
そして、私はこの人里で教師になった。
あいつの愛したこの里を私が守ろうと決めた。
なぁ、分かってくれ輝夜、私だってわかってはいるんだ。
慧音の他に、もう一人私の事を考え続けてくれた奴がいるとしたら、それは、お前だって言う事は。
殺し合い続け、憎み合い続け、そうして私はお前に寄りかかっていたんだと思う。
慧音が死んだ後、そう思った。
もう、恨みはないよ。そう言わないとあいつが哀しむ。
あの後も、お前は変わらず私に突っかかってきてくれたな。
まるで、私に哀しみを忘れさせるかのように。
気がついた時、慧音の言っていた事が何となくわかった気がしたよ。
けれど、誓った事がある。
自分で誓った事だけれど、それは、私にとって何よりも大事な事なんだ。
だから、私はこの里を離れるわけにはいかない。
ありがとう、輝夜、そしてすまない。
私はあいつと会えて幸せだった。
愛して貰えて、幸せだった。
もう一生分、永遠に値するほど愛してもらったから、今度は私が愛する番なんだ、慧音の愛したものを。
そうか、話聞いてもらって悪かったな。
真っ昼間から酒を飲む、だなんて慧音に知られたら怒られそうだ、でも、たまには良いよな。
また、遊びにでも来てくれ、もう喧嘩を売る事はないから。
ああ、気をつけてな、永琳達にもよろしく。
そいじゃ、あばよ。
少し儚げで、うん、素晴らしいです
切ない、良い話でした。
けど、大切な人のものって凄く大事ですよね。
大切な人がいて、色々な事を教えてくれて、一緒にいたんだ。そこにいたんだっていう証。
そういうものが積み重なって今の自分があるんだって。
そういった「過去の上にある今」を生きているんだって。
それは、幽々子様やレミリアなど、他の長寿達とはどう違うのでしょうか。
切ない中にもまだ輝きを放とうとしている姿。
残された者の気持ちを見事に表現した、心に残る作品でした。
涙を吹いてやる
涙を拭いてやる