紅の空間には、白と紺がよく映える。
紅とは床であり、壁であり、天井であり、ドアである。
白とはエプロンとヘッドドレスで、紺はその下に着込んだ紅魔館の制服だ。
銀の髪と視線は退魔に向いた色であるがしかし、それらを持つ人物は、悪魔の館に仕えるのに十分な雰囲気を供えていた。
風格を漂わせつつも粛々と歩む彼女は、一つの大きな両開きの扉に辿り着く。
「失礼致します」と扉を開くとやはり真っ赤な部屋があり、上座のソファーに寛ぐ主を見つけた。
そして、十六夜咲夜は命令を待つ。絶大な力を持った恐るべき悪魔である、吸血鬼レミリア=スカーレットの命令を。
「咲夜、紅とは何かしら?」
「はい、赤の上位にあり、最も鮮やかで美しく、衝撃的な命の色と存じます。当然ながら、其れを食される吸血鬼こそ夜の王に相応しいかと」
「そうね。じゃあ咲夜、全ての赤い物を食せば、紅の地位は確固たる物になると思わないかしら」
「勿論です。そして、赤の頂点に立つ紅(スカーレット)ならば、必ずや全ての赤を攻略できると信じております」
「では行きなさい」
「御意」
従者の姿が消え、扉が閉まる。
さて・・・ と、玄関に出たところで咲夜は考えた。
全ての赤いものを食べたいと言うが、赤い食材などそれこそ豊富にある。しかし、彼女の知る限り、今までレミリアに与えた赤い食材はイチゴやさんくらんぼ、リンゴといった所謂果物であり、甘いものだ。
500年は生きているのだから様々なものに遭遇しているのだろうが、吸血鬼は偏食家だ。それ以外は全く手を付けていないのでは無いかと彼女は思う。
しかし、これはチャンスだとも。
これを機に主の偏食を無くし、健康的な吸血鬼生活をしてもらおう。そう画策することにしたのだ。
かくして、紅魔の従者は人里へ足を向けた。
「それが何故家に来た?」
「貴女、色々知ってるんでしょ?」
いつの間にか居間で茶を啜っている銀髪メイドを見て、上白沢慧音は眉間を抑えた。
唯一の救いは、自分の分の茶も淹れてあるということだろうか。茶葉は彼女の家のものだが。
上白沢邸は人里の一番外側、湖へ至る道の傍に建てられている。
紅魔館からは、湖畔を回って森を迂回するルートと、森の中を抜けるルートがある。
咲夜は、普段は第三の選択である空を飛ぶという方法で人里へと向かうのだが、今回は考えを纏めるために遭えて迂回ルートを選んだ。
本日は快晴であり、洗濯物も人も妖怪もよく乾く。更に喉も渇いてしまったという時に上白沢邸が見えたのだから、あがり込んで茶を淹れるのは悪魔の使いとして道理である。
「で、どうなの?」と視線で問うてくるメイドに、慧音はちゃぶ台を挟んで座りつつもただ嘆息するばかりであった。
「私が知っているのはあくまで歴史であって、食文化はそこまで詳しくないぞ。大体、紅魔館には魔女がいるだろう」
「パチュリー様は実験で引きこもってるわ。知ってる限りでいいのよ。トマトや唐辛子はともかく、赤い和食なんて知らないし」
「・・・・・先ずは、その知ってる範囲で料理してみたらどうだ。全部知ったところで、一つの料理に使えるのはそこまで多くないだろう。トマトを使う食べ物だって、"トマト蕎麦げてぃ"なるものがあるのだろう?げてぃの意味は分からんが」
「・・・スパゲティね」
「蕎麦の様な物だと聞いたが、それが正式名か」
「美味しいわよ。蕎麦以上に癖が無いから、いろいろな物に合うわ」
会話がすれ行く中、咲夜は一人納得していた。
言われたように、先ずは知っている物で作ればいいのだ。
少々難しく考えすぎたかと反省し、彼女はその場を後にした。当然、時は止める。
茶を飲み終わった慧音だが、メイドが消えた状況が呑みこめない。きっかり五秒、彼女の時は止まった。
紅で満ちる部屋を、複数のシャンデリアの灯りが押しのけている。
灯りは天井と、真下のテーブルと並ぶ料理を満遍なく照らし、整えられたメインディッシュをより美味に見せた。
それらは殆どが人の食すものではないが、見ただけではそうとは気付かないだろう。
しかし、眼前にメインディッシュが並べられた時、レミリアは直ぐに声を上げた。
「咲夜、これは何?」
「"スパゲティ・スカーレットスペシャル・パプリカとトマトの海に佇まうバベル"にございます」
紅魔の主はそれを眺める。
芳醇な香りのトマトソースがこれでもかと掛けられたスパゲティは海と呼ぶに相応しく、中央付近には刻まれたバジルが孤島のように塗せられていた。
問題はそこではなく、中央に聳え立つ塔であろう。
海以上の紅を身に纏い、塔は荒々しくも荘厳と聳えていた。表面は磨き上げられたようにすべすべで、頂上に向かうほどに尖って行く姿は、猛禽の爪のようである。
もう一度、レミリアが口を開く。
「この真ん中のは何?」
「トウガラシの一種にございます。通常のそれよりも強力で、その辛さから暴君と恐れられているとか」
「暴君?」
「はい。夜の王の食事の末席に加えるには丁度良いかと。しかしあまりに強力ですので、お嬢様がそれを避けても、私は何も言いません」
「そう」
しかし、主は従者の忠告に耳を貸さなかった。フォークを掴み、真っ先に塔に突き刺す。
「この私がこんな爪の先みたいな小さな存在に物怖じするはずが・・・無いでしょう!」
勢いに任せて持ち上げられたフォークは、レミリアの顔の少し下で止まる。塔が海から抜けたのだ。
乗っていたと思われていた暴君は、その身の半分をスパゲティの海に委ねていた。それが今露わとなり、夜の王と向き合っている。
(・・・・・でかっ)
内心、レミリアは怯んでいた。が、彼女は吸血鬼。傲慢で大いなる夜の王である。たかだか香辛料如きに負けるわけにはいかない。
ままよ!と、彼女は頬張った。鈍い音が頭蓋に響く中、勢いのままに噛み砕いた。
最初に来たのは少量の爽快感、そしてトウガラシ特有の辛さだ。そこまでは彼女も想定していた。好きか嫌いかと問われれば嫌いだが、トウガラシの辛さは彼女も把握している。
次に来たのは痛みだった。痛みは目、口、喉、鼻腔へと瞬時に広がる。彼女の口が、止まった。
刺激で涙が自然と浮かび、全身の発汗能力が全力で動き出す。嘔吐感まで発生し、舌が自然と異物を排除しようと動いた。
それを止めたのは、吸血鬼の強靭な精神だ。味覚は暴君を完全に敵と認識し排除を訴えているが、彼女はそれをするわけにはいかない。
停滞していた租借を無理矢理に再開させ、一気に飲み込む。何かが悲鳴を上げるが、非道な吸血鬼は構いはしない。震える手でティーカップを掴み、勤めて優雅に、一口啜る。
そうすることで落ち着きを取り戻し、レミリアは不敵な笑みを浮かべた。
「やひゃり、こにょ程度、大ひたこひょにゃいわにぇ」
「流石ですお嬢様」と、咲夜は深々と頭を下げた。
「そして何故また家に来た?」
「聞きたいでしょ? 結果」
いつの間にか居間で茶を啜っている銀髪メイドを見て、上白沢慧音は眉間を抑えた。
唯一の救いは、自分の分の茶も淹れてあるということだろうか。勿論、茶葉は彼女の家のものだ。
このまま追い返そうかとも思った慧音だが、あまりよく知らない紅魔館の情報だ。受け流す程度に聞いておこうと思い直し・・・
「それにしてもこのお茶っ葉あんまり美味しくないわね。安物でしょ」
「嫌なら帰れ。私は忙しい」
「いやね、悪魔ジョークというやつよ」
何故か心身ともに疲れた慧音に、咲夜は構わず話を始める。
「もうほんと凄いのよレミリアお嬢様、ハバネロ一本生でいっちゃったんだから。頬を真っ赤に染めて凄く苦しそうで、目に涙まで浮かべて、それでも一生懸命に飲み込もうとするのよ。もう可愛過ぎて」
「・・・表現が卑猥じゃないか?」
「気のせいよ、欲求不満なんじゃない?」
それでね、と咲夜は話題を変えた。
主の自慢はし足りないが、本題を忘れるわけにはいかない。
「洋食で使えそうな物は大体使ったんだけど、和食で何か無いかしら?」
「大体?」
「ええ」
「トマトは?」
「スパゲティ。赤パプリカも入ってるわ。」
「タバスコ」
「トウガラシはハバネロで済んでるし、前菜のミネストローネにも入れたわ」
「りんご」
「赤いのは皮だけ。それに、果物は普段から食べてるのよ」
「四川料理はどうだ? 確か門番が中国風の格好をしてたと思うが」
「この物語に中華成分はありません」
「・・・・・なんだそれは」
「メタ発言というやつね。で、何か無いかしら」
慧音は考えた。堅物である彼女は、応用力に乏しい。受け止めることは出来ても、流れを変えるのは苦手である。
だから、それとなく話題を変えようとしても失敗するのは誰の目から見ても明らかなのだが、彼女は未だ気づけて居ない。
「仕方ない」彼女は観念した。
「とは言っても、幻想郷で手に入る物なんて限りがあるぞ。精々、紅しょうがと福神漬けくらいだ」
「片方から強敵の香りがするわね」
「そうだな。名前とは其の物を認識するための記号ではあるが、その名で認識されたということは、名を授かる事になる。名付けという行為は言葉を持つ物ならば誰でも出来るが、『名付ける側』に寄って意味が付加される事もある。例を挙げれば、神や悪魔が命名した場合だ。本人が意図した場合は勿論、意図せずともその名に縛られる事になる。格が高ければ尚更だな。人間の場合でもそれは発生するが、余程のことがない限りは存在を認識するための記号として終止する。とは言え、神や悪魔と定義したのは人であるから、相当信心深かったのだろうな。もう一つ、元々あった名前の意味を引き出して力とするものがあるようだ。どちらも言霊というものだが、この福神漬けの場合は後者だな。不幸や理不尽の象徴である悪魔が福の神を喰らおうとした時、どうなるかは興味はあるが・・・・ って居ないし!!!」
客人もどきが消えていた。
理不尽の遣いはやはり理不尽だと、勢いで頭突き割った卓袱台を眺めつつ慧音は思った。
その日の紅魔館への赤きチャレンジャーは、夕食ではなくティータイムにその姿を現した。
ロフトで夜気を愉しんでいたレミリアは、従者の持ってきた闖入者を胡乱気な眼差しで見、指を挿す。
「咲夜、これは何?」
「本日のお茶請けにございます、お嬢様」
言われ、彼女はもう一度見やる。
一見して、どちらも着色された加工品であることが分かる。あまりにお粗末。B級グルメにもならないと吐き捨てて、レミリアは下げさせようとした。
しかし咲夜は下げず、代わりに名を言う。真紅に染まる加工品の名を。
「・・・咲夜、私に福を食えと言うのかしら? この悪魔に」
「はいお嬢様。人が本来食す福を取り上げ喰らう。夜の王に相応しき所業ではないかと」
吸血鬼の指が、くまさんプリントのフォークをゆっくりと掴んだ。
実のところ、彼女は既に飽きてしまっている。だが夜の王を自称する身として、ああ言われてしまっては引く訳にはいかなかった。
刺したフォークに、しんなりした、ほど良い弾力が返ってくる。
ややぶっきらぼうに口に放り込むと、それは口内に甘味を広げていった。
先日のハバネロの件もあってか、レミリアは拍子抜けした面持ちで福神漬けを平らげる。
最後に紅茶で口直しすると、彼女は面白いものだったわとカップを置いた。
「けれど、せめて紅茶に合うものになさい。もしくは、神社で飲むようなお茶とか」
「生憎、紅魔館に緑茶葉はございません。赤のもの以外を置いても構わないのでしたら、置きますが」
「・・・まあいいわ。こっちのは何? 香りからしてジンジャーのようだけど」
「はい、お嬢様。それは紅しょうがにございます」
レミリアの顔から笑みが消えた。
紅。即ち、スカーレットの名をしょうが如きが頂いていた事に意表を突かれたのだ。
レミリアは看過する訳にはいかない。迅速に制圧し、自らが上だと知らしめねばならない。
だからフォークを突き刺したのだが、目の当たりにしたのは有り得ぬ光景だった。
「─────!?」
刺さらない。まるで石でも突いたように、その紅は刺さることを拒否したのだ。
レミリアの手に力が篭るが、それでもフォークは貫けない。テーブルが軋みを上げようが、盛り付けられた皿にヒビが入ろうが、紅しょうがに傷は入らず。フォークは1mmも食い込まず。
彼女は我知らず口端を上げていた。従者を下がらせ、その身を頭上の闇へと放る。
視線は逸らさぬ。狙いは外さぬ。紅しょうがの中央に向けてくまさんフォークを突きつけて穂先とし、夜の王は自身を一本の槍とした。
夜符「バッドレディスクランブル」
紅の衝撃がロフトを貫き、静寂を轟音と衝撃で駆逐する。
木片と土煙を翼の一凪ぎで打ち払うと、彼女は笑みを見せた。引きつるような笑みを。
視線は未だ強敵に向いている。変化があったのは、紅しょうがではなく彼女の持つお気に入りのフォークだ。
折れていた。ぽっきりと、ひしゃげ、その役割を全うする事無く。
図書館から出たパチュリーは、何やら騒がしいことに気づいた。
興味津々な小悪魔には出ないよう言いつけ、彼女は魔法障壁で防御を固めつつ、騒ぎの元へ進んだ。
最初はフランドールの仕業かと思ったのだが、騒ぎの張本人である筈の彼女とも合流してしまった。
「地下まで響いてきたのよね。どうもお姉さまがやったみたいなんだけど、相手の気配がないのよ」
「妹様が気配を感じないなんて相当ね」
破砕、粉砕、その他諸々の快音の元へたどり着く。
聞こえるのは、打撃音と金属が弾く様な軽快な音だ。どちらも連続して聞こえるため、最早よく分からない。
扉を開けば、緑の死体と銀髪のメイド、そして部屋全体を縦横無尽に飛び跳ねる紅の残像がパチュリーの視界に入った。
どうも、打撃音はレミリアのものらしい。
咲夜が振り向いた。
「レミィは何をしてるの?」
「只今、お嬢様は強敵と戦っておられます」
「強敵?」
「はい」
と、咲夜は転がる緑を指差した。
それはどこかで見たことが有り、中華風の格好をしていた。
何故門番がここで寝ているのかは置いておくとして、パチュリーが気付いたのは彼女の眉間に刺さっている紅色の物体だった。
フランドールも気付いたようで、ねえねえと昨夜の袖を引っ張る。
「この、お姉さまに似た色のは何?」
「紅しょうがにございます。紅の名を持つものとして、現在お嬢様が戦っておられます」
「なんで美鈴に刺さってるのかしら?」
「エキサイトしてるお嬢様の隣で、空気も読まず紅しょうがを食べたからですわ」
「ああ」
合点が行ったので門番は眠らせておくことにしておいて、パチュリーはレミリアに呼びかけた。
「そんな事しても無駄よ」
返事は物理的だ。気が立っているのだろう。
突き刺さる紅しょうがの増えた門番バリアを捨てると、仕方なくパチュリーは見物することにした。
フランドールは始めから関わるつもりが無いのか、ケラケラと笑って姉の攻撃を見ている。
レミリアの攻撃は苛烈で、しかし繊細だ。
攻撃は口での噛み付きのみ。だが、手を変え品を変え、あらゆる角度から連続して紅しょうがに挑んでいる。
正面からの食い千切り。
急降下から全身のバネの使っての、燕返しとも言える二段食い千切り。
フェイントを入れつつの左右挟みこみ。
それらが絶え間無く続き、全方向からの衝撃で対象は常に踊るように浮遊していた。
当のしょうがは未だ無傷だ。くるくると回り、舞い上がり、レミリアの唾液を飛散させて輝いている。
夜の王と紅しょうが。この一人と一つの舞踏は美しく、最早芸術だと咲夜は思い、見惚れていた。
「そろそろいいかしら」そう言われ、漸く彼女は我に還る。
声のほうには、退屈しきった魔女と、同じく退屈している妹様がいる。
「私の実験もあるのだけど、レミィがあれに苦戦してるのは、名前のもつ言霊のせいね。どうせ"べに"を"スカーレット"と認識したんでしょ。しかも力のある悪魔が。その時点で、あの紅しょうがはレミィにとって同格の存在となったのね。更には、色もレミィのドレスに似てる。あの子が戦ってるのは、もうしょうがじゃなくて彼女自身ね。あの子の体力だと、日が出るまで終わらないわよ」
そう言えばと、咲夜は里での寄り道で聞いたようなと思い返す。長々と説明するので自主的に切り上げたが、そういうことだったのかと合点がいく。
「では、どうするので?」
「私の実験もあると言ったわ。まあ、その効果もあと1分くらいでしょうし、そろそろ均衡は崩れると思うわ」
そう魔女が言い終わると同時、舞踏は唐突に終息した。見れば、レミリアが拳を天に向かって突き上げている。
誰もが悟った、終わったのだと。
高笑いの代わりにポリポリと可愛らしい音が聞こえる中、見世物が終わったとパチュリーは図書館へ、フランドールはそのまま館の散歩へ消えていく。
咲夜は一礼し、待機した。
もうすぐ来るであろう命令を待つ。
「咲夜、これ美味しくない」
「しょうがありませんわ」
紅とは床であり、壁であり、天井であり、ドアである。
白とはエプロンとヘッドドレスで、紺はその下に着込んだ紅魔館の制服だ。
銀の髪と視線は退魔に向いた色であるがしかし、それらを持つ人物は、悪魔の館に仕えるのに十分な雰囲気を供えていた。
風格を漂わせつつも粛々と歩む彼女は、一つの大きな両開きの扉に辿り着く。
「失礼致します」と扉を開くとやはり真っ赤な部屋があり、上座のソファーに寛ぐ主を見つけた。
そして、十六夜咲夜は命令を待つ。絶大な力を持った恐るべき悪魔である、吸血鬼レミリア=スカーレットの命令を。
「咲夜、紅とは何かしら?」
「はい、赤の上位にあり、最も鮮やかで美しく、衝撃的な命の色と存じます。当然ながら、其れを食される吸血鬼こそ夜の王に相応しいかと」
「そうね。じゃあ咲夜、全ての赤い物を食せば、紅の地位は確固たる物になると思わないかしら」
「勿論です。そして、赤の頂点に立つ紅(スカーレット)ならば、必ずや全ての赤を攻略できると信じております」
「では行きなさい」
「御意」
従者の姿が消え、扉が閉まる。
さて・・・ と、玄関に出たところで咲夜は考えた。
全ての赤いものを食べたいと言うが、赤い食材などそれこそ豊富にある。しかし、彼女の知る限り、今までレミリアに与えた赤い食材はイチゴやさんくらんぼ、リンゴといった所謂果物であり、甘いものだ。
500年は生きているのだから様々なものに遭遇しているのだろうが、吸血鬼は偏食家だ。それ以外は全く手を付けていないのでは無いかと彼女は思う。
しかし、これはチャンスだとも。
これを機に主の偏食を無くし、健康的な吸血鬼生活をしてもらおう。そう画策することにしたのだ。
かくして、紅魔の従者は人里へ足を向けた。
「それが何故家に来た?」
「貴女、色々知ってるんでしょ?」
いつの間にか居間で茶を啜っている銀髪メイドを見て、上白沢慧音は眉間を抑えた。
唯一の救いは、自分の分の茶も淹れてあるということだろうか。茶葉は彼女の家のものだが。
上白沢邸は人里の一番外側、湖へ至る道の傍に建てられている。
紅魔館からは、湖畔を回って森を迂回するルートと、森の中を抜けるルートがある。
咲夜は、普段は第三の選択である空を飛ぶという方法で人里へと向かうのだが、今回は考えを纏めるために遭えて迂回ルートを選んだ。
本日は快晴であり、洗濯物も人も妖怪もよく乾く。更に喉も渇いてしまったという時に上白沢邸が見えたのだから、あがり込んで茶を淹れるのは悪魔の使いとして道理である。
「で、どうなの?」と視線で問うてくるメイドに、慧音はちゃぶ台を挟んで座りつつもただ嘆息するばかりであった。
「私が知っているのはあくまで歴史であって、食文化はそこまで詳しくないぞ。大体、紅魔館には魔女がいるだろう」
「パチュリー様は実験で引きこもってるわ。知ってる限りでいいのよ。トマトや唐辛子はともかく、赤い和食なんて知らないし」
「・・・・・先ずは、その知ってる範囲で料理してみたらどうだ。全部知ったところで、一つの料理に使えるのはそこまで多くないだろう。トマトを使う食べ物だって、"トマト蕎麦げてぃ"なるものがあるのだろう?げてぃの意味は分からんが」
「・・・スパゲティね」
「蕎麦の様な物だと聞いたが、それが正式名か」
「美味しいわよ。蕎麦以上に癖が無いから、いろいろな物に合うわ」
会話がすれ行く中、咲夜は一人納得していた。
言われたように、先ずは知っている物で作ればいいのだ。
少々難しく考えすぎたかと反省し、彼女はその場を後にした。当然、時は止める。
茶を飲み終わった慧音だが、メイドが消えた状況が呑みこめない。きっかり五秒、彼女の時は止まった。
紅で満ちる部屋を、複数のシャンデリアの灯りが押しのけている。
灯りは天井と、真下のテーブルと並ぶ料理を満遍なく照らし、整えられたメインディッシュをより美味に見せた。
それらは殆どが人の食すものではないが、見ただけではそうとは気付かないだろう。
しかし、眼前にメインディッシュが並べられた時、レミリアは直ぐに声を上げた。
「咲夜、これは何?」
「"スパゲティ・スカーレットスペシャル・パプリカとトマトの海に佇まうバベル"にございます」
紅魔の主はそれを眺める。
芳醇な香りのトマトソースがこれでもかと掛けられたスパゲティは海と呼ぶに相応しく、中央付近には刻まれたバジルが孤島のように塗せられていた。
問題はそこではなく、中央に聳え立つ塔であろう。
海以上の紅を身に纏い、塔は荒々しくも荘厳と聳えていた。表面は磨き上げられたようにすべすべで、頂上に向かうほどに尖って行く姿は、猛禽の爪のようである。
もう一度、レミリアが口を開く。
「この真ん中のは何?」
「トウガラシの一種にございます。通常のそれよりも強力で、その辛さから暴君と恐れられているとか」
「暴君?」
「はい。夜の王の食事の末席に加えるには丁度良いかと。しかしあまりに強力ですので、お嬢様がそれを避けても、私は何も言いません」
「そう」
しかし、主は従者の忠告に耳を貸さなかった。フォークを掴み、真っ先に塔に突き刺す。
「この私がこんな爪の先みたいな小さな存在に物怖じするはずが・・・無いでしょう!」
勢いに任せて持ち上げられたフォークは、レミリアの顔の少し下で止まる。塔が海から抜けたのだ。
乗っていたと思われていた暴君は、その身の半分をスパゲティの海に委ねていた。それが今露わとなり、夜の王と向き合っている。
(・・・・・でかっ)
内心、レミリアは怯んでいた。が、彼女は吸血鬼。傲慢で大いなる夜の王である。たかだか香辛料如きに負けるわけにはいかない。
ままよ!と、彼女は頬張った。鈍い音が頭蓋に響く中、勢いのままに噛み砕いた。
最初に来たのは少量の爽快感、そしてトウガラシ特有の辛さだ。そこまでは彼女も想定していた。好きか嫌いかと問われれば嫌いだが、トウガラシの辛さは彼女も把握している。
次に来たのは痛みだった。痛みは目、口、喉、鼻腔へと瞬時に広がる。彼女の口が、止まった。
刺激で涙が自然と浮かび、全身の発汗能力が全力で動き出す。嘔吐感まで発生し、舌が自然と異物を排除しようと動いた。
それを止めたのは、吸血鬼の強靭な精神だ。味覚は暴君を完全に敵と認識し排除を訴えているが、彼女はそれをするわけにはいかない。
停滞していた租借を無理矢理に再開させ、一気に飲み込む。何かが悲鳴を上げるが、非道な吸血鬼は構いはしない。震える手でティーカップを掴み、勤めて優雅に、一口啜る。
そうすることで落ち着きを取り戻し、レミリアは不敵な笑みを浮かべた。
「やひゃり、こにょ程度、大ひたこひょにゃいわにぇ」
「流石ですお嬢様」と、咲夜は深々と頭を下げた。
「そして何故また家に来た?」
「聞きたいでしょ? 結果」
いつの間にか居間で茶を啜っている銀髪メイドを見て、上白沢慧音は眉間を抑えた。
唯一の救いは、自分の分の茶も淹れてあるということだろうか。勿論、茶葉は彼女の家のものだ。
このまま追い返そうかとも思った慧音だが、あまりよく知らない紅魔館の情報だ。受け流す程度に聞いておこうと思い直し・・・
「それにしてもこのお茶っ葉あんまり美味しくないわね。安物でしょ」
「嫌なら帰れ。私は忙しい」
「いやね、悪魔ジョークというやつよ」
何故か心身ともに疲れた慧音に、咲夜は構わず話を始める。
「もうほんと凄いのよレミリアお嬢様、ハバネロ一本生でいっちゃったんだから。頬を真っ赤に染めて凄く苦しそうで、目に涙まで浮かべて、それでも一生懸命に飲み込もうとするのよ。もう可愛過ぎて」
「・・・表現が卑猥じゃないか?」
「気のせいよ、欲求不満なんじゃない?」
それでね、と咲夜は話題を変えた。
主の自慢はし足りないが、本題を忘れるわけにはいかない。
「洋食で使えそうな物は大体使ったんだけど、和食で何か無いかしら?」
「大体?」
「ええ」
「トマトは?」
「スパゲティ。赤パプリカも入ってるわ。」
「タバスコ」
「トウガラシはハバネロで済んでるし、前菜のミネストローネにも入れたわ」
「りんご」
「赤いのは皮だけ。それに、果物は普段から食べてるのよ」
「四川料理はどうだ? 確か門番が中国風の格好をしてたと思うが」
「この物語に中華成分はありません」
「・・・・・なんだそれは」
「メタ発言というやつね。で、何か無いかしら」
慧音は考えた。堅物である彼女は、応用力に乏しい。受け止めることは出来ても、流れを変えるのは苦手である。
だから、それとなく話題を変えようとしても失敗するのは誰の目から見ても明らかなのだが、彼女は未だ気づけて居ない。
「仕方ない」彼女は観念した。
「とは言っても、幻想郷で手に入る物なんて限りがあるぞ。精々、紅しょうがと福神漬けくらいだ」
「片方から強敵の香りがするわね」
「そうだな。名前とは其の物を認識するための記号ではあるが、その名で認識されたということは、名を授かる事になる。名付けという行為は言葉を持つ物ならば誰でも出来るが、『名付ける側』に寄って意味が付加される事もある。例を挙げれば、神や悪魔が命名した場合だ。本人が意図した場合は勿論、意図せずともその名に縛られる事になる。格が高ければ尚更だな。人間の場合でもそれは発生するが、余程のことがない限りは存在を認識するための記号として終止する。とは言え、神や悪魔と定義したのは人であるから、相当信心深かったのだろうな。もう一つ、元々あった名前の意味を引き出して力とするものがあるようだ。どちらも言霊というものだが、この福神漬けの場合は後者だな。不幸や理不尽の象徴である悪魔が福の神を喰らおうとした時、どうなるかは興味はあるが・・・・ って居ないし!!!」
客人もどきが消えていた。
理不尽の遣いはやはり理不尽だと、勢いで頭突き割った卓袱台を眺めつつ慧音は思った。
その日の紅魔館への赤きチャレンジャーは、夕食ではなくティータイムにその姿を現した。
ロフトで夜気を愉しんでいたレミリアは、従者の持ってきた闖入者を胡乱気な眼差しで見、指を挿す。
「咲夜、これは何?」
「本日のお茶請けにございます、お嬢様」
言われ、彼女はもう一度見やる。
一見して、どちらも着色された加工品であることが分かる。あまりにお粗末。B級グルメにもならないと吐き捨てて、レミリアは下げさせようとした。
しかし咲夜は下げず、代わりに名を言う。真紅に染まる加工品の名を。
「・・・咲夜、私に福を食えと言うのかしら? この悪魔に」
「はいお嬢様。人が本来食す福を取り上げ喰らう。夜の王に相応しき所業ではないかと」
吸血鬼の指が、くまさんプリントのフォークをゆっくりと掴んだ。
実のところ、彼女は既に飽きてしまっている。だが夜の王を自称する身として、ああ言われてしまっては引く訳にはいかなかった。
刺したフォークに、しんなりした、ほど良い弾力が返ってくる。
ややぶっきらぼうに口に放り込むと、それは口内に甘味を広げていった。
先日のハバネロの件もあってか、レミリアは拍子抜けした面持ちで福神漬けを平らげる。
最後に紅茶で口直しすると、彼女は面白いものだったわとカップを置いた。
「けれど、せめて紅茶に合うものになさい。もしくは、神社で飲むようなお茶とか」
「生憎、紅魔館に緑茶葉はございません。赤のもの以外を置いても構わないのでしたら、置きますが」
「・・・まあいいわ。こっちのは何? 香りからしてジンジャーのようだけど」
「はい、お嬢様。それは紅しょうがにございます」
レミリアの顔から笑みが消えた。
紅。即ち、スカーレットの名をしょうが如きが頂いていた事に意表を突かれたのだ。
レミリアは看過する訳にはいかない。迅速に制圧し、自らが上だと知らしめねばならない。
だからフォークを突き刺したのだが、目の当たりにしたのは有り得ぬ光景だった。
「─────!?」
刺さらない。まるで石でも突いたように、その紅は刺さることを拒否したのだ。
レミリアの手に力が篭るが、それでもフォークは貫けない。テーブルが軋みを上げようが、盛り付けられた皿にヒビが入ろうが、紅しょうがに傷は入らず。フォークは1mmも食い込まず。
彼女は我知らず口端を上げていた。従者を下がらせ、その身を頭上の闇へと放る。
視線は逸らさぬ。狙いは外さぬ。紅しょうがの中央に向けてくまさんフォークを突きつけて穂先とし、夜の王は自身を一本の槍とした。
夜符「バッドレディスクランブル」
紅の衝撃がロフトを貫き、静寂を轟音と衝撃で駆逐する。
木片と土煙を翼の一凪ぎで打ち払うと、彼女は笑みを見せた。引きつるような笑みを。
視線は未だ強敵に向いている。変化があったのは、紅しょうがではなく彼女の持つお気に入りのフォークだ。
折れていた。ぽっきりと、ひしゃげ、その役割を全うする事無く。
図書館から出たパチュリーは、何やら騒がしいことに気づいた。
興味津々な小悪魔には出ないよう言いつけ、彼女は魔法障壁で防御を固めつつ、騒ぎの元へ進んだ。
最初はフランドールの仕業かと思ったのだが、騒ぎの張本人である筈の彼女とも合流してしまった。
「地下まで響いてきたのよね。どうもお姉さまがやったみたいなんだけど、相手の気配がないのよ」
「妹様が気配を感じないなんて相当ね」
破砕、粉砕、その他諸々の快音の元へたどり着く。
聞こえるのは、打撃音と金属が弾く様な軽快な音だ。どちらも連続して聞こえるため、最早よく分からない。
扉を開けば、緑の死体と銀髪のメイド、そして部屋全体を縦横無尽に飛び跳ねる紅の残像がパチュリーの視界に入った。
どうも、打撃音はレミリアのものらしい。
咲夜が振り向いた。
「レミィは何をしてるの?」
「只今、お嬢様は強敵と戦っておられます」
「強敵?」
「はい」
と、咲夜は転がる緑を指差した。
それはどこかで見たことが有り、中華風の格好をしていた。
何故門番がここで寝ているのかは置いておくとして、パチュリーが気付いたのは彼女の眉間に刺さっている紅色の物体だった。
フランドールも気付いたようで、ねえねえと昨夜の袖を引っ張る。
「この、お姉さまに似た色のは何?」
「紅しょうがにございます。紅の名を持つものとして、現在お嬢様が戦っておられます」
「なんで美鈴に刺さってるのかしら?」
「エキサイトしてるお嬢様の隣で、空気も読まず紅しょうがを食べたからですわ」
「ああ」
合点が行ったので門番は眠らせておくことにしておいて、パチュリーはレミリアに呼びかけた。
「そんな事しても無駄よ」
返事は物理的だ。気が立っているのだろう。
突き刺さる紅しょうがの増えた門番バリアを捨てると、仕方なくパチュリーは見物することにした。
フランドールは始めから関わるつもりが無いのか、ケラケラと笑って姉の攻撃を見ている。
レミリアの攻撃は苛烈で、しかし繊細だ。
攻撃は口での噛み付きのみ。だが、手を変え品を変え、あらゆる角度から連続して紅しょうがに挑んでいる。
正面からの食い千切り。
急降下から全身のバネの使っての、燕返しとも言える二段食い千切り。
フェイントを入れつつの左右挟みこみ。
それらが絶え間無く続き、全方向からの衝撃で対象は常に踊るように浮遊していた。
当のしょうがは未だ無傷だ。くるくると回り、舞い上がり、レミリアの唾液を飛散させて輝いている。
夜の王と紅しょうが。この一人と一つの舞踏は美しく、最早芸術だと咲夜は思い、見惚れていた。
「そろそろいいかしら」そう言われ、漸く彼女は我に還る。
声のほうには、退屈しきった魔女と、同じく退屈している妹様がいる。
「私の実験もあるのだけど、レミィがあれに苦戦してるのは、名前のもつ言霊のせいね。どうせ"べに"を"スカーレット"と認識したんでしょ。しかも力のある悪魔が。その時点で、あの紅しょうがはレミィにとって同格の存在となったのね。更には、色もレミィのドレスに似てる。あの子が戦ってるのは、もうしょうがじゃなくて彼女自身ね。あの子の体力だと、日が出るまで終わらないわよ」
そう言えばと、咲夜は里での寄り道で聞いたようなと思い返す。長々と説明するので自主的に切り上げたが、そういうことだったのかと合点がいく。
「では、どうするので?」
「私の実験もあると言ったわ。まあ、その効果もあと1分くらいでしょうし、そろそろ均衡は崩れると思うわ」
そう魔女が言い終わると同時、舞踏は唐突に終息した。見れば、レミリアが拳を天に向かって突き上げている。
誰もが悟った、終わったのだと。
高笑いの代わりにポリポリと可愛らしい音が聞こえる中、見世物が終わったとパチュリーは図書館へ、フランドールはそのまま館の散歩へ消えていく。
咲夜は一礼し、待機した。
もうすぐ来るであろう命令を待つ。
「咲夜、これ美味しくない」
「しょうがありませんわ」
けど、くまさんふぉーくでは場をわきまえず笑ってしまいました。
お嬢様ハバネロは1本生で食べるものではありません!
久々に面白い作品を読ませていただきました。
しょうがばいから百点持ってって