喫茶店『にゃんにゃんフュージョン』――
赤と黄色の蛍光塗料で色づけされた看板の店。
その中でこくり、と少女の喉が鳴った。
清潔感が漂う白を基調とした店内に置かれたいくつもの丸テーブル、その一つ一つに純白のクロスが掛けられており、中央には質素なお品書きが見える。一輪挿しも何もないテーブルのせいでどうしてもその四角い紙が目に付いてしまうのだが、もしかしたらそれこそが作戦のひとつで、
『どんな料理があるのだろう?』
と、丁寧な字で書き込まれた紙を何となく手に取らせるためなのかもしれない。しかし席についた少女の瞳はそんな計略などまるで気にせず、目の前の煎茶に釘付けだった。他の甘味など何も置かれていないというのに、趣のある焼き物の湯飲みから目が話せないでいた。しばらく表面を眺めていた少女は、左手でもう一度湯飲みを掴んで口元に持ってきた。けれど今度はお茶を飲むことなく、大きく息だけを吸い込んだ。
ゆっくり、それでいて大胆に。
鼻腔を通る香りを堪能した霊夢は、椅子の背もたれにその身を預けて。
「……店名失格、明日までに変えておくこと」
と、いきなり真顔で店の看板を否定してきた。
「いやいや、お姉さん。あたいは確か、お茶とかさっき食べて貰った料理とかの味を質問したはずなんだけどさ」
すると、いつもの服の上からフリル付の白いエプロンを着たお燐が、困ったように眉根を下げる。味を聞いたら予想外の反対意見が発生したのだからどうしようもない。
『いい天気ですね』
と声をかけたら、いきなり右フックが飛んできたようなものである。これぞまさしく猫だまし、とか言ってる場合ではなく。
「こんな美味しいお茶と料理が出せるっていうのに、何あの店名。ふざけてるの? むしろ喫茶店なのにメイン肉料理って何よ」
霊夢が指差すお品書きにの半分はハンバーグやステーキで埋め尽くされていて、喫茶店らしいデザートや飲み物がないがしろにされている。実に重量感たっぷりで、どんな客を狙っているのかさえわからない。
「おやおや、わかってないねぇお姉さん。あの名前は由緒正しい、名家のお姉さんが付けてくれたものなんだよ。地底との友好の印にね。それに料理だって、ねぇ、お空?」
話を振ると、同じくエプロンを付けたお空がぴくり、と、反応し。
「……んへ?」
突っ伏していたテーブルから顔を上げた。
額には円状の赤みが残り、テーブルクロスの上には何かのシミが残っている。そしてその名残が口の端をわずかに照らしているわけで。
そうとも知らずに、キョロキョロと周囲を見渡した後で、霊夢とお燐の姿を発見。
じーっと、しばらく視線を硬直させてから、ばさりっ、と大きく羽を動かし素早く立ち上がった。
「い、いらっしゃいませ! 何名さまですか!」
あきらかに一名である。
「こういうことだよ、お姉さん。お空が自分の好きな料理を入れたいって聞かなくてねぇ」
「ああ、うん、わかんない。人選ミスとあんたの苦労はわかったけれど、ネーミングの意図とかの意味がまったくわからない」
いくら霊夢しか客がいないからと言って油断しすぎだ。
お空は長い黒髪とリボンを揺らしながら一礼して、なんだか泣きそうになりながらお燐を見ていた。眠っていたことを注意されると思ったのだろう。
だからお燐は仕方なく。
「お空、ここの命名案を出してくれたえら~いお人の名前が言えたら、休憩時間をあげるよ。それと、別にあたいは怒らないから。こっちのお姉さんだって、お空は寝てても大丈夫だって思ってるよ」
「ほ、ほんと? 後で頭ぐりぐりとかしない?」
「しない」
「わーい、やったー!」
昼の地霊殿劇場を生で眺めながら、どこをどう突っ込めばいいのか霊夢が迷っていると。とうとう、望んでいた答えが明かされる。
「えーっとね、確か、お屋敷の名前が」
お空は指を顎に当て、少しだけ悩む素振りを見せてから。
ぱぁっと表情を明るくし、
「子馬さん!」
惜しい。
惜しいのに、かなり遠いのは何故だろう。
「やったね、お空! たった一文字違いだよ!」
子馬さん、と一文字違うもの。
と、くれば、答えはひとつしかない。
「なーるほどねレミリアか、相変わらず凄いのか凄くないのかわからないやつね」
「ま、そういうことでね。そうそう簡単に変えられないってわけさ。あのお屋敷のメイドなんかは、たまに温泉にも寄ったりしてくれてるみたいだし、名前を変えて気を悪くして貰っても困るからさ」
「だからせめて味だけでもってこと?」
「うんうん、さとり様がお客さんの心を読んで、美味しい料理を作れる数人を見つけ出す。その後に、いいとこどりして最高の料理に仕上げたってわけなんだよね。お茶の作り方とかもこっそり覗いて、お姉さんの知識も参考にさせてもらったよ。真似しながら独自の手法を加えるのは基本、とかさとり様も言ってたし」
「情報料取るわよ?」
「やーん、おねえさん~、ほらほら、今日の料理は全部無料にしとくからさぁ」
「……どおりでいつもより丁寧だと思ったらそれが狙いか。食えない猫ね」
「じゃあ、食べられる猫もいるのかな?」
「はいはい、お空~、寝てていいからね~」
「うゅぅ~」
いつもながらのペットのやり取りが場を和ませる。
そんな中で、霊夢はお茶を口にしながら店内の様子をもう一度眺めた。
30人~40人くらいを想定した広さの空間。
日の光の変わりにランプや霊力を力の源とした照明も下がっていて、かなり明るい。調整すれば店内の雰囲気の微調整も可能だろう。それに加えて、チリひとつ落ちていない床と、中々の味の料理と飲み物。しかも、値段も良心的ときたものだ。
そして、妖怪ながら可愛らしい店員が二名。それなのに、昼から夕方にかけてのこの時間帯に霊夢一人しかいないというのは……
「……立地条件と、知名度ね。これは」
地底というだけで、地上の人間がちょっと身を引いてしまうのは事実である。それに温泉を利用するお客だけを目標にするとしても、割に合わない。けれど、それでも二人は問題ないのだと言う。
「んー、さとり様は別に儲けなくていいっていってたから、お風呂の後で、ゆっくり雑談できるような、交流できる場所を作りたいって言って、え~っと……勇儀お姉さんに頼んだんだっけ?」
「違うよ、相談したら勇儀が勝手に作っちゃったんだってさ。早とちりで」
「へー、お空よく覚えてたねぇ」
「っていう、さとり様のメモが服の中に入ってた」
「さすがさとり様、読みが深い」
放任していたと言っても、そこは主ということだろうか。かといって、ここまで閑古鳥が鳴いている喫茶店を放置するのもなんだかもったいないわけで、
「最初の質問を素直に答えるなら、味と香りは文句なし。地上のちょっとしたところでも、この味は出せないと思うわ」
「ん、さすがあたいたち、格が違うね」
「うん、核が違う」
一人不穏な存在も見え隠れするけれど、そのどじっこ的雰囲気が好きという客も少なくはないはず。うん、たぶん。
「ねえ、あんたたち。地上の人たちと交流するのが目的なら、少なくとも一日10人くらいの人間にきてもらったほうがいいと思うんだけど、今のところ何人来た?」
「ん、お姉さんで一人目。地底の人以外来てないと思うよ」
「……やっぱりね、どおりで噂にならないと思った」
やはり一番足りないのは店自体の宣伝、いわゆる売込み。
ここに魅力的なものがあると発信する努力が欠如というか、そもそもそんな発想がないのかもしれない。
霊夢は、はぁ、と大きくため息をテーブルの上に零し、それから片目をつぶって二人を手招きする。少し離れた位置まで移動していた二人は軽い足取りで霊夢のところまでやってきて、さとりに教え込まれたと思われる店員の立ち姿を見せた。
「無銭飲食っていうのもなんだか気が引けるし、一応情報提供だけしてあげる。妖怪の山の入り口で誰でもいいから白狼天狗に話し掛けなさい。話し掛けられてもいいけど」
「それでどうするの?」
「その後、文って天狗を呼んでもらって、喫茶店へ連れて来ること」
「あ、なるほど。天狗のお姉さんに号外を出して貰えばいいってことだね!」
ぱんっと胸の前で手を打つお燐と、まだいまいち理解していないお空。
けれど、お燐の耳打ちでだいたい理解できたのか。コクコクと頷き始める。
「そうそう、この店が知れれば興味本位で来るお客も増えるでしょ。現に私もお風呂で声を掛けられなかったらわからなかったわけだし。地底にこんな場所があるっていうだけで目玉になると思うんだけど」
「う~ん……」
「どうしたの? 何か不満?」
「いや、お姉さんの案はすごくいいと思うんだよ。あたいだって、誰かと気軽に話をするのも悪くないと思うしね。料理だって誰かに食べてもらわないといけないわけだし、でもねぇ」
お燐は耳をぴくぴくと動かしながら、腕を組む。
そして数分ほど悩んだ後、意を決して席に座る霊夢へと顔を近づけた。
「もうちょっと、こう、ガツンっと言うのが欲しいんだよねぇ。ほらほら、お姉さんお耳を拝借……」
そしてその唇を顔の側面へと持っていき、小さく何かをつぶやく。
その表情はどこか暗く。
微笑んでいるというより、何か黒い感情を抱いているような。
「……あなた、まさか」
それを受けた霊夢の驚愕の表情が、お燐の真意を裏付けていた。
◇ ◇ ◇
ちりんちりん、と。
机の上に置いた呼び鈴が鳴る。
するとすぐさま店員の一人が文字どおり飛んできて、注文表を片手に体を屈める。やる気を瞳に宿らせながら。
「さあ、お腹と背中がフュージョンし尽くす前に注文するがいい!」
「店員チェンジでっ!」
「えぇぇぇぇっ!」
だが、健闘虚しく水を出しただけでチェンジを要求されてしまった。
接客と分類できるかどうかは危ういところであるが。
「いやいや、ごめんねぇお客さん。当店ではチェンジは受け付けてないんだよ。本人はすっごい本気だから堪忍しておくれ、って。おやおや、いつぞやの魔法使いさんじゃないか」
「種族は人間だけどな」
厨房が少しだけ静かになり、もう一人の店員のお燐が顔を出す。するとお客の中の一人が手を上げて挨拶してきて、驚きの声をあげてしまっていた。顔見知りというのはもちろんだが、やはり一番のポイントは。
「今日はすごいねぇ、地上のお客さん二組目だよ」
「ま、入り口で合流しただけだけどな。地底に入ったのは別々だったから」
店員としての嬉しい誤算。
予想以上の効果を示した、霊夢からもたらされた作戦の成果だった。
「あら? 私たちには挨拶なし?」
しかし魔理沙だけを相手にしてしまったことで、不機嫌になる存在が同じテーブルについていた。蝙蝠のような黒い羽を静かに揺らし、視覚の中でもアピールを続行中の我侭なお嬢様と。
「いや、むしろなんていうかさ。レミリアお姉さんよりも、座ってよ後ろのお姉さん。こっちが落ち着かないよ」
直立不動の従者という紅魔館組が、魔理沙の正面に陣取っている。
「そうですか。ではお嬢様」
「許す。楽になさいな」
やはり従者としては主の命がなければ腰を下ろせないのだろうか。
苦笑しながらお燐は視線を横に動かす。
と、魔理沙とレミリアの間を取るようにして、退屈そうな半眼を向けるパチュリーがいるわけだが、こちらはどちらかというと魔法使い繋がりだろうか。背中から黒い魔力を吐き出しそうな陰気は、どこからどう見ても無理やり連れて来られたこと請け合い。
『帰る』
と今にも言いたそうな顔で、微かな敵意を魔理沙に向け続けているのだから。
気になる研究でも邪魔されたのかもしれない。
けれど、お客の私情を忘れて楽しませるのも店員の役目だと聞いたことのあるお燐は、指を咥えて困ったように首を傾げるお空の肩を叩く。
「お空、さっきのとおりでいいからね。わかった?」
「わかった!」
コクコク、と元気よく頷く姿に一抹の不安を感じながらも、お燐は厨房へと戻る……
振りをして、こっそり物陰から店内の様子を観察した。
「お客様! チラシの方はお持ちでしょうか!」
「これのことですわね。5名まで使用可能とありますが」
「はい! 鴉天狗が配るそちらのチラシをお持ちしていただいた方に限り、飲み物を一品サービスさせていただきます。他のご注文と合わせてお使いくださいっ!」
すべての受け答えに全力投球なのが若干気になるところではあるが、さまにはなっている。すらりと背の高い典型的な美人体系であり、顔つきも整っているせいで多少失礼なところがあっても誤魔化せてしまうのがお空の魅力というか。なんというか。
「ふ~ん、必要な投資ってことね。中々考えるじゃないか。パチェは何かある?」
「私は紅茶でいいわ。その後はレミィのを見て考える」
「一番姑息なやり方ね、まあいいけど」
消極的な回答から、口々に注文があがり始める。まずは3人が紅茶を注文し、一緒では面白くないと魔理沙が『博麗霊夢オススメ!』と銘うってある煎茶を注文。
と、そこで食べ物の項目をチェックしていたレミリアが、あることに気づいてお品書きから顔を上げた。
「ねえ、そういえば今日、霊夢がここにいると書いてあったのだけれど」
そうなのである。
チラシというか天狗が配った号外には、奇妙な言葉があって。
『博麗霊夢が入りました』
と、店員の中に霊夢がいるような記事が隅に書いてあったはずだ。
それを指摘すると、お空は少々迷いを見せながらも、ぶんぶんっと首を振る。
「うん、いるよ! でも今は秘密なの」
「ちゃんと後で出てくるってこと?」
「どうだったかなぁ~、特別だからって、お燐が言ってた」
「ふーん、よくわからんが、私はこの煮込みハンバーグってやつと、ショートケーキを頼むぜ」
今度は魔理沙が手を上げて先陣を切る。
それに続いて、レミリアは咲夜の目配せして、
「一口ステーキを一つレアで、それと温野菜のサラダとハンバーグを、デザートにはこれを三つ」
「はい、えーっと、うんうん、これと、これと……はい! かしこまりました! それでは、しばらくの間お待ちください!」
すべての内容を注文表に記載したお空は、大きくばさりっと羽を動かして拳を握り締める。
そして、一礼するが早いか目にも止まらぬ速度でカウンターへと駆け出した。
「えーっと、えーっと、お燐いくよ! おちゃ1個、こうちゃ……3個」
物陰に隠れていたお燐は、そんなお空のがんばりを内心褒め称え、
「寝込みは晩を1個、ショート警備が1個」
褒め称、え……
「人首素敵が1個、オン野外でサラバが1個、半パックが1個、デザートは、お品書きの下から三番目くらいにあった、あれ、黒い料理の!」
誉め……
「うん、お空……がんばったね。あたい感激したよ! だから今度から一個か二個ずつ注文聞いてきていいからね。うん、割と本気で!」
「えへへ~、わかったよ~」
特性『三個必忘』
泣いた。
お燐は、お空の思考回路に思いを馳せて泣いた。
お空の、単語の選択センスと、なんでそんな単語知ってるのという無駄知識のオンパレードに、袖を濡らした。
◇ ◇ ◇
「は?」
その疑問符は誰が上げたものだっただろうか。
まず一番最初に運ばれた飲み物を四人が同時に口にした直後、信じられないものを見るかのように大きく目を開いた。
「うん?」
続けて即座に、視線をお空の顔に向ける。
それでもなかなか誰もその質問を口にすることができず、
「すみません、この味は一体どうやって……」
「あー、だめだめー、お燐がきぎょーひみつって言ってたから教えてあげられない」
顔をわずかにしかめて質問したのは咲夜だった。
誰かさんが命名した、珍妙な店名。
そして、気まぐれというかなんだか重大な要素が欠けている気がする店員。そんな否定的な条件が揃ったことで油断していたのだろう。
完全な不意打ちで、素直に驚かされてしまった。
「短時間で開いたとは思えない。魔術的な要素で味覚をいじっているわけじゃない。ということは、素直においしいと感じてしまっているということかしら、けれど……」
そして飲食を娯楽として楽しむ程度のパチュリーは、まだ疑惑の態度を崩さない。何か仕掛けがあるのではないかと、探りを入れ続ける。
と、そんな二人を尻目に。
「地底も悪くないね、今度フランも連れ出してみようかしら」
誰かさんのせいで通常の紅茶の味に飢えていたレミリアは、気取ることなく感嘆の吐息を漏らし。
「こりゃ霊夢も喜ぶぜ! 天狗から飲み物のタダ券何枚かもらっとかないとな」
魔理沙も、早いうちに味を受け入れて場を楽しんでいるようだ。
接客の問題点すら忘れさせるほどの衝撃であり、そこでお燐は畳み掛けるように料理をカウンターの上に並べていく。
喫茶店ではメインになることのない品々。
彼女たちが頼んだハンバーグを始めとした肉料理を。
と、それをお空に手渡す際に。
お燐はつま先を立てて、お空の顔の横に唇を持っていくと、
「入れといたからね」
お客に聞こえないようにつぶやいた。
その後、にっこりと微笑んで、ぱんっとハイタッチ。
その仕草に何の意味があるのかを質問する前に、お空はぎこちないながらも料理を並べていく。
「デザートは後でいいんだよね?」
お燐と魔理沙たちに確認しながら、やっと全員分を並べ終えたお空は。
さぁ食べて、と両腕を広げ屈託のない笑みを作る。
「この料理を食べ終わった後にお楽しみの発表があるから、楽しみにしててね!」
「ああ、なるほど。さっき黒猫と話をつけていたのはこのことか。中々粋なもてなしをするんじゃない。いいわよ、言葉どおり期待してあげる」
「へっへ~、びっくりしてもしらないよ~」
小食であるレミリアは小さなステーキをさらに細かく切り分けて口へ運ぶ。咲夜もハンバーグを一口大に切り揃えてから食べていた。屋敷の習慣か、それとも性格的なものか。静かに食べる二人とは対照的に魔理沙は美味い美味いと連呼しながら、煮込みハンバーグを頬張っていた。
それをじーっと見つめるパチュリーに対し、欲しいのか? と尋ねつつ、暖野菜の上にハンバーグの切れ端を置いたり。中々の行動力を示している。
当の本人からは、ぺしっとフォークで弾かれてしまっているが。
「お客が少ないからこそできるクオリティにならなければいいのだけれど、あんまり騒がしい空気も好みじゃないし」
「そういうこと言ってるから、本の虫とかもやしっことか言われるんだぜ」
「誰からよ」
「私から」
「はぁ、そりゃどーも。ほら、さっさと食べなさい。冷えるわよ」
美味しい料理のせいか。
はたまた同じテーブルを囲んでしばらく経ったせいか。
魔理沙に対する刺々しさは、多少緩んでいるようだ。
「はいはーい、みんなどうだった? 美味しかった?」
「そこそこね。咲夜には至らないかもしれないけれど」
「いえ、料理によっては目を見張るものもあるかと……」
そうやって和やかムードで進む時間は、予想以上に早く進んでしまうもので、四人の前には空の食器だけが残る。
それを確認してからお空は、ぱんぱんっと胸の前で手を合わせた。
その合図で、さきほどのお楽しみが始まると察した魔理沙たちは、背筋を伸ばして身構える。
この料理以上の何があるのか、と。
「今の料理は、みんなのために特別に準備したやつでね。なんと一個に秘密が隠されてたんだよ」
秘密、そう聞いたレミリアは視線だけを咲夜に向ける。
何か気づいたか、と。
けれど、咲夜は首を横に振り。
その仕草で魔理沙とパチュリーも、首を傾げた。料理の隠し味とかそんなもので咲夜が気付けないとなれば、なんなのか。
「それを食べた人は~、あ、やっぱり内緒にしとこ。その方が楽しみがあるもんね」
「何? いまさらもったいぶる必要はないだろう?」
「ん~、よし。やっぱり秘密を話してからにしよっと」
そしてとうとう、笑みを浮かべ続けるお空からとある言葉が紡がれた。
はずなのに、である。
「……だ~れだ!」
……聞き取れなかった。
いや、誰一人として、その言葉を正確に受け取ることができなかった。
そうやって愕然とし、身を固める四人に向けてお空は不思議そうな顔をする。
それで今の言葉がわかりにくかったのかと、もう一度同じことを繰り返してみた。
「……………べたのだ~れだ!」
それでも、誰も反応しない。
それどころか、咲夜と魔理沙などは、顔からすっと血の気が引いているようにすら見える。
やっぱり正しく伝わらなかったんじゃないか、と。
そう思ったお空は、一字一句丁寧に。
心を込めて唇を動かす。
「霊夢のお肉、食べたの、だ~れだっ!」
かしゃん、と。
金属が硬いものにぶつかる音だけが、お空の声に続いた。
なぜこんなにも平然に、この地獄烏は笑っていられるのか。
単なるおいしい料理を提供しただけと、楽しそうに羽を動かしているのか。
「へぇ……やってくれた。やってくれたわね? 貴方」
それが気に食わない。
確かに、妖怪であるのならそれは当然の行為なのだろう。
人間を食しても、何の感慨も抱かない。
人間が家畜を食らうのと、同じ感覚だ。
けれど、
それが事実であるならば、
その者の肉を料理として眼前に並べたのであれば、
レミリアはこの烏の命の火種を抉り取らねば気がすま――
「ん、なにやってんのあんたたち。料理下げるわよ」
そんな裂帛した気配の中、厨房からデザートを運ぶ店員が現れて、置きっ放しの大皿たちを見てため息を吐いた。
終わったらちゃんと片付けてよね、とつぶやきながら。
「煩い! 黙っていろ、殺されたいのかしら?」
けれど、そんな態度の悪い店員を相手にしている余裕は、今のレミリアにはない。
咲夜や、魔理沙が何故か甲高い悲鳴を上げているが。
レミリア後ろ後ろ、とパチュリーが告げてくるが。
あ、霊夢、デザートの準備できた?
と、地獄烏が手を振っても、この魔力を込めた手を止めるつもりはな――
すぱぁんっ!
と、お空に向けて魔力弾を放つ前、いきなり後頭部に衝撃が走った。
「いたぁっ! な、何するのよ!」
あまりの痛みに涙目になって振り返れば、
「手荒い客には手を出していいって、決まりがあるらしいわよ?」
「そんなのあるわけなっ! ……え?」
お空やお燐と同じエプロンを付け、
両脇を無防備に露出させ、
右手に業務用のスリッパを握り締めた。
「あれ? 死んだんじゃないの?」
「勝手に殺すな!」
「いたぁっ!」
食べ終えた料理と、霊夢を交互に眺めるレミリアの頭上に、再度高速のスリッパが振り下ろされたのだった。
◇ ◇ ◇
「……ああ、霊夢が、作ったお肉料理を、食べたのが誰かってことか。まったく、驚かせないでほしいぜ」
「あはは、ごめんねぇ。お空にはよ~く言い聞かせとくからねぇぇ~~!」
「い、いたいっ! お燐っ! こめかみっ、こみぇかみはむりぃっ!」
とりあえず地面に引き倒され、にこやかに微笑むお燐に側頭部をぐりぐりされていたお空は、ばんばんっと何度も床に手を打ち付けて降参の意思を示していた。
が、しばらくその行為は止まりそうにない。
なので仕方なく、霊夢は代理店員として魔理沙たちのコップに冷水を配った。
「普段嘘をつかないような妖怪がそんな発言をすれば、信じても仕方がないと思うのだけれど。それでレミィも本気で怒った様子だったし?」
「うるさい、もうそのことはいいじゃないか。ほら、せっかく霊夢が作ってくれたデザートがあるのだから」
レミリアはチョコレートケーキを頬張り、パチュリーに背を見せる。
つまり、もう話し掛けてくるなという意思表示であり。
「お嬢様、あまり露骨にやると逆効果に」
「う、わ、わかったわよ」
レミリアが照れ隠しをしている証拠でもあった。
咲夜に指摘されて、再び机にまっすぐ向いたレミリアは面白くなさそうに頬杖をついて、もう片方の左手の指でこんこんっとテーブルを叩く。
「で、霊夢はこんなところでなにやってるの?」
「私はあれよ、看板娘」
「咲夜、耳掻き」
「はい、お嬢様」
「何で持ち歩いてるのよ。違うわよ、冗談でもなんでもない、客寄せって意味のね」
お燐が頼んだのは、このことだった。
文の情報だけでは人間が来てくれないかもしれないから、人間代表の誰かがここにいるっていう形式が見えれば、自然とお客が入ってくれるんじゃないか、と。
その見返りに、好きな料理のレシピを5つ教えるという交換条件を提示して。
交換条件内に注文された料理があったから試しに霊夢が作って見たら。
という気まぐれが今回の事件を引き起こしたというわけだ。
「ああ、なるほどなるほど。霊夢は変なのにも好かれやすいからな、あわよくば妖怪ホイホイにもなるってわけだ」
「巫女は自愛に満ちているからね」
「ははっ、言ってろ。あ~、でも本当にびっくりした。お燐、念のために聞くんだが、あの肉も変な材料とかじゃないんだろうな?」
魔理沙が確認のために問い掛けると、床で体罰実施中のお燐は耳をぴくりっと動かして、
「ああ、もちろんだよ。ちゃぁ~んと人里でかってきたやつだからね」
「それなら安心だな」
「あのね、私も一応味見した立場なんだから変なこと言わないでよ。ほら、そこの二人もそういうことは奥でやりなさい。奥で」
しっし、と霊夢に追い払われ。
お燐とお空は奥の『関係者以外立ち入り禁止』という札の付いた部屋へと移動。
その扉が閉まった途端に、お空の悲鳴が再開されたことから判断してもうしばらく続きそうである。
「霊夢、今度このお菓子のレシピを教えて欲しいのだけれど」
「咲夜じゃ作れないの?」
「風味が違う気がするのよ」
「風味、ねぇ……ま、いいけど」
と、そこでいきなり、咲夜の皿の上にすーっと。
一本の隙間が走り、
「私にも一つ、ご馳走していただきたいものですわ」
次の瞬間には、半分ほど残っていたケーキは消え去って。
霊夢の後ろにまた新たな存在が姿を現す。
それを振り返りもせずに、霊夢は頭を抱えた。
「あらあら、春だからって出てこなくてもいいのに」
「……酷い物言いですこと。涙が溢れてしまいそうよ」
「で、何の用? あんたが好き好んでここに来るとは思えないんだけど」
「そうね、では……、早々に話を進めると致しましょう」
そして、紫は後ろからしなだれかかるように霊夢に抱きつき、頬を擦り合わせながら静かな声で告げる。
「人里で、人間が消えました」
「自分でやったんじゃないの? 寝ぼけて」
「いえいえ、そうではありません。ですから今、証拠を集めている段階でして、ほら、あの黒猫など、最近地上と地底を出入りしているから」
「あのねぇ、誰でも疑うのはいいけど。お燐は一応、お肉を人里から買ってきたって言ってたわよ」
「そう、助かったわ。これで納得がいきました」
残念そうな声を期待していた霊夢は、静か過ぎる紫の声に違和感を覚えた。
まるで自分の望む答えが返ってきたような口ぶりだったから。
だから霊夢は確認するようにもう一度つぶやく。
「人里から買ってきた。お燐はそう言ったのよ?」
それでも紫はその回答にくすり、と微笑んで。
口元を扇子で隠したまま、押し殺した声で答えた。
「ええ、人里から、『狩って』きたのでしょう
体型かな?
ブラックジョークが良かったです。
向こうを先に読んでたから怖さ倍増だったわ。
ソイレントグリーンを元ネタにしたSSを連続で
読むことになるとは思わなかったw