コンコンと軽く、しかし中の住人に聞こえるくらいの強さでドアを叩く。
しばらく待っても返事がないため、私は住人の安否を確かめようと声を上げた。
「おーい、私だよ。いまあなたの部屋の前に居るんだけど」
「ただいま留守にしております」
居るじゃないの、と呟きつつ私はノブを捻る。
バキ、という乾いた音をたて、あっさりとドアは開いた。
部屋の主から「あららー」といった呆れの視線をひしひしと受け受けるが気にしない。
私がこんなことをしているのは他でもない、妖精メイドからある噂を聞きつけたからだった。
「愛しの従者が倒れたと聞いて」
噂とはつまり、そういうことだ。
窓を掃除していたメイド長が突然倒れた。それはそれは派手な転び方だったそうで、その噂は瞬く間に館中に伝播した。
足元に置いていたバケツを蹴飛ばし水が溢れ絨毯を汚しそばを歩いていた妖精メイドが慌て花瓶を落とし云々。
とにかく普段のメイド長らしからぬ失敗を犯し周囲に甚大な被害を散々に振りまいたあと、事切れるように咲夜は意識を失ったという。
そのあと大慌てで妖精メイドが図書館へ駆けつけ、パチェに事情を説明して事なきを得たそうだ。
おかげで読書を邪魔された、気が散った、執筆がどうのと友人に小言をぶつぶつと言われたが悉く右に受け流した。本なんざ知るか。
咲夜はベッドで横になっていた。お気に入りの三つ編みも今は解かれ、身に纏うのは普段のメイド服ではなくYシャツとなっている。
熱の所為か、上気した顔でこちらを見遣り、少し気だるそうな声で言う。
「ドア、壊さないでいただけますか」
「ここは私の館だからいいんだよ。あとで修理しといてやる」
「それ、私ですか?」
「パチェにでもやらせるよ」
割と酷い私の答えにあらあらと咲夜は苦笑した。
衰弱している所為か、その笑みがいつもより儚さ三割増しで見える。
そう、咲夜は儚い。いずれ私たちよりも早く散ってしまうのだから当然だ。
いつかの夜、散歩だか肝試しだかの夜に私の眷属になることを提案してみたがあっさりと丁重にフラれたのをまだ覚えている。ありゃ我ながら格好が悪かった。
こいつが誰よりも勤勉で、華奢な体を酷使してまで忠義を示そうとしてくれていることは十二分に分かっている。
ああ、これだけ尽くしてくれれば主人冥利に尽きるというものだ。だが、それでも言ってやらねばならなかった。もっと、大事にしなよ、自分。
「あんたは放っておくとすぐ無茶をする節がある。もっと自分を甘やかしなさいな」
「甘えは、逃げだと思っていますから。一度怠けると、立ち直りが難しいのですよ」
「逃げたっていいじゃないのさ。誰もお前を責めんよ」
「私が許せません」
「私が許す」
「むう」
おい、なんでそこで不満そうな顔をする。
普通そこはぽっと頬を赤らめるだとかしかるべき反応があっていいはずでしょう常識的に考えて。相変わらず、こっちの方は壊滅的のようだ。
まあいい。そんなことは織り込み済みだ。何の用意もなしに来たわけじゃない。
「そんな咲夜に今日はプレゼント」
「えっ」
「じゃーん」
そこで、取り出だしたるは熱々のおかゆ。
湯気から香る匂いが鼻腔をくすぐり、食欲をそそる。
ぽかんとしている咲夜にどやぁと決め台詞。
「食べても、いいのよ?」
「遠慮させていただきますわ」
「ちょっとちょっと、つれないじゃないの奥さん」
「福寿草とか入ってたらどうするんです?」
「おいコラ鏡見て物言え」
口ではそう言いつつも、顔と視線は私の手にあるおかゆに釘付けになっていた。体は正直のようで結構。
スプーンでそれを掬い、咲夜の顔へ近づける、近づける、押し付ける。
「昼食、摂ってないでしょう。ほれ、食いねえ食いねえ」
「ぴゃっ、何するんです嫌がらせですかっ」
「私は咲夜の為を思ってだね」
「目がすごい愉しそうです」
「ソンナコトナイヨー」
その後も尚もスプーンを焦らすように咲夜の顔の前でぐるぐるさせたりしていると、咲夜は観念したように溜息をついた。
「……はあ、わかりました。いただきましょう」
「素直でよろしい。ほれ、あーん」
「……無言、だめですか」
「だめです」
即答してやると咲夜は一瞬躊躇うようなそぶりを見せ、意を決したかのように目を瞑り、頬を染めながら口を突き出してきた。
思わずにやり、と頬がつり上がる。咲夜は当然気付かない。
「はい、あーん」
「……あ、あー」
ん、と言い切る前に、ひょいっとスプーンをどける。かち、と咲夜の歯が空を切る。
咲夜が抗議の声を上げるより早く「あーん」で黙殺。有無を言わさぬ私の口調に渋々とだが再び口を開ける咲夜。
ひょい、かち。再び虚しく空を切る噛みつき。もう駄目だ、堪え切れん。
「……く、くく、ふくくくっ」
「…………お嬢様」
「い、いや、咲夜が雛鳥みたいで可愛くてつい、ね、ふっ、くくくく、あっはっはっは!」
「……もういいです。自分で食べますわ」
拗ねたように私の手からスプーンをぶん取り、勢いもそのままに口に入れる咲夜。
まあ、猫舌の彼女がそんなことをすればどうなるかなど、敢えて描写するまでもあるまい。
「っ~~~~!」
声にならぬ悲鳴。
他所では完全で瀟洒なメイドなどと謳われる咲夜は、口に含めた物が零れぬよう、涙目でじたばたともがき苦しんでいた。
耐え切れず溢れ出す私の哄笑。くぐもったような咲夜の声無き声。
駄目だ。やっぱあんた最高だよ咲夜。
■
「くく、くふふふ、いや悪かったって」
「お嬢様は鬼で外道で鬼畜で悪魔です」
「まあ、最後は否定しないがね。ふーふーするから許しておくれよ」
「顔にぶちまけでもされたらたまったものじゃありませんわ」
「しないしない」
言いつつ、未だ湯気立ち上るそれをふーふーと冷まし、咲夜へと突き出す。今度は意地悪はしない。
「はいあーん」
「……あーん」
咲夜もそれを察したのか、少し恥ずかしそうにしつつも警戒せずにパクリと食いついてきた。それを見て私はやっぱり雛鳥だ、と思う。
「どう?」
「……おいしい、です」
「よろしい」
料理なんて永らくやっていなかったから多少の不安はあったが、食えるならそれでいい。
咲夜が喜ぶなら、たまにはこういうのもいいかもしれない。
それからしばらくカチャカチャというスプーンの音と「はいあーん」「あーん」という声だけが部屋に響いた。
気が付くと、もうほとんどおかゆは空になってしまっていた。自然、室内に静寂が降りる。
そこでふと、米粒を落とすように、
「私は、いつまでこのままなんでしょうか」
ぽつり、と。
それまでゆっくりとおかゆを咀嚼していた咲夜が呟いた。
依然として部屋を出る様子の無い私の気を察したのだろう。それとも、思い通りに動かない自分の身体をもどかしく感じているのかもしれない。
こやつは、この期に及んでまだそんなことを言うか。
「少なくとも今日一日はこのまま。安静にしてなさいな」
「地獄ですね。このままこうしていたら、いつか惰性に身を委ねてしまうかもしれません」
「いいじゃない惰性。一緒に怠惰の快楽に堕ちようじゃないの」
「お嬢様は少し怠けすぎです。この前も昼過ぎにむくっと起きられたと思ったらいきなり私の膝をカクンとしてきてそのまま枕にしてぐーぐーと」
「そこにいた咲夜が悪い。悔しかったら逃げるなりなんなり抵抗してみなさい」
「逃がしてはくれないのでしょう」
「ああ。私は悪魔だからね」
「今も、ですか」
「ああ。お前を何処にも行かせる気は無いよ」
「困りました」
「困れ困れ。私というものがありながら病原菌如きに体を許す咲夜が悪い」
「返す言葉もございません」
「ああ。だから、大人しくしてな」
お前はいつも頑張りすぎなんだよ。完璧主義者なのかなんなのかは知らないが、こいつは病的なまでに完全に業務をこなそうとする。
誰よりも周囲を気にかけるこいつは、誰よりも自分のことに無頓着だ。
だから向けられる好意にも気付かない。よく切れるくせに鈍刀なのだ。
もしかしたら今こうやって私が看病してやってるのも、主の義務だからだとか、仕事だからだとか、つまらないことを考えているのかもしれない。
阿呆。私がそんな面倒な理由で動くか。
「あんた、自分がどれだけ慕われてるかって、考えたことないでしょう」
私も妹もパチェも小悪魔も居眠り門番も、みんなお前を大事にしてるんだよ。
お前は知らないだろうが、妖精メイドの間ではファンクラブも存在しているんだ。なんでも最近会員数が三桁を突破したんだそうだ。
会長は誰かって?言わせんな恥ずかしい。
だから、さ。
ぽん、と子供をあやすように頭に手を置き、くしゃっと撫でる。
咲夜がぽかんと、呆けた表情で私を見上げる。
その顔が。
「辛かったら、いつでも頼っていい。暇が欲しいなら、いつでもくれてやる。何でも一人で抱えようとするな。無理を背負おうとするな。言わなかったか? お前は私のもの。くだらん苦悩なんざ、私が全部飲み干してやる」
ぽっという音こそ立てなかったものの、紅く、耳まで私好みの色に仕上がったのを確認して、私は満足気に笑う。そう、その顔だよその顔。
「……ひとつ、お願いがあるのです」
紅潮した顔を誤魔化すように、顔を逸らしながら言う咲夜。
目だけで続きを促すと、蚊の鳴くような小さな声が聞こえた。
「頭を、撫でてもらえますか」
「お安い御用だよ」
咲夜の上体を寝かしつけると、少し汗ばんだ額に手を置く。すると咲夜の目が気持ちよさそうに僅かに細められた。
焦らしてもよかったがここでそれをやるほど空気が読めないわけじゃない。
それに、もう意地悪はしないと誓ってしまったからね、今日は。
何しろ、今日私はこれをやるために来たんだ。
温もりなんて欠片もない、氷のように冷たい手だけど、役に立つときもあるだろう?
ついさっきまで夜風をばんばんと浴びてきんきんに冷やしてきたのだ。冷たさには自信がある。おかげで私が風邪引きそう。
まあ、そうなったら咲夜に看病でもしてもらおうではないか。
病人特権でいろいろ命令して困らせてやるのもいいかもしれない。実に楽しみだ。
だから、そのためにも今は体を休めることだよ、咲夜。
お嬢様、と眠たげな声で呼びかけられたような気がして咲夜を見る。
「ん?」
「おやすみ、なさい」
ああ、おやすみ。
傍らで緩やかな寝息をたてる咲夜の顔を見ながら、私の手はこうするためにあるのかもしれないな、と思った。
可愛いのう
>>雛鳥だ、思う。
「と思う。」だと思う。
なんだか以前ここで見かけた好みのお嬢様と似てるかも
非常にゆるくて、気を置かなくていい関係とっても素敵です。
自分勝手ですが、次回作も存分に期待させていただきます。
実はフラ咲の執筆途中で出来上がった副産物的なものだったりするのですが…;
筆が遅いのでいつになるかはわかりませんが、今後また機会があればよろしくお願いします。
>>愚迂多良童子さん
脱字報告ありがとうございます。修正しました。
推敲はしたはずですがお恥ずかしい…
病人特権フル活用するお嬢様と、振り回されながらも幸せ感じる咲夜を是非見てみたいです。
悪魔のひえぴたには愛がみっしり詰まってますね♪