「これは、まずいことになりましたね……」
首元にかかる生暖かい息が鬱陶しい。 おのれ人間、こんな状況でなければ首を引き千切っているのに。
幻想郷最速を自負する彼女も、さすがにこの場所では満足に動くことができない。
コツ、コツと迫ってくる足音に彼女は、強行突破もやむなしと覚悟を決めた。
────────
「お、そこな妖怪のお姉さん、これ食べてってよ!」
「なんですかこれは?」
人間の里、往来。
幻想郷の人間は逞しい、自分のような妖怪を見ても商売をしようと思えるほどに。
「なんですかって、試食だよ試食、ほら、熱いうちに」
私が二の句を継ぐより早く、初老の男性は私の手に饅頭を乗せてくる。
私の気持ちとは裏腹に、寒空の下冷え切った私の手は熱々の饅頭を離そうとしてくれなった。
しかし、残念なことに今は余分な持ち合わせはない。
「あー、いきなり渡されてもですねぇ……」
押し売りはいけないと思う、うん、よくない。
私のように清く正しくしていたら売上なんてものは自ずと上がってくるものなのです。
「ああ、御代ならいいよ! "試食"って言ってね、外の世界の文化らしいんだけどさ、こうやって味を覚えてもらうんだとよ!」
「はぁ……試食、ですか」
人間のすることは理解できない。 彼らは私達より時間が少ない分、とても"せっかち"だ。
すぐに色々な事を試し、飽きてを繰り返す。
ま、貰える物は貰っておくとしよう。
「はふっ、はっ、熱っ」
目的を済ませ、帰路につく前に饅頭を頬張る。
「ん、悪くないもんね」
私は人間というものがあまり好きになれないが、こと食べ物に関してだけは評価している。
この饅頭ひとつにしても、なかなかのものだ。
「ふぅ……んじゃ、ちゃっちゃと戻りますか」
寒さも少し和らいだ。 私はひとつ大きく伸びをすると、荷物を抱え、再び寒空へと飛び立った。
────────
「霊夢さーん、買ってきましたよー」
「ご苦労さま、台所に置いといてくれる?」
「えー」
文句の一つも言いたいところだが、我慢我慢。
私は重い味噌の壺を両手で持ち上げ、台所まで持っていく。
そもそもなぜ私がこんなパシリをやらされているか、話は数分前へと遡る。
「取材させてください」
「いいけど味噌買ってきて」
「ヒャッホウ」
これだけである。
回想シーンなどは特にない。
とにかく、これで堂々と取材をすることができる免罪符をゲットしたわけだ。
パシられた分はしっかり答えてもらうとしよう。
「そろそろ取ざ」
「お茶入れたけど飲む?」
「是非」
あぁ……お茶が旨い。
「って違いますよ!」
バンっとちゃぶ台を叩いた拍子に少し茶がこぼれた。
「あぁ、茶柱立ってたのに……」
「え……それはすみません」
「まあいいけど、お茶のおかわりはどうかしら?」
「あ、いただきます」
……ふぅ、暖まる。
「ってそうじゃなくてえええ!!」
「ところで晩御飯飯食べてく?」
「え、ご飯ですか! ヒャッハー! 御馳走様です!」
「あの、そろそろ取材を」
「風呂も入っていきなさいよ」
「あ、それじゃ……」
「そろそろしゅざ」
「泊まっていったら?」
「あ、はい」
「そろ」
「朝飯」
「お願」
「そ」
「帰」
「了」
「っは!」
気がついた時、私は自分の部屋で寝ていた。
なんというマジック。
タヌキならぬ霊夢さんに化かされた気分である。
やはり彼女に取材するのは一筋縄ではいかないようだ。
「ぐぬぬ……悔しいけどここは一旦引いて、他をあたってみるとしようかしら」
私は文花帖をペラペラとめくり、何かいいネタがないものかと模索する。
とりとめもないメモ書きが目に映っては消えていく。
「……ん?」
そこでふと、気になる文字列を見つけた。
【人口?】
とだけ書かれたメモ書き。 これが何を意味するのか。
「うーん」
数分悩んだ後、ようやく思い出す。
「いい時事ネタもないことだし、いっちょ調べてみますか」
そう呟き羽を広げる。 数秒の後、私は風となった。
────────
来る日も来る日も、里へと向かった。
そして"ある数"を調べ、統計を取った。
「やっぱり……思った通り」
私は以前取材をした稗田家の書物蔵へこっそり忍び込んでいた。
そしてこの時、私の疑問は確信へと変わり始めていた。
人間の里は小さな集落だ。 当然ながら老若男女が生活している。
問題はそこからである。
"里の人口が変わっていない"のだ。
これはおかしい。
私は里の人口、つまり人の総数だけを死亡記録、出生届などから推測し、ひたすら記録し続けた。
産まれる人間もいれば、死ぬ人間もいる。
記録は長期にわたって残っており、これだけあればいくらか数が増減するはずである。
だが結果は、前述の通り。
これはある時点とある時点の2点の人口が変わっていないという意味ではない。
「記録が始まってから今日まで、人口の変動が全くの0……こんなことがありうるの?」
私の知る限り、そのような生物はいない。
老人が老衰で死ぬ日には必ず同数の赤ん坊が生まれ、不慮の事故で誰かが死ぬ時も同数の赤ん坊が生まれる。
そんな不自然ことが起こる道理はない。
「起こるはずがない、ということは」
自然に起こるはずがないことが実際に起こっている。 それは何者かによる故意の可能性に他ならない。
「誰が、何のために?」
後者の特定は難しいが、前者、こんなことができる者はいくら幻想郷といえども限られてくる。
そもそも記録が数百年前からあるのだ、さらに容疑者は絞られる。
「まぁ、まずは情報収集ですね」
書庫を出た直後、ちょうど人の気配を感じた。
私はバレないよう、目にも止まらぬ疾風となり上空へ舞い上がった……
────────
「ってなことがあったのです」
「へえ」
煎餅をかじりつつ、霊夢さんに事情を説明する。
「というわけで、マヨヒガの行き方を教えてください」
「いや、知らないけど」
「またまたー」
うりうり、と肘を当てる私を華麗にスルーし茶をすする霊夢さん。
事前調査であの妖怪に関わりが深い、所謂キーパーソンが霊夢さんであることは把握済みである。
「というか、紫が怪しいと思うんだ」
「だってそりゃ、他にいます?」
「んー、そういわれると……まぁ、いないわねえ」
目的は謎だが、実現が可能な人物、ということで容疑者は一人しかいない。
至極簡単な消去法である。
「どっちにしろ、私は行き方なんて知らないし、残念ながら無駄骨ね」
「むぅ……それじゃやっぱ自分の足で探すしかないってわけですかねぇ」
はぁっとため息をつく私に、霊夢さんは言った。
「それに、悪いことは言わないから紫のことには首を突っ込まないほうがいいわよ」
「へへへ、やるなやるなと言われるとやりたくなるってもんでしょう?」
「取り返しの付かないことになるわよ」
「!?」
ぞっとしてしまった。
おちゃらけた感じに返した私とは逆に、霊夢さんの視線には確かに冷たいものが混じっていた。
思わず黙ってしまい、変な空気が流れる。
「……ごめん」
「い、いえ、こちらこそ」
うぅ……何やら霊夢さんの逆鱗に触れてしまったようだ。
とても、気まずい。
「……ま、その変わりこの前の取材でよかったら答えてやるわよ」
「ほんとですか! やっふー! あ、取材といえばですね~……」
微妙な空気を吹き飛ばすように、私は空元気をめいっぱいに取材を始める。
最初のうちは何を聞いていたのかも覚えていない。
そして霊夢さんの取材をしているうち、いつしか夢中になり、私はマヨヒガのことなどすっかり忘れてしまっていたのだった……
「なぁんてことはなくて……っと」
幻想郷某所、私は何の変哲もない場所で一人、突っ立っていた。
いや、正確には何の変哲もないように偽装された場所、だろうか。
それにしてもラッキーだった。
霊夢さんに取材をした帰り道、私は空からある黒猫を見つけた。
それだけならば特に珍しくもないのだが、私は何気なしにその黒猫を眺めていたのだ。
すると驚くべきことに、その黒猫は突然人の形に変身し、さらには忽然と姿を消したのだった。
「そしてここが、その地点……」
何もない空中を見つめ、意識を集中してみると、うっすらと結界が見えてくる。
私ほどの妖怪がピンポイントで集中してこの程度だ、そんじょそらこらの妖怪がおいそれと見つけられるものではない。
すっ、と手を伸ばす。
"そこ"には確かに結界の境目があり、来るものを拒む意志が明確に感じられた。
「…………」
私は天狗に伝わる秘術を心の中で、静かに、唱える。
目の前のうっすらとした結界は徐々に像をなし、やがてくっきりとそれが確認できるほどのスキマができた。
元々通用口のような役割をしていたからだろうか、こうも簡単に開くことができたのは僥倖だった。
私は開いたスキマの間から足を踏み入れ、その先にある異空間(であろう空間)に歩を進めた。
───────────
男は平凡な生活を唯一最大の目的としていた。
男は生まれつき、口が聞けなかった。
男はよく笑い、ニッと微笑むとチラリと覗く銀歯が特徴的な男だった。
男の唯一最大の目的は、現在達成されてはいなかった。
「ペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネ」
「ぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこね」
ここは絶望ハンバーグ工場。
「ペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネ」
「ぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこね」
窓はなく、電球が申し訳程度についた薄暗い室内だった。
「ペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネ」
「ぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこね」
男、仮にAとしよう。 Aはここで数週間前から働いていた。
いや、正確には働かされていた。
少し前の話をする。
Aは口こそきけないものの、優秀な頭脳をもっており、特に不自由なく生活していた。
ある日突然、100万以上目がありそうなサイコロが振られ、偶々彼の名前が出ただけなのだ。
午後11:23。 帰宅途中の彼の姿が忽然と消えた。 目撃者は一匹の猫のみだった……
以来、彼はここで強制労働を強いられている。
理由は聞かされていない、そもそも労働内容すら聞かされていない。
彼は自分の意志で働いていたため、強制労働は語弊があるかもしれない。
彼は自分の意志で働いていたが、必ずしも望んで働いてはいなかった。
彼が最後に覚えているのは、自宅前にある、チカチカする電灯の輝きのみ。
次の瞬間には、ここにいた。
最初何をするでもなく、様子を眺めていたのだが、彼にとって幸運だったのは、機転がきく脳を持っていることだった。
数分間周りを眺めていると、二種類の人間がいることに気づいた。
ベルトコンベアーから流れてくる肉を掴み取り、ひたすらこねている者、そして自分と同じように途方にくれている者。
2分経過したところで、異変に気付いた。
こねている者は、数が変わらない。 当然? 人が消えるわけがない?
そう、人が消えるわけがない。
ただ、"自分がここにいる"ということと、"何もしていなかった者の数が減っている"というたった二つの事実が、彼の体を動かした。
「ペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネ」
「ぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこね」
彼はひたすら、流れてくる肉を掴んでは、こね、掴んでは、こねた。
時計すらないこの中で、延々とハンバーグをこね続け、それこそ永遠と続くのかと懸念した頃、室内に大きなブザーの音が鳴り響いた。
周りでハンバーグをこねていた人々はブザーが鳴るや否や、のそのそと動き出した。
仕方なく、Aは付いて行く。
やがて狭い、タコ部屋のような場所へ着くと、周りの人間は音もなく横になり、音もなく眠りだした。
誰も彼も、疲れ切った顔をしている。
状況を知りたいが何せAは話せない。 それに彼は疲れていた。
残業帰りの直後にハンバーグである。
彼もまた、音もなく眠りについたのだった。
ここで幾日か過ごすうち、彼はいくつか気づくことがあった。
どんなに小言であろうと、無駄話をした者は直後に工場長に呼ばれていた。
ちなみに工場長はいまだ見たことがない、いつも伝言で「呼ばれていた」とだけ言われるのだ。
そして、工場長に呼ばれた者は二度と戻ってくることがなかった。
何もかもが謎に満ちたこの空間で、やがて誰も声を発するものはいなくなり、ハンバーグをこねる音だけが延々と場を支配する。
「ペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネ」
「ぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこね」
それでも気が狂うほどのこのBGMに耐えられず、隙を窺って声を出そうとする者が出てくる。
だがそういう者は例外なく、工場長からの《お呼びだし》をくらうのだった。
───────────
「さて、お宝の匂いがプンプンしますが、まずは一枚」
間違いない、文献で調べていた通りの建物が今、私の目の前にある。
マヨヒガはそうそう存在が確認されるものではないため、極端に文献が少ない。
この写真一枚だけでも普段ならば一面を飾れそうである。
「が、ここで帰るわけ道理なんてなく……えっへっへ」
さすがに正面から入るわけにはいかないので、裏口を探す。
今思えば、これが悪手だった。
ただでさえ勝手のわからない土地、裏口を探せば探すほど見つからなくなり、ついには迷ってしまった。
たまたま開いていた穴から内部へ侵入できたものの、はたしてこの中がマヨヒガへ繋がっているのかどうか……
「お、ここから出られそう」
狭く、暗い通路を進むうち、ぼんやりと光る穴が開いていた。
私はそこから顔をだし、気配が無いことを確認するとするりと抜けだした。
───────────
Aとそれ以外の人間には明確な一つの相違点があった。
周りの人間と比べ、Aの顔には疲労感が少しも出なかったのだ。
そもそも普段から話さないため会話ができないことによるストレスも溜まらず、また、単純作業も彼は得意だった。
そんな彼だからこそ、新陳代謝も通常通り働き、結果、彼は"もよおし"た。
無論、焦る。
体感時間、毎日8時間以上は連続で働かなければいけない。
作業はまだ始まったばかり、何時間も我慢できる余裕はない。
雑談が工場長の怒りに触れるならば、どうして排泄ができようか。
仮にできたとして、その後に何が起こるか? 答えは謎、楽観視はできない。
結果から言うとそこから彼は三時間耐えたのだが、とうとう我慢できなくなった。
焦りや緊張、恐怖などが彼の優秀な思考を鈍らせた。
非常識な空間にも関わらず、「常識的に考えて、食べ物の前で漏らすほうがより悪だ」と思い、彼はついに動きだした。
彼は普段、工場長へ呼ばれた者が向かう扉へと歩を進め、一瞬のためらいの後、それを開いた。
以外にも扉の先は真っ暗な一本道であり、不審に思いながらも余裕なく足を速めた。
やがて、彼はWCと書かれた扉を見つけ、無事排泄を完了する。
彼にとっての人生最大の不幸は、その後、出た瞬間に何者かの足音を聞いたことに尽きる。
戦慄した。
体中の穴と言う穴から冷たい汗が滲み出し、何も考えられなくなった。
彼は足音と逆の方向へ目を向ける。
扉があった。
あの先が何であるか、そんなことはどうでもいい。
工場長へ呼ばれたものが帰ってこない。
連日こねる何の肉かもわからないハンバーグ。
二つのワードが彼を恐怖のどん底へと陥れ、扉の先へ飛び込ませた。
───────────
彼女、射命丸文が穴を抜ける瞬間までは、確かにその部屋は無人だった。
彼、Aがその扉を開けるまでは確かにその部屋は無人だった。
二人は同時に部屋へと飛び込み、同時に目を合わせることとなる。
一瞬の硬直の後、先に動いたのは人間ではなく天狗だった。
男が口を開いたのと同時、彼女は左手で男の口を塞ぎ、右手で当て身をすると咄嗟に穴へと引きずり込んだ。
それから数秒後、扉の先から声が漏れた。
「おや、扉が……」
しまっていたはずの扉。
勝手に開くはずのない扉。
声の主は扉を閉め、"中に入って"きた。
「これは、まずいことになりましたね……」
首元にかかる生暖かい息が鬱陶しい。 おのれ人間、こんな状況でなければ首を引き千切っているのに。
幻想郷最速を自負する彼女も、さすがにこの場所では満足に動くことができない。
コツ、コツと迫ってくる足音に彼女は、強行突破もやむなしと覚悟を決めた。
───────────
「っは!」
気がついた時、私は自分の部屋で寝ていた。
なんというマジック。
キツネならぬ……あれ?
「狐?」
私はいま、狐と言った?
何故、狐という単語が突然出てきたのだろうか。
そもそも、"何故私は部屋で寝ている"のだ?
不味い、思い出せない。
何より、頭が痛かったので、表に出て新鮮な空気を吸うことにした。
綺麗な空気を吸い込むと、不思議と肺の中には変に生臭い空気が入っていたような感覚に襲われた。
しばらくそうしていると、椛が通りかかったので今日の日付を聞いてみる。
「はぁ?」
とは言わないが明らかにそんな風の顔をしつつも、彼女は一応教えてくれた。
私は文花帖を見る。
これで決定的だ。
私は、普段毎日メモを取る。 それこそ取らなかった日はここ何十年も存在しない。
よくよく見ると、最新のページだけ、数枚紙が切り取られた跡がある。
私の記憶がないことといい、不可解な点が多すぎる。
「…………」
気が付くと、日が高く昇っていた。
そこで初めて、私は腹が空いていることを思い出し、自分で調達するのも億劫だったので里へ向かったのだった。
「へいらっしゃい!」
私はなんとなく、先日の饅頭屋に来ていた。
試食した饅頭は悪くなかったし、腹は減っていたががっつり食べるほど気力もなかったのだ。
適当に2、3饅頭をつまむと、気持ちが落ち着いたのか私は店主と世間話をしていた。
「というわけで、かくかくしかじかだったわけですよ……わかります? この気持ち」
「へえ」
普段、誰に吐き出すともない愚痴を延々と店主に聞かせる。
そしてそのうち気が良くなったのか、私は先ほどの奇怪な現象についても話し出した。
「お姉さん、それを気にするのはもう、よしなされ」
「え?」
「よしたほうがええ」
それだけ言い残すと、店主はいきなり店を畳みはじめた。
「え、ちょ……」
「さ、店じまいじゃけえ、出てってくんな」
温厚な顔をした店主が急に無表情になり、あっと言う間にのれんを下してしまったのだった。
どうも、キナ臭い。
対する私はスクープの原石を見つけた気分になり、次第にうきうきしてきた。
さっそく家へと戻ると、一冊の巻物を開いた。
文花帖は私が常に携帯しているため、また、私の身に何かがあった時に危険だ。
今日から、この事件をスクープにするまで日記をつけようと思う。
これならいざ私に何かがあっても記録として後追いできるはずだ。
●月×日
調査開始、とはいえ、詳細は文花帖へ書いていくのでここでは重要なことのみ簡潔にまとめて書くつもりである。
まずは、情報集だ。
私の記憶がない数日間に関する情報を、できるだけ集めようと思う。
●月△日
霊夢さんに聞いたところによると、私はマヨヒガの行き方を探していたらしい。
何のこっちゃと思い文花帖を見返してみるが、それらしきキーワードはない。
霊夢さんは何やら不機嫌そうだった。
□月◎日
ひたすら文花帖と睨めっこをした甲斐があった。
私は"人口?"の文字からついにマヨヒガへとたどり着いた。
記憶のない過去の数日間の私も、同じ道を辿ったと思うと妙に感慨深い。
□月◆日
霊夢さんに外食の誘いをうけた。 しかも彼女の奢りである。
これだけで今世紀最大のニュースなので、ここに書いておく。
里に《はんばーぐ屋》なるものが出来たらしく、そこで昼食をとった。
これほど美味しいものは久々に食べた。
私は常々人間の食にだけは一目置いていたが、これは二目も三目もおける発明と言っても過言ではない。
毎日でも通おうと思う。
◆月×日
おかしい、最近日記に書くことがない。
というか、何もなかった気がする。
しかしこれまでの日記をみるに、今日一日私が何もしてなかったはずがないのだが……
×月◎日
今日も、はんばーぐは美味しかった。
×月▲日
いくらなんでもおかしい、私は試しに今日一日だけこの日記を持ち歩き、一時間ごとに開いてみようと思う。
さすれば何かしら書けるはずだ。
───────────
「あ、霊夢さん」
「あら、あんたは……また?」
「へへ……」
「飽きないわねぇ」
日が暮れる頃、私は里で霊夢さんと出会った。
今日はとても有意義な一日だった。
やはり私の思った通り、何故か寝る前の日記に向かう瞬間だけその日の記憶がないのだ。
それが今回、日記を随時書き足すことで証明された。
これで今夜、日記を書くときに例え記憶がなくとも、私は何があったか、そしてどうすればいいのかを疑似的に覚えておくことができる。
「ご機嫌ね」
「そりゃーもう……あ、今夜どうです?」
私ははんばーぐ屋を指す。
霊夢さんは奢りならね、と快く誘いに乗ってくれた。
彼女の手を取り、私達二人ははんばーぐ屋ののれんをくぐった。
こんな良い日に一人で食事をするのも淋しいものだから丁度よかった。
私達が席に着くと、笑顔が眩しい店主が迎えてくれた。 お馴染みの光景である。
そしてすっと出してきた品書きから各々好きなものを頼むと、店主はこくっと頷いた。
彼は口が聞けないのだ。
店内にあった注意書きによると、彼は後天性の障害があり、何かのショックで話すことができなくなったらしい。
「あれ?」
やがて肉の焦げる小気味のいい音が聞こえ、鉄板が私達の前には差し出された。
私は、店主に言った。
「私が頼んだのはこれじゃないですよ?」
「ああそれは……」
口のきけない店主の代わりに、というわけでもないだろうが、何故か霊夢さんが横から口を出してきた。
「私がお願いしたの、あなたのために……特別メニューよ?」
にっこりと微笑む彼女の雰囲気は、いつもとは明らかに異質だった。
「えっ」
嫌な汗が、背中をつたう。
少なくとも、私が知っている限りでは霊夢さんはそんな注文はしていなかった。
ならば事前に頼んでいた? だが、今回はんばーぐ屋の前で霊夢さんと出会ったのは偶然であり……
偶然?
本当にそうだろうか。
霊夢さんと会ったのは必然で、私が偶々はんばーぐ屋に誘わなければ、彼女が誘っていたのではないか。
「どうしたの? はやくおあがりなさいな」
「ぁ……ぁ……」
今日の日記を書いている時点で気づくべきだった。
何故いつも日記に書くことがなかったのか。
何故今日だけは書けたのか。
私が毎日していた、共通の項目はなにか。
「毎日欠かさず来るくらい好きなんでしょ? ほら、冷めないうちに」
「うぁ……」
手を、後ろへ伸ばす。
(ない!?)
入店した時、置いておいた日記がなくなっていた。
私は理解し、確信し、恐怖した。
「ふふ、遠慮することないのに。 なんなら食べさせてあげる」
身体は、動かなかった。
元々霊夢さんがここに誘う予定だったならば、何か仕掛けが施してあっても不思議ではない。
いつもより一回り大きく、香ばしい香りのする"特別はんばーぐ"を口にした瞬間、私の意識は彼方へと飛び去った……
───────────
「ねえ藍」
「はい、紫様」
「幻想郷は何故、存在し続けられていると思う?」
「存在の根拠……ですか」
「妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治する。 でもね、幻想郷の妖怪は人間を大量に襲って食べられないわ。 それは何故?」
「……妖怪が食べるスピードのほうが、人間の繁殖するスピードより遙かに早いからです」
「そうね、そうポンポン食べていては人間なんてすぐに絶滅するわ。 だから一度に大量には襲って食べられないようにしてある」
「しかし、妖怪とて人を喰わねば生きてはいけない……」
「そう、そこが問題。 幻想郷では人間と妖怪が共存しなければいけない。 その為には人間は食べられず、かつ妖怪は人間を食べなければいけない」
「矛盾していますね」
「そ、でもね、この式の"人間"という単語には、ある接頭語が付くの」
「…………」
「【幻想郷の中の】という接頭語が、ね」
───────────
「っは!」
気がついた時、私は自分の部屋で寝ていた。
なんというマジック。
「ぐぅ」
なんだ……
頭が痛い。 痛い痛い痛い。
尋常ではない頭痛に、ベッドから落ち、床をのた打ち回る。
どれくらいそうしていたか、びっしょりと汗をかくほど転げまわっていると、急に頭痛は過ぎ去った。
代わりに襲いかかってきたのは、猛烈な嘔吐感。
近くにあった手桶を手繰り寄せ、胃の内容物を盛大に吐き出す。
意識が朦朧とするなかで、桶に何か堅い物が当たる音に気付いた。
もしかしたらこの嘔吐の原因とも思い、掴み取ってみる。
時刻は既に丑三つ時を過ぎており、辺りは暗い。
微かな月の光を頼りに、私は堅い何かを照らしてみる。
「銀の……たま?」
以前、黒白に見せてもらった外の世界の《ぱちんこのたま》というものに似ている。
だが銀色に光るそれは、玉と言うにはゴツゴツしていて。 見覚えがあり……
「いや、これは……」
「……歯?」
首元にかかる生暖かい息が鬱陶しい。 おのれ人間、こんな状況でなければ首を引き千切っているのに。
幻想郷最速を自負する彼女も、さすがにこの場所では満足に動くことができない。
コツ、コツと迫ってくる足音に彼女は、強行突破もやむなしと覚悟を決めた。
────────
「お、そこな妖怪のお姉さん、これ食べてってよ!」
「なんですかこれは?」
人間の里、往来。
幻想郷の人間は逞しい、自分のような妖怪を見ても商売をしようと思えるほどに。
「なんですかって、試食だよ試食、ほら、熱いうちに」
私が二の句を継ぐより早く、初老の男性は私の手に饅頭を乗せてくる。
私の気持ちとは裏腹に、寒空の下冷え切った私の手は熱々の饅頭を離そうとしてくれなった。
しかし、残念なことに今は余分な持ち合わせはない。
「あー、いきなり渡されてもですねぇ……」
押し売りはいけないと思う、うん、よくない。
私のように清く正しくしていたら売上なんてものは自ずと上がってくるものなのです。
「ああ、御代ならいいよ! "試食"って言ってね、外の世界の文化らしいんだけどさ、こうやって味を覚えてもらうんだとよ!」
「はぁ……試食、ですか」
人間のすることは理解できない。 彼らは私達より時間が少ない分、とても"せっかち"だ。
すぐに色々な事を試し、飽きてを繰り返す。
ま、貰える物は貰っておくとしよう。
「はふっ、はっ、熱っ」
目的を済ませ、帰路につく前に饅頭を頬張る。
「ん、悪くないもんね」
私は人間というものがあまり好きになれないが、こと食べ物に関してだけは評価している。
この饅頭ひとつにしても、なかなかのものだ。
「ふぅ……んじゃ、ちゃっちゃと戻りますか」
寒さも少し和らいだ。 私はひとつ大きく伸びをすると、荷物を抱え、再び寒空へと飛び立った。
────────
「霊夢さーん、買ってきましたよー」
「ご苦労さま、台所に置いといてくれる?」
「えー」
文句の一つも言いたいところだが、我慢我慢。
私は重い味噌の壺を両手で持ち上げ、台所まで持っていく。
そもそもなぜ私がこんなパシリをやらされているか、話は数分前へと遡る。
「取材させてください」
「いいけど味噌買ってきて」
「ヒャッホウ」
これだけである。
回想シーンなどは特にない。
とにかく、これで堂々と取材をすることができる免罪符をゲットしたわけだ。
パシられた分はしっかり答えてもらうとしよう。
「そろそろ取ざ」
「お茶入れたけど飲む?」
「是非」
あぁ……お茶が旨い。
「って違いますよ!」
バンっとちゃぶ台を叩いた拍子に少し茶がこぼれた。
「あぁ、茶柱立ってたのに……」
「え……それはすみません」
「まあいいけど、お茶のおかわりはどうかしら?」
「あ、いただきます」
……ふぅ、暖まる。
「ってそうじゃなくてえええ!!」
「ところで晩御飯飯食べてく?」
「え、ご飯ですか! ヒャッハー! 御馳走様です!」
「あの、そろそろ取材を」
「風呂も入っていきなさいよ」
「あ、それじゃ……」
「そろそろしゅざ」
「泊まっていったら?」
「あ、はい」
「そろ」
「朝飯」
「お願」
「そ」
「帰」
「了」
「っは!」
気がついた時、私は自分の部屋で寝ていた。
なんというマジック。
タヌキならぬ霊夢さんに化かされた気分である。
やはり彼女に取材するのは一筋縄ではいかないようだ。
「ぐぬぬ……悔しいけどここは一旦引いて、他をあたってみるとしようかしら」
私は文花帖をペラペラとめくり、何かいいネタがないものかと模索する。
とりとめもないメモ書きが目に映っては消えていく。
「……ん?」
そこでふと、気になる文字列を見つけた。
【人口?】
とだけ書かれたメモ書き。 これが何を意味するのか。
「うーん」
数分悩んだ後、ようやく思い出す。
「いい時事ネタもないことだし、いっちょ調べてみますか」
そう呟き羽を広げる。 数秒の後、私は風となった。
────────
来る日も来る日も、里へと向かった。
そして"ある数"を調べ、統計を取った。
「やっぱり……思った通り」
私は以前取材をした稗田家の書物蔵へこっそり忍び込んでいた。
そしてこの時、私の疑問は確信へと変わり始めていた。
人間の里は小さな集落だ。 当然ながら老若男女が生活している。
問題はそこからである。
"里の人口が変わっていない"のだ。
これはおかしい。
私は里の人口、つまり人の総数だけを死亡記録、出生届などから推測し、ひたすら記録し続けた。
産まれる人間もいれば、死ぬ人間もいる。
記録は長期にわたって残っており、これだけあればいくらか数が増減するはずである。
だが結果は、前述の通り。
これはある時点とある時点の2点の人口が変わっていないという意味ではない。
「記録が始まってから今日まで、人口の変動が全くの0……こんなことがありうるの?」
私の知る限り、そのような生物はいない。
老人が老衰で死ぬ日には必ず同数の赤ん坊が生まれ、不慮の事故で誰かが死ぬ時も同数の赤ん坊が生まれる。
そんな不自然ことが起こる道理はない。
「起こるはずがない、ということは」
自然に起こるはずがないことが実際に起こっている。 それは何者かによる故意の可能性に他ならない。
「誰が、何のために?」
後者の特定は難しいが、前者、こんなことができる者はいくら幻想郷といえども限られてくる。
そもそも記録が数百年前からあるのだ、さらに容疑者は絞られる。
「まぁ、まずは情報収集ですね」
書庫を出た直後、ちょうど人の気配を感じた。
私はバレないよう、目にも止まらぬ疾風となり上空へ舞い上がった……
────────
「ってなことがあったのです」
「へえ」
煎餅をかじりつつ、霊夢さんに事情を説明する。
「というわけで、マヨヒガの行き方を教えてください」
「いや、知らないけど」
「またまたー」
うりうり、と肘を当てる私を華麗にスルーし茶をすする霊夢さん。
事前調査であの妖怪に関わりが深い、所謂キーパーソンが霊夢さんであることは把握済みである。
「というか、紫が怪しいと思うんだ」
「だってそりゃ、他にいます?」
「んー、そういわれると……まぁ、いないわねえ」
目的は謎だが、実現が可能な人物、ということで容疑者は一人しかいない。
至極簡単な消去法である。
「どっちにしろ、私は行き方なんて知らないし、残念ながら無駄骨ね」
「むぅ……それじゃやっぱ自分の足で探すしかないってわけですかねぇ」
はぁっとため息をつく私に、霊夢さんは言った。
「それに、悪いことは言わないから紫のことには首を突っ込まないほうがいいわよ」
「へへへ、やるなやるなと言われるとやりたくなるってもんでしょう?」
「取り返しの付かないことになるわよ」
「!?」
ぞっとしてしまった。
おちゃらけた感じに返した私とは逆に、霊夢さんの視線には確かに冷たいものが混じっていた。
思わず黙ってしまい、変な空気が流れる。
「……ごめん」
「い、いえ、こちらこそ」
うぅ……何やら霊夢さんの逆鱗に触れてしまったようだ。
とても、気まずい。
「……ま、その変わりこの前の取材でよかったら答えてやるわよ」
「ほんとですか! やっふー! あ、取材といえばですね~……」
微妙な空気を吹き飛ばすように、私は空元気をめいっぱいに取材を始める。
最初のうちは何を聞いていたのかも覚えていない。
そして霊夢さんの取材をしているうち、いつしか夢中になり、私はマヨヒガのことなどすっかり忘れてしまっていたのだった……
「なぁんてことはなくて……っと」
幻想郷某所、私は何の変哲もない場所で一人、突っ立っていた。
いや、正確には何の変哲もないように偽装された場所、だろうか。
それにしてもラッキーだった。
霊夢さんに取材をした帰り道、私は空からある黒猫を見つけた。
それだけならば特に珍しくもないのだが、私は何気なしにその黒猫を眺めていたのだ。
すると驚くべきことに、その黒猫は突然人の形に変身し、さらには忽然と姿を消したのだった。
「そしてここが、その地点……」
何もない空中を見つめ、意識を集中してみると、うっすらと結界が見えてくる。
私ほどの妖怪がピンポイントで集中してこの程度だ、そんじょそらこらの妖怪がおいそれと見つけられるものではない。
すっ、と手を伸ばす。
"そこ"には確かに結界の境目があり、来るものを拒む意志が明確に感じられた。
「…………」
私は天狗に伝わる秘術を心の中で、静かに、唱える。
目の前のうっすらとした結界は徐々に像をなし、やがてくっきりとそれが確認できるほどのスキマができた。
元々通用口のような役割をしていたからだろうか、こうも簡単に開くことができたのは僥倖だった。
私は開いたスキマの間から足を踏み入れ、その先にある異空間(であろう空間)に歩を進めた。
───────────
男は平凡な生活を唯一最大の目的としていた。
男は生まれつき、口が聞けなかった。
男はよく笑い、ニッと微笑むとチラリと覗く銀歯が特徴的な男だった。
男の唯一最大の目的は、現在達成されてはいなかった。
「ペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネ」
「ぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこね」
ここは絶望ハンバーグ工場。
「ペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネ」
「ぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこね」
窓はなく、電球が申し訳程度についた薄暗い室内だった。
「ペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネ」
「ぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこね」
男、仮にAとしよう。 Aはここで数週間前から働いていた。
いや、正確には働かされていた。
少し前の話をする。
Aは口こそきけないものの、優秀な頭脳をもっており、特に不自由なく生活していた。
ある日突然、100万以上目がありそうなサイコロが振られ、偶々彼の名前が出ただけなのだ。
午後11:23。 帰宅途中の彼の姿が忽然と消えた。 目撃者は一匹の猫のみだった……
以来、彼はここで強制労働を強いられている。
理由は聞かされていない、そもそも労働内容すら聞かされていない。
彼は自分の意志で働いていたため、強制労働は語弊があるかもしれない。
彼は自分の意志で働いていたが、必ずしも望んで働いてはいなかった。
彼が最後に覚えているのは、自宅前にある、チカチカする電灯の輝きのみ。
次の瞬間には、ここにいた。
最初何をするでもなく、様子を眺めていたのだが、彼にとって幸運だったのは、機転がきく脳を持っていることだった。
数分間周りを眺めていると、二種類の人間がいることに気づいた。
ベルトコンベアーから流れてくる肉を掴み取り、ひたすらこねている者、そして自分と同じように途方にくれている者。
2分経過したところで、異変に気付いた。
こねている者は、数が変わらない。 当然? 人が消えるわけがない?
そう、人が消えるわけがない。
ただ、"自分がここにいる"ということと、"何もしていなかった者の数が減っている"というたった二つの事実が、彼の体を動かした。
「ペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネ」
「ぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこね」
彼はひたすら、流れてくる肉を掴んでは、こね、掴んでは、こねた。
時計すらないこの中で、延々とハンバーグをこね続け、それこそ永遠と続くのかと懸念した頃、室内に大きなブザーの音が鳴り響いた。
周りでハンバーグをこねていた人々はブザーが鳴るや否や、のそのそと動き出した。
仕方なく、Aは付いて行く。
やがて狭い、タコ部屋のような場所へ着くと、周りの人間は音もなく横になり、音もなく眠りだした。
誰も彼も、疲れ切った顔をしている。
状況を知りたいが何せAは話せない。 それに彼は疲れていた。
残業帰りの直後にハンバーグである。
彼もまた、音もなく眠りについたのだった。
ここで幾日か過ごすうち、彼はいくつか気づくことがあった。
どんなに小言であろうと、無駄話をした者は直後に工場長に呼ばれていた。
ちなみに工場長はいまだ見たことがない、いつも伝言で「呼ばれていた」とだけ言われるのだ。
そして、工場長に呼ばれた者は二度と戻ってくることがなかった。
何もかもが謎に満ちたこの空間で、やがて誰も声を発するものはいなくなり、ハンバーグをこねる音だけが延々と場を支配する。
「ペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネペチコネ」
「ぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこねぺちこね」
それでも気が狂うほどのこのBGMに耐えられず、隙を窺って声を出そうとする者が出てくる。
だがそういう者は例外なく、工場長からの《お呼びだし》をくらうのだった。
───────────
「さて、お宝の匂いがプンプンしますが、まずは一枚」
間違いない、文献で調べていた通りの建物が今、私の目の前にある。
マヨヒガはそうそう存在が確認されるものではないため、極端に文献が少ない。
この写真一枚だけでも普段ならば一面を飾れそうである。
「が、ここで帰るわけ道理なんてなく……えっへっへ」
さすがに正面から入るわけにはいかないので、裏口を探す。
今思えば、これが悪手だった。
ただでさえ勝手のわからない土地、裏口を探せば探すほど見つからなくなり、ついには迷ってしまった。
たまたま開いていた穴から内部へ侵入できたものの、はたしてこの中がマヨヒガへ繋がっているのかどうか……
「お、ここから出られそう」
狭く、暗い通路を進むうち、ぼんやりと光る穴が開いていた。
私はそこから顔をだし、気配が無いことを確認するとするりと抜けだした。
───────────
Aとそれ以外の人間には明確な一つの相違点があった。
周りの人間と比べ、Aの顔には疲労感が少しも出なかったのだ。
そもそも普段から話さないため会話ができないことによるストレスも溜まらず、また、単純作業も彼は得意だった。
そんな彼だからこそ、新陳代謝も通常通り働き、結果、彼は"もよおし"た。
無論、焦る。
体感時間、毎日8時間以上は連続で働かなければいけない。
作業はまだ始まったばかり、何時間も我慢できる余裕はない。
雑談が工場長の怒りに触れるならば、どうして排泄ができようか。
仮にできたとして、その後に何が起こるか? 答えは謎、楽観視はできない。
結果から言うとそこから彼は三時間耐えたのだが、とうとう我慢できなくなった。
焦りや緊張、恐怖などが彼の優秀な思考を鈍らせた。
非常識な空間にも関わらず、「常識的に考えて、食べ物の前で漏らすほうがより悪だ」と思い、彼はついに動きだした。
彼は普段、工場長へ呼ばれた者が向かう扉へと歩を進め、一瞬のためらいの後、それを開いた。
以外にも扉の先は真っ暗な一本道であり、不審に思いながらも余裕なく足を速めた。
やがて、彼はWCと書かれた扉を見つけ、無事排泄を完了する。
彼にとっての人生最大の不幸は、その後、出た瞬間に何者かの足音を聞いたことに尽きる。
戦慄した。
体中の穴と言う穴から冷たい汗が滲み出し、何も考えられなくなった。
彼は足音と逆の方向へ目を向ける。
扉があった。
あの先が何であるか、そんなことはどうでもいい。
工場長へ呼ばれたものが帰ってこない。
連日こねる何の肉かもわからないハンバーグ。
二つのワードが彼を恐怖のどん底へと陥れ、扉の先へ飛び込ませた。
───────────
彼女、射命丸文が穴を抜ける瞬間までは、確かにその部屋は無人だった。
彼、Aがその扉を開けるまでは確かにその部屋は無人だった。
二人は同時に部屋へと飛び込み、同時に目を合わせることとなる。
一瞬の硬直の後、先に動いたのは人間ではなく天狗だった。
男が口を開いたのと同時、彼女は左手で男の口を塞ぎ、右手で当て身をすると咄嗟に穴へと引きずり込んだ。
それから数秒後、扉の先から声が漏れた。
「おや、扉が……」
しまっていたはずの扉。
勝手に開くはずのない扉。
声の主は扉を閉め、"中に入って"きた。
「これは、まずいことになりましたね……」
首元にかかる生暖かい息が鬱陶しい。 おのれ人間、こんな状況でなければ首を引き千切っているのに。
幻想郷最速を自負する彼女も、さすがにこの場所では満足に動くことができない。
コツ、コツと迫ってくる足音に彼女は、強行突破もやむなしと覚悟を決めた。
───────────
「っは!」
気がついた時、私は自分の部屋で寝ていた。
なんというマジック。
キツネならぬ……あれ?
「狐?」
私はいま、狐と言った?
何故、狐という単語が突然出てきたのだろうか。
そもそも、"何故私は部屋で寝ている"のだ?
不味い、思い出せない。
何より、頭が痛かったので、表に出て新鮮な空気を吸うことにした。
綺麗な空気を吸い込むと、不思議と肺の中には変に生臭い空気が入っていたような感覚に襲われた。
しばらくそうしていると、椛が通りかかったので今日の日付を聞いてみる。
「はぁ?」
とは言わないが明らかにそんな風の顔をしつつも、彼女は一応教えてくれた。
私は文花帖を見る。
これで決定的だ。
私は、普段毎日メモを取る。 それこそ取らなかった日はここ何十年も存在しない。
よくよく見ると、最新のページだけ、数枚紙が切り取られた跡がある。
私の記憶がないことといい、不可解な点が多すぎる。
「…………」
気が付くと、日が高く昇っていた。
そこで初めて、私は腹が空いていることを思い出し、自分で調達するのも億劫だったので里へ向かったのだった。
「へいらっしゃい!」
私はなんとなく、先日の饅頭屋に来ていた。
試食した饅頭は悪くなかったし、腹は減っていたががっつり食べるほど気力もなかったのだ。
適当に2、3饅頭をつまむと、気持ちが落ち着いたのか私は店主と世間話をしていた。
「というわけで、かくかくしかじかだったわけですよ……わかります? この気持ち」
「へえ」
普段、誰に吐き出すともない愚痴を延々と店主に聞かせる。
そしてそのうち気が良くなったのか、私は先ほどの奇怪な現象についても話し出した。
「お姉さん、それを気にするのはもう、よしなされ」
「え?」
「よしたほうがええ」
それだけ言い残すと、店主はいきなり店を畳みはじめた。
「え、ちょ……」
「さ、店じまいじゃけえ、出てってくんな」
温厚な顔をした店主が急に無表情になり、あっと言う間にのれんを下してしまったのだった。
どうも、キナ臭い。
対する私はスクープの原石を見つけた気分になり、次第にうきうきしてきた。
さっそく家へと戻ると、一冊の巻物を開いた。
文花帖は私が常に携帯しているため、また、私の身に何かがあった時に危険だ。
今日から、この事件をスクープにするまで日記をつけようと思う。
これならいざ私に何かがあっても記録として後追いできるはずだ。
●月×日
調査開始、とはいえ、詳細は文花帖へ書いていくのでここでは重要なことのみ簡潔にまとめて書くつもりである。
まずは、情報集だ。
私の記憶がない数日間に関する情報を、できるだけ集めようと思う。
●月△日
霊夢さんに聞いたところによると、私はマヨヒガの行き方を探していたらしい。
何のこっちゃと思い文花帖を見返してみるが、それらしきキーワードはない。
霊夢さんは何やら不機嫌そうだった。
□月◎日
ひたすら文花帖と睨めっこをした甲斐があった。
私は"人口?"の文字からついにマヨヒガへとたどり着いた。
記憶のない過去の数日間の私も、同じ道を辿ったと思うと妙に感慨深い。
□月◆日
霊夢さんに外食の誘いをうけた。 しかも彼女の奢りである。
これだけで今世紀最大のニュースなので、ここに書いておく。
里に《はんばーぐ屋》なるものが出来たらしく、そこで昼食をとった。
これほど美味しいものは久々に食べた。
私は常々人間の食にだけは一目置いていたが、これは二目も三目もおける発明と言っても過言ではない。
毎日でも通おうと思う。
◆月×日
おかしい、最近日記に書くことがない。
というか、何もなかった気がする。
しかしこれまでの日記をみるに、今日一日私が何もしてなかったはずがないのだが……
×月◎日
今日も、はんばーぐは美味しかった。
×月▲日
いくらなんでもおかしい、私は試しに今日一日だけこの日記を持ち歩き、一時間ごとに開いてみようと思う。
さすれば何かしら書けるはずだ。
───────────
「あ、霊夢さん」
「あら、あんたは……また?」
「へへ……」
「飽きないわねぇ」
日が暮れる頃、私は里で霊夢さんと出会った。
今日はとても有意義な一日だった。
やはり私の思った通り、何故か寝る前の日記に向かう瞬間だけその日の記憶がないのだ。
それが今回、日記を随時書き足すことで証明された。
これで今夜、日記を書くときに例え記憶がなくとも、私は何があったか、そしてどうすればいいのかを疑似的に覚えておくことができる。
「ご機嫌ね」
「そりゃーもう……あ、今夜どうです?」
私ははんばーぐ屋を指す。
霊夢さんは奢りならね、と快く誘いに乗ってくれた。
彼女の手を取り、私達二人ははんばーぐ屋ののれんをくぐった。
こんな良い日に一人で食事をするのも淋しいものだから丁度よかった。
私達が席に着くと、笑顔が眩しい店主が迎えてくれた。 お馴染みの光景である。
そしてすっと出してきた品書きから各々好きなものを頼むと、店主はこくっと頷いた。
彼は口が聞けないのだ。
店内にあった注意書きによると、彼は後天性の障害があり、何かのショックで話すことができなくなったらしい。
「あれ?」
やがて肉の焦げる小気味のいい音が聞こえ、鉄板が私達の前には差し出された。
私は、店主に言った。
「私が頼んだのはこれじゃないですよ?」
「ああそれは……」
口のきけない店主の代わりに、というわけでもないだろうが、何故か霊夢さんが横から口を出してきた。
「私がお願いしたの、あなたのために……特別メニューよ?」
にっこりと微笑む彼女の雰囲気は、いつもとは明らかに異質だった。
「えっ」
嫌な汗が、背中をつたう。
少なくとも、私が知っている限りでは霊夢さんはそんな注文はしていなかった。
ならば事前に頼んでいた? だが、今回はんばーぐ屋の前で霊夢さんと出会ったのは偶然であり……
偶然?
本当にそうだろうか。
霊夢さんと会ったのは必然で、私が偶々はんばーぐ屋に誘わなければ、彼女が誘っていたのではないか。
「どうしたの? はやくおあがりなさいな」
「ぁ……ぁ……」
今日の日記を書いている時点で気づくべきだった。
何故いつも日記に書くことがなかったのか。
何故今日だけは書けたのか。
私が毎日していた、共通の項目はなにか。
「毎日欠かさず来るくらい好きなんでしょ? ほら、冷めないうちに」
「うぁ……」
手を、後ろへ伸ばす。
(ない!?)
入店した時、置いておいた日記がなくなっていた。
私は理解し、確信し、恐怖した。
「ふふ、遠慮することないのに。 なんなら食べさせてあげる」
身体は、動かなかった。
元々霊夢さんがここに誘う予定だったならば、何か仕掛けが施してあっても不思議ではない。
いつもより一回り大きく、香ばしい香りのする"特別はんばーぐ"を口にした瞬間、私の意識は彼方へと飛び去った……
───────────
「ねえ藍」
「はい、紫様」
「幻想郷は何故、存在し続けられていると思う?」
「存在の根拠……ですか」
「妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治する。 でもね、幻想郷の妖怪は人間を大量に襲って食べられないわ。 それは何故?」
「……妖怪が食べるスピードのほうが、人間の繁殖するスピードより遙かに早いからです」
「そうね、そうポンポン食べていては人間なんてすぐに絶滅するわ。 だから一度に大量には襲って食べられないようにしてある」
「しかし、妖怪とて人を喰わねば生きてはいけない……」
「そう、そこが問題。 幻想郷では人間と妖怪が共存しなければいけない。 その為には人間は食べられず、かつ妖怪は人間を食べなければいけない」
「矛盾していますね」
「そ、でもね、この式の"人間"という単語には、ある接頭語が付くの」
「…………」
「【幻想郷の中の】という接頭語が、ね」
───────────
「っは!」
気がついた時、私は自分の部屋で寝ていた。
なんというマジック。
「ぐぅ」
なんだ……
頭が痛い。 痛い痛い痛い。
尋常ではない頭痛に、ベッドから落ち、床をのた打ち回る。
どれくらいそうしていたか、びっしょりと汗をかくほど転げまわっていると、急に頭痛は過ぎ去った。
代わりに襲いかかってきたのは、猛烈な嘔吐感。
近くにあった手桶を手繰り寄せ、胃の内容物を盛大に吐き出す。
意識が朦朧とするなかで、桶に何か堅い物が当たる音に気付いた。
もしかしたらこの嘔吐の原因とも思い、掴み取ってみる。
時刻は既に丑三つ時を過ぎており、辺りは暗い。
微かな月の光を頼りに、私は堅い何かを照らしてみる。
「銀の……たま?」
以前、黒白に見せてもらった外の世界の《ぱちんこのたま》というものに似ている。
だが銀色に光るそれは、玉と言うにはゴツゴツしていて。 見覚えがあり……
「いや、これは……」
「……歯?」
今日はハンバーグにしよう。
しかし、霊夢は中立だなぁ。
結果、こええぇぇ!!!
よく分からないお話でした
ハンバーグの肉はアレっぽいのは感じたけども
タイトルが往年のB級ホラーっぽくて良い。
(ここで下手なコメントすると、きっと工場長に「呼ばれる…」。)
人口の管理は紫も気を使うでしょうね。増えすぎると外の二の舞になっちまうだろうし。
霊夢の方がなんか妖怪じみてるねww でも文ちんは妖怪だから食べてもいいくない??
歯のところが・・ しばらく肉食えないじゃん・・ お嬢様
こういう話、何処かで見た気がしますが、幻想郷でも実は・・みたいなリアリティがあ
りました。今日はハンバーグにしてもらいます。 冥途蝶
こーーーえーーーー!!wwwwww
ハンバーグ食えません!!!!!! 超門番
本当に三分クッキングじゃなくてよかった・・・。
いや、よくないのか?
究極のブラック企業だな。
あばばばばば……