「うふふふ……買っちゃった、買っちゃったー」
地霊殿の自室に帰ってくるなり、空は手元の機械を見つめ上機嫌で呟いた。
未来水妖バザーで河童が売り出していたマル秘アイテム『サトリンガル』である。
今より少し前、仕事帰りにバザーを覗いてきた時の話。
そこで、売り物の中にそれを見つけてしまったのだ。
売り子から話を聞くと、これを使えば覚妖怪の考えていることも分かるというではないか。
実際に覚妖怪を主にもつ空にとって、それはたいそう魅力的に映った。
ちょうど良いことに、間欠泉センターで働いたお駄賃を受け取ったばかり。
少々値は張ったが、買えてしまうとなれば決断にそう時間は掛からなかった。
空はさっそく包みを開けると、機械についているボタンを押した。
すると、表面に『サトリンガル』と黒い文字が浮かび上がってくる。
使い方は簡単、この機械をこっそり相手に向けて霊力を感知させるだけだ。
そうすると相手の霊力から、その時の気分や考えを分析して表示してくれるという。
「おくう? 帰ったの?」
すぐにでも試しに行こうと立ち上がると同時に、部屋がノックされた。
「あ、お燐。いいよ、入ってー」
「はーい。おかえり、おくう」
「うん、ただいまー」
部屋に入ってきて挨拶を交わし、燐はすぐに空の持つ妙な機械に気が付いた。
「それ、なにさ?」
「これ『サトリンガル』っていって、さとり様たちの気持ちが分かるんだって!」
「え……」
無邪気な親友に複雑な表情を浮かべてしまう燐。
空はそれに気付かず、喜々として言葉を続けた。
「お燐も一緒に行こうよ、さとり様に使ってみよう!」
「いや……おくう、それは……」
言葉を濁らせる燐。
そこでやっと燐の苦い顔に気が付いて、空ははしゃぐのを止める。
言いづらそうにしていた燐だったが、やがて意を決したように顔を上げた。
「やめときなよ」
きっぱりとそう言い放つ燐の表情は、真面目そのもの。
いつも空をからかっているそれとは、明らかに雰囲気から違っていた。
「え、なんで……」
「考えてごらん。さとり様とこいし様のこと……こいし様の、瞳のこと」
「あ…………」
心を読む能力を嫌った主が辿った道。
それを思い返し、空の表情も暗いものに取って代わった。
「ごめん、おくうの買い物を無駄にさせたい訳じゃないんだ」
「うん、分かってる……私も、ごめん」
しょんぼりと『サトリンガル』を包みに戻す空。
燐は素直に聞き分けてくれた親友に暖かい笑顔を向けると、明るい声をあげる。
「あたいも仕事終わったからさ、どこか遊びに行こっか!」
「行く! さとり様とこいし様にお土産買おうね!」
§
それからしばらく経った頃。
間欠泉センターに詰めていた空が久々に地霊殿に帰ってきた時、気になる噂を聞いた。
地霊殿に常駐しているペット組いわく、ここ最近さとりに元気がないらしい。
原因についてはハッキリしないらしく、みな首を傾げるばかりである。
もしや燐ならば、もう少し詳しいことを知っているかと思って探してみたが、
少し前から死体不足に対応するために出張中らしく、会うことが出来なかった。
「さとり様……何かあったんですか?」
「なに、突然? 別に何もないわ」
思い切った空が直接訊ねてみても、この調子である。
心配する空の思考を読んでは「心配要らない」と返す徹底ぶりだ。
空が帰ってきてから少しだけ元気になった、と周りの皆は言う。
しかしそれが、心配をかけないための空元気でないと言い切れるだろうか。
疑問と不安が募る中、空は自室の片隅に転がっている包みに目をとめる。
相手の心が読めるという『サトリンガル』である。
あの日、燐が言ったことはよく分かっている。
それでも空は、主人の憂鬱を解消する手助けがしたいと願った。
そっと包みを解き、ボタンを押して『サトリンガル』を起動する。
それを手のひらに隠し持ってさとりの元に向かうと、こっそりと機械を向けた。
『のどが かわいたわ』
さとりと離れてから表示を確認した空は、心の中で「了解!」と叫んで駆け出した。
無論、お茶を用意する為だ。
考えてみれば、主の為にお茶を用意するなんて随分と久しぶりである。
なんてことのない気遣い程度の行動ではあるが、やらないよりよっぽど良い。
お茶を持って颯爽と駆けつけた空を見て、さとりは目を瞬かせた。
「あら……珍しい。どういう風の吹き回し?」
「えへへ。さとり様、喉乾いてないかなって思って!」
さりげなく空の思考を辿ったさとりだったが、その内容はごく単純なものだ。
見事に『さとり様を喜ばせたい』ただ一色だったのである。
含みも何もないストレートな気持ちをぶつけられ、さとりの頬が緩む。
「変な子。ありがとうね、頂くわ」
「はい! 頂いちゃってください!」
さとりの笑顔が嬉しかったのだろう、空も満面の笑顔で応えてみせた。
ひとまずは大成功である。
これで少しでも元気を取り戻してくれたなら言うことなしだ。
お茶の後片付けを引き受けた空は、ここで思い出したように『サトリンガル』を見た。
お茶と主人とのやり取りに夢中で忘れているうちに、表示が更新されていた。
『ワタシのこと もっと かまってほしいなぁ』
さとりは今、物静かに読書中である。
言われてみれば、どことなく寂しそうに見えないこともない。
洗い物もそこそこに、さとりの元に舞い戻ってちょこんと隣に座る空。
「今度はどうしたの?」
「えっと……さとり様に羽のお手入れして貰いたいなぁって思って……」
「いつも自分で綺麗にお手入れ出来ているじゃない。下手に私がやるより」
「あの、今日はっ、さとり様にやって貰いたいんですッ!」
さとりの言葉を遮って、空は両翼をバサッと広げて見せる。
この頃は仕事が忙しくてサボりがちだったので、手入れしがいがありそうだった。
さとりは空の突飛なお願いに不思議そうにして、改めて心に探りを入れた。
しかし今度は「どうやって甘えればいいかな」という恥ずかしい思考一色である。
読んでいた本をどけて座り直すと、さとりは優しく空の翼に触れた。
「きっと、おくうが思うほど上手くはないわよ。私」
「いいんです。さとり様の好きにしてください」
「変なおくう……ほんとう、今日はどうかしてるわ」
呆れたような口調とは裏腹に、さとりの表情は柔らかかった。
困惑しつつもちょっと嬉しそうにお手入れを始めてくれた主に、空もちょっと幸せになる。
丁寧で繊細なお手入れにゾクゾクしながら、しばし至福の時間を過ごす空。
なぜ甘えたのかを思い出したのは、お手入れが終わってしばらく経ってからだった。
再び忘れられていた『サトリンガル』。
素敵な感じになった翼に満足していた空は、自室に戻ってからその存在を思い出した。
いつの間にか更新された表示には、こう記されている。
『ワタシのこと なにもわかって ないんだから……』
思わず、自らの翼に触れる空。
主を構うための手段として甘えることを選んだのだが、失敗だったということか。
手入れをして貰って、いい気分という益があったのは空本人だけ。
もしや面倒がっていたのではないかと、心の中いっぱいに不安が広がっていく。
いてもたってもいられなくなり、空は自室を飛び出した。
「おくう? 今度はなに、そんな慌てて」
「さとり様ー! ごめんなさい、変な事やらせてごめんなさいっ!」
泣きそうな声で謝る空に面食らうさとり。
原因を確認しようと心の中を覗くも「さとり様に迷惑かけた」と自分を責めるばかり。
思いこんだら一直線、単純明快な思考というものは、心を読まずとも分かりやすい。
が、この時のように深く原因を探る際には大きな障害にもなり得る。
なにせ、態度に表している以上の情報が得られないのだ。
今の空は「主人に謝る」以外のことを考えられていないのである。
「落ち着きなさい。私にも分かるように説明してくれる?」
「だ、だって、さとり様、私のこと、わかってないって、私、だから」
「だから、まずは落ち着きなさい。私は別に怒ってないから」
さとりに宥められ、空は謝ろうと思った経緯をポツリポツリと話し始める。
読書するさとりが寂しそうに見えたこと、どうにか一緒に居ようと思って甘えたこと、
でもそれが、さとりが望んでいた交流と違って気分を害したのではないかと思ったこと。
「私のことを分かっていない……ねぇ……」
「はい……さとり様のこと、分かってなかったんです……」
翼のお手入れをしていた時の幸せな雰囲気はどこへやら、縮こまってしまう空。
会話の間じゅう空の思考を読んでいたさとりは、あまりの収穫の無さにため息をつく。
どうにも、空の思考には無理のある飛躍が多く、あまりにも一貫性がない。
「どうして急にそんな結論が出るのか、理解に苦しむけど……」
さとりは空の顔を上げさせると、まっすぐ向き合ってから言葉を続けた。
「他人のことなんて、全部分からなくて当たり前でしょう?」
「さとり様……でも……」
「私の瞳でも、おくうの全部なんて分からないもの。ましておくうなら尚更でしょう?」
空の返事を遮って、さとりは口調を強めた。
彼女はまさに今、目の前の空という存在が、何を考えているのかが理解できずにいる。
多少の自嘲を含んだ、だからこそ重みのある言葉に空は息を呑んだ。
「私はあなたに遠慮なんかしません。提案を切って捨てるくらい訳ないわ、嫌なら嫌って言う」
だから、と一拍おいてから、少し言い淀んで微かに視線を逸らして。
「おくうの提案を受け入れた私は、そうまんざらでもなかった……んじゃない?」
何故か最後が疑問系だったが、さとりの言いたいことは空にも分かった。
例え理想と違ったとしても、空のことは望んで受け入れてくれたのだ。
「さとり様ぁ……」
「あぁもう、そんな顔しないでよ。扱いに困るから」
「私、お願い何でも聞きますから! いい子になって、さとり様の役に立ちますからッ!」
「いや別に、もう割といい子でやってると思」
「さとり様ー! 大好きですーっ!」
「きゃあぁぁぁっ?」
その頃、空の自室に放置された『サトリンガル』はというと。
部屋の前を通った誰かの霊力を拾って、こんな表示に更新されていた。
『スキスキスキ だぁ~いスキ!』
惜しむらくは、これがさとりや空の霊力を受けた結果ではないという事実、ただ一点であろう。
§
「ただいまー」
「あ、お燐。おかえり!」
死体の山を車に詰め込んで、燐が出張から帰還する。
挨拶も済んで落ち着いてから、空はいきなり頭を下げた。
「ごめん、お燐。これ、使っちゃった」
「これって……『サトリンガル』だっけ」
機械を見るなり、燐は眉をひそめてしまう。
しかし『サトリンガル』を使おうと思った経緯や、実際の効果について報告を受けると、
空の真剣な気持ちは十分に理解出来のだろう。特に咎めることもなく、頷いて納得の意を示した。
実際、空が動いたことでさとりの気持ちが軽くなったのであれば大きな成果である。
「……それ、ホントに凄い機械なんだねぇ」
「うん。私もびっくり」
それにしても驚くべきは『サトリンガル』である。
空の話が本当であれば、という注釈はつくものの、あの空だ。嘘はつくまい。
しかし裏を返せば、なおさら軽々しく使うものではなくなった、とも言える。
「おくう。あのさ」
「大丈夫。さとり様も元気になったみたいだし、もう使わないよ」
言いたいことを看破し、空が微笑んでみせる。
その効果に浮かれるばかりでない親友に安心し、燐も満足げに頷いて応えた。
「なになに、何の話?」
ぬっと姿を現したこいしが、二人の会話に割り込んできた。
「あ、こいし様。いえ、おくうも心の機微が分かるようになったんだなぁと」
「へぇ、このおくうが。なるほど感動的なお話ね」
興味があるのか無いのか、空を見て何度もウンウンと頷くこいし。
と、その時。
一瞬だけ手元に視線を落とした空が、ガバリと顔を上げてこいしを見た。
「こ、こいし様ッ!」
「え、なに?」
いきなり慌てだした空に、訝しげな表情を浮かべる燐とこいし。
「だめですよー。そんなことしたら、さとり様に怒られますよ?」
真面目な表情でこいしに「めっ」とする空。
こいしは何の事やら分からず、両目をパチクリさせるばかりだ。
「……おくう、何の話?」
嫌な予感を全身で感じた燐が、空の手元を見ながら確認を取った。
少し躊躇ってからその手を差し出す空。『サトリンガル』の表示はというと。
『へや ちらかしてやるから!』
「散らかさないよ!」
こいしが勢いよく空の額にデコピンをかました。
「おぉ、痛そう」
「ひぅぅ~……ジンジンするぅ」
一瞬だけ高まった霊力に反応したのか、取り落とした『サトリンガル』が更新される。
すかさずこいしがそれを拾い上げ、内容を確認した。
『もー たべちゃいたい!』
「これ、こいし様の気持ち……な訳ないよねぇ」
横から覗き込んだ燐が、呆れた声を出した。
こいしはその表示を空に押しつけながら、ニコニコと楽しそうに言った。
「……これは暗に『私を食べろ』と言ってるの、おくう?」
「違いますー、違いますぅー!」
燐を盾にしながら、泣きそうな悲鳴を上げる空。
「まったく。何かと思ったら、ホントに何なのこのオモチャ」
「はぁ。覚妖怪の気持ちが分かる画期的な道具らしいです。触れ込みでは」
「ふぅん、河童製か。河童の発明もピンキリとはいえ、根性の悪い河童も居たものね」
「どこにでも、詐欺まがいの商売する奴は居るってことですね」
この結果を見るに、かなり残念な代物である。
間欠泉センターで貰ったお駄賃の殆どを支払った空にとって、それは残酷な事実だ。
「そんなぁ……もしかしなくてもインチキだった?」
「端的に言えば、そうなるねぇ」
空の報告とかけ離れた現実に、燐も乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
「どうしたの、なんかおくうの悲鳴が聞こえたんだけど……」
二人が悲しそうな空を持て余していると、今度はさとりが顔を出した。
「うぅ……さとり様ぁー」
「え、なに? いじめ?」
突然しがみついて来て、うにゅうにゅし始めた空に困惑するさとり。
しかしすぐに冷静になって燐の思考を読み、現在の状況について確認を取った。
「……あぁ、だいたい分かりました」
空をよしよししながら、問題の『サトリンガル』に視線を移す。
同時に、空の思考がえらく飛躍していたのはコレの所為だと確信した。
「あの、さとり様。おくうがそれを使ったのは……」
「分かってます。そもそも表示がインチキなんだし、別に怒る必要もないでしょう」
さとりの言葉に、燐はホッと胸を撫で下ろす。
空が微かな声で「ごめんなさいー」と呟いていたのが、少しだけ微笑ましかった。
ふと、こいしが『サトリンガル』を空に向ける。
空の霊力を感じ取ったそれは、何の抵抗もなくすぐに表示を更新した。
『ごめん、ごめん ごめんちゃい』
「やだ。この子ったら反省してない」
「いや、こいし様。それ以前の問題です」
さっき表示は適当だと判明したばかりだ。
これが空の胸中そのままである可能性は限りなく低い。
「あ、そっか。ニュアンスだけ何となく合ってたからつい」
「たまたまで……ん? そういえば、さとり様は何ともなかったんですか?」
先の表示を見る限り、ロクでもない内容も多分に含まれている。
空がこの表示に従って行動したとなると、さとりもさぞ困惑するだろう。
しかし空から聞く限り、不思議なことに問題はなかった様子。
そのことが気になって、燐は空に引っ付かれたままのさとりにそう尋ねた。
「ええ、特には。むしろ、ある意味ではそれに感謝しても良いかも知れないわね」
事も無げにそう言ってから、さとりは空をそっと引き剥がす。
「いつまでも落ち込まない。さ、夕飯にしましょうか。久々にこいしまで揃ったんだし」
そしてそのまま、食事の準備をしに部屋から出て行ってしまった。
「お姉ちゃんたら、妙に機嫌良さそうね」
「ですねぇ。まぁ、変なことになんなくて良かったですよ」
「よく分からないなぁ。ちょびっとだけつまんない」
「まあまあ。おくうの自腹に免じて、何事も無かったで済ませてあげて下さい」
さとりの言う感謝の意味が読めず、燐とこいしは顔を見合わせそんなやり取りをする。
空はというと、その横で『サトリンガル』を見つめ、大きな溜め息をつくばかりであった。
とても和みました
とりあえずさとり様がかわいかった
気がつける地霊殿ペット組の優秀さ。
……というかアレってそんなデタラメな物だったんすか(汗
一途で純粋で本当にもう可愛すぎる女神か。
いい地霊殿でした
ほっこりしました。