外界も、幻想郷も、もうすぐ春になろうとしていた。
茶色と灰色のみの地面が、少しずつ、けれど確実に、緑や黄色や桃色の領域に染められてゆく。
寒々とした空の色も、次第に深みを増していく。
博麗神社裏のミズナラの木に住む三人の妖精達も、春の気配に胸を躍らせていた。
「さあ、ルナ、スター、出掛けるわよ」
麦わら帽子をかぶり、おやつを入れたバスケットを持ったサニーミルクが二人を急かす。
「まだ春とは言えないかもしれないけど、こんな暖かい日は外に出なきゃね」
三人の中で比較的冷静なスターサファイアも、久々の陽気に気分が明るくなっている。
「ルナー、のんびりしてるとキノコが生えてくるわよ」
奥にいるルナを急かすサニー。
「ちょっと待ってよ」
「もう、ルナはもっと早く支度しなさいよ」
マイペースで支度していたルナチャイルドがようやく部屋からぱたぱた出てくる。
三人そろってぶらりとお出かけ開始。
「綺麗な菜の花よ、こんにちは」花をつつきながら、サニーがその花の妖精に挨拶した。
「見てみて、蟻さんたちがお仕事開始しているわよ」すっ転んだルナが地面の蟻の群れを見つける。
「ちょっと風が冷たいけど、あの桜、もう咲いてる」スターが指差して二人に呼び掛ける。
「「ホントだー」」
野原に茣蓙を敷き、ちょっと気の早い山桜や菜の花を愛でながら、三人はおやつのサンドイッチにぱくついた。
「おいしいわ、ねえ所で皆、何か春一番の悪戯しない?」サニーが提案した。
「いいわね、で、何をするの?」とルナ。
「あっ、誰か来るわよ」
ちりんちりんと鈴の音。
野原を横切る道端に、一人の人間の少女が歩いてくる。
黄色と赤の和服に、紫がかった髪。
漆塗りの高級そうな箱を両手で大切そうに持ち、なぜか右手に鈴のついた紐が縛られていた。
鈴の音はここから来ているようだ。
「あ、あれは稗田の子、本で私達を『匹』で数えてたヤツだ」
能力で姿を消したサニーが不満そうに言う。
「仮にもヒト型をしているのに、匹で呼ばれるのは嫌よねえ」
「じゃあ、ちょっとお仕置きしてあげましょうか」
「いいわね。ルナ、音を消して近づくわよ」
姿と音を消し、三人はそっと少女、稗田阿求に接近する。
危害を加えるつもりはないが、背後から脅かして、整った顔立ちが乱れる様を笑ってやろうと思ったのだ。
音が消えていて意味が無いのに、ルナは抜き足忍び足で阿求に忍び寄る。
サニーとスターは何度も指摘したが、彼女はこの時はこうするものだと言う事が頭に染み付いてしまっているようだ。
それもそれで可愛らしいと二人は思うのだった。
少女は右手の鈴を見やり、にっと笑う。
後ろを振り向き、背後に蹴りをかます。
幸か不幸か、姿を消していたルナに命中した。
「きゃっ」
「ちょっと、なんで分かったの」
「早く逃げなきゃ」
蹴りの威力自体はそれほどでも無かったが、それよりも居場所がばれた精神的ショックで、三妖精は一目散に空を飛んで退散した。
ぴゅー
「ふっふっふ、この鈴が感知器になったわ、あの妖精ったら、馬鹿の一つ覚えみたいに音を消すことしか知らないんだから」
ルナチャイルドは音を消す能力を持っている。だから常に音を鳴らして、それが聞こえなくなれば彼女がいる証拠なのだ。
「まあ、まさか真後ろにいるとは思わなかったけどね。いつまでも脅かされたままでいると思ったら大間違いよ」
そうして何事も無かったかのように再び歩きだす。
この箱を里に届けなければならないらしい。
「ふう、逃げ切ったようね」
薄暗い林の中、三妖精はほっと胸をなでおろした。
「もう、ルナがいけないのよ、あの鈴は音を感知する道具だったのよ」
サニーがルナを責めた、スターも同意する」
「音が消えれば、あなたがいる証拠だものね」
ルナはばつが悪そうに、両手の指をからませ、口を三角にとがらせて弁明している。
「むむむ、だってえ、近寄る時は音を消す物だし~」
「まあ良いわ、相手は私達を見破った事で安心している、だからこうして先回りして、再び攻撃を仕掛けるわよ」
「「おー」」
妖精達は気を取り直して、悪戯再開を決めた。
「汚名挽回のチャンスよルナ」 サニーが落ち込みかけていたルナを励ます。
「あのねえ、挽回ってのは取り戻すって言う意味よ、汚名を取り戻してどうするのよ」ルナが呆れて訂正した。
「ルナは知識面には明るいのに、実務面ではさっぱり……ああ、もうすぐターゲットが来るわ」スターが警戒を促す。
林の中の道を阿求が歩いてくる。周囲を時々見回して、妖精がいないか警戒しているが、足取りは軽い。
三妖精を撃退した事で自信が付いているのだろう。
そこに付け入る隙があるのかも知れなかった。
「私が光を屈折させて道に迷わせるから、正面からスターが注意を引いて、ルナが能力使わずに後ろからあの箱をかっぱらうのよ」
「能力使わずに、うまくいくかなあ」
「大丈夫よ、能力に頼って失敗したんだし、さあ行くわよ」
サニーの光を屈折させる能力で、阿求は道に迷ってしまう。
同じところをぐるぐる回っているような気になる。
「どうしよう、ああいう妖精は一度撃退したら当分来ないものなのに」
そこにスターが彼女の正面に現われ、阿求を驚かすのだが、直接身を晒すと言う慣れない行為のためか緊張していた。
「あの、えーと、命が惜しかったらその箱をわわ、渡して下さい」
阿求は箱を抱きかかえて拒否した。
「ダメです、これを失くせば幻想郷が滅びるのよ。それに他の二匹は何処にいるのよ」
「あ~っ、また匹で呼んだ、差別反対!」
阿求の言葉に怒り、サニーが能力を解除して走り寄ってくる。
「ちょっとサニー!?」
スターを押しのけて、サニーは阿求の前で抗議した。
「私達は動物じゃないのよ」
「じゃあこんな事は止めなさい」
「悪戯は妖精のアイデンティティよ、やめられないわ」
「だから下等動物扱いされるのよ。それにアイデンティティって意味知ってるの?」
「ぐっ、それは、その……」
「ほら、もう帰るわよサニー、ごめんなさいね、全てはサニーとルナのせいなの」
スターがお辞儀して、サニーを引っ張り退却しようとする。
阿求が何か言おうとした途端、何者かが箱をひったくった。
能力を使わずに接近したルナだった。
「あれっ、こんなにうまくいっちゃった」
予想外の成果に、ルナ自身驚いている。
「良くやったわルナ、離脱するわ」
またぴゅーっと飛び去る三妖精。
阿求は涙目になりながら必死に全力で追う。
「お願い返して、それが無いと、幻想郷が滅びてしまうの」
「おおげさね、その手には乗らないわよ」
サニーが阿求を見降ろし、挑発するように自分のお尻をぺんぺんと叩いた。
「ここまでおいで」
「はぁっ、はぁっ……みんなの……心が……荒んで、取り返しの……つかない事に、」
阿求は喘ぎながらも追い続けるが、体力が尽きて立ち止まってしまう。
「走った後は、歩いたほうが心臓に負担が少ないわよ~」とルナが忠告した。
「能力は解除しといてやったわ」とスターが言う。
その後、ミズナラの木の住処で、妖精達の勝利を祝う小宴会が開かれた。
テーブルには、戦利品の箱が置かれている。
「「「いやったぁー久々の大勝利よ」」」
お酒の入ったグラスで乾杯し、三人は一気に飲み干した。
「はー疲れた、ちょっと想定外の事も怒ったけど、大成功ね。今回のMVPはルナ、あなたよ」
「えへへ、ありがとサニー」
「ところで、この箱何が入ってるのかしら? これが無いと、幻想郷が滅ぶーってな事を言ってたけど」
スターが紐をほどき、箱の中身を取り出した。
稗田家の屋敷には、稗田一族や里の代表者、里に住まう半妖の上白沢慧音。そして異例な事に、妖怪の賢者である八雲紫とその式神達、巫女の博麗霊夢もいる。
みな大事な物を持ってくるはずの阿求の到着を心待ちにしているのだ。
そして、ようやく彼女は屋敷にたどり着いた。
だが悲壮な表情の阿求を見て、一同は不吉な予感におののいた。
「皆さん申し訳ありません、あれを妖精に奪われました」
「何だって、あれを取られたのか」
一斉に人々がざわめきだす。
「やっぱり私が護衛についているべきだったわね」霊夢がため息交じりにつぶやいた。
「これは危険を軽く見た私の落ち度です。みなさんには何とお詫びしたらいいか……」
阿求はため息をつき、再び頭を下げた。
「過ぎた事は仕方ありません、今なすべき事は一つ、あの箱を取り戻しましょう」
紫の言葉に誰もがうなずいた。
「里長どの、協力をお願いします」
「八雲殿、喜んで協力します。里の腕っ節の強い奴らにも召集をかけます」
「今回は、私が封印している外界の武器をあなた方に開放します。総力戦でお願いします」
ただならぬ空気の中、人々は箱を取り返す準備に着手する。
中身を見て、三人の顔が一気に青ざめ、お互いの顔を見合わせる。
「ねえ、これって、マズイよね、絶対」口を三角形にしてルナが言う。
「うん、確かに、これが無くなったら、幻想郷が滅びるかも」スターも認めた。
「ねえ、皆、宴会は中止、これを返しに行こう」
「そうね」
「そうすべきだわ」
サニーの提案に二人はうなずいた。
まだ日は出ている、夕方までに返しに行こうと三人は再び外へ出る。
三人の妖精達は姿と音を消し、周囲の動く生き物に注意しながら慎重に里へ向かっていた。
里にある稗田の屋敷に忍び込み、箱を置いてすぐに退散する計画だ。
「どう、スター、大勢探しに来てるかしら?」
前方を窺いながら、先頭のサニーが一番後ろのスターに尋ねる。箱はスターが持っている。
「今のところ、普段通りの規模の行き来しかないわ」
「今回ばかりはただの悪戯じゃ済まないわね、早く返さなきゃ」ルナがつぶやく。
「ルナの持っている水筒、何が入っているの?」
「私が栽培してたやつで作ったトマトジュース、お詫びに飲んでもらおうと思って」
「そんな暇あるかしら?」
「健康にいいのよ、どこかの国では、『トマトが赤くなると、医者が青くなる』ってことわざがあるくらいよ」
「待って」
スターが二人を止める。
「どうしたの?」
「多くの人間、妖怪も混じっているみたいだけど、こっちに近づいてくるわ」
「わっ、どうしよう」
「ルナ、とりあえず音を消す能力は解除して、私の力だけで茂みに隠れるわよ」
姿の身を消し、道沿いの灌木や雑草の中に隠れると、しばらくして見慣れない武器を持った里の自警団がやってきた。
刀剣や弓矢、護符のみならず、黒光りする金属製の奇妙な武器を持っている。
皆一様に殺気立って当たりを警戒しながら森へ向かって歩いていた。
「ねえサニー、あの金属の筒、鉄砲というやつでしょ。火薬くさい弾幕を撃つ道具よ」
「もっと小声で話しなさいよ。そうね、当たったら洒落にならなさそう」
「その鉄砲を何本も束ねたような武器もあるわよ」
「あれは、多分ガトリング砲ね、両手で持ち歩ける代物じゃないはずなんだけど」
自警団の中に、紫から貸与された外界の武器を持っている者達がいた。
中でも里一番の大男は銃身を束ねたガトリング砲を任されている。
良く見ると、男達に混ざって、背の低い少女達もいるではないか。
「霊夢さん、魔理沙さんだ」
「さらに吸血鬼とメイドもいる」
「あっちには亡霊の姫と剣士」
「お寺の妖怪たちまでいる」
三妖精はそれきり黙り、一団をじっとやり過ごす。
自警団の足音や話し声がすぐそこで聞こえている。
「全く、とんでもねえ妖精だ」
「捕まえたら一回休みどころじゃ済まさねえ」
(ガクガク……怖いよ~)
誰かが悪戯に引っ掛かるのを隠れて待つ時とは違う、重々しい雰囲気が三人を包み込む。
幸い、音までは消さないサニーの策が功を奏したのか、誰も妖精に気づかない。
「あれが里の主力みたい、みんな通り過ぎたら里へ急ぐわよ」
もう少しで自警団が通過し終えるという時
空は晴れていたのに、急ににわか雨が降った。
サニーは光を屈折させて姿を消しているので、雨粒の落ち方がそこだけ歪んで見えてしまう。
自警団の最後部を歩いていた男が、偶然その変化を見つけてしまった。
サニーはしまったと思い、能力を解除する。だがそうすると……。
「あれっ?」
当然三人の姿が丸分かりになる。
三人と男の目が合う。数秒間の沈黙。
冷や汗一杯のサニーが片手をあげてあいさつした。
「は、はろ~」
次の瞬間男が叫んだ。
「いたぞおおおおおおー!」
自警団が一斉にスペルカードや自動小銃の弾幕を三人の居たあたりに向けて撃った。
大柄の男の持つガトリング砲が木々をなぎ倒す。
多くははっきりとした目標を定めておらず、混乱の中であてずっぽうに撃つだけだったが、
それでも妖精達は必死に逃げる。
「ちょ、ちょっと本気で殺す気?」
サニーはこういう時に遅れがちなルナの手を引き、藪をかき分け、ひたすら里を目指す。
当たりの空間は魔力、霊撃、クナイ、大玉小玉、ナイフ、碇、護符、人形、そして鉛玉の弾丸で満たされている。
後ろから、何々だぜといった声が聞こえた後、強い光が輝きだした。
恐らく魔理沙のマスタースパークだろう。
「私に任せて!」
サニーが能力で光の奔流を跳ね返す。
ピチューンという音がいくつか響き、弾幕が弱まるがそれも一時的だった。
弾丸が足元の地面に着弾し、土煙が立った。
手前の灌木の枝がはじけ飛ぶ。
それこそ暴力的な『弾幕』そのものだった。
一瞬だけ後ろをちらりと見たが、ルナの頭にクナイが刺さっている。
「ルナ、大丈夫?」
「いくらなんでもイカれてるわ」
そしてスターの姿が見当たらない。
はぐれたのか、それとも死角にいるだけなのか。
じっくり周りを見回す余裕も声を掛ける余裕も無い。
ルナの水筒が爆ぜ、真っ赤なトマトジュースが飛び散った。
ひたすら前へ、前へ。
里を目指し、この箱を返すのだ。
ついに弾幕が止んだ。
と同時に、目の前が真っ暗になり、二人は訳のわからない空間へ飛び出してしまう。
射撃音が静まる。
男はガトリング砲の弾丸が尽きた後も、しばらく発射ボタンを押し続けたままでいた。
モーター音と、小鳥の鳴き声のみが聞こえている。
やがて男はボタンから指を離し、状況を確認する。
「やったのか」
「わからん」
「これは……」
男の一人が飛び散ったトマトジュースを見る。
「血が出ると言う事は、殺せるって事だ」
「こわあ~~」
自警団の物騒なセリフを、三人は空間の隙間を通して聞いていた。
二人を飲み込んだのは八雲紫の隙間だった。
隙間から稗田家の屋敷に移され、二人はそこで先に捕獲されていたスターと再会する事が出来た。
紫は二人をこんこんと諭す。
「なぜみんなが殺気立っているか分かりますか。あの箱には人間、妖怪、妖精、神々問わず、心の安寧を保つ大事なものが入っているからですよ。それをあなた達は盗んだ。悪戯は妖精の本分とは言え、今回はさすがにやり過ぎました」
「ごめんさい、紫さん」
三人は畳に正座し、こわばった表情で聞いていた。これから自分達はどうなるのだろう、不安でいっぱいだった。
「ですが、箱を返そうとしたのは星の妖精から聞きました。あなた達にもそれなりの分別があった事は認めます。みんなに謝ったら返してあげますよ」
「あ、ありがとうございます」
その後、帰ってきた里の人間たちにも説教され、里から出るときに人々からトウガラシスプレーでお仕置きされ、ほうほうの体で逃げ帰るのであった。
「やれやれ、許してもらえたけどひどい目に会ったわ」
ルナが水で真っ赤になった目を洗っている。
「サニーもスターも目が真っ赤! 洗った方が良いわよ」
「まだあちこちひりひりするな~」二人もその通りにする。
「ルナ、スター、当分悪戯は控えましょう」
「なによ、あんたが一番のりのりだったじゃない」
「ルナだって嫌々じゃなかったでしょうが!」
「何を!」
喧嘩するサニーとルナ。トウガラシスプレーの影響もあり、いつも以上に涙目に掴み合いをする。
スターはいつもの通り、苦笑しながら見守っていた。同時に、こっそりくすねてポケットの中に入れていた箱の中身にちらと目をやる。
あの箱の中身を見た時、大変な物を奪ってしまったと思ったが、同時に癒される感覚もあったのだ。
みんな不安に思う時がある。
自分達幻想郷の住民は、この宇宙でひとりぼっちなのではないか、
この世界が滅んでも、外から案じてくれる者なんていないんじゃないだろうか、
いたとしても、幻想が息づくこの世界を異端とみなして、侵略の準備を練っているのではないか、
あるいは完全にこちらの事を忘れ去ってしまっているのではないか、など。
そう言った不安を抱えるみんな、人間や人外、名のある者ない者、全ての者達に、自分達は見離されていないのだと、愛していてくれるのだと、安心させてくれる物があの箱の中にあるのだ。
スターは騒がしいダイニングからそっと出て、自室に戻ってそれをもう一度見つめ、両手でそっと抱きしめた。
後でそれとなく神社にでも返しておこうと思い、今は机の中に秘かにしまっておく。
それは箱の中に無数にあった、手紙の一通だった。
組み込むメタ的発想は好き
プレデターw