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朝起きたら、私の愛する妹――フランドール・スカーレットの髪型が、モヒカンになっていた。
突然、何を言い出すのかと、私――レミリア・スカーレットの目、あるいは頭がおかしくなったことを疑う者がいるかもしれない。その気持ちはよくわかる。私も何度そうであればいいと、願ったことか。だが、いかに目をそむけようとしても、現実はその醜い姿を変えてはくれない。ちらちらと、私は朝食のハムエッグの黄身を潰すのに集中する振りをしながら、目の前に座っている妹の様子を窺う。だが、フランの頭の上にゴジラの背びれの如く、立派なモヒカンが鎮座しているという事実は一瞬たりとも変わらなかった。
私は傍らの瀟洒なるメイド長――十六夜咲夜に助けを求めるために眼差しを送った。だが、咲夜は私の視線に応えることはなく、直立不動のまま宙を見つめていた。気付いていないのではない。咲夜は、私の意図を知った上で、ガン無視を決め込んでいるのだ。人間のメイド長は時折、私に冷たい視線を返すだけだ。私はフランを刺激しないように、こっそりため息をつくことしかできなかった。
いつも通り、平和な幻想郷の朝のこと。
紅魔館にもまた、昨日とほとんど変わることのない穏やかな一日がくるのだろうな、と寝ぼけまなこを擦りながら、私は食堂の所定の席に座った。咲夜の作った朝食が出てくるのを待ちながら、退屈な一日をどう過ごそうかと考える。
――今日は、フランと遊ぼうかしら?
確か、今日はフランが私と同じ時間に起きてくる日だった。フランは地下室生活が長かったせいか、地上の生活と微妙に生活リズムがずれることがあった。私の寝ている時間がフランの活動時間だったり、フランの睡眠中に私が起きることもある。きっちりフランと同じ時間から一日をスタートできる日は意外と少なかった。だから、そんな日は、できるだけフランといっしょに一日を過ごすのだった。
弾幕ごっこでもして、その後はお茶会をして……久しぶりにフランとポーカーをするのもおもしろいわね……昨日いじめちゃったのもあるし、今日はちゃんと謝って、できるだけ優しく付き合ってあげなくちゃね、などと考えていると、食堂の扉が開いた。気配だけで、入ってきた人物がフランだとわかった私は、朝の挨拶をしようとして口を開いた。
「あら、フラン、おは……」
だが、私の口から、続きの「よう」という音は発されることかった。その代わりに外れそうなほどに顎が下がってしまった。
およそ10㎝はあるかというほど、天に向かってそびえ立つ金色のモヒカン。
金色の大山脈の麓には、食堂の照明を跳ね返すほどにツルッツルな、頭皮の裾野が広がっている。
モヒカンだけではない。
キラリと光る、逆三角形のサングラス。
ガーゼを重ねただけのような野暮ったい風邪マスクに、黒マジックで大きなバッテンが書かれている。
スカートはいつものミニではなく、足首まで届くようなロングスカート。
そして、右手に握られているのは、黒くひしゃげたヒジキみたいな魔杖、レーヴァテインではなく、修学旅行の土産屋で売っているような野暮ったい木刀だった。
「……あの、申し訳ないんですけど、どちら様ですか?」
おはよう、という挨拶の代わりに、私はフランらしき人物に尋ねていた。不覚にも敬語だった。するとモヒカンに特攻服のような格好の人物は、首をかしげた。
「……フランドールだけど?」
それは少し低めの声色だったが、確かにフランの声だった。小首をかしげる仕種もフランのいつもの動作だ。ものものしい姿と、愛らしい声と仕種のギャップに世界がぐらついていた。
私は口をぽかんと開けて、フランを凝視することしかできなかった。一方、フランは黙っていつもの席――私の前の椅子に座った。
そこで、私は我に返った。状況を進展させるためにも、とにかく何か言わなければならない。とりあえず、私はフランに挨拶することにした。
「……あの、フラン、おはよう」
おはよう、と声をかけられて、フランが私を凝視した。サングラスがぎょろりと光った。正直、心の中では動揺しまくりだったが、私は微笑を保ちながら、フランにもう一度言った。
「フラン、おはよう……」
すると、二度目の挨拶で、フランが動いた。モヒカン頭のフランが頭を小さく下げた。
「ざーす」
そう言って、フランは頭を元に戻した。
私の顔は微笑のまま、固まってしまっていた。……なんだ、「ざーす」って? もしかして、「おはようございます」の略か? 「ありがとうございます」を「あざーす」と芸人が略すのと同じなのか?
……どういうことなの。
いろいろと釈然としない気持ちを抱えながらも、私は口をつぐむしかなかった。一応、フランは挨拶してくれたのだから、それでよしとするしかなかった。挨拶を返さなかったら、注意しなければならなかっただろうが。もっとも、「ざーす」なんていいかげんな挨拶をするな、と叱るべきなのかもしれないけれど、今の私にはそこまで突っ込むガッツがなかった。
食堂には重い沈黙があった。フランに今日の予定について話そうとしていたことなど、完全に頭から吹っ飛んでしまっていた。私は視線を低く保ったり、きょろきょろと目を動かして、できるだけ自分の前に座っている人物を視ないようにしていた。そして、自分でも惨めなくらい、必死に頭を動かすのだった。
疑問が多すぎて、何から考えればいいのかさえわからなかった。なぜフランがモヒカンになっているのか? なぜよりによってモヒカンなのか? モヒカンどころか、そのスケバンモドキの服装はなんなのか? 背中に『不乱動流』と文字が書かれていたのが見えたが、どういう意味なのか? というか、フランさん、なんでそんな格好してるんすか? イメチェンっすか? 今流行りのチョイ悪って奴っすか? 一晩でこんなに変わるとか、フランさん、マジパネえっす。つーか、どこから、そんな知識仕入れたんすか? せめてイメチェンする前に、お姉さまに相談してほしかったんすけどねー……
洪水のような膨大な疑問に埋もれながらも、私はいくつかの事実に気付いた。そして、それを確認すべく、ちょっと視線をフランのほうに向けてみた。
そして、怖いので、すぐ目を下げる。
フランを見ることができたのは一瞬だったが、私の推測を確かなものにするのには十分だった。
フランは不良の格好をしている――私は、そう結論づけることが出来た。
いや、わざわざ視線を向けるまでもなく、フランの格好が不良っぽいのは明らかだ。チョイ悪どころじゃない、ガチな不良スタイル。しかも、昔の。足首までのロングスカートとか、いくらここが幻想郷だからといって、時代遅れにもほどがあるだろう(とはいえ、ルーズソックスでヤマンバスタイルのフランなど見たら、私は自殺する可能性すらあるが)。風邪マスクに至っては、マニアックすぎてツッコミすらできない。
そして、何よりモヒカンだった。どうして、モヒカンなのか。不良っぽい髪型なら、ロングのソバージュとかたくさんあるだろ。染料で染めるという単純な方法もある。そのなかで何故モヒカンを選んだ? ゴジラか? フランはゴジラの背びれが好きだったのか? アンギラスやキングギドラじゃだめだったのか? まあ、アンギラス型とか、キングギドラ型の髪型も見たくなんかないが。ひょっとするとスペースゴジラの可能性もある。というか、ゴジラってなんだっけ? お姉さまはもうゴジラの意味さえわからなくなってきたよ……
せめて、フランのシンボルになっている、あの可愛らしいサイドテールは残せなかったのだろうか、と思う。犬の尻尾のように無邪気に揺れるフランのサイドテールがあった場所は、だだっ広い荒野になっていた。ぽつぽつと雑草のように、一ミリにも満たない長さの金毛がところどころに生えているのみだ。じゃあ、サイドテールはモヒカンの後につければ、と思いついたが、もうそれはサイドテールというかポニーテールでもない。ゴジラの尻尾にしか見えんわ。じゃあ前につけたらいいんじゃね、と思ったが、それじゃあチョウチンアンコウだよ、ちくしょう。……駄目だ。モヒカンには何をやっても駄目なんだ……。私はモヒカンに対する無力感に打ちひしがれることしかできなかった。
このままうなだれていたかったが、私にはまだ考えなければならないことがあった。私はちらりとフランを見ながら、その考え事を進める。
つまり、何故、フランは不良の格好をしているのか。
答えはすぐに思いついた。私はその三文字の答えに戦慄しながら、心の中で自らに言い聞かせた。
フランは『グレて』しまったのだ。
……どうしよう。
言葉にしてみて、私は改めて事態の緊急性を思い知らされていた。紅魔館始まって以来の災厄に、戦慄を禁じえなかった。そして、同時にフランをそんな方向へと進むのを止められなかった姉の自分が、情けなくて仕方がなかった。西欧にいるお父様やお母様が嘆き悲しむ姿が浮かぶ。申し開きさえできなそうだ……
私が心のなかで頭を抱えている間、フランは静かだった。何も喋ることなく、大人しく椅子に座っていた。当然、足をテーブルの上に乗っけるような下卑た真似もしていない(していたら、それこそ問答無用で怒らないといけないだろうが)。東京湾ならぬ紅魔館食堂に出現したゴジラはひたすらに大人しかった。ひょっとして、ゴジラじゃなくてビオランテなのか、と疑ったが、いや、ビオランテって最後らへんで動いてたよなあ、と考え直す。ともかく、フランも私のリアクションを待っているのかもしれない。何とも消極的な不良だ、とも思うが、むしろ不良ってのは本質的には受け身なものなのかもしれない。私はとりあえず、フランに話しかけることにした。
「……あの、フラン?」
私が話しかけると、所在なさげにテーブルの端っこを見ていたフランは、私に視線を向けた。逆三角形のサングラスがぎろりと光る。今のフランは完全に小っちゃいギャングだった。
「今日は、ちょっと髪型を変えたようだけど、気分変えかしら?」
まあ正直、ちょっとどころじゃないのだが、微笑を保ったまま、できるだけ当たり障りのないようにフランに尋ねる。サングラスの向こう側のフランの瞳は見えなかった。少しの間、フランと私は見つめ合っていたが、やがてフランはいつもの幼くも上品な仕種で首を傾げた。
「……おかしいかな? やっぱり変?」
変だよ、髪から放射能火炎が吹き出そうなくらい変だよ、と肯定したかったが、私は舌先まで出かかった言葉を何とか押しとどめた。代わりに、私は差し支えのない言葉で応答した。
「……どうかしらね。ちょっと大胆に変わっちゃったから驚いたけど」
むー、と可愛らしい声で唸りながら、フランは大胆どころかダイタニックに変化した髪型をいじる。
「うーん、私には似合わないかなあ……」
どうやったらモヒカンが自分に似合う、という発想が出てくるのかわからないが、私は曖昧に頷いてみせた。というか、フランは自分の姿を鏡で見てないのだろうか(吸血鬼は鏡に見えないというのが定説だが、これは西欧のゲルマン人の国における、吸血鬼には魂がない、または、魂と体の結びつきが弱いから鏡に映らないという伝承である。他の国では、吸血鬼が鏡に映る描写がある逸話がけっこう多いらしい。私もフランも魂のある吸血鬼だし、そもそもアンデッドではなくてれっきとした生き物だった。他の世界の私やフランでは知らないが、この世界の私とフランは鏡に映ることができた)。女の子として、常に自分の姿をチェックしてないのはいかがなものかと思うのだが。
と、そこで、ばたんと扉が開いた。
それは咲夜だった。朝食を台車に載せた咲夜がやってきたのだった。
救世主が現れた気分だった。咲夜の仕事の一つは紅魔館の風紀を取り締まることである。自身もときどきおかしくなることがあるが、紅魔館の秩序を守るのが咲夜の任務だった。そのほとんどは、主君である私の要望を切り捨て、私の日々の生活態度に小言を呈することであるが、咲夜はフランのしつけ係でもある。そして、フランも咲夜の言うことをよく聞くのだ。咲夜なら、きっとフランのモヒカンを撃退してくれるだろう。そこまでいかなくとも、フランを説得するのに協力してくれるはずだ。私は咲夜がまず最初にどんなリアクションをとるのか、じっと観察した。
だが、咲夜の態度は私の予想を裏切るものとなった。咲夜はいつものように流麗な仕種で頭を下げた。
「お嬢様方、おはようございます」
「ざーす」とフランがさっき私にしたように、咲夜に挨拶をする。優しい微笑を浮かべる咲夜。咲夜はいつも通りのままだった。
「レミリアお嬢様、おはようございます」
「…………」
「お嬢様、いかがなされました?」
「あ……ええ、おはよう」
首を傾げる咲夜の様子に押されるように、私は挨拶をした。咲夜は、からからと小気味いい音を立てる台車を押し、私のすぐ横に立って配膳を始めた。
……あれ、なんかおかしくね?
咲夜の仕種があまりにも普通すぎたので、私は混乱していた。もしかして、私の目がおかしくなってだけで、皆にはいつものフランの姿に見えているのだろうか。私だけ妹の頭がモヒカンに見えるような呪いをかけられたのだろうか? いやいや、そんな呪いあってたまるか。それにフランも髪型を変えたことを認めたじゃないか。私はとにかく咲夜に確認することにした。
「ねえ、咲夜、フランが髪型を変えたらしいんだけど、どう思う?」
やんわりと咲夜に尋ねる。フランがグラサン越しに咲夜を見つめた。すると、咲夜は微笑みながら答えた。
「立派なモヒカンですね」
「…………」
「格好良いですよ、フランお嬢様。フランお嬢様はモヒカンも似合うんですね」
咲夜に褒められて、フランは、「そんなことないよ~」と、右手を振る。フランははにかんだ可愛い笑顔になった――風邪マスクとグラサンでまったくそうは見えなかったけれども。
……納得いかねえ。
いくら咲夜が天然気味だからといって、ここまで審美眼に歪みがあるわけがない。可愛いという価値基準が特殊、と言われた私でさえ、モヒカンはドン引きするレベルだ。だが、咲夜は世辞でもなさそうな風に格好良いと言い放った。咲夜の態度から、言いようのない理不尽さを感じる。私はそれを咲夜に伝えようと睨んで見せたが、咲夜は涼しい顔をしていた。よもや本当に天然なのかと疑ってしまうほどに、何食わぬ顔で私とフランの前に料理を並べ続けるのだった。
だが、かなり長くなる咲夜との付き合ってきた経験から、私は咲夜の行動の意を読みとっていた。
咲夜は気づいていないのではない。
咲夜はあえて私の視線を無視しているのだ。
配膳が終わり、姿勢を正す瞬間にだけ咲夜と目が合う。その一瞬、咲夜は非常に冷めた目をしていた。私の予感は確信に変わった。咲夜はそのまま何食わぬ顔で、私の左側の一歩後に控えた。
だが、私が呪いをかけられたのではない、ということはわかった。咲夜の態度が不満だったが、今の私には口に出すこともできなかった。
それから、いただきますをして、わたしとフランは朝食にとりかかった。ちゃんとご飯に手を合わせ、いただきますと言葉にする不良の姿はなかなか斬新なものがあった。フランはちゃんと風邪マスクを外して(まあ、外すのは当然だけど、ちょっと変わったことをするのではと期待した自分がいた)、食事をしていた。
そして、冒頭に戻る。
食卓には、食器と食器がふれあう音だけが響いていた。紅魔館らしからぬ、静かな朝食風景だった。たまにはこんな静かな朝もいいかもしれないと思うが、目の前のモヒカンのせいで何もかも台無しである。さわやかな朝を迎えるためには、モヒカンはいささかファンキーすぎる。モヒカンによる圧力をひしひしと感じながら食べる朝食は、緊張という名の練りがらし味だった。
とにかく、今は伏して様子を探ろうというのが、現状における判断だった。今はあえて刺激せず、フランの出方を探るのだ。フランはモヒカンになり、奇妙な朝の挨拶の言葉を発しただけで、幸い派手にグレたことはしていない。素行自体は至ってまともな、いつものフランだった。もちろん、これから何かとんでもないことをやらかす可能性もある。フランは時々、思い切りが良すぎることがあった。フランが本格的に悪事を始めるのを止める必要はあるだろう。だが、今のフランの様子を見ている限り、いきすぎた暴走の可能性は低いように見えた。恐らく、被害はモヒカン・不良姿のフランを見せつけられる程度で済むだろう――まあ、それでも十分、私の心へのダメージは大きかったが。
……それにしても、何という状況だろう、と私はフランと咲夜に知られないように、小さくため息をついた。朝起きたら妹がグレてモヒカンになっていた、とは。そして、メイド長も助けてくれないのである。咲夜は業務的な会話をするだけで、一切、私とフランに現在の関係性に触れることはなかった。それは、咲夜が鈍いからではない。咲夜もフランがグレていることはわかっているのだ――そして、その原因についても。だから、咲夜は冷めた目で私を見ているのだった。
咲夜と同じように、私もフランがグレた理由に気付いていた。
いや、それこそ私がフランにしてきた悪戯は色々あるが、一番最近のことといえば、昨日のことがあった。
それはフランをグレさせるのに十分なものだったのかはわからないが、最も心当たりのあるのは、昨日のことなのだ。
私は二人に気付かれないように、また軽く息をついて、昨日の出来事を思い出した。
フランのドロワ―ズは紅魔館の幸運の象徴である。
昨日、私はいつものようにフランのドロワ―ズを被って、紅魔館に幸運を呼び込むためのリンボーダンスを踊っていたのだが、やはりいつものようにそれを見たフランが怒って私に攻撃をしかけてきた。そして、いつものようにフランが一方的に攻撃する弾幕ごっこが始まった。
フランのドロワ―ズを被った私は、フランの十枚のスペルカードをすべて避け切った。この日もノーミス・ノーグレイズ。フランのドロワを被っていれば、この程度のこと何でもなかった。視覚などなくても、フランのドロワエナジーによって鋭敏に研ぎ澄まされた第六感さえあれば、どんな弾幕でも避けきることができるのだ。
そうやって、最後の弾幕、QED『495年の波紋』をタイムアップで避けきることができた。どうやら、今回も私の勝ちのようである。ほとんどの魔力を使い果たし、息が上がっているフランを横目に、絶好調に加えて、超ご機嫌だった私はバッドレディスクランブルで、戦場を離脱しようとしたのだった。
だが、浮かれていた私は油断していた。
バッドレディスクランブルでフランから距離をとったのはいい。だが、着地した場所に、なぜかバナナの皮が落ちていたのだった。どうしてこんなところにバナナの皮が――? 以前、咲夜のおかげで首一つ落ちていないと言った私だったが、このとき確かに紅魔館の廊下にはバナナの皮が落ちていたのだった(今から考えると、不注意な妖精メイドがバナナを食べて、そのまま片付け忘れてしまったのだろう)。
そして、私はすっ転んだ。バナナの皮である。転ばなければ失礼にあたるだろう。後頭部を強く打ち、視界に火花が散った。人間なら昏倒するかもしれないが、私は吸血鬼である。少々痛かったが、すぐ立ち直った。
だが、私は自分の頭よりもずっと脆いものを、頭の上に被っていたのだった。
私が転んだ衝撃で、フランのドロワ―ズが破れてしまったのである。
結果、なんとか私に追いついてきたフランは泣いた。ぼろぼろと涙をこぼして、大泣きだった。悪いことに、被っていたドロワ―ズはフランの特にお気に入りのものだったのだ。お尻のところに、犬のキャラクターのプリントがしてある奴である(基本的にフランのドロワ―ズは純白の洗練されたものだが、こういうキャラクターものも少しはある)。プリントは痛ましく破けていて、微笑んでいた犬の絵が泣いているように見えた。
私は慌ててフランに謝ったのだが、なかなか泣きやんでくれなかった。やがてやってきた咲夜に慰められながら、フランは自室へと連れられていった(ちなみにその後、私は咲夜に1時間くらい、こっぴどく叱られた)。夕食の席でもフランに謝ったが、フランはずっとうつむいたままで口を利いてくれなかった。……本当に悪いことをしたなあ、と私は少し落ち込むしかなかった。夕食が終わると、フランはすぐに自分の地下室に戻っていったので、話しかけるタイミングも失くしてしまった。
そうやって、昨日はフランとちゃんと仲直りができずに終わってしまったのだった。
「……結局、レミィが全部悪いんじゃない」
私の親友である魔女、パチュリー・ノーレッジが言う。あまりにも正論だったので、私はうなずくことしかできなかった。
今、私は図書館にいた。朝食の後、フランはふらふらと食堂から出て行った。どこへ向かうのだろうと、フランの後を追ってみると、いつもどおり図書館だった。髪型を変えても、することは基本的に変わらないらしい。そして、いつもの習慣をなぞるように、フランは外の世界の書物を収めている棚のところで、本を読むのだった。
「で、レミィのせいで、妹様はグレてしまった、と。そういうわけなのね」
私とパチェは入口近くのテーブルのところでお茶を飲んでいた。パチェは呆れたような視線で、少し遠くの本棚の前で本を読んでいるモヒカン頭のフランを見ていた。「まったく、あなたたち姉妹は面倒をかけさせるわね」とパチェは肩をすくめる。
最初、フランが図書館に入ってきたとき、パチェは猛烈に驚いていた。七曜の魔女らしく、大げさなリアクションをとることはなかったが、誰が見ても明らかなくらいに目をまん丸にして吃驚していた。きっと内心で「むきゅー!」とか叫んでいたに違いない。数十年に一度の驚きぶりである。ちなみにパチェの使い魔の小悪魔はびっくりしすぎて、何も言えなくなってしまったようだった。物陰で本の整理をする振りをしながら、びくびくとフランの様子をうかがっていた。
「で、どうするのよ。あの妹様がグレちゃうとか、相当なものよ?」
パチェは本を読むのさえそこそこに、フランに視線を注ぎ続ける。パチェは苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
「……あの惨状は余りにも目に毒だわ。何とかしてほしいんだけど」
フランを見やりながら、パチェが『惨状』と言う。
フランはフォーオブアカインドで四人に増えていた。三人の分身もフランと同じ、モヒカンにスケバン衣裳である。膝を深く曲げて、廊下にしゃがみこみ――いわゆるウンコ座りというやつだ――、まるで、夜中にコンビニ前でたむろする不良のように陣取っている。すぐ傍らにはパチェが時々使うホワイトボードがあり、『夜露死苦!!』と備え付けの水性マジックでデカデカと書かれていた。こちらに向けているということは、一応、私たちを意識しての行動らしい。そして、四人はそれぞれ読書に集中していた。一人は『銀河鉄道の夜』、また一人は『マリア様がみてる「レイニー・ブルー」』、別の一人は『これからの「正義」の話をしよう』、最後の一人――恐らくフラン本人は、『100万回生きた猫』を読んでいた。
……確かに惨状と言えなくもない。不良なんだか、真面目なんだかわからなかった。落書きするならスプレーで本棚に直接書くとか、読書するならもっと不真面目な漫画雑誌を読むとか、もっと不良っぽいやりかたがあるだろうが。フランのガチな不良ファッションと、無駄に淑女的な行動の対比に眩暈がしそうだった。中途半端なのが一番いけない、とは、良く言ったものである。
「……今のところ、害はないけど、妹様をあのままにはしておけないでしょ。レミィ、責任をとりなさいよ」
「責任、責任ねえ……」
私はパチェの訴えにうなずかざるをえなかった。だが、まだ解決の方策はさっぱり思いつかなった。そもそも不良をどのように更生させるかなんて考えたことがない。
「……ラグビーでもしてみるかしら?」
「青春映画じゃないんだから……もちろん、私はラグビーなんてできないから、協力しないわよ」
「そうよね。パチェがラグビーやったら死ぬわよね……」
「カウンセリングにでもかけてみれば?」
「『姉にドロワ―ズを盗まれて破かれたために心に傷を負って不良になりました』ってカウンセラーに言うの? ちょっと勘弁願いたいわ。それに幻想郷にカウンセリングできる奴なんていないでしょ」
「正直なところ、正面から話をすればいいんじゃない? 要はただの喧嘩でしょ。規模が……、大きいのか小さいのか、よくわからないけれど」
「それができれば苦労しないわよ。私も謝る機会を失くしちゃったし……。フランからアクションがあれば、こちらとしても対処のために行動しやすいけど。けど、フランも髪をモヒカンにして、ちょっと挙動不審になってるだけだからね……。職務質問はできても、任意同行まではさせられないわよ」
私とパチェが相談をしている間も、フランは大人しく本を読んでいるだけだった。分身に囲まれている、本物のフランが『100万回生きた猫』を読み終わったようだ。サングラスを外して、腕で顔を拭っていながら、本棚に本を戻す。フランの目が少し赤くなっていたが、それはフランが吸血鬼だからではない。そして、フランは今度は『半落ち』を読みだした。栞をはさんで、途中まで読んでいたようで、もうページは残りわずかだった。……フラン、涙で脱水症状になるわよ。
「……とにかく、早く妹様をとめた方がいいと思うけどね。このままだと……」
「ええ。このままだと確実に――フランにとっての黒歴史になる」
いや、もうなっていると思うが、それでも被害は最小限に抑えたいと私は考えていた。他人の黒歴史など、当事者以外にとっては格好の笑いのネタであり、むしろ蜜の味がするものだが、フランに限っては可哀想な気がした。世間知らずゆえのフランの奇行。だが、成長した後、おかしいと気付いたフランはどんなに後悔することだろう。からかいのネタとしても、モヒカンではちょっとヘビーすぎて扱い切れない。腕に残った根性焼きのごとく、フランの記憶から消し去ることはできないだろう。
と、そこで、良い方法はないかと頭を抱えていると、フランが立ちあがった。どうやら本を読み終えたらしい。顔を流れる涙をハンカチで拭きとっていた。他の三体の分身も本を本棚へと戻す。どうやら移動するらしい。分身二体が、ホワイトボード拭きでホワイトボードの『夜露死苦!!』という落書きを消す。そして、ガラガラとホワイトボードを定位置(私とパチェがいるテーブルのすぐ後ろである……)へと戻しに来た。どこまでも丁寧な不良達だった。
やがて、不良姿のフランが出口へと向かう。その途中で、パチェに声をかける。
「じゃあね、パチュリー。今日もありがとう」
パチェはちょっと躊躇った後、「別にいいわ」とだけ答えた。フランはそのまま三体の分身を伴ったまま、図書館から出て行った。
……予想通りだったが、フランは私に声をかけることはなかった。じっと、扉を見つめていると、パチェはなんだか呆れたような目で私を見ていた。このままでいいの? と、パチェは視線だけで問いかけていた。
「……フランを追うわよ」
私は数秒だけ間をおいて、思考を切り上げ、フランを追うために立ちあがった。
チャララーララ。チャラララララー。
廊下を歩くフランは、さらに黒歴史を開拓していた。
どこから取り出したのか知らないが、三体の分身にラッパを吹かせながら行進していた。
チャララーララ。チャラララララー。
暴走族はなぜかクラクションで『ゴッドファーザー』のテーマ曲を鳴らしたりするのだが、フランもそれを見習ったのだろう。クラクションがないから、代わりにラッパを使っているのだと考えられた。
チャララーララ。チャラララララー。
……だが、チャルメラはないだろう?
なぜか、紅魔館の廊下に、チャルメラが流れていた。屋台でおっさんが鳴らしているアレが、さわやかな朝の洋館に響いていた。
「……これはひどいわね」
私といっしょに柱の陰からフランを覗いていたパチェが呟く(半分無理やりだが、私はパチェについてきてもらった。パチェは不満そうな顔をしていたが、流石、そこは私の友人で、文句を言いながらも着いてきてくれた)。
「どうしてチャルメラなのかわからないけど、壊滅的に格好悪いわ……。これじゃ暴走族どころか、チンドン屋だわ……」
パチェの顔が引き攣っていた。私はもう何も言えなかった。これはイタい。イタすぎる。暴走族の真似事をすることもイタいが、それをことごとく勘違いしてるところが一番イタい。チャルメラの何かムカつくフレーズをエンドレスに聞きながら、これは駄目かも知れんね、と諦めそうになっていた。
「関係ないけど、妹様の金色のモヒカンとチャルメラを聞いてると、チキンラーメンが頭に浮かんでくるわね」
「……本当に、どうでもいいわ」
「それから……窓ガラス、割ったりしないかしらね?」
パチェが言う。紅魔館には数が少ないとはいえ窓がある。もちろん、廊下にもいくつか取り付けてあった。割れた窓ガラスは、その学校が不良によって荒らされていることの印でもあった。
だが、フランはまったく窓には見向きもしなかった。フランが吸血鬼で、今の時間帯が午前中だからではないだろう(分身に割らせればいいからである)。今、フランに、窓ガラスを割らないのか、と尋ねたら、びっくりして首を横に振るに違いなかった。きっと、あの子の頭には考えもつかないことなのだろう。
そして、やはり、フランは大人しかった。三体の分身にチャルメラを吹かせて、ゆっくりと歩いているだけである(……恥ずかしくないのだろうか)。それ以外は、大声をあげることもないし、暴れることもなく、非常に平和なものだった。私とパチェは隠れながら、フランの細かな観察を続けた。
今、フランを尾行しているのは『きっかけ』づくりのためでもあった。フランにコンタクトをとるきっかけである。このまま、フランが何もしないでいるならば、確かに平和なままで済むだろうが、それでもフランのモヒカンは残ったままである。フランに強くモヒカンをやめろと言えば、反発されるだけだろうし、何もかもいっぺんに解決するとすれば、フランが何か悪さをしたところを見つけて一気に叱る方法が考えられるのだった。だから、私たちはフランの暴走を防ぐとともに、逆襲の機会を狙っていたのだ。
だが、私もわかっていたことだが、このフランは他人様に迷惑をかけるようなことは決してしないのだ。精々、チャルメラの間抜けな音楽で、紅魔館の空気をラーメンっぽくするくらいである。だから私は、フランがそんなボロを出すわけがないし、出そうにもそんなボロなど最初から存在していないこともわかっていた。……そして、私の予想に反して、もしフランが意図して誰かを傷つけるようなことがあったら、どうしようかと不安にもなっていた。そんなフランを見たくないと考えている自分がいた。
複雑な気持ちで、私は柱の陰から陰に移動しながら、フランの行進を見守る。フランは意味もなく、廊下を歩いているだけのようだった。自分の地下室に帰るつもりもないようだ。長期戦になるのを覚悟しながら、そこで、ふと疑問を感じた。
なぜ、フランはモヒカンになったのか、と。
さっき、私は、フランがグレたからだと結論付けてしまったが、それは正しかったのだろうか。グレる、というのは反社会的な行動をとることである。そして、行動の原因は、社会に対する反感そのものだろう。もちろん、社会だけでなく、家族に対してもそうだし、ただ大人たちに対する反感であったりもする。不良は、自分と同じく社会に対する反感をもつ仲間でグループを形成し、大人たちへの反抗勢力となる(実質はどうあれ、彼らはそういう自覚なのだろう)。彼らの存在はまさしく、倫理や道徳、社会規範に対するアンチなのだ。
だが、フランの場合はどうだろうか。
本当にフランがグレたのならば、たとえ本来のフランの性質が善良だったとしても、紅魔館を攻撃するような行動をとるのではないか。フランと同年代の自分が言うのもなんだが、若さというのは人を狂わせるものだ。人間などを見ていてもわかるが、若者は何をしでかすかわからないものである。若さゆえの過ちとは、誰しもが経験することなのだ。
しかし、今のフランは若さに狂っているわけでもなさそうだった。行動自体は挙動不審以外のなんでもなかったが、その振る舞いは冷静そのものであり、軽薄なところは見受けられなかった。
では、なぜフランはこんな不思議な行動をとっているのか……
もしかして、と私は別の可能性に気づいていた。まだ、フランがモヒカンになってから数時間しか経っていないから、その可能性は安易に肯定することはできないものだったが、むしろそれが一番可能性が高いように思えた。
私はその答えを考えながら、フランと三体の分身の奇妙奇天烈な後姿を見つめていた。
「……レミィ、廊下に誰かいるわ」
パチェが囁く。私もその不幸な人物を見つけていた。
それは妖精メイドだった。あまり見ない顔だったから、新入りだろう。名前もまだ覚えていないメイドだった。どうやら、道に迷っているようで、分かれ道のところできょろきょろと首を振っていた。まだ怪しげなモヒカン四人組の存在には気付いていないようだった(チャルメラの怪しげなフレーズを鳴っているのだから気付いてもよさそうなものだが……)。
どきどきと見守っていると、ついに妖精メイドがフランとその分身に取り囲まれてしまった。ようやく状況に気付いた妖精メイドは顔をひきつらせて、あからさまに慌てていた。
「……レミィ。これはまずいんじゃないかしら?」
「いや、ここはまだ様子を見ましょう……」
「傍目からすれば、あきらかにカツアゲされているようにしか見えないわね。……妹様のほうが妖精メイドよりも背が低いから、なんか迫力ないけど」
「……いや、モヒカンのおかげで、なんとか背では勝っているわよ?」
「あのメイド、ジャンプさせられたりしないかしら?」
「……ないわよ。というか、妖精メイドにそこまでしてタカるって、どんだけなのよ……」
「ともかく、妖精メイドが変に抵抗しようとしたら、かえって危険かもしれないわ」
「……まあ、飛び入りの準備くらいはしておくべきかもしれないわね」
と、私たちがスペルカードを準備して臨戦態勢になっていると、彼女たちのやりとりが終わったらしい。フランとその三体の分身は再びチャルメラを吹きながら、廊下を進んでいく。妖精メイドはフランたちの後姿に、ぺこぺこと何度も頭を下げていた。
フランが少し先に進んだところを見計らって、私たちは妖精メイドのところへ向かった。彼女は今度は、まっすぐにこちらに突っ込んできた私たちに驚いていた。私に、大丈夫か、と尋ねられると、彼女がきょとんとしていた。
「あ、はい。私、道に迷っていて、気が付いたら、目の前にあの四人の方がいらっしゃったんです」
「……カツアゲされなかった?」
「いえいえ、そんなこと! 最初はちょっとびっくりしてしまいましたが、『どうしたの?』って尋ねられ、正直に道に迷っているとお答えしましたら、『ああ、食堂への行き方は、こうだよ』って、教えていただきました。わかりやすく丁寧に教えてくださいました」
「…………」
「ああいう怖そうな格好している方が、かえって優しい人が多いって聞きますけど、本当だったんですね!」
そうして、彼女は目的地である食堂へと去っていった。そのモヒカン四人組の正体が、紅魔館当主である私の妹だということは伏せておいた。そんなこと言えるわけがなかった。
「……なんというか、妹様はやっぱり妹様だったわけね」
パチェが肩をすくめる。「心配して損したわ」と、パチェは呆れ顔をしていたが、私は違っていた。私は自分の考えが正しいことを確信し始めていた。
……だが、そうなると……
私は考えながら、パチェの顔を見た。すると、パチェが不思議そうに私のことを見返す。……ポーカーフェイスを普段の状態にしているパチェだが、このときは少しだけ大きく目を開いていたような気がした。
「……ねえ、レミィ、妹様、行っちゃうけど?」
パチェが廊下の先へと顔を動かして促す。……確かに、今はフランを追った方がいいだろう。私はパチェに従い、再び廊下を進んだ。
すぐにフランは見つかった。三体の分身を伴い、チャルメラの音楽を鳴らしながら、さっきと同じように行進していた。私とパチェは再び隠れるようにして、フランの後をつける。
だが、しばらくして、闖入者が現れた。咲夜だ。咲夜は、まるでお遊戯を練習する子供を褒めるような微笑を浮かべて、フランに近づいていった。二人はそのまま廊下を歩きながら、仲良く会話を始めた。聞き耳を立てると、「フランお嬢様はチャルメラがお上手ですね」「私もラーメンが食べたくなってきてしまいました」「もうすぐお昼御飯ですから、食堂に行きましょう」と、食堂に向かうようだった。確かに、もう昼食の時間だった。フランは三体の分身を引っ込ませ、咲夜といっしょにおしゃべりをしながら、食堂への道を進んだ。
フランと咲夜が食堂の扉をくぐっていくのを見届けた後、私とパチェはため息をついた。
「……妹様、いつもどおりだったわね」
「ええ。モヒカンもチャルメラも、とてもいつもどおりだったとは思えないけど、何も問題は起こさなかったわね……」
「ま、後はレミィに任せるわ。もう問題ないでしょうし」
そう言いながら、パチェは私に背を向ける。友人のその背中に、何か陰りがあるのを感じながら、私は尋ねる。
「……私はこのまま食堂で昼食食べるけど、パチェはいいの?」
「ええ。そもそも魔法使いは食事をしないでもいいしね。魔法の実験もあるし。このままお暇させていただくわ」
「午後は? また付き合ってくれるの?」
「いいえ。妹様は大丈夫でしょ。午前中、これだけ無害だったんだもの。午後も同じだわ。何も心配しなくても妹様が紅魔館を傷つけることはない。それで今回の件はお終いよ」
「……パチェにしては言い切るわね。今日の午後だけじゃなく、フランは明日も明後日も、もしかしたら、一年後も十年後も、このまま不良の真似事を続けるかもしれないのに。まるで、これが今日だけのような口ぶりだわ」
「……そんなことないわ」
そう言って、パチェは図書館への道に進んでいった。私は親友の後姿を見ながら、今回の事件の真相を大体理解できていた。
昼食のときも、私とフランは会話をすることなく、淡々と食事をしていた。咲夜の言葉が関係していたのか、今日のメニューはチキンラーメンだった。あったかほかほかの麺をすすりながら、私はこの事件の真相を頭のなかでまとめ、そして、咲夜の主人への冷淡さに少し悲しい気持ちになっていた。
フランはその後、リビングルームに行った。私も付き添うようにリビングに向かう。咲夜もいっしょだった。うららかな昼時だったが、終始、会話はなかった。咲夜は私とフランに紅茶を淹れてくれた。フランは黙ったまま読書をした。モヒカン頭でも、本は読めるんだよなあ、とどうでもいいことを考え、そして、私は今回の事件の解決法を考えていた。真相は大体わかったし、『犯人』もわかった。ミステリーなら、探偵が犯人を告発すれば解決するのだが、あいにく、これは生活の他愛もない一部分だ。つまり、私はフランと仲直りする方法を考えていた。
一時間ほどして、フランがふわあ、とあくびをしたようだった(風邪マスクのせいでよく見えなかったが)。咲夜に、眠くなったから部屋に戻るね、と伝え、フランはリビングルームから出て行った。ばたん、とドアが閉まった後、静寂が残った。チャルメラの音は聞こえなかった。フランは、今度は分身を出すこともなく、チャルメラを鳴らすこともなかったようだった。
さて、そろそろいいだろう。
私は傍らに控えている咲夜を見た。咲夜はきょとんとした顔をしていた。私の顔に何かついていますか、とでも言いたげな、見事なポーカーフェイスである。まったく、これだから瀟洒なメイド長は困る。私は思わず苦笑する。その苦笑を見て、咲夜も微笑を浮かべる。それは堂々とした犯人が告白をするときに浮かべるのと同じものだった。察しがいいのは実に助かるのだが。
私は咲夜に告げた。
「咲夜、もう一人の『犯人』のところに行くわよ」
「へえ。さすがはレミィね。こんなに短い時間で原因が何かを突き止めちゃうなんて」
……というわけで、私は図書館にいた。目の前では、もう一人の『犯人』が、自分の使い魔に淹れさせたコーヒーを飲んでいた。私はため息をつきながら、咲夜の紅茶を口に運ぶ。
「不自然なところはたくさんあったわ。フランがどこから知識を仕入れたかとか、たった一晩で一人で頭をモヒカンにすることはできるのかとかね。フランが自分から不良になろうと考えて行動したとしても、一人ではやっぱり難しいわ。だから、『共犯者』がいると考えるのが妥当よ」
私は『共犯者』――パチェと咲夜を睨みながら言う。そして、恐らく、この場にはいないだろう人物――門番長の紅美鈴も、この計画に加わっていると考えられた(……あいつがこんなに楽しいことに関係していないわけがない)。
「やっぱり、フランお嬢様には不良の真似事は無理でしたね。大暴れしてもいいですよ、と申し上げたのですけども」
「私はいざというときのフォロー役だったけど、杞憂だったわね。本当にできた妹様だわ」
従者長と親友がうなずき合う。まったく、なんて館だと、私は頭が痛くなる思いだった。
……事の発端はやはりあの事件らしい。私がフランのドロワ―ズを破ってしまった事件だ。
あの晩、フランは私に気付かれないように、図書館で咲夜、パチェ、そして、ちょうど非番だった美鈴に相談したのだという。いつもやられっぱなしだから、何とかして、私に一泡吹かせてやりたい、と。そこで、美鈴が言った。
『じゃあ、フランお嬢様、不良になってみましょう』
フリーダムすぎる門番長の提案に、あっけに取られていた三人だったが、意外なことにフランが乗り気になった。フランがその気なら、メイド長と友人の魔女もそれに乗ってみようということになる。それからの彼女らの行動は早かった。咲夜が外の世界の不良の情報(もともと咲夜は外の世界の住人だ)をフランに教え、特攻服を用意し、パチェがフランに髪型を変えるための魔法を授けたのだという。
「レミリアお嬢様がいけないのですよ」
咲夜はぷんぷん怒りながら言った。
「あんなにフランお嬢様を泣かせて。それに今月、ドロワ―ズを被るのはもう五回目になります」
「……そういえば、今月はまだ中旬くらいだったわね。というと、自分でも意識してなかったけど、十五日間で五回もしてたんだ、私……」
「そうです。三日に一回、ドロワ―ズを略奪しているということです。いくら何でも多すぎると思いますよ?」
私はまた咲夜に叱られていた。咲夜は特に私とフランとの喧嘩では、フランの肩をもつことが多いのだ。……まあ、その喧嘩の原因のほぼ九割は私が原因だからなのだが。
「でも、びっくりしましたわ、フランお嬢様が本当にモヒカンでいらっしゃったときは。てっきり髪の色をピンクか紫に染めるくらいだと思ってましたわ」
「……まあ、ピンクも紫も勘弁してほしいけどね……」
「あんなに立派なモヒカンで。今思い出しても、ほれぼれしそうですわ」
「うん……」
「モヒカンになっても、フランお嬢様はやはり愛らしいお方ですね」
「まあ、ね……」
目を閉じて、回想に浸る咲夜の言葉に私はしぶしぶうなずくしかなかった。というか、咲夜は本当に、不良の知識を教えたのだろうか。フランが周囲に迷惑をかけないようにしたこともあるだろうが、この天然メイド長の知識自体に問題があったんじゃないだろうか……。フランのモヒカンも絶賛してるし、ほんとにこのメイド長は、いまだにわからないことが多すぎだった。
「……私もモヒカンには驚いたわ」とパチェが言う。フランの髪がモヒカンになったのも、パチェの魔法によるものだった。
「魔法というよりは、呪いかしら? お手軽なんだけど、その分、代償が必要でね。自分の好きなように髪型を変えられるんだけど、丸一日――二十四時間はずっとその髪型でいなきゃいけないの。その時間制限が呪い、ね」
「ずいぶん変わった呪いね……」
「ええ。偶然の産物だからね。小悪魔が失敗して、そのときにたまたま見つけたものよ。ちなみに四つ種類があって、『昭和版』、『平成版デストロイア以前』、『平成版デストロイア以後』、『アメリカ版』があるわ」
「そこでゴジラネタ!? まだ、ゴジラネタ引き摺ってたの!? というか、本当にゴジラの背びれを意識したものだったの!?」
「命名は小悪魔よ」
「小悪魔、ゴジラ好きなのか……」
「個人的には、ヘドラが一番恐ろしいけどね」
「確かにあの怪獣は、喘息持ちのパチェにとって天敵だわね……」
「そして、妹様は『ゴジラの映画といえば、ギャオスが出てくるのが怖かったなあ』って言いながら、『デストロイア以後』を選んだわ」
「フラン、それゴジラやない! ガメラや!」
全く頭が痛くなりそうだった。腹心のメイド長と門番長と親友が共謀して、当主の妹の素行不良を手助けするとは……本当にどうなってるんだ、この館は。しかも、前半から後半にかけて一貫してのゴジラネタかよ……この件が終わったら、いろいろとこの紅魔館について見なすべきかもしれない。
「いいえ。レミリアお嬢様が、ご自分の素行を見直していただければよいと存じます」
「ですよねー」
咲夜の言葉に、私はうなずかざるを得なかった。さすがに今回は私もやりすぎだった。もっとフランには繊細に接するべきなのかもしれない……
「それで、レミィはどうするの?」
パチェは真面目な顔で、私に問いかけた。さきほどのゴジラネタを出したときとは違う、真剣な声色だった。
「レミィは、私たちが犯人だとわかったと言いに来ただけじゃないでしょ。妹様と仲直りするための方法も考えてるんでしょ」
そう。
私がパチェのところに来たのは、そのためでもあった。
パチェに、フランとの仲直りの方法を手伝ってもらうためだった。
「まあ、妹様のモヒカンも明日の朝には元に戻ってるからね。呪いの時間切れを待つというのも一つの手。モヒカンが消えれば、妹様の行動も普段通りになるでしょうしね」
パチェはコーヒーをすすりながら言う。確かにそういう方法もあった。フランのモヒカンの呪いが二十四時間しかもたないなら、明日の朝にはすべてが元通りになっているだろう。モヒカンがなくなれば、夢が覚めるように、フランも不良ごっこなどやめるだろうと想像できた。
「でも、まあ、」
と、パチェは頬を動かすことなく、目だけ笑う。
「レミィとしては、それでは満足ではないでしょうしね」
さすが私の親友だった。私のことをよくわかっている。そして、それはメイド長もだった。咲夜はさきほどの怒った顔とは違い、私を試すような――だが、何かを期待するような表情を向けていた。
「…………」
私は黙る。私は自分の選択が正しいか、少しだけ悩んでいた。できれば、他の方法が欲しいのだが、生憎、この方法しか思い浮かばなかった。今さら、正面からフランに謝りに行っても、手遅れだろう。否、それはフランが許してくれないというわけではないし、むしろきっと私は許されるのだろうけど、それでは足りないのだ。いつもと違う出来事には、いつもと違う手段で解決すべきだろう。そうでなければ、せっかくのフランの意志表示が無駄になってしまう。
そして、私は決心した。
親友とメイド長の視線を受けながら、私は解決手段を決定する。
――まあ、本当は他の方法が考えつけばよかったんだけどねえ……
私は、少しばかり自棄っぱちになりながらも、言葉をつむぐために息を吸った。
そして、私はフランの部屋の前にいた。
私らしくもなく、緊張していた。フランがどんな反応をするか――そのことばかり考えていた。
パチェの図書館から、二時間くらい経つ。そろそろフランも昼寝から目覚めるころだった。機は熟していた。
解錠の呪文を唱え、地下室の大きな扉を開ける。そして、二つ目のドアである、木製のドアをノックした。
『……どなたですかー?』
フランは起きていた。そして、いつも通りのフランの愛らしい声だった。私は緊張を隠しながら、答える。
「……レミリアだけど、入ってもいい?」
少しだけ間が空いた。重い十数秒だった。しかし、やがて、『……開いてるから入っていいよ……』というお許しの言葉をいただくことができた。
私はもう躊躇わなかった。豪奢な飾り付けがされているノブに手をかけ、ぎぎっと引く。引いたドアの隙間から、フランの姿が見えた。
フランはベッドのところに座っていた。堂々としたモヒカン、黒光りするサングラス、野暮ったい風邪マスク、そして、特攻服。昼寝のときまでそんな格好はしていないだろうから、おそらく、先ほどの十数秒で急いで着換えたのだろうと思った。
そんなフランは、不良少年のように顔を強張らせて私を待ち構えていたようだった。だが、私を見た瞬間に、フランのその堅い表情が解け、驚きの一色に変わっていくのがわかった。
当然だろう。
妹がモヒカンになって驚かない姉がいないのに、どうして姉がモヒカンになって驚かない妹がいるだろうか。
私のモヒカン姿を見たフランは、完全に呆気にとられているようだった。
モヒカンだけじゃない。逆三角形の黒グラサン、特攻服に改造されたドレス(背中には『烈美理愛』の刺繍つきだ)、そして、禍々しい釘バット(特効服も釘バットも咲夜に急遽作らせた。今回の件のせめてもの罰である)。風邪マスクはダサすぎるのでやめた。ちなみに、モヒカンの魔法は『昭和版』をチョイスした。
まず、私はフランが驚いてくれたことに、ちょっとだけ溜飲が下がった思いだった。
フランは固まっていた。私もそうだった。私はフランに近づいていく。そして、ベッドの隣に座った。まだフランはじっと私を見ているだけで、動くことができなかった。私は、フランに悪っぽく笑いかける。
「どうよ、シスター、私、なかなか似合ってんじゃん?」
だが、それでも、フランはなかなかモノが言えないようだった。固まってしまったフランの顔を見て、私は苦笑せざるをえなかった。やがて、フランが肺の空気を絞りだすように言った。
「……お姉さま、それ、どうしたの……?」
「どうしたのって、不良スタイルだけど?」
私はできるだけ意地悪く笑いながら、フランの服を指さす。
「フランと同じ格好でしょ?」
示されるままに、フランは自分の格好を見る。すると、だんだんと妹の顔が赤くなってきた。サングラスと風邪マスクに隠れていても、フランの顔が朱に染まっているのがわかった。今頃、恥ずかしがっても遅いわ。この妹のことだから、ずっと気を張っていたのだろう。緊張が少し解けて、冷静になったのだ。やっぱり、フランが変なことをするときは、フランの頭が変な状態のときなのだった。あるいは、自分の姿というのは、他人が同じ格好をしているのを見るまで気付かないものなのかもしれない。私のモヒカン姿を見て、ようやく、自分のどんな髪型なのか理解できたのだ。フランは両手で赤くなった顔を隠そうとしていた。
「あら。フラン、そうやっても立派なモヒカンは隠れないわよ?」
私の言葉に反応して、今度は頭に手をやるフラン。だが、立派なモヒカンが、その程度で隠れるはずもない。赤い顔で、必死に頭部を隠そうとするフランに、思わず吹き出してしまう。その後も、「なかなかイカしたグラサンね」とか、「けっこう素敵だわ、その座布団みたいな風邪マスク」など、いろんな場所を交互に褒めてあげると、フランはそれを追って手で隠そうとしていた。ときどき、二つ同時に指摘すると、どちらを隠していいのかわからないようだった。
数分後、フランは完全に真っ赤になっていた。サングラスの奥から、恨めしそうな視線を感じる。ああ、やはりフランをからかうのは面白い。今日の鬱屈した気分が解消されていくというものだ。
だが、今回はこれくらいにしておこう。フランをからかいにきたのではないのだ。
フランと仲直りしにきたのだ。
さあ、ここからは真面目モードだ。私はサングラスを外し、フランのサングラスの奥にあるだろう瞳を見つめる。フランも私の気持ちを読みとってくれたのだろう、サングラスの向こうからの視線が真っ直ぐなものになるのを感じた。
私は単刀直入に言った。
「今回、いろんなことをしてたけど、結局、フランは、不良の真似事をしてみたかっただけでしょ?」
私は、フランの真面目な視線を受けながら続ける。
「フランは最初からグレる気なんてなかった。ただ、私に対する不満の気持ちを見せたかった。それから、純粋に不良がどんなものか体験してみたかった。そうでしょ?」
つまり、今回のことは完全にフランの遊びだったのだ。
これまでも言ってきたが、フランのしていたことは『不良のすること』ではなく、『不良がするようなこと』だった。そこに明白な意味はなく、ただ真似をして遊ぶだけ。本当の意味での不良『ごっこ』だったのだ。
「そのことを咲夜もパチェも知っていた。今日は見てないけど、美鈴もね。彼女たちは、フランをとめようという意志をまったく見せなかった」
これは咲夜とパチェと美鈴が、フランの不良の手伝いをしたということではない。彼女たちも、あくまで、フランが不良ごっこをするのを手伝ったのであり、不良になるのを本気で援助していたわけではない、ということだ。だから、咲夜はフランをまったく止めようとしなかったし、いざというときのストッパー役であったパチェも、午後は大丈夫だろう、と私に告げたのだ。
「まあ、私に対する恨みもあったんだろうけどね。でも、フランにあったのはたぶん、それだけだったのよね。紅魔館全体に対する反感じゃなくて、そんな小さな他愛もない恨みだった。そして、それ以外は全部、遊び。気分転換のために一日だけ髪型を変えてみるのと同じことだった。……やれやれ、あと少しで騙されるところだったわ。従者と友人がグルになっているんだもの。全く参るわ」
肩をすくめて笑う私を、フランはじっと見ていた。フランは何を考えていただろうか、と思う。たぶん私の考えは正しいのだろうけど、この賢い妹の、深い深い心にどういう風に響いているのだろうか、と。やがて、フランの肩から力が抜けていくのがわかった。
「……本当に、お姉さまには敵わないなあ」
そうして、フランは笑ってくれた。
「お姉さまは、私のこと、何でもわかっちゃうんだから」
サングラスと風邪マスクの向こうで、フランはいつもの優しい笑顔を浮かべていた。それは気取ったところが一つもない、とても自然な微笑だった。その笑顔を見て、私も安心する。やっとお互いに自然体になれたのだ。私はサングラスをとり、頭を下げた。
「……あの、フラン、昨日はごめんなさい」
ようやく、私は謝ることができた。余計な遠回りもしてしまったが、私はフランに謝る機会を得ることができたのだった。
「ドロワ―ズのこと、本当にごめんなさい。……まだ怒ってるでしょ?」
「……そりゃ、そうだよ。あれ、お気に入りだったのに」
フランはぷくっと頬を膨らませていた。
「頭に被られるだけでも嫌なのに、そのうえ、破くなんて。あれはちょっと酷かったよ……」
恨みがましさと悲しさの混ざった声でフランは言う。うん……重ね重ね申し訳ない気持ちになってきた。
けれども、そのあとのフランの声は優しかった。
「でも、お姉さまが反省してくれるなら、許してあげてもいいよ……」
少し、顔を赤くしながらフランは言う。それだけで、私は自分の妹がフランで良かった、と感じていた。私はもう一度、フランに向かって深く頭を下げた。
「反省してるわ。ごめんなさい、フラン」
頭を低くしていると、フランがくすりと笑うのがわかった。
「……いいよ」
顔を上げると、黒グラサンと風邪マスク、そして、モヒカンの――だが、紛れもない天使が優しく微笑んでいた。
「今回のこと、許してあげる」
私は、私の天使から、お許しの言葉をいただくことができた。私は自然と微笑んでいた。「ありがとう」と、フランに向かって笑うことができた。
そして、今度は、フランが私にぺこりと頭を下げた。
「……ごめんね、お姉さま。なんだかびっくりさせちゃったみたいで」
「いいわよ。確かにいきなりだったからびっくりしちゃったけど、フランも大人しかったから、すごく心配することはなかったけど。……まあ、少なからず心配したけど」
「私もどきどきしてたんだ。お姉さまがどんな反応するかって。もし、ものすごく叱られたら、どう反応すればいいんだろう、って思ってた」
フランはどこか安心したように話していた。たぶん、完全に緊張が抜けたのだろう。あるいは、フランも不良の真似事をするのに罪悪感があったのかもしれない。
「私も不良のやり方なんて聞いたことがなかったし、咲夜にちょっと教えてもらっただけだから。皆に迷惑をかけないように、ちゃんと不良っぽくできてるか、心配だったんだ」
「服装は完璧だったわ。……まあ、行動は全然不良っぽくなかったけど。お行儀が良すぎたわね……」
「うーん、やっぱり、駄目だね。私には不良は向いてないかもしれない。午後は何していいのかわからなくて、寝ちゃったし……」
「まあ、積極的に不良になられても、紅魔館当主の私としては困るしかないんだけどね……」
「確かにそうだね」とフランはくすくすと笑う。そして、ひとしきり笑うと、少し真面目な顔をした。「ねえ」、とフランは真剣な声で私に呼びかけた。
フランはどこか切実な声で、私に尋ねた。
「もし、私が本当の不良みたいなことを――皆に迷惑をかけるようなことをしたら、お姉さまはどうする?」
サングラスの向こうに、フランの視線を感じていた――とても真剣で、少しだけ怯えたような目だった。
私は少しだけ考えて、答えた。
「もちろん、叱るわ」
フランはじっと私を見ていた。真っ直ぐな目だった。私は正直な考えを告白することにした。
「今回は私が悪かったけれど、フランが不良みたいなことをするなら、私は姉として叱らなければならない。自分のことを棚に上げてでも、ね。もしかしたら、フランは私の言うことを聞こうとしないかもしれないけど、それでも、フランのしてることが間違いなのだったら、それが間違っているって教えなければならない」
フランに何かを言うことができるのは、きっと私だけだから。
495年以上の間、フランと付き合ってきたのは私だから。
私にしかできないことなら、それは私の責任なのだろう。
だから、私がフランを正してあげなきゃいけないんだと思う。
「そうだよね……」とフランがうつむく。フランは反省しているようだった。たとえ、ごっこ遊びだとしても、不良のように振る舞ったことを恥じているのだろう。
「『ざーす』じゃなくて、ちゃんと『おはようございます』って言わなきゃ駄目よ?」
「……はい」
「廊下ではラッパを吹いちゃだめよ。ちゃんと部屋のなかで吹きなさい。たとえ、チャルメラだとしてもね」
「はい。次はやらないようにします」
「よろしい」
私が微笑みかけると、フランも微笑む。この優しい妹はそうやって、私に笑いかけてくれるのだった。私は心から、フランに感謝していた。
フランがグレることはないだろう。
でも、そう感じる一方で、私はフランはグレる資格はあるのだ、と考えていた。
ドロワ―ズなどという単純で小さいことではなく、
永い時間、地下室に閉じ込めてきたことに関して。
495年の恨みから、私やこの世界に対して、怒りをぶつける権利があるんじゃないか、と。
グレるどころではなく、世界に復讐するために悪逆の限りを尽くしてもいいのではないか、とも。
この世界すべてを破壊する権利がフランにはあるんじゃないか、と。
フランには、それだけの苦しみを背負わせてきたのだった。
でも、フランはきっとグレることはないのだ。
フランは世間知らずで、子供っぽくて、不良が何かをわかっていないとしても――495年の時間を生きてきたのだから。
妖怪全般にも言えることだが、フランは子供でありながら、大人なのだ。
不良になるのは、希望のなかに生きる子供の特権なのだろう。
若者は自分の希望を社会に汚されることに反発して、反抗的な態度をとるものだ。
けれども、フランはすでに495年間の時間を生きてしまった。
その永い時間のなかから、不良になって見せたところで、自分の希望も、そして、自分の苦しみも果たされることがないと知ってしまったのではないだろうか。
だから、フランは不良になれない。
この世が、希望だけでできているなんて夢想する子供ではないから、不良にはなれないのだ。
もし、フランが不良になるときがあるとすれば、それは不良ではなく、本当に破壊の悪魔として、ありとあらゆるものを壊すときだろう。
核実験によって、永い眠りを妨げられたゴジラのように。
世界が全ての希望の色を失い、絶望の色だけに染まったとき、フランは本当の意味でグレてしまうのかもしれない。
「まあ、でも、」
私はフランの顔に手を伸ばす。
「そんなときでも、フランが、破壊魔になるくらいにグレたりすることなんてないと思っているけどね」
そうして、グラサンと風邪マスクを外す。
モヒカンだけになったフランは――モヒカンになってしまっていても、やはり可愛らしかった。大きくてくりくりとした瞳。桜色のぷりっとした唇。私のよく見知った妹であることに何の変わりもなかった。
こんなに可愛い私の妹がグレたりするはずがなかった。
ぱちぱちとフランが瞬きする。少しの申し訳なさと、純粋な不思議が込められた瞳で私を見る。そして、おずおずとフランは私に尋ねた。
「ねえ、お姉さまは、どうして私をそんなに信用しているの?」
やれやれ、と私は苦笑する。この妹は、自分が安全な存在であるという自覚が本当にないらしい。私は微笑んで話しかける。
「それは、普段の生活から、よ。フランは人を傷つけるようなことをしてないでしょ。それに、『あのとき』もフランは事故も事件も何も起こさなかった」
『あのとき』というのは、私が霊夢たちといっしょに月へ行ったときだ。このとき、私は咲夜を連れて、二週間以上、紅魔館を留守にした。紅魔館には、パチェと美鈴、妖精メイドたち、そして、フランしか残っていなかったわけだ。けれども――というか、当然なのだけど、紅魔館はまったくの事故も事件も起こらなかった。
私は、月に行く直前、フランに紅魔館のことを頼んだ。そして、フランは私の言葉を守ってくれた。
もちろん、それだけじゃなく、私たちはフランとたくさんの思い出を築き上げてきた。フランは私たちを裏切ることはなかった。
「私はフランのことを信じてるわ。信用だけじゃなくて、信頼の意味で、ね」
ただひたすらに真剣な目で私を見つめるフランに宣言した。
フランは絶望に負けるほど弱くはない。
私はそう信じていた。
それに、私たちもフランを絶望に置き去りにするつもりはなかった。
だから、フランはグレることなどない。
グレたとしても、私たちはフランを放っておかない。
これで、いいのだ。
「これからもよろしくね、フラン」
私はフランにそう微笑みかける。
モヒカン頭の私の笑顔は、どんな風に見えているのだろう、と少し心配したが、
フランは「うん」と言って、笑ってくれた。
モヒカン頭でも、妹の笑顔の可愛らしさは変わらなかった。
こうして、私たちモヒカン頭の姉妹は、仲直りすることができた。
ちなみに、やはり、このときのモヒカン頭の話は、フランにとっての黒歴史となり、事あるごとにフランの羞恥心を煽ることになった。やってしまったものは後から取り返しがつかない。若さとはそういうものである。モヒカンでからかうのは可哀想だと思ったが、やはり真っ赤になるフランが可愛くて、ついついからかってしまう私であった。
さて、最後に、いつものお約束だ。
いつも通りの教訓である。
――よい子は、よく考えてから、真似するように。
,
メイド長のセンスが半端ねぇw
良い話でした。
レミリアの髪の色的にフランが紫に染めた方が姉妹っぽく見える気がする。
いや、色んな意味でね?
私はバラゴンが好きです
いつぞやの紅魔館がラーメン漬けになったSSを想起したんだがw
それとあとがきがどこか時雨沢氏っぽいのは一体…
ドロワーズ被るのはやめないのなw
しかし、フランのグレ姿想像できません!
彼女がモヒカンなんて
最後のシリアスの所 服装と内容のギャップがすごい
せっかくのカリスマが効果半減?
あとお姉ちゃん人の黒歴史をいじらないで
妹様ほんとにグレちゃうよ(かわいいからその気持ちわかるけど)