【前書き】
いらっしゃいませ。
この作品には、風見幽香の日常を書いた四つの短編が含まれています。
・ゆうさく(幽香と咲夜の話、春)
・ゆうりり(幽香とリリカの話、夏)
・ゆうれい(幽香と鈴仙の話、秋)
・ゆうちる(幽香とチルノの話、冬)
(携帯電話から閲覧しているなどの場合は、リンクが機能しない可能性があります)
各話は全て独立しており、それ単体で成り立つものです。
どの話から読んでも構いませんし、気になった話だけ読むという選択肢もあります。
前書きは以上です。それでは、ごゆっくりお過ごしください。
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【春の話】
トントンとドアが音をたてて来訪者の存在を告げた。
幽香は洗いものの手を止めて、エプロンを外すとドアを開けるために向かっていく。
外はまだ太陽が姿を見せておらず、ようやく空が白くなりはじめたところである。一般的には、誰かのもとを訪れようとするような時間ではないし、来訪を受ける側は夢のなかにいてもおかしくない。しかし、現実にはドアの外で少女が一人、白い息で手を温めながらドアが開くのを待っていて、幽香は既に彼女を迎え入れる準備を調えている。
「いらっしゃい」
「ごめんなさいね。私の都合で」
「いいのよ」
室内へ導きながら二人は挨拶を交わす。幽香は外套を受け取ると、木製のスタンドにふわりと掛けた。そのまま、歩きながら会話を続ける。
「ずいぶんと軽いのねえ。この時間だと寒かったでしょう」
「あまり重いと疲れるのよ。でも、寒かったのは確かね」
「だから日中に来なさいと言っているのに」
「仕方ないじゃない。通常業務に穴を開けるわけにもいかないんだから」
「はいはい。まったくもってメイドさんの鑑ね」
幽香の家は、独りで暮らすには十分すぎる広さをもっている、と言える程度であったから、客人が席に着くまでには数回のやり取りで足りる。幽香はまずは本来の目的を消化することにして、部屋の隅からけして小さくはない包みを二つ取り上げた。中身は、ひまわりの種である。
「はい、約束の品」
「いつもありがとう。いろいろと役に立つから重宝するわ」
「貴方のところが、何だかんだで一番消費量が多いわね」
「理由の半分くらいは私の好み。職権濫用かしら」
「別に良いんじゃないの、それぐらい」
小首をかしげる相手を残して、幽香はテーブルの準備に入った。暖炉の上からやかんを取って、ポットに湯を注ぎ入れる。茶葉にいくつかの花をブレンドした手製の紅茶であり、ここでしか味わうことのできない逸品である。
キッチンから既に切り分けておいたアップルパイの皿を持ってくると、甘い香りが部屋のなかに広がる。まだ熱を残しているそれは、先ほど完成に至っており、幽香が夜中から起きていることを示すものでもあった。
「美味しそう」
「味見はしていないから、保証はできないわ」
「そう言って、美味しくなかった試しがないのよね」
「さ、召し上がれ」
ポットからティーカップに中身を移し替えながら、幽香は相手の反応を見守る。三角形の頂点から相似形を作るようにフォークが入れられ、小さな三角形は口元へ運ばれてゆく。口中へ吸い込まれたかと思えば、次の瞬間にはフォークだけがその姿をさらしていた。もぐもぐと相好が崩れてゆく様に、幽香は小さく笑みを浮かべた。
「しあわせ……」
「お気に召したかしら」
「カロリーを気にせず食べられるのなら、いくつでもいけるわ」
「あら、貴方は少し大きくなったくらいのほうが可愛いのに」
「またそんなこと言って。私を太らせようとする悪い魔女はグレーテルに焼き殺されてしまえば良いのよ」
己の体重が増えた姿を想像でもしたのだろうか。恨めしそうな表情でアップルパイと幽香の顔を交互に見つめていたが、やはり誘惑にはかなわないと見えて、再びフォークが動き始める。
幽香がお菓子作りに全力を傾ける理由があるとすれば、この瞬間のためであると言ってもよいかもしれない。食べるべきか、食べざるべきかの葛藤に悩みながら、それでも誘惑に抗しきれないその姿に、彼女のある種の征服欲は充たされる。そのために最高級の食材を使い、十分な手間をかけて完成する作品は、たとえ鉄の意志をもっていたとしてもたちどころに融かしてしまう、年ごろの少女にとっては悪魔のような代物であった。
ちなみに、幽香はアップルパイに手をつけていない。完成までに端切れの食材をつまんでいたからというのもあるが、紅茶を片手に目の前の相手を観察することのほうがよほど大事なのである。
「ふふ。もう一皿ぐらい、食べる?」
「まるで魔王に手招きされているみたいね。ああ、私を救い出してくれる者はいないのかしら」
「素直になればいいのよ」
返事は聞かず、幽香は再びキッチンへと向かう。新たな皿にアップルパイを取り分けると、何かを思い出したように床下収納から箱を一つ、取り出した。ふたを開けると、そこにはアイスクリームが白く輝いている。幽香には魔法を習得しようとしていた時期があり、冷却魔法ぐらいであれば何の問題もなく使用できる。今では主に生活環境をより良くするために使われており、その成果の一つが風見家の冷凍庫というわけである。
幽香はアップルパイの傍らにアイスクリームをすくい落とすと、指先に火種を灯して軽く融かしてから、テーブルに運んだ。
「これは?」
「サービスよ」
「まったく、信じられないわ……」
初めに出した皿は既に空いており、そこに所在なさげに置かれていたフォークが、ふらふらと新たな皿に引き寄せられる。ゆっくりと、そしてしっかりとアイスクリームは切り取られ、アップルパイの一片とともに少女のなかへと消えてゆく。ゆるゆると頭を左右に振って、ため息が一つ、浮かび上がってすぐ消えた。
「あーあ、昼食も抜かなくちゃ」
「駄目よ。きちんと食べないとかえって美容に良くないんだから」
「誰のせいだと思ってるのよ。貴方なんか大好きな花に囲まれて眠るように安らかに死ねばいいのに」
「酷い言い草ね」
幽香はティーポットに湯を足して、二人のカップに注ぎ足してゆく。テーブルの上の一輪差しに目を止めて、こいつに看取られるのも悪くないと思ったのも事実ではあったが、目下のところ生を終える予定はなかった。
「でも、これを私だけが食べているなんて、本当に幸せだわ」
「レシピあげましょうか」
「お願いだからバターと砂糖の分量だけは塗りつぶしておいて。見たら一人で館の大掃除したくなるから」
「大げさねえ」
「人間ですから。貴方たちみたいに不変というわけにはいかないのよ」
たしかに、と口には出さず、幽香は心中で首肯した。こうやってたまの茶会が開かれるようになってから、二年ほどは経ったかもしれない。六十年に一度の花の異変が終わり、彼女がひまわりの種を注文するようになったのがそもそもの始まりである。普段の仕事に支障ないようにと、わざわざ早朝に取りに来る彼女を労うために紅茶を振る舞うようになり、そこにお菓子が登場するようになるまでにさほどの時間はかからなかった。
幽香が彼女を気に入っているのは、仕事に対する姿勢の良さである。茶会はしだいにその開催時間を拡大していくことになるが、終わりの時間はいつも同じで、始まりが早くなる一方であった。勤勉なメイド長は優先順位を厳格につけており、自分のお嬢様に対する時間を削ることはどんなことがあってもしない。そのためには、風見幽香に対しても妥協をさせるのだ。その愚直さは幽香にとって微笑ましいものに感じられ、つい要求を受け入れてしまうのであった。
ただし、幽香は何の報酬もなしに相手の言うことを聞くような真似はしない。幽香が彼女から受け取るのは、彼女自身と、その周囲の話である。話をしているときは、館のメイド長から、一人の少女へと表情を変える。厳密なことを言えば、幽香の前では他者にはめったに見せない素顔でいることを要求したのである。
幽香は自分の前にあるアップルパイにフォークを入れると、おもむろに口を開いた。
「それで、不変ならざるメイド長さんには、最近何か変わったことでもあって?」
「そうね。じゃあ、お嬢様とフランドール様が、美鈴を取り合った話でもしましょうか……」
………………
今回も、幽香が彼女を見送る時間はいつもどおりであった。太陽は既に顔を出しているが、まだ朝の冷ややかな空気に包まれている。
丁重に謝辞を述べ外套を羽織る彼女に対して、幽香は二つの包みを渡す前に、その首もとにマフラーを巻いてやった。
「これは?」
「私はこんな寒い時間に外出するようなことはしないから、ね」
「ありがとう。今度来たときに返すわ」
「ええ。またいらっしゃい」
ドアを開けて、彼女が飛び立ったかと思えば、時間が揺らいで姿が消える。しばし誰もいない風景を眺めていた幽香だったが、やがて寒さを感じて家のなかへと戻っていった。
眠気を覚えた幽香は、とりあえず寝ることにした。あの娘に比べてなんと怠惰なことかと思いはしたが、やりたいときにやりたいことをやるのが風見流である。いつものネグリジェとナイトキャップに着がえて、皿やらカップやらはとりあえず水に突っ込んでおく。陽射しに邪魔されないようにカーテンをしっかりと重ね、全ての明かりを消してベッドにもぐり込む。
良い夢が見られそうな気がして、幽香はゆっくりと眼を閉じた。
(了)
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【夏の話】
風の涼しい夜である。
開け放たれた窓から風が迷い込み、机の上にある紙を連れてゆこうとする。幽香は手を軽く置いて動きを制すると、そのまま紙面に視線を落とした。
「それで、ここに向日葵が必要だって言うのね」
「そうなのよ。私としてはライブ会場全体を向日葵で埋め尽くしたいくらいなんだけどさ。姉さんたちはそこまでしなくてもって言うのよね」
目の前の少女はやや早口に喋る。何も言わなければ延々と話し続けそうな気がして、幽香は口を開くべきか少しだけ迷った。
「私としてはどういう形でも構わないんだけど、どうして向日葵なの?」
「前にさ、向日葵畑で幽霊相手にライブやったことがあったの、覚えてるよね」
「ええ」
「あの時に結構盛り上がってたから、いつか使いたいなって思ってたのよ。音楽だけが騒がしくなるとライブとしては失敗だから、会場の雰囲気だとかそういったのも必要じゃない。時期としてもぴったりだから、やっぱりここは向日葵しかないと思うのよ。まあメインが向日葵だったら他の花があっても別にいいんだけど。あ、そっちのほうが良いかな。うーん、向日葵以外に夏っぽくてテンションが上がるような花って何があるんだろう。ね、専門家としてはどう思う?」
いきなり話を振られたが、幽香は実のところ途中から聞く気をなくしている。気に入らない仕事以外は引き受けることにしており、今回も、断るつもりはない。細部は後で詰めれば良いのであって、この場で確認しておくことは、風見幽香に仕事を依頼する理由と、どれだけ真摯に取り組んでいるか、という二点である。
「最終的にどうするかは現場を見てみないと何とも言えないわね」
「ま、それもそうか」
「それから、ライブが終わった後のことは考えているのかしら」
「そこなのよ。私としては貴方に全部お願いしたいくらいなんだけど。持ち帰るなり植え替えるなり捨てるなり」
「随分と他人任せなのね」
「素人が口を出していいことじゃないから。私たちにとって、パート分けして、相手に譲り渡した領域には踏み込まないのがマナーなのよ。だから、調達だけなら他でも足りるんだけど、後のことまで考えると貴方に頼むのが一番だと」
とりあえず合格か、と幽香は思った。
「まあ、そういうことなら」
「じゃあ、お願いできるかしら」
「まだ決定じゃないけどね。これから、貴方の本気度を試させてもらうわ」
幽香は窓辺に近寄ると、レースのカーテンをさっと引く。窓枠から見えるのは、月明かりに照らされる向日葵畑であった。
「今回の報酬は、即席の野外ソロライブ。だけど、期待外れだったらこの話は無しね」
「へーえ、意外とロマンチストなんだ」
「お金貰っても、私には必要ないし。楽しいほうがいいじゃない」
「悪くない考えね。私は基本的にはソロではやらないけど、受けて立つわ」
「決まりね。じゃあちょっと待ってて、紅茶淹れるから」
湯を沸かしている間に、庭の一角にテーブルセットを移して席を設ける。花を邪魔しないように、それでいて月をバックに演奏する姿を鑑賞できる場所であった。風見幽香という妖怪は、このようなことに対しては一切妥協しないのである。
「ねえ。ちょっと一音、出してみてくれる」
「いいよ」
無造作に指が鍵盤に落とされ、ぽーん、と高く澄んだ音が空に昇ってゆく。
「あら、良いピアノ」
「まあね」
「その音には、どんな謂われがあるのかしら」
彼女の音は、外の世界では既に失われた音だという。幻想の世界にある様々な物に宿る音を、彼女は精力的に集めてまわっている。それらを散りばめて構成されるライブは、毎回観客たちが聞いたこともない音楽を生み出すのだ。
「これはね、ある楽譜に宿っていた音なのよ」
「楽譜」
「そう。昔々、あるところに貴族のお屋敷があったの。そこの当主は貿易によって財をなし、マジックアイテムや美術品の蒐集を趣味にしていた。そのお屋敷は、後にマジックアイテムが原因となって崩壊し、残された娘たちはばらばらになってしまうのだけど、それはまた別のお話。楽譜は、そのコレクションの一つ。高名な音楽家が書いた、オリジナルの楽譜。もとはピアノ曲だったのだけど、すぐにオーケストラ用に書き直されたの。そのオーケストラ用の楽譜も、引越しの際に一度紛失してしまい、仕方がなく音楽家はもう一度記憶を頼りに楽譜を起こしたんだけど、後で前のが見つかったときに二つの楽譜を合わせてみると七箇所が違っていた。それは音楽家が間違えたのではなく、その機会に訂正したものと言われているわ。楽曲はそうやって少しずつ姿を変えていって、今ではオリジナルを知るすべはここにしかない」
抑揚をつけて、朗読するかのように少女は言葉を紡いだ。幽香は、少し意地が悪いと思いながらも、問いを口にした。
「そのお屋敷は、今はどうなったのかしらね」
「さあ。きっとどこか、幻想の世界にでも行っちゃったんじゃないの」
それなりに長く生きた妖怪で、そう出歩くことがないまでも、交流を絶っているわけではない幽香にとっては、騒霊姉妹の生い立ちも既知のことであった。それ故に、相手がとっておきの音を出してきたことが判ったのである。単なるお調子者かと思っていたが、これは高いプライドを持っている者のやりようであり、彼女が仕事に関して妥協しない性質であることの表れであるように思われた。
幽香はこの時点で今回のライブに最大限の助力をすることを決めた。とすれば、後は一夜限りの演奏会を楽しむばかりである。
「じゃあ、始めてちょうだい。曲目は?」
「『夏の夜の夢』。私の本気、心して聞きなさいよ」
ロマンチストはお互い様ね、と幽香は心中で呟いた。ティーカップに向けてポットを傾けると、爽やかな香りが広がって、それとともに音が耳をくすぐる。今宵、月と星と花に囲まれ音を相手にする茶会は、幽香にとって忘れ難いものになるように思われた。
月が少し欠けていることだけが心残りだったが、それはつまり、どこかでリベンジの機会を作らなければならないということである。幽香は自分の楽しみが一つ増えたことを知った。
(了)
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【秋の話】
夕陽が鮮やかに花々を照らしていた。
太陽の畑と呼ばれ、夏になると向日葵が咲き誇る場所であるが、それ以外の季節にもその時節に合った花が咲いている。幽香が趣味で育てているもので、趣味であるが故に、全力を傾けて咲き誇らせている。それが彼女の矜持であった。
しかし、である。畑の一画に目を転じると、そこだけ明らかに精彩を欠いている。花々が咲いているには咲いているのだが、他と比べて元気がないように見える。特に今の時間帯は陽射しが赤みを帯びているため、その強さに負けて本来の色がぼやけてしまっている。それが幽香には許せない。
ここ数日というもの、幽香はこの区画に取り掛かりっきりであった。彼女は花を操る程度の能力を有しているため、その能力で何とかすることはできる。とはいうものの、能力ではなく、技術によって解決に導きたいというのが彼女の想いである。そこで、日照や温度、水の量などを他と揃えてみたりしたが、一向に変化の兆しがない。原因が判らないのであれば総当たりするのが彼女の基本的発想である。何しろ相手がちょこまか動くのであればその範囲を全てレーザーで埋め尽くそうとするような妖怪なのだから。
色々と試してみた結果、後は土壌だ、ということになった。土の弱さが、そのまま花の弱さに出ているのだろう。したがって、肥料か何かで土を補強してやる必要がありそうである。もっとも、言うは易いが行うは難い。
土はデリケートである。弱いといっても、花が育ってはいるので、全ての栄養素が足りないというほどではない。そこへ何も考えずに肥料などやっても、逆に特定の成分が過多となって、かえって生育を阻害することもあり得る。
幽香は畑の前に立ち、思案にくれていた。一時的に花を移し替えて土壌を撹拌し、より深いところにある養分を蓄えている層を掘り起こしてみたほうが良いかもしれない、という思いもある。
そんな折である。幽香は近づいてくる気配を認め、いったん思考を中断した。そちらに向き直ると、前方から見覚えのある姿が徐々に大きさを増してゆく。
「あ、いたいた」
「あら兎鍋さん、ごきげんよう」
「余計なのついてるけど」
「あら鍋さん」
「何でそっちがメインなのよ……」
判りやすく肩を落としたのは、兎耳を生やした少女であった。
「それで、今日は食べられに来てくれたのかしら」
「いやいや。師匠が薬の原料になる植物が欲しいと言ってて、その依頼で来たのよ」
ブレザーの内ポケットから紙を取り出して幽香へと渡す。リストにざっと目を通すと、希少価値の高いものや、猛毒を持つといわれるものの名前もあって、全てを在庫として持っているわけではないことが判った。
「これ、今すぐ?」
「そんなことないわよ」
「一週間ほどくださいな」
「もちろん。じゃあ、また取りに来るわね」
これまでも同様の依頼があったこともあり、事務的なやり取りだけでこと足りる。用件を伝え終わったことで帰ろうとする相手を、しかし、幽香は呼び止めた。
「そうだ。貴方のところは、人間以外でも診てもらえるのかしら」
「? 貴方、どこか悪くしたの」
「私じゃないわ。土がね、弱っているのよ」
「土かあ。状態によると思うけど」
幽香は体を半身にずらし、視線を畑に移させた。
「ここだけ、花の元気がないの。たぶん土が影響していて」
「うーん、ちょっと波長が弱いかも。養分が足りないのは原因として考えられるわね」
「どの成分が足りないのか判る?」
「さすがにそこまでは。調べてみないと」
「じゃあ調べてよ。次に来るときまででいいから」
幽香はそう言うと、家のなかから小さな空き瓶を二つ持ってきた。元気がない花の区画と、それ以外の区画の土を分けて瓶に詰めると、一方に兎の絵を、他方に鍋の絵を描いて区別できるようにして相手に手渡した。
「意外と可愛らしい絵を描くのね」
「私が可愛いからじゃないかしら」
「うわー自分で言っちゃったよこの人。恥ずかしくないの?」
「事実を述べて恥ずかしいことなんてないわよ」
「……まあいいわ。別に否定することでもないし」
しげしげと瓶を眺め、そしてポケットにしまうと花のそばにしゃがみこむ。その様子につられて幽香もしゃがみこんだ。
「原因が土だったら、足りない成分を補うような薬を持ってくるわ。そして、貴方はそれを使うのよね」
「ええ。元気がないままだと、この子たちが可哀想」
「そうかしら」
何気ない呟きに、幽香はかえって驚かされる。思わず花から顔へと視線を移すが、目の前の少女はいたって普通の様子である。
「たとえば花束の依頼が来たとして、花畑から見繕おうと思ったときに、貴方、ここから選ぶ?」
「他からにするわ」
「結果的に、ここの花たちは長く咲くことができるかもしれない」
「弱者の考え方ね」
「花も弱者よ。まあ、『風見幽香に手折られるなら本望』という花もなくはないだろうけど」
じゃあ一週間後、という言葉を残して彼女は去った。
幽香は、しばらく花を見つめていたが、近くにある花びらを一枚、軽くひっぱって取った。その花びらを太陽に透かしてみると、やはり薄い。軽く口づけをして花びらを爪弾くと、ひらひらと舞い落ちたそれが、もとの花冠に納まった。
彼女は花を操る妖怪である。何事も自分の好きなようにやるが、それは必ずしも他者の意見を聞かないことを意味するわけではない。一週間経って、得られた薬剤を使うかどうかは、今の彼女にも判らなかった。ただし、判っていることもある。次に相手がやってきたときに、依頼された植物とは別に、何か手土産を持たせるはずであった。
幽香はパンでも焼こうかと思いながら家に戻る。西日が横顔を照らすなか、花々を左右に従えながら一本道を歩く姿は、百合の花というに相応しいものであった。
(了)
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【冬の話】
寒さの厳しい早朝のことである。
夜のうちに雪が降っていたとみえ、外は一面の銀世界。さすがにこの季節は花畑も休養中で、雪の下でじっと力を蓄えている。ただし、家の近くの一画だけはガラスを張って温室のように設えてあり、室内の暖を回すなどして植栽ができるようにはされている。幽香の一日は、そこで花の調子をチェックすることから始まる。
バラが七分咲きになったため、今日はそれらをドライフラワーにでもしようか、と考えていたときであった。ガラスの向こうに、見慣れない青色がある。見たことのある青色ではあったため、温室と外をつなぐドアを開けてやると、素直に入ってきた。
「やー遠かった」
「とうとう家の庭にも氷精が生えてくるようになったのね。感慨深いわ」
「遠かったって言ったじゃない。人の話は聞きなさいよ」
「道理で今年の冬は寒いと思ったのよ」
「さては年取って耳が遠くなったなって痛い痛いってば離しなさいよっ」
幽香は目の前の妖精の頭を鷲掴みにすると自分の目線の高さまで持ち上げた。彼女は相手と対等の目線で話をすることも重要だと考えている。もっとも、目的のためなら手段を選ばないことも特徴として挙げられるため、相手のためになっているとは限らない。
「うー、割れるかと思った」
「それで、氷精さんが何用かしら」
「色んな季節の花が欲しいのよ。いま湖が凍ってて、そこで今度お祭りをやるんだけどさ。花を凍らせて飾りにしよっかなーって思ってるんだ」
「何で凍らせたりするのよ」
「だって枯れない花って何かいいじゃん。さいきょーのあたいにぴったりよ」
さいきょーとやらはどうでも良いが、「枯れない花」は風見幽香の専売特許である。使用料はどれくらいに設定しようかと思いながらも、一方で凍った花には興味がある。それに、氷上の祭りに生花を飾ってもすぐだめになってしまうだろうから、冬の間だけ美しさを保つ方法としては合理的だとも思われた。目的が明確なだけに、花の扱いとして幽香の気に障るようなことはなかった。
「試しに何か凍らせてみてちょうだい」
「ん、いいよ」
バラを一本、適当なところで切り取って渡す。妖精の真剣な顔など見る機会はそうそうないため、幽香はそれだけで少し得をしたような気分になった。空気が鋭くなって、瞬きをするたびに手元の茎から霜が降りたように白っぽくなってゆき、次いで薄い氷の層に閉じ込められる。花びらまで凍りつくのにさほど時間はかからなかったが、幽香は十分に堪能したようで、少し上気した顔を相手に向けた。
「なかなか面白いものを見せてもらったわ」
「上手に凍らせるのって意外と難しいのよね。ついついやりすぎて氷の塊になっちゃうんだ」
「花、用意してあげる」
「ほんとに? 良かったー。遠いところまで来たかいがあった」
「どんなのが良いのかしら」
「あたい詳しくないから、どんなのがあるか教えて欲しいな」
「じゃあ、いらっしゃい」
温室から家のなかに入ったところにある部屋は、室内で花の管理などをするための場所である。そこには鉢に植えられた生花も多くあるほか、それと同じくらいドライフラワーも飾られている。
「何だこれ。花が乾いてる」
「ドライフラワーよ。それも枯れない花と言っていいわね」
「だったら、これでも良いのかな?」
「湿気は天敵だから、止めておいたほうがいいわ」
「そっかー、やっぱり氷がさいきょーなのね」
「手元見てみなさいよ」
「あっ! 溶けてる!」
幽香はとりあえず一輪差し用の花瓶でバラを受け取ってそれを机の上に置くと、棚からタオルを取り出して手についた雫をふき取ってやった。
「まんまとしてやられたわ」
「この部屋はドライフラワーのために温度を上げて湿度を下げているから。上見てみなさい」
「うわ、花束が逆さ吊りになってる。そして干乾しにするなんて虐待ものね」
「あらあら、貴方も吊られてみたいだなんて、そういう趣味でもあったのかしら」
「ないって!」
「残念ね。まあ仕方ないわ。それじゃ、花を選びましょうか」
幽香は心底残念そうな表情を浮かべて、分厚いアルバムのようなものを取り出す。開くと、様々な花が押し花にされていて、まるで色見本のように一覧になっているものであった。
「花ってこんなにたくさんあるんだ」
「これでもほんの一部だけなのよ。有名どころは揃っているから、とりあえずここから選んでみなさいな」
「おうよ。あたいに任せておけ」
早速ページをめくり始めた姿を見て、まずは自分で選ばせることにした幽香は、その間にバラを収穫してしまおうと思い、鋏と籠を持って再び外へ出た。
初めはさっさと終わらせる予定であったが、やはり気になるところは放っておけない性格なので、他の花たちも見て回ることになった。そのため、室内に戻るまで優に一時間は越えていたかもしれない。ただし、戻ってもまだアルバム相手に思考中の様子であったため、幽香は自分の作業を継続することにした。
バラを何本かまとめて花束のようにし、後で吊るせば良いようにしていたときである。ふと手に取った淡いピンクのバラと、向こうに見える水色の髪が重なって、まるで花飾りをつけたようになった。そこからの幽香は早かった。バラを一回り大きくするため別のバラから花びらだけを取り、細いワイヤーを通して茎に巻きつけ花びらのように配置すると、その茎とコームをワイヤーで固定する。ワイヤーの上からライトグリーンのフラワーテープを巻くと、即席の花飾りの完成であった。
相変わらずあーでもないこーでもないと唸っている妖精の背後に回り込むと、コームを差し込み左右からヘアピンで留める。何事かと振り向く動きを見て、幽香はそれなりの安定性に満足したようであった。
「何したの?」
「見たほうが早いわね」
幽香は部屋のなかにある鏡まで相手を誘導する。鏡越しに見る表情が、花を認めた瞬間にぱっと輝いたことによって、彼女の目的が達成されたことを知った。
「おーきれい。似合ってる?」
「ええ、とても良く似合っているわ」
「えへへー、ありがとう」
「生花だから長くはもたないわよ」
「そうかー」
腕を組んで、何かを考えている様子だったが、やがて口を開く。
「ちょっと考えたんだけどさ」
「考える頭があったなんて驚きねえ」
「そうやってすぐばかにして。えっと、さっきの、ドラなんとか」
「ドライフラワー」
「それそれ。それと同じで、水分がなくなればもうちょっと長もちしたりする?」
「するわね」
「じゃあ、あたいが花のなかにある水分を凍らせたらどうなるかな」
なるほど彼女は冷気を操る程度の能力であるから、触れた物の水分を凍らせることぐらいはできるのだろう。理論的にも問題はなさそうであるし、何より、短時間で水分を抜くことができるためドライフラワーのように色合いが変わったりもしないだろう。やってみる価値は十分にありそうであった。
「面白そうね。上手くいけば結構もちそうよ」
「じゃあやってみようか」
そう言うと、鏡を頼りに花びらをつまんだ。うっすらと花びらの表面に霜が浮いてきて、それでいて全体の姿に崩れはない。幽香が花びらに触れると冷たさを感じたものの、まだ柔らかさを保っていることが判る。全体を凍らせるほどの水分は含まれていないだろうから、これは成功したと言ってよいかもしれない。さしずめアイスフラワーといったところか、と思った。
「これ、湿気にさえ注意すれば冬の間は大丈夫かも」
「やっぱりあたいはさいきょーだね」
「そうかもしれないわね」
幽香は素直に感心していた。凍らせて水分を抜くという発想はなかったし、通常は実現できない。自分にできないことをやってのけたのだから、そこは尊敬すべきである。
「ねえ、いくつか花を選んでみたから、ちょっと見てよ」
「ええ、いいわよ」
幽香は自分の声が柔らかくなったように感じた。それは彼女にとって、けして嫌ではない変化であった。
(了)
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幻想の音の解釈がいいですね。なるほど、といった感じです。
ま、幽香さんがもともと素敵なんだけどな!
作者検索とかして他の作品読んでみたりとか絶対しないんだからなっ!
好みで言えばチルノが良かったです。
発想はリリカ、雰囲気は咲夜、鈴仙は会話が良かったです。ただ鈴仙は物足りなかった感がありました。
最後にもう一度、幽香さん、素敵です。
しいて言えば夏と秋はもう少しアクセントが欲しかったでしょうか。
ですが、どの幽香さんも美しかったです。