[はじめに]
・長大になってしまったので連載モノの体裁を取らせていただきます。
・不定期更新予定。
・できるだけ原作設定準拠で進めておりますが、まれに筆者の独自設定・解釈が描写されていることがあります。あらかじめご注意下さい。
・基本的にはバトルモノです。
以上の点をご了承頂いた上、ぜひ読んでいってください。
前回 F-3 1dayエピローグ
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紅魔館・門前――――――
妖怪の山での戦いから一夜が明けた。
いや、一晩中戦って朝方寝た彼女たちからすれば、“一朝”が明け、今の時間は正午を回って少しくらい。
空模様は昨日と変わらずの快晴。良い天気かどうかは人次第。暦上は夏が明けたとは言え、陽射しは強く、夏草の緑を鮮やかに透過していた。
そんないつもの昼下がり。いつもと違う客人たちを収める紅魔館も、いつも通り昼間の静けさを保ち、いつも通り大きな門前には、いつも通り門番が立っていた。
いつも通りでない点は、前日のケガを癒すため、彼女の体のあちこちに包帯やら湿布やらがあてがわれていることくらいである。
それ以外はいつも通り。
強い陽射しを和らげるように雲が流れ、暖かな風が彼女の髪を揺らすたびに襲い掛かる睡魔と戦う姿でさえ、いつも通りだ。
「――昨日の今日だっていうのにご苦労様ですね」
そうして美鈴が何回目かの船を漕いだ時、不意に門の内側から声がした。
自分を呼ぶ声に、美鈴もうつらうつらとしていた意識を一発で覚醒させる。この条件反射も普段の門番としての仕事の賜物と言えるのかもしれない。
「んあ……っと、衣玖さんじゃないですか。おはようございます。早起きですね」
ぼやけていた頭を目覚めさせ、美鈴は屋敷内の客人――そして昨夜の激戦を共に戦ったチームメイト――へと、挨拶を返した。
「ふふっ、おはよう、かどうかは怪しい時間ですよ」
「あはは……夜型の紅魔館はいつもこんな感じですよ」
そう言って屋敷の敷地内にいる衣玖へと返し、そこで彼女の手元へと視線を落とした。
「――って、どうしたんですか?それ」
「あ、えぇ……昨日の約束を果たそうと思って、借りてきました」
美鈴同様包帯を巻いた手に持つトレーには、二人分のティーセットと、お茶受けのスコーンが並んでいた。
ティーポットから漏れる紅茶の香りと、まだ作りたてのスコーンの上げる香ばしい香りが、昼食を逃していた美鈴の胃を刺激する。
「あ、覚えててくれたんですか!しかもわざわざ持って来てもらっちゃって――ちょっと待ってて下さい。今お嬢様に休憩の許可を頂いてきますから」
「あぁ、それなら大丈夫です。これを借りる許可をレミリアさんに貰った時、一緒に取り付けておきました。『ちゃんと門の外が見える所でやるように』とのことでしたよ」
「……うーん流石お嬢様。じゃあ実質休憩は無しですね…………残念」
美鈴は門を離れ、“じゃあこっちへどうぞ”と前を歩いて庭内を先導してゆく。衣玖も軽く返事をしながら、その後に続いた。
「しかし、色々手間をかけさせちゃったみたいで、すみませんね。――あ、それ持ちますよ」
「いえ、お構いなく。……それより大変ですね、こんな日まで門番なんて」
「うーん、まぁこんな日だから、ってのもありますけどね。今は普段より紅魔館への侵入者の可能性が高いですし」
二人は紅魔館の庭を歩く。日中の陽射しの下、悪魔の館と言えど、そこはなかなかに風光明媚なお庭だった。
芝が敷き詰められた庭は、日の光を反射する緑が眩しい。設えられている花壇には彩色の花たちが咲き誇り、緑の庭を明るく飾り付けている。上を見上げれば、突き抜けるような青。彩り豊かな庭園である。
どうしても視界の中にギラギラとした紅色の建物壁が入ってくることさえ差し置けば、そこは美しい庭園だ。
「まぁ、他のチームだったら門番も三日間お休みだったのかと思うと、ちょっと残念な気もしますかねー」
ははっ、と軽い笑みを零しながら、先を歩く美鈴が軽い調子で言ってみせた。
「ふふ、一緒になった他の上司の方にコキ使われなければいいですけど」
「う゛……ウチのメイド長と一緒になったらありえましたね、それ。……咲夜さんたちは今なにしてるかなぁ――っと、こちらです。どうぞ」
案内されたテーブルは門から館までの道を少しそれた所にあった。
二人掛けの小さなテーブルには、メインで使うであろう主人のために大きな日傘が備えつけてあり、間断なく降り注ぐ日の光を遮って薄暗くなっている。
――吸血鬼でも昼間に外に出たくなるんですかね。
そんなぼんやりとした感想が浮かんだ。
「ありがとうございます」
会釈し、手に持つトレーを置いて席についた。
衣玖の手から離れたティーセットへと美鈴が手を伸ばし、自然な動作でお茶の準備を進めてゆく。
「あ、私がやりますよ」
そう言って再び立ち上がろうとした衣玖を、
「いやいや、衣玖さんは一応お客さんじゃないですか。お茶のおもてなしはこっちでしますよ。まぁ……って言っても注ぐだけになっちゃいましたけど」
そう微笑みかけ、押しとどめた。
ポットを手に、揃いの小さなティーカップに紅茶を注いでゆく。適度に温めらたティーポットから流れる紅茶が、辺りに上品な香りを漂わせる。
自分で誘った以上、お茶を淹れる段階から自分でやりたかったのだが――衣玖の淹れたお茶の香りが良かったので、それもどうでもよくなっていた。
やっぱり衣玖さんは、美味しいお茶の淹れ方を知ってる人だ。
美鈴は内心で抱いていたイメージと実際の整合を、口には出さず喜んでいた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
衣玖の前にお茶を出し、美鈴も自分の分を淹れると、席についた。深く、甘い香りがテーブルを包む。
どれどれの茶葉を使っている、なんてことは美鈴には解らなかったが、辺りの雰囲気まで丸くするような、この優しい香りに包まれているだけで、そんなことはどうでもよくなっていた。
――っていうか、咲夜さんがこのお茶をどこから手に入れてくるか知りませんしね。
「吸血鬼用のお茶かとも思いましたが……普通に淹れられたみたいでよかったです」
「いや、お茶自体は普通みたいですよ。お嬢様には、ここに後から血を数滴入れるんだ、って聞いたことがありますし」
やはり衣玖も疑問に思っていたようで、自分が淹れてきた紅茶をまじまじと見つめながら、美鈴の言葉を聞いていた。
その様子を微笑ましく眺め、
「――そう言えば、ルーミアさんの様子はどうですか?昨日のダメージがまだあるとは思いますけど…………」
美鈴は恐る恐るに話題を変えた。
昨日の巫女との一戦。サポートに徹してもらった橙以外はみな、多大なダメージを受けた。
そんな中で真っ先に負傷し、一番傷が深そうなのがルーミアだった。彼女が巫女に撃墜されてから美鈴たちも霊夢と戦う羽目になっていたので、応急処置が遅れたということも心配の種だった。
「大丈夫ですよ。命に別状はありませんでしたし……今は橙さんと一緒にグッスリ眠ってますよ」
その言葉にほっ、と胸を撫で下ろす。
「それは良かった……って橙さんはまだ寝てるんですか」
「えぇ気持ち良さそうに」
衣玖は小さく微笑んだ。
「……まぁ彼女も昨日の戦いは精神的に疲れたんでしょう。今夜もまた出かけるハズです。そのためにも、休息は必要ですから…………」
そこで不意に二人の会話が切れた。美鈴が目の前のお茶を口に運ぶ。
二人とも、なんとはなく黙ってしまっていたが、考えることは一緒だった。
それは当然――この不思議なイベントについて。
そもそもこんな妙な企画がなければ、この二人がこうして椅子を並べてお茶をする機会も無かったのだ。
昨日のように誰かと戦うことも、こうしてお茶を飲むことも、二人とも別段嫌ではない。そのためか、二人ともこのイベント自体には不思議と疑問を持たずに参加していた。
あるいは、多くの参加者たちのように、ここまでの日常における暇さの反動のせいなのかもしれない。
それでも。衣玖には見過ごすことのできない小さな疑問があった。
それは大局から見れば、本当にささやかなこと。所詮、ただひとりが起こした不可解な挙動に過ぎない。
だが、その不可解さがいつまで経っても彼女の頭から離れなかった。
それが、このイベント自体と何らか関わっているような、そうでもないような、漠然とした直感が働いたのかもしれなかった。
「――ひとつ……尋ねてもいいですか?」
ゆっくりと美鈴がカップを置いたのを見た後、衣玖はおもむろに切り出した。カップがソーサーの上に着地し、カチャンと小さく音を立てる。
「昨日……巫女との戦いで、あなたはなぜあんな無茶を?」
暖かな空気を孕んだ南風が止んでいた。昼下がりの太陽光線はまだジリジリと地表を照らしている。
昼間の紅魔館は、本当に静かだった。
美鈴はその言葉に、困ったような笑みを見せながら、
「――さぁ……ホントに、なんででしょうね…………」
ぼんやりとした返事を返した。照れ隠しのようにはにかみながらも、その表情はどこか心許ない。
品の良い柔らかな香りが申し訳無さそうにフワリと漂い、美鈴の鼻孔をくすぐった。
「正直……あんまり覚えてないんですよ、あの時のこと」
美鈴は呟くように語り出した。衣玖は何も言わず美鈴を見ている。
「あの時は即席とは言え、いい連携でした。橙さんの先制に私の牽制、そして衣玖さんの追撃――いやぁ、なかなかあんなに上手くはいきませんよー」
美鈴はそこで少しおどけて話してみせた。重い話口になってしまっていたと自分でもわかっていたためだったが、その空気を作っているのはおそらく目の前で黙っているお客人のせいだろう、ということも解ってはいた。
「え、っと……それで決まったかと思ったけど、結局、霊夢さんは無事だった…………」
「そう、そこからあなたは私たちを無視して、単騎で突っ込んでいった」
黙って話を聞いていた衣玖が口を開く。重い空気は纏ったままだった。
「はい……そうですね」
「そこの理由を知りたいんです。もしかして何か作戦でもあったんですか?」
衣玖の喋る速度は一言ごとに増していったが、一向に軽さを取り戻す気配はなかった。
「や、そんなのありませんよ。ただ……なんて言うんですかね……」
思わず美鈴は言い淀んでしまった。
それは、彼女自身、あの時感じたものを言葉にしにくいということもあったが――なんとか言葉にできたものを、ずっと鬼気迫る表情でこちらを見ている衣玖に聞かせることに気が引けていたのだ。
ゴクリと喉を鳴らし、静かに心を決める。
「その……なんて言うんですかね……。テンションが上がってた、っていうか……“血が騒いだ”とかが近い――そんな感じになって……気づいたら、霊夢さんに突っ込んでました」
腹を括り話す美鈴は、せめてもの体裁として、最後の言葉に力を込め、衣玖の瞳を真っ直ぐ見据えながらに言った。
衣玖はその目を正面から受け止め、そして何も言わない。
先程の質問責めの空気よりさらに重い、沈黙の時間が流れる。この手の空気が、美鈴は一番苦手だった。もういっそどこぞのメイド長みたいに、烈火のごとく怒ってくれた方がまだ受けやすかった。
あんまり直接怒られたことないけど、パチュリー様とかが怒るとこんな感じだなぁ……
現実逃避しながら、ボンヤリと感じていた。
――あぁ、もう泣きそう…………
思い切って完全に怒られる前に謝ってしまおうかと思った矢先、そんな美鈴の機先を制すように、衣玖がおもむろに口を開く。
「――ふぅ……まったく無茶をして……。もうあんまり心配させないで下さいね?」
溜め息混じりに、言い聞かせるような口調で、そう言った。
“仕方ないなぁ”と嗜めているような声音。子供のやった下らない馬鹿を笑って過ごす母のようですらある。
とりあえず、怒っているという風ではなかった。
「……あ、あのぅ…………怒ってるんじゃ……ない?……んですか?」
「…………はい?」
美鈴は恐る恐るそう尋ねた。さっきまでの雰囲気に小さくなっていた彼女が、盗み見るようにして上目遣いに目線を送る。
そんな彼女の様子と言葉が衣玖にはどうやら予想外だったようで、一瞬目を丸くした後、
「――ふふ、すいません。そんなに怖い顔してましたか?」
クスクス笑っていた。
「い、いやいやいや!そんなこと……ないですけど……」
「けど?」
「あー……なんて言うか……私がひとりで突っ込んで輪を乱したこと、問い詰めてるのかなって……そのせいで衣玖さんにもケガさせちゃいましたし……」
美鈴はおずおずとそう答えた。所々目を逸らし、所々窺うように相手を見る様は、どう見ても怒られている子共のようだった。
そんな彼女の姿は、昨日見た姿とは一変して酷く幼く映り、微笑ましくすらあった。
「…………ぷ、ふふふふふふ」
その様子がおかしくて、衣玖は笑い出すのを止められなかった。
――拾ってきた子犬を叱っているみたいですね、コレ。
「美鈴さん……さては、日頃よっぽど怒られてるんですね」
衣玖はクスクスと笑いながら、手つかずだったお茶に一口手をつけた。ちゃんと淹れられていたことに、今更ながらこっそりと、内心で安堵の溜め息を漏らす。
「怒ってなんかいませんよ。このケガだって私が未熟なせいですし。……さっきも言いましたけど、私が昨日のことを聞いたのは、あなたが気掛かりだったからです」
「――えっと……じゃあさっきのは……」
「ふふ、少し詰問気味になっちゃいましたね。すみません。――まぁそういうことです。お祭り騒ぎだからって無茶ばかりじゃ体が持ちませんよ?ご自愛下さいな」
衣玖は改めてそう微笑んだ。
依玖の言う通り、日頃起こられてばかりの彼女は、その笑顔をまじまじと見て、思わず口にしていた。
「――衣玖さんって……いい人ですね」
その一言もやっぱり予想外で、衣玖は思わずまた笑ってしまった。
紅魔館・館内――――――
昼下がりの紅魔館。
そこの当主であるレミリアは、屋敷の中をプラプラと歩いていた。
ただ歩いているだけの動作にも、どことなく品の良さを感じさせるあたり、伊達にお嬢様なんて呼ばれている訳ではない。淑やかに廊下を歩く音が、コツコツと一定のリズムで響いてゆく。
彼女は自分の屋敷の中の、ある部屋を目指して歩いていた。
部屋数は山ほどあるが、その中でも一等特殊な部屋。わざわざ後からしつらえてやったら、どんどん大きくなっていた困った部屋。そこが彼女の目的地。
そして目当ての大きな扉の前に辿り着き、なんとはなしに、その扉を上から下まで見てみた。
こんなデッカイ扉、要らないわよねぇ。
扉の上部に付けられたプレートを眺めながら、常日頃からの感想がボンヤリと浮かんだ。
[ 地下大図書館 ]
屋敷の主である彼女が、一緒に住む友人のために作ったものであり、その部屋の主がいない時に率先して入っていく場所ではない。
そのことを、扉を前にして改めて思い返してみたが――やはり、そういって放置しておくわけにもいかない気がした。
いないからって、本が無くなってたら、文句言われるのは私だしなぁ……。
溜め息混じりに大きな扉を開く。
巨大な扉は軽く開き、キィッ、という静かな音を立てて、ゆっくりと図書館の中を見せてゆく。
「はぁ……やっぱりここだったわね」
地下図書館は、扉を開けてすぐの所に、部屋の主であるパチュリーの執務机が備え付けてある。普通はもっと奥にあるものだろうが、あんまり奥にあっても困るのだ。
なにせこの図書館の蔵書数は半端ではない。紅魔館お抱えの万能メイドによって空間を広げられた異空間であるが、それでも足りないと言わんばかりに、壁一面には本棚が置かれ、その本棚に本が収まりきるやきらず、ビッシリと収納されているのだ。
そんな本の森みたいな部屋の奥地に机を置いたら探しに行くのも億劫だ、ということで、入口際に机がある。
そしてその机には、家主不在にもかかわらず山のように本が積まれ、
「よう、レミリアじゃないか。意外と早起きなんだな。まだお日様は高いぜ」
何食わぬ顔で、魔理沙が座っていた。
我が物顔、というのは今の彼女のためにあるような言葉であろう。
「私はいつもこんなもんよ。ただこの時間にお出かけはしないってだけ」
「……さいですか」
レミリアは、ふん、と鼻を鳴らす。自慢げな態度だが、自慢している点がどこだかはわからない。本人にもわからない。
あまりに知ったことではない話だっただけに、魔理沙も思わず適当な返事を返すに留まっていた。
「で、どうした?なんか私に用があったんじゃないのか?」
「別に用はないわ。ただ勝手に色々盗まれちゃたまんないから、釘刺しに来ただけよ」
「……それって用があるって言うんじゃないの?」
不意に、二人以外の声が会話に参加した。
魔理沙のいる執務机の奥、来客用の大テーブルの椅子を三つ並べて寝そべっている影が、モゾモゾと動く。
「あら、あなたがここにいるのは意外だったわ、妹紅」
妹紅は大きなあくびをしながら、上体だけ起こしてレミリアの方を向いた。机に数冊本がある所を見ると、本来の目的は寝に来たのではないのだろう。
「ふぁぁぁぁぁ~……。あぁ、寝て起きた所で魔理沙に会ってね。面白そうなんでついて来たんだけど……やっぱり本読むと眠くなるなぁ」
ワシャワシャと長髪を掻き上げ、妹紅はボンヤリとした頭をボンヤリと立ち上げている。生活周期は普通の人間通りの彼女は、まだ少し眠そうだった。
「ホントは早苗も誘ったんだけどな。あいつ起きないんだもん。お年寄り妹紅の朝の早さを見習えよなぁ」
「……なんか聞き捨てならない単語を聞いた。私は全然若いぞ。なんせ永遠の成長期だからね」
「不老不死で成長期ってなんだよ。それに……成長、止まってるようにしか見えないぜ?」
「……オーケイ、わかった。喧嘩売ってるな。買うわ。そこになおれっ」
「やるなら屋敷の外行ってね。中でやって家具とか壊したら追い出すわよ」
この連中は大人しくしてらんないのかしら、とレミリアは溜め息をついた。
部屋でひとりで時間を潰すのに飽きて歩き回っていたお嬢様は、自然な流れで自分のことを棚に上げている。
その時、不意に気づいた。
気配が、もうひとつある。
「――そこにいるの……出てきなさい」
射抜くような視線を真っ直ぐに送る。
それは魔理沙を通り越し、妹紅を突き抜け、さらにその奥。あるひとつの大きな本棚へと繋がる。
レミリアの視線を辿るように、二人も振り返る。言われてからだが、確かに感じ取れた。
――あの棚の裏には、誰かいる。
六つの瞳を受けながら、本棚から笑い声が上がった。
「あはは、バレちゃった。まぁ隠れてるつもりは無かったんだけどね」
棚の裏の気配は、そう言って姿を現した。
ピョコンと飛び出てきたその姿は、幼い子供。
髪はきれいな金色、真っ紅な服に、同じくらい真っ紅な大きな瞳、七色の不思議な羽根――――
「――ってフランじゃないか!こんなトコで何してるんだ?」
本棚の影から出てきたのは、吸血鬼、フランドール・スカーレットだった。この館の主人、レミリア・スカーレットの実妹。
自分の名前を呼ぶ声に、彼女は無邪気な笑顔を返す。
「やっほー魔理沙、あとついでにお姉様。何してるも何も、ココは私のウチだし♪」
「あぁ、そりゃそうか。じゃなくて――――」
「ヨソのチームに割り振られたアナタがなんでここにいるの、って話よ」
レミリアは腕を組みながら窘めるようにして言った。魔理沙のついでに据えられたことに対しての不満を、姉としての小さな意地で、顔に出さないように努めてみせる。
「あぁフランも参加してるのか。良かったな、家から出してもらえて」
「うん!久しぶりにお外を飛び回っちゃった!楽しかった~!」
普段、フランはこの屋敷からの外出は許されていない。元々は紅魔館の地下に数百年に渡り囲われていたのだが、最近では館の中くらいなら自由に出歩いている。それでもまだレミリアによって外出を禁止されているのが現状だ。
――よくこのイベントに参加を許したもんだ。
魔理沙は内心不思議にも思った。
「こら、フラン。私の質問には答えないの?」
さっきからちょいちょいと割り込んでくる魔理沙も視界に入れつつ、レミリアは顔をしかめた。姉としての小さな意地はあまり長く続かなかったようだ。
「あら、ごめんなさい、お姉様。とりあえずお日様があるうちは遊ぶつもりも無いし、日が暮れたらまた出ていくから、ちょっと“日宿り”させてよ」
そんなレミリアの表情に対して悪びれるでもなく、変わらないコロコロとした笑顔のままで答えた。
「それは構わないけど……いいの?チームに戻らないで。あっちのリーダーはそのこと把握してるのかしら?」
「フランは誰のトコに配属されたんだ?」
そこでまた性懲りも無く魔理沙が割って入る。
人が話してる時に……、とレミリアに睨まれるが、そんなことを気にする彼女ではなかった。
「えっとねー……ゴメン、名前覚えてないやー。始まる時に壇上にいた人」
「みんなそうだぜ」
さて次はどう訊くか、と考えていたところ、
「……八雲紫の所よ」
レミリアが代わりに答えていた。
彼女は当然、妹の配属先を把握していたのだろう。それでも預ける先に納得のいかないところがあるのか、若干歯切れの悪そうな声だった。
「あぁ紫か。アイツの指揮するチームってメンドくさそうだよな。行動の自由無さそうで」
紫の名前を聞いて、何も考えずにそんな感想が漏れた。
魔理沙としては、チーム決めの際に内心最も配属されたくないチームが紫の所でもあった。理由は、いま口にしたことそのまま。
だが、魔理沙のそんな言葉を受けて、フランは不思議そうな声を上げていた。
「えー?そんな事無いよー。だって萃まってすぐに、自由行動でいいって言われたよ?“どこに行って何をしてもいい”、ってさ」
「……なんだそりゃ?」
魔理沙は腕を組んで頭に疑問符を灯していた。
人に指示だけ出して普段はグータラしてるあの妖怪が、わざわざ自分の手駒を手元から追いやる、ということが不思議だった。だいたいそれではチーム戦にした意味がない。自分で言い出したことなのに。
いつものことではあるが、あの妖怪のすることだけは裏がある気がしてならなかった。
婉曲的な物言い、不気味に柔らかな態度、表情――全ての行動になんらか別の思惟を含んでいる気がする。言ってしまえば“胡散臭い”。しかもそれを本人も解ってやっているところがまた不審だ。
果たして、今回は――――
そんな魔理沙の思考はお構いなしに、フランは喋り出していた。
「それでね、私もひとりで遊び相手を探しに行っていいって言われたんだけど……私お外ってほとんど出たことないから、どこに何があるかわからなくて困っちゃったよー。で、とりあえず紅魔館に行けばお姉様たちがいるかな、って思って来たのに、だぁれもいないんだもん。結局昨日は誰とも遊んでなかったけど、お外飛び回ってたら疲れちゃったし、パチェもいないし、図書館で寝てみようかなーって思って忍び込んだまま寝ちゃってたの」
そこまでをフランは一気に話した。
何がそれほど楽しいのかわからなかったが、身振り手振りを加えてキャッキャと愉快そうに語っている。
そうかそうかー、などと適当な相槌を打つ魔理沙とは対照的に、レミリアは黙ってそれを聞いていた。
楽しそうな顔の妹を見て安心していた、なんて悟られないように。それでも、咲夜あたりが見れば一発で見破っていただろうが。
ごほん、とひとつ咳払いをして、レミリアが声を上げる。意識的に硬質的な声を作る。
「――なるほどね。だいたい状況は把握出来たわ。いいわ、フラン。日が暮れるまでここにいなさい。紫も文句は言わないでしょう。それと……妹紅」
そこで突然名前を呼ばれ、彼女はボンヤリと視線を返した。
闖入者であるフランのことも知らないし、だからと言って本を読み返すにもならなかったので、ここまで話をただボーッと聞いていただけの彼女は、今自分の名前が呼ばれるとは思ってもみかなった。
「――え、あ、はい。なに?」
目を丸くしながらレミリアの方を見る。
「今からお茶にするわ。あなたも付き合いなさい。どうせ本を読むのにも飽きてたんでしょ?」
「うーん……なんか人に言われると悔しいものがあるけど……まぁいいや、ご一緒させてもらうよ」
最初は渋るような言葉を発してはいたが、妹紅的にも渡りに船な提案だったので、彼女は二つ返事で承諾していた。
引っ張り出してきた本をそのままに、彼女は席を立つ。
「魔理沙は来ないの?」
「私ももう少し経ったら行くぜ。それまで妹紅に遊んでもらいな」
「むー。約束だからね!!もこー!お茶のもー♪」
「えー今初めて会ったのにタメ口って……私の方が全然年上なんだけど……」
「永遠に成長期なんでしょ?私と同じくらいじゃない!」
「聞いてたのか……。あとどういう意味か如何によってはそこを怒るよ」
そうしてフランと妹紅は騒々しくも図書館から出て行った。大きな扉が二人を見送る。
残されたのは魔理沙と、言い出しっぺのレミリアだけだった。
「――楽しそうだな」
魔理沙は開けっ放しの図書館の大きなドアを眺めながらそう呟いた。
「フランなら大丈夫よ。……放し飼いにされてるのが心配だけど」
「いんや、フランもそうだけど。おまえがだよ」
その魔理沙の台詞に虚を突かれ、レミリアはとっさに魔理沙の方を振り向いてしまった。
そして振り向いた先、魔理沙の顔を見て、即座に後悔した。
「あれ、ちょっとカマかけたつもりだったんだけどな?」
魔理沙はそう言って意地悪い笑みを浮かべていた。
わざとらしく目を細めながら、口の端を吊り上げる。古今東西、幻想郷内外問わず、吸血鬼をからかう人間なんて、彼女だけだろう。
レミリアはまんまとハメられた悔しさと本心を見透かされた恥ずかしさで耳を赤くし、小さく、「うるさいっ」と吐きだして、足早に歩き出す。
腹立たしい人間に背を向け、そのままに図書館を後にしようと歩を進める。
その背中に向けて、魔理沙の声が飛んだ。
「――レミリア。ちょっといいか?」
その声音がさっきまでと変わっていることに気づき、思わず足を止める。
「……何かしら?」
振り返らずに背中で尋ね返す。
「おまえ、今晩はどこに向かうか決まってるか?」
「昨日と一緒。未定よ。まぁまた山に行ってもしょうがないから、永遠亭にでも行こうかしらね」
そこまでを聞き、魔理沙は次の台詞までに一拍置いた。
「頼みがある」
「言ってみなさい」
「今日の夜は私と早苗で白玉楼に行かせてくれ」
「目的は?」
「今回のこのイベント……その真意を探りに行く」
魔理沙は真っ直ぐレミリアの背中を見据えて、そう告げていた。
吸血鬼の少女は振り返らず、そのままに、
「……まぁそれが運命かしらね」
と小さく囁いた。魔理沙には届かないくらいの、かすかな声で。
「いいわ、勝手になさい。それなら私たちは永遠亭に行くわ」
「サンキュ。――悪いな、別行動しちまって」
「別に。所詮チームなんて形だけのものよ。あなたのやりたいようになさい」
「了解だ。一応出る前には声かけるぜ」
「はいはい。精々頑張ってね」
掌だけをヒラヒラと振り、レミリアは図書館から出ていった。ついに最後まで魔理沙の方は振り向かなかった。
キィィッ、という蝶番の音が聞こえ、パタンという音が続く。身の丈よりもはるかに大きな扉なのに、手入れが行き届いているのか、不快な音など一切立てない品の良さがあった。
珍しく賑やかだった図書館の空気が、再び元の静けさを取り戻す。
魔理沙はまた目の前に広がる本に目を落とした。
それはいつもここから拝借している本とは違うジャンル。
背表紙にはこう書かれていた。
『結界術』と。
妖怪の山・守矢神社――――――
「ハイどうぞ。頂き物だけど」
「ありがとー。――いやぁ神様が淹れてくれたお茶と思うと美味しいわねぇ」
「……っていうかコレ本当にいいお茶じゃない。私んトコとのこの格差はなんなのよ……」
ここは幻想郷・妖怪の山――忘暇異変最初の舞台となった場所。
山のあちこちには依然として昨夜の戦いの傷跡が刻まれている。ちょっと飛んで空から眺めれば、そこかしこが禿山のようになっているのがわかるだろう。
しかし、その本丸となっている風の社、守矢神社はいつもの姿のままそこにあり――そしていつものように神様が誰かとお茶を飲んでまったりと過ごしていた。
「あぁ、これはこの間人間の里に行った時に貰ったものさ。お裾分けだって」
と言う神奈子に、
「なにそれ。お供え物じゃなくてお裾分け?私そんなの貰ったこと無いんだけど?……みんな神様だからってチヤホヤし過ぎじゃないかしら」
万年貧乏巫女である霊夢が噛み付いていた。残念ながら完全にただのひがみである。
「なかなか巫女の発言っぽくなくていいわねぇ~それ」
その隣で幽々子がほんわかと適当な相槌を打っては、ずずず~っ、とお茶を啜っていた。
この三人で午後のひと時を過ごす画なんて、普段ではおそらくお目にかかれない。“溜まり場”博麗神社の巫女は、ひと通りの妖怪とお茶を交わしたことがあったが、さすがにこの三人で、というのは初めてだった。
そんな三人が一緒なのは、紫の号令で始まった今回の異変の“せい”、と言っていいのか、“おかげ”と言っていいのかは微妙な所だが。とにかく紫に振り回されていることは確かだろう。
そうやって軒下で強い日差しを眺めながら三人がまったりとしているところに、もうひとり。
生粋の振り回され体質の魔法使いが――――
「あら、さすがにここら辺のメンツは早起きでいいことね」
三人の座る縁側に向かって廊下を歩きながら、アリスが挨拶をした。そこに座っていた三人もそれぞれにアリスへと視線を上げる。
「あらアリス。おはようさん。どうだい?よく眠れたかい?」
「おはよう神奈子。えぇ、大丈夫よ。ありがとう」
「そいつは良かった」
アリスは挨拶を済ませるとおもむろに縁側に――三人の隣りに腰を下ろす。
夏も明けんとす頃の、晩夏の陽射しが照りつけていた。
太陽の発する強い光は夏の盛りのそれと遜色無く、地上の温度を上げていく。しかし標高の高さと風の通り道になっていることで、神社の縁側にいても不快な暑さに辟易することは無かった。
生温い風が彼女たちの髪を優しく揺らす。
「そういえば、アリスは昨日誰と戦ったのかしら?」
三人の真ん中にいた幽々子が、何気なく話題を振った。
「永琳とよ。永遠亭のトコの薬師の」
「あらら~あの不死人の従者の不死人ね。それはまた難儀なのとやったわねぇ~」
「まぁ……確かに、難儀は難儀だったわね」
そう言ってアリスは昨夜の舌戦を思い出した。
永琳のくれた二つのヒント――わざと曖昧に定めてあるルール。そして、博麗霊夢の関与。
頭の中でそれらを反芻させ、アリスは静かに口許を引き締めた。
意を決し、声を上げる。
「ねぇ、霊夢。今回のコレにアナタが関わってるって……本当?」
空気が、張り詰める気がした。
アリスは思わず唾を飲み込む。
昨日の永琳との戦いで学んだのだ。この辺の実力者との腹の探り合いではどうしても相手に一枚上を行かれてしまう。心理の読み合いには自信があったが、それでも相手の方が上なら認めざるを得ない。
そして――変化球だらけの会話に慣れている相手なら、こんな直球ド真ん中のストレートの方が対応に慣れていない……はず。
とはいえ、地が素直な性格でないアリスは、滅多に投げないストレートの成否に自身がハラハラしていた。
が――良くも悪くも、それはただの杞憂だった。
「え?うん。言ってなかったっけ?」
当の霊夢が事も無げに、あっさりと、紫との共犯関係を認めてしまった。
「――は?」と開いたアリスの口から、何かがスルスルと抜けていく。
「あぁ、やっぱりねぇ~。そんなことじゃないかと思ってたわ~」
「まぁこんだけ幻想郷全域に渡って騒ぎ起こすんなら調停者に話はついてるとは思ってたけど、いや共犯とはねぇ」
絶句するアリスを尻目に神奈子と幽々子も盛り上がっていた。
そこにはさっき感じた緊張感は皆無だった。
どうやら本当に、完全に、さっきのはアリスの気のせいだったようだ。
脱力した彼女には、知らされなかったことを追及する力も、関係者として紫の意図を聞く力もなく、とりあえず思ったことが口から出ていた。
「霊夢……アンタもっと緊張感持ちなさいよ……」
自分がバカを見た以上これだけは言わずにはいられなかった。
「しっつれいね。聞かれたことに答えただけじゃない。そんなん言われる筋合い無いわよ」
アリスは、ハァ~、と深く溜め息を吐いて、予想外過ぎた自白からどうにか頭を切替えた。切り替える際に感じた頭痛すらも気のせいであってほしかった。
「じゃあ聞くけど、紫がこんなコトしてる意図ってなんなの?あなたなら知ってるんじゃない?」
霊夢はアリスに向いていた目を正面へと戻し、お茶を啜った。上品な湯飲みからこれまた上品なお茶の香りが立ち上ぼる。
――本当にいいお茶ねコレ。私なら客には出さないわね。
霊夢の内心で関係のない感想が浮かんでいた。
「さぁ?……まぁぶっちゃけ知ってはいるんだけど、私からはコレしか言っちゃダメって言われてるからね」
目を閉じ、湯飲みを握りながら、極力突き放すようにして答えた。これ以上の質問を受けつけられない、という意味を込めて。
「――なるほどね。わかったわ。ありがとう」
「……思ったよりあっさりと引くのね。もっと食いついてくるかと思ってたのに」
アリスの引き際のよさに、霊夢は思わず再びアリスの方へと視線を戻した。
「まぁ口止めされてるのは想定してたしね。どのみち……やることは決まってたわ」
アリスが三人の方に向き直る。
厳密には、彼女から一番遠くにいる、このチームのリーダーの方へと。
「神奈子、お願いがあるの。今日の夜、私の自由行動を認めて欲しいの」
ここまで蚊帳の外だった神様は不意に名前を呼ばれ、お茶菓子を頬張りながら、「んぁ?」と気の抜けた声を上げてアリスへと視線を返した。とてもじゃないが、その姿に神々しさは無い。
「あぁ、別に構わないよ。チームったって名目だけだろうし。――なんか用事でもあるのかい?」
「えぇ、白玉楼――八雲紫を訪ねてくるわ。そこで全ての疑問を明らかにしたいのよ」
真っ直ぐに自分を見るアリスの視線から目を逸らすようにして空を眺め「ふぅん……」と、ぼんやりした言葉を呟く。
「……ま、好きにしな。私らは今日も動かない気だし。寝床も今日と同じトコを用意しとくよ」
「ありがとう。――じゃあ私は元々その許可を取りに来ただけだし、失礼するわね。また後で」
そう言ってアリスは縁側から立ち上がり、元来た廊下をスタスタと歩いていった。簡潔に用件だけを済ませて、慌ただしく去ってゆく。
――忙しい子だねぇ。この子も早苗と仲良くしてやってくれないかなぁ。意気が合いそうだけど。
その姿が廊下の角を曲がり消えていくのを見届けてから、神奈子はお茶に手をつける。
「“全てを明らかに”、ねぇ……目に見えるもの、見えないものの全てを知りたい、ってのも若さなのかしらねぇ~」
誰に言うでもなく、幽々子が呟いた。
「身内にもいるだけに、なんだか耳が痛い話だね……」
神奈子も相槌を打つ。今去っていった彼女の面影に、自分の所の巫女を重ねながら。
「まぁ知的好奇心が旺盛なことはいいことさ。もし失敗してもそこから得られるものも大きいんじゃないかな。――でも…………」
そこで一息ついた所に、幽々子が代わりに二の句を継いだ。
「みんな何も気にせず“お祭り”として楽しめないのかしらねぇ~」
言おうとしていたことを先読みして言われてしまった。
幽々子は、ねぇ?と小首を傾げながら微笑んでいる。良くも悪くも、相変わらずこの亡霊の嬢は、変な幽霊だった。思わず神奈子も笑ってしまう。
「――ちょうどいいわ。神奈子、私も今夜は山を離れるから」
不意に、霊夢がそう告げた。
「あれ?アンタもかい。アリスと霊夢が両方いなくなるんじゃ随分手薄になるねぇ」
「不味い?」
「いんや。なんとでもなるでしょ。それより、アンタは今夜何を?」
霊夢は相変わらずボーッと庭を眺めながら、お茶を啜る。
「……お祭りの裏方は忙しいのよ」
そう語る彼女の顔は、例のつまらなそうな表情を浮かべていた。
永遠亭・廊下――――――
「おはよー。昨日は盛り上がったわねぇ~。二日酔いとかしてない?」
「ん……あぁ、おはよう。大丈夫よ、そんなに呑んでないし。アナタとあの小鬼だけよ、あんなガバガバ呑んだの」
廊下でばったり鉢合わせた家主に、七曜の魔女は半ば呆れた声で挨拶を返した。
ここは月よりもっとも遠い屋敷、永遠亭。紫の企画した忘暇異変のために、この屋敷にも普段とは違うメンツが揃っていた。
それを象徴するかのように、普段なら予想できない二人が廊下で最初の挨拶を交わしている。
レミリア率いる紅魔館、神奈子率いる妖怪の山陣営とが、開始早々からチーム同士で丸ごとぶつかるという大戦闘が行われた昨晩、輝夜率いる永遠亭の猛者たちはと言えば……手に手に盃を持ち、盛大な宴会を開いていた。だから昼過ぎにもかかわらず、彼女たちの多くはまだ眠っていた。
特に飲ん兵衛の鬼と不死身の肝臓を持つ蓬莱人に付き合って、ガンガンに飲んだ妖精と河童と神様の三人あたりは完全にダウンしていた。当分起きてくることはあるまい。
「ふふん、不死人ナメちゃいけないわ。実際何回か死んだけど、すぐ再生するのよ?」
「そんな思いしてまでお酒呑む意味ってあるのかしら?百薬の長に殺されてれば、世話無いわね」
目の前で自慢とは思えない自慢を、控え目な胸を思いっ切り張ってまで披露する輝夜のことを、パチュリーは眠たそうな半目で見つめた。ちなみに彼女は眠くない。これはただの癖だ。気だるくも無い。呆れる気持ちは、少しあった。
「ところで、一晩過ごしてみてどうかしら?永遠亭は」
「……いい所ね。昼間でも不必要に明るくない所なんか好ましいわ。これで図書館があれば文句無しね」
「ふふ、紅魔館の食客だけあるわね。判断基準が吸血鬼寄りよ」
「日の光は本に悪いから好きじゃない。髪も痛むし」
輝夜が口に手を当ててクスクスと笑った。こういう動作のひとつひとつに育ちの良さを窺わせるあたり、月の姫君だったという話も頷ける――が、お酒を飲んでいる時の彼女はそれを感じさせない、実にあけすけな印象だった。
おかげでこのチームの面々は、輝夜が高貴な方であるというコトは、思い出さなければ忘れてしまいそうだった。
「ウチにある本と言えば薬学のものばかりね。私にはサッパリ。あとは……月の都にあった道具があるくらいかしらね」
「あぁ、昨日話してた物ね。後で見せてもらうつもりだったわ」
「じゃあついでだし、今案内しちゃうわ。こっちよ」
そう言って輝夜は回れ右で、元来た廊下を歩き始めた。彼女の背中へとパチュリーも黙ってついてゆく。
昨日も多少歩いてみたが――この屋敷は広い。そして、ややこしい。廊下は様々に繋がっており、襖を開けて部屋を突っ切ろうにも、出る所を間違えれば即迷子だ。
個性を無くしてある各部屋の入り口、同じような風景が続く廊下は、まるで竹林の中を歩いているようだった。日一日と間取りが変わっていてもおかしくないとすら思えた。
このややこしさは、明らかに“外敵用”である。住むだけならこんな仕様にする必要が無い。
ここで対象となる侵入者は誰なのか、そこまではパチュリーには解りかねたが。
「ところで……昨日あなたに話したコト、覚えてる?」
前を歩く輝夜がそのままの姿勢で尋ねた。後に続くパチュリーからは無論、その表情は窺えない。
「――あぁ“アレ”ね。覚えてはいるけど……実現可能性は低いと思うわ」
興味深くはあるけどね、と呟いて締める。
昨晩の酒の席で語られた輝夜の話。ただの月の都の道具自慢かと思い、パチュリーはお酒を飲みながら話半分に聞き、話半分にだけ覚えていた。
「そう……ね。あなた一人じゃ厳しいかもしれないわ。でも、“このチーム”ならできる」
相変わらず前を歩く輝夜の表情は見えないが、その口調は強く、断定的なものだった。
話自体はなかなかに興味を引くものであったこともあり、そこまでの自信の訳が気にもなったが――――
果たして、そんなことができるかしらね。
そう考えているうちに、前を歩く輝夜の足は止まっていた。
「着いたわ。ここが道具の保管室」
立ち止まった二人の前には大きな扉。そしてそれが、ギギギギィッ、と軋む音を立てて開かれていく。
――この屋敷にもメイドが必要ね。
口には出さず、パチュリーは心の中で呟いた。
「ちょっと埃っぽくてゴメンね。えぇっと――あ~…………あ、あったあった。これこれ」
「これ……どっちかって言うと、外の世界のモノみたいね」
「外の世界にある程度のものなら、月の都には溢れてるわ」
「ふむ……まぁ確かに、これがあれば雛型は取れるかもね。あとは――――」
「協力者が要るわね。それも昨日ぼんやり話した通り。あの二人あたりが適任じゃないかしらね」
「――そうね。このメンツだとそうなるかしらね」
頭の中で様々なピースを組み合わせる。魔術式、方程式、人数関数、最大効用――完成型はすでに想定済み。あとはそこに辿り着く過程と工程。
思い浮かぶ可能性を取捨選択してゆく。紅魔の頭脳が、全回転していた。
「どうにかなりそうかしら?できれば今日使いたいんだけど」
「それはまたなかなかシビアな……まぁここまでが出来ているんなら、早い段階で試験機くらいは作れそうね」
「とりあえずはそれでいいわ。あると面白いな、くらいの物だし」
「じゃあ、あの二人に相談ね。起きてるかしら」
変わらない早口でそう呟き、パチュリーは踵を返して保管庫を後にする。
普段の彼女よりかは幾分動きが軽い。思い浮かんだ理論構想を実践に移したい……彼女の研究者的側面が歩みを軽くしていた。
パチュリーが去った後、ひとり残された輝夜は誰に言うでもなく呟く。
「……これで予定通り行けそうね」
再び、ギギギギィッ、と鈍い音を立てて、大きな扉が閉じる。
to be next resource ...
パチュリーはまたロケットか何か作るのかな?
パチェにはちょっと工作してもらいます。