注)過去の秘封SSとのつながりは特にありません
「やっちゃった……」
理性は失っても記憶はしっかりと残っていて、どうも昨夜は、そういう厄介な酔い方をしてしまったらしかった。酔いつぶれるか、もしくは何も覚えていなければ、まだ多少は気が楽だったかもしれないのに。
「夢じゃない……わよね……」
ベットに体を起こして嘆く蓮子は、全裸だった。そして、蓮子の隣でスヤスヤと心地良さそうに眠るメリーもまた、全裸だった。ほっそりとした肩口と鎖骨が、ふとんからはみ出ている。すでに朝の気配がしているが、カーテンを閉め切った部屋は薄暗い。メリーの金髪は枯れかけた花びらのように暗がりでくすんでいた。
メリーを起こさないように気をつけながらそっと布団をめくって体を確認する。やはり、全裸。
昨晩の記憶とも、何もかもが合致する。
聞きなれないメリーの上ずった声や触れ合った肌の暖かさ、それら一つ一つがはっきりと思い返されて、後悔の針が蓮子をチクチクと刺してまわる。
「私って最低……」
両手で顔を覆って、現実から暗闇に逃げた。ぐにぐにと顔面をこねくりまわすと、おたふくになった口もとから、
「ふぐぅ」
と、溜め息とも呻き声ともとれない情けのない音が漏れた。
ありていに申せば、蓮子は酒にのまれ、その勢いでメリーにせまった。そんな醜態をさらしておいて今更なのだが、蓮子としては同性とそのような行為に及ぶことは、今はまだ不本意である。嫌悪、というほどではないが、まだどうしても背徳感を得てしまう。
こういうことは、もっと気持ちが成熟して心から喜べるようになってからにしたかったのに。
「はぁ……」
がっくりと首を落として、大きく溜め息を吐いた。その一呼吸で頬がひどくこけたようにさえ感じる。
一方でメリーの寝顔にはいっさいの苦悩は見えず、むしろいつもより幸福感に満ち溢れているようにさえ思える。まぁ、メリーにとってはそうなのだろう。むしろこうなることを待ち望んでいたはずだ。メリーは蓮子とは違い、世間と少し異なる自分の性価値観にしっかりと適応している。ああ妬ましい。涙の跡だとか、そういう不幸の痕を見せられるよりは随分ましなのだが……。
「……とりあえずお風呂はいろ」
現実逃避。
ベットからのそのそと這いずり出て、そこで部屋に漂う悪臭に気づいた。顔をしかめるほどに酒臭い。自分の体臭が酒臭いのかもしれないが、ともかく、女の部屋の匂いではなかった。郷里の両親が今この部屋を訪れたなら、さぞ嘆くことだろう。いや、そもそも裸の女性とベットにいるところを見られなんぞしたら……。
「もうっ。こんな時にお母さんとお父さんのことなんて考えないでよっ」
己に毒づきながら、換気のためにベランダの窓を開ける。外から見られないように、カーテンの陰から手だけを伸ばした。
カロカロカロ……、とすべりの良い音を立てて、窓が開く。とたんに朝の涼しい匂いが部屋に流れ込んでくる。隙間から覗くと、春晴れの、気持ちの良い空の青さだった。眩しすぎるコントラストに瞼をいくらかすぼめる。
ちゅんちゅん――
朝スズメの、心を透く耳ざわりのよい鳴き声。
けれど、それらがせっかく気分を癒してくれたのに、流れ込んだ外気による気温の変化をあらわになったお尻に直接感じて、自分は全裸で何をしているんだろうか、という情けなさに襲われ、そそくさと風呂場へ走った。
熱めのシャワーを浴びながら、蓮子はふと壁かけ鏡に目をやった。髪の毛が張り付いてセミロングなお岩さんみたいになった自分がこちらを見つめている。その首筋に、大きな虫刺されのような赤い点があった。
「ん?」
鏡に近づいて、しげしげと観察する。昨日まではこんな跡は無かったはずだ。
ほどなくして蓮子はそれの正体に思い当たった。
「まさかっ」
慌てて胸やお腹をさぐる。するとやはり、おへその下あたりに、まったく同じポチリがあった。もしかすると背中にもついてるかもしれない。
「もぉ~っ、メリーのやつ!」
蓮子は怒りと気恥ずかしさの突き上げをくらって歯軋りをした。
湯船につかってアンニュイな気分で三角座りをしていると、思いがけず、また赤い点を見つけてしまった。足の付け根の内側の、ぎょっとしてしまうような場所にそれはあった。
「信じらんない」
もうほとんど声にもならずただ唖然として口をパクパクさせるだけで、力みすぎた顔面が見る間に赤くなっていった。湯船に顔を突っ込んで、破損した酸素ボンベのように盛大に泡を吹いた。
これじゃうかつに人前で着替えもできゃしない!
もっとも、運動系サークルに属しているわけでもない蓮子にとっては、人前で肌を露出させるなんて限られたシチュエーションでしかありえないが……。
蓮子はハッとした。
「メリーにマーキングされちゃったんだ……」
この体はすでに私の物だと、他者に示すためにこんな痕を残したのではなかろうか。熱に浮かされた脳は暴走気味にそんな妄想をしてしまっていた。
蓮子が風呂場からあがるとメリーはすでに起きていた。寝起きのぼんやりした顔でベットに腰掛けている。脱ぎ散らかしてあったシャツを適当に羽織ったらしい。
ワンルームの手狭な間取りだから、洗面所からでるとすぐにその姿が目に止まった。
蓮子は部屋の入り口で立ちすくんだ。音で気づいてメリーが振り向いた。
公正に考えると、昨晩の出来事はメリーにも原因があるような気もする。蓮子が泥酔するほど酒をあおったのは、メリーが口にした、とある挑発のせいだ。とは言え、酒にのまれてメリーを押し倒したのは蓮子なのだし、どんな言葉をかければよいのか、さっぱり分からなかった。
数秒間無言で見つめ合った後、先に口を開いたのはメリーだった。
「おはよう蓮子」
メリーの痰の混じった笑み。拍子抜けするほどいつも同じ調子の寝起きの挨拶だったが、今はそれがかえって奇妙に思えた。
メリーは喉を鳴らして、立ち上がる。
「お風呂にはいったら、朝ごはんを食べに行こう?」
「え、う、うん」
蓮子と入れ違うように、メリーは風呂場に向かった。
「あ、そうだ」
とすれ違いざまにメリーがいった。
メリーは自分の首筋をトントンと叩いて、いたずらっぽく笑った。
「絆創膏を貼ったほうがいいわよ」
「へ?」
数瞬後、その意味に気づいた蓮子は癇癪を起こして自分の肩にかけていたバスタオルを投げつけた。
メリーはそのバスタオルを器用にキャッチして、くすくすと笑いながら、そのまま風呂場へ消えていった。
「ちょ、ちょっとバスタオル返してよ!」
「使わせてもらうわ」
「な……っ」
二人で同じバスタオルを使うなんて、なによそれ!?
きちゃないとかばっちぃという以前に、別種の意味を考えてしまっている自分が耐え難いほどに恥ずかしい。
やけくそ気味に上着を身に着けて、カーテンを全開にした。明るい陽の光が部屋の隅々まで満ちる。けれど、心に漂う靄がその光を散乱させてしまって、蓮子の気持ちはまだぼんやりしたままだった。
マンションのすぐ近くに朝バイキングをやっているファミレスがある。泊りがけの朝食の定番だ。その短時間の道すがら、蓮子は言葉少なげに、昨夜の確認をした。
昨晩の出来事はやっぱり現実で、夢ではなかった。
「怒ってるメリー?」
「ううん。そんな事ないわよ」
「……っていうか喜んでる?」
「さぁ? どうかしらね」
と答えるメリーの足取りは軽く、どんよりとした蓮子の雰囲気とは違い、朝の清冽な空気に溶け込んでいる。そんなメリーを横目に見ていると、昨晩の出来事に否定的な自分が、なんだか申し訳なくさえ思えてしまう。
蓮子だって、いつか迎えるであろうメリーとの特別な時間を大切に思っていた。それは男勝りな蓮子に残された貴重な乙女心だ。だからこそ、こんなふうに初めての夜を終えてしまった事が、悔しい。
いつもは美味しい朝食の味も、今朝は何の喜びも与えてくれなかった。
「蓮子にとって、あれはイレギュラーな出来事だったのよね」
食事を始めてもいっこうに回復しない蓮子の様子を見かねたのか、メリーは辛抱強い上司のような苦笑いを浮かべ、慰めてくれた。
さっぱり味の分からないスクランブルエッグを喉の奥に流しこみながら、蓮子は俯きがちにうなずいた。
「蓮子が無かった事にしてほしいと言うのなら、そうするけど?」
そう言われると今度は、心の奥底から気持ちの悪い触手が伸びてきて、首を縦に振ろうとする己をがんじがらめにする。昨晩、蓮子に酒をあおらせた不快感がこれだ。心の中の右と左で自分自身がどうにも一致しないのだ。煮え切らない自分に顔をしかめる。
メリーはそんな蓮子の様子を楽しむかのように、小悪魔的な笑みを浮かべ、くるくるとフォークにパスタをまいた。
「ふふ」
しびれた足をわざと突くような、忌々しい微笑み。
だが一方で蓮子は、メリーがそうやって笑ってくれる事に安心を得てしまっていた。メリーが蓮子に愛想を尽かした時、その笑みは消えるのだろう。
例え僅かな可能性であろうとその想像はとても恐ろしくて、蓮子は確認せずにはいられなかった。
「で……結局どうするのよメリー。告られた相手とは、つきあうの?」
と、白々しい何気なさで問いかける。これはメリーを馬鹿にしている質問だ。答えは明らかなはずなのに。
けれどそれを聞かずにいられないのが今の蓮子なのだ。メリーに安心させてほしい。蓮子はまた酒をあおりたくなった。そんな自分が浅ましくて、情けない。
昨晩、メリーがゼミの同輩に告白されたと聞いて、蓮子は心持を悪くし、酒を言い訳にして自分の気持ちを鼓舞してメリーに襲いかかり、今朝それを後悔したばかり。
「うーん、そうねぇ。蓮子はどうしてほしい? いつまでも一人身なのは寂しいし、つきあってみるのもいいかな?」
メリーがそニヤニヤと笑った。それが蓮子のカンに大いにさわった。
――やっぱり悪いのはこの性悪女だ!
メラメラと怒りが燃え上がる。蓮子の葛藤を何もかも知った上でメリーはそんな事を言うのだから。
昨晩もそのせいで二人の思い出が台無しになったのに、この期に及んでそんな意地悪をするメリーが許せない、という気持ちがある。
蓮子はカッとなって叫んだ。
「素直に恋人になってあげられなくて悪かったわねぇ!」
テーブルを叩いて蓮子は叫んだ。
突然の怒鳴り声にぎょっとするメリー。他の客やウェイターもまた、一体何事なのかと二人に目を向けた。
「しかたないじゃない! 私は自分がバイだって事を、まだメリーほど受け入れられないの! メリーと出会って初めてそのことに気がついたんだから! まだ気持ちが整理できてないの! そりゃ、いつまでも待たせて悪いけど……そんなにいじめなくてもいいでしょ!? 私がちゃんとメリーを好きなの知ってるくせに!」
「ちょ、ちょ、蓮子!?」
メリーは降り注ぐ周囲からの視線に、逃げ場を失ったハムスターのごとく小刻みに慌てふためいた。が、蓮子はもはやそんなことお構いないしだ。恥ずかしいだとかモラルだとか、そんな意識はとうに激情に押し流されている。
蓮子はいきり立って、テーブルの対面に座っていたメリーの背後に回りこむ。
「れ、蓮子? 何を――」
蓮子はメリーの髪をたくし上げ、あらわになったその首筋に吸い付いた。
「え、ちょ、ちょっと!?」
そのまま、店内に響き渡るほどのあからさまな音を立てて、ちゅぅぅぅぅぅっと全身の力を全開にしてメリーの皮膚を吸った。
「ひゃあああああ!?」
逃れようと暴れるメリーの体を背後から椅子ごと押さえ込む。ガタガタと椅子の足が跳ねて床を蹴る。
客もホールのウェイターも、呆然としてその珍事を眺めていた。中には好奇の視線を向ける者もいる。
存分に吸ってから、ちゅぽんっ、と音をたてて唇を引き剥がした。
「あ、あ、ああ……」
メリーは腰が抜けたように放心して椅子にへたり込んでいた。その肩口には、今朝蓮子が風呂場で見たのと同じ、赤いポチリが浮いている。
蓮子はその痕に獣めいた満足感を得た。
ベリッと己の首の絆創膏を剥がす。そしてそれを、メリーの首筋に貼り付けてやった。
顔を真っ赤にしたメリーに引きずられるようにして店を後にした。会計をしたウェイトレスの下世話な視線に、メリーは必死で眼をそらし、蓮子は挑むようにガンを飛ばした。
だが帰りの道すがら、涼しい朝の風に頭が冷えたのか、蓮子はだんだん、またやってしまった! という自責の念にかられるようになった。
隣を見ると、メリーは微妙な距離を保って、首筋の絆創膏を隠すように手をあて、しゃかしゃかと世話しなく歩みを進めている。表情は強張っているが、頬は火照っていて、視線は食い入るようにちょっと先の地面に向いている。何を考えているのか読み取る事は難しかった。マンションに戻るまで、一切の会話は無かった。
部屋に戻って、蓮子はまずメリーに怒鳴られると思ったのだが、意外にもメリーはすでに落ち着いていた。
「もぉ、馬鹿なことして……」
と、化粧鏡に向かって、首筋のキスマークを確認している。
むしろ怒鳴ってくれたほうがよかったのだ。メリーが冷静でいると自分の愚かさがかえって浮き立ってしまい、蓮子はベッドに突っ伏して、また後悔の海に溺れていた。
「うう、もうあのお店に行けないよぉ……」
枕に顔を押し付けて呻いていると、メリーが乱暴にベッドに腰を下ろして、ボスンと蓮子の体が跳ねた。
「あーあ、便利なお店だったのに」
「……イジワルしたメリーが悪いんだもん」
「ま、蓮子さえ覚悟を決めてくれれば、私はまた行ってもかまわないけど」
メリーの声がだんだんと耳もとに近寄ってきていた。
「お返しよ」
どこか艶やかなその声は、もう、蓮子のほとんど耳元で囁かれた。うつ伏せになっている背中に、メリーの胸の柔らかさが押し当てられる。
と、蓮子の首筋のあたりに、メリーが唇を当てた。そしてそのまま吸われる。吸引感がこそばゆくもあり気持ち良くもある。キスマークが重ねがけされていく。
「……最初につけたはメリーじゃん」
蓮子は抵抗しなかった。今までならば、首筋に口づけなんてされようものなら慌てて飛びのいたものだったが。昨晩以来、二人の境界が少し曖昧になったのか。
ぷぁっ、とメリーが唇を離した。
「じゃあこれは、お返しのお返し」
それからお互いの首に絆創膏を貼りあいっこした。
「三歩進んで二歩下がる。まぁけど、一歩前進」
メリーが機嫌良さそうにそう言ってくれたので、蓮子は安心した。
畜生…!その店に居てその現場に居合わせたかった…!
大学生ぽさが良い。
まあその辺りはメリーがフォローすればいいのか。
蓮メリはゾーン外だったけど結構いいかも・・・
このちゅっちゅはいい・・・