カリカリとペンの走る音が耳に届く。
外は寒気が真上を通過し、冷え込む気温と生憎の空模様。
こんな日でも、あの白狼天狗の犬走椛は哨戒の仕事なんだから、なんともまぁご愁傷様である。
カリカリカリカリと、ペンが舐めるように紙上を走る音は止まない、止まらない。
ハァッと、今ごろ仕事だろう椛と同じように、自分の机で仕事に熱中する彼女に視線を向けてため息をついた。
「文ー、そんなことしてないで遊ぼうよー」
「うーん」
これである。
私の言葉に肯定で返事こそするものの、そのくせペンの握る手は止まりゃしない。
せっかく、後輩の姫海棠はたて様が来てあげたっていうのに、彼女は私の言葉なんて半分も聞いちゃいないのだ。
そりゃ確かに、千年以上生きた射命丸文にとって私なんかとるに足らぬ存在かもしれないが、少しぐらい人の話を聞いてくれたっていいじゃないか。
「おーい、文ー、遊ぼうってば。暇だよー」
「うーん」
「さっきからそればっかりじゃない。遊ぼ?」
「うーん」
「……ねぇ文、実は全然聞いてないでしょ」
「うーん」
こんにゃろう!? やっぱ聞いてないわこの鴉天狗!? 私も鴉天狗だけどね!?
そう、アンタがその気なら私にだって考えがあるわよ!
クツクツと怪しい笑みを浮かべる私を見れば、悪巧みしていることなんてすぐにわかることだろう。
しかしやしかし、仕事に熱中したまま私の言葉も右から左な文はそれに気付くこともないわけで。
そう、これは私を無視する文にたいする、ささやかな復讐なのである。
「ねぇねぇあややー、最近体重増えたんじゃない?」
「うーん」
案の定、彼女は先ほどと同じように適当な相槌と共に肯定。
ニヤニヤと表情を歪めたこちらに気付きもしないまま、彼女は相変わらず新聞の下書きに夢中だ。
携帯カメラのマイク設定を入れて、さて、ここからがはたてさんの本領発揮だ。
私の巧みな話術で、文のはずかしーい肯定を赤裸々に記録してあげるわ!!
「えー、コホン。文、今日の下着って黒でしょ?」
「うーん」
「ふふ、そっかー。そういえばこの前巫女に負けたって本当ー?」
「うーん」
「あはは、そっかー。プライドの高い文には恥ずかしいよねー! あはははは……は、は……」
上がっていた哄笑は段々と小さくなり、そして小さく、ため息を一つ。
アホらしい。こんなことしていったい何になるって言うんだか。
冷静に考えてみれば非常に虚しい自分の行動に、もう一度呆れたようにため息をつくと、携帯カメラのマイクを切ってデータを削除。
相変わらず文は仕事に夢中だし、人の話なんて聞いちゃいない。
せっかく文の家に来たっていうのに、私のことなんか見向きもしてくれない。
そんなの、寂しいじゃんか。
そりゃ確かに、勝手に押しかけたのは私だけどさ。
好き好んで彼女の傍にいるのは、他でもない私なのだ。
だから、こんなことを思うのは間違っているのかもしれないけれど。
少しでいい。仕事をしながらでもいい。私のことを、見て欲しい。
我ながら、身勝手な考えではあるけれど。
「ねえ、文。私のこと好き?」
「うん」
「私のこと、友達だと思ってくれてる?」
「うん」
相も変らぬ生返事。心ここにあらずな、アテにならない肯定の言葉。
今の彼女には、新聞のこと意外に頭にない。
真剣な眼差しは、いつものおちゃらけた様子なんて微塵も見せずに、ただただ書き上げた字面を追っている。
こうやって新聞を作っているときの彼女は、まるで仕事のできる大人の女みたい。
凛々しい横顔を眺めながらそんなことを思って、いつもの文の適当な内容の新聞記事を思い出して苦笑する。
そんな記事がいい加減な文の新聞の最大の魅力は、なんと言っても彼女が撮影した写真だ。
見るものを引き込む強烈なインパクトを残す写真。誰もが感嘆とするような、まるで今にも動き出しそうな繊細な写真。
自分の能力にかまかけて、引きこもっていた私を外に連れ出した写真。
あぁ、そうだ。私は文の写真に見惚れたんだ。
彼女の写真に、心を奪われた。
それまで接点なんてほとんどなかった私たちは、私が彼女の写真に惚れ込んだことでライバルとなった。
他に友達なんていなかった。いらなかった。自分の家に引きこもって、能力で写真を取って、ただ黙々と新聞を作っていればよかったのに。
そんな私の心を、彼女の写真は二度と離さぬと鷲掴みにしたのだ。
ダブルスポイラー、なんてよく言ったものだ。
本当は彼女の写真に惚れ込んだくせに、挑発的な物言いで誤魔化した。
写真はいいのに、記事が適当でもったいないという言葉は本心だったけれど。
でも、彼女と競い合うことがこんなにも――嬉しいと、そう思ったんだ。
「ねぇ、私は――」
声にしようと思った言葉は、けれどもドンドンッというノックの音に遮られた。
誰かに聞かれたはずもないのに、ビクリと背筋を伸ばしてしまったのは条件反射か。
恐る恐ると玄関に視線を向けると、ドンドンドンとノックの音がなり続けている。
「文さーん、開けてくださいよー。お酒持ってきましたよー」
「……? あやや、椛?」
……なんで椛の声にはすぐに反応するのよ。
あの白狼天狗の声を聞いた文はすぐに仕事をやめ、玄関のほうに足を向ける。
自然と、私の顔も険しくなるけど、仕方ないじゃない。
なんなのよ、私のときは適当な相槌しか打うたなかったくせにさ。
「……どうしたのよはたて、むくれちゃってさ」
「べーつに」
プイッとそっぽを向けば、彼女は不思議そうに首をかしげた。
こっちが何故不機嫌なのかわからないようで「変な子ねぇ」なんてのたまいながら、のんびりとした足取りで玄関に向かっていく。
うっさいなぁ、そんなの私自身が重々承知だって言うのに。
そんな風に不貞腐れていた私を放って玄関に向かって行く最中、「あぁ、そうそう」と文は言葉を紡ぎ。
「心配しなくても、私はあなたのこと気に入ってるし、友達だと思ってるわよ」
なんて、そんな言葉をのたまってくださりやがったのである。
その言葉の意味を理解して、パクパクと青い顔をしながら文に視線を向けると、ニヤニヤとした彼女の顔があった。
つまり、何か。私の言葉は、あの言葉は、彼女に筒抜けだったということなのか!?
そんな呆然とした私に満足したのか、文は上機嫌に玄関のドアを開けた。
傘と酒を持った仕事帰りらしい椛が遠慮なく上がりこんで、つかつかと歩いたところで呆然としてる私と視線がかち合う。
「どーしたんですかはたて、アホみたいな顔してますよ」
「やかましいわよ!」
失礼なことのたまう椛に一括してみても、彼女は「やれやれ」とため息を一つ。
相変わらずマイペースなのは彼女らしいのだが、その反応はいささか失礼じゃなかろうか。
そんな椛の背中に、「えへへー」などとデレデレな文が抱きつくようにもたれかかった。
はぁっと、鬱陶しそうな椛のため息にも動じないのは、なんとも文らしい。
「文さん、鬱陶しいんで離れてください」
「やーだー、私と椛の仲じゃないですかぁー」
「……投げ飛ばしますよ?」
「うふふ、やれるものならやって――って、いたたたたたたたぁ椛ぃ折れる折れる折れるぅ!!?」
投げ飛ばすという言葉はどこへやら、椛は文の腕を捻りあげて圧し折らんばかりである。
まぁいつものことなんで大丈夫なんだろうけど。
「さて、酒も持ってきたことですし、はたても飲むでしょう?」
「まぁ、飲むけどさぁ」
「椛ぃー!? 私の腕が、腕が生き物として曲がったらいけない方向にぃー!!?」
「……その前に、離してやろうよ。さすがに折れるって」
私の言葉に、しぶしぶといった様子で了承して腕を解放する椛。
文は腕を押さえて蹲ってるけど、いつものやり取りだから心配は要らないだろう。
なんだかんだで文は頑丈だし、二人とも楽しんでやってる感すらある。
もちろん、私の気のせいかもしれないけど。
結局、文にはどこまで聞かれていたのだろう。
どこまでが、彼女の演技だったのだろうか。
わからない。わからないけれど。
――私はあなたのこと気に入ってるし、友達だと思ってるわよ――
でも、そんなのはきっと、些細なことなのかもしれない。
「……どうしました? 顔にやけてますよ?」
「何でもない何でもなーい。さ、みんなで早く飲みましょう」
不思議そうな顔をしていた椛に、誤魔化すように言葉にして酒をひったくった。
イマイチ納得していない風の椛だったけれど、特に追及する気も無いようでため息をついてちゃぶ台に座る。
早速復活した文も席に座って、もう仕事どころかすっかり宴会みたいだ。
とくとくと、用意された杯に酒が注がれる。
酌をする文の顔をちらりと盗み見てみれば、優しい笑顔を浮かべる彼女の姿があった。
それで十分。その表情が見れれば、私は満足だ。
クイッと、杯に注がれたお酒を煽る。
あぁ、今日のお酒は、こんなにも美味しい。
その理由は、多分きっと――彼女が、傍で笑っていてくれているからだと。
そんなことを。
彼女と会うまでは、そんな考えもしなかったことを。
それが、当たり前のように。
私は、心の底から思えたんだ。
>今の彼女には、新聞のこと意外に頭にない。
新聞のこと以外かな?
初めて米しますけど結構面白かったですよ。
これからも頑張ってくださいね。
あなたのザ・天狗の話は大好きです。どんどんふてぶてしくなっていく椛がたまらない。
この三人の関係は見ていてすごく癒されるので、もっともっと見たいです!
……再登場を期待しても・・・?