「泥棒に入られた?」
「はい……昨日」
早苗は今、博麗神社に建ててある分社の掃除に訪れていた。
せっせと働いた早苗を休憩に誘った霊夢は、思わぬ話題に難しい表情を浮かべる。
二人で縁側に腰掛けて、まずは揃ってお茶を一口飲んだ。同時にほぅっと息が漏れる。
ひとまず落ち着いたところで、霊夢が話を再開した。
「それで、何を盗られたのよ」
「お賽銭です。一応、鍵は掛けておいたんですけどね」
早苗が言う鍵とは、ごく普通の錠前のことらしい。
魔法や妖怪が当たり前に存在するこの幻想郷では、そんなものは殆ど意味を成さない。
こうして直接の泥棒被害を受けるまで、その辺りの認識が少し甘かったのだ。
「それは大事ね。犯人は?」
「分かりません。けど、お賽銭は見つかりました」
盗まれたお賽銭とみられるお金は、守矢神社の近くにたくさんばら撒かれていた。
その様子を見るに、恐らく犯人は妖精か何かだろう。暇潰しに使われたのである。
「そう。迷惑な奴もいたものねぇ」
「ですね。気紛れでこんなことされちゃ堪りませんよ」
その横で、早苗が大きな溜め息をついた。未然に防げなかった事を気に病んでいるのだろう。
霊夢としても、賽銭泥棒など他人事では済まされない話だ。
今回こそ金銭目当ての犯行ではなかったようだが、次もそうだとは限らない。
「使ってた鍵は壊されちゃったのよね。対策はあるの?」
「今のところ、注意しておく以上の方策はまだ……」
単純に考えれば、より強力な鍵を用意すれば良い話である。
魔法や怪力に対抗するのであれば、やはり魔法的な施錠が必須となる。
だが神道の技術には、施錠そのものに特化した術というのがこれといって存在しない。
封印結界を応用して手出しが出来ないよう工夫するものばかり。
それが早苗の頭を悩ませていた。あまり大袈裟に防護するのもイメージが良くないだろう。
もちろんそんなつもりはないのだが、相手を疑って掛かっていると受け取られかねない。
いまだ布教に尽力を続ける守矢神社としては、悪いイメージは可能な限り取り払いたいのだ。
対策に苦慮している旨の話を一通り終えると、早苗は空を見上げて口を噤んでしまった。
賽銭箱に防御結界を施すとしたら、どんな影響が出てくるだろうか。
昨日からずっと悩んできたのだろうが、今また頭の中を巡りだしたようだ。
霊夢は励ますように早苗の肩を叩いて、笑顔を浮かべて見せた。
「私のほうでも考えてみるわ。元気出しなさい」
「霊夢さん……ありがとうございます」
向けられた心強い言葉と笑顔に、早苗も明るい表情を取り戻す。
「いいって。神聖なお賽銭箱を守る為だもの」
「はいっ! 協力して良い手を見つけましょう!」
§
後日。
いつものように分社の掃除をしに来た早苗は、縁側に霊夢を見つけて声をかけた。
「おはようございます、霊夢さん」
「あー、おはよう。良いところに来たわね」
「珍しいですね、読書ですか?」
霊夢は眠たそうに目を擦りつつ顔を上げて、ちょいちょいと手招きをした。
それに従って隣に腰掛けた早苗は、横から霊夢の手元にある本へと視線を移す。
「……魔導書ですか?」
「んーん、参考書みたいなもの」
霊夢が読んでいたのは、魔法の施術方法などが記されたものだった。
本そのものが魔力を持つ魔導書とは全くの別物である。
「ちょっと紅魔館で知恵を借りてね。良さげな魔法を見繕ってもらったわ」
本から施術方法さえ学べれば、霊力を使って実践することが出来る。
霊夢と半分ずつ本を持ち、早苗も霊夢が読んでいたページに目を走らせた。
「えっと……施錠魔法かぁ。魔法には鍵を掛ける専用のものなんてあるんですね」
誰しもの生活に溶け込んでいるとは言い難い技術だが、効果が簡素なぶん見た目も控えめだ。
賽銭箱にさり気なく施されていても、結界に比べれば違和感を覚える者は少ない筈である。
「ええ。中でも簡単に使えて、なるべく頑丈で、見た目が良いのを注文したの」
そう言いながら、霊夢がページをめくる。そして、鍵の図が書かれた部分を指差した。
「私が特に気に入ったのが、ココ」
「何々……あ、本当に鍵の形になるんだ」
施錠時に鍵が物質化され、開錠時にはそれを用いると注釈があった。
確かにこれならば、多くの者が持つ『施錠』のイメージに近いだろう。
それでいて魔法ゆえの強度を持つのであれば、物質的な鍵の上位互換と言って差し支えない。
「どう、良さそうじゃない?」
「素敵じゃないですか。私も気に入りました!」
「よーし。じゃあやってみましょうか。それっぽい術式は、えっと確か……」
パラパラとページを戻しながら、目的の記述を探す霊夢。
早苗は本を支えながら、チラリと霊夢の横顔を見た。見るからに瞼が重そうだった。
「もしかして、徹夜ですか?」
「あ? あー、まぁね。紅魔館の連中、夜行性だから」
施術方法の確保だけじゃなく、本の必要らしい部分にアタリまでつけている。
結局、ここまでは何もかも霊夢一人で進めてくれたということだ。
早苗の方も色々と工夫を重ねてはきていたが、この魔法施術には敵うまい。
「すみません、結果的に任せっきりになってしまって……」
「半分は自分の為だし。一日も早くお賽銭を守ってあげなきゃ」
霊夢がページをめくる手を止めた。早苗も再び本へ視線を落とす。
そこには目的の術式とおぼしき記述が、長々と書き連ねられていた。
「これですか……んー。読み替え、要りそうですね」
「ん、そうね。このままじゃ何をどうすれば良いやら」
当然ながら、そこに書かれているのはあくまで魔法の術式である。
見たままを用いられる部分も多くあるが、魔力の扱いをする部分はそうはいかない。
霊夢と早苗が扱う技術とは別の系列であるため、相応の置き換えが必要なのだ。
しかし、二人とも魔法は全くの専門外。記述をすらすら読み解く事は叶わなかった。
「……霊夢さん。その、魔法の基礎的な教科書みたいなものは」
縁側からずりずりと部屋の中に入り、もう一冊の本を取ってくる霊夢。
同じくずりずりと戻ってくると、今にも力尽きそうなか細い声を出しながら早苗に本を託した。
「それ借りてきた。でもツラいの。それ読むのすごくツラいの」
「とりあえず、霊夢さんは寝てください。その間に、今度は私が頑張ります!」
「ありがと、お願い。起きたら手伝うから……あと布団敷いてくれると嬉しい」
「は、はい……いま準備しますね」
霊夢が布団からのそのそと這い出たのは、陽が南中してから更にしばらく経った頃だ。
「早苗ー……?」
「あ、おはようございます霊夢さん」
部屋の中では、早苗が机に向かってひたすら作業を続けていた。
挨拶を返す時も、早苗は手元の本から視線を外すことはなかった。
「あー……どれくらい寝てたかな……」
「三、四時間ですかねー」
「うー、六刻か……まだだるいなぁ」
「でしょうねぇ。徹夜したにしては早起きだと思いますよ」
一連のやり取りの間も、早苗の手は止まらない。
参考書をめくって指で追いかけては、紙へと書き写したり式を綴ったりしていた。
そして最後に、符を片手に持ったかと思うと短い詠唱を口ずさんで術式を展開する。
「おぉ。なんか魔法使いみたいよ、早苗」
「そりゃあ、魔法っぽいものを使ってますからね」
どうやら、神道の技術への置き換えは着々と進んでいるらしい。
淡く発光していた符から霊力を引き上げると、早苗は疲れたように溜め息をついた。
霊夢は四つん這いで早苗の近くまで移動すると、肩越しに紙の内容を確認した。
几帳面な字で、所狭しとメモ書きが成されている。
「で、どんな感じよ?」
メモ書きを追いかけるのを早々に諦めた霊夢は、早苗の肩を揉みながらそう訊ねた。
「だいたい終わった……かな? 霊夢さんの言う通り、術式自体は単純みたいです」
身体の力を抜いて、早苗は気持ちよさそうに目を瞑る。
霊夢が注文した、出来るだけ簡単という条件はしっかり満たされていた。
参考書と睨めっこしながらでも、思ったより短時間で置き換え作業が終わったのだ。
魔法技術から神道の技術へと変換すべき箇所が少なかったのも大きな要因だろう。
術式の文面を理解しさえすれば、その後の作業はそう多くはなかった。
「そっか、お疲れ様。結局全部やらせちゃったか」
「あ、そこいい……いえ、そもそもが自分の為ですし……ふぅ」
「よーしよし、お茶淹れて休憩しましょ。顔洗ったらすぐ準備するわね」
「はい。えっ、あ、肩もう終わりですか?」
さっさと離れて行ってしまった霊夢に残念そうな視線を向けてから、参考書を閉じる。
そして自分のメモ書きに改めて目を通すと、施術に必要な部分をまとめにかかった。
更に、別の紙に全く同じ内容を書き写す。言うまでもなく、自分と霊夢の分である。
程なくして、霊夢がお茶を用意して戻ってきた。
早苗の方も、結論となる術式を改めて書き出しただけなのですぐに作業が終わる。
「はいお茶」
「いただきます」
湯呑みを受け取り、入れ替わりに術式を書いた紙を霊夢に渡す。
そこには、符を媒体に用いた施錠魔法が記されていた。
もちろん、符術を扱う霊夢にとってすぐに理解、実践できる内容である。
「ふぅん、術自体は想像以上に簡単ね」
「はい。魔法知識のない私でも置き換え出来たくらいですし」
複雑な術式になれば、技術の置き換えが出来ない部分だって出てくるだろう。
もしかすると、参考書を見たところで理解できないようなものだってあるかもしれない。
「……これで本当に解けない鍵が掛けられるのかしら」
「さぁ……あとは実際にやってみるしか……」
導き出された術式の簡易さが不安を覚えさせる。
しかし術式の複雑さは、強力さや有用さに必ずしも直結しないのが常だ。
二人は賽銭箱の未来について話し合いながら、ひとまず休憩のお茶を楽しんだのだった。
休憩が終わると、二人は談笑しながら境内に出た。
「すっかり長居しちゃいましたね。分社の掃除は明日、改めてしに来ますから」
「分かったわ。じゃ、結果報告はその時に」
帰路についた早苗を見送って、霊夢は託された紙を見ながら符を取り出す。
そして、自分の賽銭箱へ向き直るとすかさず詠唱。施錠を開始するのだった。
§
早苗が守矢神社に帰ってきた時、二柱は揃って外出中だった。
部屋の書き置きには、間欠泉センターに用事が出来たので行ってくる、とあった。
二柱とも出向かねばならないとは、どうやら緊急を要する内容らしい。
本来、神社を無人にする事はないのだが、今回は止むを得なかったのだろう。
夕飯の支度までまだ余裕があるので、早苗は早速鍵を掛けてみることにした。
賽銭箱の前に立ち、術式を書いた紙と符を取り出す。
そして詠唱を始めようとして、ふと思いとどまった。
技術の置き換えをしてあると言っても、魔法を使うのは初めての経験だ。
いきなり大切な賽銭箱に挑戦して失敗しては、目も当てられない。
キョロキョロと辺りを見回すと、玄関先に取り付けた手紙受けが目に入った。
現世にいた頃は様々な郵便物を受け取っていたものだが、
幻想郷に来てからというもの、天狗の新聞を放り込まれるくらいの役割しかない。
万に一つ失敗したとしても、さっさと撤去してしまって問題ないのだ。
まずは練習とばかりに、手紙受けに駆け寄って詠唱を開始する。
符をかざすと、手紙受けを包み込むように霊力が送り込まれた。
早苗の手から符が離れ、霊力の中へと取り込まれていく。
やがて光は鍵穴の形に収束し、そこからにゅっと鍵が生えてきた。
媒体、この場合は符を再構成して出来上がったもののようだ。
早苗が鍵を引き抜くと、鍵穴は小さな模様として手紙受けに残った。
鍵を再び近付けると、反応して鍵穴が発光。すんなりと鍵を受け入れてくれた。
しかも、鍵を差したまま動かせば、鍵穴の位置を自由に調整できるらしい。
これなら、鍵穴の模様が目立たない位置に来るよう調整する事も可能だ。
想像以上の使い勝手に感心しつつ、早苗は鍵をひねってからゆっくりと引き抜いた。
念の為、手紙受けを開けようと手を掛けてみる。
どうやら上手く施錠できたらしく、力を込めてもビクともしなかった。
少しだけ考えてから、霊力を込めたアミュレットで小突いてみる。
ちょっとヘコむくらいの強さで殴ったつもりだったが、手紙受けは無傷だった。
この結果を見るに、霊力による保護もとりあえずは効いているようだ。
全力攻撃も試したいのは山々だったが、怖くて結局試せなかったのが残念でならない。
手紙受けもせっかく施錠したので恩恵に預かることにして、今度はいよいよ本命だ。
早苗は守矢神社の賽銭箱へとその足を向けた。
強度の確認はともあれ、施錠そのものが上手く出来た事に違いはない。
大切な賽銭箱にも、安心して魔法を掛けることができるというものだ。
符を取り出し、詠唱。
すると、先ほど出来上がった鍵が反応を始める。
先の手順通りであれば、符を鍵へと作り変える場面だ。
しかし今は、早苗が別の鍵を持っていたからだろうか。
符を取り込ませるより前に、賽銭箱に鍵穴が現れたのである。
手紙受けから作った鍵に反応しているのは明らかだったので、恐る恐る差し込んでみる。
そして鍵をひねってから引き抜くと、その場所に鍵穴の模様が刻まれていた。
何度か試してみたが、先に作ったこの鍵で賽銭箱への施術も完了したようだ。
手紙受けと同じように施錠、開錠を行うことが出来た。
「へぇ……便利」
想像していなかった機能に、早苗は感心したように独り言を漏らした。
施錠対象を増やしても、鍵はこれ一本で済むということだ。
これ以上なにかに鍵を掛けるつもりはないが、目的によって融通が効きそうである。
ともあれ、施錠は無事に完了した。
恐らくは霊夢の賽銭箱も、彼女の魔法によって同じく保護されたことだろう。
自分の術式解析が間違っていなかったことに安心して、早苗は鍵を懐に仕舞い込んだ。
§
明けて翌日、博麗神社。
分社の掃除を終えた早苗は、霊夢と一緒に休憩のお茶を頂いていた。
雑談の内容はといえば、もちろん施錠魔法についてである。
霊夢も早苗も、無事に術を掛け終えて一本の鍵を手にしていた。
それを見せ合うように机の上に置き、お喋りに花を咲かせている。
「なんだ。術者で変わるとか、別にそういうのは無いのね」
「でも、細かい所は違いますよ。ほら、この溝とか」
「鍵の見た目も自由に調整できれば良かったのにねぇ」
「あぁ。それはちょっと思います、私も」
「もっと言えば、鍵の形をしていなくても良いと思わない?」
「別の、というと……小物とかですか?」
「そうそう、あんたの髪飾りみたいのとかさ」
「良いですねー。普段から身に付ける物なら失くす心配も無いですし」
鍵の形を取るという点が気に入って選んだ魔法だった筈だが、
そのことはとりあえずどこかに置いておき、和気藹々と話し込む。
ひとしきり意見要望を挙げ連ねてから、霊夢は思い出したように手を打った。
「そうだ、あっちは試してみた?」
別に必要はないのだが、何故か先程までと比べて小声で話し始める二人。
「……強度?」
短く確認する早苗に、霊夢は何度も首を縦に振った。
早苗は答え辛そうに言いごもってしまう。
「えっと、私は……霊夢さんは?」
「やっぱりか……私も。小突くくらいはしてみたけど」
霊夢も早苗と同じく躊躇ったらしく、また早苗もそうだろうと予想していたようだ。
早苗としても同感と言う他に無かった。
「ですよね、それ以上はちょっと……」
「怖いわよねぇ……」
しんみりと頷き合ってしまう霊夢と早苗。
「あ、でも、ある程度の強固さがあればそれで良いと思いますよ!」
声のトーンを明るいものに戻して、手を合わせる早苗。
早苗の言いたいことが分かったらしく、霊夢は『まぁねぇ』と相槌を打った。
施錠を無理矢理に突破しようとすれば、相応の力を使うことになる。
そんな力を発揮すれば、よっぽどの事がなければ気付くことが出来るだろう。
「早苗んトコは誰かしら常駐してるから、これで完璧だろうけどさ」
「ふふ、基本的にはそうですね。今まさに、例外発生中ですけど」
「え? 今、そっちに誰も居ないの?」
早苗が外出していても、守矢神社には二柱が居る。
その事を知っている霊夢は、珍しい事もあるものだと驚いた。
「お二人とも間欠泉センターに缶詰なんです。指揮とか改造とかで忙しいみたいで」
実際、昨日からずっと出ずっぱりだ。
詳しい話は帰ってきたら教えて貰えるだろう。
「あいつら……今度はいったい何をしでかそうというの……」
「大丈夫ですよ、あまり変なことは起こらないと思います。たぶん」
高まりつつある霊夢の霊力に苦笑し、早苗が宥めにかかる。
非想天則の騒ぎの時、早苗は二柱にもの申していたのだ。
具体的には、非想天則の存在を事前に教えてくれなかった、とネチネチ突っついた。
「何をしてるか分かったら、霊夢さんにもちゃんと教えますから」
「そう? 頼むわよ、もう……あ」
不満そうに早苗の顔を見てから、霊夢はあることに気が付いた。
「神社が無人なのに、ここで遊んでて良いの?」
「う……買い出し行って、すぐ戻ります。はい……」
§
買い出しを終えた早苗は、荷物を抱えて博麗神社へと戻ってきた。
先程は、霊夢の尤もな突っ込みにそそくさと退散してしまった訳だが、
あまりにそそくさし過ぎた所為か大切な鍵を忘れてきてしまったのだ。
見せ合いっこをしてそのままなので、霊夢が気付いて取っておいてくれているだろう。
それにしても、こうも早々と忘れ物にしてしまうとは。
慣れない持ち物だというのを差し引いても、なかなかの間抜けっぷりだ。
場所が友人の家ということもあってか、気を抜きすぎていたようである。
「すみませーん、霊夢さーん」
呼び掛けてみたが、返事がなかった。
引き続き名前を呼びながら縁側や部屋の中を覗いたが、霊夢の姿は見当たらない。
出掛けてしまっているらしい。家捜しをする訳にもいかず、早苗は大人しく帰路についた。
今すぐに使うものでもないし、鍵の回収は後日になっても大丈夫。
のほほんとそんな事を考えつつ飛び、妖怪の山が近付いてきた頃。
守矢神社の方から飛んでくる、やたら目立つ紅白色の衣装が目に飛び込んできた。
「霊夢さーん! さっき寄ってきたところなんですよー」
「お、早苗。一刻ぶりね」
早苗を見るや否や、にこにこと妖しく笑う霊夢。
明らかに、早苗の用件に気が付いているのが見て取れた。
「はい、最近ぶりです。あはは……」
うっかりをやってしまった早苗は苦笑しきりだ。
「私を探してたのね。例のブツについてかしら?」
「ええ、そうです。ついでに、良いお茶っ葉が手に入りましたよって伝えに」
そう言って、抱えた荷物からチラリとお茶を覗かせる。
霊夢はいっそう妖しい笑顔を浮かべると、わざとらしく腕を組んだ。
「それは楽しみね、明日から早苗が来るのが待ち遠しくなるってものよ」
「そうでしょうそうでしょう。それで、私の鍵は……」
早苗の問いでおどけるのを止めた霊夢は、守矢神社の方を向いて真面目に回答する。
「ごめん早苗。たった今、あんたん家に置いてきちゃったわ」
「え、わざわざ届けに行ってくれてたんですか。すみません、お手数かけて」
「ちょっと出掛ける用事ができたからついでに寄っただけよ」
霊夢に感謝しつつ、早苗は荷物を抱え直して微笑みを向けた。
「でも、忘れたのが霊夢さんのところで良かった。他じゃあこうはいかないですよね」
「ヘラヘラしない。こんど忘れてったら私物化するからね」
ピシャリと叱られて縮こまる早苗。
すみません、ともう一度謝ってから、何かに引っ掛かりを覚えて首を傾げた。
「あれ? 神奈子様も諏訪子様も地下に詰めてる筈ですけど……」
いま、守矢神社には誰も居なかった筈だ。
霊夢は事も無げに頷くと、さらりと答えを返した。
「手紙受けがあったから、その中に入れてきたわよ」
「あ、そうでしたか……え?」
一瞬にして、早苗の顔色が変わった。
こわばった表情を浮かべた早苗を見て、霊夢は慌てて付け加える。
「大丈夫だって。鍵はちゃんと結界まみれの護符に包んできたから」
不届き者が持ち去ろうとすれば、防御結界が発動してくれると霊夢は言う。
「どうしよう霊夢さん……」
「ん、なにが」
しかし、早苗が問題視しているのは霊夢の結界の信用度ではない。
「手紙受けも……その、鍵が……」
「…………えっ?」
顔を見合わせていた二人は、全く同時に守矢神社の方を見やる。
もう一度お互いの視線を絡ませてから、跳ねるように飛び出していった。
§
その日の夕方、霊夢と早苗は揃って紅魔館の大図書館へと足を運んでいた。
目当てはもちろん、魔法施錠の本を貸してくれたパチュリーその人である。
「……注文通りよ? 簡単、頑丈、見た目良しで」
「ええ、文句なし。あんたの見立ては確かだと思うわ」
「あれ。たった今、文句を言いに来られたのは気のせいなのかしら」
「文句というか、救援要請というか……とにかく、お話を聞いて頂けないでしょうか……」
慌てて守矢神社に舞い戻った二人はまず、魔法施錠そのものの解除を試みた。
しかし、結果は上手くいかず。早苗自身でも取り消す事が出来なかった。
「私自身では解除出来なくなってしまっていて……」
「そりゃあね。施錠状態で術の取り消しを受け付ける魔法の方が少ないわよ」
魔力の性質を模倣する事は、決して実現不可能な技術ではない。
そういった模倣魔力に代表される、施術者を誤認する可能性を廃するためだ。
パチュリーはさらりと答えを返し、あの本にもちゃんと書いてるけどね、と付け足した。
次に霊夢の発案で、手紙受けにもう一度魔法をかけて鍵を再生成する方法を試した。
しかし、出来上がった鍵を使っても開錠することは叶わなかった。
「手応えはあるんですが、結局鍵が掛かったままで……」
「まぁね。そうしたって施錠が二重になるだけだもの、当然じゃない」
この魔法施錠における鍵は『施術者』と『施錠対象』の双方を参照して生成される。
その際、対象の部分は『施錠されていない状態』をきちんと判別しているため、
例え施術者が同一であっても『施錠された状態』から生成する鍵と違うものが出来てしまう。
パチュリーはさらりと答えを返し、あの本にもちゃんと書いてるけどね、と付け足した。
これで二人に残された手段は、手紙受けを施錠ごと破壊することだけだ。
だが魔法施錠の強度はなかなかのもので、霊夢や早苗が適当な力で攻撃しても効果が無い。
二人掛かりで一点集中、火力全開で仕掛けるのはまだ試していないのだが……。
「それだと上手く壊せても、中の物まで消し飛んじゃうんじゃないかと……」
「力ずくで破ったらそうなるでしょうね。だから泥棒も手出しし難くなるんじゃない」
得られるものが無いとなれば、そもそも狙われる事もなくなるのだ。
例え持ち運びの容易な小箱などでも、持ち去られる被害を抑制する効果が期待できる。
パチュリーはさらりと答えを返し、あの本にもちゃんと書いてるけどね、と付け足した。
読書を続けながらも、霊夢と早苗の話には反応してくれるパチュリー。
しかしその内容は、残念ながら借りた本に書いてある内容ばかりであった。
「ねぇパチュリー。開錠特化の魔法とかは無いの?」
霊夢がパチュリーとの距離をぐっと詰めて尋ねる。
知らなかったとはいえ、鍵を手紙受けに入れてしまったことを気にしているようだ。
同じ神職として、また友人として、賽銭箱に迫る危機を見過ごせないのだろう。
「そんなのがあったら、施錠魔法はとっくに廃れた実用性ゼロの魔法になってるわね」
予想をしていたとはいえ、あまりにも希望のない答えだ。
「何とかなりませんか! 私も何だってやりますし、手紙受けも一旦もぎ取って持ってきます!」
今度は早苗が、霊夢の反対側からパチュリーとの距離をぐぐっと詰めた。
「あぁもう、二人してくっ付かないでよ、鬱陶しいッ!」
パチュリーが自らの両脇にドヨースピアを落とした。
霊夢と早苗はすかさず頭上に防御結界を張り、危なげなく受け止める。
パチュリーを中心に、防御結界を張る神職者二名と砕け散るドヨースピア。
ところどころ細部は違えど、それらは見事なシンメトリーを描いていた。
攻撃しても離れる素振りすら見せない二人に、苛立たしげに声を荒げて言う事には。
「すっごく面倒くさい作業なのよそれ! 結果も分かりきってて面白くないからイヤ!」
ゼイゼイ息を切らしながら叫んだあと、両側からの視線に変化を感じるパチュリー。
嫌な予感を湛えつつチラチラと二人を覗き見れば、その表情は実に嬉しそうだった。
「つまり、解けるってわけね!」
「私、精一杯お手伝いします!」
施錠方法を理解していて、施錠対象が手元にあって、施術者の協力がある状態。
パチュリーほどの魔女であれば、これだけの材料から開錠に至るのは不可能な話ではない。
「頼むわ。力を貸してやって、パチュリー!」
「お願いします! 助けて下さい、パチュリーさん!」
「もぉッ……あんたらに施錠魔法なんて教えるんじゃなかったわ……! 」
心底後悔している様子のパチュリー。
善意で本を貸したのに、お返しに面倒ごとに巻き込まれて心なしか涙目である。
しばし苦い顔で唸っていたが、やがて悟りきったような悲しい表情で溜め息をついた。
頑張って突っぱねたところで、連日の頼み込みを受け続ける羽目になるのは明らかだ。
それよりは、さっさと協力して解決した方が結果的に早く片付くと踏んだらしい。
「……早苗だっけ。まず、あんたはここに住み込み。期間は割と長期」
「えっ、ここで暮らすんですか?」
「当たり前でしょう。施術者の霊力解析がキモなんだから」
術を構成しているのは早苗の霊力なのだから、至極当たり前の話である。
それを他人であるパチュリーが扱って、術に介入しようとしているのだから、
膨大な時間を費やしてでも調べる必要がある部分と言える。
さらに、施術を構成している部分というものは暗号化されていたり、
一定期間ごとにその法則性が変化したりして強度を高めているのが常である。
よって、早苗の霊力は常に参照できる状態にあるのが望ましい。
「えっと……神社の仕事を完全に放り出す訳にはいかないですし……」
「私が読書の時間を諦めるのと何が違うのよ。それ」
「うわ、随分と切り返し辛い言い方するなぁ」
「他意は無いわ、思ったとおりよ……はぁ……」
その後も三人での話し合いが進められる。
最終的に、早苗が毎日図書館に通って解析を進めていく形で譲歩した。
泊り込みより遙かに作業速度は落ちるが、各々の生活もあるので仕方あるまい。
パチュリーも、読書ときどき開錠作業というやり方で納得したようだ。
いかに余計な時間が掛かろうと、日々の読書の時間はやはり大切なものらしい。
なお早苗が紅魔館で作業している間は、霊夢が守矢神社の留守を預かる事になった。
掃除などの日々の仕事はもちろんのこと、必要があれば神事もこなす。
霊夢は最初『えー』とか言っていたが、負い目や義務感からか素直に働くつもりのようだ。
どれだけの時間が掛かるかは分からない。
もはや誰も、賽銭箱を新調して済ませてしまえと言ったりしなかった。
今の賽銭箱を護ることにこそ、意味があるとでもいうかのように。
果てしない努力の先で待っているものは、守矢神社の賽銭箱を開ける鍵ただ一本。
それだけを求めて、解析生活が幕を開けたのであった。
・
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・
・
・
しばしの月日が流れた頃、霊夢は抜けるような青空を見上げていた。
いつの間にか見慣れてしまった、妖怪の山の頂から見る世界。
早苗はまだ紅魔館に通い続けている。
開錠作業もジリジリと進展しているようだが、一体いつ終わるのだろう。
守矢神社の境内を適当に掃除しながら、霊夢は何気なく賽銭箱に目を留めた。
もうどれくらい中身が溜まっているのだろうか、とか。
あれが溢れ出すまでに開錠できなかったらどうするんだろうか、とか。
霊夢がボーっとそんな疑問を抱きかけた時、いつもの声が聞こえてきた。
「霊夢さん、お疲れ様です! ただいま戻りました!」
「あら早苗、おかえりなさい。どうだった?」
「けっこう調子良かったみたいですよ。あと、お茶菓子は……コレ」
「おぉ。咲夜のやつ、今日はなかなか凝ったもの作ったわね」
「さ、いつもの一休みです。紅茶でいいですか?」
「緑茶がいいわ。まだあの茶葉残ってたわよね」
普段と少しだけ違ったこんな生活は、あとどれくらい続くのだろうか。
すっかり馴染んでしまった今から見れば、元の生活も少し違って見えるのだろうか。
彼女達は今も、少し違った生活に身を委ねている。
全ては賽銭箱の鍵の為に。守矢神社の賽銭箱が開く日だけを、胸に想い描きながら。
「はい……昨日」
早苗は今、博麗神社に建ててある分社の掃除に訪れていた。
せっせと働いた早苗を休憩に誘った霊夢は、思わぬ話題に難しい表情を浮かべる。
二人で縁側に腰掛けて、まずは揃ってお茶を一口飲んだ。同時にほぅっと息が漏れる。
ひとまず落ち着いたところで、霊夢が話を再開した。
「それで、何を盗られたのよ」
「お賽銭です。一応、鍵は掛けておいたんですけどね」
早苗が言う鍵とは、ごく普通の錠前のことらしい。
魔法や妖怪が当たり前に存在するこの幻想郷では、そんなものは殆ど意味を成さない。
こうして直接の泥棒被害を受けるまで、その辺りの認識が少し甘かったのだ。
「それは大事ね。犯人は?」
「分かりません。けど、お賽銭は見つかりました」
盗まれたお賽銭とみられるお金は、守矢神社の近くにたくさんばら撒かれていた。
その様子を見るに、恐らく犯人は妖精か何かだろう。暇潰しに使われたのである。
「そう。迷惑な奴もいたものねぇ」
「ですね。気紛れでこんなことされちゃ堪りませんよ」
その横で、早苗が大きな溜め息をついた。未然に防げなかった事を気に病んでいるのだろう。
霊夢としても、賽銭泥棒など他人事では済まされない話だ。
今回こそ金銭目当ての犯行ではなかったようだが、次もそうだとは限らない。
「使ってた鍵は壊されちゃったのよね。対策はあるの?」
「今のところ、注意しておく以上の方策はまだ……」
単純に考えれば、より強力な鍵を用意すれば良い話である。
魔法や怪力に対抗するのであれば、やはり魔法的な施錠が必須となる。
だが神道の技術には、施錠そのものに特化した術というのがこれといって存在しない。
封印結界を応用して手出しが出来ないよう工夫するものばかり。
それが早苗の頭を悩ませていた。あまり大袈裟に防護するのもイメージが良くないだろう。
もちろんそんなつもりはないのだが、相手を疑って掛かっていると受け取られかねない。
いまだ布教に尽力を続ける守矢神社としては、悪いイメージは可能な限り取り払いたいのだ。
対策に苦慮している旨の話を一通り終えると、早苗は空を見上げて口を噤んでしまった。
賽銭箱に防御結界を施すとしたら、どんな影響が出てくるだろうか。
昨日からずっと悩んできたのだろうが、今また頭の中を巡りだしたようだ。
霊夢は励ますように早苗の肩を叩いて、笑顔を浮かべて見せた。
「私のほうでも考えてみるわ。元気出しなさい」
「霊夢さん……ありがとうございます」
向けられた心強い言葉と笑顔に、早苗も明るい表情を取り戻す。
「いいって。神聖なお賽銭箱を守る為だもの」
「はいっ! 協力して良い手を見つけましょう!」
§
後日。
いつものように分社の掃除をしに来た早苗は、縁側に霊夢を見つけて声をかけた。
「おはようございます、霊夢さん」
「あー、おはよう。良いところに来たわね」
「珍しいですね、読書ですか?」
霊夢は眠たそうに目を擦りつつ顔を上げて、ちょいちょいと手招きをした。
それに従って隣に腰掛けた早苗は、横から霊夢の手元にある本へと視線を移す。
「……魔導書ですか?」
「んーん、参考書みたいなもの」
霊夢が読んでいたのは、魔法の施術方法などが記されたものだった。
本そのものが魔力を持つ魔導書とは全くの別物である。
「ちょっと紅魔館で知恵を借りてね。良さげな魔法を見繕ってもらったわ」
本から施術方法さえ学べれば、霊力を使って実践することが出来る。
霊夢と半分ずつ本を持ち、早苗も霊夢が読んでいたページに目を走らせた。
「えっと……施錠魔法かぁ。魔法には鍵を掛ける専用のものなんてあるんですね」
誰しもの生活に溶け込んでいるとは言い難い技術だが、効果が簡素なぶん見た目も控えめだ。
賽銭箱にさり気なく施されていても、結界に比べれば違和感を覚える者は少ない筈である。
「ええ。中でも簡単に使えて、なるべく頑丈で、見た目が良いのを注文したの」
そう言いながら、霊夢がページをめくる。そして、鍵の図が書かれた部分を指差した。
「私が特に気に入ったのが、ココ」
「何々……あ、本当に鍵の形になるんだ」
施錠時に鍵が物質化され、開錠時にはそれを用いると注釈があった。
確かにこれならば、多くの者が持つ『施錠』のイメージに近いだろう。
それでいて魔法ゆえの強度を持つのであれば、物質的な鍵の上位互換と言って差し支えない。
「どう、良さそうじゃない?」
「素敵じゃないですか。私も気に入りました!」
「よーし。じゃあやってみましょうか。それっぽい術式は、えっと確か……」
パラパラとページを戻しながら、目的の記述を探す霊夢。
早苗は本を支えながら、チラリと霊夢の横顔を見た。見るからに瞼が重そうだった。
「もしかして、徹夜ですか?」
「あ? あー、まぁね。紅魔館の連中、夜行性だから」
施術方法の確保だけじゃなく、本の必要らしい部分にアタリまでつけている。
結局、ここまでは何もかも霊夢一人で進めてくれたということだ。
早苗の方も色々と工夫を重ねてはきていたが、この魔法施術には敵うまい。
「すみません、結果的に任せっきりになってしまって……」
「半分は自分の為だし。一日も早くお賽銭を守ってあげなきゃ」
霊夢がページをめくる手を止めた。早苗も再び本へ視線を落とす。
そこには目的の術式とおぼしき記述が、長々と書き連ねられていた。
「これですか……んー。読み替え、要りそうですね」
「ん、そうね。このままじゃ何をどうすれば良いやら」
当然ながら、そこに書かれているのはあくまで魔法の術式である。
見たままを用いられる部分も多くあるが、魔力の扱いをする部分はそうはいかない。
霊夢と早苗が扱う技術とは別の系列であるため、相応の置き換えが必要なのだ。
しかし、二人とも魔法は全くの専門外。記述をすらすら読み解く事は叶わなかった。
「……霊夢さん。その、魔法の基礎的な教科書みたいなものは」
縁側からずりずりと部屋の中に入り、もう一冊の本を取ってくる霊夢。
同じくずりずりと戻ってくると、今にも力尽きそうなか細い声を出しながら早苗に本を託した。
「それ借りてきた。でもツラいの。それ読むのすごくツラいの」
「とりあえず、霊夢さんは寝てください。その間に、今度は私が頑張ります!」
「ありがと、お願い。起きたら手伝うから……あと布団敷いてくれると嬉しい」
「は、はい……いま準備しますね」
霊夢が布団からのそのそと這い出たのは、陽が南中してから更にしばらく経った頃だ。
「早苗ー……?」
「あ、おはようございます霊夢さん」
部屋の中では、早苗が机に向かってひたすら作業を続けていた。
挨拶を返す時も、早苗は手元の本から視線を外すことはなかった。
「あー……どれくらい寝てたかな……」
「三、四時間ですかねー」
「うー、六刻か……まだだるいなぁ」
「でしょうねぇ。徹夜したにしては早起きだと思いますよ」
一連のやり取りの間も、早苗の手は止まらない。
参考書をめくって指で追いかけては、紙へと書き写したり式を綴ったりしていた。
そして最後に、符を片手に持ったかと思うと短い詠唱を口ずさんで術式を展開する。
「おぉ。なんか魔法使いみたいよ、早苗」
「そりゃあ、魔法っぽいものを使ってますからね」
どうやら、神道の技術への置き換えは着々と進んでいるらしい。
淡く発光していた符から霊力を引き上げると、早苗は疲れたように溜め息をついた。
霊夢は四つん這いで早苗の近くまで移動すると、肩越しに紙の内容を確認した。
几帳面な字で、所狭しとメモ書きが成されている。
「で、どんな感じよ?」
メモ書きを追いかけるのを早々に諦めた霊夢は、早苗の肩を揉みながらそう訊ねた。
「だいたい終わった……かな? 霊夢さんの言う通り、術式自体は単純みたいです」
身体の力を抜いて、早苗は気持ちよさそうに目を瞑る。
霊夢が注文した、出来るだけ簡単という条件はしっかり満たされていた。
参考書と睨めっこしながらでも、思ったより短時間で置き換え作業が終わったのだ。
魔法技術から神道の技術へと変換すべき箇所が少なかったのも大きな要因だろう。
術式の文面を理解しさえすれば、その後の作業はそう多くはなかった。
「そっか、お疲れ様。結局全部やらせちゃったか」
「あ、そこいい……いえ、そもそもが自分の為ですし……ふぅ」
「よーしよし、お茶淹れて休憩しましょ。顔洗ったらすぐ準備するわね」
「はい。えっ、あ、肩もう終わりですか?」
さっさと離れて行ってしまった霊夢に残念そうな視線を向けてから、参考書を閉じる。
そして自分のメモ書きに改めて目を通すと、施術に必要な部分をまとめにかかった。
更に、別の紙に全く同じ内容を書き写す。言うまでもなく、自分と霊夢の分である。
程なくして、霊夢がお茶を用意して戻ってきた。
早苗の方も、結論となる術式を改めて書き出しただけなのですぐに作業が終わる。
「はいお茶」
「いただきます」
湯呑みを受け取り、入れ替わりに術式を書いた紙を霊夢に渡す。
そこには、符を媒体に用いた施錠魔法が記されていた。
もちろん、符術を扱う霊夢にとってすぐに理解、実践できる内容である。
「ふぅん、術自体は想像以上に簡単ね」
「はい。魔法知識のない私でも置き換え出来たくらいですし」
複雑な術式になれば、技術の置き換えが出来ない部分だって出てくるだろう。
もしかすると、参考書を見たところで理解できないようなものだってあるかもしれない。
「……これで本当に解けない鍵が掛けられるのかしら」
「さぁ……あとは実際にやってみるしか……」
導き出された術式の簡易さが不安を覚えさせる。
しかし術式の複雑さは、強力さや有用さに必ずしも直結しないのが常だ。
二人は賽銭箱の未来について話し合いながら、ひとまず休憩のお茶を楽しんだのだった。
休憩が終わると、二人は談笑しながら境内に出た。
「すっかり長居しちゃいましたね。分社の掃除は明日、改めてしに来ますから」
「分かったわ。じゃ、結果報告はその時に」
帰路についた早苗を見送って、霊夢は託された紙を見ながら符を取り出す。
そして、自分の賽銭箱へ向き直るとすかさず詠唱。施錠を開始するのだった。
§
早苗が守矢神社に帰ってきた時、二柱は揃って外出中だった。
部屋の書き置きには、間欠泉センターに用事が出来たので行ってくる、とあった。
二柱とも出向かねばならないとは、どうやら緊急を要する内容らしい。
本来、神社を無人にする事はないのだが、今回は止むを得なかったのだろう。
夕飯の支度までまだ余裕があるので、早苗は早速鍵を掛けてみることにした。
賽銭箱の前に立ち、術式を書いた紙と符を取り出す。
そして詠唱を始めようとして、ふと思いとどまった。
技術の置き換えをしてあると言っても、魔法を使うのは初めての経験だ。
いきなり大切な賽銭箱に挑戦して失敗しては、目も当てられない。
キョロキョロと辺りを見回すと、玄関先に取り付けた手紙受けが目に入った。
現世にいた頃は様々な郵便物を受け取っていたものだが、
幻想郷に来てからというもの、天狗の新聞を放り込まれるくらいの役割しかない。
万に一つ失敗したとしても、さっさと撤去してしまって問題ないのだ。
まずは練習とばかりに、手紙受けに駆け寄って詠唱を開始する。
符をかざすと、手紙受けを包み込むように霊力が送り込まれた。
早苗の手から符が離れ、霊力の中へと取り込まれていく。
やがて光は鍵穴の形に収束し、そこからにゅっと鍵が生えてきた。
媒体、この場合は符を再構成して出来上がったもののようだ。
早苗が鍵を引き抜くと、鍵穴は小さな模様として手紙受けに残った。
鍵を再び近付けると、反応して鍵穴が発光。すんなりと鍵を受け入れてくれた。
しかも、鍵を差したまま動かせば、鍵穴の位置を自由に調整できるらしい。
これなら、鍵穴の模様が目立たない位置に来るよう調整する事も可能だ。
想像以上の使い勝手に感心しつつ、早苗は鍵をひねってからゆっくりと引き抜いた。
念の為、手紙受けを開けようと手を掛けてみる。
どうやら上手く施錠できたらしく、力を込めてもビクともしなかった。
少しだけ考えてから、霊力を込めたアミュレットで小突いてみる。
ちょっとヘコむくらいの強さで殴ったつもりだったが、手紙受けは無傷だった。
この結果を見るに、霊力による保護もとりあえずは効いているようだ。
全力攻撃も試したいのは山々だったが、怖くて結局試せなかったのが残念でならない。
手紙受けもせっかく施錠したので恩恵に預かることにして、今度はいよいよ本命だ。
早苗は守矢神社の賽銭箱へとその足を向けた。
強度の確認はともあれ、施錠そのものが上手く出来た事に違いはない。
大切な賽銭箱にも、安心して魔法を掛けることができるというものだ。
符を取り出し、詠唱。
すると、先ほど出来上がった鍵が反応を始める。
先の手順通りであれば、符を鍵へと作り変える場面だ。
しかし今は、早苗が別の鍵を持っていたからだろうか。
符を取り込ませるより前に、賽銭箱に鍵穴が現れたのである。
手紙受けから作った鍵に反応しているのは明らかだったので、恐る恐る差し込んでみる。
そして鍵をひねってから引き抜くと、その場所に鍵穴の模様が刻まれていた。
何度か試してみたが、先に作ったこの鍵で賽銭箱への施術も完了したようだ。
手紙受けと同じように施錠、開錠を行うことが出来た。
「へぇ……便利」
想像していなかった機能に、早苗は感心したように独り言を漏らした。
施錠対象を増やしても、鍵はこれ一本で済むということだ。
これ以上なにかに鍵を掛けるつもりはないが、目的によって融通が効きそうである。
ともあれ、施錠は無事に完了した。
恐らくは霊夢の賽銭箱も、彼女の魔法によって同じく保護されたことだろう。
自分の術式解析が間違っていなかったことに安心して、早苗は鍵を懐に仕舞い込んだ。
§
明けて翌日、博麗神社。
分社の掃除を終えた早苗は、霊夢と一緒に休憩のお茶を頂いていた。
雑談の内容はといえば、もちろん施錠魔法についてである。
霊夢も早苗も、無事に術を掛け終えて一本の鍵を手にしていた。
それを見せ合うように机の上に置き、お喋りに花を咲かせている。
「なんだ。術者で変わるとか、別にそういうのは無いのね」
「でも、細かい所は違いますよ。ほら、この溝とか」
「鍵の見た目も自由に調整できれば良かったのにねぇ」
「あぁ。それはちょっと思います、私も」
「もっと言えば、鍵の形をしていなくても良いと思わない?」
「別の、というと……小物とかですか?」
「そうそう、あんたの髪飾りみたいのとかさ」
「良いですねー。普段から身に付ける物なら失くす心配も無いですし」
鍵の形を取るという点が気に入って選んだ魔法だった筈だが、
そのことはとりあえずどこかに置いておき、和気藹々と話し込む。
ひとしきり意見要望を挙げ連ねてから、霊夢は思い出したように手を打った。
「そうだ、あっちは試してみた?」
別に必要はないのだが、何故か先程までと比べて小声で話し始める二人。
「……強度?」
短く確認する早苗に、霊夢は何度も首を縦に振った。
早苗は答え辛そうに言いごもってしまう。
「えっと、私は……霊夢さんは?」
「やっぱりか……私も。小突くくらいはしてみたけど」
霊夢も早苗と同じく躊躇ったらしく、また早苗もそうだろうと予想していたようだ。
早苗としても同感と言う他に無かった。
「ですよね、それ以上はちょっと……」
「怖いわよねぇ……」
しんみりと頷き合ってしまう霊夢と早苗。
「あ、でも、ある程度の強固さがあればそれで良いと思いますよ!」
声のトーンを明るいものに戻して、手を合わせる早苗。
早苗の言いたいことが分かったらしく、霊夢は『まぁねぇ』と相槌を打った。
施錠を無理矢理に突破しようとすれば、相応の力を使うことになる。
そんな力を発揮すれば、よっぽどの事がなければ気付くことが出来るだろう。
「早苗んトコは誰かしら常駐してるから、これで完璧だろうけどさ」
「ふふ、基本的にはそうですね。今まさに、例外発生中ですけど」
「え? 今、そっちに誰も居ないの?」
早苗が外出していても、守矢神社には二柱が居る。
その事を知っている霊夢は、珍しい事もあるものだと驚いた。
「お二人とも間欠泉センターに缶詰なんです。指揮とか改造とかで忙しいみたいで」
実際、昨日からずっと出ずっぱりだ。
詳しい話は帰ってきたら教えて貰えるだろう。
「あいつら……今度はいったい何をしでかそうというの……」
「大丈夫ですよ、あまり変なことは起こらないと思います。たぶん」
高まりつつある霊夢の霊力に苦笑し、早苗が宥めにかかる。
非想天則の騒ぎの時、早苗は二柱にもの申していたのだ。
具体的には、非想天則の存在を事前に教えてくれなかった、とネチネチ突っついた。
「何をしてるか分かったら、霊夢さんにもちゃんと教えますから」
「そう? 頼むわよ、もう……あ」
不満そうに早苗の顔を見てから、霊夢はあることに気が付いた。
「神社が無人なのに、ここで遊んでて良いの?」
「う……買い出し行って、すぐ戻ります。はい……」
§
買い出しを終えた早苗は、荷物を抱えて博麗神社へと戻ってきた。
先程は、霊夢の尤もな突っ込みにそそくさと退散してしまった訳だが、
あまりにそそくさし過ぎた所為か大切な鍵を忘れてきてしまったのだ。
見せ合いっこをしてそのままなので、霊夢が気付いて取っておいてくれているだろう。
それにしても、こうも早々と忘れ物にしてしまうとは。
慣れない持ち物だというのを差し引いても、なかなかの間抜けっぷりだ。
場所が友人の家ということもあってか、気を抜きすぎていたようである。
「すみませーん、霊夢さーん」
呼び掛けてみたが、返事がなかった。
引き続き名前を呼びながら縁側や部屋の中を覗いたが、霊夢の姿は見当たらない。
出掛けてしまっているらしい。家捜しをする訳にもいかず、早苗は大人しく帰路についた。
今すぐに使うものでもないし、鍵の回収は後日になっても大丈夫。
のほほんとそんな事を考えつつ飛び、妖怪の山が近付いてきた頃。
守矢神社の方から飛んでくる、やたら目立つ紅白色の衣装が目に飛び込んできた。
「霊夢さーん! さっき寄ってきたところなんですよー」
「お、早苗。一刻ぶりね」
早苗を見るや否や、にこにこと妖しく笑う霊夢。
明らかに、早苗の用件に気が付いているのが見て取れた。
「はい、最近ぶりです。あはは……」
うっかりをやってしまった早苗は苦笑しきりだ。
「私を探してたのね。例のブツについてかしら?」
「ええ、そうです。ついでに、良いお茶っ葉が手に入りましたよって伝えに」
そう言って、抱えた荷物からチラリとお茶を覗かせる。
霊夢はいっそう妖しい笑顔を浮かべると、わざとらしく腕を組んだ。
「それは楽しみね、明日から早苗が来るのが待ち遠しくなるってものよ」
「そうでしょうそうでしょう。それで、私の鍵は……」
早苗の問いでおどけるのを止めた霊夢は、守矢神社の方を向いて真面目に回答する。
「ごめん早苗。たった今、あんたん家に置いてきちゃったわ」
「え、わざわざ届けに行ってくれてたんですか。すみません、お手数かけて」
「ちょっと出掛ける用事ができたからついでに寄っただけよ」
霊夢に感謝しつつ、早苗は荷物を抱え直して微笑みを向けた。
「でも、忘れたのが霊夢さんのところで良かった。他じゃあこうはいかないですよね」
「ヘラヘラしない。こんど忘れてったら私物化するからね」
ピシャリと叱られて縮こまる早苗。
すみません、ともう一度謝ってから、何かに引っ掛かりを覚えて首を傾げた。
「あれ? 神奈子様も諏訪子様も地下に詰めてる筈ですけど……」
いま、守矢神社には誰も居なかった筈だ。
霊夢は事も無げに頷くと、さらりと答えを返した。
「手紙受けがあったから、その中に入れてきたわよ」
「あ、そうでしたか……え?」
一瞬にして、早苗の顔色が変わった。
こわばった表情を浮かべた早苗を見て、霊夢は慌てて付け加える。
「大丈夫だって。鍵はちゃんと結界まみれの護符に包んできたから」
不届き者が持ち去ろうとすれば、防御結界が発動してくれると霊夢は言う。
「どうしよう霊夢さん……」
「ん、なにが」
しかし、早苗が問題視しているのは霊夢の結界の信用度ではない。
「手紙受けも……その、鍵が……」
「…………えっ?」
顔を見合わせていた二人は、全く同時に守矢神社の方を見やる。
もう一度お互いの視線を絡ませてから、跳ねるように飛び出していった。
§
その日の夕方、霊夢と早苗は揃って紅魔館の大図書館へと足を運んでいた。
目当てはもちろん、魔法施錠の本を貸してくれたパチュリーその人である。
「……注文通りよ? 簡単、頑丈、見た目良しで」
「ええ、文句なし。あんたの見立ては確かだと思うわ」
「あれ。たった今、文句を言いに来られたのは気のせいなのかしら」
「文句というか、救援要請というか……とにかく、お話を聞いて頂けないでしょうか……」
慌てて守矢神社に舞い戻った二人はまず、魔法施錠そのものの解除を試みた。
しかし、結果は上手くいかず。早苗自身でも取り消す事が出来なかった。
「私自身では解除出来なくなってしまっていて……」
「そりゃあね。施錠状態で術の取り消しを受け付ける魔法の方が少ないわよ」
魔力の性質を模倣する事は、決して実現不可能な技術ではない。
そういった模倣魔力に代表される、施術者を誤認する可能性を廃するためだ。
パチュリーはさらりと答えを返し、あの本にもちゃんと書いてるけどね、と付け足した。
次に霊夢の発案で、手紙受けにもう一度魔法をかけて鍵を再生成する方法を試した。
しかし、出来上がった鍵を使っても開錠することは叶わなかった。
「手応えはあるんですが、結局鍵が掛かったままで……」
「まぁね。そうしたって施錠が二重になるだけだもの、当然じゃない」
この魔法施錠における鍵は『施術者』と『施錠対象』の双方を参照して生成される。
その際、対象の部分は『施錠されていない状態』をきちんと判別しているため、
例え施術者が同一であっても『施錠された状態』から生成する鍵と違うものが出来てしまう。
パチュリーはさらりと答えを返し、あの本にもちゃんと書いてるけどね、と付け足した。
これで二人に残された手段は、手紙受けを施錠ごと破壊することだけだ。
だが魔法施錠の強度はなかなかのもので、霊夢や早苗が適当な力で攻撃しても効果が無い。
二人掛かりで一点集中、火力全開で仕掛けるのはまだ試していないのだが……。
「それだと上手く壊せても、中の物まで消し飛んじゃうんじゃないかと……」
「力ずくで破ったらそうなるでしょうね。だから泥棒も手出しし難くなるんじゃない」
得られるものが無いとなれば、そもそも狙われる事もなくなるのだ。
例え持ち運びの容易な小箱などでも、持ち去られる被害を抑制する効果が期待できる。
パチュリーはさらりと答えを返し、あの本にもちゃんと書いてるけどね、と付け足した。
読書を続けながらも、霊夢と早苗の話には反応してくれるパチュリー。
しかしその内容は、残念ながら借りた本に書いてある内容ばかりであった。
「ねぇパチュリー。開錠特化の魔法とかは無いの?」
霊夢がパチュリーとの距離をぐっと詰めて尋ねる。
知らなかったとはいえ、鍵を手紙受けに入れてしまったことを気にしているようだ。
同じ神職として、また友人として、賽銭箱に迫る危機を見過ごせないのだろう。
「そんなのがあったら、施錠魔法はとっくに廃れた実用性ゼロの魔法になってるわね」
予想をしていたとはいえ、あまりにも希望のない答えだ。
「何とかなりませんか! 私も何だってやりますし、手紙受けも一旦もぎ取って持ってきます!」
今度は早苗が、霊夢の反対側からパチュリーとの距離をぐぐっと詰めた。
「あぁもう、二人してくっ付かないでよ、鬱陶しいッ!」
パチュリーが自らの両脇にドヨースピアを落とした。
霊夢と早苗はすかさず頭上に防御結界を張り、危なげなく受け止める。
パチュリーを中心に、防御結界を張る神職者二名と砕け散るドヨースピア。
ところどころ細部は違えど、それらは見事なシンメトリーを描いていた。
攻撃しても離れる素振りすら見せない二人に、苛立たしげに声を荒げて言う事には。
「すっごく面倒くさい作業なのよそれ! 結果も分かりきってて面白くないからイヤ!」
ゼイゼイ息を切らしながら叫んだあと、両側からの視線に変化を感じるパチュリー。
嫌な予感を湛えつつチラチラと二人を覗き見れば、その表情は実に嬉しそうだった。
「つまり、解けるってわけね!」
「私、精一杯お手伝いします!」
施錠方法を理解していて、施錠対象が手元にあって、施術者の協力がある状態。
パチュリーほどの魔女であれば、これだけの材料から開錠に至るのは不可能な話ではない。
「頼むわ。力を貸してやって、パチュリー!」
「お願いします! 助けて下さい、パチュリーさん!」
「もぉッ……あんたらに施錠魔法なんて教えるんじゃなかったわ……! 」
心底後悔している様子のパチュリー。
善意で本を貸したのに、お返しに面倒ごとに巻き込まれて心なしか涙目である。
しばし苦い顔で唸っていたが、やがて悟りきったような悲しい表情で溜め息をついた。
頑張って突っぱねたところで、連日の頼み込みを受け続ける羽目になるのは明らかだ。
それよりは、さっさと協力して解決した方が結果的に早く片付くと踏んだらしい。
「……早苗だっけ。まず、あんたはここに住み込み。期間は割と長期」
「えっ、ここで暮らすんですか?」
「当たり前でしょう。施術者の霊力解析がキモなんだから」
術を構成しているのは早苗の霊力なのだから、至極当たり前の話である。
それを他人であるパチュリーが扱って、術に介入しようとしているのだから、
膨大な時間を費やしてでも調べる必要がある部分と言える。
さらに、施術を構成している部分というものは暗号化されていたり、
一定期間ごとにその法則性が変化したりして強度を高めているのが常である。
よって、早苗の霊力は常に参照できる状態にあるのが望ましい。
「えっと……神社の仕事を完全に放り出す訳にはいかないですし……」
「私が読書の時間を諦めるのと何が違うのよ。それ」
「うわ、随分と切り返し辛い言い方するなぁ」
「他意は無いわ、思ったとおりよ……はぁ……」
その後も三人での話し合いが進められる。
最終的に、早苗が毎日図書館に通って解析を進めていく形で譲歩した。
泊り込みより遙かに作業速度は落ちるが、各々の生活もあるので仕方あるまい。
パチュリーも、読書ときどき開錠作業というやり方で納得したようだ。
いかに余計な時間が掛かろうと、日々の読書の時間はやはり大切なものらしい。
なお早苗が紅魔館で作業している間は、霊夢が守矢神社の留守を預かる事になった。
掃除などの日々の仕事はもちろんのこと、必要があれば神事もこなす。
霊夢は最初『えー』とか言っていたが、負い目や義務感からか素直に働くつもりのようだ。
どれだけの時間が掛かるかは分からない。
もはや誰も、賽銭箱を新調して済ませてしまえと言ったりしなかった。
今の賽銭箱を護ることにこそ、意味があるとでもいうかのように。
果てしない努力の先で待っているものは、守矢神社の賽銭箱を開ける鍵ただ一本。
それだけを求めて、解析生活が幕を開けたのであった。
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しばしの月日が流れた頃、霊夢は抜けるような青空を見上げていた。
いつの間にか見慣れてしまった、妖怪の山の頂から見る世界。
早苗はまだ紅魔館に通い続けている。
開錠作業もジリジリと進展しているようだが、一体いつ終わるのだろう。
守矢神社の境内を適当に掃除しながら、霊夢は何気なく賽銭箱に目を留めた。
もうどれくらい中身が溜まっているのだろうか、とか。
あれが溢れ出すまでに開錠できなかったらどうするんだろうか、とか。
霊夢がボーっとそんな疑問を抱きかけた時、いつもの声が聞こえてきた。
「霊夢さん、お疲れ様です! ただいま戻りました!」
「あら早苗、おかえりなさい。どうだった?」
「けっこう調子良かったみたいですよ。あと、お茶菓子は……コレ」
「おぉ。咲夜のやつ、今日はなかなか凝ったもの作ったわね」
「さ、いつもの一休みです。紅茶でいいですか?」
「緑茶がいいわ。まだあの茶葉残ってたわよね」
普段と少しだけ違ったこんな生活は、あとどれくらい続くのだろうか。
すっかり馴染んでしまった今から見れば、元の生活も少し違って見えるのだろうか。
彼女達は今も、少し違った生活に身を委ねている。
全ては賽銭箱の鍵の為に。守矢神社の賽銭箱が開く日だけを、胸に想い描きながら。
と思ってしまった。
ぽややんとしてるなぁ。
皆さんのコメも面白い。
この生活も悪くないと思っていそうな二人が可愛いので、紫様は手を出さないでくださいw