※食人及び嘔吐表現注意
我ながら妙ちくりんな事だとは思う。
一番妖怪らしい事をしている時にこそ、自分の中の人間らしさを思い出すなんて。
調味料は塩水だけだった。
というより、そもそも私の周りには塩水だけしかなかった。
ざぶんざぶんと波打つそれは、情け容赦なく私にぶつかり、その度に身体の芯まで海の厳しさを思い知る事になる。それは痛みだったり、かゆみだったり、寒さだったり。でもそれらはとっくの昔に、私と共にあるのだ。最早、村紗水蜜の一部として切っても切れないんじゃないかと思うぐらいに。
舟幽霊(いつからか人間達は私の事をそう呼ぶようになった)でも、そういった感覚はちゃんとある。
大海原に浮かぶ事が出来、日がな一日海の中で過ごせるようになった以外には、私は生前の私と何ら変りない存在のように思えた。
ずっと船が通りかからないと退屈さにイライラするし、良く晴れた星空の下では気分がよくなるし、眠たくなったりお腹が減ったりもちゃんとする。例えそれらを欠かしたところで命に別状はないというだけで。
でも、やっぱり無いよりはあった方がいい。
「……ああ、こんなこと考えるから、お腹空いてきちゃったじゃん」
そう。これは別におかしいことなんかじゃないのだ。
「いただきます」
◇
多分、漁船だったのだろうと思う。
その舟を沈めた時の事を、私は詳細にまで記憶していない。いや、丸きり覚えていないと豪語したっていいくらいだ。別に今日に限った話でもないけれど。
私にとって、食料として見た人間はその程度の、どうでもいい存在でしかなかった。誰をどれだけ寄せ集めても、それは変わらないように思えた。
ゆっくりと傾く甲鈑の上で恐怖に顔を引きつらせ、慌てふためき逃げ惑って、金切り声を上げながら恐怖を振りまき、事切れる。そうして私の妖怪としての格を存分に上げてくれてから、最後には物言わぬお肉となって腹に収まるのだ。
何ともまあ、素晴らしい食料ではないか。
だから、私は必ずいただきますと言ってから、後は見境なしに沈んでいった死体を全部食らう。
食事中は終始恍惚としていて、やはり記憶にはあまり残らない。
ふとした瞬間に我に返って見てみると「ああこの肉付きは漁夫以外に有り得ない。ということは漁船に違いなかったのだ」という程度の事を、少しばかり考えるだけだ。
そしてまた気を取り直して、がつがつと食らう。
――がつがつ、がつがつ。
ああ、それにしたって私がかつてこんなにも弱っちい生き物だっただなんて、到底信じられそうにないことだ。
――がつがつ、がつがつ。
溺れれば死ぬし、錨に潰されれば死ぬし、こうして私が食べても死ぬ。……ってああ、食べる頃にはもう死んでいるのだっけ。
――がつがつ、がつがつ。
そういえば、私はどうやって死んで――
――がつがつ、びしゃあ。
……え?
――びしゃあ、びしゃあ。
最初、それが何であるのか分からなかった。
気付かぬ内に、がつがつと食らっていたそれら全部が私の中から口を通して溢れ出て、海面にぼたぼたとこぼれ落ちている。赤黒い血で染まっていたはずの肉片は黄色く変色し、ふやけていて、海水と混ざり合って広がっていくのだった。
「あ、あああ、あああああああああああ――」
何だ。何だこれは。どうして私の食料が。腹に収めたはずのものが。何故。
戸惑いに打ちひしがれる間もなく、腹部を強烈な違和感が襲った。私の中で暴れ狂い、のたうち回り、這い出ようとしてきている感覚。腸を、胃を、食堂を、這うように進みながら私を犯していく。
口まで込み上げてきたところで、酸っぱい臭いと共に、大海原へとそれらはぶちまけられる。波に攫われていくのを見せつけられて、私はかつてそれらがどんな形をしていたのかを、ようやく思い出した。
ああ、あれは昨日食らった老婆の白髪だ。黄色いドロドロとしたものに塗れてはいるが、形はそのままに残っている。
そして、その後に続くあれは、噛み砕かれた乳歯だろう。そういえば、いつだったかに子供を食べた事があった。こんな場所では滅多にありつけないので、文字通りに骨の髄まで味わった。
あれは大男の背骨丸ごと、あれは女の二の腕の成れの果て、華奢な二の腕、艶やかな爪、日に焼けた皮、歪な形の指、ぶくぶくとした太もも、へそ周りのお腹、こけた頬、淀んだ目、高い鼻、福耳、それらが跡形もなくずたずたにされて、変わり果てた肉、肉、肉、肉、肉――。
肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉ニクニクニクニクニクニクニクニクニクニクにくにくにくにくにくにくにくにくにくにくお肉。
私の、お肉。
濁流する記憶に翻弄され、私の意識は流動していく。
その勢いに目眩にも似た、けれどもそれよりもずっと悪質な感覚が私を襲った。
こんなのは生きている間にだって味わった事がない。それなのに、舟幽霊になってまでどうして。
ああ、ああ、ああ、嗚呼。
キ モ チ ワ ル イ
耐え切れず海に飛び込む。どうしてそんなことをしたのか、私には分からない。私の身体を乗っ取ってしまったキモチワルサが、それを望んていたからかも知れない。だとすればそれは、海に散っていったお肉を集めることによって、再び鳴りを潜めようとしていたのだろうか。
私の意志とは関係なしに両手足は水中をもがき、酸っぱい臭いをただよわせるお肉に絡みつく。
いただきますと口を開いた瞬間に、海水が渦巻き、私の中へと侵入してきた。私と共にあり、一部とまでなったはずのそれが、今は紛れもない敵として五臓六腑を駆け巡る。
身体の内側を隅々に至るまで圧迫されて、私はまたも身体の中のお肉をぶちまけた。
視界は掠れていて、もう何をぶちまけたのかまでは判別出来ない。臭いも何だかはっきりしない。海水の冷たさも感じず、どこかふわふわとした心地で沈んでいく。
ああ、そうか。そういえば、そうだった。
道理で生きている間に味わったことがないはずだ。
だって、こうして私は死んだのだから。
タイトルも長くはないけれども印象に残るもので、
おそらく自分にとって村紗がそう興味のないキャラだったとしても読んでいただろうなと思います
だからこそ、村紗が人間を食べる〜嘔吐のシーンでは、描写の不足が惜しい気がしました
「記憶にはあまり残らない」とありますが、だとしても例えば嚥下している感覚や匂い等、
もしくは食べている間の村紗の一連の動作等をもっと細かく書いた方が良かったのではないかなと
人食は二次元でこそありふれていますが、やはり三次元の読者には馴染みの薄いものなので
人食をメインに扱った作品でその辺りの文章が薄いと、
読者としてはやや置いてきぼりにされた感が強くなるような…
また、どうして嘔吐に至ったのかの理由が薄いというか、わかりにくいかなと感じました
個人的に、前述した通りタイトルと村紗が人食いだという設定、
それから最初の手を合わせるまでのシーンがたまらなく好きな雰囲気だったので、
中盤〜後半がすごくもったいないなあという気分です
その辺りのことをひっくるめて、この点数で
雰囲気は良いのですが、反面、淡々とした情景描写が続いてあっさりとした読後感でした。
キャラを掘り下げて内容に深みを持たせられたらさらに評価は上がると思います。