「取材するのはいいけどさ、たまには誠意ってもんを見せなさいよね。このパパラッチは」
いまだ日の高い昼時のことである。
いつものように取材と銘打って訪れた私を一瞥し、呆れたようにため息をつく巫女の姿。
いきなりと随分な物言いではあったが、そうでなくては妖怪退治の専門家など務まるまい。
こちらの感情の在処はさておいて、私はいつものように笑顔を浮かべてみせる。先ほどの言葉程度では新聞記者の心は折れないのです。
口にするのはお決まりになった挨拶の言葉。にこやかな笑顔のまま、私は彼女に歩み寄り。
「よろしい、もっと罵ってください!」
もれなく右ストレートで顔面をぶち抜かれたのであった。
いけない、思わず本音がポロッとこぼれてしまうなんて。私としたことが不覚だったわ。
「……アンタはあの天人と違うと思ってた」
「あっれぇ!? なんか物凄い侮蔑の視線向けられてますか私!!?」
「うん、わかった。幽香のところをお勧めするわ。SとMでお互い幸せになれるわね」
「違います! っていうか、人をあの天人と一緒にしないでください!」
「……え、違うの?」
なんか真顔で問い返された。
うわぁ……なんと言うか、その反応は本気で心を抉られるんだけど。
その、なんだ、今までずっとそうだと思っていたけど否定されて戸惑ってる反応が非常に胸に痛い。
「そうか、わかった。ハイブリットね!」
「何と何のハイブリット? あれ、もしかしなくてもSとMのハイブリットってことですよね?」
「今日もいい天気ね。洗濯物がよく乾きそうだわ」
「おーい無視ですかー? 私そろそろ泣きますよ? 泣いちゃうよ? 泣くよコンチクショウ」
「……何もそんな涙目になんなくっても……」
「まぁ、それはともかく」とため息をつく鬼畜巫女。
ふーんだ、泣いてませんよーなどと口にしたところで負け惜しみにしかなんないので何も言わない。
「私が見たいのはね文、あなたの誠意よ」
「グス……誠意って、どうすればいいんですか?」
「そうねぇ、例えば巫女の仕事の手伝いをするとか」
暢気な調子でそんなことをのたまっている霊夢だけれど、その言葉の端々に「巫女の仕事サボりたい」という本音が透けて見えるようだった。
どーせ普段は境内の掃除ぐらいしかすることがないくせに、いつもどおり怠け者な性分は抜けないらしい。
異変のときはやる気だというのに、この落差は一体なんなんだろうか。
それも彼女らしいといえばそうだと思えて、私はクスクスと笑みをこぼすのだった。
「それは、霊夢さんがするべき仕事でしょう? 他の人がするべきことではありません。働かざるもの食うべからずですよ」
「誠意のない相手の取材なんて受けたくないわね。たまには見せてくれてもいいんじゃない?」
ああいえばこういう。今日のように食い下がる霊夢というのも中々珍しい。
いつもはあっさりと諦めるというのに、今日は一体どうしたことか。
まぁ、そういう日もあるのだろう。たまには、いつもとは少し違う巫女の戯言に付き合うのも一興だ。
「わかりました。ならば、ジャンケンで私に勝てたらお手伝いしてもいいですよ」
「弾幕勝負じゃなくて?」
「こんなことにわざわざ弾幕勝負なんてしなくてもいいでしょう。疲れるだけですし」
それもそうかと納得したようで、霊夢はムムムと眉間に皺を寄せて自分の拳とにらめっこ。
どう見ても本気なその様子に、そうまでして私に巫女の仕事手伝わせたいのかと呆れてしまいそう。
まぁ、私も負ける気などさらさらとないのだけど。巫女の仕事ってあまり面白くなさそうだし。
「言っておきますけど、『ジャンケン死ねぇ!』とか言って殴りかかってくるのなしですからね?」
「……チッ」
舌打ちしたよこの巫女。やる気満々だったよこの巫女。
椛がよくやってくる手だから口にしたけど、念のために釘をさしておいてよかったぁ。
ところで、グーじゃなくてチョキを用意してたってことはもしかしなくても目潰しですよね?
「それじゃ、最初はグーですよ? 不意打ちしないでくださいね? グーチョキパーとか認めませんからね?」
「アンタは私のことを何だと思ってるのよ」
鬼畜だと思ってます。もちろん、口にはせずに適当にはぐらかしたが。
それにしても、異変のときは結構無愛想な印象のある彼女だけれど、平時はころころと表情を変えてなんとも微笑ましいものだ。
そういう部分は、素直に好ましいと思う。こんなことを私が言うと、彼女はきっと目を丸くして「気持ち悪い」などとのたまうかもしれないが。
それも無理はない。だって、そんなのはあんまりにも、私らしくないではないか。
最初はグー、ジャンケンポン。
誰もが一度はしたことがあるお決まりの遊び。私はグーで、彼女はチョキ。
一見してわかる勝負の結末。誰の目から見てもわかる一目瞭然の結果。
ふふんと得意げな笑みを浮かべて霊夢を見やれば、しかし巫女の返してきた表情もまた不遜な笑み。
一体なにを考えているのかと疑問に思うよりも早く、霊夢はチョキの形のまま、私のグーに指を挟ませて―――万力のような圧力を加えられた。
「っ!!?」
ギチギチと骨が軋む。抵抗しようにもその圧力には抗い難く、硬く拳を握っていたはずの私の手は徐々に徐々に広げられていく。
そして、いつの間にか私の手はグーから広がりきってパーの形に。
そんな馬鹿な。妖怪の私が、人間の彼女に力負けするなんて。
こちらの考えを見通したのか、驚愕する私を嘲笑うかのようにフッと巫女は笑う。
「チョキがグーに勝てないなんて、誰が決めたの?」
そんな言葉を口にして、霊夢は意気揚々と茶菓子を手に取った。
得意げな彼女の姿は、なんともらしいと思える表情で。
だから、自然と微笑むことが出来たのだろう。嬉しそうに茶菓子を頬張る彼女を見て、ただ一言。
「これ私の知ってるじゃんけんと違う」
巫女の背後に厳つい男の姿を幻視してしまう私なのであった。
▼
さてさて、そんなわけで翌日の早朝に、ジャ、ジャ、と地面のこすれる音が耳に届く。
竹細工の箒を片手に掃除をするのは霊夢ではなく、先日ジャンケンともいえぬジャンケンに敗れた私こと射命丸文である。
ハァッとため息をついていると、後ろから件の巫女がニヤニヤとした表情で歩み寄ってきた。
「意外と様になってるわね、驚いたわ」
「それはどーも」
不満ありありといった様子の私の言葉に動じることもなく、霊夢はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべるばかり。
自分が言い出したこととはいえ、こんなことなら約束放棄でもすればよかったかしら?
「にしても、わざわざ山伏装束で来るとは思わなかった。意外とその衣装でも巫女の仕事が似合うものなのね」
「衣装まで指定したの其方でしょう?」
「そーだっけ?」
きょとんと目を瞬かせる鬼畜巫女。どうやら彼女の脳みそは都合の悪いことは忘れてしまうように出来ているらしい。実に迷惑だ。
彼女の言うとおり、今の私の姿は普段でも滅多に着ることのない山伏衣装。よっぽどの祭事でもない限りきることのない私の一張羅である。
……まぁ、最近は私服代わりに使う子もいますが……それはこの際置いておこう。
小さくため息を一つつき、竹箒に体重を預けながら彼女に視線を向ける。
その際、ギシギシと失礼な音が軟弱な竹箒から上がったが、綺麗さっぱり聞かなかったことにして言葉を紡いだ。
「それで、私が境内の掃除をしている間に、暢気な巫女様は何をしてたのかしら?」
「おいしく煎餅を頂いてました」
働けふぁっきん!
「まぁ冗談はさて置いて、神社の裏の酒蔵を見てたわよ」
「あやや、そんなものがあるなんて初耳ねぇ。ていうか、それ仕事なの?」
「仕事よ仕事。神様にお供えするお酒を造るのも、巫女のちゃんとした仕事の内なの」
「どーせ自分で飲むじゃないのよ」
ジト目で言葉にしてやれば、彼女はなんでもない顔で「まぁね」などと口にして苦笑した。
まったく、ここの神社の神様とやらには未だ顔をあわせたことはないが、今代の巫女のフリーダムな行いには涙していることだろう。
まぁそもそもの話、この神社にはたして神様が居るのかどうかすら定かではないのだが……、霊夢のことだ。居ても居なくても対して振る舞いは変わらない気がする。
「さて、そろそろ休憩しましょうか」
「休憩って、まだこんな時間なんだけど?」
「イイじゃない。ほら、一応アンタの分のお茶と菓子も用意してるから、こっちにいらっしゃい」
一体何がそんなに楽しいんだか。
霊夢はニコニコと笑顔を浮かべたまま、私の腕を掴んでぐいぐいと引っ張っていく。
なすがまま、されるがまま、抵抗する気も削がれた私は、小さなため息をついてそのひかれる力のままに従った。
温かな掌。華奢な腕は白く、何色にも染まってしまいそうで、けれど、きっと何色にも染まらない。
赤と白のめでたい色合いの少女は、私と同じ黒髪を靡かせて笑っている。
珍しいなと、漠然とそんなことを思う。
巫女と言う立場から、彼女は私たち妖怪には厳しいスタンスを取っている。
だから、彼女が妖怪(わたし)の前でこんなに無垢な笑顔を見せるのは、本当に珍しいことで。
手元にカメラがないことを、惜しいと、心の底から思ってしまった。
「どうしたの? 変な顔して」
「変な顔はないんじゃないの?」
「別に、なんでもないわよ」と言葉を続けて、不思議そうな顔をする霊夢に返答した。
未だに納得のいっていない様子ではあったが、深く追求する気もないのか霊夢はあっさりと追求をやめて縁側まで足を進めていく。
私の手を握る力は弱めないまま、やはり、その顔はどこか楽しそうで。
彼女は縁側に座ると、ぽんぽんと自身の隣の床を叩いてみせる。
ここに座れという霊夢のご要望どおり、肩をすくめて見せた私は大人しく彼女の隣に座った。
「それで、巫女の仕事を体験した感想はどうかしら?」
「退屈ねぇ。よくもまあ、こんな退屈な仕事を続けられるものだわ。ある意味、尊敬するかもね」
「今は異変も妖怪退治の依頼もないものねぇ。それがなければ、巫女の仕事なんて退屈だし、退屈なことに越したことはないわよ」
それだけ世が平和なんだと、霊夢は呟いてお茶を一口。
暢気な彼女らしい言い分だなァと微笑んで、用意されていた私の分のお茶を口にする。
ほろ苦い緑茶の味わいを堪能しながら、今まで自分が掃除していた境内を見渡した。
朝霧が立ち込めた幻想的な風景、どこか得体の知れぬ不気味さを合わせた不思議な光景。
そんな光景に視線を向けている私に何を思ったか、霊夢がこちらを覗き込んだ。
「アンタってさ、変わってるわよね」
「なんですか、藪から棒に」
「なんでもなにも、人間に好んで関わろうとする天狗なんてあなたぐらいじゃない」
彼女の、言うとおりかもしれない。いや、事実として私は天狗たちの中では変わり者だろう。
天狗は本来、排他的な社会構成を持っていて、妖怪の山から出ようとする天狗なんてほとんどいない。
関わろうとしない。関わらせない。誰かが踏み込めば威嚇して追い返し、帰らねば実力行使すらいとわない。
天狗とは、本来そういう生き物だ。
「なんていうのかなぁ。アンタは他の天狗と違って、なんというかこう……」
ムムムッと眉に皺を寄せ、気難しげに考え込んだ彼女は、一体何を考えているのやら。
第一、霊夢がまともに知ってる天狗なんて、私の後輩の椛とはたてぐらいのものだろうに。
彼女の答えを待ちながら茶を嗜むこと早数十秒。
「とにかく、ぶわーっていうか、むひゃーっていうかぁ」
「いや、意味わからないってば。そんな大雑把な表現じゃ」
「何よ、わかりなさいよそのくらい」
「……霊夢、私エスパー?」
さすがにそんな説明で理解しろといわれても無理なものは無理なわけで。
身振り手振り、オーバーリアクションで言葉にする霊夢は非常に可愛らしいのだが、生憎と超能力者でも覚妖怪でもない私にはさっぱり理解不能である。
そんな冷や汗交じりの私に「ともかく!」と逆切れなされる霊夢も、それはそれで可愛らしいものだ。
「私が言いたいのは、アンタは他の連中よりも自由だってことよ」
自由だと、彼女は私のことをそう評した。
他の天狗たちよりも自由気ままで、つかみ所のない雲のような奴だと、そう言葉にして。
「そうでもないわよ。私も結局は、天狗社会の一部でしかないもの」
「そういうものなの?」
「そういうものよ。いくら私でも、上からの命令には逆らえないもの」
彼女の言うとおり、自由気ままにいられればそれはどれだけ楽なことだろうか。
けれど、社会に属している限り、上層部の命令には従わなければならない。
命令を破れば罰せられるし、私には命令を拒否する自由も与えられていないのだ。
社会に属するとはそういうこと。彼女の目に私は自由に見えても、その実、私の周りは古いしきたりや偏見と命令で雁字搦め。
幻想郷にいる以上、ありえない仮定ではあるけれど、もしも霊夢の抹殺の命が下ってしまった、そんな日には、私はきっと――。
そんな命令が下ったその時、私は――彼女をどうするのだろうか?
……我ながら、無意味な妄想だったと思う。
幻想郷に博麗の巫女が必要な以上、そんな命令などありえないというのに。
私が、霊夢を殺すなんて、そんなのありえない。ありえるはずがない。
けれどもし、そんな命令が下ったなら……私は、その命を遂行できるだろうか?
ありえない仮定の話だけれど、嫌だなと、心の底から思ってしまうから。
「じゃあさ、あなたが今ここにいるのも、私にちょっかいかけるのも、上からの命令?」
そんな言葉に、私の意識は現実に引き戻される。
ふと、霊夢に視線を向けてみれば、能面のような表情で私を覗き込む彼女の姿。
まるで、異変の解決に挑んだときのような、妖怪退治の巫女の顔。
あぁ、けれども。
私の自惚れでないのならば、彼女の能面のような表情が――悲しそうに見えたような気がした。
否定して欲しいとどこかで思っていそうな、けれどもそんな思いなど欠片も見せようとしないように。
「こうやって私の傍にいるのは偵察のためで、本当は私のことなんてどうでもいいと思ってる?」
くりくりとした黒い瞳が、私の紅い眼を捉えて離さない。
さわりと、頬を撫でるように霊夢の手が伸びてくる。
頬にかかった髪をかきあげて、じっと私の顔を覗き込んでいる彼女は、何を思っているのか。
無表情のはずなのに、私にはどうして、その顔が今にも泣き出してしまいそうだなんて思ってしまうのだろう。
「そんなことないわよ。私がここに来るのは、私が自分で望んだことなんだから」
だから、何でもないように言葉にして、私は笑った。
それだけは、紛れもない私の本心だから。
誰の命令でもない。誰から強制されたわけでもない。
私はただ、新聞記者として。そして、時には彼女の友人として。
好き好んで、私はこの場所を訪れている。
自ら望んで彼女に会いたいと、そう思っているから。
「あらそう、それは実に迷惑な話ね」
その言葉に、どれほどの意味があったのだろう。
なんでもないように口にした霊夢は、けれどもほのかな笑みを浮かべて頬の手を外した。
やれやれと肩をすくめた霊夢は自分の湯のみを手にして、ズルズルとお茶を口にしている。
少しだけ、頬が紅いような気がするのは気のせいじゃあるまい。
相変わらず、素直じゃない巫女だこと。
それもまた、彼女の魅力の一つであるとは思うけれど。
「ま、迷惑な奴に目を付けられたと諦めることにするわ」
「はて、私は迷惑をかけたことなど一度もありませんけどねぇ」
「どの口がそれをいうのかしら、このパパラッチは。また仮面かぶってからに」
そんな悪体を付き合って、ずずーっと緑茶を楽しむ私たち。
それからどちらともなく苦笑して、ケタケタとお互いに笑いあった。
彼女は、私が自由だとそう言葉にした。
けれどね、違うんだよ霊夢。本当に自由なのは、きっとあなたなんだから。
何者にも縛られない。何事にも束縛されない。自由奔放な楽園の巫女。
私には、絶対に出来ない在り方。
私には、手の届かないうらやましい生き方。
社会に属する私には手に出来ない、心から望んでやまないその在り方。
だからこそ私は彼女に――博麗霊夢に憧れ、惹かれたんだ。
「今日はいい天気になりそうね」
空を見上げて、彼女が呟く。
どこか嬉しそうな彼女の言葉に「そうね」と返した私は、同じように空を見上げた。
たまにはこうやって、巫女と二人で縁側でのんびりするのも、きっと悪くない。
憧れの少女はくぁッと あくびを一つ。妖怪が隣にいるというのに、無防備ったらありゃしない。
でも、きっと彼女はそれでいい。
彼女にはいつまでも、ずっとずっと何にも縛られないままでいて欲しい。
それは、私の身勝手な願いではあるけれど。
私の求めてやまぬ「自由」という言葉は、きっと誰よりも彼女にふさわしいと、そう思うから。
いまだ日の高い昼時のことである。
いつものように取材と銘打って訪れた私を一瞥し、呆れたようにため息をつく巫女の姿。
いきなりと随分な物言いではあったが、そうでなくては妖怪退治の専門家など務まるまい。
こちらの感情の在処はさておいて、私はいつものように笑顔を浮かべてみせる。先ほどの言葉程度では新聞記者の心は折れないのです。
口にするのはお決まりになった挨拶の言葉。にこやかな笑顔のまま、私は彼女に歩み寄り。
「よろしい、もっと罵ってください!」
もれなく右ストレートで顔面をぶち抜かれたのであった。
いけない、思わず本音がポロッとこぼれてしまうなんて。私としたことが不覚だったわ。
「……アンタはあの天人と違うと思ってた」
「あっれぇ!? なんか物凄い侮蔑の視線向けられてますか私!!?」
「うん、わかった。幽香のところをお勧めするわ。SとMでお互い幸せになれるわね」
「違います! っていうか、人をあの天人と一緒にしないでください!」
「……え、違うの?」
なんか真顔で問い返された。
うわぁ……なんと言うか、その反応は本気で心を抉られるんだけど。
その、なんだ、今までずっとそうだと思っていたけど否定されて戸惑ってる反応が非常に胸に痛い。
「そうか、わかった。ハイブリットね!」
「何と何のハイブリット? あれ、もしかしなくてもSとMのハイブリットってことですよね?」
「今日もいい天気ね。洗濯物がよく乾きそうだわ」
「おーい無視ですかー? 私そろそろ泣きますよ? 泣いちゃうよ? 泣くよコンチクショウ」
「……何もそんな涙目になんなくっても……」
「まぁ、それはともかく」とため息をつく鬼畜巫女。
ふーんだ、泣いてませんよーなどと口にしたところで負け惜しみにしかなんないので何も言わない。
「私が見たいのはね文、あなたの誠意よ」
「グス……誠意って、どうすればいいんですか?」
「そうねぇ、例えば巫女の仕事の手伝いをするとか」
暢気な調子でそんなことをのたまっている霊夢だけれど、その言葉の端々に「巫女の仕事サボりたい」という本音が透けて見えるようだった。
どーせ普段は境内の掃除ぐらいしかすることがないくせに、いつもどおり怠け者な性分は抜けないらしい。
異変のときはやる気だというのに、この落差は一体なんなんだろうか。
それも彼女らしいといえばそうだと思えて、私はクスクスと笑みをこぼすのだった。
「それは、霊夢さんがするべき仕事でしょう? 他の人がするべきことではありません。働かざるもの食うべからずですよ」
「誠意のない相手の取材なんて受けたくないわね。たまには見せてくれてもいいんじゃない?」
ああいえばこういう。今日のように食い下がる霊夢というのも中々珍しい。
いつもはあっさりと諦めるというのに、今日は一体どうしたことか。
まぁ、そういう日もあるのだろう。たまには、いつもとは少し違う巫女の戯言に付き合うのも一興だ。
「わかりました。ならば、ジャンケンで私に勝てたらお手伝いしてもいいですよ」
「弾幕勝負じゃなくて?」
「こんなことにわざわざ弾幕勝負なんてしなくてもいいでしょう。疲れるだけですし」
それもそうかと納得したようで、霊夢はムムムと眉間に皺を寄せて自分の拳とにらめっこ。
どう見ても本気なその様子に、そうまでして私に巫女の仕事手伝わせたいのかと呆れてしまいそう。
まぁ、私も負ける気などさらさらとないのだけど。巫女の仕事ってあまり面白くなさそうだし。
「言っておきますけど、『ジャンケン死ねぇ!』とか言って殴りかかってくるのなしですからね?」
「……チッ」
舌打ちしたよこの巫女。やる気満々だったよこの巫女。
椛がよくやってくる手だから口にしたけど、念のために釘をさしておいてよかったぁ。
ところで、グーじゃなくてチョキを用意してたってことはもしかしなくても目潰しですよね?
「それじゃ、最初はグーですよ? 不意打ちしないでくださいね? グーチョキパーとか認めませんからね?」
「アンタは私のことを何だと思ってるのよ」
鬼畜だと思ってます。もちろん、口にはせずに適当にはぐらかしたが。
それにしても、異変のときは結構無愛想な印象のある彼女だけれど、平時はころころと表情を変えてなんとも微笑ましいものだ。
そういう部分は、素直に好ましいと思う。こんなことを私が言うと、彼女はきっと目を丸くして「気持ち悪い」などとのたまうかもしれないが。
それも無理はない。だって、そんなのはあんまりにも、私らしくないではないか。
最初はグー、ジャンケンポン。
誰もが一度はしたことがあるお決まりの遊び。私はグーで、彼女はチョキ。
一見してわかる勝負の結末。誰の目から見てもわかる一目瞭然の結果。
ふふんと得意げな笑みを浮かべて霊夢を見やれば、しかし巫女の返してきた表情もまた不遜な笑み。
一体なにを考えているのかと疑問に思うよりも早く、霊夢はチョキの形のまま、私のグーに指を挟ませて―――万力のような圧力を加えられた。
「っ!!?」
ギチギチと骨が軋む。抵抗しようにもその圧力には抗い難く、硬く拳を握っていたはずの私の手は徐々に徐々に広げられていく。
そして、いつの間にか私の手はグーから広がりきってパーの形に。
そんな馬鹿な。妖怪の私が、人間の彼女に力負けするなんて。
こちらの考えを見通したのか、驚愕する私を嘲笑うかのようにフッと巫女は笑う。
「チョキがグーに勝てないなんて、誰が決めたの?」
そんな言葉を口にして、霊夢は意気揚々と茶菓子を手に取った。
得意げな彼女の姿は、なんともらしいと思える表情で。
だから、自然と微笑むことが出来たのだろう。嬉しそうに茶菓子を頬張る彼女を見て、ただ一言。
「これ私の知ってるじゃんけんと違う」
巫女の背後に厳つい男の姿を幻視してしまう私なのであった。
▼
さてさて、そんなわけで翌日の早朝に、ジャ、ジャ、と地面のこすれる音が耳に届く。
竹細工の箒を片手に掃除をするのは霊夢ではなく、先日ジャンケンともいえぬジャンケンに敗れた私こと射命丸文である。
ハァッとため息をついていると、後ろから件の巫女がニヤニヤとした表情で歩み寄ってきた。
「意外と様になってるわね、驚いたわ」
「それはどーも」
不満ありありといった様子の私の言葉に動じることもなく、霊夢はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべるばかり。
自分が言い出したこととはいえ、こんなことなら約束放棄でもすればよかったかしら?
「にしても、わざわざ山伏装束で来るとは思わなかった。意外とその衣装でも巫女の仕事が似合うものなのね」
「衣装まで指定したの其方でしょう?」
「そーだっけ?」
きょとんと目を瞬かせる鬼畜巫女。どうやら彼女の脳みそは都合の悪いことは忘れてしまうように出来ているらしい。実に迷惑だ。
彼女の言うとおり、今の私の姿は普段でも滅多に着ることのない山伏衣装。よっぽどの祭事でもない限りきることのない私の一張羅である。
……まぁ、最近は私服代わりに使う子もいますが……それはこの際置いておこう。
小さくため息を一つつき、竹箒に体重を預けながら彼女に視線を向ける。
その際、ギシギシと失礼な音が軟弱な竹箒から上がったが、綺麗さっぱり聞かなかったことにして言葉を紡いだ。
「それで、私が境内の掃除をしている間に、暢気な巫女様は何をしてたのかしら?」
「おいしく煎餅を頂いてました」
働けふぁっきん!
「まぁ冗談はさて置いて、神社の裏の酒蔵を見てたわよ」
「あやや、そんなものがあるなんて初耳ねぇ。ていうか、それ仕事なの?」
「仕事よ仕事。神様にお供えするお酒を造るのも、巫女のちゃんとした仕事の内なの」
「どーせ自分で飲むじゃないのよ」
ジト目で言葉にしてやれば、彼女はなんでもない顔で「まぁね」などと口にして苦笑した。
まったく、ここの神社の神様とやらには未だ顔をあわせたことはないが、今代の巫女のフリーダムな行いには涙していることだろう。
まぁそもそもの話、この神社にはたして神様が居るのかどうかすら定かではないのだが……、霊夢のことだ。居ても居なくても対して振る舞いは変わらない気がする。
「さて、そろそろ休憩しましょうか」
「休憩って、まだこんな時間なんだけど?」
「イイじゃない。ほら、一応アンタの分のお茶と菓子も用意してるから、こっちにいらっしゃい」
一体何がそんなに楽しいんだか。
霊夢はニコニコと笑顔を浮かべたまま、私の腕を掴んでぐいぐいと引っ張っていく。
なすがまま、されるがまま、抵抗する気も削がれた私は、小さなため息をついてそのひかれる力のままに従った。
温かな掌。華奢な腕は白く、何色にも染まってしまいそうで、けれど、きっと何色にも染まらない。
赤と白のめでたい色合いの少女は、私と同じ黒髪を靡かせて笑っている。
珍しいなと、漠然とそんなことを思う。
巫女と言う立場から、彼女は私たち妖怪には厳しいスタンスを取っている。
だから、彼女が妖怪(わたし)の前でこんなに無垢な笑顔を見せるのは、本当に珍しいことで。
手元にカメラがないことを、惜しいと、心の底から思ってしまった。
「どうしたの? 変な顔して」
「変な顔はないんじゃないの?」
「別に、なんでもないわよ」と言葉を続けて、不思議そうな顔をする霊夢に返答した。
未だに納得のいっていない様子ではあったが、深く追求する気もないのか霊夢はあっさりと追求をやめて縁側まで足を進めていく。
私の手を握る力は弱めないまま、やはり、その顔はどこか楽しそうで。
彼女は縁側に座ると、ぽんぽんと自身の隣の床を叩いてみせる。
ここに座れという霊夢のご要望どおり、肩をすくめて見せた私は大人しく彼女の隣に座った。
「それで、巫女の仕事を体験した感想はどうかしら?」
「退屈ねぇ。よくもまあ、こんな退屈な仕事を続けられるものだわ。ある意味、尊敬するかもね」
「今は異変も妖怪退治の依頼もないものねぇ。それがなければ、巫女の仕事なんて退屈だし、退屈なことに越したことはないわよ」
それだけ世が平和なんだと、霊夢は呟いてお茶を一口。
暢気な彼女らしい言い分だなァと微笑んで、用意されていた私の分のお茶を口にする。
ほろ苦い緑茶の味わいを堪能しながら、今まで自分が掃除していた境内を見渡した。
朝霧が立ち込めた幻想的な風景、どこか得体の知れぬ不気味さを合わせた不思議な光景。
そんな光景に視線を向けている私に何を思ったか、霊夢がこちらを覗き込んだ。
「アンタってさ、変わってるわよね」
「なんですか、藪から棒に」
「なんでもなにも、人間に好んで関わろうとする天狗なんてあなたぐらいじゃない」
彼女の、言うとおりかもしれない。いや、事実として私は天狗たちの中では変わり者だろう。
天狗は本来、排他的な社会構成を持っていて、妖怪の山から出ようとする天狗なんてほとんどいない。
関わろうとしない。関わらせない。誰かが踏み込めば威嚇して追い返し、帰らねば実力行使すらいとわない。
天狗とは、本来そういう生き物だ。
「なんていうのかなぁ。アンタは他の天狗と違って、なんというかこう……」
ムムムッと眉に皺を寄せ、気難しげに考え込んだ彼女は、一体何を考えているのやら。
第一、霊夢がまともに知ってる天狗なんて、私の後輩の椛とはたてぐらいのものだろうに。
彼女の答えを待ちながら茶を嗜むこと早数十秒。
「とにかく、ぶわーっていうか、むひゃーっていうかぁ」
「いや、意味わからないってば。そんな大雑把な表現じゃ」
「何よ、わかりなさいよそのくらい」
「……霊夢、私エスパー?」
さすがにそんな説明で理解しろといわれても無理なものは無理なわけで。
身振り手振り、オーバーリアクションで言葉にする霊夢は非常に可愛らしいのだが、生憎と超能力者でも覚妖怪でもない私にはさっぱり理解不能である。
そんな冷や汗交じりの私に「ともかく!」と逆切れなされる霊夢も、それはそれで可愛らしいものだ。
「私が言いたいのは、アンタは他の連中よりも自由だってことよ」
自由だと、彼女は私のことをそう評した。
他の天狗たちよりも自由気ままで、つかみ所のない雲のような奴だと、そう言葉にして。
「そうでもないわよ。私も結局は、天狗社会の一部でしかないもの」
「そういうものなの?」
「そういうものよ。いくら私でも、上からの命令には逆らえないもの」
彼女の言うとおり、自由気ままにいられればそれはどれだけ楽なことだろうか。
けれど、社会に属している限り、上層部の命令には従わなければならない。
命令を破れば罰せられるし、私には命令を拒否する自由も与えられていないのだ。
社会に属するとはそういうこと。彼女の目に私は自由に見えても、その実、私の周りは古いしきたりや偏見と命令で雁字搦め。
幻想郷にいる以上、ありえない仮定ではあるけれど、もしも霊夢の抹殺の命が下ってしまった、そんな日には、私はきっと――。
そんな命令が下ったその時、私は――彼女をどうするのだろうか?
……我ながら、無意味な妄想だったと思う。
幻想郷に博麗の巫女が必要な以上、そんな命令などありえないというのに。
私が、霊夢を殺すなんて、そんなのありえない。ありえるはずがない。
けれどもし、そんな命令が下ったなら……私は、その命を遂行できるだろうか?
ありえない仮定の話だけれど、嫌だなと、心の底から思ってしまうから。
「じゃあさ、あなたが今ここにいるのも、私にちょっかいかけるのも、上からの命令?」
そんな言葉に、私の意識は現実に引き戻される。
ふと、霊夢に視線を向けてみれば、能面のような表情で私を覗き込む彼女の姿。
まるで、異変の解決に挑んだときのような、妖怪退治の巫女の顔。
あぁ、けれども。
私の自惚れでないのならば、彼女の能面のような表情が――悲しそうに見えたような気がした。
否定して欲しいとどこかで思っていそうな、けれどもそんな思いなど欠片も見せようとしないように。
「こうやって私の傍にいるのは偵察のためで、本当は私のことなんてどうでもいいと思ってる?」
くりくりとした黒い瞳が、私の紅い眼を捉えて離さない。
さわりと、頬を撫でるように霊夢の手が伸びてくる。
頬にかかった髪をかきあげて、じっと私の顔を覗き込んでいる彼女は、何を思っているのか。
無表情のはずなのに、私にはどうして、その顔が今にも泣き出してしまいそうだなんて思ってしまうのだろう。
「そんなことないわよ。私がここに来るのは、私が自分で望んだことなんだから」
だから、何でもないように言葉にして、私は笑った。
それだけは、紛れもない私の本心だから。
誰の命令でもない。誰から強制されたわけでもない。
私はただ、新聞記者として。そして、時には彼女の友人として。
好き好んで、私はこの場所を訪れている。
自ら望んで彼女に会いたいと、そう思っているから。
「あらそう、それは実に迷惑な話ね」
その言葉に、どれほどの意味があったのだろう。
なんでもないように口にした霊夢は、けれどもほのかな笑みを浮かべて頬の手を外した。
やれやれと肩をすくめた霊夢は自分の湯のみを手にして、ズルズルとお茶を口にしている。
少しだけ、頬が紅いような気がするのは気のせいじゃあるまい。
相変わらず、素直じゃない巫女だこと。
それもまた、彼女の魅力の一つであるとは思うけれど。
「ま、迷惑な奴に目を付けられたと諦めることにするわ」
「はて、私は迷惑をかけたことなど一度もありませんけどねぇ」
「どの口がそれをいうのかしら、このパパラッチは。また仮面かぶってからに」
そんな悪体を付き合って、ずずーっと緑茶を楽しむ私たち。
それからどちらともなく苦笑して、ケタケタとお互いに笑いあった。
彼女は、私が自由だとそう言葉にした。
けれどね、違うんだよ霊夢。本当に自由なのは、きっとあなたなんだから。
何者にも縛られない。何事にも束縛されない。自由奔放な楽園の巫女。
私には、絶対に出来ない在り方。
私には、手の届かないうらやましい生き方。
社会に属する私には手に出来ない、心から望んでやまないその在り方。
だからこそ私は彼女に――博麗霊夢に憧れ、惹かれたんだ。
「今日はいい天気になりそうね」
空を見上げて、彼女が呟く。
どこか嬉しそうな彼女の言葉に「そうね」と返した私は、同じように空を見上げた。
たまにはこうやって、巫女と二人で縁側でのんびりするのも、きっと悪くない。
憧れの少女はくぁッと あくびを一つ。妖怪が隣にいるというのに、無防備ったらありゃしない。
でも、きっと彼女はそれでいい。
彼女にはいつまでも、ずっとずっと何にも縛られないままでいて欲しい。
それは、私の身勝手な願いではあるけれど。
私の求めてやまぬ「自由」という言葉は、きっと誰よりも彼女にふさわしいと、そう思うから。
しかし、三天狗ギャグも久しぶりに見たくもあり……
文から見れば霊夢は自由に見える。
けどお互い雁字搦めな気がする。
文は社会に縛られ。
霊夢は幻想郷に縛られる。
だからこそお互い惹かれているのかも…?
むしろオレを罵って!
ところで椛分が足りないんですがどうしたらよいでしょう!?