Coolier - 新生・東方創想話

月面戦争へようこそ

2011/03/18 21:51:11
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 そこはいつもの大学構内にあるカフェテラスだった。
 だが、昼下がりだというのに中は閑散としていて、私達を除いて誰も居なかった。
 普段なら非常に希有な事なのだけれど、今ばかりは仕方無い。
 世間は嬉々としたニュースが空を舞っていた。誰もが陶酔し、夢想していた。カフェに居るより家でテレビを見ていた方が楽しいのである。

 ”月面ツアー”の実現。

 人類が月面に降り立ったのは1969年。後に人類の月面到達は六度成功し、かの有名なアポロ計画は幕を閉じた。そして発展に発展を重ね、今に至る。その発展の過程で、”宇宙”という言葉に驚かなくなっていた私達も私達だが。
 それ故ニーズもさほど有る訳でも無いとは思われる。実際喜んでいるのは『月が身近に感じられる』だけで、実際は新設のテーマパークに興味を抱くようなモノと、何ら変わりは無い。淘汰されていくか、順応して人々の足となるかは、これから次第。
 それと、月に纏わる事情が世に出回るのは云世紀ぶりらしい。――今となっては古すぎるかもしれないが。

 現在、日本の都市は京都に移っている。
 霊的被爆を経て、東京から京都に遷都したのは今世紀入ってから。さほど古くは無い。
 その東京は旧都となり、大学では霊都、悪く言われれば廃都と蔑称される程に老朽化が進んでいた。
 それ故、東京は建造物の大半が曰く付き(曰くと言っても、仲のいいカップルが別れるだの、その程度)という不名誉な場所になってしまった。私達にとってはどうでもいい話である。

 旧都市部に人はさほど住んで居ないが、往来は未だにある。卯京都と酉東京を結ぶ卯酉新幹線”ヒロシゲ”による53分の存在が大きいのだとは思っている。
 ――が、如何せん私達のような学生には手の出しようが無い移動手段である。単刀直入に言えば、高い。
 ちなみに、私の故郷も東京にある。今となってはド田舎になってしまったが。

 このように、今の東京は以前の輝きをすっかりと失った、霊憑きし場所に成り下がった。”曰く付き”というレッテルを貼られ、昔誰もが夢見て憧れた場所は、発展の余波に押し流され、朽ちていった。


 でも、それこそ私達にとっての愚問。
 曰くは曰くでも、もっと可能性を孕んだモノ。
 時には道理すら排斥し、固定観念を駆逐する。
 私は空に時と場所を見つけ、彼女はそこに”結界”を視る。
 届くようなら、手を伸ばし、広げ、暴く!
 それが私達、大学内では名も知れている――であろう不良オカルトサークル”秘封倶楽部”の存在意義。


 あっ、ちなみに大学内では非公式サークルだから、勿論、お偉いさんから部費も下りない。


「今更すぎる話だとは思わない?」
 ――水を差すな、相棒よ。
 彼女の名はマエリベリー・ハーン。同じ大学でサークルメンバーの一人。私はどうも”まえりべり”が言い辛くて、メリーと愛称を付けている。別に特別な意味も無いし、あなたの後ろに居る訳でも無い。
 メンバーとは言うが、このサークルには二人しか所属していない。二人で全員なのだ。これからも増えないだろうし、ずっとそうでありたい。
「言ってしまえばその通りだけど……温故知新とも言うじゃない。新しきに駆逐されていった古き良きモノだって、裏を返せば新鮮に感じられるかもしれない」
「温故知新云々の前に、その考え方が古いわ」
「古いもんですか。ただ、今の時代が時代だから」
「屁理屈」
「屁理屈だって理屈の内よ」
「そう言うのを屁理屈と言うのよ」
「私の辞書で屁理屈は引けないわ」
「……もういい、本題」
 メリーは憤慨した様子で、傍らに掛けたバッグに手を伸ばした。
 彼女から話題を持ち掛けられたら、大半が”コレ”である。
「……また夢から何か持ち帰ってきたとか?」
「夢……そうね、夢であって欲しいわ」
「幻想の郷ねぇ。信じ難い話ではあるけど……生き証人が私の目の前に居る訳だし」

 前に彼女は、”夢”から手土産を現へ持ち帰ってきた事があった。古ぼけたお札だとか、天然の筍、エトセトラ。

 最初は私もタチの悪い夢遊病だと思っていたが、彼女の能力を考えると全否定し辛い(そして失礼)。それと証拠品の数々が何ともし難い雰囲気を放っている。
 天然の筍なんて、今時お目に掛かる事すら珍しい。それも”夢”産。胡散臭いったらありゃしない。
 それを危惧してか、彼女直々にカウンセリングをして欲しいと頼まれたのだが……生憎、物理屋の私には難しい話である。
 「精神科に通ったらどうだ」と面合わせて言ってみろ、それこそ秘封倶楽部の最期だ。それ故断る事も出来なかった。人徳的にも、正気の沙汰で言える言葉ではない。
 ――まあ、彼女の事はよく知っている積もりだし、彼女と一緒にいる時間の方が長いのも事実。だから私に頼んだのだろうか。

 蓮台野の一件、夢のカウンセリング、ヒロシゲ内の会話、そして今。
 結界の立会人となれるメリーと、傍観する第三者である私。彼女にしか視る事の出来ない事で、私は悩んでいる。

「それで、今回は何を持ち帰ってきたの?」
 メリーが鞄をまさぐり、取り出したソレを机に置いた。
 ごとり、と質量のありそうな――
「石?」
「まぁ、石」
 何を持ち帰ってくるかと思ったら。もう少し、”その物の次”に期待出来る物にして欲しかったなと。
「それで、これは何の石」
「よく解らないけど……月」
「月の石かー。随分昔に話題になったのは知っ……」
 待て。小一時間待て。いや遡れ。
 月? そうね月ね、現在地は大学構内のカフェテラスで座標は――
 落ち着け私、メリーなら仕方無い。メリーなら仕方無い……。
「メリーなら仕方無い」
「何言ってるのよ」
「私を置いて月面ツアーですかそうですか、大時代ね、まったくああ無情ジーザス」
「まさか。そんな金があったら他に回してる」
「……じゃあ、また”夢”?」
「私、どこまで行くのかしら。月の次は火星辺りかしら」
肩を竦め、健気にも自虐混じりに笑ってみせるメリー。――夢らしい。
 でも、このまま行ったら、脱線どころかメリーがメランコリーになってしまう。
「是非私も連れていって欲しいモノだけど……話戻すよ。月で何があったのか教えて」
「……えぇ」
 彼女は、夢の一部始終を私に教えてくれた。


 §


 ――とりあえず最初から最後までね。
 目が覚めると、神社に居たの。それも満月の夜に。
「月の話なのにスタートは神社?」
 荒唐無稽だけどその通りなのよ。私は境内に座っていた。
 そしたら隣に女の人が居たの。見るからに毒々しい、紫のドレスが映える人。雨も降って無いのに傘を手に携えて、怪しく笑っていた。
 もの凄く胡散臭そうだった。顔は覚えてない。
 ――そう、その人に話しかけられたんだった。

――月はお好き?

 この一言。
 私は質問にこれと言った疑念も抱かず、こう答えた。

――ええ、好きよ。

 実際、月にこれといった感情も抱いて無かったから。
「”月が綺麗ですね”?」
 いや違うから。
 そしたら、今度は――

――行きたい?
――行ければ、ね。

 すると女の人は突然私の手を引いて、神社の裏へ連れていったの。
 あったのは湖。とても小規模で池に近かったけど、かといって池だと規模が少しばかり大きいかな、って位。
 私のすぐそばで水月が映っていて、綺麗だった。
 手で触れてみたい。そんな衝動に駆られて、私はしゃがみ込んだ。

 そして、水に触れた。
 月が、砕けた。
 水面に、光の残滓を飛び散らせて。
 徐々に、徐々に形を変えて。
 戻った。

 けどそこに、さっきまであった月は無かった――いえ、月が変貌したの。
 禍々しい程に輝きを増し、あろう事か”口”を開けていたわ。
 その”口”の中で、無数の眼が一斉に私を刺すように見つめていた。
 怖くなって私は女の人に助けを求めた。
 彼女を振り返り、水面に映る月を指し示した。
 だけど彼女は――

――行ってらっしゃい。

 私は肩を押された。
 背中から服の中へと水が流れ込み、体全てを沈めてしまう前に、彼女の声が聞こえた。

――ボン・ヴォヤージュ。また、会いましょう。

 その言葉を最後に、私の意識は体と共に深く沈んでいった……って訳。

「夢なのに意識云々ってのも、おかしいわね」
 私に言わないでよ。むしろ私が知りたいわ。
 ――それから、意識が戻った。
 水浸しだった服は何故か乾いていた。私の覚めぬ間に何があったのやら。
「で、メリーさんは月に来た、ね?」
 ――月は、私達の想像を遙かに越えていた。だって都があったんですもの。
 居住区もあれば高層ビルもある。ホントに月かと思うのだけれど……見えるのよ。宇宙が。
「見えるって……?」
 星が間近に感じられる程に良く見えるの。でも、もしかしたら超大規模なカレイドスクリーンと似たような物かも。
 ――まぁその……とにかく、今私が居るのは月なんじゃないかなーって。
 かといって息も出来るし気温も普通。それに重力も地球と大差なかった。夢って怖い。
「随分とアバウトね。まぁ私は現物を見られないから仕方無いけど」
 問題はソレ。これが全部嘘でも、貴方には事実に聞こえる。それは仕方無い事。だから、これから話す事にも驚かないで欲しいの。いい?
「いつもの事でしょ。大丈夫よ」
 ――私は開けた場所に一人立っていた。ここはどこ? 私はメリーさん。今得体の知れない場所にいるの。
 それから私は……その、連行されたわ。 
「私がされた?」
 連行よ、れ・ん・こ・う。何やら長い銃持った人にいきなり「貴様何者だ!」とか言われて、物騒な物突きつけられて。そりゃ抵抗したくなくなるわよ。痛いのは御免蒙りたいわ。
「連れて行かれた先はムショですか? マエリベリー・ハーンさん逮捕?」
 残念、立派なお屋敷。
 何やら物騒な人曰く、月のお偉いさんと謁見出来るらしいの。ちょっと期待もしてたり。
「で、お偉いさんとは」
 ――残念、それっきり。続きは何時になるか分からないわ。お開き。


 §


「如何だったかしら、私の夢はここで途切れたけど」
「んー、メリーは素敵なストーリーテラーね。将来有望」
「もしかして信じてない?」
「まさか」
 私は席を立った。思い立ったが吉日、である。
「今度、一緒に月について調べましょ。メリーの夢の真相も、安上がりな月面ツアーも見つかるかもしれないし」
「そう? どうせなら今一緒に居た方がいいんじゃない?」
「いーや。メリーには夢の続きを見てもらうという、大事な役目があるから。今日は早めに寝なさいな」
「寝るったって……まだ日も暮れてないわよ?」
「別に今寝ろって訳じゃないから。夜更かしはしないでよ?」
 颯爽と立ち去る私。我ながらカッコいい。
「あ、こらっ……ちょっと蓮子!」
「なぁに、メリーさん一人で寝るの怖い? 一緒に寝る?」
「お会計」


 §


 メリーに念を押して「早く寝てね」と伝え、私は家へと帰った。これからやる事は一つ。
「調べるったって、有力な情報が如何せん無いのよね……」
 帰るや否や、卓上でモバイルPCの電源を入れる。
 そうは言いつつも、情報の海に頼る以外、今の私に力は無い。
 しかし、これ程までに情報社会が身近になったのもエラい発展だとは感じている。一昔前は、PCすら普及してなかったというのに。
 その所為もあるのだろう、今やリテラシーの有無だけで取られるのが当然な社会にある。喜ばしいんだか、悲しいんだか。
 それ故、古きが駆逐されていくのを、指くわえて見ているだけってのも惜しい。


「大時代、か」
 メリーから拝借した月の石を取り、手で弄ぶ。
 メリーに冗談混じりで言い放った自分の言葉。
 その大時代に、私達は居る。秘封倶楽部も、この時代に居る。
 大時代だからこそ、夢を見ていたい。昔の人達が大時代を夢見たように、私も古き良き夢を見ていたい。
 そして、私にしか見られないモノで、彼女に夢を見させてあげたい。
 完全にPCが立ち上がるのを見て、私は思い当たる節を調べ始めた。
 流石に彼女の夢については自分自身を頼るしか無い。だが、それ以外の具象ならば、これで事足りる。

 あった。

「月面ツアーへようこそ……」
 検索で一番頭に来たページ――は置いといて、私はフリーの百科事典に辿り着いた。
 そんじょそこらの個人や特集ページでは物足りないし、紙の辞書は情報量が多い故に時間と手間が掛かる。それらの点を踏まえて、利便性と確実性に富んだこの辞典は、非常に役立つ。
「月の公転自転……んなモン知ってるけど……」
 私はページを何一つ読み飛ばす事無く、関連項目の全てに目を通す。俗称や公転周期、更には月の神である月夜見や海外の項目と、虱潰しに有力な情報を探した。今日一日で読み尽くす積もりでいる。――もっとも、これが本当に有力な情報に成りうるかは微妙だが。
 ――目が痛くなる。
 私は窓――常時開けっ放しのカーテンが添えられた――から夜空を見上げた。
 空に浮かぶ星々と、
「……JST21:00ジャスト。月齢は13、待宵ね」
 胡散臭い機能の付いた電波時計やクォーツウォッチ、人工衛星を介したGPSよりも遙かに正確な”眼”。
 それが、私の眼。
 月を見れば自分の居る場所を、星を見れば時間を。
 これが後天性なのか生まれ付きなのかは判らない。物心付いた頃から、月と星に何かしら”視えていた”。
 今となっては何処に居たとしても、経緯違う事無く言い当てる自信は絶対としてある。日時だってコンマ00まで見分けてみせる。たとえそれが写真の中であっても、だ。
 しかし、星と月が見える時間帯、つまり夜しかこの眼は働かない。朝と昼の間なら常人と同じなので、マイナス要素は無いのだが。
 それから、私が読める時間は日本標準時――つまりJSTしか読めない。
 更にプラネタリウムなど、流石に人為的な物は読めない。その前に、読むべき具象が偽物であるなら、最初から私の眼は働かない。
 胡散臭い心霊写真を探しては日時と場所を視て、それからのフィールドワーク。――そこが現存していればの話だが。
 最近は合成心霊写真が無駄に広まってしまっているが……それ以前に、心霊写真は手法が古臭い。
 本物は一握りどころか、一摘み程度しか無い。
 ……まあ、その本物ばっかりは私に見分けられないので、パートナー頼み。
 そのパートナー、つまりメリーにも”変わった眼”が備わっている。
 私は時と場所を空に見付け、彼女は目に見えぬ”境界”を視れる。
 その境界は自分達の足で探しに行ったり、心霊写真を元にしたり。
 彼女の能力が無いと、私達のサークルの本懐を成す事は出来ない。

 何せ”秘封倶楽部”ですから。

 誰からも見られぬよう、厳重に封をして閉じ込めた”境界”。
 そこへの水先案内人が私。手掛かりを頼りに、その場所を視て、辿り着く。
 そして、境界の扉を開くのがメリー。私には視えない境界を探し、手を伸ばす。
 二人で一つの秘封倶楽部。
 宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンの二人で、一つ。

 私は再び画面に目を落とした。
 ――今頃、メリーは夢の続きでも視ているのかしら。


 §


 ならず者か何かのように、私は立派なお屋敷に連れてこられた。
 不法滞在で殺されるのかとも思っていた。望んでもないのに月に飛ばされた私の身にもなって欲しい。
 最早、夢を愉しむ余裕すら出てきた。本当は危ない事なのだろうけど……私だって、好きで視ている訳じゃない。
「綿月様とお会いになられる事を感謝しなさい」
 私を取り巻いている兎……兎? 多分そう、月の兎が私に忠告してきた。耳としっぽ付いてるし。
 ――どうやら、その綿月とかいう人が、月のお偉いさんだと勝手に推測。
 ……展開早過ぎない? 開始早々デジタルゲームのラストボスとご対面?

 扉、御開帳。

 しかし、私の期待していた様な場所ではなかった。
 お偉いさんが座るような玉座もなく、あるのは座布団程度。
 私の様な人にはこのお部屋で十分って事だろうか。逆に捉えれば、生気の無い牢獄に閉じ込められないだけマシだろう。
 しばし待てと言われ、一人この部屋に残されてしまった。
 ――よし、散策。きっと100ゴールド的な何かが隠してある筈。無論、現実世界の手土産として。
 部屋全体は古い日本の様式で、襖に畳張りの床、ちゃぶ台を挟むように敷かれた座布団、風情のある掛け軸。
 ――これじゃ日本と大差ない。
 もっと技術的に進歩しているのかと思っていた。架線の無い透明な自動扉とかあっても、何らおかしくは無さそうなイメージ。
 まぁ、現実(かどうかは解らない)がコレだから仕方無い。つくづく人間は誇張表現が似合う生き物だと思った。
 さて、この掛け軸の裏に遺産か金銀財宝があっ――
「進入者さん、居るわね?」
「ひぅ!?」
 声が裏返った。まったく泥棒とは心臓に悪い。 
 襖がスーッと開いていき、現れたのは女の人二人。
 パッと見て理解出来たのは、”赤”と”青”。
 赤い人は目つきが少し怖くて、腰に刀を挿していた。月のお偉いさんは極道者なのだろうか。
 青い方の人は、私と外見そっくり。帽子から髪の色まで一緒。けど背も高いし、私より髪も長い。それに、どこか大人っぽい。
 ――この二人は姉妹か何かかしら。そんな事を考えていたら、青い人が話しかけてきた。
「貴方が進入者で間違い無いのね?」
「えっ、いや、まぁその……そうみたい、です」
「お姉様、進入者に進入者ですかと訊くのはどうかと」
 どうやら姉妹のようだ。
 赤い人が「お姉様」だから、この青い人が姉で赤い人が妹。
「紹介が遅れたわ。私は綿月豊姫。こう見えて月では偉いのよ? それでこっちが私の妹で――」
「綿月依姫と申します」
 お姉さんの方は見た感じ、ざっくばらんでとても親しみやすい印象。一方で妹さんは凛としていて、真面目そう。
 その二人は私の反対側に座り、ちゃぶ台を二対一で挟む形となった。
「……不躾で悪いのだけれど、貴方は地上の人間? それとも月の人間?」
 青の人――豊姫さんが口を開く。
 地上の人、という概念がある。故に地球でないのは確かという事? まだ未確定要素が多いけど、私は自分が月に居るという確信を強めた。
 それから――この場合は素直に答えた方がいいだろう。
「えと……地上の人、です」
 そう答えると、赤の人――依姫さんが首を傾げ、眉をひそめた。
「……変ね、地上の者なら優曇華が咲く筈なのに」
 優曇華? ――確か大学の資料室で書物があった気がする。
 確か……空想上の植物で、何千年という時間を掛けて花を咲かせる稀有な物。
 実在している意味でも捉えられ、その場合はある昆虫の卵の別称だったり、また別の植物だったりする。
 ――私も現物を見た事が無いのだけれど。資料には写真すら無く、文字上の意味でしか私は知らない。ましてやここは、私の知る世界では無い。
「あの……うどんげ、って何ですか?」
 月での優曇華が何であるかは知らない。未知の物は訊くのが一番。道理も理解も早い。
「月への進入者用に使っている一種のレーダーサイト、かしら。実際ただの植物だけど、地上の穢れと反応して、もし穢れが月に入れば花を咲かせる。精確には穢れを吸って成長しているの。故に地上の人間が来たという事を、私達に教えてくれる」
 ――”地上の穢れ”?
「あぁ、月の者達にとって、地上とは穢れた場所なの。大罪を犯した罪人を墜とし、幽閉する檻としての場所でもある」
 説明しつつ、まじまじと見つめてくる依姫さん。
 それはもう舐め回すような視線を注がれている。もの凄く詮索されている感じが凄い。見られている方にとって、気持ちのいいモノでは無い。
「貴方……何者?」
「な……何者と言われましても……」
「優曇華が咲かない。となると地上の人間では無いし、かといって月の民でも無さそうだし……」
「まぁまぁ依姫、いいんじゃないの? 大事にならないだけいいわ」
 それを端で聞いていた豊姫さんが、何処からか取り出した扇子を広げた。
 途端、被りっぱなしの帽子が頭から落ちた。

 ――訂正、吹き飛ばされた。

 突風とまではいかないけれど、豊姫さんからの扇子から風をモロに浴びた。
 これはおかしい。こちらを扇いだならまだしも、広げただけでこの規模の風を起こせる筈が無い。
 理系の蓮子の方が詳しそうだけれど、私にだってそれくらいは解る。むしろ解れ私。
「あら、ごめんなさい。大事なお帽子落としちゃった」
「あ……あの、その扇子」
「これ?」
 ぴっ、と扇子を指す豊姫さんの顔は、何故か満面の笑みを湛えていた。怖い。
「よくぞ訊いてくれましたー!! この扇子はね、一振りで森を一瞬にして素粒子レベルで浄化する風を起こせるの。すごいでしょ!!」
「はい?」
 素粒子と言うのは、物質を構成する基礎となる最も微細な粒子で種類も多い。これも”彼女”の分野だろうけど……。
 その”素粒子”という極小単位から、物質を無に帰せる――。単純に言うと、銃よりも遙かに物騒な物を突きつけられている訳。
 しかし、この場所で振るおうモノなら、隣の依姫さんどころかここ自体危ない。
 ――いや、平生を保っているように見えて、本当は非情なのかもしれない。人はまず疑って掛からないとやっていけないのが世の常。
 とりあえず厄介事と痛い思いは御免被りたい。私は相手のペースを崩さぬように相手しなければ。
 そう思った矢先である。依姫さんが口を開いたのは。
「しっかし、バッドなタイミングで入られたわね……XX様も今居ないし……」
 ――へっ? 何? この人達何て言ったの?
 とても人間が出せる声ではなかった……いや、月の人間がどうかは解らないが。
「XX様が居なくても、保護くらい私達に出来るでしょ。貴方もいいわよね?」
「は、はい……」
「いい子ね。じゃあ、ちょっとここで待ってくれるかしら」
 その言葉を最後に、豊姫さんと依姫さんは部屋を出ていった。

 待った。ほご? 私は彼女らに保護されます。
 こんな物騒な場所に匿われる……詰まる所牢獄と変わらないじゃない!
「はぁ……シンドいわよ……」
 むしろペースを崩されたのは私の方だった。
 ドッと押し寄せる疲労感と睡魔に私は勝てず、頭をちゃぶ台に乗せ、だらしない格好で眠りについた。
 今以上に、私達の世界が恐ろしく平和に思えた事は金輪際無いであろう。
 意識が遠のき、視界が黒の淵に染まっていく。


 §


「……おしまい。とりあえず、昨日見たのはこれ位」
「ごめん、もっと分かりやすく纏めて」
 次の日の事である。
 メリーは無事に夢の続きを見てくれたが、私はこれといった収穫が無かった。あの時間は何だったのであろう。
 そしていつもの大学で、いつものカフェで、いつも通りに彼女は夢を語る。
「うーん……これ以上簡潔に纏めようが無いわ」
「そこを何とか。ね?」
「月来た。捕まった。ボス出てきた。殺されかけた。出ていった。寝た。終わり」
「……オーライ。で、今回は何か持ち帰ってきたの?」
 首を横に振るメリー。あちらも収穫ナシ、らしい。
 何一つ縋るモノが無い、メリーの夢暴き。――暗中模索。
「……どうだったの? 夢」
「どういう意味?」
「いや、楽しい夢だったとか、悪夢だったとか」
 うーん、と手を顎に当て、頭の中をまさぐり始めたであろうメリー。
 夢というのは誰もが至極当然見ているのである。
 よく人は夢を見なかったと言うが、本当は夢の内容を覚えていないだけ。
 そして都合の悪い夢だけヤケに頭に残るのである。消す手だてすら無く、しつこく思い起こされるのだ。”悪夢”に対義語が無いのは、大体その所為だと私は思っている。
「まぁ……楽しい夢、かな」
「……そっか」
「うん、楽しい夢。月に行く夢。……本当は蓮子も連れていきたいのだけれど、ね」
「いいわよ、夢は誰だって見るモノだし。私だってメリーが羨ましがる位、楽しい夢を見てやるんだから」


 ごめん、強がり言った。
 メリーは楽しいと言った。
 あれ程夢の中で苦労しているかに思えたメリーは、夢を愉しむ余裕まである。
 ――私と一緒に居て、楽しいのかな。
 メリーが夢から帰って来なかったら。
 彼女は夢の中で生きて、現に姿を現す事を忘れる。――じゃあ、私がいるこの世界は、メリーにとっての夢?
 私は怖かった。
 今を壊したくなかった。
 かといって、メリーの夢も壊したくない。それは、メリーの現を壊す事になる。
 結局はただの独占欲。
 メリーが夢に”現を抜かす”事が妬ましかっただけ。
 ――私はメリーが隣から消えるのが嫌。
 あぁもう、いい加減目を覚ませ、宇佐見蓮子!
 ここは現以外の何物でも無い。彼女だって私の目の前に居る。
 私が彼女を現に繋ぎ止める。それで問題無い事よ!


「私、もう行くね。これ以上は二人一緒でも解決しっこ無いと思うわ。蓮子の吉報を期待してる」
 彼女が席を立つ。
「――あっ」
 ぱしりと私はメリーの手を掴んでいた。
 自分でも無意識の行動に驚いている。
「…………蓮子?」
「……っ、」
 口が動かない。
「なぁに? 宇佐見さんは一人で寝るのが怖いの?」
 あの時と同じ言葉を返された――が、反射的に口が動いてしまう。
「はん! そんな訳……」

 ある。
 絶対ある。 
 今度は開いた口を無理矢理閉じようとした。
 その結果、口から本音が漏れた。

「……ある」
「えっ?」
「メリー、向こう側に行っちゃいそうで、怖い」
「ど、どうしたのよ蓮子。らしくもない」
「……今日、泊まりに行くから」
「へ? あっ……うん」


 §


「悪いけどベッドは一つしか無いの。半分こね」
「一つじゃなかったら幾つ有るのよ」
 私の寝間着を貸し、寝支度を終えた彼女はベッドに腰掛けていた。
 あれから蓮子は何一つ用意もせず、不躾に私の住むマンションへと上がり込んできた。とっさに承諾してしまったのだけど、特に来られちゃ不味い事も無かった。それどころか、蓮子の身の回りの世話まで自ずとやってしまう始末。
 一番は私自身のカウンセリング、あわよくばサークル活動の方針決めをしたいとは思っていた――けど、肝心のパートナーがコレでは無理だと考えた。

「蓮子の家は大丈夫なの? 色々つけっぱだとか」
「戸締まりもしっかりしてきたから、心配ご無用よ」
「そ。ならいいのだけど」
 私をベッドへと催促する蓮子。どう考えても人様の家でとれる態度では無い。
「貴方ねぇ、人ん家突然上がり込んで……」
「頼んだわよ、水先案内人もとい夢先案内人」
 ――色々勘違いも甚だしい。が、彼女なりの空元気なのだろう。私はそう思う事で無理矢理道理を通した。
「悪いけど、蓮子が一緒に来られる可能性はゼロに近いから」
「その”ゼロに近い可能性”に私は賭けているのよ。行けなかったらそれはそれ、行けたらめっけもん。それだけの事」
「楽天家ねぇ」
 二人で一つのベッドに潜る。毛布を二人が覆われるまで引っ張り、顔を見合わせる。
 途端、蓮子が吹き出した。
「ぷっ……何だか、恋人同士みたい」
「言うと思った。蓮子が男ならまだしも」
「残念ながら淑女ですわ」
「冗談」
「むぅ……」
 ――こんな会話、いい年した大学生がするような事では無いのだけれど。しかも女同士。
 残念だけれど私にその気は無いから。悪しからず。
 でも、やっぱり女の子としてこういう事にセンチにならざるを得ない。例えば――
「ピロートーク」
「んー?」
「や、何でも……ない」
 隣の蓮子が身を乗り出してくる。止まりなさい、それは恋人の距離よ。
「メリー、ドラマだの何だのに感化され過ぎよ」
「だって、一つのベッドで寝るというのは仲睦まじい男女がするべきモノだとは思わない? 女の子二人がこんな事する?」
「メリーは嫌?」
「いっ……」
 実際、不快ではない。
 むしろ、彼女だからこういう事も赦しているのだけれど……否定は出来なかった。
「嫌では無いけど……」
「結構結構」
 更に距離を縮める蓮子。ストップ、ストーップ。私の貞操と理性が危ない。
「近い近い近い近い」
「いいじゃない、話しやすいし」
「ベッドの上なのだから十分近いじゃない……」
「遠いな。私の勘がそう告げている」
「誰の真似よ」
「知りたい?」
「……遠慮しとく」
「――それで。夢、どうなの?」
「曖昧なの。私は現に居るのかな、って」
「――そっか」

 いつしか会話も少なくなってきた。
 蓮子は本格的に眠くなり始めたらしい、半開きの目をどうにかして開けようとしていた。
「無理して起きなくていいのに」
「うー……ん、はわぁ……」
「貴方、疲れてるのよ。早めに寝ちゃいなさい」
 蓮子の黒髪を撫でる。
 撫でる手の暖かさと心地よさは、睡魔を助長させるのに十分すぎる威力を持っていたようだ。
 蓮子は呆気なく睡魔の餌食となり、意識を喰われていった。
「おやすみ、蓮子」
「……ゃすみ……」

「さて、と。夢の続きは見られるのかしらね」
 と、口では言うが一向に寝付けない。
 完全に蓮子が寝付き、私は尚も天井を見つめていた。
(――眠れない)
 何故か眼が冴える。
 ――隣の彼女が原因だと思いたい。
 私の隣では”彼女”が健康な寝息を立てている。よくもこんな状況で寝られるわね。
「いびきをかかれないだけマシ、ね」
 観念して私は眼を閉じた。閉じていれば、眠りの淵へ自然と落ちていくだろうと考えた。

 そう、考えた。

 だがどうだ、瞼の裏で居たのは他でも無い、私自身だった。
 自分自身に手を引かれ、意識は望まぬ方の淵へと落とされた。

「――――えっ」

『まだ始まってもないわ』

「始まるって、何が……」

『――戦争』


 §


 翌朝。
 案の定彼女は居なくなっていた。
 予定調和だった。
 残っているのは、彼女の居たであろう、ベッドの跡。
 そこはすっかり冷えきっており、まるで最初から誰も居なかったかの様だった。
 ――私の莫迦。
 何が彼女を現に繋ぎ止めるだ。
 何が居なくなるのが怖いだ。
 何が……ッ!
 これ以上自分を卑下しても、それを咎めてくれる人は居ない。
 彼女の残した月の石を掴み、バッグへ放り入れる。
 寝間着を手早く脱ぎ捨て、吊してある普段着を纏う。
 何時ぞや彼女がプレゼントしてくれたネクタイを締め、お気に入りの帽子を深く被る。
 本来ならここの課程で手間取って遅刻するのが専ら。彼女は単なる寝坊だ、と聞かないが。
 時間は無制限。一生掛けたっていい。
 アテなんて無い。行動理念は彼女の為。ただそれだけ。
 屁理屈であったとしても構わない。それ以前に、宇佐見蓮子の辞書で”屁理屈”は引けないのだ。

 私は家を飛び出した。


 §


 目が覚めると布団の上だった。
 畳張りの床、風情のある掛け軸、襖に囲まれた部屋の中、私は独りだった。
 ここは何処――と考えかけ、止めた。
「夢……?」
 昨日視た夢と似たり寄ったりな部屋だった。
 夢が続き物である事は滅多に無いのだけれど……。
 体を起こし、頬をつねってみる。
「あいっ」
 ――痛い?
 ここは夢の中よ?
 私の無意識の世界よ?
 ――夢の世界が眼前に広がっていたとしても、私は傍観者にしか成り得ない。痛みも感じず、ただ、視るだけ。
 思い出しなさいメリー、マエリベリー・ハーン。確か、私は蓮子と二人で寝ていた筈。そして眼を覚ませば、隣で遅刻魔がグッスリ寝ていることだろう。
 でも、彼女は居なかった。
 彼女は居ない。それは確かだ。
 重要なのは”誰が”居なくなったか。
 ――正答は一つ。”私が”居なくなったのが正解。それが本当なら、以前私が夢から持ち帰った物の説明にカタが付く。
 ならば最初に――”夢から覚める”事を始めないと。

「そうね、確かに夢みたいだけど……ね。とりあえず眼を覚ましなさい」

 背後からの声。
 振り向けば、《あの時》の女の人が、上半身だけ境界――私の眼で視るソレと同じ――から身を乗り出していた。
 もうこの程度じゃ驚かない。私は立ち上がり、彼女に食ってかかった。
「……貴方ね? 私をここに連れてきたのは」
「ご冗談を。私は貴方が望んだようにしただけですわ」
「冗談言ってるのはどっちよ……こっちは散々な目に遭ってるんだから」
 彼女は顔に湛えた笑みを崩さない。――この表情も夢の中では綺麗にも思えたけど、今だと莫迦にされている様にしか思えない。
「月はお好き?」
「大っ嫌いよ、誰かさんの所為でね」
「そう……じゃあ帰る?」
 帰れるの、と一瞬期待もした。でも、それが叶わぬ夢である事に気付く。いや、ここは夢――なのだろうけど。
 ただ、確証は持てない。
 ――落ち着け、この女の人は私の反応を愉しんでいるに違いない。
 ここでホイホイと乗ってしまえば、良からぬ事に巻き込まれるのは目に見えている。
 私にプラス方向へ働く選択肢は無いのだろうか……。
 今ここで、根掘り葉掘り聞いておかないと。
「じきに迎えに来るわ、それまで月で待ってなさい」
「……待つのはそっち。私が言いたい事は沢山あるのよ」
「戦争」
「…………?」
「言ったでしょう、戦争はまだ始まってないわ」
 彼女の体が、境界の隙間へ滑り込んでいく。
 ――って、逃げる気!?
「ちょっと! まだ話は終わってない!」
「開戦は丑三つ時。場所は月の裏側。今宵、一心不乱の大戦争をお送り致しますわ」
 彼女の体はすっかり隙間に隠れてしまい、その口が閉じる。
「――まだ一つも訊いてないのに……不味いわね」
 この会話で得られたモノはゼロに等しい。結局、彼女は何をしに来たのだろう。
 一時の救世主、詰まる所デウス・エクス・マキナには程遠い彼女の出現。それが意味するもの……?
「ん、ちょっと待って。戦争って……」
 ぴしゃり。
 突如、勢いよく戸が開け放たれた。
 そこには、初対面の時と相も変わらぬ姿で依姫さんが立っていた。
「依姫……さん?」
「起きてるわね? すぐに移動するから準備なさい」
 彼女に急かされ、部屋から連れ出される形となった。
「ちょっ、何でいきなり」
「戦争」

 どきりとした。
 あの女の人と同じ事を言い出したモノだから。
 やはり彼女はデウス・エクス・マキナでは無い。彼女こそ、この夢における本当のラスボスなのかもしれない。

「さしずめ月面戦争ね」
「……まさか本当に」
「ん?」
「依姫さん、今の時刻か分かります?」
 ――こういう時に蓮子が居てくれれば。
「丑の三つを回ったばかりだけど……」
「! そう……ですか」
 恐ろしい程、彼女の言った通りに事が運んだ。
 もしや、この月そのものが彼女の手のひらにある……?
 この夢のような事態そのものが、彼女の創り出したシナリオだとしたら。
 なら何故、戦う理由がある?
 何故、私がこんな目に遭う必要がある?
 それに何故、私なのか。
 私でないといけない理由があるのだろうか。
 ――能力の所為?
 私が境界を見続けてしまった報いか。確かに、秘封倶楽部の活動内容は思いっきり法に触れているのだけれど……。
「ここで待ってなさい」
 連れて来られたのは、さっきと大して変わらない部屋だった。
 畳張りの床に襖と、相変わらず日本古来の様式を崩してはいない。
 ただ違う点は――部屋の奥で、優曇華が見事な白い花を咲かせていた。
「あら、進入者さんこんばんわ」
 それに加えて、豊姫さんが居る位。
「……お姉様、彼女をよろしくお願いします」
「はいはい。存分に暴れてらっしゃい」
 ……暴れる? まさかとは思うけど、是非を問う為に私は依姫さんに駆け寄った。
「依姫さん、戦うの?」
「――この日の為に、”コレ”があるのだから」
 かちり、と腰に差した刀を鳴らしてみせる依姫さん。その表情に曇りはなく、清々しかった。
 走り去る彼女の後ろ姿がヤケに凛々しくて、思わず見とれてしまっていた。戦地へと赴く人間は、どうしてこうも違って見えるのか。
 ――けど遠回しに言えば、夢の中荒らされている訳で。そう考えると、ちょっと不憫。
「心配しなくたって大丈夫よ。あの子は頑丈に出来ているから」
「そういう問題ですか……」
「それよりお話しましょ。貴方の事をもっと知りたいわ……って忘れてた、お名前を聞いてなかったわね。ごめんなさい」
 言うてみ言うてみ、と私を指さしジェスチャーする豊姫さん。社交的な姉だ。
「……マエリベリー・ハーンです」
「マエリベリー・ハーン。素敵な名前ね、マエリベリー・ハーン」
 この人は蓮子と違って異国の名前に強いようだ。私の名前も難なく言えている。単に蓮子が異端なだけかもしれない。
 けど、必要以上に長いファーストネームは会話の邪魔になる。それに、ファミリーネームで呼ばれるのに慣れていない私は、無難にこう言った。
「あ、呼びにくかったらメリーでもいいです」
「そう? じゃあメリーさん。お話をしましょ」
 ――話をするのはこちらとしても本望。色んな事を聞き出せるし、教えて貰える。
 まずは豊姫さんに先手を譲る。もの凄く話したがっているから。
「それで、お話とは」
「貴方自身、貴方の世界。色んな事」
「……私はあっちの世界で学生をしていて、それから――」


 §


 飴細工の様に狂う炎を纏った左手を払う。
 愛宕様の力――炎は、瞬く間に妖怪共を飲み込むとその勢いを更に増した。
 更に無数の弾丸が、追い打ちの如く撒かれていく。
 依姫の後方では、月の玉兎が長銃を手に陣形を組んでいた。地道に、かつ的確に依姫に迫る敵の妖怪を攻撃していく。
 戦闘の邪魔にならぬ様、絶妙な位置にずらされた射線の中、依姫は悪しきを灼き、屠る。
「退かぬと言うのなら、神の力を持って相対するまで」
 玉兎が撃ち洩らした妖怪は、寄らば刀で斬り伏せ、祗園様の力で屠る。
 ――神降ろし。
 綿月依姫に与えられた、文字通り”神を降ろす”行為。 元々は巫女が神々から御託宣を受けるための行為だが、彼女は八百万の神々を自身に宿らせ、それを使役する事が出来る。
 依姫はその力を遺憾なく発揮し、敵を文字通り圧倒した。


 ~


「――様、先遣隊が月軍と接触したとの事」
「遅いわね。幾ら有力な妖怪と言えど、程度はたかが知れてる訳か……月へは?」
「いつでも行けます」
「そう……貴方は部隊の様子を見ていて頂戴。無理だと感じたら、貴方が軍を引きなさい。――さぁ、捕らわれの姫君をお迎えに上がりましょうか」


 ~


「敵影無し……依姫様!」
 依姫は死屍累々とした月の野を、愛宕様の火で焼き払った。更に炎を刀に這わせ、刃に付いた妖怪の残滓を消してから鞘へ収める。
「緩まないで、今のが全軍じゃないのは判りきってるでしょう」
(第二波は近い内に来る筈。布陣を変えた方が得策か……?)
 たった一人の軍師で大勢が変わる事は無い。相応の判断が出来る一兵士の方が役立つ場面もあるのだ。
 故に月軍には小隊長は居れど上下関係は無い。
 ただ、それを先導する依姫が居る。
 彼女は元から地位が高いが、月兎達に権威を振りかざす事は無い。
 あくまでも普段通りの振る舞いで。綿月依姫、一個人として戦に臨む。
「――予測は出来ても対応は出来かねるのが戦争。悪いけど貴方達の命、もう少しだけ預からせて」
 だからこそ、月兎も安心して彼女に命を預けられるのだ。


 §


 あれから豊姫さんにありったけ詮索された。もう私について語れる事は一切無い。
 現実世界とは如何な場所なのか、私はそこで何をして暮らしているのか、独り身なのか(余計なお世話だ)。
 後は……秘封倶楽部の活動名目を適当に話していた。勿論、蓮子の事も。
 眼前に跋扈する境界を一つ一つ暴き、世界を視る。
 宇佐見蓮子は夜空に時を、私ことマエリベリー・ハーンは境界を。
 定型文となりつつあるのだけど、こう言う以外に何と言えばいいのだろうか。
 前に彼女――蓮子に聞いてみたのだけど、「いいんじゃない? 理に叶っている訳だし」と呆気なく答えられた。

 この際ハッキリ言う。宇佐見蓮子は碌でもない。
 約束10回につき10回遅刻する、彼女の眼は一日の1/3しか働かない、ふしだら、デリカシーの欠片もない、鈍感、恥に無頓着、女の子らしくない……と、まだ列挙出来るが、これ以上は彼女の面子に関わるので止めておく。
 全て彼女に非があるとは思ってない。だとしても、私依存なサークル活動である事は否めない。
 ――確かに、境界を視るのは私にしか出来ない。それは解っている。
「それは不公平よ、メリーだけが見ているなんてずるい」
 彼女はこう言っていたが――お互い様でしょう?
 私に時は視えない。境界が無ければ、私の目の前は冥いまま。
 けど彼女は視える。夜空さえがあれば冥い所など意に介さない。私の手を引き、冥い街を駆ける。
 本懐を成しているのはお互い様で、結局は求めあってサークル活動が成り立っている。宇佐見蓮子は境界を、私ことマエリベリー・ハーンは夜空に時を。
 ――大いに脱線したけど、私は私自身を洗いざらい話した。話してしまった。我ながら阿呆な事をしたものだ。

「……もう私について話せる事はありません」
「…………」
 豊姫さんは動かない。やはり愚痴り過ぎた……? 謝った方が良いのだろうか。
「ご、ごめんなさい……あまりお話らしい事言っていませんでしたよね」
 けど、返ってきたのは予想だにしなかった言葉だった。
「んーん。凄く楽しそうに話すなぁ、って思ったの」
 ――楽しそう? ただの愚痴にしか聞こえないコレが?
「その……宇佐見さん? と二人で毎日楽しく過ごしてるのでしょう? あなたが言う事の大半が宇佐見さんの事だもの。幸せそうで妬いちゃうわ」
「いや、ちがっ……その……」
「顔赤ーい。うふふ」
 実際図星。私の言った事の半分以上が蓮子の事だった。否定出来ない自分が恨めしい。
「とっ……とにかく、私は話し終えましたから、次は豊姫さんが質問に答えて貰います」
「はいはーい。何でもどうぞ」

 質疑応答の末、何とか月に関する情報を得る事が出来た。
 ――私が今居るのは、月の裏側に存在する”月の都”と呼ばれる大都市らしい。
 月の裏側に住む民は、老いも死にも知らず、永遠に生きる事が出来るとか。蓮子が聞いたら興奮しそうな話。
 それから月の都にとっての地上とは、穢れた者が住む場所らしい。月の民で大罪を犯した者が堕ちる、云うなれば監獄のような場所。――何だか私達の世界を貶められた様で、居たたまれない。
 次に、彼女ら綿月姉妹は”月の賢者”と呼ばれる役職――かどうかは知らない――に就いている。賢者は各々で月の重大な役目を担っているとか。
 彼女――綿月豊姫は、月の表もとい靜かの海を見張り、妹の依姫は月の玉兎達の戦闘訓練に勤しみ、来るべき戦に備える。
 彼女らもまた、特別な能力を持ち合わせているとの事。
 豊姫さんは海と月を繋ぐ事が出来、依姫さんは神霊の力を借りる、神降ろしが出来るのだと。
 ――言葉だけじゃ意味不明だった。多分実際に見ても理解に苦しむだろうけど。

 以上、聞き出せた話を簡潔に纏めてみたが、聞き出した私としても不可解な点の方が多いのである。

「満足した?」
「えぇ、まあ……それなりに」
「さ、次は何のお話をしようかしら」
 もうこちらから切り出せる話題が見つからない――が、豊姫さんとの会話を段々と愉しめる余裕が出来てきた。彼女の話す言葉の抑揚や、彼女独特の言い回しを探したりと、意外に面白い。最後にこんな会話をしたのはいつだろうか。
 ――待った。最後に? 私はこの愉しみを前にも経験している……デジャヴ?
「蓮子」
「?」
「あ、いや……ごめんなさい」
 ――夢に酔いしれていたようだ。私の目的は、この夢……と言うより白昼夢から覚める事。
 けどここは月。つまり地上に降りろと言う事? 大気圏に落ちろ?
 いや、まだ手はある。
 豊姫さんの話によれば、月で大罪を犯せば地上へ堕ちる事になると言っていた。けど、罪を犯せる勇気など持ち合わせていない。
 豊姫さんに相談する? それもタブー。糾弾されたらされたで罪にはなりそうだけど、真っ先に素粒子レベルまで浄化される危険性が潜んでいる。
 彼女自身、私がそんな事を考えているとは思うまい。
「んー。宇佐見さんが心配?」
 ――故にどんな話題を振られるか予測も出来ない。
「え、えぇ……まあ」
「ホント、妬いちゃうな」
「羨望を持たれる程ではないです」
「私もね、そうやっていつも頭の隅っこに置いておける人が居たらなぁ、って」
「妹さんが居るじゃないですか」
「依姫はだーめ。血縁関係を除くかつ月の玉兎以外。あーあ、羨ましい」
「はは……」
 余計に話題が振り辛くなってしまった。こういう時にこそ、デウス・エクス・マキナなる者が出てきて欲しい。
「そうだ、私とした事がお茶をお出しするのを忘れてたわ。玉兎は皆、戦に出ているだろうし……淹れてくるわね」
 突然ぱちりと手を合わせ立ち上がったと思ったら、そそくさと出て行ってしまった。
 助かった……というか、何というか。
「呼ばれて飛び出て」
 背後にぴったりと張り付く感触。妖しい声に振り向くと――
「……また貴方なのね」
 あの時の女性だった。上半身を隙間から出し、私の背中から肩に掛けて寄りかかってきている。重い。
「願ったり叶ったりでしょう?」
「どこがよ」
「助けが欲しそうな感じだったから」
「えぇそうよ。確かにこの場を凌いでくれる神様みたいな人が居たらな、とは思ったわ」
「だ・か・ら。私が来てあげたのじゃない」
 実に胡散臭い。言葉の抑揚が激しく、耳にへばりつく様な物言い。
 どうやら、助けは来たけど貧乏くじを引いたらしい。
「何もしてくれないのだったら、早く私の肩から離れてて下さらない?」
「とんでもない。忘れ物をお届けに参上致しましたの」
 彼女が眼前に手を伸ばし、宙を裂いた。するとどうだ、私が普段見る”隙間”がいとも簡単に出来上がり、そこから小さな箱が手のひらに落ちた。
 私の携帯だった。
「これ私の……貴方どうやって」

 ぴりりりりっ。

 何の変哲もない、甲高く鳴り響いた着信音によって、私の言葉は遮られた。
「嘘……?」
「ほら、待たせるのは失礼よ。早く出なさい」


 §


 あれから思い当たる節を虱潰しに調べ、足を伸ばし、探した。
 だが結局、進展は皆無だった。
 ――彼女の帰りを大人しく待てと言うのか。
 そんな事、宇佐見蓮子には無理な話。アテも無いのに私は動いていた。
 じっとしているのが嫌で嫌で居られなかった。
「はぁ……っ」
 結局メリー宅まで戻ってきてしまった私は、マンション下にある撤去予定の公園で、悲鳴を上げている足を落ち着かせている。
 走りに走った体は言う事を聞かず、脳から送られる命令を受け付けない。宇佐見蓮子、お前はまだ走れるだろう。動け、動けと。動きたいのは山々だが、疲弊した精神と体には少々堪える。
「……17時ジャスト」
 かれこれ一日中走っていた。行く先も決めず、私には視る事の出来ない境界を必死に探した。
 一人だけの倶楽部活動がどれ程大変かを思い知らされた。相棒の存在は大きい。――性格には相棒の能力が、だが。
 それに、活動の比重は確実にメリーに置かれている。境界と時間は、秤にかけるまでもない比較対象なのだ。――何にせよ、彼女が居ないと倶楽部活動が出来ないという簡単な証明になる。証明してどうこうなる話ではないが。
 散々言ったが、別に自分を卑下している訳じゃない。ただ、元々から特異点であるメリーと私を比較して、彼女の方が秀でているだけの事。私の能力だって使いようがある。
 ――何時まで私はこんな事を考えているのだろうか。
「頭まで参っちゃったのかしら……っと?」
 ふと触れたスカートのポケットに、着替えた際に入れっぱなしだったのだろう、携帯電話が入っていた。
 無論、充電もしていないので、バッテリー残量を示すインジケータも一本しか立ってない。
 私は電話帳を開き、メリーの電話番号を引っ張った。
 相棒は夢の中だと言うのに何をしているのだろう。今掛けた所で、メリーの部屋に置かれたままの携帯が鳴る事だろう。
「どうせすぐに切れるし……まいっか」
 発信ボタンの一拍後、本来なら電子音が流れ続け「留守番電話サービスです」なる編集音声が聞こえる筈なのだが――
『……蓮子?』
 それは紛れもなく、彼女の声だった。
「……冗談でしょう?」
『超統一物理学専攻の宇佐見蓮子さん?』
「それ以外に誰が居るのよ」
『……うん、蓮子ね。でも何で携帯?』
「――探すアテが無かったのよ。まぁ、まさか出るとは思っても見なかったけど……そんな事よりメリー、貴方何処に居るの?」
『メリーさんは月にいるの』
「あれま……夢の様な話ですこと」
『夢の現、かしら』
「――どっちが現?」
『貴方が居るのはどっち?』
「現であって欲しいわね」
『じゃあそっちが現。待ってて』
「待つったって……何処で」
『んー、じゃあ私ん家で待ってなさ…………』
「……メリー? ちょっと」
 唐突に途切れた携帯を耳から離し、画面を確認するも真っ黒。
「電池切れ……か」
 ――今度から携帯の管理方法を見直した方がいいのかもしれない。


 §


「蓮子? ちょっと蓮子……切れちゃった」
「如何だったかしら」
「どういう手品かは知らないけど……貴方、何者?」
「その場凌ぎの神様。貴方が望んだ存在ですわ」
「――デウス・エクス・マキナ気取り?」
「それ以上かもしれませんわ」
「……もういい」
 あぁもう、胡散臭い。突然私の携帯を目の前に引っ張り出して。電話が鳴って。あまつさえ蓮子と話をさせて。
 ……けど、蓮子と会話出来たのは純粋に嬉しい。それは感謝している。
 後は、如何にして帰るか。絶対に彼女なら何か知っている。
「それより話があるのだけれど」
「待って」
 はっとしたように、隙間を耳元で開く彼女。何か聞こえるのだろうか。
「無事退いた……か。そろそろ潮時ね」
 ぱちりと隙間を閉じ、彼女は私に向き直った。
 そして、私に手を差し伸べる。
「――さぁ、お帰りはこちらから」
「えっ?」
「手を取りなさい。帰りたいのでしょう」
 少々呆気に取られていた私だが、『帰る』という言葉に意志を確固たる物にし、その手を取った。
「いい子ね」
 手を引かれ、隙間へと放り込まれる。その後を追って彼女が中へ。
 彼女の後方で隙間が閉じていく。――閉じ込められた?
「帰る前に少しお話をしましょう。この夢のタネ明かしを」
「……やっぱり貴方が黒幕だったのね」


 ~


「お待たせ……って、あれ?」
 豊姫がお盆片手に戸を開けた時には、メリーの姿は消えていた。
「……もっとお話出来ると思ったのに」
 お盆を置き、実に欲求不満な様子でメリーの座っていた場所に目をやる。
「あっちも終わった、か。依姫も容赦無いわねぇ」
 一人お茶を啜る豊姫の目線の先で、優曇華は輝きを失っていた。
 それは月の穢れが全て消えて無くなった事――戦争集結を意味していた。


 ~


 前々から気付いてはいた。あの見え見えな裏心と胡散臭さだったら、誰だって好印象を持たないだろう。
 結局私に何をして欲しかったのだろうか。それとも、私に何をしたのだろう。
 境界を渡らされて月面へ。囚われたと思ったら戦争勃発。
 一度は現を跨いだ壮大な夢物語。”夢”のボーダーラインを遙かに越えている。
「境界とは全ての具象に存在する物。貴方はソレが視える」
「貴方はソレを操れる」
「私はちょっと触れただけよ。ただ、境界はとても壊れやすいから」
「かと言って弄るのは感心しないわ」
「手直ししたのよ。それが元の形でないだけ」
「屁理屈……本題、まだかしら」
「言われなくとも」

 彼女は全てを語ってくれた。読んで字の如く、”全て”を。
 最初に、私が湖の水月に入り、月へ渡った事。あの水月は、彼女が湖と月を繋ぎ止めたモノで、私を落としたのは本当に月へ行けるか試した……らしい。言うなれば実験台にされたのだ。
 渡れると判った後は簡単と、彼女はその後を遅れて入った。物の怪を引き連れ、月に戦争を仕掛けた。月を手に入れようなんて、馬鹿げた話でしかない。
 その後の私は、月のお偉いさんの注意を引く為の、単純な囮。
 ――ただ問題もある。それは、月の民がレーダー代わりに使っていた、穢れによって成長する優曇華という植物の存在。これの所為で、月面侵攻も早急に察知されてしまう。
 なら何故、私は優曇華を咲かす事が出来なかったのか。それは彼女が、”どこまでが穢れか”のボーダーラインを弄ったためだった。これによって、私の穢れは皆無――月の民と同等クラスまで引き下げられた。故に私一人では咲かなかった。その後、彼女が引き連れてきた妖怪で優曇華は咲いてしまったが。
 最後に、どうして携帯が繋がったのか。――これは言われなくとも、何となく解る気がする。彼女の能力から考えれば説明不要か。
 ――だとしても不可解な点が一つだけある。何故あのタイミングで私に携帯電話を渡したか、という事。蓮子が私に掛ける事を予知していた? それとも、最初から蓮子が彼女に動かされていた? ここばかりは彼女の話でも理解しきれない点が多々ある。

 肝心の月面戦争は散々たる結果に終わっていたという。たかだか一個小隊に軍勢の壊滅に追いやられたそうだ。月の技術力は計り知れなかった、との事。
 彼女はさほど悔しい素振りすら見せず、相も変わらぬ様子で口の端をつり上げている。
「如何だったかしら、四六時中の不夜城を味わえる月面ツアー。星々に彩られた月の大地もまた、素敵だったでしょう?」
「……確かに、月から眺める宇宙は壮観だったわ。けど、ワザワザ危ない目に遭わないと見られないのなら、これ以上は御免被りたいのだけれど」
「ちょっとした刺激にはなったじゃない」
「ちょっとしたノイローゼにはなるわね、きっと」
 何時しか手に持っていた扇を広げ、口元へ運ぶ彼女。これ以上話す事は無いのだろうか。
「……終わり? だったら早く帰してくれないかしら」
「月はお好き?」
 ――答えは自然と出た。率直で簡潔な感想。
「ええ、好きよ。現実にはあって欲しくないけど」
 この期に及んで、とは思うけど。何だかんだ言って、蓮子の土産になる話も沢山出来た。
 それに、ここは夢だと判ったから。
「その手で触れていたのに?」
「貴方が連れてきたのでしょう? 不可抗力よ。人様の夢に土足で上がり込んで……」
「終わり良ければ全て良し、ですわ」
「負けた癖に」
「貴方の事よ」
 扇に隠れて見えないのに、彼女が笑ったかに思えた。
 でも、それは嘲笑や皮肉の混じった笑みではなく、満足しきったかのような笑みに感じられた。本当に笑ったかどうかは判らないのだけれど。
「……さぁ、お帰りの時間よ」
 ぱちりと扇子を閉じ、私の手を引く。
「貴方はどうするの?」
「月見酒でもするわ」
「随分と楽天的ね」
 前に放り投げられる。迫るは彼女が作ったであろう隙間。
「どう致しまして」
「褒めてない!」
 既に離れた彼女の耳に届いたのだろうか、ふっ、と笑ったような気がした。


 §


 目が覚めると布団の上だった。
 窓から覗ける景色は宇宙では無く、まばらに灯りのともった建造物群。空には、満月を一つ過ぎた十六夜の月が輝いていた。
 生活用品や電化製品に囲まれた部屋の中と――隣に居るパートナー。
 ここが何処か考える必要は無い。
「――お帰り」
「なーんだ、ちゃんと良い子にして待っててくれたのね。――起こしちゃった?」
「そりゃもう」
「ごめんなさい、静かに帰って来られるかどうか私も見当つかなかったの」
「だったら」
 頭が彼女の顔に引きつけられる。ほぼ密着された顔と顔の間で、彼女は満面の笑みを浮かべた。
「土産話の一つや二つ、聞かせてくれるわよね?」
「……一つ二つで終わりそうに無いけど」
 私も自然と彼女と同じ顔をしていた。
「星条旗立ってた? そうだクレーター! アポロニウスは? プラトンは?」
「私が行ったのは月の裏側。そんな物ありません」
「裏側は地上から観測出来ないのに。どんな物があったか凄い気になるじゃない!」
「趣旨が違うから……」
 十六夜の月は尚も輝き続けている。その裏で何があったかは、私しか知り得ない。
 ――月がその影を潜めるまで、彼女の瞼が重そうに見えるまで、話を続けた。
 月の裏側に住む、”姫”と、裏側でしか見られない”兎”の事を。


 ~


 小奇麗な神社で杯を傾け、杯に映る歪な月を弄ぶ。
 傾ける度に形を変え、崩れては戻っていくその様を愉しむ。
「負けちゃったわ。歴史的大敗ね」
 ――これ位、容易く弄れればいいのに。思想するだけならば、酒を飲むほど容易い事であった。現実はそう上手く行きはしない。
 いつまでも負けを引っ張る自分が少々癇に障り、杯に注がれた酒を一気に呷った。
 美味しいと感じられぬ自分がまた、癇に障った。
中盤からのグダグダを変えられなかった……変わらなかったんだ!!

タイトルだけ考え付いて「そうだこれで書こう」→どうしてこうなった。
とりあえずメリーと紫の月面戦争を絡ませたかっただけの産物でした。
それから、秘封の二人の知識があまりにも現代じみてて未来っぽくないですね。
更に知らず知らずに綿月姉妹の(キャラ的な)ノリがウドンゲッショーに。
反省すべき点は恐ろしくありますが、この作品を読んで楽しんで下さったなら幸い。
終わりに。難産でしたが、ここまで読んでくださった方々に多謝。
粥蛆
http://wilderness.blog.shinobi.jp/
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コメント



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1.90奈緒削除
面白かったです
3.100ヒロスケ削除
「大空魔術」のその後を読んだ感覚になりました。 自分としては続きが読みたかった(知りたかった)のでとても良かったです。
面白かったです。
10.60名前が無い程度の能力削除
伏線をありったけばら撒いたのにまとめきれてない印象。
11.70名前が無い程度の能力削除
未来っぽさは確かに感じられなかったけど総じて面白かったです
ただ何故メリーだったのかとか考えちゃうんですよねえ……他に意図があってもいいように思ったけど結局何もなかったというのがなあ
でも新鮮な秘封倶楽部を見られて良かったというのは間違いないですね
16.80非現実世界に棲む者削除
面白い...のだが、うーんたびたび思うんだけど、切なさを感じるんだよね、秘封倶楽部の夢のお話って。
ついでに鈴仙も登場していればさらに面白いと思いました。