Coolier - 新生・東方創想話

メリーさんの羊

2011/03/16 04:08:04
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 古明地さとりは悩んでいた。

 彼女は、その名前のとおり、他者の心を読む『さとり』と言われる妖怪であり、それが故に人々や妖怪から疎まれていた。
 やがて、彼女は地霊殿という、地底の片隅にある屋敷に引き篭もって、彼女を慕う動物達と享楽的な生活を送るようになった。
 そんな引き篭もりの楽しみはといえば、勿論自らの欲求を満たすことである。
 しかし、それは睡眠でも性交でもない。

 睡眠は何の刺激にもならないし、性交もどれだけ趣向を凝らそうと、突き詰めていけば性的快楽を与え、そして、得るための面倒な手段でしかなかった。心を読むことができる彼女にとって、性交は自慰と変わることはなく、すぐに飽きてしまった。

 ならば、彼女の楽しみとは何か。

 そう、食事だ。

 手段であり目的となりうる至高の刺激。
 享楽の果ての、飽食。

 そして、そんな生活を送るうち、彼女は地上にまでその名が漏れ聞こえるほどに有名な美食家となっていた。

 彼女は、他者の心を読むというその能力を存分に生かし、
 料理に誠実で、真心を込め、一切の手抜きをしない料理人を地霊殿に雇った。
 そして、彼女自身もまた、料理に誠実であり、美食を求めることに一切の妥協をしなかった。

 最高の料理人に、最高の素材。

 美味しい野菜が食べたければ、彼女のペットに命じて人工太陽の光を受ける菜園を拓き、
 美味しい肉が食べたければ、その菜園で取れた野菜で家畜を育て、
 美味しい魚が食べたければ、地上に湧き出た塩泉を地底に引き直してまで魚を養殖し、
 おいしい酒が飲みたければ、地底における自身の立場を顧みずに鬼に頭を下げた。

 だが、そうまでしても満たされぬ物があった。それは何か。


 ――未だ見ぬ食材。幻想の食材。


 彼女は、美食家であるとともに、有名な蒐集家でもあった。

 彼女の館には、悪魔の棲む地上の館、紅魔館の大図書館とは比べるべくもないが、古今東西、幻想郷の内外を問わずの書物が蔵されており、分野は多岐に渡る。

 その中には珍味佳肴を題材として取り扱う書物も多くあったが、彼女がそのうち手に入れられたものは一握りしかなかった。

 珍味とは珍しい食材であることは説明するまでもないが、外の世界で珍しい物ならば幻想郷で手に入れられるのではなかろうか、と短絡的には考えるかも知れない。しかし、珍味が珍味たる所以はそこにはないのだ。

 なぜなら、珍味とは入手そのものが困難であったり、食材の調理に大変な手間が掛かったりするものなのだ。

 血燕、赤い海燕の巣といえば、多少は聞いたことがあるかも知れない。

 これは紅玉のように赤い海燕の巣であり、海燕の巣の中でも最も高級なものの一つである。

 まず手に入れるだけでも命懸けで、断崖絶壁を登らねばならない。
 さらに、調理に当たっては乾燥した巣を何日もかけてゆっくりと戻した後、箸や毛抜きで、その中に混じっている燕の羽毛を一本ずつ、その柔らかく滑らかな繊維を崩さぬよう、細心の注意でもって丁寧に取り除いていかねばならない。

 このようにして下拵えをした上で、さらに最高の腕前を以て調理する必要があるのだ。

 幻想郷の内外を問わず、珍味が珍味としてある以上、手に入れることは容易くない。

 そして、地底は気候の変化に乏しく、地形の起伏も少ない。
 海もないので、当然、海燕の巣は入手できない。

 だが、並みの食材であれば、それが動物であれ、植物であれ、人工太陽によって適切な寒暖差を生み出し、その声を聞きながら適切な世話をすることで、最高の品質を得ることができた。


 しかし、どこでも飼育できそうな動物であるにも関わらず、どうしても入手できない食材があった。


 もう、随分と昔に読んだ書物で内容も忘れてしまっていたが、特別な料理だとか、そんな題名であったか。
 それに登場する、羊。

 物理的に入手できそうにないものであれば、あるいは諦めが付いたのかも知れない。

 ところが、入手できそうでありながら、彼女の館に招いた如何なる料理人を以てしても、その食材の詳細を知る者はおらず、それどころか、どうせ物語の中だけの話でしょう、と鼻で笑う声が届くばかりであった。それは、心の中を読める彼女にとって、どれほどの屈辱であっただろうか、想像に難くない。

 彼女は、その食材のことを知って以来、乾きを癒すためにあらゆる手を尽くしながら、それに耐える生活を送ることになった。

 今日も彼女は、地底から湧き出る最高の鉱水「地霊殿のおいしい水」で喉を潤していた。
 だが、いくら喉を潤しても彼女の心は乾くばかり。
 彼女は、地獄としては機能しなくなった地底において、水によって喉を焼かれるという責め苦を受け続けているのだ。

「さとり様、どこかお身体の具合でも悪いのですか?」

 食事のあと、さとりが居間のソファに腰を掛けて水を飲みながら、そのような乾きに頭を悩ませていると、声と共に、その視界を新鮮な羅勒(バジル)が覆った。

 それは、彼女のペットであり菜園の要でもある地獄鴉、霊烏路 空がいつも身につけている大きなリボンの緑色。リボンは美しく長い、真っ直ぐな黒髪という器に盛りつけられ、それぞれの美しさと瑞々しさを引き立てあっている。

 その器の主が大きな瞳で、心配そうにさとりの顔を覗き込んだ。
 さとりの力を持ってせずとも、彼女は心の底からさとりのことを案じているのだと伝わってくる。

「ありがとう、お空。あなたは本当に良い子ね」

 さとりは彼女のペットをその愛称で呼び、その頭を優しく撫でると、心の中がじんわりと暖かくなるのを感じた。身体の具合が悪いなら、この暖かさひとつでそんなものは吹き飛んでしまうだろう。しかし、それも、今は乾きを助長するばかり。

 今すぐにでも!
 この羅勒にむしゃぶりついて!
 その、熱く!
 爽やかな!
 ほのかに苦い野菜汁で!
 この乾く喉を潤したい!

 そんな欲求が湧き上がる。どれだけ湧き上がってもこの乾きが潤うこともなければ、満たしたところでこの乾きは癒せないというのに。

 彼女は、この乾きが癒せるのであれば、泥水や尿でも啜りかねないほどに乾いていた。そんな心を見透かされるのは耐えられない。

 彼女は、この乾きに悩まされるようになった時、はじめて心を読む妖怪が自分ひとりで良かったと思った。いや、正しくは自分ひとりではなかったのだが……

「バカねお空。さとり様はお腹の調子が良くないのよ」

 後ろから何者かが、空のリボンをつまんだ。お気に入りのリボンを摘まれて、空は頭の上で手をぱたぱたと振る。後ろから現れたのは、こちらもまた古明地さとりのペット、火焔猫 燐だ。

 ドレスという名の黒い皿をまとい、その上には、水牛の乾酪のように柔らかく滑らかな白い肌と、完熟した赤茄子(トマト)のように赤い髪。そこに、つまんだリボンによって羅勒の緑が添えられ、ペットたちの可愛らしいやり取りが、搾りたての橄欖(オリーブ)のように青臭い若々しさをもって香り立つ。その様子は、外の世界の伊太利亜で生まれた料理、カップレーゼを思わせる。

 ふと、さとりは、外界から流れ着いた本の中に、彼女たちの仲睦まじい様子を描いた短篇があったことを思い出した。あれはなんといったろうか。外来語に疎い彼女はそれを思い出せなかった。

「二人ともありがとう。ちょっと、喉が乾いただけなのよ」

 さとりは優しく二人に言う。本当は一寸どころの騒ぎではない乾きであったが、少なくとも自分のペット達には心配をかけたくなかったのだ。

 しかし、そんなさとりの気遣いを台無しにする声が、部屋の入口から響いた。

「お姉ちゃん。そんな物欲しそうな目でお空を見て、一体どうしたのかしら」

 3人のだれもが気づかぬうちに、その声の主は部屋の入口に立っていた。髪の色から服の色まで、何から何までさとりと対照的なその姿。彼女の名は、古明地こいし。さとりの妹だ。彼女は、人の心が読めてしまうことに傷つき、心を読む眼を閉ざし、自ら『さとり』であることを捨て、無意識の世界に身を委ね路傍の小石になることを選んだ妖怪である。

「あら、随分と久しぶりのお帰りではないかしら」

 さとりは、こいしの心の中を深く抉るように目を細める。

 しかし、無意識に閉ざされたその心を知ることはできなかった。
 何度も繰り返したことであり、結果は彼女にも分かっていた。

 ソファに掛けたまま忌々しげに目を閉じる。
 彼女にとって、こいしとは『さとり』という種族の誇りを捨てた鼻つまみ者でしかなかったのだ。

「そんなに邪険にしなくても良いじゃない。今日はお姉ちゃんにとても良い報せを持ってきたのよ?」

 そのまま、歩いていることさえ忘れさせるような、部屋の中に微量に漂う水蒸気に溶けてしまいそうな足取りで、ソファに座るさとりの元まで近づき、そっと耳打つ。

「メリーさんの羊。食べたいのでしょう?」

 それは外の世界の童謡の名であった。

「少し、違うわ」

 さとりは羊という言葉にぴくりと身を震わせたが、ひどく寒々しい態度でそう応えた。

「ごめんなさい、お姉ちゃん。私、外来語が苦手なの。お姉ちゃんと一緒ね」

 寒々しい態度に、小さく舌を出して愛嬌を振りまく。しかし、それでさとりの態度が変わることはない。

「でも、どうしても食べたかったのでしょう? 私、お姉ちゃんのことなら何でも知ってるわ」

「そうよ。何かあてでもあるのかしら?」

「ええ。もちろん。でも、準備に少しだけ時間が掛かるの。2、3年待ってもらえるかしら」

「そんなには待てないわ。あてがあるのなら、すぐにでもお持ちなさい」

 その言葉にしばらくこいしは俯き、何かを考え込む。

「分かったわ、極上のものを用意してあげる。お姉ちゃんのためだもの。その世にも珍しい羊は目が三つもあって、一つは顔にはないそうよ。その三つめの目が、とても美味しいんですって。でも遠くまで取りに行かないといけないし、仕込みにも時間が掛かるの。一週間だけ待って?」

 そうして、こいしは厨房に篭った。
 さとりは、多少はその様子が気になったようで、厨房の扉の前まで何度か足を運んだ。

 その度に、こんな歌が聞こえてくるのである。


**********************************************

 Mary had a little lamb
(メリーさんは子羊を飼っていました)

 Its fleece was white as snow
(その毛は雪のように白く)

 And everywhere that Mary went everywhere that Mary went the lamb was sure to go.
(メリーさんの行く所にはどこにでもついて行きました)

 It followed her to school one day
(ある日、羊はメリーさんの通う学校にまでついて行きました)

 That was against the rule
(それはいけないことでした)

 It made the children laugh and play to see a lamb at school.
(子どもたちは、それを見て笑い、囃し立てました)

 And so the teacher turned it out, but still it lingered near,
(すぐに先生に追い出されましたが、羊はそばでうろうろと、)

 and waited patiently about till Mary did appear.
(メリーさんが姿を見せるのを辛抱強く待っていました)

 “Why does the lamb love Mary so?” The eager children cry
(どうして羊さんはそんなにメリーさんのことが好きなの? 興奮した子供たちは叫びました)

 “Why, Mary loves the lamb, you know, ” The teacher did reply  
(それはメリーさんが羊さんを大好きだからよ。先生は答えました)


**********************************************

 メリーさんの羊。さとりは、やはり望みのものは食べられないだろうと思った。


 三日ほどすると、こいしは下準備を済ませたらしく、厨房から出てきた。
 そして、さとりのペットにこう命じ、地霊殿を発った。

「出先から、メリーさんの羊の目を送らせるわ。その目玉を、沸騰するかしないかの温度で丸3日煮込むの。地底の釜の温度を保ち続けるあなた達なら、この料理を完成させられるはずよ。お姉ちゃんのために、頑張って?」

 かくして、世にも珍しい羊の目玉は地霊殿に到着。
 料理も無事完成し、さとりの前に並んだ。その場にこいしはいない。

 さとりは、ごくりと涎を嚥下し、料理を頬張った。

 ああ! 何ということだろう。

 目玉の周りの柔らかな煮こごりにも似た食感はとても濃厚で、
 一口ごとに極光が爆ぜるように、様々な味わいを見せる。
 かと思えば、その眼球の食感と言ったらまるで取れたての梨のよう。



「ああ、なんて素敵。これがアミルスタン羊の目玉の煮物」

 しかし、その感動の言葉は瞬く間に翻された。


「これは何ということ。折角の食材が台無しだわ。やはり、所詮はあの子だったのね」




 彼女の奥歯が、がりりという音を立てた。

 古明地さとりは、憤怒の形相で、口からちいさなちいさな小石を吐き出した。
どうして羊さんはそんなにメリーさんのことが好きなの?
結城 衛
[email protected]
http://twitter.com/#!/mega_mari
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コメント



0.1210簡易評価
2.90名前が無い程度の能力削除
こいしはさとりが大好きなのですね。
3.100名前が無い程度の能力削除
こいしはさとりが大嫌いなのですね。
4.100名前が無い程度の能力削除
さとりはこいしが大好きなのですね。
5.90名前が無い程度の能力削除
さとりはこいしが大嫌いなのですね
6.100名前が無い程度の能力削除
おいしいねカラいね
7.100奇声を発する程度の能力削除
この感覚が好きです
16.90ワレモノ中尉削除
上のコメの流れを見ても分かりますが、最後、様々な取り方が出来て面白いですね。
うーむ。深い。
18.無評価名前が無い程度の能力削除
米澤穂信思い出した。
アミルスタン羊か…それじゃさとりが食べているのは…
19.70名前が無い程度の能力削除
ひっかかりますが、味わい深い作品でした。
21.70名前が無い程度の能力削除
悪いが俺には全く分からない…

あの目玉はこいしの第三の目だよな…

その中にこいしが入っていた…?

ヒントになりそうなのはメリーさんの歌…

メリーさんにさとりを、羊にこいしを投影しているのか…?

なら最後のこいしが入っていたくだりの意味が分からない…

不躾だが

誰か教えて…
22.90名前が無い程度の能力削除
アミルスタン羊をメリーさんの羊と言ったのはわざとで、本当は英語が堪能なこいし。
自分を振り向いてすらくれない姉に、メリーさんの羊を重ねて「どうして愛してくれないの?」と、姉の無意識に問いかける。
しかしそれでも気づかない姉に、自らがアミルスタン羊となって、姉に愛されたいと願う。食べ物の中に、小石を忍ばせて「私に気づいて」と。

こんなところでしょうか?
解釈し切れてない部分ありますが、面白い作品でした。
23.100とーなす削除
これは面白いなあ。
こいしからさとりに供せられる『羊』三つ目の目、メリーさんの羊、吐き捨てられる小石……
想像すればするほどこいしの儚い思いが滲み出てくるようですね。
29.100名前が無い程度の能力削除
読み終えるまでこんな話だとは思わなかったのぜ。せつない。
30.100sas削除
吐きそうになった、これはきつい
なまじ「目玉」っていう、普段から食べる食材なので、想像できてしまう
34.100可南削除
最後にキュッと胸を締め付けられました。ありがとうございました。
43.100名前が無い程度の能力削除
さとりはこいしとさとりが大嫌いで、こいしはさとりが大嫌いでさとりが大好きなのですね。
44.80名前が無い程度の能力削除
どうしてさとこい姉妹は、ナンセンスが似合うの?
この二人は可愛いというよりヤバイ