この物語の時期は地霊殿終了後から非想天則の間とお考えください。
少女が一人、地底を訪れた。
名を比那名居天子。天人らしい。
天人と言えば、地上よりもはるか高いところにある天界に住む人種。
そんな天人が地上よりもはるかに低い場所にある地底に訪れたのは、私が知っている限りでは彼女が初めてだった。
だからこそ興味が湧き、ペットに地霊殿まで案内させた。
「ようこそ、地霊殿へ。私はここの主、古明地さとりと申します」
「丁寧な自己紹介をありがとう。私は――」
「いえ、あなたの事は巫女より伺っております。比那名居天子さん……でしたか」
私は訪問客をじっくり眺める。
自信に充ち溢れた瞳、隠そうとしても隠しきれない身体中から巻きあがる高貴なオーラ、どことなく周りを見下したような態度。
――なるほど、噂に聞いていた通りの人物のようだ。
天人がみんなそうなのか、それとも彼女が特別なのか――それは分からないが、私はこういう人物が嫌いではなかった。
「それで、天子さん。あなたが地底を訪れた理由をお聞かせ願えますか?」
間欠泉騒ぎの後、地底を訪れる客は爆発的に増えた。
一応、橋姫に言って税関のような真似ごとをさせているが、形式上の事でしかなく基本的に来る者は拒まずである。
その中で私が天子にこんな質問をしたのは、単純に彼女が天人だった事と、私が個人的に興味があった事の2つでしかない。
「訪れた理由は単純よ」
天子さんが話しだすと同時に、私は第3の目の力を解放させる。
話す時程、心の中では本音が出るものなのである。話すという行為に集中しているため、心の中では嘘をつきにくいのだ。
だが――結論から言ってしまえば、天子さんに関してはこの行為は徒労に終わった。
「神の力をもらったという地獄鴉に会いたいの」
(神の力をもらったという地獄鴉に会いたいの)
天子さんの話す言葉と考える言葉は寸分違わず同じだった。
私はこんな相手は初めてだった。
思ったままの言葉がそのまま声に出ている単純思考――そう言ってしまえば終わりなのかもしれないが、単純な程奥深いもので、これほどまでに純粋な思考をしている相手を私は見た事がなかった。
――こんな思考を持った人物が増えてくれれば、私やこいしも楽になるのに。
私はそんな事を思わずにはいられなかった。
「せっかく神の力をもらったのに、地底の奥底でくすぶっているなんてもったいないじゃない。私が代わりにその力を使って――」
「使って……今のあなたを変える、ですか?」
「なっ!?」
天子さんに驚愕が広がる。
その表情を見て、実のところ私の方が驚きを隠せなかった。
『地霊殿のさとり』といえば、この地底において知らぬ者などいないくらいの有名であると自負している。地上から地底に訪れる者も同様で、地底に入ってまず耳にする言葉が私の名前である。
だが、この天子さんという少女は私の名前は知らず――お空の名前は知っているのに――、当然の事ながら私の力について知らない事には、私は大いに驚かせられた。
本当に彼女はお空だけを求めて、この地に来たらしい。
「何を驚いているのですか? 地子さん?」
「その名前で呼ばないで。私の名前は天子よ」
「これは失礼しました」
天子さんが考えこむような仕草を見せる。
「なるほどね、人の心を読む力か」
「驚かないのですか?」
「十分に驚いたわよ。でも、境界を操る妖怪や天人の私よりも強い巫女や魔法使い、その他もろもろを見てきたからね。それに比べたらあなたみたいなのもアリかなとか思ってしまうだけよ」
「……それもそうかもしれませんね」
私は博麗の巫女や白黒の魔法使いを思い浮かべながら答える。
たしかに彼女らの強さに比べたら、私の能力など些細なものになってしまうのかもしれない。
「あなたが探しているお空はここの庭からさらに下った最下層の部分にいます。道中、死霊が徘徊する場所もあるので、私が案内しましょう」
「それはありがたいわね」
地子という幼少の名前。
天子という今の名前。
天人というプライド。
お空という名前。
地獄の太陽という能力を持つ地底鴉。
偶然手に入った辺りを照らす力。
――なるほど。天子さんと彼女の共通点は考えれば考える程出てくる。それゆえに興味が湧くという事だろう。
私はひさしぶりに楽しくなってきた。
天子さんが彼女と出会う事でどう考え、どう行動するのか。
一方で彼女が天子さんと会う事でどういった反応をするのか。
私は天子さんを案内しながらそんな事を考えていた。
※※※※※※
「ほんとに陰気臭い場所ね」
道中、天子さんがそんな事を口にした。
地底は地上の嫌われ者たちが住む場所だ。その地上を嫌い天界に住む彼女がそう感じてしまうのは当然と言える。
――ふと、そこである事に気付き、私は天子さんに尋ねた。
「では、天子さん。
あなたの住む天界とはどんな場所なんでしょうか?」
興味があっただけ。
地上とは日の光が降り注ぐ暖かい場所だと聞いている。川の水は澄んでいて、木々には青々とした葉っぱ達が思う存分光合成を行っている。こんな太陽も届かず、空気も濁っている地底とは大違いの場所だ。
では、天界はどうなのだろう?
地上よりもさらに高みに存在する天界は、地上よりもさらに暖かい場所なのだろうか?
「そうね、一言で言えば天獄……なのかしらね。食糧も水も豊富で、生きていく上で不便な事は何もない。お父様の権威が強い事もあって、天界ではまず争い事が起きる事はないしね」
「それはまさに理想郷ですね」
私が言うと、天子さんはこちらを睨むような目つきで見た。
私は何かおかしい事でも言ったのだろうか。
「怠惰な生活は、やがて堕落を導くわ。不自由が何一つない、争い事が何も起きない。そんな世界は退屈なだけよ」
「でも、それを平和と呼ぶのではないでしょうか?」
「違うわ。平和は争い事も含めた日常が続く事を言うの。あんな何も起きない世界なんて私の中では牢獄でしかないわ」
それを聞いて、私は弾幕ごっこを思い浮かべた。
たしかにあれは日常の中でのいい刺激になっているのかもしれない。弾幕ごっこを含めたのが日常であり、それこそが平和なのだろう。
「だから、あなたは太陽を求めるのですか? 自分が周りを自由に照らせるように」
「いいえ――」
天子さんの言葉が最後まで紡がれる事はなかった。
なぜなら、私たちは目的地にたどり着いたから。
――地底でも最も深い場所。マグマと、そのマグマが冷えて固まった岩だけが存在している灼熱地獄跡。普通の者なら人間はもちろんの事、妖怪ですら立っている事もできないこの場所は、まさに地獄という名がふさわしい。
それが、地獄の太陽と呼ばれた霊烏路空の居場所。
天子さんはこの光景を見て、息を飲んでいるようだった。
この灼熱地獄跡は彼女が住む天界とは真反対の場所なのだから無理はないだろう。
彼女は天界を何も起きない世界と言い表したが、ここは何も起きる事のできない世界なのである。
「あれ、さとり様だ~! どうしたの?」
そんな地獄跡で、場違いとしか思えない程の能天気な声が聞こえてくる。
頭上を見上げると、真黒で大きな翼をはためかせたお空がこちらに向かってきているところだった。
「職場監査よ。お空がちゃんとやっているのか心配になってね」
「えぇ!? 私、いつも真面目にやってますよ~。
私、このお仕事大好きだもん」
頭を撫でてやると、お空はくすぐったそうに、でも気持ちよさそうに身をよじった。
「あれ? そこの人は誰? お客さん?」
そこでお空が天子さんに気付いたらしい。ぼんやりと、天子さんの姿を観察する。
対して、天子さんは一歩近づくと、睨むような目つきでお空を見た。
「私の名前は比那名居天子。天人よ」
「天人? うにゅ~、なんだっけ?」
「地上よりもさらに高い場所に住む種族よ。たしかに、ここと天界とでは距離が離れすぎているから知らないのも無理はないかもしれないわね」
私はお空に補足説明を入れる。
「単刀直入に言うわ。
霊烏路空、その神からもらった力を私にちょうだい」
ずびしっ! と指を突きつける天子さん。
お空は訳が分からないといった感じで私と天子さんを交互に見ている。
「あなたのもらった力は太陽の力。こんな場所で使っても誰を照らす事もできない。私ならば天界から地上を照らす事ができる。その方がもっと有効活用できると思わない?」
「天界から地上を? ……どういう事でしょう? あなたは天界を照らすための力が欲しいのではなかったのですか?」
私の質問に天子さんが唇を噛む。
どうやら、この質問はしてほしくなかったらしい。
「あんな天界、私にとったらどうでもいい場所よ。太陽の力を使うべき場所ではないわ」
「天人なのに?」
「あんな連中と一緒にしないでくれる? 私はアイツらとは違うの。
それに、太陽の力をアイツらに使っても何の変化も起こらないと思うわ。それほどまでにアイツらの時間は止まっているからね」
「ずいぶんと酷い言い方をするのですね」
「酷い仕打ちを受けてきたからね」
私は天子さんを第3の目で覗く。
一番最初に出てきたのは先ほども見えた地子という彼女の幼少期の名前。
その頃の彼女は性格も温厚で、天界に憧れる普通の少女だった。
だが、親が仕えていた神官が神格してからは、彼女の世界は一変する。
地子から天子へ。彼女の中では名前が変わっただけだった。
地から天へ。その一文字が変わっただけで、彼女の世界は大きく変わる事となった。
憧れの天界へ登った彼女は、周りから不良天人と呼ばれる事となる。
他の天人と少し違うだけなのに、――彼女はその意味すらも分からないのに、白い目で見られる事となった。
そんな彼女が天界で騒動を起こすのは仕方のない事だった。
だが、騒動を起こしても周りは一切変わらない事に気付く。
憧れのはずだった天界に愛想を尽かすのは時間の問題と言えた。
彼女が次に目をつけたのは地上だった。
そのための準備として――
彼女は天から底を求める事となる。
――なるほどね。
私は納得する。これで私が彼女に興味を抱いた理由が分かったような気がした。
私は心の目によって、周りの人々の真意を知り絶望する事となった。
彼女は立場によって、周りの人々の真意を知り絶望する事となったわけだ。
私にはペット達という安らぎがあるからこそ、なんとか自我を保てているが、彼女の場合にはそれがない。支えがないという事はいつか壊れてしまうという事である。自らの手で第3の目を閉じた私の妹のように。
しかし、分からない事はまだある。
彼女は太陽の力を得る事で天人としてのプライドを保とうとした――と、私は思っていたのにどうやら違っていたらしい。彼女の思考は単純すぎるゆえに非常に読みにくい。
彼女は天人のために使うのではないと言う。
では、彼女は何のために太陽を欲するのか。
――――。
考えて、一つの推論を思いつく。
「なるほど。天界から地上を照らす。
――つまりは、地上人から尊敬を得るために太陽を欲しているのですか。天界は捨てて、次の目標は地上へ向いたというわけですか」
「そうよ!」
天子さんは吐き捨てるように言う。
「アイツら、私は天人なのに誰一人敬おうとはしないんだもの」
「それが太陽の力さえあれば変わると?」
「変わるわよ。圧倒的な力があれば変わる。弱肉強食って言うじゃない」
……弱肉強食か。
私はその言葉を聞いて考えてしまう。
私の第3の目の力は誰もが慄く力。私はこの力を利用して、地底を支配しているのかもしれない。そこに信頼や名声などは必要なく、ただ対象を恐怖に陥れて従わせているだけである。妖怪らしいと言えば、実に妖怪らしいやり方ではある。
そういう意味では私のしている事は、彼女のしようとしている事と何ら変わりはない。
そんな私が彼女を攻められるわけがない。
「お空? あなたはその力を手に入れてから何か変わったかしら?」
だから、私は当事者に尋ねてみる。
「うにゅ?」
お空は話半分に聞いていたようで、私に突然話を振れられて驚きと供に疑問符を浮かべる。
「お空は神様から太陽の力をもらった事で何かが変わった?」
「う~ん……力を持ち過ぎて巫女に退治されかけた事くらいかなぁ」
お空の意見に天子さんが顔を背ける。
「後は、仕事がやりやすくなったくらいかな。八咫烏のおかげで多少の無理しても制御できるようになったし」
「なんでそんな事にしか力を使わないの!?
太陽があれば、もっといろいろな事ができるでしょう!!」
天子さんが叫ぶ。
それが、彼女の願いである事を私は分かっていた。
「現に地上に進出しようとしているところを巫女に退治されちゃったわけだしね。神様達は私の力で何かしようとしているみたいだけど、私からはとくに何もしないかな」
「太陽を手に入れても何もできないって事なの!?」
「どうなんだろうね。少なくとも、手にいれたからって何かが途端に変わったって事はないと思うよ」
お空は自慢げに制御棒を天井に向けてみせる。
たとえば、の話しとして――
お空が今、太陽の力を真上に放ったとしたら……。
幻想郷に大きな大きな傷跡ができる事だろう。その被害はたぶん甚大で、修復するのにも2,3年は必要になる事だろう。その間、幻想郷中では地底にいる化け物が地上を焼きつくそうとしているくらいのゴシップが出回るかもしれない。おまけに巫女がもう一度退治しに現れるのかもしれない。
でも、それだけだ。
巫女のお仕置きを受けてそれでおしまい。
幻想郷の傷跡がなくなった後は、それでおしまい。人々の心からも過去の出来事として忘れ去られてしまうのだろう。
手に入れた大きな力というのは結局それだけのものだ。
それがあったからといって、何かが変わるわけでもない。
私の第3の目の力は元からあったもの。だから、この力を使って変える事ができる。
でも、太陽の力は偶然手に入れたもの。それで変える事なんてできない。
運命なんてそう簡単に変える事はできないのだ。
今、自分の持っている力で何ができるのかを考えるしか方法がないのだ。
そこにたまたま大きな力が入ったとしても、自身は何も変わっていないのだから、周りを変える事はできない。
「認めない、認めないわよ。そんなもの……!!
力があれば、絶対に何かを変える事はできるはずなのよ!! でないと、なんで神が存在するのよ!!」
「幻想郷の神々も気まぐれだからね~」
発言をしたお空を、天子さんはにらみつける。
天子さんがにらみつけたものはお空か、それとも力の方か、もしくは力を与えた神様の方か……
そこで、天子さんはくるりと私たちに背を向けた。
「また、来るわ」
「地上まで送りましょうか?」
「いらない。太陽の力はともかく、地底人の力を借りるのは癪だわ」
「ふふっ、私も嫌われたものですね」
天子さんはそう言い残すと、一度も振り返る事なく地底を後にした。
※※※※※※
「ねぇ、お空?」
私はお空の仕事が終わるまで眺め続けて、そして終わったから一緒に帰途についている途中、お空にこんな質問をしてみる事にした。
「たとえば……たとえばの話しよ。
あなたのその力が突然誰かの必要になって、もし地上に来てくれって言われたらどうする?」
「それはずっとの話?」
「うん、ずっと」
お空が少しは考えると思っていたのだが、私の予想に反して、お空はすぐに答えた。
「行かない」
「じゃあ、一時的な話だったら?」
「行かない」
お空は頑なに連呼する。
「なんで行かないの?」
隣を歩いていたお空が立ち止まる。
私は数歩進んだところでそれに気付き、立ち止まる。
お空を振り返ると、彼女は私だけを見ていた。
「さとり様が一緒じゃないから」
その顔には笑顔が浮かんでいた。
「え?」
突然の言葉に、私は聞き返した。
「地上にはさとり様がいないから行かない。
一時的なものでも、さとり様が一緒じゃないと行かない。
もし、さとり様と一緒でも、地上にはさとり様と一緒にいられる地霊殿がないから行かない」
ぽっ、と。
私は頬が赤くなるのを感じていた。
私はお空に視線を合わす事ができず、わざと足元を見やる。
「そ、そうなんだ……へぇ、お空ったらそんなにも私の事を好いてくれてるんだ」
この言葉がいけなかった。
この言葉がお空への最大のキラーパスとなってしまった。
「うん、だって私、さとり様が大好きだから」
か、顔が上げられない……
今顔を上げたら、きっと真っ赤になっていて、それを見たお空はきっと笑うだろうから。……顔を上げられない。
天子さん?
私は、心の中でつぶやく。
得た力でも変えられる事ってあるみたいです。
だって、私、お空のこんな言葉聞いた事がないもの。
おしまい。