霧雨魔理沙は雪の中を行く。
きゅっきゅと耳触りのよい音が、静寂に包まれた竹林に響き、消える。
白に染まった地面には、二人分の足跡が続いていた。
白い弾幕にも似た雪の中で、ぽつんと優しい灯りが見える。
揺らめく提灯の薄っすらとした光に照らされているのは、妹紅と魔理沙だ。
魔理沙の手には赤褐色の一本傘があり、雪がところどころにこびりいている。
「一本しか傘はないんだよ。すまないね」
「なぁに、こんな日に傘一本持ち歩かない私が悪いのさ」
「魔理沙はいつでも傘なんて持ち歩かないってイメージなんだけど」
「失礼な。雨とか雪が家を出る時点で降ってたら持ってくぜ」
「魔理沙らしい」
「なんだよそれ」
魔理沙は小さく頬を膨らませ、僅かに肩に積もる雪を払う。
そんな仕草を見て、妹紅はくすっと微笑んだ。
その姿を見ると、肝試しで出会った時のことが思い出される。
炎の翼を背負った苛烈な弾幕は今でも目に焼き付いているが、隣を歩くその姿は真逆の静けさがあった。
「何か顔についてる?」
「んあ? いや、なんでもないさ」
二人が歩いているのは、迷いの竹林。
いつもなら霧のせいで視界が悪くなるのだが、冬場は霧の代わりに雪が降る。
この竹林はどの時期であろうとも、入る者を呑み込んでいくのだ。
しかし、その竹林に呑まれることなく自由に動けるのが妹紅である。
自警団と共に案内人を兼ねており、竹林に用ことがある時には強い味方になる。
魔理沙は数回、一人で竹林の中を歩いたことがあるが、結局は妹紅に助けられる形になっていた。
その時も妹紅は同じ提灯を持っていた。
何か柄が描いてあっただろうその提灯は、既に古ぼけてわからなくなっていた。
あちこちに焦げがあるのに捨てないところをみるとよほど愛着があるのだろう。
それとも、魔理沙と同じで捨てられない性格なのか。
「なぁ妹紅。その提灯、気に入ってるのか?」
「ん? いやぁ……まぁ、捨てるともったいないじゃない。お化けになるかもしれないし」
「なるほどなぁ」
幻想郷は何が出てくるかわからない。
変な幽霊だったり獣だったりがいるし、これからも得たいの知れないものが増えていく可能性は十分に考えられる。
妹紅の言う、捨てたものがお化けになると言うことだってそうだった。
「ここ最近永遠亭の方に通っているようだけど、何かあったの?」
「ん? あそこは珍しいものがいっぱいあるからな。蒐集家の私としてはあそこは宝の山さ」
「ついこの間まで月都万象会をやってたしね。この辺じゃ見ないものばかりだし、そりゃ魅力的よね」
「おぉ、分かってくれるのか?」
「いんや、蒐集家の気持ちなんぞわからんさ。どうせゴミが増えるだけだし」
「お化けになられちゃ困るんでな」
妹紅の言うように、霜月の頃から永遠亭の者達が月都万象展を開いたのだ。
永夜異変以降、特に宴以外で永遠亭の面子とは会うことは無かったのだが、これを機に魔理沙はよく足を運ぶようになっていた。
理由は他でもない、見たことも無い月の道具を目の当たりにして、魔理沙の珍しい物に対する好奇心が止まらなかったからである。
しかし、魔理沙を永遠亭へと誘う誘惑は、それだけではなかったのだ。
立派なお屋敷なのだが、輝夜はここに千年、万年と生きていたと言っていた。
にも関わらず、家の柱や壁がとても綺麗なことから最近建てられたような印象を受ける。
建て直したにしても、竹林周辺で姫とや妖怪の動きが全く見られなかったことから考えられない。
そして、古かろうと新しかろうと、何故あれほど立派な屋敷を迷いの竹林に建てる必要があったのか。
数ある幻想郷の不思議の中でも、この屋敷には疑問がまだまだ詰まっており、それに魔理沙の探求心は揺れたのだ。
そんな他愛もない話を続けていると、絶え間無く降る雪の中にぼんやりと屋敷が見えた。
玄関の周り、そして屋根の上の雪は綺麗に除雪されている。
壁には幾つかのスコップが掛かっているところから、兎達を働かせたのが見受けられた。
玄関先に立ち、妹紅に傘を返すと、おもむろにポケットからくしゃくしゃの札を手渡した。
「それじゃ、私はこれで帰るよ。また帰る時は札で呼ぶことね」
この札は霊夢が作ったもので、二枚で一セットになっており、二人が一つずつ札を持ってその効力を発する。
相手に何かを伝えたい時、ぎゅっと握り締めると発光する、というものだ。
これは里の者が異変が起こった時や困った時の為に作ってくれと頼んだものである。
特に寺子屋では重宝されている道具だ。
「あいよ。それじゃあまた後から」
「遅くならないようにね」
「保護者みたいな物言いだな」
◆
「さて、と」
一人残された魔理沙は、肩や帽子に積もった雪を適当に払った。
すっかり冷たくなった手に、はぁーと息を吹きかけるも焼け石に水であった。
「あー、髪がちょっと濡れちゃったなぁ……。」
びしょ濡れになった帽子を摘み、空いた方の手で木製の格子戸を大雑把に開いた。
ガラガラガラと大きな音を立て、冷気が入らぬようにすぐさま閉める。
すると、向こう側から襖の開く音と共に、声もが聞こえてきた。
「こんな雪の日にまで……」
小さな声が向こう側で聞こえた。
兎特有の長い兎の耳が揺れているが、どこか垂れてる感じがするのは、寒さからか、面倒臭さからか。
次第に見えてくる顔には、気だるい表情が張り付いており、恐らく後者だと分かる。
やがて対面し、玄関の上から鈴仙は呆れたように魔理沙を見下す。
へらへら笑い出した黒い魔法使いに、少しばかり鈴仙の頬が引きつった。
「患者かと思ったけど、すみませんの一言もないし、あんただってすぐわかったわ」
「今度からすみませんって言えば患者扱いされるのか。覚えておくぜ」
「頭の病気は治すのが大変よ?」
「狂うのには慣れてるんだ、心配ご無用だ」
出会い頭の軽いジャブ。
魔理沙はそれを軽く受け流されたため、鈴仙はとにかく家へと上がらせ、スリッパを履くよう促した。
冬場の床は靴下越しでも、足裏を刺すような冷たさである。
魔理沙に対しての言葉はどこか冷たいが、こういった配慮は身も心も温かくなる。
「それにしても……」
「ん、どうかした?」
「あ、いや、なんでもない」
いつ来ても優しい樹の香りがするなぁ、と魔理沙は思う。
それこそ、疑問に思っている新築の家のようだとも。
単に綺麗と言うだけでなく、埃などが見当たらないのを見ると、屋敷を大切に扱っているのが分かる。
乱雑に散らかった魔理沙の家とは大違いだった。
「姫さんは何してんだ?」
「今日はちょっと雪かきをして、今は休んでいるはずよ」
「姫さんが雪かきするのか。でもスコップはたくさんあったぞ」
「私達だけでやろうと思ったんだけど、やりたいって言うから一緒にやったのよ」
鈴仙達に姫様呼ばわりされているあの輝夜が雪かきをしたがるとは。
口癖のように暇、暇と言っていたが、こう言うことも暇つぶしになるのだろうか。
「随分アグレッシブな姫もこの世にはいるもんだな」
「暇つぶしなんじゃないかしら。姫様の考えは良くわからないわ」
「まぁ、姫様だったりお嬢様だったりってのは私の知ってる奴は皆、よくわかんないことばっかりするからなぁ」
幻想郷には簡単に雪かきを終えてしまう者なんてたくさんいる。
アリスはちょっと指先を動かすだけで人形に雪かきさせてしまうし、紅魔館は妖精メイドがいっぱいいるしで、ちょっと羨ましい。
森の中で一人少女が暮らしているんだから誰か雪かきを手伝ってくれてもいいのになぁと魔理沙は思う。
だがそれは家を飛び出してきた者が言えたことではない。
「そういえば、最近は姫様と話すことが多いけど、何かあるの?」
「ん? なぁに、話をするのが大好きだから話をしているだけさ」
「ふぅん。まぁ、見た感じお喋りとか好きそうだもんね」
「そうか、そう見えるのかぁ」
そんな話をしているうちに、一つの襖に行き当たった。
数本の竹の隣、数匹の兎達と二人が月を眺めている絵が墨で描かれている。
恐らくこの部屋で輝夜が休んでいるのだろう。
「それじゃあ、私は勉強の続きをしなくちゃいけないから」
「ん、ありがとな」
くれぐれも失礼の無いようにと釘を刺し、その場を去っていった。
ぱたぱたと走っていく姿を見ると、あいつも忙しいんだなと口元で笑った。
「ふむ、それじゃあ早速」
微かに湿っている手で襖に手をかけ、勢いよく開け放った。
ガラッという音と共に入室する旨を伝える。
「失礼するぜ」
「あら、いらっしゃい」
開けると同時の挨拶にはもう慣れたのか、突っ込むことは無い。
視界の先には、囲炉裏で暖を取る輝夜の姿があり、パチパチと炭が音を立てている。
天井から吊り下げられた金具にはやかんが掛けられていた。
部屋の中は暖かく、魔理沙は転がり込むように入り、襖を閉めた。
辺りを見ると、囲炉裏を囲むようにして座布団が置かれている。
魔理沙は、輝夜の隣に座ると、帽子を自身の隣へと置いた。
冷えた手を囲炉裏の方へと伸ばすと、優しい暖かさがじんわりと伝わってくる。
暖かい、と呟く魔理沙に、輝夜は頬を緩ませた。
「物好きねぇ、ほんと。こんな雪の日にまでわざわざ来るなんて」
「ここは私にとって宝の山だからな。隙あらば何か欲しいもんだぜ」
「蒐集家も度が過ぎれば泥棒ね」
「なぁに、私が死ぬまで借りるだけだがな」
「それを泥棒っていうのよ」
輝夜は袖を掴み、口元を隠してこっそり笑った。
吸血鬼のお嬢様や亡霊嬢、紫などとは違い、輝夜は、本当にお姫様らしい上品な笑い方をする。
最初、魔理沙としては少々違和感があったものの、もう気にしてはいない。
幻想郷にはいろんな人物がいるのだ、お姫様らしいお姫様がいたっておかしいところはない。
「で、今日は何をしに来たのよ」
「これと言って何もないぜ。ただ単に珍しい物を見に来ただけさ」
「香霖堂の方が変わったものが多いんじゃなくって? ここよりも近くていいんじゃないかしら」
「香霖堂の商品は幼いころから見てきたし、売れない物のみならず売りたくない物だってあるくらいだからな。こっちは見たこと無いものしかないからいいんだ」
「あら、よくあの店について知ってるのね」
「暇つぶし程度に行くくらいさ」
「私からしたらいつでも暇に見えるし、結構な頻度なんでしょうね」
輝夜の鋭い突っ込みに魔理沙は参ったと言わんばかりに大きく笑った。
「まぁ、輝夜も私と同じで暇を持て余してるしな。雪かきだって暇つぶしになるんだから」
「ちょ、ちょっと! なんでそんなこと知ってんのよ!」
「勉強熱心な兎さんが教えてくれたもんでね」
「まったくもう! あの子ったら!!」
額に皺を寄せる輝夜を尻目に、こっそりと部屋の周りを見渡す。
部屋の所々に何かもわからぬ物が置かれており、輝夜曰くどれも月の物らしい。
ここに来るたびに一つ教えてもらえるのだが、まだまだわからないものがたくさんあった。
用途を知ったもので欲しいものだってあるし、興味のあるものもいっぱいある。
欲しいものは欲しい、知らないものは知りたいという欲求が魔理沙の中に静かに溢れていた。
そして、戸棚の中に置かれた一つの奇妙な色を放つ小さな石ころに目をやった、その時だった。
ぷしゅー。
不意にその音は部屋に響き、やかんの蓋がカタカタと踊り始める。
あまりに突然だったので魔理沙の肩がピクンと跳ね、それを見た輝夜はくすりと笑った。
「何を驚いてるのよ」
「い、いや。何でも無いぜ。ちょっと考えごとをしててな」
「ふぅん……」
「ところで、そのやかんのお湯をどうするつもりなんだ?」
「珈琲を飲むために使おうと思ってたのよ」
「あぁ、そういうことか」
輝夜の視線の先、硝子で出来た妙な装置がある。
なんでも香霖堂から買って来たらしく、名をサイフォン式珈琲メーカーというらしい。
前までは店主の霖之助が使っていたのだが、一目見て気に入った輝夜が購入したそうだ。
「魔理沙も珈琲飲む?」
「まぁ、砂糖とかがあるならな」
「もちろんあるわ」
お盆の上には、少し和には似合わぬ白いカップが二つ用意されていた。
いつもは来た時から既に珈琲が用意されていることが多く、砂糖とミルクも隣に置いてある。
今日は置いてなかったので不安だったが、どうやら杞憂だったらしい。
フラスコの中には珈琲が溜まっている。
となると、おかわりが出来るようにお湯を沸かしたのだろうか。
輝夜は珈琲を注ぎ、それを手渡した。
「はい、貴女の珈琲よ」
「ありがと」
貰ったカップを覗きこむと、濁りの少ない透き通った黒に魔理沙の顔が映る。
果物系の酸味のある香りが鼻腔を擽る。
輝夜は、霖之助と同じで浅煎りの珈琲を好んでいる。
魔理沙としては、アリスの家で出される真っ黒で苦い深煎りの珈琲よりもまだ飲みやすい浅煎りの珈琲の方が好きだった。
どちらにしろ、砂糖やミルクを入れてしまえば、本来の味を楽しむことは出来ないのだが。
「砂糖とミルクならこの戸棚のとこにあるから好きなだけ持ってくといいわ」
「ん、分かった」
言われた通り、戸棚の中には砂糖とミルクが確認できたので、魔理沙は戸を開けた。
すると、後方で僅かにジュゥという音が聞こえ、不審に思い振り返る。
そこには素手でやかんを握る輝夜がいて、思わず魔理沙は顔をしかめた。
「おい何考えてんだ! そんな熱い物掴む時は布か何かを使えよ」
「何を言ってるの? これくらい、熱いとも何とも思わないわ。じゃなきゃ妹紅の奴とも殺し合いなんて出来ないわよ」
「は? 殺し合いってお前何言ってるんだ。死ぬはずが無い相手に殺し合いって」
「え? 何を言ってるのかしら。私達しか味わうことの出来ない感覚があって素敵なのよ?」
「私達って、え? いや、だって輝夜は――」
「あら、知らなかった? 私は不老不死よ?」
しばしの静寂。
輝夜はおかわりのため、サイフォン式珈琲メーカーにお湯を入れている。
マッチを擦り、アルコールランプに火を灯し、赤い光がゆらゆらと揺れ始めた。
ぼーっとその火を眺めていたが、やがて魔理沙は首を横に振る。
「あ、え? いやまぁ、穢れとか千年万年生きてるとか言ってたから怪しいとは思ってたけどさ。へぇ、はぁ……」
「てっきり魔理沙のことだからわかってると思ってたけど。まぁ、そういうことだからどうだっていいのよ」
「そうか、そうか。確かに輝夜が不老不死じゃなかったら妹紅にあった時話してた、千年も続く馬鹿な争いってのはそういうことだったのか」
「馬鹿な争いですって? 妹紅がそんなことを言ってたのかしら?」
「あぁ、そうだが」
「あいつも楽しそうにしてるくせに……」
どこか釈然としない顔をする魔理沙に対し、輝夜も少し不満そうな顔をしている。
争いの最中は二人とも嬉々とした表情を浮かべているにも関わらず、妹紅がそういうのは嘘をついているのだろう。
恥ずかしがり屋め、と輝夜は心の中で呟いた。
不老不死の身たる輝夜にとって、やかんの取っ手の熱など、妹紅の出す炎の比ではない。
そのためにそんな熱などへっちゃらだし、手が火傷しようともすぐ治ってしまうのだ。
いらぬ心配、いらぬお世話である。
が、それを魔理沙は許さなかった。
「って、そんなことはどうだっていいんだよ! 馬鹿かお前は! 不老不死だとか関係ないんだよ! 女の子は手が大ことなんだ。治る治らないとかじゃなくて、自分の体は大切にしなきゃいけないだろう」
「え? な、なんでそんなむきになってるのよ」
「いいか、輝夜。お前はお姫様であって、里の奴らとかそこらの妖怪とは違うんだ。長い年月を生きて大雑把になったのかは知らないが、そこのところはしっかりしろよ」
「ご、ごめんなさい」
言いきった魔理沙は、ふんと荒々しく鼻息を噴き出すと、カップをぐいと口元まで引き寄せた。
喉元を無糖の珈琲が流れていくと共に、魔理沙の表情も苦々しいものへと変わっていった。
「砂糖、いる」
「もらうぜ……」
◆
「で、だ。この前はなんだっけな。ブリリアントダイアモンド?」
「ブディストダイアモンドね」
「それだそれ。ちょっと間違えちゃったぜ」
砂糖をたっぷり入れた珈琲を飲みながら、魔理沙は豪快に笑った。
教えてもらった名前をすぐ間違えるのは魔理沙の耳が悪いのか、それともわざとなのか。
ブディストダイアモンド。
光り輝くダイアモンドで出来た、だっさい鉢だ。
これは輝夜が所持する中でもとても大ことにしている「神宝」という。
神の宝と書くくらいだから入手方法が気になるところだが、それは教えてくれなかった。
自分の持つ本にはそんな宝については書かれていなかったため、今度パチュリー辺りに聞くことにしようと魔理沙は決めた。
「今日も何か見せてくれよ」
「ん~、どうしようかしらねぇ?」
「頼むよ」
輝夜は他人に自分の集めている物を見せることに喜びを感じているらしい。
魔理沙に見せてくれと言う時は、いつもとは違う、心底嬉しそうな笑顔を見せるのが何よりの証拠だ。
今まで永い間ずっと他人と話すことも見せびらかすことも無かった輝夜の、新しい楽しみなのだろう。
魔理沙としては未知の物を知ることが出来て嬉しいし、輝夜の嬉しそうな表情を見ているのも悪くは無い。
「そうね、今日はこれなんてどうかしら?」
そう言って、小さな円窓の近くに置いてある、小さな一鉢の盆栽を手に取った。
時々輝夜が触っているのを見たことがあるが、これが大ことなものとは到底思えなかった。
しかし、そんな魔理沙の心とは裏腹に、得意満面な顔をして持ってきたのだ。
一体これはどんな物なのだろうかと、魔理沙の心が期待に揺れる。
「これは何なんだ?」
「これは優曇華という植物よ、月の都にのみ存在する植物よ」
「ん? 三千年に一度しか咲かないって言われる奴じゃないのか? 紫の奴が、あの兎には大層な名前ね、とか言ってたが」
「あれとは違うわ。これはさっきも言ったけど月の都限定。これは普通の植物じゃない。地上の穢れを取りこんで成長するの」
「地上の穢れ……ねぇ」
見た目は葉っぱ一枚生えていない松の盆栽のようにも見えるが、そうではないらしい。
しかし、おかしな話である。
輝夜は月には穢れがないと言っていたはずなのに、穢れを取りこんで成長する植物が、月の都に存在している。
それでは、月の民の誰もが成長した後の姿が見られないではないか。
「おかしいな。それじゃあ月の民は誰も成長した姿を見られない。それに、ここに隠れて千年、万年とか言ってたのに、まだその優曇華がならないのはどうしてなんだ?」
「あぁ、それも話していなかったのね。そうね、簡単に言えばあの異変が起こるまでこの空間だけは時が止まっていた、と言ってもいいかしら。地上からこの永遠亭だけ隔離された状態だったの」
「なんだそりゃ」
「地上の穢れを一切断ち切っていたというか、穢れの無い状態を永遠に保っていたというか。まぁ異変が終わった後にも言ったけど、結界を張っていたようなものよ。だからこの優曇華は育たなかったのよ」
「ふぅん、なるほどな」
異変解決に至るまでの永遠亭の仕組みに魔理沙は驚いた。
紅魔館も咲夜の能力で館という空間を大きくした状態を保っているし、結界は一種の空間操作であり、霊夢や紫達は空間を操ることが出来ると言っても過言ではない。
空間を操る能力を持つはそこそこいるが、これほど高度な空間操作はなかなかないだろう。
それはそうと、この真実を知ることにより、以前まで疑問だった、何年も建っているはずなのに新居のような佇まいなのか、が解消したわけだ。
また、この永遠亭の名前の理由もなんとなくわかったような気がする。
一つのことを知り、また他のことも関連付けて知ることが出来ると、なんだか得した気分になる。
「じゃあ、輝夜もどんな物がなるかっていうのは知らないのか?」
「いいえ、本当は持っているの。だけどこれは月の都にあったもので、私が育てたものではないの」
「何故月の都に?」
「何でも、穢れの持つ権力者に持たせることで咲かせた優曇華らしいわ。それを私が持っているってわけ」
「はぁ、なるほどなぁ。要するに私と同じで盗みを……いや、借りてきたわけだな?」
「ま、そういうことになるわね」
お姫様も盗みもやるのか、と内心思うも、まぁあれだけ美しかったら盗みたくもなるものだと自己解決した。
珍しいものが欲しくなるのは誰だって同じだろう。
「スペルカードにある蓬莱の玉の枝は、この優曇華が実った物をイメージした弾幕なの」
「なるほどな。あんな七色の実がなるのなら、実際見て見たいものだな」
「でしょう? だから私は、これが育った姿を何時の日か見れると思えば、今この時、一秒一秒がとても楽しく感じられるわ」
「あぁ、そうだろうな。今のお前、凄く楽しそうだし」
「なっ、え!? 何を言ってるのかしら! べ、別にそんな……」
顔を真っ赤にして、両手で頬を隠す輝夜を見て、魔理沙はにやける。
いつもそうだった。
何か楽しそうに見える時に、そう指摘してやると何故か恥ずかしそうにする。
本人は顔に出していないつもりなのかもしれないが、とても分かりやすく表情に表れているのだ。
「私が生きてる間に見せてくれ。で、そん時は知らせてくれよ。例え私が老いぼれになっても見に行くから」
「……そうね、一緒に見られると良いわね」
「見られると良いわね、じゃない、見るんだよ。なぁ、約束してくれるよな?」
魔理沙は優しく笑って、小指をそっと差し出した。
地上に伝わる、子供同士の約束のしるし、ゆびきり。
その小さな指にそっと、輝夜も小指を絡ませた。
「えぇ、見せてあげるわ。絶対に」
「それじゃあ―――」
きゅっと小指に力を入れて、二人の視線を絡ませて。
「ゆびきりげんまん、嘘ついたら針千本のます、指切った」
指を解き、魔理沙は満面の笑みで輝夜を見つめる。
しかし、輝夜の表情はどこか晴れない様子であった。
哀愁に満ちた瞳で優曇華の木を見つめ、そっと撫でた。
以前までは穢れの無かったその手にも、今は地上の穢れが染みついている。
だが、穢れが悪いものではないと今の輝夜はわかっているはずだ。
だからこそ、物悲しい瞳を優曇華の木に送ることができたのだろう。
「そんな悲しい顔するなよ。私は長生きするぜ、しぶとく生きるタイプだってパチュリーにも言われたしな」
「……そう、それをきいてなんだか安心したわ」
そっと微笑む輝夜の表情を確認してほっとした魔理沙は、丸窓の方をちらりと見た。
まだ雪は止んでいなかったが、すっかり辺りは暗くなっている。
そろそろかと、少々名残惜しそうに、ポケットに突っ込んである札をぎゅっと握った。
妹紅に貰った、くしゃくしゃの札である。
「あら、もう帰るの?」
「あぁ。雪が止むのを待つのもいいが、それだといつまでここにいなきゃいけないかわからないしな」
「そうね、夜が降りるのも早いし。妹紅のことだわ、どうせ暇してるだろうしすぐに来るでしょう」
ずっと座っていたせいか、足に変な違和感がある。
屈伸をした後、ぐっと背伸びをした。
「それじゃ、お邪魔したな」
「客人は最後まで見送らなきゃ。玄関までついて行くわ」
「ん、悪いな」
帽子を脇に挟むと、のそのそと温かな部屋を出て、冷たい廊下へと出た。
もこもこのスリッパを履くと、ゆっくりと玄関へと向かう。
「ねぇ、魔理沙。貴女が改めてここに来た時、幻想郷の話を聞きたいのって私が言ったら、何て言ったか覚えてる?」
「ん~、おっかないところだぜ、か?」
「楽しいところだぜって、一言だけ言ったの」
「あぁ、そうだったな」
わざとっぽく魔理沙は笑う。
なるほど、いいそうなことばだ、と魔理沙は自分の中で思った。
住み心地がよくて楽しい連中が多いこの幻想郷には、楽しいの言葉がしっくりくる。
「きっと、その楽しいにはいろんな思いが込められてたんでしょうね。もし今私が、幻想郷の話を誰かに聞きたいって言われたら、魔理沙と同じように答えていたと思うの」
「ははっ、そうかそうか。まぁ、そういうもんだよな」
「ふふっ。私達って、似てるのかもね」
そんな他愛も無いを続けているうちに、玄関へと辿りついた。
来た時は雑に脱ぎ捨てた筈の靴が、綺麗に並べられているのはおおよそ予想がつく。
少し雪で湿った靴を履き、すっかり乾いた帽子を被って輝夜の方を振り返る。
「傘持って無いようだけど、どうせまたすぐ来ることになるだろうし、持っていってもいいわよ?」
「なぁに、心配要らないさ。私は貰うべきものは貰ったしな」
「え?」
「あ、いや。なんでもないぜ」
何か裏があるような言葉を魔理沙は口にし、首をかしげる輝夜。
魔理沙がおかしな、含みのある発言をするのはよくあることだ。
「それじゃあ、ありがとな。楽しかったぜ」
「えぇ、こちらこそ」
「あぁ、そうだ。私も輝夜とは似てると思うぜ。蒐集家だし、妙に意地っ張りだし、それに―――」
戸の向こう側で、曇り硝子の向こう側にあの提灯の灯りが見えた。
「お互い、家を捨ててきた仲だしな」
「えっ?」
「じゃ、お邪魔したぜ」
そう言い残すと、ピシャリと戸を閉めて永遠亭を後にした。
◆
「今日はずいぶんとご機嫌ね。何か良いことでもあったのかしら?」
「ん、なぁに。ただ私と輝夜はそっくりだなって話しをしてただけさ」
「……そう? 似てるかなぁ」
「似てるんだよ」
魔理沙の顔をまじまじと見つめる妹紅を見て、にやっと笑った。
あの赤褐色の傘と、ボロボロの提灯を揺らしながら。
魔理沙は笑ったまま、無造作に右のポケットに手を突っ込む。
そこには、得体も知れない小さな石ころがあった。
手のひらで転がすと、少しばかりの高揚と、大きな満足感に満たされた。
そうして、空いた方の手を左のポケットへと突っ込む。
そこには、いつも愛用している八卦炉が―――なかった。
焦ってポケットの中に手を突っ込むも、その手は空を掴むだけである。
帽子を脱いで中を確かめるも、当然入っているわけがない。
上着に紛れこんでるかと思い、体中を手で触れるも、どこにも八卦炉は無かった。
「一体どうしたのさ。さっきはにやにや笑ってたのに、今度は焦っちゃって」
「い、いや。私の八卦炉が無くてな」
「そうか、そういうことか輝夜」
あの時輝夜はこう言った。
『傘持って無いようだけど、どうせまたすぐ来ることになるだろうし、持っていってもいいわよ?』
そうだ、どうせまたすぐ来ることになるとは、こういうことだったのだ。
魔理沙より、輝夜の方が一枚上手だったというわけである。
「また戻るかい?」
「あぁ、頼むぜ……」
名残惜しそうに、右手にあるその石ころを眺めて顔をしかめた。
「あぁ、やっぱりあいつは私とそっくりだぜ」
諦めたように吐き捨てて、永遠亭へとまた足を運ぶ。
ふと空を見上げれば、竹の合間から眩いほどの日の光が見えた。
きっとこれから輝夜と交わすだろうやり取りに、魔理沙は一つため息をつき、そして笑った。
上品な静けさの宿る文章が素敵でした。
それに気づいたときの二人の感情を想像すると、なんだかきゅんときました。
三千年?
案外この二人も良い感じですね
>顔を真っ赤にして、両手で頬を隠す輝夜
すごく・・・可愛いです
→これ面白いなー
→普通に続きが見たいなー
→いまここ。
かわいいなあもう…
そういうのもあるのか
二人とも可愛かったです