Coolier - 新生・東方創想話

空の飛び方

2011/03/09 14:34:37
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「また転んだの?」
 私はしゃっくり混じりで泣きじゃくっていて、お母さんの言葉に頷くことも返事をすることもできなかった。でも、お母さんはそんな私の頭を優しく撫でてくれて、擦り剥いた膝小僧を消毒して軟膏を塗ってくれた。私はしばらく泣いていたけれど、そのうち痛みも引いて、お母さんの顔もちゃんと見れるようになった。
「元気なのは良いことだけど、周りには気を付けなくちゃね」
 私は素直に頷こうとして、その前に、ふと空を見上げてしまった。
 つられて、お母さんも空を仰ぎ見て、少し寂しそうに目を細めた。
「……わたし」
 幼いながらに、自分が他人とは違う存在であると自覚してしまっていた。
 かぜはふりとか、あらひとがみとか、肩書きなんてものよりもずっと先に、不思議な力を持っていることを認識していたのだ。
 だから、ただの人間には決して成し得ない所業を、絵空事を語るでもなく、夢の出来事を思い出すでもなく、いつか必ず叶えられるであろう願望として、私は口にしていた。
「わたしも、空を飛びたいよ」
 ――お母さんと一緒に。
 お母さんは、少し困ったような顔で、私の髪を撫でてくれた。





 そして、今。
「ふー」
 空から望む幻想郷は、地平に立って眺めるそれとはだいぶ違って見えた。雪化粧が掛かっているのは山の中腹までで、平野部は湿り気を帯びた地面が広がっているばかりだ。境内の様子を窺っていた朝は、手がかじかんで指が上手く動かせなかったのだが、陽が照っている今は手袋をしなくても問題ない程度である。山を覆っている雪も、今日中には溶けて無くなりそうだった。
 温もりを孕んだ風が髪をなびかせ、何度も頬を掠めては、ほんの少しだけ心をざわつかせる。
 神社から人里まで下るとなると、徒歩では流石に距離が開きすぎている。一度飛び上がって山を抜けてから、人里近くまで行くのが理想的である。妖怪ならずとも、魔力や妖力、あとはコツさえ掴めば人間でも空を飛べる。そして、それが許されるのが幻想郷だ。
 急ぐ用事でもないし、思ったほど雪の影響も少ないから、少し歩くのも一興だったか。だが、人里特製のラー油を求める諏訪子様の願いを無碍にするのも忍びない。神様のわりに俗っぽい舌をお持ちなのは、長らく外の世界に浸っていたから致し方ないところでもある。
「……外、か」
 何気なく想起した言葉で、私が幻想郷の住民であると思い知る。
 顔見知りの白狼天狗に一礼をして、妖怪の山を行き過ぎる。次第に視界も開け、首を巡らせば見知った顔もいくつか見付けられそうである。発見したところで、特別何か話すこともないのだけど。
 ――いや、正確には。
 昔のことを思い出して、妙な寂寥に襲われているせいなのだけど。
「……お母さん」
 少しだけ、速度を上げる。顔に当たる風が、少し冷たくなった。
 昔は下手くそだったけれど、今はこんなにも自由に飛ぶことができる。そのことを誰も褒めてはくれないけれど、褒めてくれた人が確かにいたことを私は覚えている。
「空、飛んでるよ」
 空を飛んでいれば、転ぶことはないだろう。躓くこともないだろう。
 だが、小石に躓いて転ばなければ、地面の痛みを知ることはない。空の痛みは誰が教えてくれる。墜落してしまえば、それは命に関わる痛みだ。
 お母さんが私に空の飛び方を教えてくれたのは、初めて空への憧れを呟いてから何年も経ってのことだ。
 向こうの世界では、空を飛ぶ必要はなかった。空を飛ばなくても生きていけた。同様に、風祝として、現人神としての力が無くてさえ、生きてはいけたのかもしれない。それでも、お母さんが私にそれらの使い方を教えてくれたのは、私がどこにいても生きていけるように、という配慮があったからではないだろうか。
 たとえば、幻想郷のように、妖怪が闊歩する世界であっても。
 信仰無き神々と共に、忘れられた者たちが集う世界に足を踏み入れても、その空気に溶け込み、時には抗える存在でいられるように。
 そう願って。
「……わたし」
 息が詰まる。空中に停止し、胸を押さえて目を伏せる。眼下に小さな妖精たちの姿が見え、静止する私を訝しげに見上げている。
 空の飛び方を教えてくれるという最初の日に、お母さんは胸を躍らせる私を抱き寄せて、震えながら「ごめんなさい」と言った。当時の私はきょとんと目を丸くしていて、お母さんを慰めるなんて選択肢も思い浮かばず、ただじっと抱きすくめられていた。背中に痛みが走るほど、強く。
 人ならざる力を持ってしまえば、もう人としては生きられまい。神と共に生き、神と共に朽ちるが定めの存在として、人と一線を画して生きなければならない。
 生まれを恨むことなどできないけれど、お母さんは私にその役目を与えた。お母さんも、その役目を与えられた。
 今でも、時折思う。思ってはいけないことかもしれないけれど。

 お母さんは、幸せだったのだろうか。

 あの日、お母さんが泣いていたから、今でもそんなことを考える。
 答えはきっと、生きてみるまで、死んでみるまで、解らないことだと知っていても。
「私、元気だから」
 顔を上げる。少しだけ高度を下げて、きゃあきゃあと逃げ惑う妖精たちの横をすり抜けて、人里に向かって飛んで行く。
 ここにいれば、人ならざる力を持っていても、人から離れて生きる必要もない。だからといって、誰しもがここを望む訳じゃない。ここに来れる訳じゃない。解っている――解っているのだ。
 でも、時折思う。
 お母さんと、一緒に飛びたかった。ここで、何の悩みも抱かずに笑っていたかった。
 お母さんも、ここに来ればよかったのに。
 別れの日に、そんな言葉が口を突いて出そうになったけれど、お母さんの顔を見たら、何も言えなくなってしまった。あまりにも複雑で、穏やかに、寂しそうに、儚く、優しく、全ての重荷から解き放たれたかのような、身体の半分を持って行かれたような、そんな姿を見てしまったから。
 お母さんは、幸せだったのだろうか、と。
 聞けずじまいの、二度と聞くことはできない疑問を、今でも抱え続けている。
「早苗」
 移り変わっていく風景の片隅から、誰かの声を聞く。
 急制動をして、身体に掛かる慣性をやんわりと受け流していると、声の主は音もなく私に近付いてきた。
「そんなに急いで、どこ行くのよ」
 霊夢だった。
 そんなに急いでいるつもりはなかったのだけど、ブレーキを掛けてもなかなか停止しなかったところを鑑みるに、知らず知らずのうちに速度が上がっていたらしい。事故が起きなくてよかった。もしかしたら、霊夢も私と激突しそうになって、慌てて注意に入ったのかもしれない。表情は、いつものように飄々としているけれど。
「ちょっと、里の方に、ですかね」
「ちょっと、程度の速さじゃなかったわよ。それこそ、異変なんじゃないかって思うくらい」
 異変というなら、霊夢の方が察しは早いだろうに。やれやれ、と言わんばかりに霊夢は肩を竦める。その仕草が相変わらずで、不意に頬が緩む。風に当たりすぎていたから、顔が冷たくなっていて、あまり上手には笑えなかったけれど。
 私のぎこちない表情を見て、霊夢は眉を潜める。
「あんた、本当に大丈夫?」
 あんまりといえばあんまりな台詞だが、実に霊夢らしい。
 その問いに私は、めいっぱい力強く答える。
「ええ。元気ですよ、私は」
 今度は、さっきよりも屈託のない笑みを浮かべる。霊夢は、諦めたようにこめかみを掻いていた。
 不思議なもので、誰かと話せる気分ではなかったはずなのに、話してみれば案外といけるものだ。相手が霊夢だからかもしれないし、私が勝手に思い詰めていただけかもしれない。
 一度立ち止まってしまえば、風は弱まり、空気の暖かさが身体に染みてくる。
「なんだかんだで、結構暖かいわね」
「そう、ですね」
 太陽も、いい加減に高くなっている。少しだけ、お腹も空いてきた。下腹部を撫でていると、霊夢も私を真似てお腹を撫でた。奢れということだろうか。それとも、折角だから食べにいかないか、という意図だろうか。どちらかは判らないが、お遣いの同伴者ができたのはきっと喜ばしいことなのだろう。
 そう思う。
「あ……」
 私たちの間を、一迅の風が舞って、髪を乱してどこかへ消えていく。
 不意に、空の彼方を見る。その向こう側にある、私が生きていた世界を想う。
 風が結界を越えて、世界と世界を繋いでいるというなら。
 どうか、伝えてほしい。
 遥か彼方の世界にいる、私のお母さんに。



 東風谷早苗は、元気でやっています、と。

 

 

 
 
 ご読了ありがとうございました。
 藤村流でした。
 
藤村流
http://www.geocities.jp/rongarta/index.html
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コメント



0.1880点簡易評価
1.100点奇声を発する程度の能力 削除
ふおお…ちょっと切ない気持ちになりましたけど素晴らしいお話でした
10.90点名前が無い程度の能力 削除
くそぅホロリとしちゃったじゃないか、くそぅ。
11.100点名前が無い程度の能力 削除
良かったです。
17.100点名前が無い程度の能力 削除
涙でモニターが見えないじゃないか、ちくしょう
19.90点鈍狐 削除
鮮やか。正にその一言に尽きます。
24.100点名前が無い程度の能力 削除
いいね…。
25.100点名前が無い程度の能力 削除
切なくも、温かい気持ちになりました。
27.90点名前が無い程度の能力 削除
こんな風に浸れる掌編は実に良いものです。しみじみ。
28.100点名前が無い程度の能力 削除
短いながらもこんなに心に響くとは…。
32.無評価名前が無い程度の能力 削除
短いながらも早苗さんの心情がよく伝わってくるSSでした。
久しぶりに胸が熱くなりました。
38.80点とーなす 削除
早苗さんの切ない気持が、じんわり伝わってきました。
46.80点名前が無い程度の能力 削除
よいお話でした。ジワリときました。