※拙作<Bar, On the Border ~Prelude~>
また同一作品集内にある<Bar, On the Border ~Crazy Red Eye~>の続編となります。
ですが、短編形式ですし、人妖の交流という名目で、藍しゃまがバーテンダーをやらされてるのかー、と認識頂ければ問題なく読めます。
―――――
人里の境界に建てられたここBar, On the Borderには、興味本位の人間も多く訪れる。
そもそも営業の目的が、人妖の交流にあるのだし、妖狐がマスターを務めるこの場で、多少なりと妖怪に親しみを感じられたなら、それでいいと思う。
しかし、本当の意味で興味本位のお客様が訪れることは、あまり考えていなかった。
想定の範囲外という訳ではないが、面食らったのは事実である。
「お邪魔しますね。どうもこんばんは」
「これはどうも、ようこそいらっしゃいました」
「ふむ、本当に居酒屋とは様相が異なりますね。あなたも変わった格好をしているようで」
さっそく観察と分析を始めるこの人は、幻想郷では名の知れた好奇心の人。
人里の名士にして、その博識において人妖に長じる、
「阿求殿、お久しぶりです。少し見ない間に、ますます綺麗になられたようで」
言って少し後悔する。
いかんいかん、カウンターの前のお客様は全て平等に。
顔見知りが来店しても、相手が求めるその時まで、あくまでマスターと客として接する。
それが紫様から通達されている、1つの決まりごとだ。
こうも簡単に破ってしまうとは。
まだまだ油断しているな。
ただ、目の前の彼女はそんなことも知らず、おどけた表情でくるりと、その場で回ってみせた。
若草色の着物から伸びる、薄い山吹色の袖と、短く切りそろえられたすみれ色の髪が、優しく広がった。
「お世辞をおっしゃったって、たくさん注文したりはしませんよ」
「いえいえ、本当に、近頃見る度に魅力が増していらっしゃいます」
それはお世辞ではなかった。
幼かった御阿礼の子も、今は年頃。
もうすぐ裳着を迎えるとあっては、華やかさも増すばかりというもの。
細身の体格に伴う小顔にあって、その性向を示す、きらめく大きな瞳。
器量も明るく気立ては良く、かほどに魅力的な女性に成長するとは、誰が考えただろう。
ただ彼女には、1つだけ、人と大きく異なる部分があるのだった。
それを思い起こさせるように、苦笑しながら彼女は続けた。
「それに、死すべきに時にまた近づいたのだと思えば、喜んでもいられません」
「……そうですね。これはお気持ちも知らず、不躾なことを」
「それでも、綺麗といわれて嬉しからず思ってしまうのは、女のさがというものですが。ごめんなさい。ほめて頂いて、本当のところ舞い上がっています」
そしてちょっとした悪戯が知られた子供のように、あどけなく笑う。
けれど、その笑みが儚いものと見えてしまうのは、あながち間違いではないだろう。
「なるほど。それでお酒は代用していると」
「はい。外の世界の製法を真似て、たいてい地霊殿で生産してもらっています。どうしても真似しがたい、ウィスキーのようなものに関しては、紫様が外の世界から調達しています」
「あれですか。あのスキマでちょちょいと……」
「いえ、あれであの方は几帳面な方でして、きちんとお店に伺って、御代を払われているようですよ」
阿求殿の質問は多岐に渡った。
お店の内装から営業の目的、材料の入手先にBarの一般論。
質問の度に何事かが手帳に書き付けられ、硬質の黒鉛が紙を滑る、独特の音がする。
普段は毛筆使いだが、このような場でそれも不衛生ですねとは、手帳を取り出した際の彼女の言葉だ。
「それにしてもこのカクテルなる飲料、甘いのですね。西洋人はもしかするに、甘党なのでしょうか?」
「そうでもないようです。確かに日本のお酒と比べて甘いものが多いのは事実ですが、ビールやウィスキーと呼ばれる、苦味や芳香を味わうお酒も一般的です。まあ恐らく、日本と比べ、果実の生産が豊かですから、甘めの傾向が生じたのでしょう」
「ふうむ、なるほど、実に興味深い」
事情を知りませんので、何か適当なものを――とおっしゃられた阿求殿には、ミモザをお出しした。
円柱にお皿を取り付けたような、普通のカクテル・グラスよりかは少し平な、ソーサー・グラスにオレンジ・ジュースを適量。
そして同量のシャンパンを注ぐだけという、シンプルなカクテルだ。
しかし、単純だからといって味がそういうわけでもなく、オレンジ・ジュースの酸味を帯びた甘みが、シャンパンの炭酸の効いた薄辛口と交響する、さっぱりとして上品なカクテルだ。
なんでも西欧の上流階級で、古くから飲まれているらしく、阿求殿には似つかわしいカクテルと言える。
色合いも、日本の酒にはない黄色で、細かな気泡がまるでミモザの花を思わせて、実に美しい。
お身体があまり丈夫でない阿求殿への配慮として、アルコール度数が低いことも、これを選んだ理由だ。
本当は、好奇心旺盛な阿求殿であるから、レモンのかつら剥きを馬の頭のように巻きいれる、ホーセズ・ネックなども喜ばれると思われたが、ブランデーの度数はこの方には強すぎると思われた。
「ただこれだと、幻想郷の酒豪からしてみれば、量が少ないのでは? 私のような、普段から杯一杯乾かすことも苦労しているような者からすれば適量ですが、鬼などには一口にも満たないでしょう」
「ええ、そうですね。それに、当店は特別に原価を抑えているのですが、本来は材料費も高く、日本のお酒と比べて非常に割高となります。西洋と東洋では、お酒を飲むということへの姿勢が異なるのでしょう」
「なるほど、飲酒とは阿鼻叫喚の理由ではなく、静かで高踏な趣味というわけですね」
「はい。宴席の文化も別にあるようですが、少なくともこのBarという場においては、阿求殿の認識で間違いありません」
もっともその宴席においても、西洋流がやや格式を先行させるものであることは、紅魔館の催しが示すところだ。
もしかするに西洋人は、お酒を飲むということを、自身に向き合うか社交かに峻別していたのかもしれない。
日本の飲酒の席が、その両者の中間ともなんとも言えない、混沌とした様相を示すのとは、やや対照的なところである。
「ふう、ご馳走様です。とても美味しかったです」
「左様でしたら嬉しい限りです」
と、ここで阿求殿がグラスを飲み干された。
指先でそっとグラスの底部を押し、こちらにグラスを差し出す様は、とてもBarにはじめて来店されたとは思われないほど、様になっている。
さて、2杯目はどうしようか。
次も恐らく任される可能性が高い。
普通、2杯目・3杯目は、段階的にアルコール度数を高めていくものだが、阿求殿にはそれは当てはまらないだろう。
色も変えてみたいし、そうだ、スプモーニでも作ろうか……
「では、おかわりをお願いします。ただ、ちょっとお酒はもう身体にきついかもしれません。あまり無理は出来ないものですから」
「左様ですか」
「なので、何かお酒の入っていないカクテルはないでしょうか? 今までの話をまとめるに、カクテルは混ぜ合わせることが本義。恐らくあるだろうと推察したのですが」
「………はい、ございます」
驚いた。
確かにその通りだ。
それも、意外なほどに酒類は多い。
お酒は社交の場で飲まれるもの。
としたところで、社交と人の営みが切り離せないとすれば、お酒を飲めないことは大きな負担となってしまう。
だからこそなのか、アルコールを含まないカクテルは数多く考案されている。
しかしそれを、この僅かな時間で推察にいたるとは…。
やはり御阿礼の子。
人と言えども、その智恵は侮りがたい。
「よくご理解になりましたね。正直なところ、驚いてしまいました」
「ふふ、当てずっぽうですけどね。的を射ていたなら、よかったです」
そう言って、小さな花のように表情をほころばせた。
「今度もお任せします。この甘い味わいに心惹かれてしまいましたので、またそうしてくださると幸いです」
「かしこまりました」
ふむ。
さて、何を作ろうか。
と、考えるうちにもう答は決めていた。
シンデレラにしよう。
冷えたカクテル・グラスにシェーカー。
オレンジ・ジュース、パイン・ジュース、レモン・ジュースを用意する。
メジャーを左の人差し指と中指で挟み、本来ならば20mlずつ測りとってシェーカーに注ぐ。
けれど、このカクテルはレモンの風味が強くなってしまう傾向があり、ちょっとだけ少なめとしておいた。
シェーカーに隙間なく氷を詰めて、よく混ぜ合わさるようきっちりとシェイク。
中の氷が割れてしまわないよう、一定のリズムを心がける。
トップを外してグラスに注げば、黄色の強い橙色の液体。
ノン・アルコール・カクテルの代表格、シンデレラの完成だ。
「どうぞ。シンデレラです」
「ほう、シンデレラとは、魅力的な名前ですね」
「ご存知ですか? シンデレラを?」
「ええ、外の文献で概要だけは。詳しくは不学ながら知らないのですが」
そう言いながら阿求殿はグラスに手を伸ばし、まずは一口。
グラスの柄を握って口元へと傾ける。
その仕草は高貴の令嬢そのもので、カクテルの名がもつ、お姫様の名に全く恥じないものだった。
「甘いですねぇ。しかし、今度の甘さは柑橘の酸っぱさが特に効いていて、また違います」
「ええ、柑橘類を混ぜ合わせた、お酒の一切入っていないカクテルでして。それでしたら、お酒を飲めない方でも雰囲気を楽しめるかと」
少し酸っぱいお姫様。
色といい、実はカクテル名のイメージからやや離れているのではとは、心のスキマに投じる独り言だ。
「ところで、シンデレラのお話、詳しく聞かせて頂けませんか?」
「はい?」
「いえ、さっき申しましたように、少ししか知らないんですよ。西洋のお姫様の物語。これでも年頃の娘でして、興味はあるのですよ」
恥ずかしそうな苦笑を浮かべて、阿求殿は小首を傾げて見せた。
年若い娘であることを思わされる、可憐な仕草だった。
さて、シンデレラ……
「かいつまんでお話ししますに」
「はい」
「継母にいじめられる、末っ子の娘がいたそうです。美しく、心根も穏やかで気取らないのに、汚らしい雑用ばかりさせられている」
「ほうほう」
「ある日、お城の舞踏会が開催されますが、もちろん末の娘は行くことが出来ない。そこに魔法使いが現れ、小間着を純白のドレスに、カボチャを立派な馬車に、ネズミを御者にと、舞踏会への準備を整えてやる」
「親切ですねぇ。魔法の実験でもしたかったんでしょうか」
そうなんだぜ☆
………いかんいかん、一瞬あの黒白魔法使いが、満面の笑みでウィンクしている図が浮かんだ。
御伽噺の魔法使いは、そんな不幸な娘で実験をするような外道ではない。
まああの魔法使いは、なんだかんだお人好しと聞くし、ここはきちんと自信があったということで……
「………」
「藍さん?」
「ああ、すいません。少し思考が飛んでしまいました」
何をやっているのか。
お客様との会話中で思考が飛ぶなど、恥ずかしい限りだ。
私は取り直すように1つせきを入れると、続きを話し始めた。
「はい。それで末の娘は舞踏会へ赴き、王子と運命的な出会いをします。けれど、魔法の効き目は夜の12時まで。後ろ髪引かれる思いを抱えながら、引き止める王子を振り切って、末の娘は家へと帰ります。ただ、履いていたガラスの靴を残して」
「それはまた、お伽噺ですねぇ」
「ええ。けれど、どうしても娘のことが忘れられない王子は、ガラスの靴を手に国中を探し回ります。そしてその靴とぴったりの足の娘を見つけ出し、めでたく結ばれると」
「靴で判断、ですか。大雑把な王子様です」
そして面白そうに口を開かないまま笑う。
そんな皮肉げな表情もよく似合うものである。
「深夜12時までのお姫様……期限付きの夢物語、ですか……」
「? どうかされましたか??」
「いえ、物思いの独り言、ですよ」
何か思うところがおありなのだろうか?
阿求殿の表情を伺う。
けれど、その色はさほど変わらず、くつろがれているようにさえ見える。
差し出がましいだろうか。
けれど、やはり気になるものである。
バーテンダーならば。
踏み込みすぎず、けれど関わり、そっと背中を押して、少しの良い偏向を加えられるような……。
そんな基本を思い出して、少し食い下がることを思いつく。
「何かお悩みなのでは? ……Barという場は、お客様が考えていらっしゃることをお聞きする場でもあるので、よかったらお話ください」
「………ほう」
「お酒をより気分を載せて味わうため。そんな程度で構わないのですよ。いかがです?」
うむ、この瞬間は、やはり胸の動機が高まってしまうな。
この年になってこのような心理を味あわされるとは、困ったものだ。
だが、他人に敢えて踏み込むというのは、友人関係においてさえそうすることではない。
緊張は致し方ないだろう。
それを表に出しはしないが。
さてはて、阿求殿はお話くださるか。
それか、本当にただの独り言だったか。
「……そうですね。マスター、ちょっと話を聞いて頂けますか? 幻想郷縁起とは全く関係ないのですが」
そう言って阿求殿は、パタンと手帳を閉じて、鉛筆をカウンターに置いた。
やはり何か思うところがあったのだろうか。
とりあえず、的外れでなかったことに胸を撫で下ろし、私はええ、どうぞと、彼女を促した。
「多くの妖怪は数百年の時を、あなたのような強大な妖に関しては、数千年の時を生きると聞きます。……そのような長命から見て、人間の短き生とは、意味のないように思われませんか?」
「というと?」
「死を前にして全ての意味が色あせてしまうとしたら、人間の短命はあまりに儚い、そう思いまして」
「なるほど」
そういうことか。
つまり、シンデレラは死期までの時間の比喩。
それに、こと阿求殿に関してみれば、なおさらのこと。
「限られた時間。けれどシンデレラのように12時過ぎて幸せな物語が待つわけでもない。私などは転生をする身ですが、幻想郷縁起に関する記憶以外は引き継がれません。それでいて、30歳を迎える前についえるこの身体。転生の儀の準備を思えば、後過ごせる月日は短くて5年でしょうか。そのような生に、どう意味を見出せばいいのでしょう」
「それは、縁起の編纂とはまた違う、個人としての生に関してですか?」
「ええ、そうです」
御阿礼の子は、転生の秘儀を行うことにより、何度と無く転生を繰り返す。
それはかつて歴史の編纂のため、特別に認められた能力で、今は幻想郷縁起をまとめるためのもの。
その理由が、同一人物がまとめることの有益性故なのか、はたまたかつての閻魔の気まぐれなのか、詳しいことは分かっていない。
分かっていることは、特別な身体故に、30を迎えずして彼岸に渡ってしまう短命と、縁起に関することのみ引き継がれる記憶だ。
今の阿求殿は、その名が示すとおり、9人目の御阿礼の子であるが、個人としての彼女にとっては、転生など短命以外の何者でもないだろう
人格とは記憶。
私自身という意識なくして、個人としての何が転生しているのか。
転生に約百年を要することも悲しみである。
妖怪であるならばともかく、同世代を生きる人間にあって、再会できる者はいないであろう。
しかしそれが生の無意味さを示すのか?
そんなことはないだろう。
ありきたりだが、そのことへの答はある。
「いずれ死すと言えども、だからといって今すぐ死せる生でなし。密度もあれば悲喜もこもごも。そんな人間の生が、無意味なはずがありません。阿求殿の生が、同じ人間の内で短いことは事実ですが、それもまた無意味を意味はしない。………こんな言葉は、阿求殿も既にお考えでしょう」
「そうですねぇ。分かってはいるのですよ。頭では」
けれど。
「いざ死が近づいてみれば、理知的な考えが以下に脆いかを知ります。自分の生は何なのか。不安に思うばかりです」
そう言って俯き、阿求殿は陰りの増した笑顔を浮かべた。
そして思い出したように、グラスを掴んで傾けると、少し残っていたシンデレラを飲み干した。
「こうして、魔法が解けてしまえばお終い。ガラスの靴を片手に迎えに来てくれる、そんな王子様もいない。ならばシンデレラは、最初から舞踏会になんて行かない方が良かったのかも知れません。すぐに終わると知っている幸せの味を、惜しまずにすんだのですから」
阿求殿の話は一面の真実を含み、その全てを包みこむような希望に満ちた答は、このカウンターに用意することはできない。
けれど、正しいかといわれれば、そんなこともない。
やはり無意味なんてことはないだろう。
たとえ短くても、生があったことは事実だし、そこに魔法のような時が、幸せがあったのなら、なかったほうが良かったなど、そんなはずはないだろう。
これは阿求殿だって認識されている。
とすれば、後は納得できるかの問題なのだ。
さて、どうする。
理性に訴えかける術は、阿求殿自身が自ら行っているだろう。
必要なのは、感性に訴えること。
そして、バーテンダーである私にできる事。
「分かりました」
「?」
「一杯ご馳走しましょう。それで考え直してみてください。お身体のほうは大丈夫ですか?」
「え、ええ、別段一杯ぐらいならば。普段の宴会は、もっと飲まされるわけですし」
「かしこまりました。では」
まず冷えたカクテル・グラスにシェーカーを取り出す。
次にレモンでグラスの縁をリンスして、塩を入れた皿に、グラスを逆さにぐるりと押し付ける。
グラスの底を軽く叩いて、余計な塩を弾けば、スノー・スタイルと呼ばれる、塩をグラスの縁にまぶすデコレーションが完成する。
スピリッツはサウザ・シルバーのホワイト・テキーラ30ml。
他にコアントロー・ホワイト・キュラソーに、ライム・ジュースをそれぞれ15ml。
全てシェーカーに注いでシェイク。
グラスに注げば、やや白濁した。そしてスノー・スタイルが見た目に綺麗な、マルガリータの完成だ。
「どうぞ」
「ありがとうございます。では、頂きますね」
そう言って阿求殿は、さっそくグラスに口をつける。
まずは小さく一口。
「これも甘いですねぇ。しかし、ちょっとこれは、お酒が強い」
「大丈夫ですか?」
「ええ、それに、とてもおいしいです。なんでしょうね。今まで味わったことのない香りと甘酸っぱさ。そして最後に来る塩の苦味。複雑ですね」
「はい、マルガリータはカクテルの内でも、なかなか多様な面のあるカクテルでして……その味わいと由来は、先ほどの阿求殿の疑問の答えとなると思います」
「ほう」
阿求殿が興味深そうに目を細める。
さて、今から話すことは、ともすれば冗句とも変わらないような内容だ。
けれど、だからこそ阿求殿の心情に訴えることができるかもしれない。
意識して淡々と、けれど無味乾燥とならないよう、意識して言葉を紡いでいく。
「まずこのカクテルの由来ですが、あるバーテンダーの恋人の名だと言われています。その恋人は若かりし頃の思い出の人で、ある日狩猟の流れ弾に当たり、帰らぬ人となってしまったと。そしてその名を偲んで、このカクテルを作ったそうです」
「ほうほう」
「だから味わいはまず甘酸っぱく、まるで若い恋を思わせます。けれどそこには、テキーラの確かな辛味もある。そしてそれらの味を全て巻き取って、塩の苦味が最後に来ます。まるで悲しい思い出のように」
「ふむ」
そして阿求殿が2口目を口につける。
今度は大きく、私の言葉を確かめるように。
ここで私は、用意していた、とっておきの言葉を投げかける。
「さて阿求殿。あなたはマルガリータを美味しいと思いませんでしたか?」
「?」
「最後に苦味がやってくるからと、マルガリータの甘みは存在しなかったのでしょうか? 死して辛い思い出となったからと、あるバーテンダーと恋人との愛は、存在しなかったのでしょうか?」
「………」
これが私の用意した答え。
そうだ、事実は消えない。
「阿求殿。死という終わりがあったとしても、事実は消えません。とすれば、意味があることなど自明ではないですか。マルガリータが美味しかったことが、飲んだ後にも事実として残り、それに意味があることと同じように」
「………なるほど」
「私達のような永い時を生きる妖怪も、記憶の薄れという終わりがあります。どのような豊かな出会いも、過ぎてしまえば過去のこと。いずれ忘れる運命にあります。しかしそれは、自身の内に残っていますし、私が忘れても事実は残ります。それでいいのではないでしょうか」
今日の私は、実に良くしゃべるようだ。
本当はもっと、的確に絞って語れればいいのだが、そうもいかないようだ。
阿求殿には届いただろうか。
どこか感慨深い顔で、目を瞑って俯いている。
そして目を開き、ここで最後の一口。
味わってくださっているのが見て取れる。
「………シンデレラに反応した理由は、まだあるのですよ」
「はい」
「12時までのお姫様。王子様に愛される、魔法の一時。けれど、魔法が解けてしまった後、娘はそれで良くても、王子は寂しいばかりではないのか。それが気がかりです」
思案する表情。
心もち、顔を持ち上げて続ける。
「けれど、その疑問も、このマルガリータの比喩で解決されたように思います。バーテンダーはかつての思い人を偲んで、このカクテルを造った。その豊かなこと……無意味だなんて、そんなわけはないですね」
「ええ」
私は力強くうなづく。
敢えて無責任とも取られるように、阿求殿の真意を測ることがいまだ出来ずとも。
少しでも、その背中を押せるようにと。
「実は求婚されましてね」
「え!?」
驚きで声を上げてしまった。
なに、求婚?
「隣の家に住む、幼馴染です。まあ知ってはいましたが、ずいぶん前から私のことを懇意にしてくれていたようで。ちょっと頼りないですし、雰囲気も読めませんし、甘い文句も口に出来ませんが……私の王子様です」
「それはそれは」
「けれど、ですから迷っていたんです。私のような、すぐに死すべき人間が彼と結ばれることに意味はあるのか。子を宿すことさえ出来ない私の生は、彼にとって無意味ではないか。だから良い返事を返すことも、悪く扱うことも出来ず」
「大切に思われているのですね」
そう言うと阿求殿は、恥ずかしそうにはにかんだ。
「けれど、気持ちが吹っ切れたように思います。12時までのシンデレラですし、王子には寂しい思いをさせますが、それでいいのかもしれません。例え後数年の命としても、私にとってそれは意味深い思い出になるでしょうし、彼にとっても……そうだと信じてみることにします」
しかしこの御阿礼の子が婚姻か…。
いや、もはやあどけないままの彼女ではなく、美しい女性なのであるのだから、ことさら不思議ではない。
けれど、どこか何者からも距離をとっているような、そんな冷たさが垣間見られる彼女が……。
喜ばしいこととは、このようなことを言うのだろう。
先ほどの阿求殿の言いようを考えても、阿求殿はその殿方のことをよく知っているようであるし、その逆もまた然りだろう。
その上でこの儚い少女を愛そうという青年の、なんと愛の深いことか。
まるでそれは業のようでさえある。
願わくば、その愛が汚されてしまわぬよう。
愛は個人の感情の極地。
ともすれば最も、自己本位に堕ちやすい感情なのだから。
「もし左様でしたら、本当によかったです」
少しの嫉妬と、バーテンダーとしての満足を込めてそう返した。
この店を始めて以来、人の恋に触れる機会が多いが、その純粋なこと。
我が身はどうしてか、そのような想いを見ることがなかった。
いや、見ていて苦い思い出で覆い隠してしまっているのか、あって私が歪めてしまったのか。
自らの罪の歴史が思い起こされていた、その時。
「こんばんは。……あ、あっきゅん、こんなところにいた!」
入り口の戸を開く、1人の人間。
まだ年若く、やや痩せた感じのする優しそうな青年だった。
「なんですか、大きな声を出して。ここはBarなる静かな雰囲気を楽しむ場なんですから、わきまえてほしいものです」
と、来店時の挨拶を告げるまもなく、阿求殿が青年に反応する。
顔をそちらに向けるでもなく、姿勢を一切かえないまま、声だけを投げ返す。
「む、……ともかく、家人の誰にも断りなく、こんな遅い時間まで出歩いて、心配したんだぞ」
「あぁ、うるさいですね。いったいあなたは私の何なのですか? 私の行動を制する権利があるのですか?」
「な、なな……」
阿求殿の辛辣な言いように、見ていて同情したくなるほどに青年が狼狽する。
しかしこの、阿求殿の態度の変わりようはなんなのだろう。
まるで獲物を見つけたかのように、実に楽しげな笑みを浮かべている。
「そんな返しをするなんて、……その、酷いじゃないか」
「別にそうでもないですよ。それにして詰まらない返しですねぇ。もう少し捻ってください」
「ああもう、どうせ口では適わないよ。けど、これでも庄屋さんの仕事手伝ってるんだよ。そんな馬鹿じゃねぇ!」
短い会話ながら、2人の関係を十分に伺わせるものだった。
なんというか、仲睦まじいやら困ったものやら。
ここで阿求殿は、やっと青年の方に向き直り、そして戯言の続きでもあるかのように言った。
「でも駄目ですねぇ。全く、私がついてないと心配です。仕方がないので、私に口出しする理由を即答出来る様に、嫁に貰われてやりますよ」
「………え?」
あっけに取られたのは青年だけではない。
私も呆然としていた。
なんだこのやり取りは。
いや、いくら気持ちに整理がついたからって……。
と、阿求殿がこちらの方に向き直り、私はあることに気付いた。
青年の方からは見えない、カウンターに向かって座っている阿求殿の表情。
それが朱色に染まっているのを確認して、私は顔を綻ばした。
そうか、気恥ずかしいのか。
「じゃあ、送っていって貰いますから、先に出ていてください。私はマスターに挨拶がありますので」
「ん、んん、ああ、その、……分かった。とりあえず、待ってる」
それはそうだろうという、釈然としない表情のまま、青年は店を出て行った。
後には阿求殿と私、2人だけとなる。
「少々手厳し過ぎるのでは? あれではいくらなんでも返しきれないでしょう」
「そういうやり取りなんですよ。私達は」
そして阿求殿は立ち上がり、代金をカウンターに置くと続けていった。
「幼少の頃、病弱な体ゆえに里の子と交わって遊ぶことも出来ず、いつも縁側に独りでいた私のとこに訪れてくれた。塀の隙間からもぐりこんで、寂しいんじゃないかと思って来たと、恥ずかしそうに言ってくれたときから、彼は私の王子様なんです」
そう言って笑った阿求殿の笑顔は、まさに魔法にかけられたお姫様だった。
けれど、魔法は12時を過ぎれば解けてしまう。
……本当にそうか?
私はあることに気付いて、阿求殿に伝える。
「阿求殿、見てください、ほら」
「え?」
「12時、過ぎていますよ。……魔法の後の物語を、どうぞお幸せに」
深夜12時過ぎのBar, On the Border。
お客様をいざなうカクテルの魔法は解けても、この人の物語はこれからなのだと、ふと、そんなことを思った。
★
また同一作品集内にある<Bar, On the Border ~Crazy Red Eye~>の続編となります。
ですが、短編形式ですし、人妖の交流という名目で、藍しゃまがバーテンダーをやらされてるのかー、と認識頂ければ問題なく読めます。
―――――
人里の境界に建てられたここBar, On the Borderには、興味本位の人間も多く訪れる。
そもそも営業の目的が、人妖の交流にあるのだし、妖狐がマスターを務めるこの場で、多少なりと妖怪に親しみを感じられたなら、それでいいと思う。
しかし、本当の意味で興味本位のお客様が訪れることは、あまり考えていなかった。
想定の範囲外という訳ではないが、面食らったのは事実である。
「お邪魔しますね。どうもこんばんは」
「これはどうも、ようこそいらっしゃいました」
「ふむ、本当に居酒屋とは様相が異なりますね。あなたも変わった格好をしているようで」
さっそく観察と分析を始めるこの人は、幻想郷では名の知れた好奇心の人。
人里の名士にして、その博識において人妖に長じる、
「阿求殿、お久しぶりです。少し見ない間に、ますます綺麗になられたようで」
言って少し後悔する。
いかんいかん、カウンターの前のお客様は全て平等に。
顔見知りが来店しても、相手が求めるその時まで、あくまでマスターと客として接する。
それが紫様から通達されている、1つの決まりごとだ。
こうも簡単に破ってしまうとは。
まだまだ油断しているな。
ただ、目の前の彼女はそんなことも知らず、おどけた表情でくるりと、その場で回ってみせた。
若草色の着物から伸びる、薄い山吹色の袖と、短く切りそろえられたすみれ色の髪が、優しく広がった。
「お世辞をおっしゃったって、たくさん注文したりはしませんよ」
「いえいえ、本当に、近頃見る度に魅力が増していらっしゃいます」
それはお世辞ではなかった。
幼かった御阿礼の子も、今は年頃。
もうすぐ裳着を迎えるとあっては、華やかさも増すばかりというもの。
細身の体格に伴う小顔にあって、その性向を示す、きらめく大きな瞳。
器量も明るく気立ては良く、かほどに魅力的な女性に成長するとは、誰が考えただろう。
ただ彼女には、1つだけ、人と大きく異なる部分があるのだった。
それを思い起こさせるように、苦笑しながら彼女は続けた。
「それに、死すべきに時にまた近づいたのだと思えば、喜んでもいられません」
「……そうですね。これはお気持ちも知らず、不躾なことを」
「それでも、綺麗といわれて嬉しからず思ってしまうのは、女のさがというものですが。ごめんなさい。ほめて頂いて、本当のところ舞い上がっています」
そしてちょっとした悪戯が知られた子供のように、あどけなく笑う。
けれど、その笑みが儚いものと見えてしまうのは、あながち間違いではないだろう。
「なるほど。それでお酒は代用していると」
「はい。外の世界の製法を真似て、たいてい地霊殿で生産してもらっています。どうしても真似しがたい、ウィスキーのようなものに関しては、紫様が外の世界から調達しています」
「あれですか。あのスキマでちょちょいと……」
「いえ、あれであの方は几帳面な方でして、きちんとお店に伺って、御代を払われているようですよ」
阿求殿の質問は多岐に渡った。
お店の内装から営業の目的、材料の入手先にBarの一般論。
質問の度に何事かが手帳に書き付けられ、硬質の黒鉛が紙を滑る、独特の音がする。
普段は毛筆使いだが、このような場でそれも不衛生ですねとは、手帳を取り出した際の彼女の言葉だ。
「それにしてもこのカクテルなる飲料、甘いのですね。西洋人はもしかするに、甘党なのでしょうか?」
「そうでもないようです。確かに日本のお酒と比べて甘いものが多いのは事実ですが、ビールやウィスキーと呼ばれる、苦味や芳香を味わうお酒も一般的です。まあ恐らく、日本と比べ、果実の生産が豊かですから、甘めの傾向が生じたのでしょう」
「ふうむ、なるほど、実に興味深い」
事情を知りませんので、何か適当なものを――とおっしゃられた阿求殿には、ミモザをお出しした。
円柱にお皿を取り付けたような、普通のカクテル・グラスよりかは少し平な、ソーサー・グラスにオレンジ・ジュースを適量。
そして同量のシャンパンを注ぐだけという、シンプルなカクテルだ。
しかし、単純だからといって味がそういうわけでもなく、オレンジ・ジュースの酸味を帯びた甘みが、シャンパンの炭酸の効いた薄辛口と交響する、さっぱりとして上品なカクテルだ。
なんでも西欧の上流階級で、古くから飲まれているらしく、阿求殿には似つかわしいカクテルと言える。
色合いも、日本の酒にはない黄色で、細かな気泡がまるでミモザの花を思わせて、実に美しい。
お身体があまり丈夫でない阿求殿への配慮として、アルコール度数が低いことも、これを選んだ理由だ。
本当は、好奇心旺盛な阿求殿であるから、レモンのかつら剥きを馬の頭のように巻きいれる、ホーセズ・ネックなども喜ばれると思われたが、ブランデーの度数はこの方には強すぎると思われた。
「ただこれだと、幻想郷の酒豪からしてみれば、量が少ないのでは? 私のような、普段から杯一杯乾かすことも苦労しているような者からすれば適量ですが、鬼などには一口にも満たないでしょう」
「ええ、そうですね。それに、当店は特別に原価を抑えているのですが、本来は材料費も高く、日本のお酒と比べて非常に割高となります。西洋と東洋では、お酒を飲むということへの姿勢が異なるのでしょう」
「なるほど、飲酒とは阿鼻叫喚の理由ではなく、静かで高踏な趣味というわけですね」
「はい。宴席の文化も別にあるようですが、少なくともこのBarという場においては、阿求殿の認識で間違いありません」
もっともその宴席においても、西洋流がやや格式を先行させるものであることは、紅魔館の催しが示すところだ。
もしかするに西洋人は、お酒を飲むということを、自身に向き合うか社交かに峻別していたのかもしれない。
日本の飲酒の席が、その両者の中間ともなんとも言えない、混沌とした様相を示すのとは、やや対照的なところである。
「ふう、ご馳走様です。とても美味しかったです」
「左様でしたら嬉しい限りです」
と、ここで阿求殿がグラスを飲み干された。
指先でそっとグラスの底部を押し、こちらにグラスを差し出す様は、とてもBarにはじめて来店されたとは思われないほど、様になっている。
さて、2杯目はどうしようか。
次も恐らく任される可能性が高い。
普通、2杯目・3杯目は、段階的にアルコール度数を高めていくものだが、阿求殿にはそれは当てはまらないだろう。
色も変えてみたいし、そうだ、スプモーニでも作ろうか……
「では、おかわりをお願いします。ただ、ちょっとお酒はもう身体にきついかもしれません。あまり無理は出来ないものですから」
「左様ですか」
「なので、何かお酒の入っていないカクテルはないでしょうか? 今までの話をまとめるに、カクテルは混ぜ合わせることが本義。恐らくあるだろうと推察したのですが」
「………はい、ございます」
驚いた。
確かにその通りだ。
それも、意外なほどに酒類は多い。
お酒は社交の場で飲まれるもの。
としたところで、社交と人の営みが切り離せないとすれば、お酒を飲めないことは大きな負担となってしまう。
だからこそなのか、アルコールを含まないカクテルは数多く考案されている。
しかしそれを、この僅かな時間で推察にいたるとは…。
やはり御阿礼の子。
人と言えども、その智恵は侮りがたい。
「よくご理解になりましたね。正直なところ、驚いてしまいました」
「ふふ、当てずっぽうですけどね。的を射ていたなら、よかったです」
そう言って、小さな花のように表情をほころばせた。
「今度もお任せします。この甘い味わいに心惹かれてしまいましたので、またそうしてくださると幸いです」
「かしこまりました」
ふむ。
さて、何を作ろうか。
と、考えるうちにもう答は決めていた。
シンデレラにしよう。
冷えたカクテル・グラスにシェーカー。
オレンジ・ジュース、パイン・ジュース、レモン・ジュースを用意する。
メジャーを左の人差し指と中指で挟み、本来ならば20mlずつ測りとってシェーカーに注ぐ。
けれど、このカクテルはレモンの風味が強くなってしまう傾向があり、ちょっとだけ少なめとしておいた。
シェーカーに隙間なく氷を詰めて、よく混ぜ合わさるようきっちりとシェイク。
中の氷が割れてしまわないよう、一定のリズムを心がける。
トップを外してグラスに注げば、黄色の強い橙色の液体。
ノン・アルコール・カクテルの代表格、シンデレラの完成だ。
「どうぞ。シンデレラです」
「ほう、シンデレラとは、魅力的な名前ですね」
「ご存知ですか? シンデレラを?」
「ええ、外の文献で概要だけは。詳しくは不学ながら知らないのですが」
そう言いながら阿求殿はグラスに手を伸ばし、まずは一口。
グラスの柄を握って口元へと傾ける。
その仕草は高貴の令嬢そのもので、カクテルの名がもつ、お姫様の名に全く恥じないものだった。
「甘いですねぇ。しかし、今度の甘さは柑橘の酸っぱさが特に効いていて、また違います」
「ええ、柑橘類を混ぜ合わせた、お酒の一切入っていないカクテルでして。それでしたら、お酒を飲めない方でも雰囲気を楽しめるかと」
少し酸っぱいお姫様。
色といい、実はカクテル名のイメージからやや離れているのではとは、心のスキマに投じる独り言だ。
「ところで、シンデレラのお話、詳しく聞かせて頂けませんか?」
「はい?」
「いえ、さっき申しましたように、少ししか知らないんですよ。西洋のお姫様の物語。これでも年頃の娘でして、興味はあるのですよ」
恥ずかしそうな苦笑を浮かべて、阿求殿は小首を傾げて見せた。
年若い娘であることを思わされる、可憐な仕草だった。
さて、シンデレラ……
「かいつまんでお話ししますに」
「はい」
「継母にいじめられる、末っ子の娘がいたそうです。美しく、心根も穏やかで気取らないのに、汚らしい雑用ばかりさせられている」
「ほうほう」
「ある日、お城の舞踏会が開催されますが、もちろん末の娘は行くことが出来ない。そこに魔法使いが現れ、小間着を純白のドレスに、カボチャを立派な馬車に、ネズミを御者にと、舞踏会への準備を整えてやる」
「親切ですねぇ。魔法の実験でもしたかったんでしょうか」
そうなんだぜ☆
………いかんいかん、一瞬あの黒白魔法使いが、満面の笑みでウィンクしている図が浮かんだ。
御伽噺の魔法使いは、そんな不幸な娘で実験をするような外道ではない。
まああの魔法使いは、なんだかんだお人好しと聞くし、ここはきちんと自信があったということで……
「………」
「藍さん?」
「ああ、すいません。少し思考が飛んでしまいました」
何をやっているのか。
お客様との会話中で思考が飛ぶなど、恥ずかしい限りだ。
私は取り直すように1つせきを入れると、続きを話し始めた。
「はい。それで末の娘は舞踏会へ赴き、王子と運命的な出会いをします。けれど、魔法の効き目は夜の12時まで。後ろ髪引かれる思いを抱えながら、引き止める王子を振り切って、末の娘は家へと帰ります。ただ、履いていたガラスの靴を残して」
「それはまた、お伽噺ですねぇ」
「ええ。けれど、どうしても娘のことが忘れられない王子は、ガラスの靴を手に国中を探し回ります。そしてその靴とぴったりの足の娘を見つけ出し、めでたく結ばれると」
「靴で判断、ですか。大雑把な王子様です」
そして面白そうに口を開かないまま笑う。
そんな皮肉げな表情もよく似合うものである。
「深夜12時までのお姫様……期限付きの夢物語、ですか……」
「? どうかされましたか??」
「いえ、物思いの独り言、ですよ」
何か思うところがおありなのだろうか?
阿求殿の表情を伺う。
けれど、その色はさほど変わらず、くつろがれているようにさえ見える。
差し出がましいだろうか。
けれど、やはり気になるものである。
バーテンダーならば。
踏み込みすぎず、けれど関わり、そっと背中を押して、少しの良い偏向を加えられるような……。
そんな基本を思い出して、少し食い下がることを思いつく。
「何かお悩みなのでは? ……Barという場は、お客様が考えていらっしゃることをお聞きする場でもあるので、よかったらお話ください」
「………ほう」
「お酒をより気分を載せて味わうため。そんな程度で構わないのですよ。いかがです?」
うむ、この瞬間は、やはり胸の動機が高まってしまうな。
この年になってこのような心理を味あわされるとは、困ったものだ。
だが、他人に敢えて踏み込むというのは、友人関係においてさえそうすることではない。
緊張は致し方ないだろう。
それを表に出しはしないが。
さてはて、阿求殿はお話くださるか。
それか、本当にただの独り言だったか。
「……そうですね。マスター、ちょっと話を聞いて頂けますか? 幻想郷縁起とは全く関係ないのですが」
そう言って阿求殿は、パタンと手帳を閉じて、鉛筆をカウンターに置いた。
やはり何か思うところがあったのだろうか。
とりあえず、的外れでなかったことに胸を撫で下ろし、私はええ、どうぞと、彼女を促した。
「多くの妖怪は数百年の時を、あなたのような強大な妖に関しては、数千年の時を生きると聞きます。……そのような長命から見て、人間の短き生とは、意味のないように思われませんか?」
「というと?」
「死を前にして全ての意味が色あせてしまうとしたら、人間の短命はあまりに儚い、そう思いまして」
「なるほど」
そういうことか。
つまり、シンデレラは死期までの時間の比喩。
それに、こと阿求殿に関してみれば、なおさらのこと。
「限られた時間。けれどシンデレラのように12時過ぎて幸せな物語が待つわけでもない。私などは転生をする身ですが、幻想郷縁起に関する記憶以外は引き継がれません。それでいて、30歳を迎える前についえるこの身体。転生の儀の準備を思えば、後過ごせる月日は短くて5年でしょうか。そのような生に、どう意味を見出せばいいのでしょう」
「それは、縁起の編纂とはまた違う、個人としての生に関してですか?」
「ええ、そうです」
御阿礼の子は、転生の秘儀を行うことにより、何度と無く転生を繰り返す。
それはかつて歴史の編纂のため、特別に認められた能力で、今は幻想郷縁起をまとめるためのもの。
その理由が、同一人物がまとめることの有益性故なのか、はたまたかつての閻魔の気まぐれなのか、詳しいことは分かっていない。
分かっていることは、特別な身体故に、30を迎えずして彼岸に渡ってしまう短命と、縁起に関することのみ引き継がれる記憶だ。
今の阿求殿は、その名が示すとおり、9人目の御阿礼の子であるが、個人としての彼女にとっては、転生など短命以外の何者でもないだろう
人格とは記憶。
私自身という意識なくして、個人としての何が転生しているのか。
転生に約百年を要することも悲しみである。
妖怪であるならばともかく、同世代を生きる人間にあって、再会できる者はいないであろう。
しかしそれが生の無意味さを示すのか?
そんなことはないだろう。
ありきたりだが、そのことへの答はある。
「いずれ死すと言えども、だからといって今すぐ死せる生でなし。密度もあれば悲喜もこもごも。そんな人間の生が、無意味なはずがありません。阿求殿の生が、同じ人間の内で短いことは事実ですが、それもまた無意味を意味はしない。………こんな言葉は、阿求殿も既にお考えでしょう」
「そうですねぇ。分かってはいるのですよ。頭では」
けれど。
「いざ死が近づいてみれば、理知的な考えが以下に脆いかを知ります。自分の生は何なのか。不安に思うばかりです」
そう言って俯き、阿求殿は陰りの増した笑顔を浮かべた。
そして思い出したように、グラスを掴んで傾けると、少し残っていたシンデレラを飲み干した。
「こうして、魔法が解けてしまえばお終い。ガラスの靴を片手に迎えに来てくれる、そんな王子様もいない。ならばシンデレラは、最初から舞踏会になんて行かない方が良かったのかも知れません。すぐに終わると知っている幸せの味を、惜しまずにすんだのですから」
阿求殿の話は一面の真実を含み、その全てを包みこむような希望に満ちた答は、このカウンターに用意することはできない。
けれど、正しいかといわれれば、そんなこともない。
やはり無意味なんてことはないだろう。
たとえ短くても、生があったことは事実だし、そこに魔法のような時が、幸せがあったのなら、なかったほうが良かったなど、そんなはずはないだろう。
これは阿求殿だって認識されている。
とすれば、後は納得できるかの問題なのだ。
さて、どうする。
理性に訴えかける術は、阿求殿自身が自ら行っているだろう。
必要なのは、感性に訴えること。
そして、バーテンダーである私にできる事。
「分かりました」
「?」
「一杯ご馳走しましょう。それで考え直してみてください。お身体のほうは大丈夫ですか?」
「え、ええ、別段一杯ぐらいならば。普段の宴会は、もっと飲まされるわけですし」
「かしこまりました。では」
まず冷えたカクテル・グラスにシェーカーを取り出す。
次にレモンでグラスの縁をリンスして、塩を入れた皿に、グラスを逆さにぐるりと押し付ける。
グラスの底を軽く叩いて、余計な塩を弾けば、スノー・スタイルと呼ばれる、塩をグラスの縁にまぶすデコレーションが完成する。
スピリッツはサウザ・シルバーのホワイト・テキーラ30ml。
他にコアントロー・ホワイト・キュラソーに、ライム・ジュースをそれぞれ15ml。
全てシェーカーに注いでシェイク。
グラスに注げば、やや白濁した。そしてスノー・スタイルが見た目に綺麗な、マルガリータの完成だ。
「どうぞ」
「ありがとうございます。では、頂きますね」
そう言って阿求殿は、さっそくグラスに口をつける。
まずは小さく一口。
「これも甘いですねぇ。しかし、ちょっとこれは、お酒が強い」
「大丈夫ですか?」
「ええ、それに、とてもおいしいです。なんでしょうね。今まで味わったことのない香りと甘酸っぱさ。そして最後に来る塩の苦味。複雑ですね」
「はい、マルガリータはカクテルの内でも、なかなか多様な面のあるカクテルでして……その味わいと由来は、先ほどの阿求殿の疑問の答えとなると思います」
「ほう」
阿求殿が興味深そうに目を細める。
さて、今から話すことは、ともすれば冗句とも変わらないような内容だ。
けれど、だからこそ阿求殿の心情に訴えることができるかもしれない。
意識して淡々と、けれど無味乾燥とならないよう、意識して言葉を紡いでいく。
「まずこのカクテルの由来ですが、あるバーテンダーの恋人の名だと言われています。その恋人は若かりし頃の思い出の人で、ある日狩猟の流れ弾に当たり、帰らぬ人となってしまったと。そしてその名を偲んで、このカクテルを作ったそうです」
「ほうほう」
「だから味わいはまず甘酸っぱく、まるで若い恋を思わせます。けれどそこには、テキーラの確かな辛味もある。そしてそれらの味を全て巻き取って、塩の苦味が最後に来ます。まるで悲しい思い出のように」
「ふむ」
そして阿求殿が2口目を口につける。
今度は大きく、私の言葉を確かめるように。
ここで私は、用意していた、とっておきの言葉を投げかける。
「さて阿求殿。あなたはマルガリータを美味しいと思いませんでしたか?」
「?」
「最後に苦味がやってくるからと、マルガリータの甘みは存在しなかったのでしょうか? 死して辛い思い出となったからと、あるバーテンダーと恋人との愛は、存在しなかったのでしょうか?」
「………」
これが私の用意した答え。
そうだ、事実は消えない。
「阿求殿。死という終わりがあったとしても、事実は消えません。とすれば、意味があることなど自明ではないですか。マルガリータが美味しかったことが、飲んだ後にも事実として残り、それに意味があることと同じように」
「………なるほど」
「私達のような永い時を生きる妖怪も、記憶の薄れという終わりがあります。どのような豊かな出会いも、過ぎてしまえば過去のこと。いずれ忘れる運命にあります。しかしそれは、自身の内に残っていますし、私が忘れても事実は残ります。それでいいのではないでしょうか」
今日の私は、実に良くしゃべるようだ。
本当はもっと、的確に絞って語れればいいのだが、そうもいかないようだ。
阿求殿には届いただろうか。
どこか感慨深い顔で、目を瞑って俯いている。
そして目を開き、ここで最後の一口。
味わってくださっているのが見て取れる。
「………シンデレラに反応した理由は、まだあるのですよ」
「はい」
「12時までのお姫様。王子様に愛される、魔法の一時。けれど、魔法が解けてしまった後、娘はそれで良くても、王子は寂しいばかりではないのか。それが気がかりです」
思案する表情。
心もち、顔を持ち上げて続ける。
「けれど、その疑問も、このマルガリータの比喩で解決されたように思います。バーテンダーはかつての思い人を偲んで、このカクテルを造った。その豊かなこと……無意味だなんて、そんなわけはないですね」
「ええ」
私は力強くうなづく。
敢えて無責任とも取られるように、阿求殿の真意を測ることがいまだ出来ずとも。
少しでも、その背中を押せるようにと。
「実は求婚されましてね」
「え!?」
驚きで声を上げてしまった。
なに、求婚?
「隣の家に住む、幼馴染です。まあ知ってはいましたが、ずいぶん前から私のことを懇意にしてくれていたようで。ちょっと頼りないですし、雰囲気も読めませんし、甘い文句も口に出来ませんが……私の王子様です」
「それはそれは」
「けれど、ですから迷っていたんです。私のような、すぐに死すべき人間が彼と結ばれることに意味はあるのか。子を宿すことさえ出来ない私の生は、彼にとって無意味ではないか。だから良い返事を返すことも、悪く扱うことも出来ず」
「大切に思われているのですね」
そう言うと阿求殿は、恥ずかしそうにはにかんだ。
「けれど、気持ちが吹っ切れたように思います。12時までのシンデレラですし、王子には寂しい思いをさせますが、それでいいのかもしれません。例え後数年の命としても、私にとってそれは意味深い思い出になるでしょうし、彼にとっても……そうだと信じてみることにします」
しかしこの御阿礼の子が婚姻か…。
いや、もはやあどけないままの彼女ではなく、美しい女性なのであるのだから、ことさら不思議ではない。
けれど、どこか何者からも距離をとっているような、そんな冷たさが垣間見られる彼女が……。
喜ばしいこととは、このようなことを言うのだろう。
先ほどの阿求殿の言いようを考えても、阿求殿はその殿方のことをよく知っているようであるし、その逆もまた然りだろう。
その上でこの儚い少女を愛そうという青年の、なんと愛の深いことか。
まるでそれは業のようでさえある。
願わくば、その愛が汚されてしまわぬよう。
愛は個人の感情の極地。
ともすれば最も、自己本位に堕ちやすい感情なのだから。
「もし左様でしたら、本当によかったです」
少しの嫉妬と、バーテンダーとしての満足を込めてそう返した。
この店を始めて以来、人の恋に触れる機会が多いが、その純粋なこと。
我が身はどうしてか、そのような想いを見ることがなかった。
いや、見ていて苦い思い出で覆い隠してしまっているのか、あって私が歪めてしまったのか。
自らの罪の歴史が思い起こされていた、その時。
「こんばんは。……あ、あっきゅん、こんなところにいた!」
入り口の戸を開く、1人の人間。
まだ年若く、やや痩せた感じのする優しそうな青年だった。
「なんですか、大きな声を出して。ここはBarなる静かな雰囲気を楽しむ場なんですから、わきまえてほしいものです」
と、来店時の挨拶を告げるまもなく、阿求殿が青年に反応する。
顔をそちらに向けるでもなく、姿勢を一切かえないまま、声だけを投げ返す。
「む、……ともかく、家人の誰にも断りなく、こんな遅い時間まで出歩いて、心配したんだぞ」
「あぁ、うるさいですね。いったいあなたは私の何なのですか? 私の行動を制する権利があるのですか?」
「な、なな……」
阿求殿の辛辣な言いように、見ていて同情したくなるほどに青年が狼狽する。
しかしこの、阿求殿の態度の変わりようはなんなのだろう。
まるで獲物を見つけたかのように、実に楽しげな笑みを浮かべている。
「そんな返しをするなんて、……その、酷いじゃないか」
「別にそうでもないですよ。それにして詰まらない返しですねぇ。もう少し捻ってください」
「ああもう、どうせ口では適わないよ。けど、これでも庄屋さんの仕事手伝ってるんだよ。そんな馬鹿じゃねぇ!」
短い会話ながら、2人の関係を十分に伺わせるものだった。
なんというか、仲睦まじいやら困ったものやら。
ここで阿求殿は、やっと青年の方に向き直り、そして戯言の続きでもあるかのように言った。
「でも駄目ですねぇ。全く、私がついてないと心配です。仕方がないので、私に口出しする理由を即答出来る様に、嫁に貰われてやりますよ」
「………え?」
あっけに取られたのは青年だけではない。
私も呆然としていた。
なんだこのやり取りは。
いや、いくら気持ちに整理がついたからって……。
と、阿求殿がこちらの方に向き直り、私はあることに気付いた。
青年の方からは見えない、カウンターに向かって座っている阿求殿の表情。
それが朱色に染まっているのを確認して、私は顔を綻ばした。
そうか、気恥ずかしいのか。
「じゃあ、送っていって貰いますから、先に出ていてください。私はマスターに挨拶がありますので」
「ん、んん、ああ、その、……分かった。とりあえず、待ってる」
それはそうだろうという、釈然としない表情のまま、青年は店を出て行った。
後には阿求殿と私、2人だけとなる。
「少々手厳し過ぎるのでは? あれではいくらなんでも返しきれないでしょう」
「そういうやり取りなんですよ。私達は」
そして阿求殿は立ち上がり、代金をカウンターに置くと続けていった。
「幼少の頃、病弱な体ゆえに里の子と交わって遊ぶことも出来ず、いつも縁側に独りでいた私のとこに訪れてくれた。塀の隙間からもぐりこんで、寂しいんじゃないかと思って来たと、恥ずかしそうに言ってくれたときから、彼は私の王子様なんです」
そう言って笑った阿求殿の笑顔は、まさに魔法にかけられたお姫様だった。
けれど、魔法は12時を過ぎれば解けてしまう。
……本当にそうか?
私はあることに気付いて、阿求殿に伝える。
「阿求殿、見てください、ほら」
「え?」
「12時、過ぎていますよ。……魔法の後の物語を、どうぞお幸せに」
深夜12時過ぎのBar, On the Border。
お客様をいざなうカクテルの魔法は解けても、この人の物語はこれからなのだと、ふと、そんなことを思った。
★
不意打ち吹いたww
このシリーズ好きだ
ごちそうさまでした。
この雰囲気大好きです。藍様の思い出話も気になるねぇ。
バーの話でしたらカクテルだけでなく、ウイスキーやバーボンなどの薀蓄も蘭様からお聞きしたいところです。
AQNはドSとみた!なんという俺得!
藍様の落ち着いた感じがいい味出していますね
12時を回っても決して物語は終わりじゃない。お幸せに、あっきゅん。
…シンデレラがSっ気出してるのを幻視してちょっと噴き出したのはヒミツ。
また、来店させていただきます。
私にマスターのような上手い言いまわしはできません。ならば素直に好意を。
また貴方の世界を見ることのできる瞬間を、お待ちしております。
実際当人たちが良いと思えれば時間は関係ないんでしょうね。
回を追うごとにキレが増してますね,期待してます。
終わりの見えている幸せにも、何かきっと意味がある。それは、当人たちにしかわかり得ないことなのかもしれませんね。
青年には失意の底に落とされるような出来事が約束されているのでしょう。けれど、それでいいのかもしれません。
甘く、苦く、素晴らしい作品でした。
ごちそうさまでした。
このお店は、そういう人達の癒しになってくれそうですね。
とても良いお話でした。