二百由旬の白玉楼の、ただただ広大な庭を臨む縁側に私は座っていた。
その庭の手入れを、毎日のようにこなしていることに、私は今更ながら驚く。
普通に考えれば、仕事量としてこの広さは正気の沙汰じゃない。
小さい頃から――年齢の話であって、身体の大きさではない――やっていることなので、今までそんな風に思ったことなどなかったのだ。
顕界を知らずに幼少からここで育ってきた私にとっては、これが当たり前だと思っていたのだ。
あとは……、祖父があまりにも平然とやってのけていたのを見ていたのもある。おかげで、余計にそう思い込んでしまったのだった。
流石に、見るのと実際やってみるのでは全く違ったのだが。今でこそ手慣れてはきたが、それでも祖父の2倍の時間はかかっていると思う。
何故今更になって、そんなことを思ったのかと言うと――。
「ふぅ……」
――それは私が少しばかり酔っているからであって。
今宵の宴会場は、ここ白玉楼だった。宴は既にお開きとなって、帰るものは帰り、潰れたものは大広間で死んだように潰れている。まだ飲んでいるものもいる。
私は後片付けを済ませて、少しばかり物思いに耽りたくて、宴会時にはあまり飲めなかったお酒を少しばかり持ち出して、ここに来ていた。独りで、のつもりだったのだが――。
「ため息なんて吐いてぇ、どうしたのぉ?」
何故か鈴仙に後ろからぴったりと抱きつかれていた。口調からも分かる通り、かなり酔っ払っている。
彼女は酒癖が悪い。絡み酒だ。しかも、相手を選ぶ。彼女の標的になるのは、立場的に自分と同じような者である。
それは紅魔館の門番だったり、メイドだったり、三途の船頭だったり、山の河童に天狗だったり、地底の猫だったり、寺の鼠だったり、そして……、私だったり。
その大体が苦労話である。上司がいないところでなら、まぁまだいいかもしれないけれど、彼女は一度酔えば上司の目も憚らず愚痴をこぼしまくるのだ。
此度の宴会も、当然例には漏れなかった。私はそれを笑顔で眺めていた八意永琳の顔を、忘れることが出来ないだろう。
その表情を思い出してしまい、少し身震いしてしまった。それを肌で感じ取った鈴仙が、私に尋ねる。
「どおしたのぉ、妖夢ぅ。寒いのぉ?」
「いや別に……、ちょっと思い出しちゃって」
「?」
鈴仙は首を傾げた。原因が自分にあることを知らないようだった。
それにしても永琳のあの笑顔……、あれは間違いなく悪いことを考えている笑顔だった。今はまだ幸せな鈴仙の表情が、先に引き上げた永琳が待つ永遠亭に戻ったらどう歪むのだろうか。私がそう彼女のほんの少し先の未来を憂いていると、突然鈴仙の、私を抱く腕の力が強くなった。
「え、鈴仙、何!?」
私の頭に顎を乗せている鈴仙を仰ぎ見る。
「んー? 何だかねぇ、妖夢の身体が冷えてるような気がしたからぁ、ぎゅ~ってしてみたんだよぉ」
「えぇっ!?」
どうやら先程の身震いで、私の身体が寒さで冷えていると思ったのだろう。しかしながら、私の平熱は基本低いのだ。その上鈴仙はお酒を飲んで、体温が上がっていたので余計にそう感じたのだろう。
つまり、だから、鈴仙。そんなにぴったりくっつかないで欲しい。鈴仙の身体が温かくて心地は良いのだけれど、如何せん背中に感じる柔らかなものが気になってしょうがない。
鈴仙のソレは、大きいというわけじゃないのだけれど、何て言うべきか……、そう、バランスが良いのだ。うん、私は何を言っているんだ、ということは置いておいて。
鈴仙は、背もそこそこ高くて、スラッとしていて、でも出ているところはちゃんと出ていて。私の理想とする体型を体現しているのだ。
だからだろうか。そんなある意味憧れの対象である鈴仙に、よく目が行ってしまうのは。
鈴仙は、可愛いと思う。表情がコロコロ変わるし、喉から出る声もとても耳に馴染むし、長い髪の毛だって触り心地が良い。スタイルは言うまでもない。柔らかくて温かい。
私が持っていないようなものを、鈴仙は沢山持っているような気がして。気が付けば鈴仙の姿ばかり追いかけている。そんな自分に気付くと、ちょっとだけ悔しい気持ちになったりする。
昔なら、そんな気持ちなんて湧きもしなかっただろう。ただただこの冥界で、幽々子様のために尽くしていただけのあの頃なら。無論、これからも幽々子様に尽くしていく気持ちは変わらないが。
はじめは、顕界に触れすぎたせいかも知れない、と思って幽々子様に相談してみた。だけど、幽々子様は私のそうした気持ちを手を叩いて喜んでくれた。
『変化や成長を望むことはいいことよ。逆に、それを望まない者は死人と一緒。私はもう死んでいるからいいけれど、妖夢は半分生きているでしょう?』
『私は、幽々子様をお守りするためにこれまで剣の腕を磨いてきましたが、それは成長ではないのですか?』
『あなたが私のために剣の腕を磨くことは、当たり前のこと。それが魂魄家のしきたり。言わば、呼吸をするのと同義なのよ。あなたは呼吸をするのに、変化や成長を求めるのかしら?』
『いえ……』
『でも、良かったわ。ようやくあなたにも、周囲を見るだけの余裕が出来たのだから。これで立派に半人前よ』
『えぇ!? 私は半人前にもなれていなかったのですか!?』
『言ったでしょう? 変化や成長を望まない者は死人と変わらないと。半人半霊のあなたがそれを求めてこそ、ようやく半人前になれるのよ。おめでとう』
『はぁ……、ありがとうございます』
『半人前になれたお祝いに、私からあなたにプレゼントをあげましょう』
『そ、そんな! 幽々子様からプレゼントなど、恐れ多いです!』
『大人しく受け取りなさい。私は随分長いこと、あなたが半人前になるのを待っていたのよ?』
『……御意』
『これからも、頑張りなさい。では……、プレゼントを渡すわ。こっちにいらっしゃい』
まさかの半人前以下呼ばわりには軽いショックを受けたけれど、ようやく幽々子様からお墨付きで半人前になることが出来ました。
その際に、恐れ多くもプレゼントを頂いた。それは、物とかではなくて、幽々子様が直々に私にくれた最初の変化だった。
今日が皆への最初のお披露目だったのだが、私が裏方に徹し過ぎたのと、全員が早々に出来上がってしまったため、残念ながら気付いてもらえなかった。
それがちょっとだけ、ちょっとだけ悲しかったので、独りでお酒を飲もうと思った次第なのである。そこに現れたのが、鈴仙だった。
それにしても、こんなに近くにいるのに、鈴仙も何故気付いてくれないのだろうか。
鈴仙を見て変化を求めることが出来たからこそ、出来れば最初に鈴仙に気付いて欲しかった。
宴会だったし、裏方だったし、と今日は仕方ないかなあとそう納得しようとしていたのに、折角の二人きりのこの状況で気付いてもらえないとなると、流石に悲しすぎる。虚しすぎる。泣きたくなる。怒りたくなる。
鈴仙にとっては、そんなこと知ったことじゃないだろうけれど。わかってはいるけれど。マイナスな気持ちが渦巻いてしまう。
「(……バカ)」
心の中で鈴仙に文句を言う。
「(何で気付いてくれないの。鈴仙のバカ。酔っ払い!)」
言われもない罪で、鈴仙を糾弾する。
「(バカバカバカバカバカバカ!)」
心の中だけに留めておけば、落ち着くと思っていたのに、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた感情はどんどん悪い方へ行ってしまう。
「(バカバカバカバカ! 鈴仙なんて、鈴仙なんて――!)」
――大嫌い。心にもない言葉が、出来上がった感情の渦から出てしまうところで、鈴仙の、あの優しい声が耳に響いた。
「妖夢、髪切ったでしょぉ?」
「えっ? う、うん」
鈴仙の指が、私の髪を優しく梳く。
「やっぱりぃ。えへへ……、気付いてはいたんだけどさぁ、妖夢忙しそうだったしぃ、邪魔しちゃ悪いかなぁ~って思って言えなかったんだぁ」
「え、うそ。気付いてたの?」
意外だった。宴会が始まって早々に出来上がっていた鈴仙が、私の髪型が変わったことに気付いていたことに。
そう。幽々子様からのプレゼントとは、この髪型だったのだ。今までおかっぱ頭で通してきた髪型を、「半人前になった記念」ということで幽々子様に切って貰ったのだ。
鈴仙がこの変化に気付いていたということを知って、私の中に渦巻いていたマイナスな気持ちはいつの間にかどこかへ行ってしまっていた。
まるで子どもみたいで、ちょっと恥ずかしくなった。同時に後ろめたい気持ちにもなったけど、それよりも嬉しさのほうがやっぱり大きかった。
私は、顔が熱くなっていくのを誤魔化すように、頬を掻きながら鈴仙に聞いてみた。
「へ……、変じゃない、かな?」
鈴仙は即答した。
「ううん、似合ってるよぉ。可愛い」
「あ……、ありがとう……」
鈴仙の言葉に私の低い体温が一気に上がるのを感じて、しばらく顔を上げることが出来なかったのだった。
その庭の手入れを、毎日のようにこなしていることに、私は今更ながら驚く。
普通に考えれば、仕事量としてこの広さは正気の沙汰じゃない。
小さい頃から――年齢の話であって、身体の大きさではない――やっていることなので、今までそんな風に思ったことなどなかったのだ。
顕界を知らずに幼少からここで育ってきた私にとっては、これが当たり前だと思っていたのだ。
あとは……、祖父があまりにも平然とやってのけていたのを見ていたのもある。おかげで、余計にそう思い込んでしまったのだった。
流石に、見るのと実際やってみるのでは全く違ったのだが。今でこそ手慣れてはきたが、それでも祖父の2倍の時間はかかっていると思う。
何故今更になって、そんなことを思ったのかと言うと――。
「ふぅ……」
――それは私が少しばかり酔っているからであって。
今宵の宴会場は、ここ白玉楼だった。宴は既にお開きとなって、帰るものは帰り、潰れたものは大広間で死んだように潰れている。まだ飲んでいるものもいる。
私は後片付けを済ませて、少しばかり物思いに耽りたくて、宴会時にはあまり飲めなかったお酒を少しばかり持ち出して、ここに来ていた。独りで、のつもりだったのだが――。
「ため息なんて吐いてぇ、どうしたのぉ?」
何故か鈴仙に後ろからぴったりと抱きつかれていた。口調からも分かる通り、かなり酔っ払っている。
彼女は酒癖が悪い。絡み酒だ。しかも、相手を選ぶ。彼女の標的になるのは、立場的に自分と同じような者である。
それは紅魔館の門番だったり、メイドだったり、三途の船頭だったり、山の河童に天狗だったり、地底の猫だったり、寺の鼠だったり、そして……、私だったり。
その大体が苦労話である。上司がいないところでなら、まぁまだいいかもしれないけれど、彼女は一度酔えば上司の目も憚らず愚痴をこぼしまくるのだ。
此度の宴会も、当然例には漏れなかった。私はそれを笑顔で眺めていた八意永琳の顔を、忘れることが出来ないだろう。
その表情を思い出してしまい、少し身震いしてしまった。それを肌で感じ取った鈴仙が、私に尋ねる。
「どおしたのぉ、妖夢ぅ。寒いのぉ?」
「いや別に……、ちょっと思い出しちゃって」
「?」
鈴仙は首を傾げた。原因が自分にあることを知らないようだった。
それにしても永琳のあの笑顔……、あれは間違いなく悪いことを考えている笑顔だった。今はまだ幸せな鈴仙の表情が、先に引き上げた永琳が待つ永遠亭に戻ったらどう歪むのだろうか。私がそう彼女のほんの少し先の未来を憂いていると、突然鈴仙の、私を抱く腕の力が強くなった。
「え、鈴仙、何!?」
私の頭に顎を乗せている鈴仙を仰ぎ見る。
「んー? 何だかねぇ、妖夢の身体が冷えてるような気がしたからぁ、ぎゅ~ってしてみたんだよぉ」
「えぇっ!?」
どうやら先程の身震いで、私の身体が寒さで冷えていると思ったのだろう。しかしながら、私の平熱は基本低いのだ。その上鈴仙はお酒を飲んで、体温が上がっていたので余計にそう感じたのだろう。
つまり、だから、鈴仙。そんなにぴったりくっつかないで欲しい。鈴仙の身体が温かくて心地は良いのだけれど、如何せん背中に感じる柔らかなものが気になってしょうがない。
鈴仙のソレは、大きいというわけじゃないのだけれど、何て言うべきか……、そう、バランスが良いのだ。うん、私は何を言っているんだ、ということは置いておいて。
鈴仙は、背もそこそこ高くて、スラッとしていて、でも出ているところはちゃんと出ていて。私の理想とする体型を体現しているのだ。
だからだろうか。そんなある意味憧れの対象である鈴仙に、よく目が行ってしまうのは。
鈴仙は、可愛いと思う。表情がコロコロ変わるし、喉から出る声もとても耳に馴染むし、長い髪の毛だって触り心地が良い。スタイルは言うまでもない。柔らかくて温かい。
私が持っていないようなものを、鈴仙は沢山持っているような気がして。気が付けば鈴仙の姿ばかり追いかけている。そんな自分に気付くと、ちょっとだけ悔しい気持ちになったりする。
昔なら、そんな気持ちなんて湧きもしなかっただろう。ただただこの冥界で、幽々子様のために尽くしていただけのあの頃なら。無論、これからも幽々子様に尽くしていく気持ちは変わらないが。
はじめは、顕界に触れすぎたせいかも知れない、と思って幽々子様に相談してみた。だけど、幽々子様は私のそうした気持ちを手を叩いて喜んでくれた。
『変化や成長を望むことはいいことよ。逆に、それを望まない者は死人と一緒。私はもう死んでいるからいいけれど、妖夢は半分生きているでしょう?』
『私は、幽々子様をお守りするためにこれまで剣の腕を磨いてきましたが、それは成長ではないのですか?』
『あなたが私のために剣の腕を磨くことは、当たり前のこと。それが魂魄家のしきたり。言わば、呼吸をするのと同義なのよ。あなたは呼吸をするのに、変化や成長を求めるのかしら?』
『いえ……』
『でも、良かったわ。ようやくあなたにも、周囲を見るだけの余裕が出来たのだから。これで立派に半人前よ』
『えぇ!? 私は半人前にもなれていなかったのですか!?』
『言ったでしょう? 変化や成長を望まない者は死人と変わらないと。半人半霊のあなたがそれを求めてこそ、ようやく半人前になれるのよ。おめでとう』
『はぁ……、ありがとうございます』
『半人前になれたお祝いに、私からあなたにプレゼントをあげましょう』
『そ、そんな! 幽々子様からプレゼントなど、恐れ多いです!』
『大人しく受け取りなさい。私は随分長いこと、あなたが半人前になるのを待っていたのよ?』
『……御意』
『これからも、頑張りなさい。では……、プレゼントを渡すわ。こっちにいらっしゃい』
まさかの半人前以下呼ばわりには軽いショックを受けたけれど、ようやく幽々子様からお墨付きで半人前になることが出来ました。
その際に、恐れ多くもプレゼントを頂いた。それは、物とかではなくて、幽々子様が直々に私にくれた最初の変化だった。
今日が皆への最初のお披露目だったのだが、私が裏方に徹し過ぎたのと、全員が早々に出来上がってしまったため、残念ながら気付いてもらえなかった。
それがちょっとだけ、ちょっとだけ悲しかったので、独りでお酒を飲もうと思った次第なのである。そこに現れたのが、鈴仙だった。
それにしても、こんなに近くにいるのに、鈴仙も何故気付いてくれないのだろうか。
鈴仙を見て変化を求めることが出来たからこそ、出来れば最初に鈴仙に気付いて欲しかった。
宴会だったし、裏方だったし、と今日は仕方ないかなあとそう納得しようとしていたのに、折角の二人きりのこの状況で気付いてもらえないとなると、流石に悲しすぎる。虚しすぎる。泣きたくなる。怒りたくなる。
鈴仙にとっては、そんなこと知ったことじゃないだろうけれど。わかってはいるけれど。マイナスな気持ちが渦巻いてしまう。
「(……バカ)」
心の中で鈴仙に文句を言う。
「(何で気付いてくれないの。鈴仙のバカ。酔っ払い!)」
言われもない罪で、鈴仙を糾弾する。
「(バカバカバカバカバカバカ!)」
心の中だけに留めておけば、落ち着くと思っていたのに、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた感情はどんどん悪い方へ行ってしまう。
「(バカバカバカバカ! 鈴仙なんて、鈴仙なんて――!)」
――大嫌い。心にもない言葉が、出来上がった感情の渦から出てしまうところで、鈴仙の、あの優しい声が耳に響いた。
「妖夢、髪切ったでしょぉ?」
「えっ? う、うん」
鈴仙の指が、私の髪を優しく梳く。
「やっぱりぃ。えへへ……、気付いてはいたんだけどさぁ、妖夢忙しそうだったしぃ、邪魔しちゃ悪いかなぁ~って思って言えなかったんだぁ」
「え、うそ。気付いてたの?」
意外だった。宴会が始まって早々に出来上がっていた鈴仙が、私の髪型が変わったことに気付いていたことに。
そう。幽々子様からのプレゼントとは、この髪型だったのだ。今までおかっぱ頭で通してきた髪型を、「半人前になった記念」ということで幽々子様に切って貰ったのだ。
鈴仙がこの変化に気付いていたということを知って、私の中に渦巻いていたマイナスな気持ちはいつの間にかどこかへ行ってしまっていた。
まるで子どもみたいで、ちょっと恥ずかしくなった。同時に後ろめたい気持ちにもなったけど、それよりも嬉しさのほうがやっぱり大きかった。
私は、顔が熱くなっていくのを誤魔化すように、頬を掻きながら鈴仙に聞いてみた。
「へ……、変じゃない、かな?」
鈴仙は即答した。
「ううん、似合ってるよぉ。可愛い」
「あ……、ありがとう……」
鈴仙の言葉に私の低い体温が一気に上がるのを感じて、しばらく顔を上げることが出来なかったのだった。
盛り上がった!と思ったら終わってしまった。
この二人の組合せが好きなだけあって残念。