※一部に独自解釈、あるいはオリ設定があります。
高らかに響き渡る夜雀の歌、豪快に響く鬼の笑い声、世話しない兎達の足音―――
竹林の中にある永遠亭、そこで酒宴が開かれていた。
妖怪の山に棲む者や湖畔の館の住人だけでなく、地底や人里、冥界の住人も招かれた大宴会。
その宴会場から離れた廊下に一人腰を下ろして、藤原妹紅は夜空を見上げていた。
別に宴会場のお祭り騒ぎが嫌いというわけではなかったが、少しの間だけ空を、月を見上げていたかった。
「こんなところで何やってるの。正二位右大臣藤原朝臣不比等女、妹紅。」
「…人が良い気分にひたっていたのに。何の用だ?輝夜。」
不意に頭上から声がするので見上げてみる。
妹紅の仇敵である輝夜が右手に徳利を、左手に杯を二つ持って立っていた。
もっとも、仇敵といっても今では形式的なものなりつつある。
確かに昔は殺し合っていたし、今でも殺し合うことは日課であるが、
憎しみあうというよりは憎まれ口を叩き合う喧嘩友達という関係に落ち着いている。
「良い気分じゃないわよ。こちらは今回の宴の主催者でもあるのよ。
一人で離れてつまんなさそうして、私の顔に泥を塗るようなものだわ。」
「ごめんごめん、そんなつもりじゃなかったんだがな。」
「じゃ、早く戻ってもらおうかしら。飲みすぎたのであれば永琳に薬でも作ってもらうけど。」
苛ついた、しかしどこか心配そうな調子で言いながら隣に座る輝夜。
素直なのかそうじゃないのか、その言葉に苦笑しつつ横目で見ながら妹紅は抗議の言葉を返す。
「ああ、その前に訂正を一つ。」
「何を、よ?」
「お父様は正二位でも右大臣でもありませんことよ。正確には贈正一位太政大臣。
生前叙位ではないとはいえ間違えないで頂戴、『なよ竹のかぐや』。」
「これはこれは、とんだ失礼をいたしましたわ。どうかお許しを、『妹紅姫』。」
千数百年以上も前のこととはいえ、当時の家柄の格でいえば輝夜など妹紅の足元にも及ばない。
おどけながらも謝罪の言葉を口にするあたり、輝夜もそのことは理解している。
だからこそ、それをネタに冗談を言いあえるのだが。
しかし、不思議なものだ、と妹紅は思う。父に恥をかかせた輝夜に復讐するために不老不死となり、
その代償として文字通り全てを失った。結果、今までの半生の大部分を化け物として過ごし血生臭い日々を送ってきた。
逆恨みとはいえ、人生を狂わせた張本人と言っても過言ではない。それが、今ではどうだ?
こうして一緒に酒を酌み交わし、冗談を言い合っている。
今も殺し合っていると言えば聞えは悪いが、実態は手加減の出来ない子供の喧嘩。
見るものによっては痴話喧嘩にも見えるのではないだろうか。
幻想郷で出会った当初は心の底から忌み嫌い、常に殺すことだけを考えていたはずなのに。
ここまで変わることが出来るとは妹紅自身も思いもよらなかった。
また、輝夜もそうなのだろう。殺し合いを始めた頃は永琳や下人を送り込むことも多かったが、
今では他者が介入することを許さない。彼女にとっても最早殺し合いではなく、大事な親友との逢瀬なのだろう。
だからか、妹紅にある考えがよぎる。
――今なら彼女にあの人のことを話しても良いのかもしれない。
妹紅を意を決して、だが、何気ないそぶりで輝夜に言った。
「よろしい。では、この『妹紅姫』の言うことを聞いてもらおうかしら。」
「何であんたの言うことを聞かなきゃならないのよ。」
予想通りの不服そうな返答。でも、それは真意じゃないことは妹紅には分かる。
輝夜もそれを承知している。素直じゃない。だからこそ、腹を割って話せる。
いや、彼女じゃないと腹を割って話す意味が無い。彼女以外には正しく理解できないことなのだから。
「いいじゃない、たいしたことじゃないから。…それに貴女じゃないと駄目だから。」
普段と違う言葉遣い、その上すこしばかり寂しげな妹紅の声に輝夜も頷き応える。
彼女が女言葉を使うのはそれほどまでに真剣、そして信頼してくれているという証し。
「有難う。少しばかり昔話に、お父様の話につきあってもらえないかしら。」
「あの狒々爺の話?」
歯に衣着せぬ物言いの輝夜。昔とは違い我を忘れるほどの怒りを覚えることはないものの、
予想通りの反応に妹紅の口から思わずため息が漏れる。
「貴女にとっては狒々爺でしょうね。正直、今でもそう言われると腹立たしいけど。」
「自分の娘と同じ年頃の娘に求婚するのはいかがなもんでしょ?」
「その点では同情するわ。」
無論、親子ほどの年齢差のある婚姻自体は珍しくはない。
一方で生理的嫌悪感を輝夜が持つことには同じ年頃の少女として同感できる。
自分とて兄弟達の道具としてそうなっていた可能性があった。しかし、父はそうではなかった。
「でも、勘違いしないで。決して自分の欲のためだけではなかったの。」
「うそ。」
「本当。貴女に求婚した訳は二つ。一つは地盤固めのため。」
「私との結婚がどうして地盤固めになるのよ。」
妹紅は再び溜息をつく。普段は切れるのになんでこういう時は鈍いのか。
「貴女、自分が求婚された相手を覚えてないの?」
「だって、みんな狒々爺でしょ。貴女の父親に、多治比島、阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂。
今でも思い出すだけで震えが来るんですけど。」
「当時の正三位以上の方々になんて暴言を…。というか、一人忘れてる。」
妹紅は輝夜の暴言に思わず頭を抱えた。父の政敵であったとはいえ、当時の権力者をなんと思っているのか。
あまつさえ、かのやんごとなき御方すら忘れているとは…。
「え、いたっけ?」
「帝を忘れてる。」
「ああそうだった、帝も言い寄ってきたのよね。確か、文武帝だったかしら?
同年代ではあったけど、趣味に合いそうになかったし、あの時は断るの大変だったわ。それにしても妹紅、よく覚えていたわね。」
「当たり前でしょ!直にお目にかかったことはないとはいえ、義理の兄に当たるお方だったし。
ていうか、当時の最高権力者を普通忘れる?」
「残念ながら私は月人なので。まあ、地盤固めという意味は少しはわかったわ。」
「本当に?」
怪訝な目でかぐやを睨む。
「そんな目で見ないで…。もしも私が帝と結婚して皇子を産んでたら、大変だったでしょうね?
繁栄の地盤が完全に固まっていないのに、未来の皇太子、いや帝を孫に持つライバルが出たら勢力争いが更に過激になったでしょう。」
「正解。花丸をあげましょう。」
輝夜の答えに妹紅は満足そうに頷く。
「ありがとう、もこちゃん。…もっとも、あの優しいお爺様にはそんな欲はなかったし、
お婆様以外に家族もいなかったからその心配は要らないと思うけど。」
「いなくても言い寄ってくる小物は多いでしょ。そういった可能性をできる限り無くすのが目的。他の四人もそうでしょうね。」
「なるほど、一つ目は理解したわ。で、二つ目はなんなの?」
「私のためよ。」
「ゑっ!?」
妹紅の言葉に輝夜は奇妙な声を上げた。
「何驚いてるのよ。」
「驚くに決まってるでしょ!私があんたの親父と結婚したら、あんたの母親になるのよ!?」
「言葉遣い下品よ。」
輝夜の言葉遣いを妹紅は嗜める。普段とはまるで正反対。
「うるさい!それよりも私が母親になることがどうしてあんたのためになるのよ!?」
「私を独りにしたくなかった、から。」
「はあ?」
意外な言葉に輝夜は唖然とし、呆けたような声を出した。
「輝夜、私の髪の毛、どう思う?私の瞳の色、どう感じる?」
「いきなり何よ?」
「いいから答えて。」
間髪入れずに妹紅は輝夜に質問する。輝夜は無視しようとも思ったが、妹紅は真剣そのもの。
ふざけていない、馬鹿にしていない。しかし、嘘をついて欲しくない。
長年殺し合ってきたせいか、そんなことが手に取るように分かる。だから、思ったことを正直に口にした。
「率直言わせて貰うと、変ね。真っ白い髪の毛に真っ赤な瞳。幻想郷じゃなければ奇異そのものよ。」
妹紅の真意を読み取った歯に衣着せぬ答え、妹紅は満足そうに頷き笑う。
「でしょう?月人の貴女から見てもそう見える。それが当時の人にどう映るか、言うまでもないでしょ。」
「それが何よ。話の流れが分からないのだけど。」
「私は白子として生まれた。この外見だけで、人間扱いされなかったわ。髪を染めたり、
人前では常に目を瞑ったりして誤魔化そうとしたこともあったけど、やっぱり無理だったわ。」
「確かにそうでしょうね。」
「実の母親からも化け物扱いされていたしね。」
「…。」
あっけらかんと答える妹紅、それとは輝夜は対照的に言葉を失う。
「腹違いの兄や弟、姉も妹もそうだった。特に兄達は政治道具として利用できない私を処分しようとさえ考えてた。」
「妹紅…。」
「他人からも家族からも私は見放された。誰も私に生きる理由を見出してくれなかったのよ。ただ一人除いて、ね。」
ここまで聞いてやっと合点がいく。同時に、そのことに気付けなかったことを輝夜は恥じた。
「…その、ただ一人の例外というのが、」
「そう、お父様。お父様だけがこの『人間』離れした私を『人間』として扱ってくれた。
『人間』の姿を持って生まれた兄や姉を道具として利用せざるをえなかったのに、
『人間』の姿を持っていない私を『人間』として愛してくれたわ。
しかも、もうけるつもりが無かったのにたまたま産まれてしまった、にも関わらずにね。
この妹紅という呼び名もお父様がつけてくれた。気味の悪い瞳の色が美しくて愛しいとね。」
輝夜は妹紅を横目で見た。どんな顔をしているのか、心配で心配で堪らなかった。
輝夜の目に映った妹紅は――
笑っていた。寂しい笑いではなく、痛々しい笑いでもなく、懐かしむような優しい笑顔だった。殺し合う相手の、初めて見る顔だった。
「でも何故…。」
「お父様は乙巳の変の中心人物、天智天皇の右腕だったお爺様の次男として生まれ、正当な後継者に選ばれたわ。」
月を見上げながら妹紅は話す。
「でも、一族繁栄の地盤を築くのは平坦な道じゃなかった。むしろ、地盤どころか一族存亡の危機に直面していたわ。」
穏やかな顔で。
「幼い時にお爺様が亡くなり、その後の壬申の乱で頼りになる親族も処罰された。」
自分を愛してくれた父のことを話す。
「地位も財力も人脈もない、文字通り、底辺からの出発を余儀なくされたと言って良いわ。のし上がるために汚いこともやったでしょうね。」
輝夜は黙って聞いていた。
「騙し、裏切り、蹴落として。その中で天智天皇の御落胤と騙ったのもおかしいことじゃない。」
自分に求婚した相手のことを。
「だから、使えるものは家族であろうと何でも利用してきた。将来の政敵を自分の陣営に引き込むために娘と婚姻を結ばせたりもした。」
単なる狒々爺と切り捨てた男の意外な一面を。
「そんな中で、異形の子として私が生まれた。その見た目ゆえに道具としての利用価値もなく、恐怖しか与えない化け物としてね。」
自分の嫌悪した行動に隠れた想いを知るために。
「だからかもしれない。利用価値がない化け物だったからこそ、お父様は私を『人間』として愛してくれたのかもしれない。
会える時間は限られていたけど、出来る限り会いに来てくれて、会えば必ず抱きしめてくれて。
一緒に短歌を詠んだり、または、今のように月を愛でたりもしてくれた。」
また、彼女の話を聞く義務を持つ者として。
「貴女と結婚しようとしたのも、私のための話し相手、いえ、私の家族を作るためだったと思う。
年も近いから、新しい姉妹という感じじゃないかな。いつも会うたびに謝っていたわ。
一緒にいられなくて、寂しい思いをさせてすまない、とね。」
彼女の昔話を聞いてあげられる理解者として。
「それは御自分が昔味わったことを、私にも味わせてしまったという、自己嫌悪だったと思う。
そんな折に類まれなる美貌を持ったあなたが現れた。」
彼女を受け止められる友として。
「貴女と求婚する理由を作るのは簡単だった。表向きはその美貌に興味を持って、
裏の理由は政敵となる者が現れる可能性を潰すため。でも本当の理由は私に家族を作るため。
だから、贋物まで作って、騙してまで結婚しようとしたんだと思うのよ。」
妹紅は杯をあおり、目を瞑る。
「…不器用なひと、だったわけね。」
輝夜も杯をあおり、同じく目を瞑る。
二人は黙ったままだった。
言葉は要らなかった。
二人並んで座しているだけで十分だった。
どのくらい経ったのだろうか、二人はお互いに顔を見合わせた。
自然と笑みがこぼれる。
「こう考えるようになれたのもつい最近だけどね。」
妹紅が口を開く。
「それはやっぱり、あのお節介焼きのおかげかしら。」
輝夜も口を開く。
「ええ、私よりも年下のくせに子供扱いして。食べ物から着るもの、寝床、生活習慣までいちいち口出してくれてさ。」
今度は半獣の娘を瞼に思い浮かべる。
「実際、そうだったじゃない。いえ、ここで出会った頃のあなたは子供どころかまさに野獣そのもの。
母親というよりも調教師ってところね。」
輝夜にも口うるさい寺子屋教師の顔が脳裏に浮かぶ。
「むぅ…、悔しいけどその通りね…。でも、あの母親気取りの石頭のおかげで人間らしい生活を送れるようになったし、
他人を気遣えるようになった。感謝しつくせない。」
彼女がいなかったらこうして輝夜と杯を酌み交わすこともなかっただろう。
「まさに『大事な人』なわけね。」
そう言って輝夜は空いていた妹紅のと自分の杯に酒を注ぎ、
「二人目のね。私を孤独の闇から引きずり出して、最初の『大事な人』のことを思い出させてくれた、ね。」
妹紅は輝夜とともにあおる。
「そういえば、今日は満月だったのね。」
「それに、お父様と初めてお月見したのも今のような季節だったわ。」
「そう…。ねぇ、妹紅。一つ聞いていい?」
「なにかしら?」
輝夜は今まで気にならなかったことを聞きたくなった。
「今でも、私のことを憎く思っているの?不比等殿のことで。」
「もちろん、できるなら肉片一つも残したくないくらい。でもね。」
「でも?」
「それ以上に後悔しているんだ。お父様の死に目に会わなかったことを。
別れを告げたとはいえ、そのままいなくなってしまったからね。
せめて、なんと罵られようとも最期まで看取るべきだったと思う。
貴女を何千何万何億回殺したとしても、もうお父様には会えないから。」
その紅い瞳に一瞬映るは後悔と自責の念。彼女はまだ過去に囚われている――輝夜はそう心配した。
飽きることなく何度も自分を殺してきた相手とはいえ、同じ不老不死である彼女は放っておく気にはなれなかった。が、
「しかし、皮肉なものね。」
続く言葉にその心配は杞憂であることを知る。
「自分の名声も地位もかなぐり捨ててまで求婚した相手が、今では愛娘と殺し合ったり、
愚痴をこぼしあったり、一緒に呑んでたり。自分の苦労が全て無駄だったというわけじゃない。」
そう言いながら笑う妹紅の顔を見て、輝夜も嬉しくなる。
「ふふ、そうね。」
「もし、この姿を見たら後悔してると思うわ?あんな恥かしい求婚などするんじゃなかった、ってね。」
「まったく。」
二人は笑いあった。
「だから、今なら伝えられるんだ。もう、心配要らないよ、って。」
ひとしきり笑いあった後、輝夜は妹紅に切り出した。
「これで、昔話は終わりかしら?そうなら、次はこっちのお願いを聞いてもらうわよ。」
「はいはい、では宴会場に戻るとするか。」
妹紅も普段どおりの口調に戻る。昔話もたまには良い。でも、生きているのは現在。過去には戻ることは出来ない。
「そうそう、今宵は我が永遠亭が催しているのよ?一人だけ寂しく飲んでいたなんてことは絶対許さない。
最低でも飲みすぎで死ぬ寸前までいってもらうわよ?」
だから、昔話の後は。
「そりゃ勘弁。いくら死なない身とはいえ、それは辛い。」
「大丈夫よ、辛くなったら死ねばいいのよ。死ねば酒は抜けるから♪」
「お前、さっきと言ってることが違うじゃねぇか!永琳の薬くれんじゃねぇのか!?」
「気にしなーい気にしなーい♪」
現在を楽しもう。宴はまだまだ続くのだから。
高らかに響き渡る夜雀の歌、豪快に響く鬼の笑い声、世話しない兎達の足音―――
竹林の中にある永遠亭、そこで酒宴が開かれていた。
妖怪の山に棲む者や湖畔の館の住人だけでなく、地底や人里、冥界の住人も招かれた大宴会。
その宴会場から離れた廊下に一人腰を下ろして、藤原妹紅は夜空を見上げていた。
別に宴会場のお祭り騒ぎが嫌いというわけではなかったが、少しの間だけ空を、月を見上げていたかった。
「こんなところで何やってるの。正二位右大臣藤原朝臣不比等女、妹紅。」
「…人が良い気分にひたっていたのに。何の用だ?輝夜。」
不意に頭上から声がするので見上げてみる。
妹紅の仇敵である輝夜が右手に徳利を、左手に杯を二つ持って立っていた。
もっとも、仇敵といっても今では形式的なものなりつつある。
確かに昔は殺し合っていたし、今でも殺し合うことは日課であるが、
憎しみあうというよりは憎まれ口を叩き合う喧嘩友達という関係に落ち着いている。
「良い気分じゃないわよ。こちらは今回の宴の主催者でもあるのよ。
一人で離れてつまんなさそうして、私の顔に泥を塗るようなものだわ。」
「ごめんごめん、そんなつもりじゃなかったんだがな。」
「じゃ、早く戻ってもらおうかしら。飲みすぎたのであれば永琳に薬でも作ってもらうけど。」
苛ついた、しかしどこか心配そうな調子で言いながら隣に座る輝夜。
素直なのかそうじゃないのか、その言葉に苦笑しつつ横目で見ながら妹紅は抗議の言葉を返す。
「ああ、その前に訂正を一つ。」
「何を、よ?」
「お父様は正二位でも右大臣でもありませんことよ。正確には贈正一位太政大臣。
生前叙位ではないとはいえ間違えないで頂戴、『なよ竹のかぐや』。」
「これはこれは、とんだ失礼をいたしましたわ。どうかお許しを、『妹紅姫』。」
千数百年以上も前のこととはいえ、当時の家柄の格でいえば輝夜など妹紅の足元にも及ばない。
おどけながらも謝罪の言葉を口にするあたり、輝夜もそのことは理解している。
だからこそ、それをネタに冗談を言いあえるのだが。
しかし、不思議なものだ、と妹紅は思う。父に恥をかかせた輝夜に復讐するために不老不死となり、
その代償として文字通り全てを失った。結果、今までの半生の大部分を化け物として過ごし血生臭い日々を送ってきた。
逆恨みとはいえ、人生を狂わせた張本人と言っても過言ではない。それが、今ではどうだ?
こうして一緒に酒を酌み交わし、冗談を言い合っている。
今も殺し合っていると言えば聞えは悪いが、実態は手加減の出来ない子供の喧嘩。
見るものによっては痴話喧嘩にも見えるのではないだろうか。
幻想郷で出会った当初は心の底から忌み嫌い、常に殺すことだけを考えていたはずなのに。
ここまで変わることが出来るとは妹紅自身も思いもよらなかった。
また、輝夜もそうなのだろう。殺し合いを始めた頃は永琳や下人を送り込むことも多かったが、
今では他者が介入することを許さない。彼女にとっても最早殺し合いではなく、大事な親友との逢瀬なのだろう。
だからか、妹紅にある考えがよぎる。
――今なら彼女にあの人のことを話しても良いのかもしれない。
妹紅を意を決して、だが、何気ないそぶりで輝夜に言った。
「よろしい。では、この『妹紅姫』の言うことを聞いてもらおうかしら。」
「何であんたの言うことを聞かなきゃならないのよ。」
予想通りの不服そうな返答。でも、それは真意じゃないことは妹紅には分かる。
輝夜もそれを承知している。素直じゃない。だからこそ、腹を割って話せる。
いや、彼女じゃないと腹を割って話す意味が無い。彼女以外には正しく理解できないことなのだから。
「いいじゃない、たいしたことじゃないから。…それに貴女じゃないと駄目だから。」
普段と違う言葉遣い、その上すこしばかり寂しげな妹紅の声に輝夜も頷き応える。
彼女が女言葉を使うのはそれほどまでに真剣、そして信頼してくれているという証し。
「有難う。少しばかり昔話に、お父様の話につきあってもらえないかしら。」
「あの狒々爺の話?」
歯に衣着せぬ物言いの輝夜。昔とは違い我を忘れるほどの怒りを覚えることはないものの、
予想通りの反応に妹紅の口から思わずため息が漏れる。
「貴女にとっては狒々爺でしょうね。正直、今でもそう言われると腹立たしいけど。」
「自分の娘と同じ年頃の娘に求婚するのはいかがなもんでしょ?」
「その点では同情するわ。」
無論、親子ほどの年齢差のある婚姻自体は珍しくはない。
一方で生理的嫌悪感を輝夜が持つことには同じ年頃の少女として同感できる。
自分とて兄弟達の道具としてそうなっていた可能性があった。しかし、父はそうではなかった。
「でも、勘違いしないで。決して自分の欲のためだけではなかったの。」
「うそ。」
「本当。貴女に求婚した訳は二つ。一つは地盤固めのため。」
「私との結婚がどうして地盤固めになるのよ。」
妹紅は再び溜息をつく。普段は切れるのになんでこういう時は鈍いのか。
「貴女、自分が求婚された相手を覚えてないの?」
「だって、みんな狒々爺でしょ。貴女の父親に、多治比島、阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂。
今でも思い出すだけで震えが来るんですけど。」
「当時の正三位以上の方々になんて暴言を…。というか、一人忘れてる。」
妹紅は輝夜の暴言に思わず頭を抱えた。父の政敵であったとはいえ、当時の権力者をなんと思っているのか。
あまつさえ、かのやんごとなき御方すら忘れているとは…。
「え、いたっけ?」
「帝を忘れてる。」
「ああそうだった、帝も言い寄ってきたのよね。確か、文武帝だったかしら?
同年代ではあったけど、趣味に合いそうになかったし、あの時は断るの大変だったわ。それにしても妹紅、よく覚えていたわね。」
「当たり前でしょ!直にお目にかかったことはないとはいえ、義理の兄に当たるお方だったし。
ていうか、当時の最高権力者を普通忘れる?」
「残念ながら私は月人なので。まあ、地盤固めという意味は少しはわかったわ。」
「本当に?」
怪訝な目でかぐやを睨む。
「そんな目で見ないで…。もしも私が帝と結婚して皇子を産んでたら、大変だったでしょうね?
繁栄の地盤が完全に固まっていないのに、未来の皇太子、いや帝を孫に持つライバルが出たら勢力争いが更に過激になったでしょう。」
「正解。花丸をあげましょう。」
輝夜の答えに妹紅は満足そうに頷く。
「ありがとう、もこちゃん。…もっとも、あの優しいお爺様にはそんな欲はなかったし、
お婆様以外に家族もいなかったからその心配は要らないと思うけど。」
「いなくても言い寄ってくる小物は多いでしょ。そういった可能性をできる限り無くすのが目的。他の四人もそうでしょうね。」
「なるほど、一つ目は理解したわ。で、二つ目はなんなの?」
「私のためよ。」
「ゑっ!?」
妹紅の言葉に輝夜は奇妙な声を上げた。
「何驚いてるのよ。」
「驚くに決まってるでしょ!私があんたの親父と結婚したら、あんたの母親になるのよ!?」
「言葉遣い下品よ。」
輝夜の言葉遣いを妹紅は嗜める。普段とはまるで正反対。
「うるさい!それよりも私が母親になることがどうしてあんたのためになるのよ!?」
「私を独りにしたくなかった、から。」
「はあ?」
意外な言葉に輝夜は唖然とし、呆けたような声を出した。
「輝夜、私の髪の毛、どう思う?私の瞳の色、どう感じる?」
「いきなり何よ?」
「いいから答えて。」
間髪入れずに妹紅は輝夜に質問する。輝夜は無視しようとも思ったが、妹紅は真剣そのもの。
ふざけていない、馬鹿にしていない。しかし、嘘をついて欲しくない。
長年殺し合ってきたせいか、そんなことが手に取るように分かる。だから、思ったことを正直に口にした。
「率直言わせて貰うと、変ね。真っ白い髪の毛に真っ赤な瞳。幻想郷じゃなければ奇異そのものよ。」
妹紅の真意を読み取った歯に衣着せぬ答え、妹紅は満足そうに頷き笑う。
「でしょう?月人の貴女から見てもそう見える。それが当時の人にどう映るか、言うまでもないでしょ。」
「それが何よ。話の流れが分からないのだけど。」
「私は白子として生まれた。この外見だけで、人間扱いされなかったわ。髪を染めたり、
人前では常に目を瞑ったりして誤魔化そうとしたこともあったけど、やっぱり無理だったわ。」
「確かにそうでしょうね。」
「実の母親からも化け物扱いされていたしね。」
「…。」
あっけらかんと答える妹紅、それとは輝夜は対照的に言葉を失う。
「腹違いの兄や弟、姉も妹もそうだった。特に兄達は政治道具として利用できない私を処分しようとさえ考えてた。」
「妹紅…。」
「他人からも家族からも私は見放された。誰も私に生きる理由を見出してくれなかったのよ。ただ一人除いて、ね。」
ここまで聞いてやっと合点がいく。同時に、そのことに気付けなかったことを輝夜は恥じた。
「…その、ただ一人の例外というのが、」
「そう、お父様。お父様だけがこの『人間』離れした私を『人間』として扱ってくれた。
『人間』の姿を持って生まれた兄や姉を道具として利用せざるをえなかったのに、
『人間』の姿を持っていない私を『人間』として愛してくれたわ。
しかも、もうけるつもりが無かったのにたまたま産まれてしまった、にも関わらずにね。
この妹紅という呼び名もお父様がつけてくれた。気味の悪い瞳の色が美しくて愛しいとね。」
輝夜は妹紅を横目で見た。どんな顔をしているのか、心配で心配で堪らなかった。
輝夜の目に映った妹紅は――
笑っていた。寂しい笑いではなく、痛々しい笑いでもなく、懐かしむような優しい笑顔だった。殺し合う相手の、初めて見る顔だった。
「でも何故…。」
「お父様は乙巳の変の中心人物、天智天皇の右腕だったお爺様の次男として生まれ、正当な後継者に選ばれたわ。」
月を見上げながら妹紅は話す。
「でも、一族繁栄の地盤を築くのは平坦な道じゃなかった。むしろ、地盤どころか一族存亡の危機に直面していたわ。」
穏やかな顔で。
「幼い時にお爺様が亡くなり、その後の壬申の乱で頼りになる親族も処罰された。」
自分を愛してくれた父のことを話す。
「地位も財力も人脈もない、文字通り、底辺からの出発を余儀なくされたと言って良いわ。のし上がるために汚いこともやったでしょうね。」
輝夜は黙って聞いていた。
「騙し、裏切り、蹴落として。その中で天智天皇の御落胤と騙ったのもおかしいことじゃない。」
自分に求婚した相手のことを。
「だから、使えるものは家族であろうと何でも利用してきた。将来の政敵を自分の陣営に引き込むために娘と婚姻を結ばせたりもした。」
単なる狒々爺と切り捨てた男の意外な一面を。
「そんな中で、異形の子として私が生まれた。その見た目ゆえに道具としての利用価値もなく、恐怖しか与えない化け物としてね。」
自分の嫌悪した行動に隠れた想いを知るために。
「だからかもしれない。利用価値がない化け物だったからこそ、お父様は私を『人間』として愛してくれたのかもしれない。
会える時間は限られていたけど、出来る限り会いに来てくれて、会えば必ず抱きしめてくれて。
一緒に短歌を詠んだり、または、今のように月を愛でたりもしてくれた。」
また、彼女の話を聞く義務を持つ者として。
「貴女と結婚しようとしたのも、私のための話し相手、いえ、私の家族を作るためだったと思う。
年も近いから、新しい姉妹という感じじゃないかな。いつも会うたびに謝っていたわ。
一緒にいられなくて、寂しい思いをさせてすまない、とね。」
彼女の昔話を聞いてあげられる理解者として。
「それは御自分が昔味わったことを、私にも味わせてしまったという、自己嫌悪だったと思う。
そんな折に類まれなる美貌を持ったあなたが現れた。」
彼女を受け止められる友として。
「貴女と求婚する理由を作るのは簡単だった。表向きはその美貌に興味を持って、
裏の理由は政敵となる者が現れる可能性を潰すため。でも本当の理由は私に家族を作るため。
だから、贋物まで作って、騙してまで結婚しようとしたんだと思うのよ。」
妹紅は杯をあおり、目を瞑る。
「…不器用なひと、だったわけね。」
輝夜も杯をあおり、同じく目を瞑る。
二人は黙ったままだった。
言葉は要らなかった。
二人並んで座しているだけで十分だった。
どのくらい経ったのだろうか、二人はお互いに顔を見合わせた。
自然と笑みがこぼれる。
「こう考えるようになれたのもつい最近だけどね。」
妹紅が口を開く。
「それはやっぱり、あのお節介焼きのおかげかしら。」
輝夜も口を開く。
「ええ、私よりも年下のくせに子供扱いして。食べ物から着るもの、寝床、生活習慣までいちいち口出してくれてさ。」
今度は半獣の娘を瞼に思い浮かべる。
「実際、そうだったじゃない。いえ、ここで出会った頃のあなたは子供どころかまさに野獣そのもの。
母親というよりも調教師ってところね。」
輝夜にも口うるさい寺子屋教師の顔が脳裏に浮かぶ。
「むぅ…、悔しいけどその通りね…。でも、あの母親気取りの石頭のおかげで人間らしい生活を送れるようになったし、
他人を気遣えるようになった。感謝しつくせない。」
彼女がいなかったらこうして輝夜と杯を酌み交わすこともなかっただろう。
「まさに『大事な人』なわけね。」
そう言って輝夜は空いていた妹紅のと自分の杯に酒を注ぎ、
「二人目のね。私を孤独の闇から引きずり出して、最初の『大事な人』のことを思い出させてくれた、ね。」
妹紅は輝夜とともにあおる。
「そういえば、今日は満月だったのね。」
「それに、お父様と初めてお月見したのも今のような季節だったわ。」
「そう…。ねぇ、妹紅。一つ聞いていい?」
「なにかしら?」
輝夜は今まで気にならなかったことを聞きたくなった。
「今でも、私のことを憎く思っているの?不比等殿のことで。」
「もちろん、できるなら肉片一つも残したくないくらい。でもね。」
「でも?」
「それ以上に後悔しているんだ。お父様の死に目に会わなかったことを。
別れを告げたとはいえ、そのままいなくなってしまったからね。
せめて、なんと罵られようとも最期まで看取るべきだったと思う。
貴女を何千何万何億回殺したとしても、もうお父様には会えないから。」
その紅い瞳に一瞬映るは後悔と自責の念。彼女はまだ過去に囚われている――輝夜はそう心配した。
飽きることなく何度も自分を殺してきた相手とはいえ、同じ不老不死である彼女は放っておく気にはなれなかった。が、
「しかし、皮肉なものね。」
続く言葉にその心配は杞憂であることを知る。
「自分の名声も地位もかなぐり捨ててまで求婚した相手が、今では愛娘と殺し合ったり、
愚痴をこぼしあったり、一緒に呑んでたり。自分の苦労が全て無駄だったというわけじゃない。」
そう言いながら笑う妹紅の顔を見て、輝夜も嬉しくなる。
「ふふ、そうね。」
「もし、この姿を見たら後悔してると思うわ?あんな恥かしい求婚などするんじゃなかった、ってね。」
「まったく。」
二人は笑いあった。
「だから、今なら伝えられるんだ。もう、心配要らないよ、って。」
ひとしきり笑いあった後、輝夜は妹紅に切り出した。
「これで、昔話は終わりかしら?そうなら、次はこっちのお願いを聞いてもらうわよ。」
「はいはい、では宴会場に戻るとするか。」
妹紅も普段どおりの口調に戻る。昔話もたまには良い。でも、生きているのは現在。過去には戻ることは出来ない。
「そうそう、今宵は我が永遠亭が催しているのよ?一人だけ寂しく飲んでいたなんてことは絶対許さない。
最低でも飲みすぎで死ぬ寸前までいってもらうわよ?」
だから、昔話の後は。
「そりゃ勘弁。いくら死なない身とはいえ、それは辛い。」
「大丈夫よ、辛くなったら死ねばいいのよ。死ねば酒は抜けるから♪」
「お前、さっきと言ってることが違うじゃねぇか!永琳の薬くれんじゃねぇのか!?」
「気にしなーい気にしなーい♪」
現在を楽しもう。宴はまだまだ続くのだから。
会話も長い間殺しあってきた二人の性格が良く分かるものだったと思います。
非常に面白い昔話を聞かせていただき、ありがとうございました。
だけど、この作品の素敵な雰囲気は存分に感じ取れました。素晴らしいてるもこをありがとうございます。
有難うございます。
妹紅の半生は筆舌し難いものだったと思います。
浅はかな考えの行為とはいえ、支払った代償はあまりにも高い過ぎるものです。
>2 様
有難うございます。
会話主体のSSのため、その点に苦労しました。
それを気に入って下さり、作者として感無量です。
>4 様
有難うございます。
二人の性格の違いが出ていたか心配でしたが、安心しました。
賛辞の言葉、有難うございます。
>10 鈍狐 様
いつも有難うございます。
今回の試みはくど過ぎたみたいですね。精進いたします。
次回も宜しければ、感想をお願い致します。
>11 シンフー 様
有難うございます。
難しいと思われたのは自分の至らなさによるものです、すみません。
気に入って下さり、有難うございます。