突き出していた腕を、ゆっくりと戻した。
それから、具合を確かめるように握ったり開いたりを繰り返す。
手の平に食い込む爪の感触に、うん、とひとつうなずいて、「よし、おしまい!」と声をあげた。
幾千幾万と、今まで何度も繰り返してきた型を短時間のうちにこなした私は、両手の指を合わせてぐっと突き出し、伸びをしながら定位置に戻った。
汗はかいていないものの、運動したために火照った身体に、早朝の冷たい風がしみる。身を振るわせるかわりに小さくあくびをして、腕を組んでそこに立った。
私の背後に建つのは、紅き館。私が忠を尽くす主の住まう館。私が立つ場所は、その館に入るための門の横。
蟻の子一匹通さない…というのは些か大袈裟だけれど、そういう気概で、私はここにいた。
なにせ私は門番なのである。賊の侵入を防いだりするのが私の役目なのだ。
役目を全う、務めを果たす。頭の中で言葉を繰り返して……くあぁ、とあくびをした。
あー、駄目だ。朝は駄目だ。眠い。
ねちゃだめアルヨー、ナイフが飛んでくるアルヨー、と自分に対しておちゃらけてみるものの、眠気は拭えない。半眼になってうーむと唸り、何か打開策が無いか探った。
うーむ、うーむと唸ること数分。少々船をこぎ始めた頃に、あっ!と閃いて、手を打った。
そーだそーだ、気つけだ。眠気を覚ますにはそれしかない。
寝惚けた頭で、そうと決まれば即実行!!とばかりに本気の拳を自分の顔に叩き込んだ。
サクッ。
何やら鋭利なものがこめかみに突き刺さる感触がして、目を開く。と同時に、激痛が襲いかかってきた。
「みぎゃぁあああっ!?」
慌てて手をやってみれば、硬いものが突き立ってるじゃーありませんか。
抜き取ってみれば、それがナイフなのだということが分かった。
ということは、つまり……。
「門番仕事しろ」
「は、はぃい!!」
耳元で囁く様に聞こえたげに恐ろしき声に直立して声を返す。
ハッ!として見回しても、誰もいない。手に持っていたナイフも何時の間にやら消えていた。でも、さっきの声が誰のものなのかはすぐにわかった。
痛みを訴え続けるこめかみを手の平で押さえつつ、溜息を吐く。ああ、またやっちゃった。
そういえば毎回こんなだっけ、と思いつつ、身体を左右に捻ってほぐし、今度こそ職務を全うすることにした。日はすでに高く昇っている。
今日は随分と長い事眠ってしまっていたみたいだ。
こりゃ昼は抜きだろーなー、と思うと、また溜息が出た。
自業自得なのはわかるけど、納得できない……。
お腹が空いてると力がでないんですよ!!偉い人もそう言ってますよ!!と一人でプンスカとほおを膨らませてみても、何も起こることはない。
風が吹いた。
何だか凄くむなしくなって、再三溜息を吐く。
「呼吸をすると幸せが逃げるのよ」
ふと、そんなとんちんかんな事をいう声が近くから聞こえてきた。
びっくりしてそちらに目を向けてみれば……ああ、氷精。
気を抜きすぎてたなぁ。こんなに近づかれるまで気が付かないなんて。
自らの気を引き締めつつ、氷精に「こんにちは~」と挨拶をする。「今は『おはよう』よ!ばかねー」と返された。
さいですか、と頭の後ろをぽりぽりと掻いていると、氷精の真隣に突然『気』が現れたのを感じて、目を向けた。
直後に、その場所に少女が現れる。
「おう、大ちゃん」
と、氷精がその少女を肘で小突いた。
「おまたせチルノちゃん。持ってきたよ」
「さんきゅ。さっすが大ちゃんねぇ」
言いながら、またも肘で小突く氷精。
大ちゃんと呼ばれた少女の手には、何やら冷気を放つ薄水色の棒が握られていた。氷ではなさそうだ。
氷精が、三本あるその棒のうち一本を少女から受け取って、こちらに差し出してきた。
「ほい。あげるわ門番」
「あ、ありがとうございます…」
受け取ったものをしげしげと眺める。
手で持つ部分があるそれは、どこかで見た覚えがあった。
目の前にいる二人は、一本ずつを分け合って、揃って口に入れた。
食べられるものなのか、と思って、ためしにちろりと出した舌を這わせてみる。
ぴりっとした冷たさと、僅かな甘さ。
食べられる、と確認できたので、二人に続いて口に入れた。
口内が冷えて、爽快な甘さが広がり、やがてミルクの甘みが溶け込んでくる。驚いた。何だコレ。おいしい。
それに………どこか、懐かしい味がする。
あっという間に平らげる。残った棒には、『あ…はずれ』と書かれていた。ちょっと意味がよくわからなかった。
服が引っ張られる感覚。目をやれば、氷精が勝気な笑みを浮かべて私を見上げていた。
「あそびましょ」
「よし来た!」
私は、腕まくり……といっても、袖はないのだけれど……して、元気良く飛び上がっていった氷精と大妖精に続いた。
「ふー、遊んだ遊んだ」
「ありがとうございましたー」
「ふふふ。それじゃあね」
霧が覆う湖の方へと飛んでいく二人に手を振って、その影が見えなくなってから門の前に戻る。
遊んでいる間も常に気を張って警戒していたので、一応門番の務めは果たしている。
……果たしてますよー?ですからナイフ投げないでくださいねー?
心の中だけでメイド長に弁解して、一人で苦笑した。
日が落ちる。茜色に染まる遠くの空を眺めて、夜を迎えた。
こうなると目がさえてくる。
調子に乗った妖怪やらなんやらが闇に紛れてせめては来ないかと目を光らせて立つ。
時々あるのだ、そういうことが。
暫くすれば、いよいよ夜の色は濃くなり、お腹も空いてきた。
するとタイミングよく妖精メイドが食事を運んできてくれた。
まってました!とばかりにとびついて、すぐに平らげる。
今日は珍しく麺物で、いつも通り凄くおいしかった。
熱いくらいに温まった身体を、軽く揺らして冷ます。夜風が涼しい。
何事もなく時間は過ぎていって、深夜頃に仮眠をとることになった。
妖精メイド数人に門を任せ、館の中に入っていく。
廊下はいたって静かで、床に敷かれた紅い敷物の為に足音すらたたない。
そして、まるでこの館には自分一人しかいないんじゃないかと思えるくらいに、誰の姿も見えない。
もちろん、単にたまたま会わないだけで、そこかしこにメイド妖精がいるのだろう。夜が来ても仕事のある妖精はいる。
あ、でも咲夜さんはもう寝てるかな。お嬢様はまだだろう、むしろこれからだ。
あれこれと考えつつ、自分の部屋に向かう。
と、私の部屋の前に誰かが立っているのが見えた。
「おや、パチュリー様。どうしたんですか?」
歩いて行ってみれば、そこにいたのはパチュリー様。
眠そうに半分閉じられた瞳を気怠げにこちらに向けて、
「待っていたわ、美鈴」と一言。そのままドアを開けて、中に入っていった。
後に続くと、パチュリー様は部屋に設えられている丸テーブルある椅子に座っていた。
「座って」と言われて、その対面の椅子に腰をおろす。
何の用かな、また実験の手伝いとかかな、と考えをめぐらせていると、パチュリー様が人差し指を立てた手を振って見せた。
指先が淡く光ったかと思うと、テーブルの上にワイングラスが二つ現れる。魔法だ。
パチュリー様が、テーブルの下からぬっと取り出したワインのコルクを抜いて、グラスに注いでいく。
紅い液体の入ったグラスをパチュリー様が掲げたのに合わせて、私もグラスを掲げた。
無言でグラスを口に持っていって、一息に飲み干す。
あ、おいしい。きっとこれはアレだ。咲夜さんの作ったやつだ。
パチュリー様が息をつく。「それで、御用は?」と聞くと、手を出して、と言われた。
こうですか?と右手を掲げてみせると、テーブルの上に、と言われる。
言う通りにすれば、パチュリー様が手を重ねてきた。
光が、手を包む。
パチュリー様の目が見開かれた。僅かに口が開いて、すぐに閉じる。
「……何を、なさったのですか?」
「……驚いたわ。これほどの力を……私の読みは、外れてなかった。……これなら、万が一が起こっても……抑えられる」
パチュリー様は私の問いかけには答えず、何やらぶつぶつと呟いたかと思うと、ワインをグラスに注いで、グイと飲み干した。
少々赤らんだ顔をこちらに向けて、そのまま。
何分経ったかわからないくらいに、パチュリー様は席を立ち、部屋を出ていってしまった。
結局何だったんだろう、と首をかしげる。
取り敢えず残っていたワインをじっくり味わいながら飲んで、床に就くことにした。
空が白み始めた頃に、目を覚ます。
あくびと伸びをして、服に出来ていたしわを伸ばし、乱れた髪を整えてから、水差しから一杯の水をついで飲む。
それから急いで門へと行き、だらけていた妖精メイドたちに交代の旨を伝えた。
後ろ腰で手を組んで門の横に立つ。
そろそろお嬢様も寝入った頃だろう。
段々と明るくなっていく空を見上げながら、ほふうと息を吐いた。
白い息が昇っていく。ん、と呟いて、気合を入れる。
ふと、館の地下程に、パチュリー様の乱れた気を感じた。
大きくなったり小さくなったり。何かの実験でもしているのだろうか、身体に障るようなものじゃないといいけれど。
朝を迎えていく空の元で、そんなことを考えた。
「もすこししたら……いつもの、やるかなー」
でそうになったあくびを飲み込んで、今日も頑張るぞっ、と声をあげる。
緑色の空が、一日の始まりを告げていた。
それとも自分が見つけられなかっただけで、パチュリーの行為は何事かと示唆されていたのでしょうか?
自分は楽しく読めました
伏線張っておいて続きがないってことはないだろうし…いつまで裸でいればいいのやら…
ですが、最初の方が言っているとおり、ヤマもオチも無いのに、伏線があってもやもやします。
続きと一緒にこれを投稿したら名作になっていたかもしれないと思うと惜しい。