物事は、ほんの些細なことですれ違いが生じる。
それは藍のこの言葉から始まった。
「紫様、妖夢が自機になったようです」
「なんですって? 妖夢が自棄になった!?」
「はい、間違いありません」
「留守をお願い。私は幽々子に会ってくるわ!」
“自機”を“自棄”だと勘違いしたまま八雲邸を飛び出した紫は、友人を心配して白玉楼を訪ねた。
「聞いたわよ幽々子。妖夢が自棄になったんですってね」
「そうなのよ~。もしかしてそれでわざわざ来てくれたの? ありがとう~」
「当然じゃない」
紫の気持ちとしては、もし幽々子まで落ち込んでいればまずは主従ともども慰めてやり、解決のために協力もする所存である。
「また自機になったの」
「またって、以前もあったの?」
「知らなかったの?」
「え、えぇ。初耳だわ……」
紫は幽々子のあまりにも普段と変わらぬ態度に少々面食らう。
邸を出る際の彼女の頭には、己の大切な従者が自棄になって慌てている友人の姿が思い描いてあった。
しかし現実はどうだ。心配どころかむしろ嬉しそうにはしゃいでいるように見える。妖夢を娘のように可愛がっていると思っていたのに、それは勘違いだったのだろうかと、紫は困惑した。
違うぞ紫、勘違いしてるのは確かだが、問題はそこじゃない。そこじゃないんだ!――などと教えてくれる者はいない。
「心配じゃないの?」
「そうねぇ。全くかときかれたら嘘になるけど、これでも信頼してるから」
「信頼……なるほどね」
(信頼しているからこそ、あえて放っておくということね。なかなかどうして厳しい教育方針だけれど、それも妖夢のことを思ってこそかしら)
紫は自分もかつて若き妖狐に課した苦行の数々を振り返った。愛の鞭とは、振るう側も相当の覚悟が必要なのだ。
「!? どうして泣いてるの?」
「あら、気付かなかったわ。ごめんなさい、ちょっと昔を思い出しちゃってね」
「そう。まぁ何のことかは聞かないでおくわ」
「流石、話がわかる」
主という立場故の辛さを友人と共感出来ることに喜びつつも、紫はもはや自分の出る幕は無いと判断し、立ち上がった。
「お邪魔したわね」
「もう行っちゃうの?」
「えぇ、余計なちょっかいをかける前にね」
「そう」
ちなみに今の発言、紫は「あなたたちの問題に私が首を突っ込むべきではない」という意味で言った。
対して幽々子は「ここで妖夢が来たら新作の自機に選ばれたことをネタにして弄りたくなってしまう」という意味で捉えた。
事実、幽々子も妖夢の吉報を知ってすぐさま、照れる従者に構いまくっていたのだ。
「あぁ、本当に嬉しいわぁ。妖夢が自機になって」
幽々子の嬉しそうな言葉に、紫は踏み出そうとした足を引っ込め、動きを止めた。
「そんなに嬉しいことかしら?」
「もちろんよ。自分の従者が自機になるなんて、主にとっては誇りよ」
「……」
「あ、ごめんなさい。あなたのところはまだだったわよね。でも大丈夫! あなたのところの狐ももうすぐなるわよ、きっと!」
紫は障子を勢い良く開け放つと、大股で部屋を出て行った。
「あらぁ、怒らせちゃった。流石に厭味っぽく聞こえちゃったかしら……?」
残された幽々子は呟いた。
「あったまキたわ!」
一方、ずんずんと廊下を進む紫もついつい怒りが口から漏れてしまっている。
「全く、あんなやつだとは思わなかったわ。昔から妖夢のことを可愛がってたくせに。それともあれが流行りのヤンデレってやつなの? いくらなんでもあの子が可哀想じゃない!」
誰にともなく捲し立てる彼女の剣幕に幽霊たちも飛び退いていく。
「わわっ、どうしたのあなたたち!?」
そこへ丁度、件の娘が現れたではないか。脇を駆け抜けていく幽霊たちに危うく持っている盆を落としそうになる。
「妖夢」
「おや紫様。もしやお帰りですか? 今お茶菓子をお持ちするところだったのですが」
きょとんとした表情で見上げてくる彼女に、紫は胸の奥から込み上げてくるものを感じた。
(なんて純粋な子なの。自分が自棄になっているにも関わらず、それをおくびにも出さず客人をもてなそうとするこの健気さ! 主の非情さも知らぬ無垢。あるいは知っていてなおこれだけ平然としていられる強さ。ここで折られるにはあまりに惜しい花だわッ)
紫様は頭に血が上って少々暴走しておられます。
「妖夢!」
「はひッ」
いきなり肩を掴まれて、真剣な表情で詰め寄られた妖夢は、ただただビビった。
「あなた、私のところに来ない?」
「私が、ですか?」
「えぇ、あなたなら良い式になれるわ。いいえ、なんなら式になんてならず、家政婦代わりでも」
「どうしたんですか突然」
「単刀直入にきくわ。幽々子が主で、満足してる?」
「満足……ハッ」
ここで妖夢、みょんと閃いた。
(わかった。これは引き抜きだ! へっどはんちんぐだ! 私が神霊廟の自機に選ばれたから、その功績を見込んでこの私をすかうとしに来られたんだ!)
普段の彼女ならこんな発想はしなかっただろう。が、今回の件で流石の妖夢さんも少々浮かれていらっしゃるらしい。これが若さというものだ。
「んー、そちらがどのような待遇をして下さるのかはわかりませんが、幽々子様を見捨てるのも可哀想ですしねぇ」
(あ、あら? なんだか随分偉そうね。こんな子だったかしら……)
困惑する紫。若さって怖い。
「自棄になったんじゃないの?」
「あぁ、やはりお耳に入ってましたか。いやお恥ずかしい」
「そうよ。それでさっき幽々子とも話をしたんだけれど、私としてはあなたを守――」
「私をすかうとしに来たんですね。大丈夫、わかってますよ」
「へ?」
「新作で自機に抜擢された程の私です。求められるのは当然でしょう。しかし幽々子様にお仕えするのは祖父様との約束でもあるので」
「はい?」
「まことに残念ではありますが、お断りさせて頂きます」
丁寧に頭を下げてから、ばつが悪そうに視線を逸らす妖夢。
一方、紫の頭の中では急速に事態の修正が行われていた。
(え、自機? 「じき」ってそういう事? 自棄じゃなくて?)
そして最後の歯車が噛み合ったと同時に、彼女は顔から火が出る思いで頭を抱えた。
「ど、どうなされました。私が断ったのが不快でしたか? でもこればかりは折れるわけには……」
「いいい、いいの! もういいの、わかったから! お願いだからこれ以上私に恥をかかせないでー!」
そう叫ぶと紫はスキマにダイブして白玉楼から即ログアウトする。
「あちゃあ、怒らせちゃったかな? もうちょっと言い方があっただろうに、紫様の誇りを傷つけてしまったか。私もまだまだ未熟だわ」
残された妖夢は呟いた。
紫帰宅後の八雲邸では、肌と肌がぶつかり合う音が響いていた。
「『じき』なんて言うからややこしいんじゃない!? 『ヤケ』って言いなさいよこのすかぽんたん!」
「ふえぇぇん、すみましぇん」
涙を浮かべて謝る藍と、鬼の形相で腕を振りおろす紫。数百年ぶりの尻叩きの刑である。
そんな紫の表情は、勘違いによる羞恥と従者への怒り、そして恍惚によって彩られていた。もうダメかもしれんね。
こうして彼女たちの犠牲のもと、『東方神霊廟』は着々と発売への軌跡を築いていくのであった。
藍様が自機になったら迷わず使うんだけど……。
一つ気になったのが紫様が幽々子様のもとを立ち去るところで台詞について説明が入っちゃったことですか。
急にテンポが悪くなっちゃったので二人の会話で表現したほうが面白かったかも。