今時、月齢なんてものは簡単に分かるし、また計算出来るものである。
だから、今日が新月になるなんてことは、とっくの昔から分かっていた。どんな我儘を言われても、最悪屋敷の外へ出してはならない、そう思って雨を降らせる準備だってパチュリー様にお願いしてあった。幼い子供が喜びそうな遊び道具だって、山のように集めていた。
だって言うのに、なんでだろうか。
そんなもの、たった一言と、一つの仕草で、いとも容易く破壊されてしまった。何の役にも立たなかった。
お嬢様を侮っていました。
具体的には、こう可愛さとか、そういうのを。
紅魔館の中でも、最も大きな広間。そこに、失われた月の夜の効果で、幼児退行を起こしたお嬢様、パチュリー様、私、数人のメイド、山のように積み上げられた玩具があった。
「ねぇ、さくや。おそとにいきたいの」
玩具なんてつまらないと、一瞥すらせず私に話しかけてくるお嬢様。あらあら、玩具なんかよりも、私と一緒に外で遊びたいということですか?
「ダメです」
でもダメですよ。
冷静に、優しく。主が幼児退行化しているとしても、私は完全で瀟洒な従者を崩さない。プロフェッショナルですから。
「れーむおねーちゃんにあいたいの。いっしょにあそびたい」
「ダメですっ!」
あの紅白か。幼くなっても、あの紅白か! 私よりも、あんな日和紅白がいいのですか!! 一体全体、どこがいいのですかっ、きーっ!!
「ふぇっ…」
「あっ―」
しまった。完全で瀟洒な私としたことが、つい声を荒げてしまった。
「な、泣かないで下さいお嬢様。申し訳ありません、つい大きな声を…」
おろおろしてしまう私を、パチュリー様は眠そうな顔で、「どうしたものかしら…」と言いたげに眺め、メイド達は、普段と似ても似つかない私を見て、口をあけてポカンとしている。
あぁもう、使えない奴等ね!
「さくやが…さくやがおこったーーー。っぐ…えぐ…」
慰めの言葉も、頭を撫でてもダメだった。お嬢様は泣き始めてしまった。
今宵の幼児退行は、いつになく手強いぜ。天井を眺めながら、胸中で呟いた。
そんな私を泣き顔で、見上げながら、潤んだ瞳で見つめて。
「れーむおねーちゃんにあいたいよー」
どうして拒めようか。これを拒むことなど、あらゆるものを防ぐと言う最強の盾があったところで不可能です。これが最強の鉾。盾に最強は無くとも、鉾にはあった。そこに矛盾はなかった。
いいでしょうお嬢様。今宵は私の負けです。完全敗北です。まだまだ完全で瀟洒な従者には程遠いようです。
「分かりましたお嬢様」
「えっ…?」
「日和こうは…げふん。博麗霊夢様に会いに参りましょう」
「いいの?」
「えぇ。それがお嬢様の望むことなのでしたら、それを拒む理由など天と地がひっくり返り、つ…月が無くなっても変わりませんわ」
本当は、月が無くなったら変わって欲しかった。こんなお嬢様を外へなど出したくなかった。どこまでも箱入りにしておきたかった。いっそ箱に詰めたかった。そのまま何処かに持ち逃げしたかった。というか、それが本音だ。
「ありがとうっ、さくや!」
ぎゅうとしがみ付く様に抱きついてくるお嬢様。
あぁ…きゃわゆい…。
だが、それを顔に出してはならない。
キリっとした、完全で瀟洒な従者の顔を作り上げ、お嬢様を抱いたまま立ち上がる。
他の何を譲っても、これだけは譲るわけには行かない。
「パチュリー様、それに皆」
広間を見渡す。
パチュリー様辺りは、表情に変化らしい変化が見えないけれど、それでも、ぶつぶつと「可愛いわねレミィ、可愛いわね…」と呟いている。
メイド達は実に分かりやすく、抱きたいわね…撫でたいわね…。と視線と表情でこちらにビシビシ送ってきている。
だが、そのようなこと知ったことではない。
私は今この瞬間、完全で瀟洒な従者を捨て、お嬢様のナイトとなる!
「じゃ、そういうことで」
シュタっと、手で敬礼動作を行い、床を蹴り飛び上がる。
「お嬢様、しっかりと掴まって、目を少々閉じていてください」
「う、うん」
若干怖がりながらも、素直に返事をし、頷いてくれる。きゅっと、力強く服が握り締められた。
「後片付けとかは、任せたわよーーー!」
そんな捨て台詞を残し、広間の高さにして二階程度にある窓を破って、夜空へ飛び出した。
「あぁ、ずるい! 持ち逃げ、持ち逃げだ!」
「ひっ、独り占めする気だ!!」
「うわ、メイド長、ちょーずっこい! 私も抱きたいっ!」
「レミィ、誘拐? 頭を撫でたいのに」
とか、何か色々背中から聞こえてきた気がするが、この状態のお嬢様を抱かせるなど愚か、何人たりとも指一本触れさせるものか。
このまま、どこかへ丸一日逃避行するつもりだった。行き先など何処でも良かった。でも、敢えて博麗神社とは逆方向を向かって飛んだ。ちょっとした嫌がらせみたいなものというか、嫉妬心みたいなものだ。
「さくや。れーむおねーちゃんのおうちはこっちじゃないよ?」
幼児化しても、そういうことは覚えてるんですね…。
無垢な瞳で、指摘されて、とても心が苦しかったです。
仕方ないので、方向転換をし、博麗神社を目指した。
まかり間違ってお嬢様を怒らせたら大変なことになる。普段よりも幼い分、手加減が全く無くなるので、危険度的には上昇している。いやまぁ、普段も手加減しているのかいないのか、時々不明瞭な時はあるのだけど。
眼下で、「お嬢様を返せー!」、「独占禁止法ー!」とか世迷言をほざいているメイドは軽くナイフで黙らせたり、追いかけてきたパチュリー様を時間を止めてやり過ごしたり、ちょっとしたことはあったが、無事に博麗神社に着いた。
着かなくても、別に良かったんだけどね。
ゆっくりと神社の境内に着地し、お嬢様を大地へ降ろした。
「わー。おんぼろじんじゃが、よるだとちょっとだけりっぱにみえるね」
さり気無い毒舌は、幼くなっても流石お嬢様という感じだ。お嬢様はやはり、昔からお嬢様だったのだと良く分からない安心をした。
「あら、こんな時間にお客さんなんて珍しい」
人の声と、砂利を踏む音が近づいてくる。
ちっ、起きてやがった。眠っていれば、何とかお嬢様を説得してこのまま、どこかへ逃避行再びだったものを。
「咲夜。人の家に自ら出向いてきた挙句、『ちっ、起きてやがった』という顔をするのはやめてくれないかしら?」
訳が分からないわよ。
と、若干不機嫌そうに言った。
博麗霊夢。相変わらずの紅白ファッション。頭には大きなリボンが付いていて、彼女が歩くたびに、ふわふわと揺れた。
可愛子ぶってんじゃないわよ。ほんとは来たくなんて無かったわよ! あたしのお嬢様返してよ!
とか、お嬢様はモノではないのだけれど、胸中で叫ばなければ、せめてもの気が済まない。
くぅ、私は負けたのか…。この紅白に負けたのか…。完全で瀟洒な従者たる私が負けたのか…。いやむしろ、完全だとか、瀟洒というか、従者だからダメなのか? とかちょっと思った。
いつか、完全で瀟洒な付添い人、とか完全で瀟洒な介添え人、とかに二つ名が変わらないかしら。と、かなり本気で願った。
「れーむおねーちゃんっ!」
善からぬ気というか、いつもの淫らな妖気というか、悪意とか邪気、そういうのが微塵も無かったので、声を出されるまで、レミリアがそこに居る事に気が付いていなかった。暗かったし、レミリア背低いし。
背中の翼をはためかせ、文字通りこちらに飛びついてきた。
「ちょっとレミリア、いきなり何を…って、ん?」
確かにいつもより力が弱まっているけれど、ヴァンパイアロードと呼ばれるだけのことはあって、そこらへんのしょぼい妖怪が束になっても敵わない妖気を身に纏ってはいる。
しかし、そんなことよりも、どうも様子がおかしい。
いきなり飛びついてきて、私の名前を連呼しながら、頬を擦り擦りしてきていたりする辺りは、いつもと変わらないのだけど、いやらしさめいたものが全く無い。
いや、いやらしいことをして欲しいわけでは勿論無いのだけど。
れーむ、れーむ言いながら、頬擦りしているレミリアを引っぺがして、
「あんた、今日は何か変じゃない?」
と聞いてみた。
私達から数歩離れたところで、咲夜が一人、百面相(喜怒哀楽のうち、怒と哀しかなかったけれど)をしていたけれど、とりあえずそこら辺は放って置く。
「れみりゃ、へんじゃないよ」
いや、アンタ。何でそんな舌っ足らずになってるのよ。見かけ通りの幼女になってるじゃないの。
そう思ったのだが、私がその辺を聞く前に、レミリアは言葉を続けた。
「れーむおねーちゃんに会いたかったんだよ。ぎゅーってしたかったし、されたいの」
言って、えへへと笑った。はにかみながら、頬を少し赤くしながら。
それを見た瞬間、ズギューンと何かが胸の辺りか、脳髄をかすめていったような気がした。
思わず膝を付き、胸に手を当てる。
(落ち着きなさい博麗霊夢。ありえない、ありえないわ。この無重力たる博麗霊夢がっ! レミリアの笑顔にときめく? そんなことがあるわけがないわ。こう、宇宙法則的にもありえないって!)
そこまで拒否する理由も無い様な気もちょっとだけしたけれど、無重力でない私など、空を飛ばない豚みたいなものである。何かを譲る気などさらさらないが、これは更に譲るわけにはいかない。私のアイデンティティのようなものだからだ。
ぶつぶつと呟きながら、自分で自分を説得していたら、レミリアがこちらを下から覗き込むようにして見ていた。立ったまま、身体をぐにーって曲げて。倒れるなよ。
「どうしたの? おなかいたいの? だいじょうぶ?」
うわっ、何この素直な子。これレミリア? っていうか、幻想郷にこんな素直な子なんていたの? 幻術? 誰か幻術とか使ってるでしょ!?
本気でそう思い始めたときだった。
「霊夢、貴女に説明するわ」
百面相に一区切り付いたのか、咲夜が普段の表情でそう言った。
いや、初めからさっさとして欲しかったんだけど。そう思いながら。
「大丈夫よ」
そう言って立ち上がり、レミリアの頭をぽんと手を置くようにして撫でた。
「えへへぇ」
ズキューン。
「っ…。くっ…。負けるな私っ…」
空中に手を伸ばしたり、胸を押さえたり、つい挙動不審になってしまう。
「落ち着きなさい、霊夢」
「わっ、私は落ち着いてるわよっ! って、アンタその顔何よ!?」
「うっ、五月蝿いわねっ! 私が、私がどんな思いで、ここに…うっうぅぅ…」
「あ、いやごめん。泣かないでよ、ちょっと…」
今までいろいろと耐えていたものが臨界点を突破したのか、泣き崩れる咲夜。そこに完全で瀟洒な従者の姿は無く、幼女化したレミリアに頭を撫でられ、慰められると言う、実に珍妙な光景を目の当たりにしてしまった私は、さてどうしたものかと思いつつ、夜空を見上げた。
星々は瞬いているが、そこに月の姿は無い。
(カメラでもあればなぁ。今の咲夜を写真に取っておいて、後日その写真で食べ物とか要求出来そうなんだけど)
と思うと共に。あっ、今日新月か。だからかな。と何となくレミリアの変化についての察しがついた。
泣き止んだ咲夜から聞いた話によれば、「新月時には、お嬢様は幼児退行してしまうんです」ということだった。
ほんと、見たまんまになるってことだ。
これがレミリア特異のものなのか、他のヴァンパイアもそうなのか気になったが、私も咲夜もヴァンパイアなんて、レミリア以外フランしか知らないので、片方が幼児退行を起こし、もう片方が起こさないからといって、実際どうなのかは確かめようが無かったし、別にどうでもいいことのような気もした。
別に凶暴になるわけでもないし、むしろ安全になっているような気さえちょっとする。
そう言ったら、「貴女は子供の我侭加減というものを知らないから、そんなことが言えるんです!」と割合本気で怒られたのだが、「いや、この歳で子育てママにはなりたくないし」と返せば、更に激しく色々と怒られた。
そして、咲夜のその様子を見たレミリアが、私を「いじめないでー!」と言って泣き出し、事態は実に混乱の様を呈した。
レミリアをあやす咲夜を、部屋で(立ち話もなんなので、上げた)眺めつつ、子育ては大変そうだなぁと私は思った。あぁでも、紅魔館とかそこいらに頼めば、ベビーシッターとかして貰えるのだろうか。何てことも思ったのだが、口にしたらまた怒られそうだったので、とりあえず黙って見守ることにした。
うん、夜空が綺麗だ。
泣き止んだレミリアは実に元気で、遊ぼうと言ってきた。
断ったらまた泣きそうだったということもあるけれど、心細そうに、こっちの服の裾を掴んで、
「れーむおねーちゃん、あそぼ?」
何て、上目遣いで言われたら、流石の私だって、こう思うことはあるわけよ。
何で態度一つでここまで、人(吸血鬼だけど)って見え方変わるのかなぁというか、可愛いな畜生というか、総じて子供って可愛いのかしら? とか思ったというか、つい二つ返事で。
「いいわよ。何して遊ぶ?」
と、笑顔で返してしまっていた。
けどまぁ、あの時の、ぱぁぁぁあっ、とでも聞こえてきそうな嬉しそうな笑顔を見たら、まぁいっかと。そう思ったわけ。
咲夜は、色々疲れたのか、部屋で横になってへばっていたわね。本当、珍しい咲夜が沢山見れたものだわ。別に得した気分にはならないのだけど。本当、カメラでもあればなぁ。
どれほどの時間を遊んでいたのかは分からないけれど、鞠をついたり、蹴ったり、空中で投げ合ったり、鬼ごっこをしていたりしたら、随分と時間が経っていたようだった。
で、遊びの最後と言う事で。
「だんまくごっこしよ!」
というレミリアの提案が出たのだが、流石にそれをやると普通に神社が破壊されてしまいそうである。一応、羨ましそうに部屋から私達を眺めていた咲夜を確認してみるが、両手で思いっきり×マークを出していた。
手加減とかしなそうだもんなぁ。
「いや、それは流石にダメです」
「えーっ。やろーよぅー。したいしたいー」
「だーめ。そんな頬を膨らませながら、人の服の裾を引っ張りつつ、いやいやしながら顔を振っても、ダメなものはダメです」
可愛いなぁもぅ! と思いつつも、私の無重力は完全に屈してはいない。私はまだ、ダメ、ときちんと言える日本人だ。社会情勢とか、そういうものには飲み込まれないわよ。
だから、つーん、とそっぽ向きながら言ってやった。
すると、途端に大人しくなって。
「れみりゃ、なんかわるいことした? れーむおねーちゃんおこらせた?」
涙目になって聞いてきた。
くっ。そんな反則スレスレの攻撃されたって、私は頷かないわよ。
とはいえ、泣かせるのも忍びない。まぁ、丁度良い時間だろう。そう思って、妥協案めいたものを提案することにした。
「ううん。そんなことないわ。レミリアは良い子よ。だんまくごっこはダメだけど、代わりにお姉ちゃんと一緒に寝よっか」
自分で自分をお姉ちゃんと呼ぶことに、何か違和感と言うか、むず痒さを感じたが、レミリアが遊んでいる最中、何度も何度もおねーちゃんおねーちゃんと連呼するので、つい自然とそう言ってしまった。
「えっ、いっしょにねてくれるのっ!?」
比喩的表現なのだけど、文字通りレミリアの顔が、その時輝いて見えた。本当、無邪気だ。妖怪も皆、幼い頃は邪気など持っていないのだろうか? そんなことを思ってしまう。
若干、血を吸われやしないだろうかという不安はあったが、何となく大丈夫なような気がした。この娘に危険なんて無いのだと、確信出来るものなど何もないのに、そう確信している自分が居る。
咲夜を振り返れば、既に布団を敷き始めていた。何とも仕事の速いことだ。
咲夜が二枚の布団を敷いていったので、二人別々に入った。
咲夜は、「明日、月が出る頃お迎えに参ります」と言って、一人で帰っていった。レミリアは、「うん、わかった」と言っていたが、咲夜に聞いた話によれば、新月時の記憶は無いみたいなので、翌日に月が出れば、そんな会話をしたことも忘れているのだろう。
どうしてだろう。普段ならそういうことがあっても、そんな考えることなどないはずなのに、何故かそれは哀しい気がした。
(なんでかな…)
声に出さず、胸中で呟いた。答えは出ない。
まぁいっかと、目を瞑ろうとした時。
「れーむおねーちゃん。そっちいってもいい?」
そう聞いてきた。
拒む理由も無い。
「いいわよ。おいで」
だから、そう簡潔に答えた。
「えへへ。ぎゅーってしてもいい?」
身を滑り込ませてくるなり、そう尋ねてくる。
「それはダメ。暑いから」
「ぶーっ。おねーちゃんのけち」
頬を膨らませる。
暗闇の中だけれど、距離が近いから、どんな表情をしているのかが分かる。
「ふふっ。じゃあ、こうしよっか」
布団の中で手を動かし、探り、それをきゅっと包むように握った。
「おねーちゃんの手あったかいね」
「レミリアも暖かいよ」
「これならこわくない。ねむれるの」
「おやすみレミリア」
「うん…」
言うが早いか、遊び疲れていたのか、レミリアは驚く程早く眠りに落ちていった。
レミリアが言った、「こわくない」という言葉が少しひっかかりながらも、幼児化しているからかな、そんな風に思って、私も同じように瞼を閉じて眠りに落ちた。
翌朝、目覚めてからレミリアは私にべったりだった。
いや、ほんと、文字通りひっ付いて離れなかった。
驚くべきは、そこまで私にひっ付いて何が楽しいのか、ということと、それを不快に感じない私自身だった。
「あーもう、ご飯が作れないから、ちょっと離れなさい」
「はーい」
「ほら、洗濯するから、離れて」
「あらったのを、れみりゃがほす!」
「じゃあ、お願いしようかな。でもちゃんと干せる? 水も渡れないのに」
「うんっ、だいじょうぶっ!」
そんなやりとりが、楽しいとすら思った。まるで小さな妹が出来たみたいで。家族が、出来たみたいで。
だから、昨日の夜の「こわくない」何て言葉、その時がくるまで、すっかり忘れていた。
陽はとっくに昇りきって、今はもう沈みかけている。
それを、二人縁側に腰掛けながら眺めている。
雲が隠しているとはいえ、その雲の量は多くない。月が顔を出すのはもうそろそろだろう。そうすれば、月の魔力は大地に届き、幼いレミリアは居なくなる。
ただ私は、この時になるまで、このレミリアはどうせ何も覚えていないのだと、そう思っていたのだ。だから、何も哀しいことも、怖いことも無いのだと。
レミリアは私の正面に回り、突然膝の上にぺたんと座った。重くはないのだけれど、私もこれには驚いた。
続いて、こちらに完全に体重をかけ、しなだれかかり、頬を私の右肩に乗せるようにして両手を首に廻してきた。
まさか、そんなつもりは無いだろうと思ったけれど、私は冗談めかして言った。
「吸うなよ」
レミリアは静かに。
「吸わないよ。そんなことしたら、れーむおねーちゃんに嫌われるもの」
普段のレミリアではないけれど、終わりが近いのか、幼さは少し薄れていて。でも、とても哀しそうな言い方だった。
「何をしてるの? それじゃ月が見えないわよ」
「じゅーでんしてるの」
「充電?」
「そうだよ。力をためるとか、そういう意味なんだって」
「溜まるの? それで?」
「うん。たまるよ。こうしてれば怖くない」
怖くない。
それは一体何のことだ。どういう意味だ。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが渦巻くのを私は感じた。
「レミリア、怖くないってどういうこと。何か怖いことがあるの?」
聞いてはいけないような気がした。それを聞いたら、何かが壊れるという予感があった。けれど、頭の中で響く「聞くな、やめろ」という言葉を無視して、私は尋ねた。
「いつも起きるとね、違うところにいるの。同じような部屋だけど、少し違うところだったり、全く別の部屋だったり。同じ部屋でも、横に居た人がいなくなっていたり。あったはずのものが無くなっていたり。眠る前に話していたはずのことなのに、話が通じなかったり」
ブランクだ。約一ヶ月の空白の時間があるからだ。そして、レミリアのその言葉が意味することは、普段の人格のレミリアは、幼児状態のレミリアの記憶が無いけれど、逆に幼児状態のレミリアは、普段の状態のレミリアの記憶が無い。けれど、起きたこと、やったこと、話したこと、それら全てを、自分、この幼いレミリアは覚えているという事だ。
「だからね、眠るのがいつも怖い…」
震える言葉の語尾。
私は思わずレミリアを強く抱きしめた。
大丈夫、だなんてことを言う事は出来ない。だからこそ、強く抱きしめた。
「でも、れーむおねーちゃんと眠った時は大丈夫だった。さくやとか、ぱちぇじゃダメだったけど、れーむおねーちゃんの時は大丈夫だった」
恐らく、一旦眠りについたレミリアを、月が出るその時まで、何らかの方法を持って眠らせ続けていたのだろう。それが、今回は無かっただけだ。
いずれにせよ、もうすぐ月が出る。そうすれば、この娘は眠り、約一ヵ月後に唐突に目覚め、自分が居るはずではない場所に戸惑い、怖がるのだろう。そして、その事に薄々気付いていることは、体の震えで分かる。
「だから、だいじょうぶ…。何だか、眠くなって…きちゃった…。このまま…」
「そのまま寝て良いよ」
大丈夫でなんか無い。次、目覚めた時、貴女の横に私は居ない。でも、そんなの何て言えばいい。
「うん…。ばいばい、れーむおねーちゃん」
この娘は分かってる。だから、震えてる。歳相応の身体に、精神年齢で、恐怖を必死に押さえつけて、それで、ばいばい、何て言ってる。
何て言ってやればいい、私はこの娘に。誰か教えてよ。
口をついて出てきたものなんて、何の捻りも無くて、有り触れたものだった。私は所詮、この程度の人間だ。妖怪を退治できても、子供の妖怪一人、満足に護れない、助けられない。
自分の小ささを思い知った。子育てなんて、きっと出来やしない。何て、私は小さいんだろう。
「ばいばいじゃないよ、こういう時はね、またね、って言うんだよ」
声は震えていないだろうか。不安にさせてはいけない。安心させてあげなければならない。
「また会えるのかな? 会いに来ていいのかな?」
「いいんだよ。だって、レミリアは良い子じゃない。言う事をちゃんと聞いてくれたし、水が苦手なのに、洗濯だって手伝ってくれた」
震えそうになる声を私は押し殺し、レミリアは震える身体を押し殺す。
おかしい。何で私が、こんなことで感傷的に?
「えへへ、うれしいな。れみりゃね、ほんとは怖かったんだよ」
「何が?」
今だって怖いのだろうに。他に何が怖いっていうの。それは私にどうにか出来ること?
「目が覚めたとき、れーむおねーちゃんに会いたいって思ったの。顔も声も、匂いも知ってたよ。でもね、おねーちゃんのことが良く分からなかった、どんな人間なのか分からなかった。私は、すごく会いたいって思ったけれど、もしかしておねーちゃんは私に会いたくないって思っていたら? 私のことを嫌っていたら? そう思うとね、すごく怖かったよ」
レミリアの体から力が徐々に抜けていく。けれど、それに反比例するように妖気は増していく。この娘が眠るのがかなり近い。
ダメだ、まだ寝ちゃダメだ。私は、まだ貴女の不安を取り除いていない。だから、抱く腕に更に力を込めた。
「いたいよ…おねーちゃん」
声にも力がなくなってきている。
痛いとレミリアは言ったけれど、こうすることで体の震えが少し治まったような気がしたので、私は止めなかった。
「遊んでいる時も、ほんとは不安だった?」
「うん、少しまだ怖かったよ」
あんなに笑っていたけれど、本当は不安だった。こちらが気を使っているはずが、こんな幼い子のほうが実はこちらに気を使っていた。全く、それに気が付かなかった私は何て愚かだろう。でも、それはこの娘も同じか。
「馬鹿だな。もっと早く言ってくれれば良かったのに…」
声が詰まる。胸が苦しい。けれど、言わなければならない。このまま眠らせてしまってはいけない。
「嫌ってなんてないよ」
ここで、好きだ、と言えない自分、言わない自分は汚い人間だろうか。弱い人間だろうか。
けれど、ここで好きだと言って、このレミリアに再び会えるという確証が何処にあるの? 本当に、その言葉をこの娘が覚えているっていう保障は誰が、何がしてくれるの?
「もう…ねるね。だから…ば―」
そこまで言って、口をつぐんだ。眠ったわけじゃない。僅かだけれど、腕にはまだ力が込められていたし、ほんとに、ほんの僅かだけれど、レミリアの頬が私の肩の上で動くのが分かった。
ばいばい何て言わせたらダメだ。分かった、何の保障も要らない。言おう。
「またね、レミリア」
「うん、また…ね」
「凄く楽しかった。レミリアと過ごして」
たった一日だったけれど、貴女はよく笑って、よく拗ねて、よく泣いた。まるで人間の子供みたいで、妹が出来たのかと、錯覚する瞬間もあった。髪の色も、目の色も全然違うのにね。
「大好きよ、レミリア」
「れみりゃも、同じだよ。おねーちゃん」
その言葉を最後に、レミリアの体から力が抜けた。そして、凄い勢いで妖気が増していく。
空を見上げれば、雲間から月が顔をほんの僅かに覗かせていた。
月は大したものね。そんなことを思いながら、私はレミリアの頭を撫でて、囁くように言った。一日限りであったけど、可愛い妹に。
また会えるから。だから。
「新月の夜に会いましょう」
そう言ったとき、私の無重力は、月の引力に負けたのだと思う。
「でもおかしいな…。月が引っ張っているのなら、涙は上へ落ちなきゃいけないのに…」
何で私は泣いているんだろう。
また会えるのだから、哀しいことなど無いはずなのに。
「貴女、泣いているの?」
気が付いた時、目の前に咲夜が居た。
音もなく現れたような気がしたが、その時の私の状態では、実際どうだか分かったものではないし、音を立てていようとも気が付かなかった可能性が高い。
「みたいね」
「どうして?」
「そんなの、私だって知らないわよっ!」
何かに当たるように、私は言った。どうにもならないのに、でもどうにもならないから、当たるように言った。
「知らないけどっ、零れて来るんだから仕方ないじゃないっ! 理由なんて、そんなの…私が知りたいわよ…わかんないわよ…」
眠ったままのレミリアを抱きしめたまま、私は延々と泣き続けた。随分と長いこと泣いていたような気がするけれど、眠りに落ちてからも、レミリアが目覚めるまでは存外に時間がかかるようで、目覚めることは無かった。
「博麗霊夢」
改まった口調で、泣き止んだ私に咲夜が言ってきた。
「なによ?」
不機嫌そうに私は返す。顔なんてみっともないことになっているのは間違いないのだから、まっすぐに見返すことなんて出来ない。
「先日の非礼をお詫びするわ。貴女にお嬢様を預けて正解だった」
そして、深く、長く、一礼した。
そこには、完全で瀟洒な従者、そう呼ぶのが相応しい女性が一人、澄んだ瞳で立っていた。
「どう…いたしまして」
私は、そっぽを向きながら、そう答えるしかなかった。
その時の私は、無重力では無かったから。
そしてその時、咲夜は他に何も言わなかったけれど、次の新月の時も、連れてくるわと、その顔が如実に語っていた。
だから、私も何も言わなかった。
流石にみっともないと思ったので、レミリアを咲夜に見ていて貰い、井戸まで顔を洗いに行った。
そのまま咲夜に、レミリアを抱っこでもして、連れて帰って貰っても良かった気もするのだけれど、最後に一つしておかなければならないことがあると思った。
顔を洗い、鼻をかみ、表情をいつものものに直してから、戻った。
その程度の時間で、帰ってくれば、あれだけぐっすりと眠っていたレミリアが起きていたのだから、不思議と言えば不思議なのかも知れない。
「おはよう、レミリア。っていっても、もうすぐ完全に日が沈むけれどね」
「おはよう、霊夢。ってあれ? 何で、私ここに? 咲夜も居るし?」
私と咲夜を見比べて、疑問の声を上げる。でも、咲夜は何も答えない。
「レミリア」
「何かしら?」
「明日、そして良ければ、来月も遊びにいらっしゃい」
数瞬間、目をパチクリさせた後、
「お呼びがかかるなんて、私も偉くなったものね」
と、嬉しそうに言った。
「ほんと、アンタも偉くなったもんよ」
私は、呟くようにそう言って、視線を夕陽に向ける。
「沈むわね」
「えぇ。でも太陽も、月も同じよ。どっちも、沈んで、そして昇る。だから、また会える」
レミリアは、まぁそういう点では同じよね、と言いつつ、若干の疑問を残したようだが。
「さぁ、日も沈みましたし、帰りましょうか、お嬢様」
と、咲夜が言うと。
「そうね」
と言って、立ちあがった。
咲夜が先に飛び立ち、それをレミリアが追う。でも、飛び立つその前に、レミリアは私を振り返った。
「霊夢、ありがとう」
「え?」
覚えているはずなど、無いのに。
「んー。誘いも受けたし、その、なんとなくね」
じゃあね。
そう言って、照れるような顔を少し見せて、飛び立っていった。
闇に消えていくその背中を目で追って、私は小さく。
「どういたしまして」
そう呟いた。
どうして私があんな風になってしまったのかは、はっきりとは分からないけれど。
一ヶ月周期で一度だけ、無重力でなくなるのも、悪くは無いかな。
私は、薄く光る夜空を見上げて、そう思った。
ほんの僅かな、小さな小さな月。これからどんどん大きくなっていって、そしてまた欠けていき、消える。
そんな月に向かって、呟いた。
「新月の夜に会いましょう」
その時には、何して遊ぼうか。
ねぇ、レミリア?
だから、今日が新月になるなんてことは、とっくの昔から分かっていた。どんな我儘を言われても、最悪屋敷の外へ出してはならない、そう思って雨を降らせる準備だってパチュリー様にお願いしてあった。幼い子供が喜びそうな遊び道具だって、山のように集めていた。
だって言うのに、なんでだろうか。
そんなもの、たった一言と、一つの仕草で、いとも容易く破壊されてしまった。何の役にも立たなかった。
お嬢様を侮っていました。
具体的には、こう可愛さとか、そういうのを。
紅魔館の中でも、最も大きな広間。そこに、失われた月の夜の効果で、幼児退行を起こしたお嬢様、パチュリー様、私、数人のメイド、山のように積み上げられた玩具があった。
「ねぇ、さくや。おそとにいきたいの」
玩具なんてつまらないと、一瞥すらせず私に話しかけてくるお嬢様。あらあら、玩具なんかよりも、私と一緒に外で遊びたいということですか?
「ダメです」
でもダメですよ。
冷静に、優しく。主が幼児退行化しているとしても、私は完全で瀟洒な従者を崩さない。プロフェッショナルですから。
「れーむおねーちゃんにあいたいの。いっしょにあそびたい」
「ダメですっ!」
あの紅白か。幼くなっても、あの紅白か! 私よりも、あんな日和紅白がいいのですか!! 一体全体、どこがいいのですかっ、きーっ!!
「ふぇっ…」
「あっ―」
しまった。完全で瀟洒な私としたことが、つい声を荒げてしまった。
「な、泣かないで下さいお嬢様。申し訳ありません、つい大きな声を…」
おろおろしてしまう私を、パチュリー様は眠そうな顔で、「どうしたものかしら…」と言いたげに眺め、メイド達は、普段と似ても似つかない私を見て、口をあけてポカンとしている。
あぁもう、使えない奴等ね!
「さくやが…さくやがおこったーーー。っぐ…えぐ…」
慰めの言葉も、頭を撫でてもダメだった。お嬢様は泣き始めてしまった。
今宵の幼児退行は、いつになく手強いぜ。天井を眺めながら、胸中で呟いた。
そんな私を泣き顔で、見上げながら、潤んだ瞳で見つめて。
「れーむおねーちゃんにあいたいよー」
どうして拒めようか。これを拒むことなど、あらゆるものを防ぐと言う最強の盾があったところで不可能です。これが最強の鉾。盾に最強は無くとも、鉾にはあった。そこに矛盾はなかった。
いいでしょうお嬢様。今宵は私の負けです。完全敗北です。まだまだ完全で瀟洒な従者には程遠いようです。
「分かりましたお嬢様」
「えっ…?」
「日和こうは…げふん。博麗霊夢様に会いに参りましょう」
「いいの?」
「えぇ。それがお嬢様の望むことなのでしたら、それを拒む理由など天と地がひっくり返り、つ…月が無くなっても変わりませんわ」
本当は、月が無くなったら変わって欲しかった。こんなお嬢様を外へなど出したくなかった。どこまでも箱入りにしておきたかった。いっそ箱に詰めたかった。そのまま何処かに持ち逃げしたかった。というか、それが本音だ。
「ありがとうっ、さくや!」
ぎゅうとしがみ付く様に抱きついてくるお嬢様。
あぁ…きゃわゆい…。
だが、それを顔に出してはならない。
キリっとした、完全で瀟洒な従者の顔を作り上げ、お嬢様を抱いたまま立ち上がる。
他の何を譲っても、これだけは譲るわけには行かない。
「パチュリー様、それに皆」
広間を見渡す。
パチュリー様辺りは、表情に変化らしい変化が見えないけれど、それでも、ぶつぶつと「可愛いわねレミィ、可愛いわね…」と呟いている。
メイド達は実に分かりやすく、抱きたいわね…撫でたいわね…。と視線と表情でこちらにビシビシ送ってきている。
だが、そのようなこと知ったことではない。
私は今この瞬間、完全で瀟洒な従者を捨て、お嬢様のナイトとなる!
「じゃ、そういうことで」
シュタっと、手で敬礼動作を行い、床を蹴り飛び上がる。
「お嬢様、しっかりと掴まって、目を少々閉じていてください」
「う、うん」
若干怖がりながらも、素直に返事をし、頷いてくれる。きゅっと、力強く服が握り締められた。
「後片付けとかは、任せたわよーーー!」
そんな捨て台詞を残し、広間の高さにして二階程度にある窓を破って、夜空へ飛び出した。
「あぁ、ずるい! 持ち逃げ、持ち逃げだ!」
「ひっ、独り占めする気だ!!」
「うわ、メイド長、ちょーずっこい! 私も抱きたいっ!」
「レミィ、誘拐? 頭を撫でたいのに」
とか、何か色々背中から聞こえてきた気がするが、この状態のお嬢様を抱かせるなど愚か、何人たりとも指一本触れさせるものか。
このまま、どこかへ丸一日逃避行するつもりだった。行き先など何処でも良かった。でも、敢えて博麗神社とは逆方向を向かって飛んだ。ちょっとした嫌がらせみたいなものというか、嫉妬心みたいなものだ。
「さくや。れーむおねーちゃんのおうちはこっちじゃないよ?」
幼児化しても、そういうことは覚えてるんですね…。
無垢な瞳で、指摘されて、とても心が苦しかったです。
仕方ないので、方向転換をし、博麗神社を目指した。
まかり間違ってお嬢様を怒らせたら大変なことになる。普段よりも幼い分、手加減が全く無くなるので、危険度的には上昇している。いやまぁ、普段も手加減しているのかいないのか、時々不明瞭な時はあるのだけど。
眼下で、「お嬢様を返せー!」、「独占禁止法ー!」とか世迷言をほざいているメイドは軽くナイフで黙らせたり、追いかけてきたパチュリー様を時間を止めてやり過ごしたり、ちょっとしたことはあったが、無事に博麗神社に着いた。
着かなくても、別に良かったんだけどね。
ゆっくりと神社の境内に着地し、お嬢様を大地へ降ろした。
「わー。おんぼろじんじゃが、よるだとちょっとだけりっぱにみえるね」
さり気無い毒舌は、幼くなっても流石お嬢様という感じだ。お嬢様はやはり、昔からお嬢様だったのだと良く分からない安心をした。
「あら、こんな時間にお客さんなんて珍しい」
人の声と、砂利を踏む音が近づいてくる。
ちっ、起きてやがった。眠っていれば、何とかお嬢様を説得してこのまま、どこかへ逃避行再びだったものを。
「咲夜。人の家に自ら出向いてきた挙句、『ちっ、起きてやがった』という顔をするのはやめてくれないかしら?」
訳が分からないわよ。
と、若干不機嫌そうに言った。
博麗霊夢。相変わらずの紅白ファッション。頭には大きなリボンが付いていて、彼女が歩くたびに、ふわふわと揺れた。
可愛子ぶってんじゃないわよ。ほんとは来たくなんて無かったわよ! あたしのお嬢様返してよ!
とか、お嬢様はモノではないのだけれど、胸中で叫ばなければ、せめてもの気が済まない。
くぅ、私は負けたのか…。この紅白に負けたのか…。完全で瀟洒な従者たる私が負けたのか…。いやむしろ、完全だとか、瀟洒というか、従者だからダメなのか? とかちょっと思った。
いつか、完全で瀟洒な付添い人、とか完全で瀟洒な介添え人、とかに二つ名が変わらないかしら。と、かなり本気で願った。
「れーむおねーちゃんっ!」
善からぬ気というか、いつもの淫らな妖気というか、悪意とか邪気、そういうのが微塵も無かったので、声を出されるまで、レミリアがそこに居る事に気が付いていなかった。暗かったし、レミリア背低いし。
背中の翼をはためかせ、文字通りこちらに飛びついてきた。
「ちょっとレミリア、いきなり何を…って、ん?」
確かにいつもより力が弱まっているけれど、ヴァンパイアロードと呼ばれるだけのことはあって、そこらへんのしょぼい妖怪が束になっても敵わない妖気を身に纏ってはいる。
しかし、そんなことよりも、どうも様子がおかしい。
いきなり飛びついてきて、私の名前を連呼しながら、頬を擦り擦りしてきていたりする辺りは、いつもと変わらないのだけど、いやらしさめいたものが全く無い。
いや、いやらしいことをして欲しいわけでは勿論無いのだけど。
れーむ、れーむ言いながら、頬擦りしているレミリアを引っぺがして、
「あんた、今日は何か変じゃない?」
と聞いてみた。
私達から数歩離れたところで、咲夜が一人、百面相(喜怒哀楽のうち、怒と哀しかなかったけれど)をしていたけれど、とりあえずそこら辺は放って置く。
「れみりゃ、へんじゃないよ」
いや、アンタ。何でそんな舌っ足らずになってるのよ。見かけ通りの幼女になってるじゃないの。
そう思ったのだが、私がその辺を聞く前に、レミリアは言葉を続けた。
「れーむおねーちゃんに会いたかったんだよ。ぎゅーってしたかったし、されたいの」
言って、えへへと笑った。はにかみながら、頬を少し赤くしながら。
それを見た瞬間、ズギューンと何かが胸の辺りか、脳髄をかすめていったような気がした。
思わず膝を付き、胸に手を当てる。
(落ち着きなさい博麗霊夢。ありえない、ありえないわ。この無重力たる博麗霊夢がっ! レミリアの笑顔にときめく? そんなことがあるわけがないわ。こう、宇宙法則的にもありえないって!)
そこまで拒否する理由も無い様な気もちょっとだけしたけれど、無重力でない私など、空を飛ばない豚みたいなものである。何かを譲る気などさらさらないが、これは更に譲るわけにはいかない。私のアイデンティティのようなものだからだ。
ぶつぶつと呟きながら、自分で自分を説得していたら、レミリアがこちらを下から覗き込むようにして見ていた。立ったまま、身体をぐにーって曲げて。倒れるなよ。
「どうしたの? おなかいたいの? だいじょうぶ?」
うわっ、何この素直な子。これレミリア? っていうか、幻想郷にこんな素直な子なんていたの? 幻術? 誰か幻術とか使ってるでしょ!?
本気でそう思い始めたときだった。
「霊夢、貴女に説明するわ」
百面相に一区切り付いたのか、咲夜が普段の表情でそう言った。
いや、初めからさっさとして欲しかったんだけど。そう思いながら。
「大丈夫よ」
そう言って立ち上がり、レミリアの頭をぽんと手を置くようにして撫でた。
「えへへぇ」
ズキューン。
「っ…。くっ…。負けるな私っ…」
空中に手を伸ばしたり、胸を押さえたり、つい挙動不審になってしまう。
「落ち着きなさい、霊夢」
「わっ、私は落ち着いてるわよっ! って、アンタその顔何よ!?」
「うっ、五月蝿いわねっ! 私が、私がどんな思いで、ここに…うっうぅぅ…」
「あ、いやごめん。泣かないでよ、ちょっと…」
今までいろいろと耐えていたものが臨界点を突破したのか、泣き崩れる咲夜。そこに完全で瀟洒な従者の姿は無く、幼女化したレミリアに頭を撫でられ、慰められると言う、実に珍妙な光景を目の当たりにしてしまった私は、さてどうしたものかと思いつつ、夜空を見上げた。
星々は瞬いているが、そこに月の姿は無い。
(カメラでもあればなぁ。今の咲夜を写真に取っておいて、後日その写真で食べ物とか要求出来そうなんだけど)
と思うと共に。あっ、今日新月か。だからかな。と何となくレミリアの変化についての察しがついた。
泣き止んだ咲夜から聞いた話によれば、「新月時には、お嬢様は幼児退行してしまうんです」ということだった。
ほんと、見たまんまになるってことだ。
これがレミリア特異のものなのか、他のヴァンパイアもそうなのか気になったが、私も咲夜もヴァンパイアなんて、レミリア以外フランしか知らないので、片方が幼児退行を起こし、もう片方が起こさないからといって、実際どうなのかは確かめようが無かったし、別にどうでもいいことのような気もした。
別に凶暴になるわけでもないし、むしろ安全になっているような気さえちょっとする。
そう言ったら、「貴女は子供の我侭加減というものを知らないから、そんなことが言えるんです!」と割合本気で怒られたのだが、「いや、この歳で子育てママにはなりたくないし」と返せば、更に激しく色々と怒られた。
そして、咲夜のその様子を見たレミリアが、私を「いじめないでー!」と言って泣き出し、事態は実に混乱の様を呈した。
レミリアをあやす咲夜を、部屋で(立ち話もなんなので、上げた)眺めつつ、子育ては大変そうだなぁと私は思った。あぁでも、紅魔館とかそこいらに頼めば、ベビーシッターとかして貰えるのだろうか。何てことも思ったのだが、口にしたらまた怒られそうだったので、とりあえず黙って見守ることにした。
うん、夜空が綺麗だ。
泣き止んだレミリアは実に元気で、遊ぼうと言ってきた。
断ったらまた泣きそうだったということもあるけれど、心細そうに、こっちの服の裾を掴んで、
「れーむおねーちゃん、あそぼ?」
何て、上目遣いで言われたら、流石の私だって、こう思うことはあるわけよ。
何で態度一つでここまで、人(吸血鬼だけど)って見え方変わるのかなぁというか、可愛いな畜生というか、総じて子供って可愛いのかしら? とか思ったというか、つい二つ返事で。
「いいわよ。何して遊ぶ?」
と、笑顔で返してしまっていた。
けどまぁ、あの時の、ぱぁぁぁあっ、とでも聞こえてきそうな嬉しそうな笑顔を見たら、まぁいっかと。そう思ったわけ。
咲夜は、色々疲れたのか、部屋で横になってへばっていたわね。本当、珍しい咲夜が沢山見れたものだわ。別に得した気分にはならないのだけど。本当、カメラでもあればなぁ。
どれほどの時間を遊んでいたのかは分からないけれど、鞠をついたり、蹴ったり、空中で投げ合ったり、鬼ごっこをしていたりしたら、随分と時間が経っていたようだった。
で、遊びの最後と言う事で。
「だんまくごっこしよ!」
というレミリアの提案が出たのだが、流石にそれをやると普通に神社が破壊されてしまいそうである。一応、羨ましそうに部屋から私達を眺めていた咲夜を確認してみるが、両手で思いっきり×マークを出していた。
手加減とかしなそうだもんなぁ。
「いや、それは流石にダメです」
「えーっ。やろーよぅー。したいしたいー」
「だーめ。そんな頬を膨らませながら、人の服の裾を引っ張りつつ、いやいやしながら顔を振っても、ダメなものはダメです」
可愛いなぁもぅ! と思いつつも、私の無重力は完全に屈してはいない。私はまだ、ダメ、ときちんと言える日本人だ。社会情勢とか、そういうものには飲み込まれないわよ。
だから、つーん、とそっぽ向きながら言ってやった。
すると、途端に大人しくなって。
「れみりゃ、なんかわるいことした? れーむおねーちゃんおこらせた?」
涙目になって聞いてきた。
くっ。そんな反則スレスレの攻撃されたって、私は頷かないわよ。
とはいえ、泣かせるのも忍びない。まぁ、丁度良い時間だろう。そう思って、妥協案めいたものを提案することにした。
「ううん。そんなことないわ。レミリアは良い子よ。だんまくごっこはダメだけど、代わりにお姉ちゃんと一緒に寝よっか」
自分で自分をお姉ちゃんと呼ぶことに、何か違和感と言うか、むず痒さを感じたが、レミリアが遊んでいる最中、何度も何度もおねーちゃんおねーちゃんと連呼するので、つい自然とそう言ってしまった。
「えっ、いっしょにねてくれるのっ!?」
比喩的表現なのだけど、文字通りレミリアの顔が、その時輝いて見えた。本当、無邪気だ。妖怪も皆、幼い頃は邪気など持っていないのだろうか? そんなことを思ってしまう。
若干、血を吸われやしないだろうかという不安はあったが、何となく大丈夫なような気がした。この娘に危険なんて無いのだと、確信出来るものなど何もないのに、そう確信している自分が居る。
咲夜を振り返れば、既に布団を敷き始めていた。何とも仕事の速いことだ。
咲夜が二枚の布団を敷いていったので、二人別々に入った。
咲夜は、「明日、月が出る頃お迎えに参ります」と言って、一人で帰っていった。レミリアは、「うん、わかった」と言っていたが、咲夜に聞いた話によれば、新月時の記憶は無いみたいなので、翌日に月が出れば、そんな会話をしたことも忘れているのだろう。
どうしてだろう。普段ならそういうことがあっても、そんな考えることなどないはずなのに、何故かそれは哀しい気がした。
(なんでかな…)
声に出さず、胸中で呟いた。答えは出ない。
まぁいっかと、目を瞑ろうとした時。
「れーむおねーちゃん。そっちいってもいい?」
そう聞いてきた。
拒む理由も無い。
「いいわよ。おいで」
だから、そう簡潔に答えた。
「えへへ。ぎゅーってしてもいい?」
身を滑り込ませてくるなり、そう尋ねてくる。
「それはダメ。暑いから」
「ぶーっ。おねーちゃんのけち」
頬を膨らませる。
暗闇の中だけれど、距離が近いから、どんな表情をしているのかが分かる。
「ふふっ。じゃあ、こうしよっか」
布団の中で手を動かし、探り、それをきゅっと包むように握った。
「おねーちゃんの手あったかいね」
「レミリアも暖かいよ」
「これならこわくない。ねむれるの」
「おやすみレミリア」
「うん…」
言うが早いか、遊び疲れていたのか、レミリアは驚く程早く眠りに落ちていった。
レミリアが言った、「こわくない」という言葉が少しひっかかりながらも、幼児化しているからかな、そんな風に思って、私も同じように瞼を閉じて眠りに落ちた。
翌朝、目覚めてからレミリアは私にべったりだった。
いや、ほんと、文字通りひっ付いて離れなかった。
驚くべきは、そこまで私にひっ付いて何が楽しいのか、ということと、それを不快に感じない私自身だった。
「あーもう、ご飯が作れないから、ちょっと離れなさい」
「はーい」
「ほら、洗濯するから、離れて」
「あらったのを、れみりゃがほす!」
「じゃあ、お願いしようかな。でもちゃんと干せる? 水も渡れないのに」
「うんっ、だいじょうぶっ!」
そんなやりとりが、楽しいとすら思った。まるで小さな妹が出来たみたいで。家族が、出来たみたいで。
だから、昨日の夜の「こわくない」何て言葉、その時がくるまで、すっかり忘れていた。
陽はとっくに昇りきって、今はもう沈みかけている。
それを、二人縁側に腰掛けながら眺めている。
雲が隠しているとはいえ、その雲の量は多くない。月が顔を出すのはもうそろそろだろう。そうすれば、月の魔力は大地に届き、幼いレミリアは居なくなる。
ただ私は、この時になるまで、このレミリアはどうせ何も覚えていないのだと、そう思っていたのだ。だから、何も哀しいことも、怖いことも無いのだと。
レミリアは私の正面に回り、突然膝の上にぺたんと座った。重くはないのだけれど、私もこれには驚いた。
続いて、こちらに完全に体重をかけ、しなだれかかり、頬を私の右肩に乗せるようにして両手を首に廻してきた。
まさか、そんなつもりは無いだろうと思ったけれど、私は冗談めかして言った。
「吸うなよ」
レミリアは静かに。
「吸わないよ。そんなことしたら、れーむおねーちゃんに嫌われるもの」
普段のレミリアではないけれど、終わりが近いのか、幼さは少し薄れていて。でも、とても哀しそうな言い方だった。
「何をしてるの? それじゃ月が見えないわよ」
「じゅーでんしてるの」
「充電?」
「そうだよ。力をためるとか、そういう意味なんだって」
「溜まるの? それで?」
「うん。たまるよ。こうしてれば怖くない」
怖くない。
それは一体何のことだ。どういう意味だ。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが渦巻くのを私は感じた。
「レミリア、怖くないってどういうこと。何か怖いことがあるの?」
聞いてはいけないような気がした。それを聞いたら、何かが壊れるという予感があった。けれど、頭の中で響く「聞くな、やめろ」という言葉を無視して、私は尋ねた。
「いつも起きるとね、違うところにいるの。同じような部屋だけど、少し違うところだったり、全く別の部屋だったり。同じ部屋でも、横に居た人がいなくなっていたり。あったはずのものが無くなっていたり。眠る前に話していたはずのことなのに、話が通じなかったり」
ブランクだ。約一ヶ月の空白の時間があるからだ。そして、レミリアのその言葉が意味することは、普段の人格のレミリアは、幼児状態のレミリアの記憶が無いけれど、逆に幼児状態のレミリアは、普段の状態のレミリアの記憶が無い。けれど、起きたこと、やったこと、話したこと、それら全てを、自分、この幼いレミリアは覚えているという事だ。
「だからね、眠るのがいつも怖い…」
震える言葉の語尾。
私は思わずレミリアを強く抱きしめた。
大丈夫、だなんてことを言う事は出来ない。だからこそ、強く抱きしめた。
「でも、れーむおねーちゃんと眠った時は大丈夫だった。さくやとか、ぱちぇじゃダメだったけど、れーむおねーちゃんの時は大丈夫だった」
恐らく、一旦眠りについたレミリアを、月が出るその時まで、何らかの方法を持って眠らせ続けていたのだろう。それが、今回は無かっただけだ。
いずれにせよ、もうすぐ月が出る。そうすれば、この娘は眠り、約一ヵ月後に唐突に目覚め、自分が居るはずではない場所に戸惑い、怖がるのだろう。そして、その事に薄々気付いていることは、体の震えで分かる。
「だから、だいじょうぶ…。何だか、眠くなって…きちゃった…。このまま…」
「そのまま寝て良いよ」
大丈夫でなんか無い。次、目覚めた時、貴女の横に私は居ない。でも、そんなの何て言えばいい。
「うん…。ばいばい、れーむおねーちゃん」
この娘は分かってる。だから、震えてる。歳相応の身体に、精神年齢で、恐怖を必死に押さえつけて、それで、ばいばい、何て言ってる。
何て言ってやればいい、私はこの娘に。誰か教えてよ。
口をついて出てきたものなんて、何の捻りも無くて、有り触れたものだった。私は所詮、この程度の人間だ。妖怪を退治できても、子供の妖怪一人、満足に護れない、助けられない。
自分の小ささを思い知った。子育てなんて、きっと出来やしない。何て、私は小さいんだろう。
「ばいばいじゃないよ、こういう時はね、またね、って言うんだよ」
声は震えていないだろうか。不安にさせてはいけない。安心させてあげなければならない。
「また会えるのかな? 会いに来ていいのかな?」
「いいんだよ。だって、レミリアは良い子じゃない。言う事をちゃんと聞いてくれたし、水が苦手なのに、洗濯だって手伝ってくれた」
震えそうになる声を私は押し殺し、レミリアは震える身体を押し殺す。
おかしい。何で私が、こんなことで感傷的に?
「えへへ、うれしいな。れみりゃね、ほんとは怖かったんだよ」
「何が?」
今だって怖いのだろうに。他に何が怖いっていうの。それは私にどうにか出来ること?
「目が覚めたとき、れーむおねーちゃんに会いたいって思ったの。顔も声も、匂いも知ってたよ。でもね、おねーちゃんのことが良く分からなかった、どんな人間なのか分からなかった。私は、すごく会いたいって思ったけれど、もしかしておねーちゃんは私に会いたくないって思っていたら? 私のことを嫌っていたら? そう思うとね、すごく怖かったよ」
レミリアの体から力が徐々に抜けていく。けれど、それに反比例するように妖気は増していく。この娘が眠るのがかなり近い。
ダメだ、まだ寝ちゃダメだ。私は、まだ貴女の不安を取り除いていない。だから、抱く腕に更に力を込めた。
「いたいよ…おねーちゃん」
声にも力がなくなってきている。
痛いとレミリアは言ったけれど、こうすることで体の震えが少し治まったような気がしたので、私は止めなかった。
「遊んでいる時も、ほんとは不安だった?」
「うん、少しまだ怖かったよ」
あんなに笑っていたけれど、本当は不安だった。こちらが気を使っているはずが、こんな幼い子のほうが実はこちらに気を使っていた。全く、それに気が付かなかった私は何て愚かだろう。でも、それはこの娘も同じか。
「馬鹿だな。もっと早く言ってくれれば良かったのに…」
声が詰まる。胸が苦しい。けれど、言わなければならない。このまま眠らせてしまってはいけない。
「嫌ってなんてないよ」
ここで、好きだ、と言えない自分、言わない自分は汚い人間だろうか。弱い人間だろうか。
けれど、ここで好きだと言って、このレミリアに再び会えるという確証が何処にあるの? 本当に、その言葉をこの娘が覚えているっていう保障は誰が、何がしてくれるの?
「もう…ねるね。だから…ば―」
そこまで言って、口をつぐんだ。眠ったわけじゃない。僅かだけれど、腕にはまだ力が込められていたし、ほんとに、ほんの僅かだけれど、レミリアの頬が私の肩の上で動くのが分かった。
ばいばい何て言わせたらダメだ。分かった、何の保障も要らない。言おう。
「またね、レミリア」
「うん、また…ね」
「凄く楽しかった。レミリアと過ごして」
たった一日だったけれど、貴女はよく笑って、よく拗ねて、よく泣いた。まるで人間の子供みたいで、妹が出来たのかと、錯覚する瞬間もあった。髪の色も、目の色も全然違うのにね。
「大好きよ、レミリア」
「れみりゃも、同じだよ。おねーちゃん」
その言葉を最後に、レミリアの体から力が抜けた。そして、凄い勢いで妖気が増していく。
空を見上げれば、雲間から月が顔をほんの僅かに覗かせていた。
月は大したものね。そんなことを思いながら、私はレミリアの頭を撫でて、囁くように言った。一日限りであったけど、可愛い妹に。
また会えるから。だから。
「新月の夜に会いましょう」
そう言ったとき、私の無重力は、月の引力に負けたのだと思う。
「でもおかしいな…。月が引っ張っているのなら、涙は上へ落ちなきゃいけないのに…」
何で私は泣いているんだろう。
また会えるのだから、哀しいことなど無いはずなのに。
「貴女、泣いているの?」
気が付いた時、目の前に咲夜が居た。
音もなく現れたような気がしたが、その時の私の状態では、実際どうだか分かったものではないし、音を立てていようとも気が付かなかった可能性が高い。
「みたいね」
「どうして?」
「そんなの、私だって知らないわよっ!」
何かに当たるように、私は言った。どうにもならないのに、でもどうにもならないから、当たるように言った。
「知らないけどっ、零れて来るんだから仕方ないじゃないっ! 理由なんて、そんなの…私が知りたいわよ…わかんないわよ…」
眠ったままのレミリアを抱きしめたまま、私は延々と泣き続けた。随分と長いこと泣いていたような気がするけれど、眠りに落ちてからも、レミリアが目覚めるまでは存外に時間がかかるようで、目覚めることは無かった。
「博麗霊夢」
改まった口調で、泣き止んだ私に咲夜が言ってきた。
「なによ?」
不機嫌そうに私は返す。顔なんてみっともないことになっているのは間違いないのだから、まっすぐに見返すことなんて出来ない。
「先日の非礼をお詫びするわ。貴女にお嬢様を預けて正解だった」
そして、深く、長く、一礼した。
そこには、完全で瀟洒な従者、そう呼ぶのが相応しい女性が一人、澄んだ瞳で立っていた。
「どう…いたしまして」
私は、そっぽを向きながら、そう答えるしかなかった。
その時の私は、無重力では無かったから。
そしてその時、咲夜は他に何も言わなかったけれど、次の新月の時も、連れてくるわと、その顔が如実に語っていた。
だから、私も何も言わなかった。
流石にみっともないと思ったので、レミリアを咲夜に見ていて貰い、井戸まで顔を洗いに行った。
そのまま咲夜に、レミリアを抱っこでもして、連れて帰って貰っても良かった気もするのだけれど、最後に一つしておかなければならないことがあると思った。
顔を洗い、鼻をかみ、表情をいつものものに直してから、戻った。
その程度の時間で、帰ってくれば、あれだけぐっすりと眠っていたレミリアが起きていたのだから、不思議と言えば不思議なのかも知れない。
「おはよう、レミリア。っていっても、もうすぐ完全に日が沈むけれどね」
「おはよう、霊夢。ってあれ? 何で、私ここに? 咲夜も居るし?」
私と咲夜を見比べて、疑問の声を上げる。でも、咲夜は何も答えない。
「レミリア」
「何かしら?」
「明日、そして良ければ、来月も遊びにいらっしゃい」
数瞬間、目をパチクリさせた後、
「お呼びがかかるなんて、私も偉くなったものね」
と、嬉しそうに言った。
「ほんと、アンタも偉くなったもんよ」
私は、呟くようにそう言って、視線を夕陽に向ける。
「沈むわね」
「えぇ。でも太陽も、月も同じよ。どっちも、沈んで、そして昇る。だから、また会える」
レミリアは、まぁそういう点では同じよね、と言いつつ、若干の疑問を残したようだが。
「さぁ、日も沈みましたし、帰りましょうか、お嬢様」
と、咲夜が言うと。
「そうね」
と言って、立ちあがった。
咲夜が先に飛び立ち、それをレミリアが追う。でも、飛び立つその前に、レミリアは私を振り返った。
「霊夢、ありがとう」
「え?」
覚えているはずなど、無いのに。
「んー。誘いも受けたし、その、なんとなくね」
じゃあね。
そう言って、照れるような顔を少し見せて、飛び立っていった。
闇に消えていくその背中を目で追って、私は小さく。
「どういたしまして」
そう呟いた。
どうして私があんな風になってしまったのかは、はっきりとは分からないけれど。
一ヶ月周期で一度だけ、無重力でなくなるのも、悪くは無いかな。
私は、薄く光る夜空を見上げて、そう思った。
ほんの僅かな、小さな小さな月。これからどんどん大きくなっていって、そしてまた欠けていき、消える。
そんな月に向かって、呟いた。
「新月の夜に会いましょう」
その時には、何して遊ぼうか。
ねぇ、レミリア?
が、若干れみりゃそのものがあざといというか、ちょっと狙いすぎじゃないでしょうか?
キャラ萌えSSなのはよく分かるんですが、うーん……。
天真爛漫に笑っていても内心では恐れを抱く
自分の事なのにわからない事に恐怖を覚える
イイじゃないですか、シリアスなれみりゃさま!ヾ(゜∀゜)ゝ
鼻血は出なかった。代わりに何故か涙が出た。
んやまあ、れみりゃ様もれーむおねーちゃんも可愛かったのではあるけど。
思わず崖に上って満月を見上げながら咆哮する勢いでしたよ?(意味不明
ラストのしっとりさ加減も含めて文字通り素薔薇しかったです。
琴線に喰らいボム!涙が……とまりません……
無重力無効(EX):「束縛されない」とされるものを束縛する。最高ランクになると博麗ですら抗えない。
まぁ、何が言いたいかって言うとれみ・りあ・u(ドラキュラクレイドル
思わずホロリときたぜ。
まぁ、前半のれみりゃは正直萌えた。
読み終わってもまだ止まりませんよぉ。。。
あいがとうございました。。
http://www14.plala.or.jp/lakudo/SS/To_Ho_/Let's_meet_at_night_of_new_moon.Ress.html
そして、お読みになって下さった方、一人残らず感謝を。m(_ _)m
良いもの読ませていただきました
本当にありがとうございました