記憶なんてなくなればいいのにね
それさえなければ
過ぎた過去を想い、涙を流すこともないのに
感情なんてなくなればいいのにね
それさえなければ
欲望のままに生きる、本当の妖怪になれるのに
History of the Red Guardian
「はぁ…はぁ……!」
たったったった…
「グハハハハ…逃ゲテモ無駄ダ……」
どすどすどすどす…
一人の少年が走っていた。
一匹の魔物が走っていた。
「やだ…やだ…死にたくない…死にたくないよぅ……!」
たったったった…
「クソガキガ……逃ゲテモ無駄ナンダヨ…」
どすどすどすどす…
一匹の被食者が逃げていた。必死に。
一匹の捕食者が追いかけた。必死に。
「く、来るな化け物……あっ!」
たったったった……どさっ
「ガフ…ガフ…オイツイタ……」
どすどすどすどす……どす。
一人の被食者が何かにつまづき、地面に転がった。
一匹の捕食者がそれに気づき、立ち止まった。
少年はあたりを見回す。
周り一面はすべて木で埋め尽くされ、そこには人の気配などひとつも存在していない。
ただ、あるとすれば夜の空に舞う満月だけ。しかし無残にも、満月はその少年に何も助けを加えることができず、ただ残酷に命が奪われる瞬間を目撃するだけである。
少年の目の前にいるのは、イノシシのような「モノ」だった。
顔の右半分がずるむけて血生臭い臭いを発し、体は原型こそはとどめているものの、そのほとんどが腐敗し骨までをさらけ出す部分もあり、目は不気味に紅く光っている。その口に入るであろう柔らかい肉を想定しているのか、口を半開けにして涎をたらし、その涎が鋭い牙をさらに鋭利に光らせた。
ただ恐怖するのみ。
それが少年に今最もふさわしい状況であろう。
「う…ううっ……死にたくないよぅ……死にたくないよぅ……」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら、彼は何度も同じ言葉を繰り返した。しかし、その言葉を理解するはずも無く、妖怪はじりじりと距離を縮めていく。
「グウゥゥォォォォォォ!!!!」
雄叫びとともに、そいつは少年に向かって全力で走り出した。その巨大な体に当たってしまっては全身の骨が砕けてしまいそうな、そんな体当たり攻撃。
せめて一撃で、苦しまずに殺そう、それが人間を喰らう妖怪に備えられた最低限の情けなのかもしれない。
「ひぃ……やだ……やだぁ…たすけて……誰か助けてええええええええええええ!!!」
妖怪の体が迫る。少年はなおも助けを求め続けた。
あと10メートル
あと5メートル
4メートル
3メートル
2メートル
1メートル
ドガァァァァァァァァァァァン!
爆音と共に妖怪は激突した。少年の横の針葉樹に。
もしその一瞬に起こった「邪魔」がなければ確実に少年は葬られていただろう。
「ア゛オオオォォォォ!!!」
妖怪は木にぶつかった後、苦しそうな声を上げてのたうちまわった。
つい2秒前にはあったはずの妖怪の後ろ脚2本が突然なくなったのだから。
無残にも千切れた二本の脚とともに巨大な鉈包丁が2本転がっていた。
「…え?」
少年は一瞬だけ混乱した。一体何があったのだろうか、と。
ただ言えるのは、自分は助かった、自分はまだ生きている、ということだけだった。
少年の目の前に一陣の風が流れ込む。そしてその上から「何か」が降ってきた。
それは人影だった。現れた人間は両手いっぱいに何かを持っている。それは七色に光る不思議な刃物だ。闇に慣れた目に月の光さえあればそれなど簡単に視認できる。
しだいに乱入者の姿も分かってきた。女特有のしなやかな肢体、長い髪、そして、額にある星の飾りが満月の光を反射して鋭く光る。
「ググ…キサマ何者ダ?!」
体勢を立て直そうとするイノシシ妖怪に向かって、その女は持っている全てを投げつけた。
目に見えないほどの速さで刃物は飛んでいき、全てが妖怪に命中した。ほとんどがその体の部分に命中しているが、投げた内の二つは見事に相手の紅い両目を貫いている。
「ガァアアアァァァァアアァァアアア!!!!!」
痛みに猛り狂う巨大イノシシはそのまま右に左にとよろけた。今のでかなりのダメージがきているようだ。
しかし、相手もまだ諦めてはいない。かすかに見える目と特有の鼻の利きをもって、女の方に頭を方向転換した。
「グオオオ…コ、コノ…クソアマガァァァァァァ!!」
少年に仕掛けたときと同じく、また突進攻撃だった。だが今度は後ろ脚がないためスピードは著しく劣っていた。
「そのまま…森へ帰ればよかったのに…」
女はそう一言ぽつりとつぶやいた。
その場から逃げずに、腰を低くして構える。何かの拳法だろうか。
すぅ、と口から夜特有の冷たい空気を吸い込み、肩がすこし上がる。肺いっぱいの空気を吐き出すと、肩がすこし下がる。
ざわざわざわ……
静かだったはずの木々がざわめき始めた。
女の周りから一陣の風が吹いている。最初は心地よいほどのものであったが、それは時間が経つにつれ次第に強くなっていく。
ばさばさばさ……!
その強い風に木々が怯えた。まるでこれから繰り出される一撃を畏れるかのように。
女の髪がふわりと宙に浮いた。そして構えていた右手からは薄い光。
突進してくる妖怪の体が目前に迫る。その距離はもうほとんどない。
だが女はまだ動かない。そこに立ち止まったままこの巨体を相手にする気だ。
グシャ!ブシュゥゥゥゥゥゥゥ……
生々しい、骨が砕け、血が吹き出る音。だがその音の犠牲者となったのは女のほうではなかった。
ぶつかる直前に放った女の拳はに相手の額部分を捉えていた。そして拳は妖怪の額を貫いて骨を砕き、脳と血が交じり合ったグロテスクな液体を噴出させた。
「ギイィィェアアアアァァァァ!!」
女は右手を額から引き抜く。右手は相手の血で真っ赤に染まり、生臭い血の臭いを漂わせている。引き抜いた後、イノシシは大きな音を立ててその場に倒れた。
一撃。たった一撃でその巨体を仕留めたのだ。
ふぅ、と女は安堵のため息をついて倒れた巨体に近づく。相手が完全に死んでいるのかどうかを確認するためだろう。
その妖怪はかすかに息をしていた。
そして死ぬ前にうわ言のように唱え続けるのだった。この言葉を。
「れみりあサマ…申シ訳アリマセン…れみりあサマ…申シ訳アリマセン…」
「美鈴ねーちゃん…オイラ怖かった……怖かったよぉ!」
少年は女にしがみつき、大声でわんわんと泣き、今までためていた恐怖の感情を爆発させていた。
この女の名前は紅 美鈴。この地方にとっては数の少ない退魔師である。
常に一人で暮らしているために、誰も彼女の素性を知ることは無い。ただその卓越した身のこなし、自我流の拳法と七色の刃を組み合わせた闘い方に対して、ある者は尊敬というよりはある意味での畏怖を感じ、またある者は実は人間ではないのでは、とも考えている。
どちらにせよ、美鈴は人から好かれるような女性ではなかった。
だが万物の事象には例外というものがつき物で、ここにしがみつく少年こそがまさにそれであった。
彼の名は龍雄(ろんゆう)。数年前に戦で両親を亡くした孤児であり、今は拾われた村の寂れた空き家の中で一人孤独に暮らしている。
時代はまさに地獄ともいえる局面であった。独裁による王朝の暴走、荒んでいく民の生活、他国との戦争、略奪の横行…数え上げたらきりが無い。その中で多くの子供たちが両親を失い、明日を満足に生きれぬ生活を暮らしている。龍雄もまたその一人だ。
彼は人々が嫌っているはずの美鈴にとてもよくなついていた。なついているとはいえ、その行動はいたずらばかりであった。
美鈴の家に侵入して罠をしかけたり、作物や器具を割ったり…。かなりの妨害行為のように見える。しかし美鈴に怒られると素直に反省するし、それがきっかけで二人が仲良くなっていくのは事実であった。
「ほらほら、大の男の子が泣かないの。さ、一緒に家に帰るわよ。」
森を抜けると、そこは大平原だった。
眼下には質素な家々を照らす、窓の明かりたち。それはとても小さな村だった。この村に龍雄は住んでいる。
「けれどね、龍雄」
「ん?どうしたの」
「あなた、どうしてあの森へ行ったの?」
龍雄は悪戯好きではあるが、妖怪が現れやすい森の方まで向かったということがとても疑問に感じていた。
「ああ、それはね…」
今さっきまでずっとうつむいていた龍雄が目を上げ、そして美鈴の目を見て一言つぶやいた。
「オイラ、見てみたかったんだ…幻想郷っていう楽園を」
「幻想…郷?」
美鈴ははて、と首をかしげた。
桃源郷というのはよくよく聞いたことはあるのだが、幻想郷というのは初耳だったのだから。
「死んだ父ちゃんと母ちゃんが言ってたんだ。この世界には誰にも邪魔をされない天国のような場所がある、って。ほら、あそこよく化け物がでるよね。いつも人間を殺そうとする化け物がいるからその森に人間は近づけない、誰も近寄らない。そんな森の向こうにもしかしたら幻想郷はあるのかもしれないんじゃないかな、って思って―――」
ガンッ!
「痛っ!なんで叩くんだよ!」
「そんなことで…せっかくの命を落としたらどうするの!お父さんとお母さんが苦労してあなたを産んだのよ!命はそんなに貴重なものなのに…。もし私があの森を散歩なんかしてなかったらあなたは死んでたわよ!ただの作り話で殺されそうになったのよ!?」
美鈴は本気で怒っていた。顔を真っ赤にして。目に涙を浮かべながら。
彼女は人一倍命を重いものだと考えていた。今まで何度となく妖怪を倒してきたが、守るべきはずであった人間の大体は妖怪に先に殺されてしまった。
あともう少し、自分が速く駆けつけていれば…幾度となく味わったその自責の念が彼女をこのような人間に変えてしまったのだ。
「…はい、ごめんなさい…」
謝罪の言葉をかけて、また龍雄は下を向いた。
なにか自分が悪いことをすればすぐに謝る、それが龍雄の長所だった。
そんな時、彼女はいつもその手を彼の頭に乗せてわしわしと荒っぽくなでる。
「うん、よくできました」
美鈴は家路に着くと、近くの川で体を清め、遅い夕飯を食べ、麻でできた簡単な寝巻きを着て寝床につく。そして今日あったこと、特にあの化け物が死に際に吐いた台詞を何度も頭で反芻した。
『れみりあサマ…申シ訳アリマセン…』
「…レミリア…か」
紅い悪魔、レミリア・スカーレット…その名と悪行は美鈴もよく知っていた。
満月となった夜に至って必ずレミリアは仲間を従えて姿を現し、老若男女問わず人間を数人さらっていくのだ。見た目の幼さとは裏腹に残虐非道、レミリアの人さらいを阻止しようとした者は皆直接レミリアの手により惨殺されてしまうという。
あの時倒した妖怪もまたレミリアの手先なのだろうか。それに今日は満月だ。もしかしたら私の見えないどこかで人さらいをしているのかもしれない。
窓を開けてみる。どこか冷酷にも感じてしまうような冷たい空気が美鈴の頬をなでる。
きっと、この冷たい空気のどこかで…そいつは…
「もし私の前に現れたら…その時は私が葬ってみせる」
人間としての正義感が、この冷たい空気が、美鈴に冷徹な決意をもたらした。
それさえなければ
過ぎた過去を想い、涙を流すこともないのに
感情なんてなくなればいいのにね
それさえなければ
欲望のままに生きる、本当の妖怪になれるのに
History of the Red Guardian
「はぁ…はぁ……!」
たったったった…
「グハハハハ…逃ゲテモ無駄ダ……」
どすどすどすどす…
一人の少年が走っていた。
一匹の魔物が走っていた。
「やだ…やだ…死にたくない…死にたくないよぅ……!」
たったったった…
「クソガキガ……逃ゲテモ無駄ナンダヨ…」
どすどすどすどす…
一匹の被食者が逃げていた。必死に。
一匹の捕食者が追いかけた。必死に。
「く、来るな化け物……あっ!」
たったったった……どさっ
「ガフ…ガフ…オイツイタ……」
どすどすどすどす……どす。
一人の被食者が何かにつまづき、地面に転がった。
一匹の捕食者がそれに気づき、立ち止まった。
少年はあたりを見回す。
周り一面はすべて木で埋め尽くされ、そこには人の気配などひとつも存在していない。
ただ、あるとすれば夜の空に舞う満月だけ。しかし無残にも、満月はその少年に何も助けを加えることができず、ただ残酷に命が奪われる瞬間を目撃するだけである。
少年の目の前にいるのは、イノシシのような「モノ」だった。
顔の右半分がずるむけて血生臭い臭いを発し、体は原型こそはとどめているものの、そのほとんどが腐敗し骨までをさらけ出す部分もあり、目は不気味に紅く光っている。その口に入るであろう柔らかい肉を想定しているのか、口を半開けにして涎をたらし、その涎が鋭い牙をさらに鋭利に光らせた。
ただ恐怖するのみ。
それが少年に今最もふさわしい状況であろう。
「う…ううっ……死にたくないよぅ……死にたくないよぅ……」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら、彼は何度も同じ言葉を繰り返した。しかし、その言葉を理解するはずも無く、妖怪はじりじりと距離を縮めていく。
「グウゥゥォォォォォォ!!!!」
雄叫びとともに、そいつは少年に向かって全力で走り出した。その巨大な体に当たってしまっては全身の骨が砕けてしまいそうな、そんな体当たり攻撃。
せめて一撃で、苦しまずに殺そう、それが人間を喰らう妖怪に備えられた最低限の情けなのかもしれない。
「ひぃ……やだ……やだぁ…たすけて……誰か助けてええええええええええええ!!!」
妖怪の体が迫る。少年はなおも助けを求め続けた。
あと10メートル
あと5メートル
4メートル
3メートル
2メートル
1メートル
ドガァァァァァァァァァァァン!
爆音と共に妖怪は激突した。少年の横の針葉樹に。
もしその一瞬に起こった「邪魔」がなければ確実に少年は葬られていただろう。
「ア゛オオオォォォォ!!!」
妖怪は木にぶつかった後、苦しそうな声を上げてのたうちまわった。
つい2秒前にはあったはずの妖怪の後ろ脚2本が突然なくなったのだから。
無残にも千切れた二本の脚とともに巨大な鉈包丁が2本転がっていた。
「…え?」
少年は一瞬だけ混乱した。一体何があったのだろうか、と。
ただ言えるのは、自分は助かった、自分はまだ生きている、ということだけだった。
少年の目の前に一陣の風が流れ込む。そしてその上から「何か」が降ってきた。
それは人影だった。現れた人間は両手いっぱいに何かを持っている。それは七色に光る不思議な刃物だ。闇に慣れた目に月の光さえあればそれなど簡単に視認できる。
しだいに乱入者の姿も分かってきた。女特有のしなやかな肢体、長い髪、そして、額にある星の飾りが満月の光を反射して鋭く光る。
「ググ…キサマ何者ダ?!」
体勢を立て直そうとするイノシシ妖怪に向かって、その女は持っている全てを投げつけた。
目に見えないほどの速さで刃物は飛んでいき、全てが妖怪に命中した。ほとんどがその体の部分に命中しているが、投げた内の二つは見事に相手の紅い両目を貫いている。
「ガァアアアァァァァアアァァアアア!!!!!」
痛みに猛り狂う巨大イノシシはそのまま右に左にとよろけた。今のでかなりのダメージがきているようだ。
しかし、相手もまだ諦めてはいない。かすかに見える目と特有の鼻の利きをもって、女の方に頭を方向転換した。
「グオオオ…コ、コノ…クソアマガァァァァァァ!!」
少年に仕掛けたときと同じく、また突進攻撃だった。だが今度は後ろ脚がないためスピードは著しく劣っていた。
「そのまま…森へ帰ればよかったのに…」
女はそう一言ぽつりとつぶやいた。
その場から逃げずに、腰を低くして構える。何かの拳法だろうか。
すぅ、と口から夜特有の冷たい空気を吸い込み、肩がすこし上がる。肺いっぱいの空気を吐き出すと、肩がすこし下がる。
ざわざわざわ……
静かだったはずの木々がざわめき始めた。
女の周りから一陣の風が吹いている。最初は心地よいほどのものであったが、それは時間が経つにつれ次第に強くなっていく。
ばさばさばさ……!
その強い風に木々が怯えた。まるでこれから繰り出される一撃を畏れるかのように。
女の髪がふわりと宙に浮いた。そして構えていた右手からは薄い光。
突進してくる妖怪の体が目前に迫る。その距離はもうほとんどない。
だが女はまだ動かない。そこに立ち止まったままこの巨体を相手にする気だ。
グシャ!ブシュゥゥゥゥゥゥゥ……
生々しい、骨が砕け、血が吹き出る音。だがその音の犠牲者となったのは女のほうではなかった。
ぶつかる直前に放った女の拳はに相手の額部分を捉えていた。そして拳は妖怪の額を貫いて骨を砕き、脳と血が交じり合ったグロテスクな液体を噴出させた。
「ギイィィェアアアアァァァァ!!」
女は右手を額から引き抜く。右手は相手の血で真っ赤に染まり、生臭い血の臭いを漂わせている。引き抜いた後、イノシシは大きな音を立ててその場に倒れた。
一撃。たった一撃でその巨体を仕留めたのだ。
ふぅ、と女は安堵のため息をついて倒れた巨体に近づく。相手が完全に死んでいるのかどうかを確認するためだろう。
その妖怪はかすかに息をしていた。
そして死ぬ前にうわ言のように唱え続けるのだった。この言葉を。
「れみりあサマ…申シ訳アリマセン…れみりあサマ…申シ訳アリマセン…」
「美鈴ねーちゃん…オイラ怖かった……怖かったよぉ!」
少年は女にしがみつき、大声でわんわんと泣き、今までためていた恐怖の感情を爆発させていた。
この女の名前は紅 美鈴。この地方にとっては数の少ない退魔師である。
常に一人で暮らしているために、誰も彼女の素性を知ることは無い。ただその卓越した身のこなし、自我流の拳法と七色の刃を組み合わせた闘い方に対して、ある者は尊敬というよりはある意味での畏怖を感じ、またある者は実は人間ではないのでは、とも考えている。
どちらにせよ、美鈴は人から好かれるような女性ではなかった。
だが万物の事象には例外というものがつき物で、ここにしがみつく少年こそがまさにそれであった。
彼の名は龍雄(ろんゆう)。数年前に戦で両親を亡くした孤児であり、今は拾われた村の寂れた空き家の中で一人孤独に暮らしている。
時代はまさに地獄ともいえる局面であった。独裁による王朝の暴走、荒んでいく民の生活、他国との戦争、略奪の横行…数え上げたらきりが無い。その中で多くの子供たちが両親を失い、明日を満足に生きれぬ生活を暮らしている。龍雄もまたその一人だ。
彼は人々が嫌っているはずの美鈴にとてもよくなついていた。なついているとはいえ、その行動はいたずらばかりであった。
美鈴の家に侵入して罠をしかけたり、作物や器具を割ったり…。かなりの妨害行為のように見える。しかし美鈴に怒られると素直に反省するし、それがきっかけで二人が仲良くなっていくのは事実であった。
「ほらほら、大の男の子が泣かないの。さ、一緒に家に帰るわよ。」
森を抜けると、そこは大平原だった。
眼下には質素な家々を照らす、窓の明かりたち。それはとても小さな村だった。この村に龍雄は住んでいる。
「けれどね、龍雄」
「ん?どうしたの」
「あなた、どうしてあの森へ行ったの?」
龍雄は悪戯好きではあるが、妖怪が現れやすい森の方まで向かったということがとても疑問に感じていた。
「ああ、それはね…」
今さっきまでずっとうつむいていた龍雄が目を上げ、そして美鈴の目を見て一言つぶやいた。
「オイラ、見てみたかったんだ…幻想郷っていう楽園を」
「幻想…郷?」
美鈴ははて、と首をかしげた。
桃源郷というのはよくよく聞いたことはあるのだが、幻想郷というのは初耳だったのだから。
「死んだ父ちゃんと母ちゃんが言ってたんだ。この世界には誰にも邪魔をされない天国のような場所がある、って。ほら、あそこよく化け物がでるよね。いつも人間を殺そうとする化け物がいるからその森に人間は近づけない、誰も近寄らない。そんな森の向こうにもしかしたら幻想郷はあるのかもしれないんじゃないかな、って思って―――」
ガンッ!
「痛っ!なんで叩くんだよ!」
「そんなことで…せっかくの命を落としたらどうするの!お父さんとお母さんが苦労してあなたを産んだのよ!命はそんなに貴重なものなのに…。もし私があの森を散歩なんかしてなかったらあなたは死んでたわよ!ただの作り話で殺されそうになったのよ!?」
美鈴は本気で怒っていた。顔を真っ赤にして。目に涙を浮かべながら。
彼女は人一倍命を重いものだと考えていた。今まで何度となく妖怪を倒してきたが、守るべきはずであった人間の大体は妖怪に先に殺されてしまった。
あともう少し、自分が速く駆けつけていれば…幾度となく味わったその自責の念が彼女をこのような人間に変えてしまったのだ。
「…はい、ごめんなさい…」
謝罪の言葉をかけて、また龍雄は下を向いた。
なにか自分が悪いことをすればすぐに謝る、それが龍雄の長所だった。
そんな時、彼女はいつもその手を彼の頭に乗せてわしわしと荒っぽくなでる。
「うん、よくできました」
美鈴は家路に着くと、近くの川で体を清め、遅い夕飯を食べ、麻でできた簡単な寝巻きを着て寝床につく。そして今日あったこと、特にあの化け物が死に際に吐いた台詞を何度も頭で反芻した。
『れみりあサマ…申シ訳アリマセン…』
「…レミリア…か」
紅い悪魔、レミリア・スカーレット…その名と悪行は美鈴もよく知っていた。
満月となった夜に至って必ずレミリアは仲間を従えて姿を現し、老若男女問わず人間を数人さらっていくのだ。見た目の幼さとは裏腹に残虐非道、レミリアの人さらいを阻止しようとした者は皆直接レミリアの手により惨殺されてしまうという。
あの時倒した妖怪もまたレミリアの手先なのだろうか。それに今日は満月だ。もしかしたら私の見えないどこかで人さらいをしているのかもしれない。
窓を開けてみる。どこか冷酷にも感じてしまうような冷たい空気が美鈴の頬をなでる。
きっと、この冷たい空気のどこかで…そいつは…
「もし私の前に現れたら…その時は私が葬ってみせる」
人間としての正義感が、この冷たい空気が、美鈴に冷徹な決意をもたらした。
ていうかこの美鈴は大変良い美鈴ですね。強くて格好良くて優しくて……ああそうか、お姉さんな美鈴ってそう見ないから余計に……ああ、そうか。
そして本編とコメントのギャップに人間の二面性というものを少し考えて見たり。
ともあれ先が気になる話です。学業にかまけず頑張ってください。
ストイックな美鈴を書くというのは私にとってはものすごく新鮮なものだと感じております。
その新鮮味がみなさんにも伝えられるよう、次回以降もがんばりたいと思う限りです。