「あら、珍しいわね。こんなところに顔を出すなんて」
霊夢の第一声は随分とご挨拶だった。
「直した服を届けてくれと云ったのは君の方だったと思うが」
そもそも僕の店は仕立て屋ではない。霊夢は僕を便利屋か何かと勘違いしているのではないか。とはいえ、云われるままに直した派手な装束を持ってわざわざ神社まで出向いた自分は便利屋以外の何物でもないという事実に思い至り、それを口にするのは思い留まった。
「いい運動になったでしょ?」
「お蔭様でね」
博麗神社の石段は長い。空飛ぶ巫女にはともかく、徒歩者にはいささか堪える。
「お茶でも煎れるわ」
「ありがたいね」
巫女服を抱えて部屋へ戻る霊夢を見送り、一息ついてから眼鏡を外し汗を拭った。頂点を少し過ぎた太陽は、白い地面に僕の影を切り取り、容赦なく肌を灼いていく。
部屋の奥から、霊夢の声が響いた。
「ああそうそう、賽銭箱は向こうよ」
縁側に腰掛け、渡されたお茶をひと啜りしてから、僕は疑問を単刀直入に口にした。
「何でそんなに賽銭を欲しがるんだい? 生活が苦しいのか?」
確かに年中無休で参拝客の存在しない博麗神社に、賽銭収入があろう筈もない。合理的な思考の末辿りついた僕の結論を、霊夢は憮然とした表情で否定した。
「別にお金に困ってるわけじゃないわ。第一、神様への捧げものに、巫女が手をつけてどうすんのよ」
そもそもこの神社にまともな神様が奉られているのかどうかはともかく、珍しく理に適った物云いではあった。が、だったら何故彼女はこうも賽銭に執着するのだろうか。
僕の考えは表情に出ていたらしい。霊夢は茶碗を置いて立ち上がると、賽銭箱に向かった。
「それはね」
霊夢は袖に手を突っ込むと、一枚の古びた硬貨を取り出した。無造作にそれを賽銭箱へと放る。
――かつん、からん、ころん。
乾いた木が、経てきた歳月に似ぬ軽《かろ》みのある音を立てた。いや、むしろその歳月に違わぬ音、というべきか。ただ沁み込んだ日々、その積み重ねが、水分と共にあらゆる俗世の縁を流しきった、そんな風情すら感じさせる。
「ね?」
「なるほど」
霊夢が我が意を得たり、といった笑顔を見せた。
確かに、いい音だ。さしずめ神様の御裾分け、といったところか。
「この音が聞きたいが為に、霊夢は賽銭にこだわるわけか。だったら、今みたく自分で入れればいいんじゃないか?」
「巫女が自分で入れたんじゃ意味ないわ。さっきのは特別」
「どうして」
「百言は一聞に如かず」
戻ってきてそれだけ云うと、霊夢は音を立ててお茶を啜った。
持って回った云い方だが、要するに問答無用ということだろう。霊夢は言葉で多く語ることを善しとしないふしがある。全ては在るがまま、語らずとも判れば善し、判らずともまた善し。その辺、奇妙に巫女らしい。
それでも、珍しく内面を垣間見せてくれたわけか。
「他の人に話しちゃ駄目よ」
唐突に釘を差された。
これまた不可解な話だ。賽銭箱の立てる音が聞きたいなら、他の人に知れたほうがいいだろうに。と、また顔に出ていたらしく、霊夢はこちらを見て、少し苦笑いをしながら僕の疑問に応えてくれた。
「面白がって色々放り込まれちゃたまんないわ。そういうことをやりそうな知り合いもいるし」
おそらく、頭に思い浮かべたのは同じ人物だろう、と確信して一つ頷く。ひどいぜ、と幻聴が非難の声を上げた。
要するに、これもまた在るがまま、ということか。霊夢はおそらく、この状況をもこよなく愛しているのだ。来るはずもない参拝客が戯れに投じる賽銭、それが木箱を鳴らすその瞬間をあてどなく待ち暮らす日々。
彼女が知り合いに賽銭を催促するのは、それを確認する儀式なのかもしれない。
「さて、そろそろお暇するよ。店を空けてきてしまったからね」
「あらそう。で、お賽銭は?」
「そうだな、また今度来たときにでも」
そんな日がめったに来ないことを霊夢はよく知っている。
だからこそ、その日を楽しみに待つことができることも。
「そう――残念。さようなら、霖之助さん」
「ああ。さようなら、霊夢」
石段を半ばほどまで下りて、服の代金を受け取っていないことを思い出した。
これでは便利屋ですらない。だが、今日ぐらいは大目に見よう。
代わりにあの音は、次の機会まで預っておくことにするよ。
半ば傾いた陽に照らされて石段を下る僕の心は、上る時よりほんの少し軽かった。
心の中で、賽銭を一つ。博麗神社の不思議な巫女に。
――かつん、からん、ころん。
私に放ってどうすんのよ、と幻聴が呆れて笑った。
ただこのくらいの文量ならプチのほうでもよかったのでは、と