Coolier - 新生・東方創想話

霧の館に降る雨は

2005/05/11 05:17:00
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ここは魔力を持った木々が生い茂る魔法の森。幾重にも重なる高い草葉によって、陽光も、月明かりすらも届かない、どこまでも深い闇に包まれた、人の手の及ばぬ無何有の地にして、闇を好む妖怪達の格好の棲家。人間が迷い入れば、まず生きて出ることは叶わないであろう、そんな場所に、好んで居を構える物好きな人間が居た。


『霧雨邸』


その人間の住む家は、この深淵の闇の中ですら妖しく踊る人間の魔女が住むとは実しやかに言い伝えられ、近隣の妖怪達からその名で呼び恐れられていた。

不意に森が騒ぎ出す。それは予期せぬ来訪者を受け入れたという報せ。

その来訪者、一人の人間の男が、妖怪すらも近づかぬ霧雨邸を訪ねようとしていた。







「うーん、生成手順はこれであっていたはずだ。何が悪いんだ?」

少女は、己が秘術を用いて作り出した物体と、それを作り出す過程を記した文献とを見比べて、首を捻る。

「なんでこんなにでかくなるんだ?これじゃ、飲み込めないじゃないか…。」

卓上に置かれたずんぐりとした球体。それを見て、丸薬であると思う人間は、まずいないだろう。小さく見積もっても、人の頭ほどはある。

「くそ、金丹の生成程度で、いつまでも躓いているわけにはいかないぜ。」

金丹、それは、奇跡の霊薬。曰く、エリクシャー。曰く、ネクタール。多くの名をもち、それぞれに奇跡としか言い様の無い伝承を幾つも残すその霊薬を、人間に手によって再現するなど、果たして可能な事なのだろうか。そしてそれを、その程度と言い切ってしまう少女は、どれほどの高みを目指していると言うのだろうか。ともあれ、その作業は難航していた。

「次はもっと、成分を凝縮してみるか。だけどそれだけじゃあだめだ、この前は凝縮しすぎて爆発したからな。少し中和剤を増やしてみるか。でも、本来の効果すら中和してしまったら意味がないし…」

霊薬の精製について書かれた禁書を読みながら、あれやこれやと考えを巡らせる少女。これだけの難解な書物を読み解くためには、その準備段階としてだけでも、膨大な知識量が必要とされる。だが普段、本の虫としての一面も兼ね備える少女に、その辺りのぬかりは無いらしく、自分の持てる知識の中から、直面している問題を解決する答えを探して、うんうんと唸る。

と、そこに、突然の来客を伝えるノックの音が響いた。

「あー。誰だ?」

返事は無い。しばらく待っていたら、もう一度、ノックの音が響いた。

「アリスか?」

やはり返事は無い。そもそも少女の思い当たる知り合いの連中の誰かであるならば、ノックなどせずに入ってくるだろう。年頃の乙女にとってそれは少なからぬ尊厳の消失を招く恐れもありそうだが、少女がここでする事と言えば、往々にして色気も何も無い研究がほとんどなので、気にも留めていない。

「誰だ?」

知り合いではない。勿論、妖怪でもないだろう。ここを襲う妖怪など、まずいない。となれば、あと有り得るのは、森に迷い込んだ人間が、助けを求めてやってきたという可能性。そうとあれば一大事。少女は、文献に栞を挟むと、とりあえず来訪者を招き入れることにした。

「今、開けるぜ。」

そういって少女がドアの前に立ったとき、急に引き戸になっている霧雨邸のドアが外側から開け放たれた。

「い、いってえええ…」

そのドアの直撃を顔面に喰らい、鼻の頭を押えてうずくまる少女。

「おいお前!なにしやが…」

固まった。そこに居るのは、少女の見覚えのある、そして、もう会うことも無いと思っていた人物。

「わざわざ遠方から訪ねてきたというのに、随分な歓迎だな?魔理沙。」
「に、兄様!?」








「…兄様、なんで、急に?」

困惑しながらも、とりあえず茶を出して男をもてなす。家に入ってきてから、しばし無言でいた男だが、その茶を一口啜り、漸く口を開く。

「久しぶりだな、魔理沙。元気にしていたか?」
「あ、ああ。久しぶりだぜ、兄様。この通り、元気一杯だ。」
「そうか、ならば、まずは部屋を片付けることをお勧めする。踏み場もなにもあったもんじゃない。」
「野暮なこと言わないでくれ、兄様。散らかっている様に見えて、どこになにがあるかがすぐにわかる、理想的な配置になってるんだぜ。」
「俺にとっては不便この上ない。」
「ここは私の家だぜ。」

少女は痛いところを突かれながらも、笑顔で、男は森の湿気で曇ってしまった眼鏡を拭きながら、取り留めの無い会話をしつつ、久方ぶりの再会の喜びに浸る。

しかし少女には、一つの疑問があった。

「だけど、兄様。なぜ、ここに?」
「ん、俺が来たら、なにかまずかったか?」
「いやいやいやいやいやいやいやいやいや、そんなことはないぜ。心の底からうれしい。だけど…」
「気まぐれだ。」

少女は思う。実家から離縁されて、家の名を貶めた自分を、家族がよく思っているはずが無い。それなのに、これと言った理由も無く、気まぐれなどで、果たして訪ねて来てくれるものだろうか、と。

「なあ、兄様…」
「ん?」
「私が…憎くないのか?」
「なぜだ。」
「私が、跳ね返って家を飛び出したりしたせいで、家はえらく恥をかいただろうし、兄様だって良縁を逃してしまったかもしれないだろう?」
「その程度の事だ。たった一人の妹とじゃ、天秤にかけられんよ。」
「兄様…」

男の言葉が、素直にうれしかった。自分にはもう、家族と呼べるものは居ないのだと思っていた。変わった自分、変わらない兄。その事実を胸に抱き、少女はただ、感極まっていた。しかし、天にも昇るその心地を、やはり野暮ったい男の声が遮った。

「ところで…」
「ん?」
「その口調はやめろと何度も言ったろう。」
「何を言ってるんだ兄様。魔道を志す以上、女々しさを捨て去り、憮然とした態度を取っていないと魔の者達に、使い魔にすら舐められる、と教えてくれたのは、兄様だろう?」
「それは態度の話だ。口調のことじゃない。」
「わかってるぜ。それより兄様、いい話があるんだが。」
「お前は都合が悪くなるとそうやってすぐ話の論旨をすり替えようとする。」
「後に面白い話がつっかえているんだ。つまらない話をしている時間はないぜ。」
「そんなに面白い話か。」
「聞いたら多分、眼鏡ずり下がるとかベタなリアクションやっちまうぜ。」
「聞かせてみろ。」

待ってましたとばかりに、得意気な顔で話を切り出す少女。

「ヴアル魔法図書館って知ってるよな?」

その言葉を聞いて、男の目が、魔法使いのそれへと変わる。

「無論だ。魔道を志す者ならば、知らぬ者は、そしてそれを求めぬ者は居ないだろう。そこには求める知識の全てがある。噂でなければな。」
「うふふふふ!」
「なんだ、気持ち悪い笑い方をするな。それも直せと言っただろう。」
「とっくの昔に直したぜ。いや、なんだ。驚くなよ兄様。」
「もったいぶるな。」
「なんとな、そのヴアル図書館が、実在してるんだぜ。」
「ほう」
「それも、私の知り合いがそこの館長をやっている。口を利いてやるぜ。」
「!…ん」
「兄様、うれしい時は、気取らず喜べばいいんだぜ。」
「そうだな、魔理沙、お前は最高の妹だ。」

手放しで褒める男を言葉を受け、えっへんと胸を張る少女。

「へへ。さ、行こうぜ!あ、返す本があるんだった。全部返すつもりはないが、少しずつは返さないと、うるさいんだ。ちょっと待っててくれ。」
「ならばその間に、戸締りをしておこう。」
「助かるぜ。」

そう言って少女に背を向けた男はほんの少しだけずり下がっていた眼鏡を据え直した。








「って、あれは…紅魔館じゃないか。大丈夫なのか?」

少女が居を構える魔法の森を出て、湖を越えた場所にそれはあった。聳え立つ背徳の主の根城、紅魔館。

「心配ご無用。私が居れば顔パスだぜ。」
「それは心強いが、出る時が心配だ。話しに聞く紅い悪魔や狂気の妹君が飛んで火に居る人間を放っておくか?」
「大丈夫だぜ。兄様ぐらい強ければ、なにかあっても無問題だろ。」
「それは大丈夫とは言わないと思うぞ。」
「なんにせよ、ヴアル図書館が待ってるんだぜ。」
「行くしかないな。」

兄妹は固い結束で結ばれていた。

「あのー。」

そこにかかる、女性の声。

「ん?」
「あ、中国じゃないか。」

そこに居たのは、紅い髪と身を包むチャイナ服が印象的な少女だった。

「中国じゃありません!紅魔館の門番、華人小娘『紅美鈴』です!」
「あー。わかったわかった。とりあえず、入れてくれ。」
「通しませんよ!」

突如、沸点に達した大陸風少女と、自分の妹とのやり取りを見て、男は怪訝な顔をする。

「魔理沙、話しが少し違わないか?門番に話しが通っていないようじゃないか。」
「なに、何時もの事だし、ちょっと垣根を跨ぐだけだ。何事も無いのと変わらないぜ。」

その言葉を聞いて、大陸風少女は怒髪天をつく。

「もう、頭来ました!」
「まあまあ、ちょっと待て、美鈴。早とちりはいけないぜ。」
「えっ…今、なんて!」
「美鈴。」
「あ、あああっ!」

一転、感極まったような声を出して天を仰ぐ大陸風少女。

「なあ、中に入れて欲しいぜ。」
「う、でも、だめです!私は門番なんですから。知らない人もいますし。」
「ああ、紹介するぜ。私の兄様だ。」

どうしたものか、と考えを巡らせていた男が、突然話題を振られ、困惑の表情で会釈する。

「…はじめまして。魔理沙の兄だ。」
「あ、はじめまして…」
「そういうことだ。通してくれないか、中国。」
「だから中国じゃありませんって!」

また蒸し返すのか、と呆れる男を他所に、少女は人の悪い笑みを浮かべている。

「落ち着け中国。今日ばっかりは、素直に通した方がいいぜ?」
「だめだって言ってるでしょう!」
「私はお前のために言ってるんだぜ?お前が未だかつて、私一人だけでも、撃退できた事があったか?」
「う…」
「今日はそれに加えて、兄様も一緒だ。強いぜ、兄様は。私よりもずっと、な。」
「…」
「通してくれないか。美鈴さん。」
「…わかりました。用があるのは図書館ですよね?」
「そうだぜ。」
「図書館の入り口まで、見張らせてもらいます。」
「図書館以外に興味は無いぜ。」
「それでも、です。門を通すからには、私に責任があるんですから。」
「門を放っといていいのか?本末転倒になるぜ。」
「部下に任せます。最近では、襲撃を掛けて来る勢力など、いなくなりましたから。雑多妖怪程度なら、部下だけでも十分です。さ、こちらです。ついて来てください。」

その哀愁漂う背中を見ながら、本当に肩書きだけなんだな、としみじみ思う兄妹であった。

「どうしたんですかー?行きますよー?」







大陸風少女に連れられて来た場所は、年季を感じさせる大きな扉の前だった。男は、その奥から漏れ出す魔力の奔流を受け。この先に、求め続けたヴアル魔法図書館があるということを今更ながらに実感していた。

「さ、ここです。」
「おう、ご苦労様だぜ。」
「それでは、私は門に戻ります。くれぐれも、粗相の無きよう。」
「ありがとう、美鈴さん。」
「ああっ…」

足取り軽やかに持ち場へ戻る大陸風少女。それを見送る男が、彼女にまつわる不幸を察し、不憫な、と思ったことは、彼の心の中だけに仕舞われ続ける瑣末事。

「しかし、随分歩いたな。外観よりもずっと広く感じる。」
「ああ、リフォームの匠がいるのさ。」
「それはいいな。」
「さ、夢のヴアル図書館だぜ。どうだ兄様、今の心境は。」
「まさに、夢のようだ。」
「あら?魔理沙、そちらはどなたかしら?」

図書館の入り口で感傷に浸っていた兄妹に、声がかかる。

「よっ、パチュリー。また来たぜ。今日は私の兄様も一緒だ。」
「兄?あなた、家族がいたのね。あんまり常識を知らないものだから、てっきり。」
「なんだそりゃ、こんなレディを捕まえといて、失礼だぜ。」
「それなら、貸していた本もしっかり返してくれるわよね?そもそも、うちは貸し出しはしてないのだけれど。」
「頭固いぜ。ほら、とりあえず、読み終った分だけ持ってきた。」
「まあいいわ。もってくる事自体あなたにしては殊勝な事だし…。お兄様も、利用していかれるの?」
「はじめまして、パチュリーさん。妹の紹介で来させてもらったんだが、よかったかな?」
「はじめまして。ヴアル図書館へようこそ。静かに利用してくれるのなら、問題はないわ。」
「無論だ。」
「…いちいち嫌味な奴だぜ。」

出迎えた紫色の少女は、思い当たる節があったらしく、二人に問う。

「だけど、事前に話を通しておかないと、門番が立ち塞がったでしょう?」
「ああ、さっきの、門番か。名はなんと言ったか。ん、メラニン?」
「あー。中国だぜ、兄様。」
「ああ、そうだそうだ。…ん?」
「ちなみに、いつも通りだぜ。」
「そう。そちらのお兄様も?」
「いつもがどうなのかは知らないが、話せばわかってくれたよ。」
「あら。」
「全くサービス精神旺盛だよな。その上ここまで案内してくれたぜ。とても快適だったぜ。」
「あとでメイド長の咲夜に報告しておくわ。」
「ああ、そうしてやってくれ。彼女を見ていると、どうも不憫でしかたない。」
「多分、もっと不憫な事が待ってるぜ。」
「ふむ」
「まあまあ兄様、そんなことより、早速ヴアル図書館を満喫しようぜ。」
「そうだな。」
「一般書籍はご自由にご覧になって下さって結構。禁書の閲覧は一度確認をとってちょうだい。」
「わかってるぜ。さ、兄様、魔道書は、こっちだぜ。」
「それじゃ、お邪魔するよ。」








ヴアル図書館の一角。男は厳選して選び出した一冊の本を、少女はとにかく目に付いたものを山のように積み上げて、それぞれの読書に打ち込んでいた。

「なあ、兄様、この本の封印、解けないか?」
「…禁書か。確認をとってくれとパチュリーさんが言っていただろう?」

少女が差し出したのは、魔力施錠を施された禁書。

「とは言ってもなあ、この前、これの確認をとりにいったら、駄目だって言われたんだぜ。」
「じゃあ諦めろ。」
「なあ、兄様、そこをなんとか。実家の禁書、異例の早さで片っ端から読破してた兄様なら、こういうの得意だろ?」
「施錠を乗り越えて情報を読み取る術はあっても、それをお前に伝える術は持っていない。」
「ちぇー。」
「これだけの蔵書。一般書籍だけでも、十分に魅力的だ。禁書に挑むのは、それらを全て読破してからでも遅くは…!」
「ん?どうした、兄様。」

突如言葉を失い、目を見開いた男の視線の先にいたのは、本と三脚を持ち、本棚の間を忙しく動き回る黒翼の少女。少女もその視線に気付いたのか、男の居る方に目を向け、同じように目を見開いて固まった。抱えていた本がばさばさと地面に落ちる。

「え…マ、マスター!なんでここに!?」
「なんだ兄様、リトルと顔見知りなのか?」
「…まあ、な。」

慌てた様子で駆け寄ってくる黒翼の少女。

「マスター!お久しぶりです!会いに来てくれたんですか?」
「…リトル、もう俺をその名で呼ぶな。もう俺とお前の間には何の関係も無い。そして今日はこの図書館に来ただけだ。妹に連れられてな。」
「あ…はい。気持ちは切り替えています。ただ、少し癖が出ただけです。」
「ならいい。」
「はい…。」
「詳しいところはよくわからないけど、今の会話だけ聞いてると兄様が酷い男みたく聞こえるぜ。」
「お前は知らなくてもいいことだ。…少し、向こうへ行っていてくれないか。」
「こんなかわいい妹を蚊帳の外か。酷いぜ。」

ぶちぶちと文句を言いながらも、他の封印の薄そうな禁書を探しに向かう。地道に一般書籍を読んでいく気は毛頭ないらしい。その少女の姿が本棚の海を消えたのを確認し、男が黒翼の少女に問う。

「魔界へ帰ったのではなかったのか?」
「魔界は、どこかの巫女と魔法使いに滅茶苦茶にされて、その時その場所に居なかった私は肩身が狭くて居場所がないんです。」
「そうか。不憫だとは思うが、そのおかげで新しい召喚主にも会えたのだろう?よかったじゃないか。」
「そ、そうです。…私にも、運が回って来ましたよ…」
「ああ。」

その言葉を最後に、男は口をつぐみ読書に集中する。黒翼の少女は気まずそうに佇んでいたが、主に呼ばれたのか一礼して、落としていた本を拾い集めてその場を離れた。しばらくして、紅茶を持って再び男の前に現れたが、『本が汚れてはいけないから』、という男の申し出により、どことなく悲しげに奥へ引いていった。それきり、男と黒翼の少女の間に会話はなかった。







あっという間に時間は過ぎ去り、今はちょうど陽が没そうという頃合。窓一つ無いこの場所では、それを知る術は無いが、男と少女は館に充満してきた不穏な魔力を肌に感じ、ここから先は魔の躍動する時間。そろそろ人間はお暇しよう、ということになった。

「パチュリー、そろそろ帰るぜ。借りてくのは、これと、これと、これと、これと、これと…」
「はあ…。まあ、いいけどね。お兄様も、なにか借りていかれるのかしら?」
「いや、俺はいい。次いつ来れるか、わからないしな。」
「そう。」
「今日は有意義な時間を過ごさせてもらった。ありがとう、パチュリーさん。」
「いえ、お目付け役が居てくれた方が、魔理沙が大人しくていいわ。」
「お恥ずかしい限りだ。」
「よく言って聞かせておいてくれれば助かるわ。」
「善処しておくよ。」
「酷いぜ。なんだよ、人を問題児みたいに。」
「自覚なさい。」
「とにかく、これ以上人間がここに居て、問題の種になっても悪い。早々に立ち去るとするよ。」
「ええ。またいらしてね。マナーを守ってくれる人なら、歓迎するわ。」
「あ、あの…パチュリー様…」

突然かかる、消え入りそうな小さな声。

「リトル、なにかしら?」
「いえ、その…」
「…俺たちには関係の無いことのようだ。行くぞ、魔理沙。」
「え、兄様。ちょっと…」
「先に行っている。」

足早にその場を去っていった男を悲しげに見送りながら、俯いて肩を震わせている黒翼の少女。

「…」
「リトル?」
「い、いえ、なんでもないんです…。ごめんなさい、魔理沙さん、引き止めてしまって。お兄様を追いかけてあげてください。ここを一人で歩くのは危険ですから。」
「…兄様は強いからそういった心配はないが、まあそうさせてもらうぜ。」
「はい。」
「だがその前に。ほら、これ。」

少女が差し出したのは、小さな、指先ほどの大きさの水晶玉がついたイヤリング。それを見た黒翼の少女は、きょとんとした顔で尋ねる。

「これは?」
「耳につけておくといいぜ。多少魔力を吸われるけどな。お前の欲する物はきっとそれにある。」
「え?」
「じゃあな、パチュリー。」
「…ええ。」

そう言って、一方的にイヤリングを押し付け、駆けていった少女を見送り、呆然とする二人の少女。

「なんだったんでしょう…。」
「つけてみれば?それ。」
「いいんですか?」
「何で私に許可を仰ぐの。」
「だって、魔理沙さんからの…」

そこで紫色の少女の眼光に遮られ、言葉を中断する。

「す、すみません。」
「いいわ。ところで…」
「はい?」
「あの男の事。訳有りのようね?」
「…はい。」
「…リトル、昔のことは忘れなさい。あなたの今の召喚主は私よ。」
「…はい。パチュリー様。」






紅魔館からの帰り道。男と少女が並んで歩いていた。二人の間に会話はない。二人とも、話すことが無いわけでもなかった。久しぶりの兄妹だけの話、今日の図書館の感想、館を出る時なぜか入るときには居た門番の姿が見当たらなかったこと、等々。だが、そこにはどちらからとも話し掛けにくい、重い雰囲気に支配されていた。

突然、少女が足を止める。

「…どうした、魔理沙。」

その言葉には応えず、少女が問う。

「兄様…いくらなんでも、あれは酷すぎやしないか?」
「盗み聞きをしていたのか?困った奴だ。」
「地獄耳は母様譲りだぜ。」

男は溜息を吐き、ワンテンポ置いて少女に問う。

「…お前はそう思うか?」
「そう思うぜ。」
「ならば、口調が男勝りでも、中身はまだまだ女々しいということだ。それでは、魔道を行く者として…」

矛先を変えようとした男の言葉を、少女が遮る。

「酷いな、兄様は。兄様は都合が悪くなると、そうやってすぐ話の論旨をすり替えようとする。」
「お前もそうだろう。」
「酷いな、兄様は。」
「二度言うな。…確かに俺は酷い奴だ。そしてそうあるべきなんだ。」
「どうして。」
「俺が、俺達が求めるべきは、ただの道具なのだから。」
「二言目にはすぐそれだ。完全に間違いじゃないと思うけど、極端すぎるぜ、兄様。」
「そのうちお前もわかるさ。」
「わかりたくないな。」
「ん」

しばし場に沈黙が訪れる。場に満ちる言い様もない気まずさ。先にその沈黙を破ったのは少女だった。

「兄様、聞かせてくれないか?」
「お前に話してなんになる?」
「このままだと、私は兄様を嫌いになりそうだ。」

その言葉を聞いて、背けた顔をしかめつつ、男はぽつりぽつりと語り始める。

「…あいつは俺の下に居た頃から、よく笑い、よく泣いた。何時の間にか、ただの使い魔であるあいつのことをただの道具と思えないようになっていた事に気付いた。」

少女は何も言わない。男も、顔を背けたまま、さらに言葉を継ぐ。

「それに危機感を覚えた俺は、あいつとの契約を破棄した。」
「…逃げたのか。らしくもない。」
「ああ、逃げたんだ。」

目を合わせようともせず、押し黙ってしまった男に向け、少女が意を決して問う。ここから先はおそらく、安易に踏み込んではならない領域。

「…兄様、リトルを手元に戻したいか?」

案の定、少女からは伺えない男の表情が、一層険しくなる。

「既に結論は出ている。」
「それは魔法使いとしての、だろ。」
「同じことだ。それに、過去は変えられない。」
「できるか、できないかじゃない。今の気持ちを聞かせて欲しいんだ。」
「使い魔は、召喚主を守るものだろう?」

それはあまりにも至極当然の事。

「…そりゃ、そうだぜ。」

だが少女が聞きたいのは、そんなことではない。少女が知りたいのは、男の本心。その一点。

「召喚主が守ってやらなきゃいけないような無能な使い魔なんて、使う意味がないし、関係として成り立つわけがない。」
「そうとも限らないぜ。とことん、守ってやればいいじゃないか。」
「それくらいなら、もっと有能な使い魔をつける。」

これ以上はぐらかされてたまるかと、少女が、やや威圧的な声で、男に問う。

「それとも守る自信がないのか?」
「魔理沙、口を慎め。」
「自信がないんだな?」

なぜこいつはこんなに執着するのか、今日に限ってこんなに鋭いのか、と男は心の中で悪態を吐いたが、ついに観念したのか、その心中を晒す。

「…あの時の俺では、守りきれなかっただろうな。」
「今は?」
「守ってやれる自信はある。」
「それなら…」
「だが、世界は広い。」
「兄様は後ろ向きだな。少なくとも私は兄様より強いやつなんて知らないぜ。自信をもってリトルとのよりを戻す事をお勧めするぜ。」
「それに、今の召喚主が黙ってはいない。」

少女もそれには思い当たった。黒翼の少女は今、呼べばすぐ来れるような状況下には置かれていないのだ。新たな主人を得て、新しい仕事を与えられている。

「まあ、そうだろうな。」
「あいつがそこへ辿り着いた時に、半ば諦めていた。あいつを守りきれるだけの力を得てから、等という痴れた甘え。運命から逃げ出した者に、運命は決して二度微笑みかける事は無いというのに。」
「知ってたのか。図書館の事も、リトルの事も。」
「図書館の事は知らなかった。ただ、あいつの新しい主が、絶大な力を持つ魔女だということは、聞き及んでいた。」

握り締められた男の握り拳から、魔力が滲む。そこから感じる驚異的な圧力を受け、少女は、この男のこれ程の力を持ってしても、諦めなどというものに甘んじる必要が果たしてあるのかと、疑問に思う。

「奪い取ればいいじゃないか。兄様なら、楽勝で勝てると思うぜ?パチュリーの魔力は私とトントンくらいなんだから。しかも、持病持ちだ。」

その言葉を受け、遠い目をしながら、誰に言うとでもなく、男が呟く。

「全く、奇特な魔女だな。それとも知識を集める以外に興味が無いだけか。」
「?」
「会ってみて、予想が確信になった。あれはやろうと思えば、俺もお前もまとめて消せる力を持っている。」
「うえ、そうなのか?」
「本もきちんと返した方がいい。そしてなにより、遊びで済まされない領域には、決して踏み込んではならない。」
「兄様…」

月明かりに照らされた男の横顔は、少女が未だかつて見たことも無いほど、頼りなく、寂しげに見えた。

「苦しんだんだな、兄様も。…ごめん。」
「いい。既に割り切っていた事だ。」
「…兄様。」
「なんだ?」
「見ろよ、件の紅魔館が、雨に降られてるぜ。」

少女が指で指し示す先にあるのは紅魔館。その周辺のみに、小雨が降っていた。明らかに、自然現象ではない。

「おっかない妹君が、駄々をこねているらしいな。」
「幻視力が鈍ったのか兄様。私は違うと思うぜ?」
「ん」
「よかったな、兄様。パチュリーの奴も、リトルをただの道具として扱っているわけじゃないらしいぜ。粋な計らいをしてくれるぜ。」
「なぜだ?」
「あの雨がフランを抑え付けるための雨なら、もっと激しい豪雨のはずだ。」
「ほう」

続けろ、と男は目で示唆する。少女は思う。そういえば、いつ振りだろう、兄様がその目で私を見てくれたのは。私は新しい魔法を覚える都度、いの一番に兄様の下へ駆けて行って、それを報告した。その時には決まって、『みせてみろ』と兄様は言った。その時の、妹の成長を優しく見守るような、兄の目。久しく、見たな、と。

「私が思うにあの雨は、あの埃一つ無い館の中の唯一埃っぽい場所でひっそりと降る、小さな雨を覆い隠すために降らせているんだろうな。」
「ふむ」
「よほど、兄様の気持ちがうれしかったらしいぜ。」

言いながら、ごそごそと懐をまさぐる。

「ちょっとこいつで転送したのさ。今の会話とか。」

少女が舌を出しながら取り出した小さな水晶玉は薄っすらと発光していた。先ほど黒翼の少女に渡したイヤリングは、これと対になっていたのだろう。

「魔理沙。…俺をたばかったのか。そうなんだな。」

男の声色が変わった。途端に、幼い時分より刷り込まれた条件反射か、顔を青くする少女。

「ご、ごめん兄様!あんまり、リトルが不憫だったからさ…。心のけじめをつけさせてやりたかったんだ。」

少女は知っている。この声の後には、決って拳骨が来る。拳骨に備えて、帽子を押えて目を固く瞑る。

「…あれ?拳骨がこないな?」

少女は時間差か?とも思ったが、目を開けてみれば男は少女に背を向けて立っていた。

「帰る。」

そう言って、少女に背を向けたまま、少女の家とは違う方向へ、男は歩き出す。
突然の事に、少女は慌てて男の正面に回りこもうとするが、横に伸ばした男の手でそれは遮られた。
男は一旦足を止める。だが、決して振り向こうとはせず、背を向けたまま。

「唐突にも程があるぜ。…拳骨なら、喰らう覚悟はできてるから…」
「もともと、お前を訪ねたのも気まぐれだった。去るのも、気まぐれ、気のままさ。それに…あの雨を見ていると、矮小な自分を見せ付けられているようで、どうも居心地が悪い。」
「そうやって、いつも兄様は優しすぎる。」
「買い被るな。優しい人間は悪魔を使ったりなどしない。」
「悪魔を使う優しい魔法使い、一件矛盾しているようだが、実はどこも矛盾して無いぜ。」
「…」
「それを一番よくわかっているのは、兄様だろう?」
「…ん」

今度こそ男は歩き出す。ここにも雨が降っていてくれれば、こう急いで帰る必要もなかっただろうに、という思いが一瞬頭をよぎったが、それも男の消え入るような小さな苦笑とともに、すぐに掻き消えた。

「俺もまだまだ女々しさが抜け切れていないようだ。」
「兄様…」
「ありがとうな、魔理沙。」

その言葉を最後に、再び歩き出す男。少女も、それ以上追おうとはせず、その背中を、見えなくなるまで見送り続けた。どこまでも、強い兄だ、と。誇りと、ほんの少しの妬みを感じながら。






悪魔の館にしとしとと降り続く雨。それはあまりにも場違いで、ただ、優しかった。





こんばんわ。前回、遊戯人として幻想卿に呼ばれ神主天帝タッグにぼこぼこにされたどんきちです。4作目になります。

現在、非情に申し訳ないことに、2作目の加筆訂正が難航しています。
手直し、手直しを続けているうちに、全く別物になりそうだったので、一度全部やり直しました。
今は、若干、ほのめかす程度に抑えながら、うまくまとめれるよう、努力しています。
ですがやはり、2作目は、気が滅入りますorz
なにか、なにかガス抜きがしたい、とくすぶっておりました。
そんな時、コメント欄を見ていて、目に入ってきたものがありました。

>氏には是非一度甘々なのにも挑戦していただきたかったりします。
>是非一度甘々なのにも挑戦して
>甘々なのにも
>甘々
>あまあま

あった…安地…!

というわけで書きはじめました。そして書き終わりました。
え?甘々、どこが?な感じになってましたorz
とりあえず、これはこれで一つの作品ということで、投稿させていただきました。
力量不足故初志貫徹適わなかった作品ではありますが、よろしくお願いします。

ちなみに、兄様に関しては詳しい描写をしていません。作品中で見られる描写としては、眼鏡を掛けている、魔理沙よりも強い、過去に小悪魔を使い魔として使役していた、というぐらいです。
私には小さい頃に失った故兄が居ます。その兄が成長したら、というのを想像して、書いてしまっていたのかもしれません。全ては、突発的妄想の産物でありました。反省していますorz

それでは。


余談かつ蛇足
私「マリサ萌え?」
友「小悪魔?」
私「だよねぇ。」
友「台詞がくさいよ。」
私「いいじゃん。そういうの好きなんだから。」
友「ところで、芋やったことある?」
私「あ、格闘の?残念だけどスペック足りないから。」
友「んね、芋で霧雨邸が背景で出てるんだけど。」
私「うん。」
友「昼間、明るいよ?」
私「な、なんだってー!」
友「あとね。」
私「な、なんですか…」
友「タイトル、字、違う。」
私「そっちを先に言ってよー!」

すみませんでした…orz


番外
余談かつ蛇足コーナーで私をフォローしたりこきおろしたりしてくれる彼ら。
これからも長い付き合いになりそうなので相方紹介

一人目 むにゃさん…スッパとテンコを愛するマイフェイバリット兄貴紳士。私を含めた真性に囲まれ実は苦労人。
二人目 カイジさん…とりあえずいい人。突っ込みが鋭い。だけど今一タイミングが音速遅い。できればもうちょっと早く。
三人目 さとるさん…徒然の東方ダレ話の中においしいネタをぽろぽろ零す人。拾って再利用させてもらってます(-人-)

どんきち
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コメント



0.2540簡易評価
13.80名前が無い程度の能力削除
切ないなぁ。
小悪魔の過去を掘り下げて絡めるとは。
ってか原因霊夢まりしゃですか。ほとほと因果ですね。南無。
20.80|||削除
落ち着いた作品ですね。
どこまでも突っ走るのが氏のイメージでした。
こういうのも私は嫌いじゃないです。少し寂しい気もしますが。
斬新なのも期待してます!
23.無評価名前が無い程度の能力削除
僭越ですが、戯言、申し上げさせてください。
今作を読んで、「らしくない」と思いました。
今までのあなたの作品はどれも輝いていました。
今作からは、それが失せています。
偉そうなこと言って本当にすみません。
でもどうか、今一度見直してみてください。では。
46.60名無し毛玉削除
なんというか、魔理沙が珍しく控えめな作品ですね。
(てかメインはオニイチャンでしょ、これ?)
兄妹の価値観の違いはあれど、基本的に似た思想を持ちお互いを尊重しあっている…
そんな兄妹っていいなぁ。