八雲藍は、雑務を終えると同時に現れた、ねばつく妖気に気付いた。その日は紫がいつもより長く起きていたこともあり(もっとも、今はもう寝ているが)、仕事の量は比較的少なかった。日付が変わる数時間前に床に就けるのは本当に久しぶりだったので、このいかにもしつこそうな妖気を、藍は排除すべきものと認識した。
そう、理由はねばついているだけではない。肌を刺すような、ひりつく感覚。明らかに、こちらに対しての敵意があったからだ。侵入者はけして珍しいものではない。藍の仕事の一つだ。念のため、数枚のスペルカードをいつでも取り出せるように袖に入れる。
妖気は一定の間隔で移動していた。しかし、わずかながらもこちらに向かってきている。マヨヒガに張られている結界は、弱い妖怪ならそこに何があるかも気付かせなくする。だがこの妖気の持ち主はマヨヒガに「侵入している」。並の妖怪ではない。しかし、藍も紫の式として幾星霜の年月を重ね、自分でも式を打てるまでになるほど、強大な力を持つようになった。けして引けを取らない自信はある。それは思い上がりではなく、確信である。
妖気が風に乗って流れてくる。髪をねっとりと撫で、肌をゆっくりといやらしく刺激する。草木を撫でる心地よかった風を、これほど嫌なものに感じたことは今までなかった。標的との距離が縮まっていくのがわかる。情緒あふれる庭を疾走し、「壊すわけにはいかないな」と思いながら、自身の妖力を昂ぶらせていく。藍は結界を張ることが出来ないので、いつぞやの巫女や魔女、メイドの時のように、空中戦にする必要がある。前述の三人は空を飛んでいたので必然的にそうなったわけだが、今の相手は地を駆けている。まずは接近戦にして、そこから空へと雪崩れ込むのが最良の手段だ。自分の家を壊す恐れがあるので、弾幕を庭で張るのはいただけない。もっとも、西行寺家のような二百由旬ほどの庭があれば別だろうが。マヨヒガも広い部類には入るものの、その半分にも満たないのだ。
「……」
風が止まったことに藍は気付く。先ほどまで自分を挑発していたかのような妖気も動かなくなった。
「いや」
動く必要がなくなった、が正しい。
「こんばんわ、九尾の狐さん。月が綺麗な夜ね」
まるで初めからそこにいたような錯覚さえある。藍と対峙している妖怪は堂々と、なんの臆面もなく、超然と佇んでいた。
「マヨヒガに何の用だ。しかも夜も深い、こんな時間に」
「あら、つれないわね。お客さんの来訪には、もっと柔和な対応が必要よ」
妖怪は朗らかに笑う。しかし、藍はけして警戒を解かない。
その妖怪は長い白髪を携え、それは月光で艶やかに光る。紫色と白色で彩られたゆるりとした衣服も、どこか妖しげな雰囲気を醸し出している。手は徒手空拳で、しかし藍は本能で、それがもっとも危険なものだと踏んでいた。
「何の用だ」
今度は言葉を短く切って、威圧的に用件だけを訊ねる。別のことを訊いても、きっとのらりくらりとかわされるだろう。ならば単刀直入に訊くのがもっとも効果が望める。さきほどまで考えていた接近戦から空中戦に持ち込む流れを、再度頭の中で構築した。
「ちょっと借りに来たのよ、そう、ちょっとね」
両手を前方に突き出して、妖怪は笑う。開かれた両の掌は、何の変哲もない、ただの掌に見える。やや爪が長く伸びていること以外、異なる箇所はどこにもない。
「何を借りに来たんだ? ものによっては貸してやろう。そして早々にお引取り願おうか」
すると、妖怪が大きく口元を歪ませた。瞬間、藍の背筋に悪寒が纏わりつく。
―――アレに近付いてはいけない―――
接近戦という選択肢が自身の直感により消失した。庭を壊さないように、という考えは、どこまでも甘いものだったと悟る。そんな悠長なことを考えている余裕なんてない相手なのだ、あいつは。
温存で勝てる相手ではないと踏んで、藍はスペルカードを裾から出して掲げた。
「まあ、借りるとは言っても」
藍は最強クラスの式神である。なのに、目の前の妖怪風情は怯える様子もない。藍はそんな彼女に既視感を覚えたが、構わず宣言に入る。
「これから無断借用するのよ」
―――式神。
「仙狐思念!」
まずは小手調べと言わんばかりに、自分が持つ中でも弱い部類に入るスペルを展開した。楔弾が大量に展開し、妖怪へと殺到しようと突き進んでいく。弱い部類とは言うものの、仙狐思念は、スペルカード全体で言えば中の上に位置する。これもまた、藍の力の象徴である。
庭の草木を喰いながら、数十発の弾が妖怪に突き刺さった。そして、後ろに控えていた第二陣が一気に―――
「へえ、式神なのになかなかいいもの持ってるのね。気に入ったわ」
「!」
平然としている。あれだけの弾を一気にくらいながらも、平然としている。両手を突き出したままで、かすり傷、髪のほつれ、衣服の乱れすらない。しかしうろたえるのは一瞬までだ。藍は次のスペルの詠唱を始めた。
「もっとも、あなたの力はわたしには通じないわけだけど」
戯言だ。耳を貸すな。意にも介さず、藍は次のスペルに移行した。
頭の中から意図的に消した、接近戦の選択肢。それを拾い上げる。やはり庭では不自由さが残る。ならば、自分が思いっきりやっても差し支えない空中戦が自分にとっては有利になる。
「式輝」
宣言。
―――プリンセス天狐!
円状の弾が数発、前方の妖怪に向かって発射された。妖怪はそれをやはり両手で受け止め、微塵のよろめきすら起こさない。
しかし、それは藍の狙い通りだった。瞬間的に背後に移動し、下方から数発の弾を無防備な背中に命中させた。背中に回られていたことに気付いた妖怪だが、すでに遅かった。空に向かって押し上げられて、慌てて宙で体勢を整える。すると今度は藍が笑った。準備が整ったのだ。
あの両手に触れると、どうやら弾は吸収されてしまうらしい。しかしそれは手だけであって、触れない限りは弾も命中するのだ。先ほどの背中に当たった弾が藍に教えてくれた。
ならばどうするべきか。
「簡単なことだ」
両手を触れさせる暇すら与えなければいい。藍の持つスペルならそれが可能になる。
―――憑依荼吉尼天。それが答えだ。弾幕を展開しながら自身も転回する。速度を上げさえすれば、あの両手が弾に触れることは出来るとも、藍に触れることは不可能だろう。空に舞って、藍は策を練る。
「もうこの手の性質を見抜いたのね。さすが、幻想の境界が使役する式だわ」
余裕綽々といった感じで、妖怪は空に静止していた。自分の手の性質が見抜かれたにも関わらず、笑顔は消えていなかった。何かまだ隠しているのか。一瞬、策の実行を躊躇するが、そんな暇さえ与えなければいいだけの話だ。藍はそう自分を納得させた。
「お前のおかげで庭が少し壊れてしまった。落とし前はつけさせてもらうぞ、妖怪」
「あら、そういえば名乗っていなかったわね。……そうね、わたしが勝ったら名乗らせてもらおうかしら」
それが合図だった。
「なら、お前は名もない妖怪として消えろ!」
同時、藍が空中を駆けた。
一枚のスペルカードを掲げ、
「式神!」
宣言し、
「憑依」
紡ぎ、
「荼吉尼天!」
力は発動する。
弾が妖怪に向かって放たれ、藍も回転しながらそれに続く。妖怪はやはり弾を両手に当ててかき消した。藍の狙いがうまくいった瞬間だった。 刹那の時で背後に回り、鋭利に尖った爪でその首を刎ね―――
「―――式神」
その呟きは、しっかりと藍の耳朶に絡みついた。
「式神」と、確かに聞こえた。
―――仙狐思念。
「なっ……!?」
まさに首と爪の切っ先が触れ合う瞬間。放たれたスペルが、勝利を確信した藍の中腹に命中したのだ。不意を突かれ、殺到する弾はことごとく藍に食い込んでいく。
「あらごめんなさい、てっきり理解しているものかと思ったのよ。だから避けられると踏んだんだけど……、どうやら、誤解しているみたいね」
落下し、庭に打ち付けられる藍。受身も取れず、鈍い音がした。
「じゃあ、わたしの勝ちということで、自己紹介をさせていただくわ」
ゆっくりと降りてくる妖怪を、ぼやける視界に捉えて、藍は上半身だけを起こす。視線の先には、満面の笑みを浮かべる妖怪がいる。
「わたしの名は、星降霜。百年ぐらい妖怪をやっています。保持している能力は―――」
右手を天に翳す霜。そして直後、掌にスペルカードが現れた。―――「仙狐思念」「プリンセス天狐」。それが、そのスペルカードの名だった。
「対象から力を借りる程度の能力、よ。言ったわよね、無断借用するって?」
―――そういうことだったのか。
こいつはマヨヒガに来たわけではない。「わたしに」向かってきていたのだ。
「まあ、あなた強かったわよ。少しは楽しめたし」
くすくす。おかしそうに笑う。
「―――でも収穫がスペル二個ってのもなんか納得いかないわね」
藍を見ていた霜は突然体の向きを変えて、マヨヒガへと歩き出した。藍はすぐに、霜の狙いを知った。
中には、藍の式である橙。そして主人である八雲紫がいるのだ。
「ま、待てっ……! 貴様っ……!」
「安心なさい、殺すわけじゃないのだから。借りるだけよ」
背を向けたままで、霜は冷淡に言った。
「まず、相手に「貸す」といった意味の言葉を言わせなければいけない。次に、力に直接両手で触れなければいけない。あと、使えるのは力の全てじゃなくて、一部のみ。あと、わたしが出来そうにないものは借りれるけど使えない。結構、厳しいわよ、条件」
楔弾が、霜の頭上に浮いている。その切っ先は藍の額へと向けられていた。
「じゃあね、狐さん」
「く……」
そして楔弾が勢いよく放たれた。藍は瞼を下ろせずにいた。刹那、眼前に死が迫って―――それでも藍は目を閉じなかった。
「穏やかじゃないわね」
「!」
のんびりした口調で、しかしどこか厳しい。藍は気付けば、主人である八雲紫の腕の中にいた。
続く
そう、理由はねばついているだけではない。肌を刺すような、ひりつく感覚。明らかに、こちらに対しての敵意があったからだ。侵入者はけして珍しいものではない。藍の仕事の一つだ。念のため、数枚のスペルカードをいつでも取り出せるように袖に入れる。
妖気は一定の間隔で移動していた。しかし、わずかながらもこちらに向かってきている。マヨヒガに張られている結界は、弱い妖怪ならそこに何があるかも気付かせなくする。だがこの妖気の持ち主はマヨヒガに「侵入している」。並の妖怪ではない。しかし、藍も紫の式として幾星霜の年月を重ね、自分でも式を打てるまでになるほど、強大な力を持つようになった。けして引けを取らない自信はある。それは思い上がりではなく、確信である。
妖気が風に乗って流れてくる。髪をねっとりと撫で、肌をゆっくりといやらしく刺激する。草木を撫でる心地よかった風を、これほど嫌なものに感じたことは今までなかった。標的との距離が縮まっていくのがわかる。情緒あふれる庭を疾走し、「壊すわけにはいかないな」と思いながら、自身の妖力を昂ぶらせていく。藍は結界を張ることが出来ないので、いつぞやの巫女や魔女、メイドの時のように、空中戦にする必要がある。前述の三人は空を飛んでいたので必然的にそうなったわけだが、今の相手は地を駆けている。まずは接近戦にして、そこから空へと雪崩れ込むのが最良の手段だ。自分の家を壊す恐れがあるので、弾幕を庭で張るのはいただけない。もっとも、西行寺家のような二百由旬ほどの庭があれば別だろうが。マヨヒガも広い部類には入るものの、その半分にも満たないのだ。
「……」
風が止まったことに藍は気付く。先ほどまで自分を挑発していたかのような妖気も動かなくなった。
「いや」
動く必要がなくなった、が正しい。
「こんばんわ、九尾の狐さん。月が綺麗な夜ね」
まるで初めからそこにいたような錯覚さえある。藍と対峙している妖怪は堂々と、なんの臆面もなく、超然と佇んでいた。
「マヨヒガに何の用だ。しかも夜も深い、こんな時間に」
「あら、つれないわね。お客さんの来訪には、もっと柔和な対応が必要よ」
妖怪は朗らかに笑う。しかし、藍はけして警戒を解かない。
その妖怪は長い白髪を携え、それは月光で艶やかに光る。紫色と白色で彩られたゆるりとした衣服も、どこか妖しげな雰囲気を醸し出している。手は徒手空拳で、しかし藍は本能で、それがもっとも危険なものだと踏んでいた。
「何の用だ」
今度は言葉を短く切って、威圧的に用件だけを訊ねる。別のことを訊いても、きっとのらりくらりとかわされるだろう。ならば単刀直入に訊くのがもっとも効果が望める。さきほどまで考えていた接近戦から空中戦に持ち込む流れを、再度頭の中で構築した。
「ちょっと借りに来たのよ、そう、ちょっとね」
両手を前方に突き出して、妖怪は笑う。開かれた両の掌は、何の変哲もない、ただの掌に見える。やや爪が長く伸びていること以外、異なる箇所はどこにもない。
「何を借りに来たんだ? ものによっては貸してやろう。そして早々にお引取り願おうか」
すると、妖怪が大きく口元を歪ませた。瞬間、藍の背筋に悪寒が纏わりつく。
―――アレに近付いてはいけない―――
接近戦という選択肢が自身の直感により消失した。庭を壊さないように、という考えは、どこまでも甘いものだったと悟る。そんな悠長なことを考えている余裕なんてない相手なのだ、あいつは。
温存で勝てる相手ではないと踏んで、藍はスペルカードを裾から出して掲げた。
「まあ、借りるとは言っても」
藍は最強クラスの式神である。なのに、目の前の妖怪風情は怯える様子もない。藍はそんな彼女に既視感を覚えたが、構わず宣言に入る。
「これから無断借用するのよ」
―――式神。
「仙狐思念!」
まずは小手調べと言わんばかりに、自分が持つ中でも弱い部類に入るスペルを展開した。楔弾が大量に展開し、妖怪へと殺到しようと突き進んでいく。弱い部類とは言うものの、仙狐思念は、スペルカード全体で言えば中の上に位置する。これもまた、藍の力の象徴である。
庭の草木を喰いながら、数十発の弾が妖怪に突き刺さった。そして、後ろに控えていた第二陣が一気に―――
「へえ、式神なのになかなかいいもの持ってるのね。気に入ったわ」
「!」
平然としている。あれだけの弾を一気にくらいながらも、平然としている。両手を突き出したままで、かすり傷、髪のほつれ、衣服の乱れすらない。しかしうろたえるのは一瞬までだ。藍は次のスペルの詠唱を始めた。
「もっとも、あなたの力はわたしには通じないわけだけど」
戯言だ。耳を貸すな。意にも介さず、藍は次のスペルに移行した。
頭の中から意図的に消した、接近戦の選択肢。それを拾い上げる。やはり庭では不自由さが残る。ならば、自分が思いっきりやっても差し支えない空中戦が自分にとっては有利になる。
「式輝」
宣言。
―――プリンセス天狐!
円状の弾が数発、前方の妖怪に向かって発射された。妖怪はそれをやはり両手で受け止め、微塵のよろめきすら起こさない。
しかし、それは藍の狙い通りだった。瞬間的に背後に移動し、下方から数発の弾を無防備な背中に命中させた。背中に回られていたことに気付いた妖怪だが、すでに遅かった。空に向かって押し上げられて、慌てて宙で体勢を整える。すると今度は藍が笑った。準備が整ったのだ。
あの両手に触れると、どうやら弾は吸収されてしまうらしい。しかしそれは手だけであって、触れない限りは弾も命中するのだ。先ほどの背中に当たった弾が藍に教えてくれた。
ならばどうするべきか。
「簡単なことだ」
両手を触れさせる暇すら与えなければいい。藍の持つスペルならそれが可能になる。
―――憑依荼吉尼天。それが答えだ。弾幕を展開しながら自身も転回する。速度を上げさえすれば、あの両手が弾に触れることは出来るとも、藍に触れることは不可能だろう。空に舞って、藍は策を練る。
「もうこの手の性質を見抜いたのね。さすが、幻想の境界が使役する式だわ」
余裕綽々といった感じで、妖怪は空に静止していた。自分の手の性質が見抜かれたにも関わらず、笑顔は消えていなかった。何かまだ隠しているのか。一瞬、策の実行を躊躇するが、そんな暇さえ与えなければいいだけの話だ。藍はそう自分を納得させた。
「お前のおかげで庭が少し壊れてしまった。落とし前はつけさせてもらうぞ、妖怪」
「あら、そういえば名乗っていなかったわね。……そうね、わたしが勝ったら名乗らせてもらおうかしら」
それが合図だった。
「なら、お前は名もない妖怪として消えろ!」
同時、藍が空中を駆けた。
一枚のスペルカードを掲げ、
「式神!」
宣言し、
「憑依」
紡ぎ、
「荼吉尼天!」
力は発動する。
弾が妖怪に向かって放たれ、藍も回転しながらそれに続く。妖怪はやはり弾を両手に当ててかき消した。藍の狙いがうまくいった瞬間だった。 刹那の時で背後に回り、鋭利に尖った爪でその首を刎ね―――
「―――式神」
その呟きは、しっかりと藍の耳朶に絡みついた。
「式神」と、確かに聞こえた。
―――仙狐思念。
「なっ……!?」
まさに首と爪の切っ先が触れ合う瞬間。放たれたスペルが、勝利を確信した藍の中腹に命中したのだ。不意を突かれ、殺到する弾はことごとく藍に食い込んでいく。
「あらごめんなさい、てっきり理解しているものかと思ったのよ。だから避けられると踏んだんだけど……、どうやら、誤解しているみたいね」
落下し、庭に打ち付けられる藍。受身も取れず、鈍い音がした。
「じゃあ、わたしの勝ちということで、自己紹介をさせていただくわ」
ゆっくりと降りてくる妖怪を、ぼやける視界に捉えて、藍は上半身だけを起こす。視線の先には、満面の笑みを浮かべる妖怪がいる。
「わたしの名は、星降霜。百年ぐらい妖怪をやっています。保持している能力は―――」
右手を天に翳す霜。そして直後、掌にスペルカードが現れた。―――「仙狐思念」「プリンセス天狐」。それが、そのスペルカードの名だった。
「対象から力を借りる程度の能力、よ。言ったわよね、無断借用するって?」
―――そういうことだったのか。
こいつはマヨヒガに来たわけではない。「わたしに」向かってきていたのだ。
「まあ、あなた強かったわよ。少しは楽しめたし」
くすくす。おかしそうに笑う。
「―――でも収穫がスペル二個ってのもなんか納得いかないわね」
藍を見ていた霜は突然体の向きを変えて、マヨヒガへと歩き出した。藍はすぐに、霜の狙いを知った。
中には、藍の式である橙。そして主人である八雲紫がいるのだ。
「ま、待てっ……! 貴様っ……!」
「安心なさい、殺すわけじゃないのだから。借りるだけよ」
背を向けたままで、霜は冷淡に言った。
「まず、相手に「貸す」といった意味の言葉を言わせなければいけない。次に、力に直接両手で触れなければいけない。あと、使えるのは力の全てじゃなくて、一部のみ。あと、わたしが出来そうにないものは借りれるけど使えない。結構、厳しいわよ、条件」
楔弾が、霜の頭上に浮いている。その切っ先は藍の額へと向けられていた。
「じゃあね、狐さん」
「く……」
そして楔弾が勢いよく放たれた。藍は瞼を下ろせずにいた。刹那、眼前に死が迫って―――それでも藍は目を閉じなかった。
「穏やかじゃないわね」
「!」
のんびりした口調で、しかしどこか厳しい。藍は気付けば、主人である八雲紫の腕の中にいた。
続く